また…近いうちに…

ひとりごと…覚え書き…。不定期で 呟いていこうと思います。

フォーラムへ

2016-02-29 07:05:31 | 日記
昨日は、まちづくりに関するフォーラムに、出席してきました。
お友だちが、誘ってくださったお蔭です。
今回で9回目の開催なのだそうですが、全く知りませんでした。

パネルディスカッションのパネリストのお一人が、農家レストランの経営者であることが、魅力で、楽しみに出かけて行きました。

スペシャルゲストの俳優も、間近で見る☆ことができました。

旬の野菜の、更に、その各々の品種の特徴を活かした美味しい食べ方を提供していきたい、というお話でしたが、ぜひとも、この農家レストランに行きたくなりました。


持続可能な、安心して暮らせるまちづくり。
少子高齢化、人口減少社会への対応と、震災からの復興とを同時に考えてゆく、行政ではなく、民間と住民主導型のまちづくりの構想を聞いて、なるほど、と、大切にしなければならないと考えられているポイントを教えて頂けました。

かといって…、自分にできることはないけれど、せめて、関心だけは、持ち続けたいとも思いました。
出席や参加をする、という形で、応援してゆきたい、見守りたい、という自分の気持ちを表現できるということは、嬉しいことでもあります。


ところで昨日は、往きはお友だちの息子さんに最寄り駅まで送って頂き、帰りは、私の次女に迎えに来て貰いましたが、2人は同級生。

お友だちとの出会いは、この子達がまだ、乳児だった頃…。
私自身は、親の転勤に付いて回ったため、何度も転居をしたので、どこに行っても、余所者という感覚が抜けませんが、実際には、けっこう、この地には長く住んでいるのですよねぇ。
お友だちの子供の成長を見守れる幸せは、時に感動すら覚えます。

車中での、おしゃべりも、心許せて 安らぎのひととき、楽しめて、本当に感謝でした。
どうもありがとうございましたm(_ _)m


以前、今は亡き生母が私に
「あなたは、私がしたくても、できなかったことをしている。○○(妹)は、自分がしてきたことをしている。」
と語ったことを思い出しました。

そう、生母も、頻繁な転居などなく、生まれ育った地で、幼なじみのいる地域で、子育てができたなら、鬱病にならなかったのではないのかな? などと、以前にも、ふと思うことはあったのですが、持続する安定した人間関係があるというのは、本当に心強いものです…。
安定した安心な人間関係を脅かされるということは、時に、心を病んでしまう きっかけになりうるんですよね。
できないことだけれど、救えるものなら、あの若き日の生母の孤独な苦しみを理解して、支えて癒してやれていたら良かったのに、と、何度 思ったことか。
根源的に、私の存在は、なんの役にも立たず、親不孝だったな、としか当時は、思えなかったよねぇ。

でも、それは、同時に、それが私の独自性。通常の?親子関係は望めなかったからこそ、学んだり、得たものが あるのでしょうねぇ。
あの親たちにしてこの私の生き方が、良くも悪くもあるのでしょう。

孤独は本当に心身にとって、毒ですね。
昨日のお話でも出ましたが、一人暮らしが、孤独とは限らないように、3世代同居でも、日中は一人きりで、寂しいという方もいらっしゃって、一様ではありませんね…。

目に見える復興も大事です。
しかし、外からは見えにくい心の回復も、とても大切なこと。コミュニケーションが、大切ですね。
女性は、概ね喋るから元気といわれるけれど、それには、関心をもって、聴いてくれる相手がいないと、ですしね。

私も、自分の心に栄養をくれる方との お付き合いが、長くできると有難いなぁと、思います。

幸せは。

2016-02-27 23:01:56 | 日記
しあわせは、
途切れ途切れに やってくる。

なにかで、耳にした 言葉です。


不幸と不幸とのちょっとした すき間に、しあわせが、ちょこっと、挟まっている。
そんな風に感ずる人も いるのかなぁ? と、それを聞いて思いました。

他人の気持ちに寄り添うなんて、私には できっこないよね。
簡単に「分かる」なんて、言ってほしくないでしょう?
私には 言えないし、できないよ…。


私はそう思っているのに。
誠実に、お気持ちやお考えを 話してくださる方がいます。
メールやラインで、伝えてくださる方がいます。

時に、逃げ出したくなります。
私には 荷が重すぎるよ…と。


でも、逃げ出さずに 立ち止まるのは、なぜなのでしょうね……。

それは、多分。
私が苦しいときに、やはり、足を止めて、聴いてくださった人生の先輩方がいたから。
親友達がいたから。

渡る世間には、鬼ばかりではないよ。中には、菩薩の顔をした、鬼もいるけどね。

初めから疑って身構えて付き合うのも、かなしいよ。
裏切られたって、裏切るよりは、マシだし。


そう思っていたけれど。
うーん。
やっぱりね、姿を消したくなる、そういう時もあるのよ…。

たまにはね、もう一度だけ、勇気を出して、好きな世界へ、歩き出してみたいなぁ、と、思う…。
そう思って、歩き出そうとしていた矢先に…。

もっともっと、大事なことができちゃいました。
幸せからは、わざわざ遠ざかる道かもしれないけれど、それでも、不幸ばかりでもないので。

そう。
私には幸せも、不幸も、生まれてからずっと、どちらも、続いているよ(笑)。そう、思えるようになりました。

かなしいなぁ…。

2016-02-26 08:18:04 | 日記
昨日は、高校時代からの友人と会いました。

前日に、手術を受けた病院を受診して、今後の抗がん剤治療について、決めるとのことだったので、治療に入る前に会いたいね、と、あえて、受診後の昨日、会うことにしていたのですが。


持病、それも、難病のために、傷口の回復に影響が出て、傷が開いてしまっていたため、昨日は、縫合し直したとのことで、抗がん剤治療については、延期。更に、がんセンターへの転院も、勧められたとのこと。

転居も、考えているということでした。

お見舞い、ありがとうと渡されたお品。
帰宅してから、息子宛てのを分けるときに、ふと、のし紙を見たら…。
快気祝いではなくて、御見舞御礼とあって…。
彼女の覚悟があらためて、身に迫り、涙が止まらなくなってしまいました。

出会った頃から、身体は弱いけれど、家族の愛情にも恵まれない中、気丈で明るく 流されない生き方をしていた彼女だけれど。

今回は、乳がんという形で出たけれど、元々の難病で、悪性リンパ腫にかかる確率がかなり高いため、若い内から覚悟はしていた彼女…。


私たちはお互いに、親とは違う子育てがしたいと願い、お互いに学び合い、時に励まし合って、生きてきた、いわば、同志のような関係。
健康も、親からの愛情も、自分では選ぶことができず、私たちは生まれてきますから。

変えられるのは、未来。

ですが。
未来もまた、無限ではなく、有限。

どちらが先に、この世での学びを終えて、あちらへの切符を手にするのか わからないけれど、彼女の思いをしっかりと、受け止め、明日へと活かすであろう 5人の子どもたちが育っていることは、なによりの宝だと、私も受け止めて、共に、さいごのその時まで 気持ちは一緒にいたいものです。

おままごと

2016-02-25 06:54:02 | 日記
「ままごと」と入力したら、「飯事」と変換されて、オオッ!

それは、さておき。
仕事を辞めたら  したいと思っていたことの一つは、フェルトで ままごと用品を縫うこと。
本を買ったり、キットを買ったりしていましたが、なかなか、家にいることが少なくて、まだ、手つかずです。

ところで、昨日は、ちょっとだけ、いつもと違う鍋ものが食べたくなりました。
長ネギに、ギョウザの皮を巻きつけ、それから、豚肉も巻き巻き。
まるで ままごとのように楽しんで、という、時間的な余裕は残念ながら無く、バタバタ急いで作りました。

家族からは好評だったので、これは、また作る機会がもてそう。

三女には、ひと手間かけるのは珍しいと言われてしまい、ドキッ。
そこで、
「うん、ままごとなら するのよ」
と答えた私(^-^;

そして更に昨日は、ほんのちょっとの間ですが、雪がちらついたのですが。
会った知人にまで、お昼は?と聞かれたので、
「久々にビーフンを作って食べたよ」
と言ったら、
「あぁ、やっぱり珍しいことしたんだ」
と、笑われ…。

うっ、うっ、うっ!


で、一緒にいた友人には、
「珍しい、言い返さないの?」
と(笑)。

「いや-、ほぼ事実だからねぇ」
と苦笑するしかありませんでしたねぇ。

しかし、イメージって、面白いですね。

私は子どもの頃から、ごっこ遊びが大好き。
何かに見立てたり、なりきって遊ぶのが好きだったから、今も楽しめること、続いていることにつながっているのでしょうね。
折り紙も見立て遊び、読み聞かせも、紙芝居やシアターは、なりきり遊びで、朗読なら、相手のイメージの世界を壊さぬように、邪魔せぬように抑えた表現を心がけるわけですから、想像の世界、イメージづくりのお手伝い?ですものね。

あと、幼い頃に好きだったのは、お店屋さんごっこ…。
三つ子の魂百まで? かどうかは、ともかくも、高校生の時の、和菓子販売のアルバイトは、楽しかったなぁ。その後の仕事選びの方向性に影響しましたものね。

で、あまり、料理に関しては興味の薄い私は、そういえば、ままごととか、お人形遊びは、妹に付き合ってやる感じだったことを、いまさら、思い出して、これまた、苦笑…。

落ち込むけれど、ね…。

2016-02-23 04:46:13 | 日記
どうにも、光明が見えない。
高次脳機能障害の方のサポートは、自分が落ち込んでも良いことはない、とわかっているけれど。

今回のサポートでは、前向きにとらえることができない 出来事があって、他人事ながら…落ち込んでいます。
でも、やむを得ない…。
サポートの方向を変えて、共に新たな希望の光を探せたらなぁ、と、願うばかりです。

こんな時こそ、以前 教わったことを実践です…。

スモール ステップ。
短時間で結果が出る 好きなこと、やりたいことをします。

本当は良い結果が出せることをすれば、もっといいのだそうですが。

下手の横好きでも、いいですよね?

教えていただいても、見よう見まねが苦手な私は、教えてくださる方のスピードには ついていけなくて。

でも、ほら、なぜだか、人様との出会いには恵まれる私(^^;)
ちゃんと、編み方まで書いてあるプリントを持参された方に、コピーさせていただいて。

じっくり、それを見ながら、3回、4回…。気の済むまで、編んでは解き、編んでは解きを繰り返して、やっと、これは、四ツ葉のクローバーという作品名だから、この方がいいかな? と、緑の毛糸も買ってきて 完成。

昨日は久しぶりにランチに行けたお友達に、その緑の方をプレゼントしました。
たぶん… 私は編むだけで使わないと思うので、発表会の展示用に一つあれば、OK。

それと。
昨日の朝は、FAXで、講座受講の参加申し込みをしました。
高次脳機能障害についての連続講座です。
単発ではないので、申し込みに迷いがあったのですが。
この案内が手に入ったというご縁を大事にすることにしました。

自分で考えて あぁ、これは無理だから、辞めようというのも、したいことであったら、とても辛いけれど、できる、できないの判断がつかない、というこの障害。
判断がつかないから、できないことでも、やりたいと思えば、周りの状況もとらえにくいために、辞める決断をすることが、かなり、難しい障害であることを知ってから、家族でもない自分がサポートできるのは、かなり限度があることを知ったのですが。

私は運動は苦手。
特に団体ですることは、大の苦手。

だから、病気の再発防止のために、運動制限が出されても、さほど、苦痛ではなかったけれど、これがもし、大好きなことだったら、執着の強い自分のことですから、相当に辛かったはず。
たしかに、結婚も、育児も、諦めた方が長生きできるでしょうと言われた時も、養女なのに、跡継ぎの、役目は果たせないのは申し訳ないと思ったけれど、それも、具体的に 好きな人がいた訳でもなかったから、そうか~ダメか~と、当時は思ったぐらいですものね。

それより、せっかく社内の山岳部に入ったばかりでの、入院、休職でしたから、そちらを諦める方がガックリでしたっけ。

ただね、退院当時は、医師から言われた制限について、理解はできたから、納得するもしないも無く、選択肢も無かったわけで。


退院4日目に養父が亡くなり、1年半後には、養母も亡くなってしまって。22歳で世帯主、遺されたのは祖父母。
こんな状況で、私ももし再発したら、死ぬ?

そこからですよね。
もしそうなって短めの人生になったとしても、少しでも自分の夢を叶えてから死にたいな、と思ったのは。

無茶な生き方をしてきたよなぁ、と、今、振り返れば思うわけだけれど。
心身共に健康で、社会生活上 優れた能力も持ち合わせる人に比べたら、私は…。
なんて、支えてくださる方々に恵まれてきたのだろうかと、あらためて、思うわけです。

わたしがもし、一人で何事もできる人で独断専行型だった場合、その能力でできることよりも、助けてくださる方々との協力によって、成し遂げられたことの方が 成果は大きくて、精神的な満足度も高いことに気づけない人生だったりして?


いくら個人としての能力が高くても、仕事はたいてい、チームワーク。
それぞれの個性を活かせない、閉じられたものであれば、成果は一人の能力に限定されてしまい、折角の人材が活かされなくなってしまう。

協働、共働で叶うことの方が、成果は大きくしたいものです。

そのために、障害がある方の個性を活かせるサポートを学びたいと思っています。

身近な人間関係の中に 私は高次脳機能障害の方の他に、情緒障害の方や、脳脊髄液減少症の方がいます。
個人的なそのお付き合いから学ぶことも多いけれど、大枠も学ばないとという思いもあったので、5月は、ちょっと勉強時間を取りたいと思っています。