昨日は、まちづくりに関するフォーラムに、出席してきました。
お友だちが、誘ってくださったお蔭です。
今回で9回目の開催なのだそうですが、全く知りませんでした。
パネルディスカッションのパネリストのお一人が、農家レストランの経営者であることが、魅力で、楽しみに出かけて行きました。
スペシャルゲストの俳優も、間近で見る☆ことができました。
旬の野菜の、更に、その各々の品種の特徴を活かした美味しい食べ方を提供していきたい、というお話でしたが、ぜひとも、この農家レストランに行きたくなりました。
持続可能な、安心して暮らせるまちづくり。
少子高齢化、人口減少社会への対応と、震災からの復興とを同時に考えてゆく、行政ではなく、民間と住民主導型のまちづくりの構想を聞いて、なるほど、と、大切にしなければならないと考えられているポイントを教えて頂けました。
かといって…、自分にできることはないけれど、せめて、関心だけは、持ち続けたいとも思いました。
出席や参加をする、という形で、応援してゆきたい、見守りたい、という自分の気持ちを表現できるということは、嬉しいことでもあります。
ところで昨日は、往きはお友だちの息子さんに最寄り駅まで送って頂き、帰りは、私の次女に迎えに来て貰いましたが、2人は同級生。
お友だちとの出会いは、この子達がまだ、乳児だった頃…。
私自身は、親の転勤に付いて回ったため、何度も転居をしたので、どこに行っても、余所者という感覚が抜けませんが、実際には、けっこう、この地には長く住んでいるのですよねぇ。
お友だちの子供の成長を見守れる幸せは、時に感動すら覚えます。
車中での、おしゃべりも、心許せて 安らぎのひととき、楽しめて、本当に感謝でした。
どうもありがとうございましたm(_ _)m
以前、今は亡き生母が私に
「あなたは、私がしたくても、できなかったことをしている。○○(妹)は、自分がしてきたことをしている。」
と語ったことを思い出しました。
そう、生母も、頻繁な転居などなく、生まれ育った地で、幼なじみのいる地域で、子育てができたなら、鬱病にならなかったのではないのかな? などと、以前にも、ふと思うことはあったのですが、持続する安定した人間関係があるというのは、本当に心強いものです…。
安定した安心な人間関係を脅かされるということは、時に、心を病んでしまう きっかけになりうるんですよね。
できないことだけれど、救えるものなら、あの若き日の生母の孤独な苦しみを理解して、支えて癒してやれていたら良かったのに、と、何度 思ったことか。
根源的に、私の存在は、なんの役にも立たず、親不孝だったな、としか当時は、思えなかったよねぇ。
でも、それは、同時に、それが私の独自性。通常の?親子関係は望めなかったからこそ、学んだり、得たものが あるのでしょうねぇ。
あの親たちにしてこの私の生き方が、良くも悪くもあるのでしょう。
孤独は本当に心身にとって、毒ですね。
昨日のお話でも出ましたが、一人暮らしが、孤独とは限らないように、3世代同居でも、日中は一人きりで、寂しいという方もいらっしゃって、一様ではありませんね…。
目に見える復興も大事です。
しかし、外からは見えにくい心の回復も、とても大切なこと。コミュニケーションが、大切ですね。
女性は、概ね喋るから元気といわれるけれど、それには、関心をもって、聴いてくれる相手がいないと、ですしね。
私も、自分の心に栄養をくれる方との お付き合いが、長くできると有難いなぁと、思います。
お友だちが、誘ってくださったお蔭です。
今回で9回目の開催なのだそうですが、全く知りませんでした。
パネルディスカッションのパネリストのお一人が、農家レストランの経営者であることが、魅力で、楽しみに出かけて行きました。
スペシャルゲストの俳優も、間近で見る☆ことができました。
旬の野菜の、更に、その各々の品種の特徴を活かした美味しい食べ方を提供していきたい、というお話でしたが、ぜひとも、この農家レストランに行きたくなりました。
持続可能な、安心して暮らせるまちづくり。
少子高齢化、人口減少社会への対応と、震災からの復興とを同時に考えてゆく、行政ではなく、民間と住民主導型のまちづくりの構想を聞いて、なるほど、と、大切にしなければならないと考えられているポイントを教えて頂けました。
かといって…、自分にできることはないけれど、せめて、関心だけは、持ち続けたいとも思いました。
出席や参加をする、という形で、応援してゆきたい、見守りたい、という自分の気持ちを表現できるということは、嬉しいことでもあります。
ところで昨日は、往きはお友だちの息子さんに最寄り駅まで送って頂き、帰りは、私の次女に迎えに来て貰いましたが、2人は同級生。
お友だちとの出会いは、この子達がまだ、乳児だった頃…。
私自身は、親の転勤に付いて回ったため、何度も転居をしたので、どこに行っても、余所者という感覚が抜けませんが、実際には、けっこう、この地には長く住んでいるのですよねぇ。
お友だちの子供の成長を見守れる幸せは、時に感動すら覚えます。
車中での、おしゃべりも、心許せて 安らぎのひととき、楽しめて、本当に感謝でした。
どうもありがとうございましたm(_ _)m
以前、今は亡き生母が私に
「あなたは、私がしたくても、できなかったことをしている。○○(妹)は、自分がしてきたことをしている。」
と語ったことを思い出しました。
そう、生母も、頻繁な転居などなく、生まれ育った地で、幼なじみのいる地域で、子育てができたなら、鬱病にならなかったのではないのかな? などと、以前にも、ふと思うことはあったのですが、持続する安定した人間関係があるというのは、本当に心強いものです…。
安定した安心な人間関係を脅かされるということは、時に、心を病んでしまう きっかけになりうるんですよね。
できないことだけれど、救えるものなら、あの若き日の生母の孤独な苦しみを理解して、支えて癒してやれていたら良かったのに、と、何度 思ったことか。
根源的に、私の存在は、なんの役にも立たず、親不孝だったな、としか当時は、思えなかったよねぇ。
でも、それは、同時に、それが私の独自性。通常の?親子関係は望めなかったからこそ、学んだり、得たものが あるのでしょうねぇ。
あの親たちにしてこの私の生き方が、良くも悪くもあるのでしょう。
孤独は本当に心身にとって、毒ですね。
昨日のお話でも出ましたが、一人暮らしが、孤独とは限らないように、3世代同居でも、日中は一人きりで、寂しいという方もいらっしゃって、一様ではありませんね…。
目に見える復興も大事です。
しかし、外からは見えにくい心の回復も、とても大切なこと。コミュニケーションが、大切ですね。
女性は、概ね喋るから元気といわれるけれど、それには、関心をもって、聴いてくれる相手がいないと、ですしね。
私も、自分の心に栄養をくれる方との お付き合いが、長くできると有難いなぁと、思います。