今日は、午前中は2つの会場のかけもちで行ったり来たり。
さらに午後は市の中心部での会合にも出席で、気忙しい1日になりました。
でも、それぞれの会場で、お話しして頂いたことは、私にとって、どれも関心のあることだったので、贅沢な1日だったのかもしれません…。
お話を聴けるタイミングと そのお話を、より理解しやすくなっている自分のタイミングが重なれば 更に良いのでしょうが、なかなか 実際には難しいことです。
朝一番で行き、会場の準備をして、次の会場へ届け物をし、録音の設定もして、再び 戻ると、ある小学校の困っている現状を話して頂けました。
授業中にじっとしていられないお子さんが1人、2人でも大変なのに、その割合が増えていることは、ニュースなどでも知っていましたが、もしも、なんらかの障害があるということが分かれば、サポーターの配置もできるけれど、専門機関での診断や相談をおすすめしても、個性ですから、とか先生の指導力を問われたり、あるいは人権問題としてとらえられる可能性もあれば、相談のおすすめ、そのものが難しい、というのも、よく聞く話なのですが、一方で、サポーターをしてくれるボランティアも人手不足だそうで…。
私も初めに相談をすすめられたのは、長女が4才半の時で、社会性の発達が1歳半から2歳程度、と言われて、当時はまだ、虐待されていたことは聞いていたので、まだ、引き取ったばかりだし、これからの接し方で、ゆっくり成長していけるのでは、と考えて、児童相談所には行かなかったんですよね。
でも、結果的には高学年になっても、多動もおさまらず、衝動を止めるのが苦手なために様々なトラブルを毎日 起こし、心理判定をしていただいたところ、治療が必要とされ、施設に措置されたわけです。
早く対応をしていれば、障害があるためにできないことを求めず、できる手立てを、もう少し考えてやれたのでは、と、そこは後悔しています。
末子については、産後、情緒障害の一つの要因として 流早産を止めるための点滴が考えられる、との本を読み、妊娠7ヶ月から24時間点滴で、やっと産んだので、ちょっと覚悟していた方がいいかな、と思っていたら、成長につれて、長女ほどではないにしても、健常児とは違うサポートが必要なことは明らかに…。
同じ後悔はしないように、と、気をつけて育ててきましたが、その一つに、幼稚園から中学まではずっと 担任の先生には、状態をお伝えし、気づいたことがあれば、お知らせいただくようお願いしました。
1年の時の担任の先生が、きちんと受け止め、効果的な対応を調べて実践してくださったのには、ほんとうに感謝でしたし、そのお蔭は大きかったと 今でも思っています。
障害という言葉を使う、使わないに関わらず、困っている人には、「手伝って」と言えますように、と伝えたいし、「手伝って」と言われたら、手伝って、一緒に支え合えたらいいなぁ、と、今は思っていますが、長女の子育ての時には 母子でカプセルに入ってしまっているみたいに、「手伝って」なんて言う言葉も忘れて、自分でなんとかできる人に育てなくては!という切羽詰まった日々だったんですよねぇ。
お話を聞いて、そういうあれこれを思い出したのでした。
今、悩んでいる方がいたら、失敗談なら、いっぱいありますし 私でよかったら お話、聞くことならできるんだけれどなぁ…。
さらに午後は市の中心部での会合にも出席で、気忙しい1日になりました。
でも、それぞれの会場で、お話しして頂いたことは、私にとって、どれも関心のあることだったので、贅沢な1日だったのかもしれません…。
お話を聴けるタイミングと そのお話を、より理解しやすくなっている自分のタイミングが重なれば 更に良いのでしょうが、なかなか 実際には難しいことです。
朝一番で行き、会場の準備をして、次の会場へ届け物をし、録音の設定もして、再び 戻ると、ある小学校の困っている現状を話して頂けました。
授業中にじっとしていられないお子さんが1人、2人でも大変なのに、その割合が増えていることは、ニュースなどでも知っていましたが、もしも、なんらかの障害があるということが分かれば、サポーターの配置もできるけれど、専門機関での診断や相談をおすすめしても、個性ですから、とか先生の指導力を問われたり、あるいは人権問題としてとらえられる可能性もあれば、相談のおすすめ、そのものが難しい、というのも、よく聞く話なのですが、一方で、サポーターをしてくれるボランティアも人手不足だそうで…。
私も初めに相談をすすめられたのは、長女が4才半の時で、社会性の発達が1歳半から2歳程度、と言われて、当時はまだ、虐待されていたことは聞いていたので、まだ、引き取ったばかりだし、これからの接し方で、ゆっくり成長していけるのでは、と考えて、児童相談所には行かなかったんですよね。
でも、結果的には高学年になっても、多動もおさまらず、衝動を止めるのが苦手なために様々なトラブルを毎日 起こし、心理判定をしていただいたところ、治療が必要とされ、施設に措置されたわけです。
早く対応をしていれば、障害があるためにできないことを求めず、できる手立てを、もう少し考えてやれたのでは、と、そこは後悔しています。
末子については、産後、情緒障害の一つの要因として 流早産を止めるための点滴が考えられる、との本を読み、妊娠7ヶ月から24時間点滴で、やっと産んだので、ちょっと覚悟していた方がいいかな、と思っていたら、成長につれて、長女ほどではないにしても、健常児とは違うサポートが必要なことは明らかに…。
同じ後悔はしないように、と、気をつけて育ててきましたが、その一つに、幼稚園から中学まではずっと 担任の先生には、状態をお伝えし、気づいたことがあれば、お知らせいただくようお願いしました。
1年の時の担任の先生が、きちんと受け止め、効果的な対応を調べて実践してくださったのには、ほんとうに感謝でしたし、そのお蔭は大きかったと 今でも思っています。
障害という言葉を使う、使わないに関わらず、困っている人には、「手伝って」と言えますように、と伝えたいし、「手伝って」と言われたら、手伝って、一緒に支え合えたらいいなぁ、と、今は思っていますが、長女の子育ての時には 母子でカプセルに入ってしまっているみたいに、「手伝って」なんて言う言葉も忘れて、自分でなんとかできる人に育てなくては!という切羽詰まった日々だったんですよねぇ。
お話を聞いて、そういうあれこれを思い出したのでした。
今、悩んでいる方がいたら、失敗談なら、いっぱいありますし 私でよかったら お話、聞くことならできるんだけれどなぁ…。