10人の言葉を同時に聞くことができた・・・・とか、
生まれたのが、馬小屋だった・・・・とかで
豊聡耳皇子とか、厩戸皇子とか呼ばれていた人。
(諸説ありますが・・・)
これこそ、誰もが知っている聖徳太子。
欽明天皇を父に、蘇我稲目の娘・堅塩媛を母に持つ
橘豊日皇子(後の用明天皇)と、
欽明天皇を父に、蘇我稲目の娘・小姉媛を母に持つ
穴穂部間人皇女との間に生まれました。
天皇家史上初の女帝・推古天皇の摂政として、
蘇我馬子と共に、推古天皇を補佐し、
遣隋使の派遣、冠位十二階、十七条憲法など、
天皇を中心とした中央集権体制の確立を図りました。
また、仏教を厚く信仰し、興隆に努めますが、
推古30(622)年、2月22日に亡くなり、
母・穴穂部間人皇女、妃・膳部菩岐々美郎女と共に、
磯長の地に葬られました。
大阪府南河内郡太子町にある「叡福寺北古墳」が
宮内庁が比定する「磯名墓」です。
古墳は直径50mの円墳。
横穴式石室で、内部は3つの棺が安置されていることから、
三骨一廟と呼ばれています。
天皇陵など宮内庁が管理する御墓なのに、
いつもの鳥居がないせいか、
すごく新鮮で、キレイっていう感じ
*◇*~~~キモチ~~~(>Π<)~~~イイ~~~*◇*
1889(明治12)年、修復調査の際に、棺は確認できたけど、
遺体は風化し、残ってなかったといいます。
。。( ̄□ ̄;)ザンネン。。
一度、行ってみて
大阪府 太子町 : 聖徳太子 磯長墓