日出処の天子・・・・-聖徳太子御廟-

2013-01-24 22:52:03 | 歴史あるトコ-大阪

10人の言葉を同時に聞くことができた・・・・とか、

生まれたのが、馬小屋だった・・・・とかで

豊聡耳皇子とか、厩戸皇子とか呼ばれていた人。

(諸説ありますが・・・)

 

これこそ、誰もが知っている聖徳太子。

欽明天皇を父に、蘇我稲目の娘・堅塩媛を母に持つ 

橘豊日皇子(後の用明天皇)と、

欽明天皇を父に、蘇我稲目の娘・小姉媛を母に持つ 

穴穂部間人皇女との間に生まれました。

 

天皇家史上初の女帝・推古天皇の摂政として、 

蘇我馬子と共に、推古天皇を補佐し、

遣隋使の派遣、冠位十二階、十七条憲法など、

天皇を中心とした中央集権体制の確立を図りました。

 

また、仏教を厚く信仰し、興隆に努めますが、

推古30(622)年、2月22日に亡くなり、

母・穴穂部間人皇女、妃・膳部菩岐々美郎女と共に、

磯長の地に葬られました。

大阪府南河内郡太子町にある「叡福寺北古墳」が

宮内庁が比定する「磯名墓」です。

 

古墳は直径50mの円墳。

横穴式石室で、内部は3つの棺が安置されていることから、

三骨一廟と呼ばれています。

 

 

天皇陵など宮内庁が管理する御墓なのに、

いつもの鳥居がないせいか、

すごく新鮮で、キレイっていう感じ

*◇*~~~キモチ~~~(>Π<)~~~イイ~~~*◇*

 

 

 

1889(明治12)年、修復調査の際に、棺は確認できたけど、

遺体は風化し、残ってなかったといいます。

。。( ̄□ ̄;)ザンネン。。




一度、行ってみて

大阪府 太子町 : 聖徳太子 磯長墓  

 



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