ムリムリ?-雄略天皇陵-

2013-09-07 21:16:04 | 歴史あるトコ-大阪

宋書や梁書に記されている「倭の五王」の倭王・武

第21代 雄略天皇が比定されています。

大泊瀬幼武尊、大長谷若建命(おおはつせわかたけるのみこと)と記紀に記されています。

 

1968年、埼玉県行田市の埼玉古墳群内にある稲荷山古墳から、

金錯銘鉄剣が出土。

1978年、腐食の進む鉄剣の保護処理の為、X線検査が行われ、

鉄剣の両面に115文字の漢字が、

金象嵌(窪みに金をはめ込む技法)で表されていることがわかりました。

 

ここに記されていたのが、以下の文字(wikiより)

(表)

辛亥年七月中記、乎獲居臣、上祖名意富比垝、

辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。

其児多加利足尼、其児名弓已加利獲居、

其の児、名はタカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。

其児名多加披次獲居、其児名多沙鬼獲居、其児名半弓比

其の児、名はタカハシワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。

(裏)

其児名加差披余、其児名乎獲居臣、世々為杖刀人首、奉事来至今、

 其の児、名はカサハヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。

獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時、吾左治天下、令作此百練利刀、記吾奉事根原也

ワカタケルの大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、

此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。

 

5世紀後半には、雄略天皇による大和の権力が、

九州~北関東まで及んでいたことです。

 

 

 

大阪府羽曳野市島泉にある、

高鷲丸山古墳(島泉丸山古墳・円墳)と、平塚古墳(方墳)が、

丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)に比定されています。

 

 

 

円墳の周囲に堀があり、方墳側に拝所があります。

 

 

 

 

無理やり前方後円墳に見立てた感がすごい!

 

古事記には、顕宗天皇の父(市辺押磐皇子)の仇討ちをすべく、

意祁命(後の仁賢天皇)が雄略天皇陵の墳丘の一部を破壊したとあり、

つじつまは合うけどね・・・・

間違いなく・・・・・違うやろ(笑)

 

 

一度、行ってみて

大阪府羽曳野市  丹比高鷲原陵




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