奈良県桜井市にある舒明天皇陵のさらに奥。
鏡女王の墓を過ぎると、再び看板に出会いました。
(舒明天皇陵の記事は→こちらから 鏡女王の記事は→こちらから)
120m、上?!
ゲッ...(-д-;)ヤダ
初訪の5年前はこんな看板はなく、
ましてや地図には記載があっても、道がなかったトコ・・・・
記憶がない・・・・・
そう思っていたら、道しるべが。
思い出した!
以前、こんなものなかったせいで、
探しまくった記憶がある!
そう、最初のときは、この「外鎌山」方向にドンドン進んで行ったんです。
行けども行けども何も見当たらず、あきらめて戻ってきたとき、
別方面を探してた「旦那部隊」が発見したんです。
それが・・・・・・
こっち!
ありえんやろう!と思った方向!
仮にも宮内庁が管理している御墓。
絶対、違うと思ってた畑への道!
今回こそ、案内板があったから、迷わず来れたけど、
最初のときは全然、わかんなかった!
何かの果樹園か?の脇の小道を進むと突然、見慣れた階段が。
なんで、途中から?と以前も、そして今回もつっこみを入れてしまった階段。
(○`∇´)Ψケッケッケ
最果ての地に眠る大伴皇女の墓です。
大伴皇女は欽明天皇の皇女。
母は蘇我馬子の姉・堅塩媛。
推古天皇や用明天皇の同母妹になります。
しかし、この系譜以外、何も分からず、
平安時代に記された「延喜式諸陵寮」に、「陵内に田村皇女(糠手姫皇女)押坂墓、
陵域内に大伴皇女押坂内墓と、東南に鏡女王押坂墓がある」とあるのみ。
そのため、宮内庁の管理となり、調査もなされていないので、
全くの不明状態。
なぜ甥姪の子にあたる舒明天皇陵の陵域内にあるのか、
それとも、皇女墓があった近くにたまたま天皇陵を作ったのかは、
これもまた不明ですが・・・・・。
ともあれ、とても静かな地に、皇女の墓はあります。
さて来た道をかえっていると、鏡女王の墓の前から、
舒明天皇陵が見えます。
斜面を利用した陵墓であることがよくわかります。
忍阪に眠る皇族たち。
この風景は古代から変わっていないのでしょうね。
一度、行ってみて
奈良県桜井市 大伴皇女墓