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忍阪の奥で眠る皇女-大伴皇女墓-

2013-05-28 20:04:54 | 歴史あるトコ-奈良

奈良県桜井市にある舒明天皇陵のさらに奥。

鏡女王の墓を過ぎると、再び看板に出会いました。

(舒明天皇陵の記事は→こちらから  鏡女王の記事は→こちらから

120m、上?!

ゲッ...(-д-;)ヤダ 

初訪の5年前はこんな看板はなく、

ましてや地図には記載があっても、道がなかったトコ・・・・

記憶がない・・・・・

 

そう思っていたら、道しるべが。

思い出した!

以前、こんなものなかったせいで、

探しまくった記憶がある!

そう、最初のときは、この「外鎌山」方向にドンドン進んで行ったんです。

行けども行けども何も見当たらず、あきらめて戻ってきたとき、

別方面を探してた「旦那部隊」が発見したんです。

 

それが・・・・・・

こっち!

ありえんやろう!と思った方向! 

仮にも宮内庁が管理している御墓。

絶対、違うと思ってた畑への道!

 

今回こそ、案内板があったから、迷わず来れたけど、

最初のときは全然、わかんなかった!

 

 

 

何かの果樹園か?の脇の小道を進むと突然、見慣れた階段が。 

なんで、途中から?と以前も、そして今回もつっこみを入れてしまった階段。

(○`∇´)Ψケッケッケ 

最果ての地に眠る大伴皇女の墓です。

 

大伴皇女は欽明天皇の皇女。

母は蘇我馬子の姉・堅塩媛。

推古天皇や用明天皇の同母妹になります。

しかし、この系譜以外、何も分からず、

平安時代に記された「延喜式諸陵寮」に、「陵内に田村皇女(糠手姫皇女)押坂墓、

陵域内に大伴皇女押坂内墓と、東南に鏡女王押坂墓がある」とあるのみ。

 そのため、宮内庁の管理となり、調査もなされていないので、

全くの不明状態。

なぜ甥姪の子にあたる舒明天皇陵の陵域内にあるのか、

それとも、皇女墓があった近くにたまたま天皇陵を作ったのかは、

これもまた不明ですが・・・・・。

 

ともあれ、とても静かな地に、皇女の墓はあります。

 

 

さて来た道をかえっていると、鏡女王の墓の前から、

舒明天皇陵が見えます。

斜面を利用した陵墓であることがよくわかります。

 

忍阪に眠る皇族たち。

この風景は古代から変わっていないのでしょうね。

 

 

一度、行ってみて

奈良県桜井市 大伴皇女墓



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