八角墳の王墓-舒明天皇陵-

2013-05-26 20:42:07 | 歴史あるトコ-奈良

第34代 舒明天皇は、名を田村皇子といいます。

女帝・推古天皇が崩御した際、蘇我蝦夷の後押しで即位しました。

 

父は第30代敏達天皇の皇子・押坂彦人大兄皇子。

母は同じく敏達天皇の皇女で異母妹、糠手姫皇女。


舒明天皇の時代、政治の実権は蘇我蝦夷にあり、

記紀にも目立った天皇の業績はありません。

 

舒明天皇13年(641年)、崩御。

押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)に葬られたそうです。

奈良県桜井市忍阪にある「忍阪段ノ塚古墳」が治定されています。

 

643年、滑谷岡(なめはさまのおか:明日香村?)に葬られてから、

翌年、この地に改葬されたようです。


母である糠手姫皇女も合葬されています。

江戸末期、墳丘の一部が崩落。

石室内部に2つの石棺があったと、村人が見たそうです。

 

形は「上円下方墳」とされていますが、

実際は上八角下方墳。

 

 

航空写真でみたら、前方後円墳に見えるけど・・・・。

というか、以前来たとき、こんな看板なかったのに・・・。

p(*´・д`・*)qにょ??

しかし拝所(白い鳥居の場所)からみると、

三段構成されている方形壇が、なんとなく確認できます。

(v´∀`v)...。oо○ナントナクネ

ここは山の尾根を途中、切り崩し、傾斜を利用した墳墓のようです。


この八角墳墓こそ、このあとにつづく天皇陵の墳形です。



 

平安時代に記された「延喜式諸陵寮」には、

「陵内に田村皇女(糠手姫皇女)押坂墓、陵域内に大伴皇女押坂内墓と、

東南に鏡女王押坂墓がある」と記されています。

それは・・・・・

そう・・・こっちの道です。

次回に続きます

 

 

 

一度、行ってみて

奈良県桜井市 段ノ塚古墳(舒明天皇陵)




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