1783年(天明3年)、浅間山が噴火しました。
浅間山は長野県と群馬県の境にあるのですが、噴火の被害はほとんどが群馬県側だったようです。
そして駅からハイキングで訪れた万座・鹿沢口駅の近くは、浅間から来た火砕流が吾妻川に流れ込んだ場所らしいです。
こちらが吾妻川。
いろいろなものを巻き込んでやってきた火砕流は、泥流となって下流の村々を襲ったそうです。
馬や家財道具が千葉県の方まで流れていったというのだから凄まじい。
「天明の埋れ木」
万座・鹿沢口駅の近くを歩いていて見つけました。
浅間山噴火の泥流で埋まっていた木だそうです。
当時このあたりは芦生田村という村だったようなのですが、住民183人のうち116人が亡くなったって・・・。
ものすごい被害です。
駅からハイキングの帰りに、有名なこちらにも寄ってみました。
「鎌原観音堂」
鎌原村は当時宿場町として栄えていたらしいのですが、浅間の火砕流が押し寄せ、村ごと飲み込んでしまったのです。
そして、村でいちばん高い場所にあったこの観音堂に逃げてきた人だけが助かったのだとか。
現在の観音堂には階段は十数段しかないのですが、もともとは50段あったのだそう。
命からがら逃げてきたとはいえ怖かったでしょうね。
いつ観音堂のところまで火砕流が上がってくるか分からないわけですから。
鎌原村はもっとも被害が大きかった場所だそうですね。
浅間山噴火の話はいろいろなところで聞きますが、やはり現地で痕跡を見るとその凄まじさが伝わってきます。
資料館等もいろいろありそうなので、近々また訪れたいと思います。
浅間山は長野県と群馬県の境にあるのですが、噴火の被害はほとんどが群馬県側だったようです。
そして駅からハイキングで訪れた万座・鹿沢口駅の近くは、浅間から来た火砕流が吾妻川に流れ込んだ場所らしいです。
こちらが吾妻川。
いろいろなものを巻き込んでやってきた火砕流は、泥流となって下流の村々を襲ったそうです。
馬や家財道具が千葉県の方まで流れていったというのだから凄まじい。
「天明の埋れ木」
万座・鹿沢口駅の近くを歩いていて見つけました。
浅間山噴火の泥流で埋まっていた木だそうです。
当時このあたりは芦生田村という村だったようなのですが、住民183人のうち116人が亡くなったって・・・。
ものすごい被害です。
駅からハイキングの帰りに、有名なこちらにも寄ってみました。
「鎌原観音堂」
鎌原村は当時宿場町として栄えていたらしいのですが、浅間の火砕流が押し寄せ、村ごと飲み込んでしまったのです。
そして、村でいちばん高い場所にあったこの観音堂に逃げてきた人だけが助かったのだとか。
現在の観音堂には階段は十数段しかないのですが、もともとは50段あったのだそう。
命からがら逃げてきたとはいえ怖かったでしょうね。
いつ観音堂のところまで火砕流が上がってくるか分からないわけですから。
鎌原村はもっとも被害が大きかった場所だそうですね。
浅間山噴火の話はいろいろなところで聞きますが、やはり現地で痕跡を見るとその凄まじさが伝わってきます。
資料館等もいろいろありそうなので、近々また訪れたいと思います。