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Be Natural

気取りも なんのてらいもなく 
あるがままの自分を 感性の赴くままに
そんな独りよがりの書き捨て日記です。

出張ついでに半世紀を経て全通した名豊道路(23号線バイパス)を走ってみた。

2025-04-04 13:31:02 | 日記

3月9日

またまた名古屋港に入港する船のお仕事をいただいたので

ジムニーで名古屋へ

 

この日は、たま~に利用する県道80号線(奈良ー名張線)を使い

 

自宅を出発してから約1時間後、山添村のトイレをお借りして

その後は名阪国道の山添ICから名古屋まで直行するため小休止

大した渋滞もなく約1時間後に伊勢湾岸道の名港中央ICで下り

以前一度食してみた麺屋で1月に立ち寄ったところ定休日で断念していたためリベンジ

 

道路から様子を窺い暖簾がかかっているのを確認

駐車場に車を停め喜び勇んで暖簾を潜ったところ

「もう売り切れです」と言われて大ショック

このお店↑ 自家製麺らしき”うどん”と”きしめん”と”中華そば”に”そば”があり

トッピングの天ぷら(えびとハム)と生卵があるだけで

汁は全て同じ

(↓は、2021年5月に初訪問した時の画像)

中華そばにはコショウを振るだけ

きしめんはハムとエビの天ぷらをトッピングしてみました。

 

一玉が300円で二玉なら400円

替え玉だと何故か130円とおかしな値段設定ながら

古くからの常連で賑わっていて、また食べたくなってるのですが

その後はいつも定休日だったり営業時間外だったり

 

いつかまた食べに立ち寄ろうと決意した次第です。

 

 

その後、名古屋港の仕事ではいつも利用していた

ハーバーロッジ(元船員会館)が、とうとう閉館してしまったため

代わりにどこか宿が無いかなぁと探してみつけたのが

この旅館↓

な、なんと1泊4,000円(駐車場有料とあったので問合せるとたったの100円)

ハーバーロッジも同じ共同トイレと共同風呂(但し24時間利用可)なので

それくらい大丈夫と即決しちゃいました。

 

ただ、エレベーター無しで3階の部屋だったのがちょっとだけ残念でしたが

(あえて和室にしましたが、洋室もあります。)

 

この日は名古屋市営地下鉄名城線の南端の終点”築地口”近くにみつけた

居酒屋で食事するつもりだったので

 

開店時間に合わせて向かったところ

営業中と暖簾が出てるのに扉が動かず

おかしいなあと少し待ってから

中の様子をうかがうと人の気配があったので

もう一度扉に手をかけてみたところ

難なく開いてホッと一息

 

店主によると、よくあることなんだとか

(新しいモダンな扉ですが、簡単に開かないように重めにしてあるらしい

 

とりあえず、生ビールを頼み ホタルイカの突き出しで飲み干し

続けて日本酒(恵那山だったかな?)と

刺身盛り合わせ、魚卵の煮つけ(鯛だと思ってたらタラコでした

続けて、芋焼酎魔王のロックと焼きイカを頼み

居酒屋では必ず頼む出汁巻きに

ウーロンハイとトリ唐で〆としました。

 

翌日は朝イチで仕事だからと、それで打ち止めとするつもりだったのに

翌朝のご飯にとオニギリとポテサラ、カップ麺を買いにコンビニに立ち寄ったところ

 

いつものクセでついつい 発泡酒とベイクドポテトにマカロニサラダまで買ってしまい

寝酒にしちゃいました。

 

翌朝、行きなれた金城埠頭の船に向かい

乗船して仕事開始

特にトラブルなく午前中で仕事を片付けて下船

この日は、早めに仕事を終えられたら

その前々日の3月8日に開通したばかりの国道23号線バイパス(通称名豊道路)を走って

生まれ故郷の豊橋で食料品の買い出ししようと思っていたため

(↑フィリピン人は年寄りに優しいので、いつも仕事の荷物を当然のように持ってくれるんですよ)

23号線の通称名四国道(名古屋・四日市道路)に入り

豊橋方面へ向かいました



この名豊道路、名古屋手前の豊明ICから浜松の南までの約100km
無料で信号のないほとんどが高架道路
 
2000年頃から時々走っては進捗状況をみてきたのですが
やはり幸田~豊川間は山間部のために20年近くかかって
ようやく今回全線開通にこぎつけたのですが
 
この100kmの区間、自動車産業の城下町のため
自動車メーカーのみならず、関連会社(DENSOとかAISINとか)その他
自動車輸出入港の豊橋港、蒲郡港、名古屋港を物流のために作られたはず
 
ただ、まだ西尾~豊川は対面通行区間

今回、ようやく残ってた蒲郡から豊川までがつながったのですが・・・

そこそこ標高もあってトンネルも数カ所あり

東西の標高差によって煙突効果で排気ガスを排出するように考えられており

排気ガス排出用ファンはなく

それでも排気ガスの煤で汚れないようにと

ポールコーンに空気の流れを利用したブラシ代わりの腰蓑がついてるんです。

それと面白いのがこのトンネル

実は、トンネルが高校の運動場にかかってしまったため

山の部分はトンネル、運動場の部分は箱型のブロックを結合

事前にその情報を得ていたので興味深く観察しながら通過しました。

 

この時、当初は豊橋泊まりにしてお気に入りの居酒屋に行き

翌朝、食料品の買い出しをして奈良に帰ろうと思っていたのですが

(バイパスもたぶん大渋滞で簡単にはたどり着けないだろうと予想して)

 

なんとか2時半に豊橋に入ったため

宿を予約して、夜まで待って居酒屋に行くのが勿体ない気がして

 

お買い物リストのひとつ

渥美半島の田原市にある鰻の店に直行

それまでは、豊橋っ子の台所の生鮮食料品が売りのスーパーマーケットで

生鰻(開いてありますが)を買っていたのですが

 

豊橋はそれなりに歴史ある古くからの養鰻の土地

近年、三河うなぎとして養殖場が直営している店もあり

以前訪ねてみたところ、定休日で買うことができず

 

他にもあるんじゃないかなぁと探してみつけたのが

この直売所

 

お値段はリーズナブルだし、そこそこ美味しくてすっかりハマってしまい

去年の夏から我が家の冷凍庫の常備品

事前に電話して予約しておいたのですぐに受け取り

去年から高騰しているキャベツが信じられない渥美半島のキャベツ畑を眺め

(いつ頃からか、渥美半島の付け根の浜名湖辺りから先端の伊良湖岬までキャベツ畑だらけで年がら年中キャベツで埋め尽くされてる光景を目の当たりにしてるため)

その後

豊橋に向かい豊橋駅近くの古い歴史ある跨線橋を渡り

(この跨線橋のおかげで東海道新幹線が高架できなかったんだそうです)

(それで数少ない平面の駅の一つとなりました)

帰郷したら必ず買う練り製品の店に立ち寄ってから

そのほぼ隣のいつものスーパーマーケットにも

(この場所、吉田城下の魚町にあって子供の頃から新鮮な食品が売りのお店なんです)

あんかけスパのソースを買い込み

(太い麺をラードで炒めたらお店の味とほぼ同じと知って家で食べるようになりました)

保冷用の発泡スチロール容器に入れて急いで家に帰っちゃいました。

ただ、帰りは大渋滞していた23号線バイパスは

もうしばらく走らなくていいなと

東名高速にしちゃいましたが

この日のお買い物は

鰻が真空パック(白焼き・蒲焼3尾づつ)と焼きたて(白焼き・蒲焼)2尾づつ

そしてお酒の肴に肝焼きの真空パック(午前中なら焼きたて買えます

お刺身用かつお2パックと紅シャケ(辛口)3切れ

そしてオデンネタの練り製品

この日もいい買い物ができたなぁ~と大満足

 

 

さて、名豊道路(23号線バイパス)の総括

無料なのが仇となって、一般車が雪崩れ込んで大渋滞

自動車産業の物流に役立っていない様子で

 

地元の自治体(特に蒲郡市)は

早く対面通行から4車線道路にして欲しいと陳情しているそうですが

さて、どうなることやら

 

もし今後走ってみようと思っている方へアドバイス

この名豊道路、なんせ自動車産業の城下町を結んでいるため

全線開通する前から、それらの企業の従業員の通勤時間帯も渋滞多発

(特に、矢作川以西の安城~名古屋手前の豊明間)

 

夜間ならもしかしたら空いてるかもしれませんので

時間帯を選んで利用されるようオススメします。

 

 

 

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心の故郷フィリピンでイラチを治す旅【その⑩帰国の途に”果たしてイラチは治ったのか?”】

2025-04-04 11:38:18 | 旅行

日本食レストランを出てからベンツでホテルまで送ってもらい

 

いつものように飲み足りなかったのでコンビニに行き

寝酒とついでに日本へのお土産に

San Miguel Pale Pilsenの1リットル瓶(Grande)を2本と

 

家に帰ってからもCorn Silogが食べられるようにと

コンビーフを購入

そして忘れないように オンラインチェックインを済ませ

 

翌朝、いよいよ今回のフィリピン旅の最終日

またまたガッツリと朝食を摂ってから

10:00にチェックアウトして

大きなスーツケースを引っ張りながらドアマンの前を通り過ぎても

もう自分で送迎の手配をしてるんだろうと

 思い込んでいたのか、声もかけてこなかったので

懐かしのUN Ave.(社会人1年生の時に働いてた船会社PPL本社ビルのある)まで歩き

丁度走っていた空車のタクシーを拾い

一路空港へ

空港へ行くと告げると料金を決めていてもボッタクろうとするドライバーが多いのに

まともなドライバーで助かりました。

 

これまでの経験からターミナルに入るのにパスポートと搭乗券の確認と

手荷物すべてのX線検査があるため

いつも大行列に並ばされ、1時間ほどかかっていたのに

この日はガラガラで難なく入場

国内線と異なり、国際線は便毎にチェックインカウンターがあり

3時間前からオープンするため行列に並んでいると

シルバー移住(定年退職後の年金で暮らしている日本人)のオッサンを数名見かけましたが

フィリピンも物価が高くなってるし、円安で大変だろうなぁと思っちゃいました。

 

その後、ようやくカウンターがオープンしたのですがオンラインチェックインしてても

要領が悪いのか手続きが煩雑なのか、Baggage Dropにもそこそこ時間がかかりましたが

フィリピンに滞在して9日目ともなると

待たされるのに馴れてそんなに苦ではありませんでした

 

この後、国際線の保安検査場で行列に並んでいたところ

とても行儀の悪いイタリア人の夫婦を含むグループがいて

X線検査も入管も行列のためのベルトパーテーションで経路が作られているのに

図々しく何度も潜って横入り

マナー最低な連中だなと怒鳴りそうでしたが

相手にするのも嫌悪するほど気分を悪くしてたので

侮蔑の眼差しを投げちゃいました。

 

インバウンド観光客、洋の東西にかかわらず

マナーの悪い連中を見ると怒りより悲しくなっちゃいますよね。

 

 

想定外に早く中に入れてしまったので

土産物を買ってLCCなので機内サービスが無いのでと食事を済ませることに

 

ファストフードチェーンのケニーロジャースにしようかなと思ったのですが

あまりに混雑してたので隣のフィリピノフードの超群(チョーキン)にして

またしばらくフィリピン料理食べられないなと

タパ(牛肉炒め)とソーセージとバグス(ミルクフィッシュ)に目玉焼きの

コンビプレートと、ニラガ(牛骨スープ)を頼んでしまいました~

ニラガがご飯付きとは思わずちょっとショック

合計約PHP600+(1800円)高いよねぇ~

 

なんせビール無しのご飯が寂しすぎたので

隣のお店で缶ビールを飲むことにしたのですが(缶ビール1本PHP120: 360円)

そう言えば、今回一度もアイスクリーム食べなかったのと

チャンカーが大好きだったUBE(ヤム芋)のアイスがあったので

昔からあるガロン容器二段積のお土産用のパックを見ると 

な、なんとPHP1,800 (日本円で約5400円)

チャンカーに欲しいか聞くと

「そんな高っかいのいいわ(いらない)」とのことで却下

勿論空港内のボッタクリ価格なんだけど

つくづくフィリピンの物価の上昇と円安を実感させられました。

その後、ほぼ定刻でボーディングとなったので

『よしよし、帰りは遅れることなく飛んでくれるんだな』と

飛行機に乗り込んだのですが・・・

な、なんと出発時刻になってもいつまでも貨物の積み込み作業が続き

13:45発の予定が実際の出発時刻は14:20

(まあこれくらいは日本でも良くあることなので許せる範囲)

神戸の夜景を眺めながら関空へ

(↓ 翼の先端の下が明石海峡大橋)

LCCのセブパシフィックなので基本中古機がほとんどなんですが

この日のフライトは、最新の機材で速度も速いようで

ほぼ予定時刻の18:45着陸🛬 

入管も手荷物の受取りも

すっかりインバウンド向けの空港になっちゃったので

外国人は大変そうでしたが

数の少ない日本人は楽々

 

関空からは南海電車では難波で近鉄に乗り換えるのがそこそこ歩かないといけないので面倒だなと

OCAT行きのバスで難波にでて

近鉄電車🚃で帰りました。

(OCATからは動く歩道で近鉄の改札まで行けちゃうんです

 

家に帰って、いただいり、自分で購入したお土産物を広げ

 

いつもお世話になってる親友からは、

なにを思ったのか温熱治療器に、たぶんチャンカー用にスカーフ

Taclobanの仲良しからはドライマンゴー

(チョコがコーティングされたのが無茶苦茶美味しかったです

そして、Visaya(レイテ・サマール)の名物

糯米をチョコレートと絡めてココナッツミルクで炊いたオヤツのMORON

Tagaytayの友達からは 

またまたMuronとビールのお供に最高のチッチャロン(豚の皮を揚げたもの)

実は、もっといろいろ渡してくれたのですが

申し訳なさすぎて、「もうこれだけで十分」と返しました。

こちらは自分で買った定番のドライフルーツ

(特に、ドライマンゴーはヨーグルトに漬けて食べると最高なんですよ

大好きなUBE(ヤム芋)のお菓子類

 

そして、マニラの尊敬する女史からは

「使う度に私の事を思い出してくれると思うから」と

ルソン島の山岳地帯の伝統織物で作られてポーチを渡され

早速パスポートや海外免許証入れとして使うことに

 

さて、今回の旅、初訪問のDipologと中原さんのお宅訪問は別にして

Leyte島のTaclobanは約30年ぶりで

懐かしい職場や暮らしていた頃の思い出の地を眺め

仲良し達とも30年ぶりの再会

 

Manilaでは、3年前にBoholで一緒に旅を楽しんでいたものの

改めてフィリピン人のHospitalityに感動させられちゃいました。

 

 

んで、イラチはどうなったかというと

 

 

現地にいる時は、遅れたり予定通りにならないのが普通なので

ある種の悟りと言うか、諦めの境地で過ごせたのですが

 

日本に帰ってきて

トロトロした運転や、他人の迷惑を気にもかけない所作を目撃したら

イライラしちゃってもう怒り心頭

 

しゃーないイラチな爺さんに戻ってしまったのでございます。

 

”死ななきゃ治らないんだろうな”

との結論に至った次第です。

 

さて、またフィリピンに行くことができるでしょうか

それとも近々ポックリといってしまい

みんなから『虫が知らせたのかねぇ』と言われるのでしょうか

 

※追記

実は、結婚式でGod Fatherを仰せつかった云わば義弟夫婦とは

今回の旅程での再会メンバーに加えなかったところ

無視されてしまったのかとショックを受けてると耳にしたため

「それは、普段自分で車を運転しないからマニラまで来てとは言えなかったからだよ」

と伝言してもらったところ

「次はいつ来てくれるの?我が家で同窓会を開くから絶対に来てね」と

 





 

仲良しみんなに提案してくれているので

早く行かねば と思ってるんですけどね

 

それにしても、こんなに心温かい仲間に囲まれて

幸せな人生を送らせていただいて、感謝の言葉もありません。

 

イラチは治せなかったけど

また生涯忘れられない、素敵な旅となりました。

 

 

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