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Be Natural

気取りも なんのてらいもなく 
あるがままの自分を 感性の赴くままに
そんな独りよがりの書き捨て日記です。

近況報告 2020年 1月19日

2020-01-19 08:04:00 | 旅行
 


 
 
注釈:極めて特定の仲良しの京都のお師匠さん向けの記事なので、一般(?)の皆様は軽くスルーして下さいね
 
さて、先週木曜日に突然決まった出稼ぎ
 
今回も船の仕事で
アフリカか南米からヨーロッパに果物類を運ぶ冷凍運搬船からのご依頼
 
約10年前に日本の造船所向けに売った
北欧の機械を再来月に決まったスペインのドックで修理したいから原因調査と必要な部品等の調査をお願いしたいと言うもの。
 
当初は製造元の北欧の会社に頼めないかとの問い合わせでしたが
 
なんせラフでいい加減な対応でいつも事後の尻拭きに苦労する北欧の会社のこと
 
それなら自分で行っておいた方がいいな
利益度外視で決めちゃったって訳
 
なんせチッポケな我が社のこと
お客さんとのメールのやりとりも全員に周知してるので
「明後日からヨーロッパ行ってくるね」
と伝えると
 
社員さんからは『社長は何処か近所に行くくらいの気軽さで世界中どこにでも行っちゃいますよね💦』
 
と驚いてくれたのですが
 
家族の方はいつもの事だと全く驚かず(笑)
 
という事でそんな事から始まった今回の旅の中間報告です。
 
とりあえず写真🤳でご報告
 
※今回の旅先は、船がヨーロッパで最初に寄港するのがイギリスで次にオランダの最南端の港にシフトする予定だったので
 
どちらでも直ぐに対応できるようにと
ほぼ中間地点のベルギーのブリュッセルに飛んで
 
陸路、電車でイギリスに渡る事にしました
 
 
 
1月18日土曜日
朝4時起きして
そこからはいつものルーチンで
健康味噌汁作ってお風呂入って(笑)
 
5時半に家を出て近所の空港バスのバス停から伊丹空港行きのリムジンに乗車
 
出発までラウンジで過ごし
 
 


この日は運悪く低気圧の影響で
大回りしての予定時間より15分遅れの到着
 
国際線の出国ゲートから最近できたアンダーパスを通って搭乗口近くのラウンジへ
 
 
仕事前はアルコールを控えてるので
しこたま炭水化物を摂りこんで(笑)




飛行時間11時間半の機内では
いつもの欧州便での時差ボケ対策に
仮眠をとらず映画を6本観て
 
ブリュッセルに到着
ブリュッセルを選んだ背景のひとつが
他と比べて利用客が少ないのでサッサと入国手続きを終えて荷物も受け取れるってところ
 
着陸したのが3時20分で
な、なんと3時45分には電車のチケットも買ってホームに立ってましたとさ




4時13分発のブリュッセル市内方面行きの電車で国際列車乗り換えの
Brussel Zuid駅に到着


予定より早く着きすぎたので
パスポートコントロールのチャンネルコントロールを横眼で眺めながら


どっか外で茶でもしばこうかと出てみると
不良の溜まり場でしたぁ
 
ベルギーは変に治安が良かったから
不良外国人が増えちゃったんだよね
 
EUになってヨーロッパのどこでも簡単に行き来できるようになって
ほんと激増しちゃいましたよね
















今回ドーバーで泊まってるホテルがココ↓
Best Western Plus Marina front 


 
 
機内食もしっかり完食してきたのに
お腹ペコペコで、朝まで持たないなと
レストランに飛び込んじゃいました
 



 




このホテル
ウォーターフロントなので
人気のスポット
 
部屋はシンプルだけどなかなか良い感じです。




 
 
 
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2019年12月北海道 石狩挽歌の世界を求めて

2019-12-18 15:40:39 | 旅行

 

https://www.youtube.com/watch?v=Gq5e9H6SS4I

 

 

1週間前の12月10日

 

この冬一番の寒さと吹雪が続いていた小樽での仕事を終え

前々からいつかは訪れてみようと考えていた

映画”駅”の舞台の増毛に行くことを思い立ち

 

その前に40年前の1978年の冬に航海訓練所の練習船”大成丸”での北海道初上陸で訪れた

鰊御殿ものぞいてみようと思い向かったところ・・・

 

この景色を眺めた途端

♪あれから鰊はどこえいったやらぁ♪

と、何も考えていなかったのに自然と口から歌の一節が飛び出してしまい

BGMにとYoutubeをみたのが運の尽き

 

歌を聴いてるだけで往時の情景がまざまざと蘇り

完全に虜になってしまいました。

 

石狩挽歌(いしかりばんか)
作詞:なかにし礼(曲リスト)
作曲:浜 圭介
歌唱:北原ミレイ
制作:滝野細道

(一)
海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問(と)い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー
沖を通るは 笠戸丸(かさとまる)
わたしゃ涙で ニシン曇りの 空を見る

(二)
燃えろ篝火 朝里(あさり)の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節で 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら
オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃさびれて オンボロロ
オンボロボロロー
かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの 夢を見る

 

増毛への想いは消えないものの

石狩挽歌の世界を求めて彷徨うこととなってしまいましたが

真冬の石狩湾を眺めながらの雪道ドライブ

なかなか良かったなぁ

 

といつものように一人悦に入ってました(笑)

 

(望来浜付近)

(厚田 あいロード夕日の丘)

(浜益海浜公園)

(雄冬)

(増毛駅前)

(増毛漁港)

 

それにしても昭和の演歌は凄いし、その時代に生きていたことに感謝‼

 

いまや番屋もないし

浜の篝火も問刺し網の切れっぱしもないけれど

 

こんなに心に沁みる歌詞の世界を

いまの若い人達は感じることができないんだと思うと

可哀相だな

 

 

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鹿児島行き当たりばったりの旅 2017  【後半:薩摩半島編】

2017-09-05 15:01:03 | 旅行

前半の大隅半島を投稿してから約半年・・・

我ながら、なんちゅ~エエ加減なヤツやろと思います(反省)

 

と言うことで、とりあえず鹿児島の旅の続きをご報告したいと思います(誰も期待してないと知りつつ・・・)

 

さて、前半の垂水から鴨池までのフェリーに乗船したところからの続き

 

錦江湾沿いに南下してこの宿泊施設にチェックイン 

実は、この施設、一般のお客さんはめったに使わないシーメンズクラブの宿泊施設

 

一階のロビーには、こんな船の模型や

号鐘(シップベル)が飾られてたりするんですよ。

と言うのも、ここはオイルショック後に作られた石油備蓄で知る人ぞ知る喜入港

海運関係者でなければ、特に興味を持たれないと思いますが

当時世界最大の原油タンカー 日石丸の碇がモニュメントとして飾られてたりします

いまでも、日石丸よりはるかに巨大なULCC(Ultra Large Crude Oil Carrier:超巨大タンカー)が定期的に入港し

石油備蓄基地としてしての役割を担っています。

ほとんど日本人船員のいなくなった外航商船界ですが、

こうした原油タンカーやLNGタンカーは、国として燃料の安定確保に係る重要な船舶のため

いまでも日本人乗組員が乗船しているんです。(但し、士官のみですが)

いまでは、乗船期間も短くなり通信機器やインターネットも使えるようになって

海上勤務も楽になりましたが、昔は一度乗船したら1年以上中近東と荷揚げ地までのピストン輸送に従事していたため

日本に寄港した時には家族がひと時の再会のために

主要な港には海員組合が運営する前述の船員宿泊施設が建てられ賑わっていたものでした。

 

この日は、朝から乗船する予定が船の接岸が遅れ、仕事を完了したのが夕暮れ時となり

スマホで予定していた指宿の安宿を急いで予約し宿に向かいました。

喜入港には以前にも訪れたことがあったのですが

仕事が終わってからそそくさと電車を乗り継ぎ鹿児島を離れてしまったこともあり

 

この日は、念願の指宿に泊まることになってルンルン気分

 

日本有数の有名な温泉地である指宿のこと

ネットのホテル検索サイトでも名だたる有名なホテルが沢山あったのですが

どうせなら美味しい魚介類を肴に焼酎が飲みたいな と決めたのが・・・

山川駅前で温泉付き、宿の中に食堂もあるこの宿

値段の安さから、ある程度は覚悟していたのですが・・・

バス・トイレ別のこんな部屋

いちおうまだ新築ですが、防音されてない薄い壁と煎餅布団にビックリ

その上、TVもエアコンも有料

洗面所はこんな感じでした

それでも、食堂は期待どおりの一般大衆向けで大満足

カツオの水揚げ港で有名な枕崎が近いので ハランボを注文

続いてお刺身の三種盛りに

カツオのタタキ(枕崎も土佐清水もタマネギに酢で〆てあるんです)

ちょ~っと期待よりはお粗末な料理でしたが 焼酎は美味しかったですよ~♪

 

あと、写真には撮っていませんが、温泉も源泉かけ流しの”いかにも”って感じで

清潔感は劣るもののそこそこ満足

 

 

翌朝は早起きして開聞岳を眺める絶景ポイントの長崎鼻に

映画”ホタル”の舞台を訪ねた旅でもご紹介しているので、開聞岳の景色は割愛しますが

潮だまりと遠く屋久島も眺められてとても素敵な場所でした

(まだ観光客がいない時間だったので、景色を独り占めできてラッキーでした)

その後は、これまた指宿で見逃せない砂蒸し風呂に

指宿の温泉街の方が有名なようですが、

前日その温泉街の砂蒸し風呂に行ったお客が

『湯(温度)加減といい、雰囲気といいココの方が全然いいよな~!』と話していました。

 

たしかに、満潮になると波打ち際は使えなくなるそうですが

横になっている間もさざ波の音がとってもいいBGMになって癒されますよ♪

 

一般の入浴は砂蒸し風呂とこの温泉のセットですが

オプションで露天風呂もありました。

 

利用した時間が早すぎたため、少し待ってから蒸した玉子とサツマイモを購入

朝御飯抜きだったので、とっても美味しくいただきました

 

この公営砂蒸し風呂”砂湯里”を出てから

知覧に向かい平和会館を拝観してから鹿児島市の中心部へ向かいました。

【知覧の平和会館は、〔映画”ホタル”の舞台を訪ねた旅〕でご紹介させていただきましたので割愛します】

 

この後は、にっぽん縦断”こころ旅”の2016年秋の旅、鹿児島市慈眼寺公園の足跡を辿ったのですが

それはまた別の記事でご紹介させていただきますね。

 

実は、当初の予定では、この時の鹿児島の旅はここまでで

レンタカーを返して新幹線で小倉に向かい

角打ちと昼夜食堂を楽しんでから、家に帰るつもりだったのですが・・・

 

運がいいのか悪いのか

喜入での船の着岸時刻が遅くなり、仕事を終えたのが午後の5時をまわってしまい

税関に電話を入れたところ

「なんでもっと早く連絡を入れないんですか!」

「今日(土曜日)は、空港の応援で出庁してたけど、普段だったらいないんですよ」

「通関せずに物品を持ってるのは違反行為ですよ!」と

電話に出た若造職員が文句タラタラ

 

「船の入港時間が遅れて、下船時間が遅れて税関に連絡取ろうとしたらもう閉庁後だったんだけど」

と反論したところ

 

「それなら喜入の通関業者に渡して保税で保管しろ」と言うので、

どこの通関業者に出したらいいんだと尋ねると的確な回答もなく

 

何度も電話をかけなおして、挙句の果てに週末は閉庁なので、月曜に持参しろとのこと

 

ついでに日頃抱えている税関に対する不満をぶちまけさせていただくと・・・

最近の若造職員、ロクなのがいない!!!

 

権力を笠に、アレコレと難癖をつけることばかり

たとえば、地方の税関支署は定時で閉庁し、週末も閉庁日

 

船は、天候や遅延で動静が変わるのもある種の常識

その上曜日も時間も関係なく入出港しているので

税関の開いている時間に処理できないこともしばしば発生するため

 

支署の閉庁後に船を下船した時に本庁(たとえば名古屋税関)に電話して

『仕事で陸揚げした不要船用品があるので書類を送って処理していただけませんか』と言うと

 

決まって電話に出るのは下っ端の税関職員になりたての若造。

アレコレと難癖をつけてまるで嫌がらせをしているような対応を何度されたことか

 

「そこまで文句言うなら、船が入出港してるのに時間通りで閉庁するは、見回りもしないでいいのか!」

とぶち切れると、よくやく上司らしき人物が出てきてそれなりの対応をしてくれるのですが

 

上から目線で偉そうな物言いといい

職員の指導ができてないな~との思いでいます。

 

 

おっと、愚痴はこれくらいにしてと

 

 

ということで仕方なく土曜日、日曜日を鹿児島で過ごすこととなり

ホテルを取って2泊することになるならばと

転んでもタダでは起きないヤツなので

残念ながら雨模様でしたが

桜島に行き その後鹿児島市を観光してみました

 

現在の鹿児島中央駅(旧:西鹿児島)から市電で鹿児島駅に向かい

歩いて桜島桟橋に行きフェリーに乗船

 

ドキュメント72時間で観た桜島のフェリーターミナルを思い出しちゃいましたね~

ところが、いつもながらの”行き当たりばったり”で下調べしていないもので

雨の中、どこ(展望台)から眺めるのがいいのか

どうやっていいのかわからずのウロウロした結果

 

乗り放題チケットを見つけて

小型バスの乗車

雨だったので通勤ラッシュ並みの混雑でした

何箇所か観光スポットをまわって展望台に到着

生憎の雨で全貌を見ることはできませんでしたが

活火山を目の当たりにして迫力に圧倒されましたよ。

 

 

その後は、市内を散策して月曜日に税関で通関処理をして用事を済ませたものの

小倉に立ち寄る気力がなくなって

帰路もさんふらわあで帰るとこにしてしまいました

 

 

 

 最後に

この鹿児島の旅を時系列でお知らせすると

 

3月1日

17:00 大阪南港コスモフェリーターミナル

17:50 大阪南港出航

19:30 友が島水道通過

 

3月2日

09:00 志布志港到着 下船

09:15 レンタカー手続き完了 出発

10:15 内之浦宇宙センター到着

11:30 駆け足で見学して出発

13:00 佐多岬着

14:00 根占着 (昼食)

14:30 根占~山川フェリー乗り場

15:00 鹿屋航空基地史料館着(約1時間滞在)

17:00 海潟漁港着

18:00 垂水~鴨池フェリー乗船

20:00 喜入シーメンズクラブ着

 

3月3日

(仕事)

17:30 下船

17:45 道の駅 いぶすき通過

18:15 くり屋着

 

3月4日

07:45 くり屋発

08:00 長崎鼻駐車場着

~09:00 長崎鼻見学

 

09:10 砂蒸し風呂 砂湯里着

09:50 砂湯里発

10:30 知覧平和会館駐車場着

~13:30 平和会館拝観

14:00 富屋食堂(ホタル食堂)

15:30 ウオーターフロントパーク着

(この後は、こころ旅の足跡を辿る旅)

 

3月5日

10:00 鹿児島中央駅前ホテル発

11:00 桜島フェリーターミナル

11:20 桜島着 周遊バスで展望台(12:50~13:00)

国民宿舎で昼食と温泉入湯

15:00 桜島フェリー鹿児島港着

 

3月6日

電車で慈眼寺に移動して税関へ

その後こころ旅の足跡を辿る旅の続き

14:40 さんふらわあ連絡バス乗車(無料)

17:00 志布志港から乗船

 

 

イヤ~思わぬ長旅となってしまいましたが

心ゆくまで鹿児島を堪能できました

 

 

酒(焼酎)よし、食べ物(魚、黒豚、天ぷら、ラーメン)よし、

温泉よし、見どころいっぱいでいいところでしたよ~

 

 

 

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鹿児島行き当たりばったりの旅 2017 【前半:大隅半島編】

2017-03-15 09:52:39 | 旅行

 

 

先日のこと

鹿児島に行く仕事の予定が入り大喜び

 

目的地は喜入の石油備蓄基地に入港するULCC(超大型タンカー)での仕事

 

実は、前回も2年前の2015年の4月に同じ船の仕事で同じ喜入に行っていたのですが

その時は翌日の早朝に博多で欧州から来る人間と合流して長崎でのアポがあったのに

いつものことながら船の入港時間が遅れて仕事を終えたのが日付が変わった深夜0時

 

船で泊まられたらとのお勧めを丁重にお断りして

通船で陸にあがり予約してあったシーメンズクラブに泊まり

翌早朝始発電車で鹿児島中央で新幹線に乗り継いで

なんとか博多で欧州からの人間をピックアップして長崎でのアポに間に合うことができたのですが・・・

 

そんな日程だったことや、生憎天候にも恵まれず曇天で桜島さえも見えなかったこともあり

鹿児島に行った気分にすらなれなかったことを悔しく思っていたため

 

『今回は、何が何でも鹿児島を満喫してやるぞ!』と

実は仕事以上に力を注ぐ決意をしておりました。

 

特に、”大好きな健さんの【ホタル】のロケ地巡り”

”にっぽん縦断こころ旅の【595日目の鹿児島市慈眼寺公園の旅】”

それに加えて”ドキュメント72時間で取り上げられた【火の島 フェリーに揺られて行ったり来たり】”

で観た場所で実際にその雰囲気に包まれてみたい。

 

その上、できたら指宿で砂蒸し風呂も

と訪れてみたい場所がいっぱい

 

これまで59年間生きてきて

鹿児島は前述の2年前と約40年前に航海訓練所の練習船で志布志に入港して

カッター上陸(実質滞在時間4・5時間)したことしかなかったため

 

もしかしたら、これが人生最後の鹿児島かもと思うと

絶対に行きたかった場所を、今回こそは訪れておこうと

旅程を考えてみました。

 

まず、絶対に変更できない仕事(3月3日)を定め

移動手段に新幹線を使っても、飛行機を使っても所要時間が6~7時間程度必要とわかり

日中丸1日使って移動するなんて人生を無駄にしているようで絶対に嫌だと

大阪からフェリーを使うことにしてみました。

 

ということで3月1日の船を使うことにして

奈良を4時に出発 大阪南港から5時過ぎに乗船

 

]

 

 

 

翌朝9時に志布志に到着して予約していたレンタカーに乗り込み

 

 

特攻基地の知覧(陸軍)に行くなら、海軍の鹿屋にも行っておかないとと

鹿屋方面の標識に従って車を進めてきたところ

 

志布志から出たばかりの分岐点にあった”内之浦ロケットセンター”の標識が目に入り

『まだ時間も早い(09:30頃)事だしロケットセンターに立ち寄ってもいいかな』

と国道448号線にハンドルを切ったところ

平地から突然7・800m級の山が行く手を遮るように現れだしてビックリ

 

風光明媚な海岸線に沿って志布志から約1時間

内之浦に到着しました

 

 

 

この方面のことについては全く無知の世界だったので

種子島だけと思っていたら

 

元々は東大の研究から始まって

その後JAXAが引き継いだんだとか

 

もしこの方面に旅行される機会があれば

是非立ち寄ってみて下さい。

 

その後は、同じ道を戻るのもつまらないし

どうせここまで南下したんだったら大隅半島南端の佐多岬まで行ってやれと

国道448号線をどんどん南下して

標識のまま佐多岬を目指してひた走ったのですが

距離は大したことない(約70キロ)ものの

山道の連続で約1時間半走りづめで佐多岬に到着

 

 

残念ながら、新しい展望台の工事中で最先端部には行けませんでしたが

なかなかの景色に満足

 

 

 

気が付くと 船でバイキングの朝食を避けてたうえに

前夜もつい先日から始めたダイエット中のために

乗船前にコンビニで買ったソバとバナナと低脂肪牛乳で溶かしたプロティンを飲んだだけ

 

そんな状態だったのに思いつくままに車を走らせてきたため 

お腹がペッコペコ

 

どこか食事でもできるとこないかな?と 

 今度は錦江湾に沿って北上するも

かなか自分好みの飲食店(あくまでもごく普通の食堂)が見つからず

もう普通の食堂は諦めるかとみつけた道の駅は定休日

 

空模様も怪しくなってきて、飲食店を探すのも面倒くさくなってきて

根占からフェリーに乗って指宿の山川に渡っちゃおうかな

と思っていたら

 

まるで民家のような食堂を発見!

 

のれんをくぐるのとほぼ同時にメニューにあったラーメン(大)を注文したのですが

よくよくみるとチャンポンがあることに気付き

「ラーメンとチャンポンとどっちがお勧めですか?」と尋ねると

「お好みですからね~、チャンポンは野菜タップリですけどね」とのことで

「それじゃあ、チャンポンでお願いします!」と変更してしましました

 

 

美味しかったですよ~

 

あと、お店の中も昭和レトロ満載で写真撮りたかったんだけど

撮り損ねてしましました。

 

 

 

お腹も膨らんで鹿屋に向けて出発したところ

根占ー山川フェリーの乗り場があったので

立ち寄ってみたところ、強風で欠航

 

 

 

『良かった~、その方が後々後悔しなくていいや!』

と再出発して鹿屋を目指しました

 

 

鹿屋航空基地の史料館を拝観していたところ

特攻のコーナーで目が釘付けになってしまい

 

気が付くと既に午後4時をまわっていて大焦り

 

急いで海潟漁港を散策してから

(海潟漁港のことは映画”ホタル”の記事でご紹介してるので割愛しますね)

 

桜島からフェリーに乗ろうか

それとも垂水港に戻ってフェリーに乗ろうか

(これが行き当たりばったりの楽しみ)

 

 

悩みながら垂水フェリーの時刻表を調べると

18:00発があることがわかったものの

時刻は既に17:50

 

まあ、無理だなと思いつつ

桜島は日中にゆっくりと周るべきだろうし

次のフェリーでいいやと、焦ることもなく垂水港に行ってみたところ

なんとギリギリ(17:58)だったのに乗船させてくれちゃいました

 

 

伊勢湾フェリーとかだったら、車検証で車のサイズを調べてから

切符売り場で乗船券を買う手順なのに

 

鹿児島では、車用のゲートで支払まで済ませられちゃうから

超簡単に乗り込むことができちゃうんですよ

 

と言うことで、バタバタしながら乗船し

客室にあがってみたところ

 

えらく広いうどん&蕎麦コーナーの扉を開けてしまい

 

朝抜きだったわけだし、晩御飯にしてもいいんだし

と自分に言い訳しながら

かき揚げ玉うどんとオニギリを注文してしまいました(笑)

 

夕暮れの桜島を眺めながら美味しかったなぁ

 

【後半:薩摩半島編に続く】

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厳冬の日本海に魅せられて 

2016-03-23 18:28:14 | 旅行

 

 

今年も仕事に影響のない週末の1月24日

北陸に暴風雪&波浪警報出されたのを知り

矢も楯もたまらずに家を飛び出してしまいました

 

京都駅に着くと 

強風のためサンダーバードは運転を見合わせているとのアナウンスに

思わず『よし!』と心の中でガッツポーズを取り

胸を震わせながら敦賀行の湖西線快速に乗り込みました。

 

ところが、大津京を過ぎると1月末とは思えないような快晴

  

ようやく敦賀駅に到着して

”夜叉”で蛍が下りたホームをみても全く雪が見当たらず大ショック

 

このままでは、若狭方面に行ってもダメだろうな

かといって、サンダーバードもなくどうしようかと思案していたところ

名古屋からの”特急しらさぎ”がなんとか到着するとの情報が入り

それなら東尋坊に行こうと即決しました

 

福井駅に着いてみると

北陸線はほとんど運転を取りやめる状態

 

この状態で果たして東尋坊まで辿り着けるだろうか

電車がダメならレンタカーかなと 

ダメ元気分でえちぜん鉄道に向かってみました

強風は石川県内とのことで

運はまだ自分に味方してくれているんだなと、いつものようにいいように解釈して

えちぜん鉄道に乗り込みました

ところが、写真は撮っていませんでしたが

九頭竜川を過ぎた辺りから半端ない暴風となって

架線が波打って、パンタグラフが外れては幾度も停電を繰り返す状態でしたが

 

運転手さんも車掌さんも慣れた様子で

無事(?)終点の三国港駅に到着しました。

 

目の前の日本海から吹きすさぶ暴風に逆らうように

身体を前のめりにしながらほうほうの体でバス停に辿り着いてみると

船員殉職之碑があり、この日の天候から妙に納得させられました

 

 

ようやくのこと東尋坊に到着

 危険を感じて岩場に近づかない観光客を尻目に

ひとり岩場を這うようにして波打ち際までおり

びしょ濡れになりながらも身体が冷え切って震えが出るまで日本海を眺め

『これで大雪だったら文句なかったのになぁ。。。』

と、残念な気分ではありましたが

いつかリベンジに訪れようと、楽しみをとっとけるたのを喜んでもいました。(笑)

帰路は往路で確認しておいた荒磯遊歩道を歩くことにして

途中の温泉に立ち寄り

 

温泉と熱燗をあじわいながら

この日の日本海の情景をふりかえりながら

帰路につきました

とはいえ、実は福井駅に到着してみたところ

北陸線はまだ復旧しておらず、小一時間待っていたところ

臨時のサンダーバードが到着するとの情報を得て

強風で走れない湖西線を迂回して米原経由で帰りつくことができました

 

 いや~、今年の冬の日本海の旅も最高でした

 

 

さて、なんでこんなにも冬の荒れた日本海に執着しているのか

映画”夜叉”からの刷り込みもさることながら

実は私には こんな過去がありました。

 

////////////////////////////

 先日、映画「海峡」を観た。

青函トンネル開通までの話であったが
その昔、まだ船乗りをしていた頃のことを思い出した。

元々は、外航(海外航路)商船の船乗りであった私が、

若い頃、自らの意志によってキャリアーから離れ、

ポリネシアや東南アジアの国々で過ごし、

その後、結婚し子供が生まれ、

祖国に帰ってきて以前の上司の勧めで海とは全く関係のない

陸上のお役所仕事に就くこととなった。

 

慣れないながらも、新しい仕事に精一杯取り組んでいたものの

それまでの外地での浮世離れした暮らしとはあまりにかけ離れた

日本での逆カルチャーショックによって一般社会の生活に疲れ果て

幼い子供と妻を残し、止むなくまた海の生活に戻った。



ある日、太平洋から真冬の津軽海峡を抜け、日本海に向かう航海があった。



ほとんどの小型船が荒天との情報から津軽湾内に投錨して待機しているなか

わが船は予定通り秋田港に向かうこととなった。



真冬のことでもあり津軽海峡も当然荒れていたが

竜飛岬を越えたときの凄さは想像を絶するものだった。

それまでの船乗り人生の中でも、比較にならないほど小さなサイズの船でもあったため、

船橋にあって両手で計器を握り締め

体を支え足を踏ん張っていなければ操船ができないような状態であった。



アゲインスト(向かい風)の波浪を真正面から受け、

ジェットコースターなど比較にならないほどの上下動に耐えながら、

もはや針路を変えようにも、横波をうけ転覆した姿が脳裏をよぎり

ただただ暴風と三角波に正面から向かい、目的地までただ耐えるだけの深夜の航海であった。



横殴りの暴風雪の中、家に残してきた幼子と妻の顔が、暗闇の中に浮かび上がる。



当直交代時間になっても、もはや舵輪を託すことはできなかった。

『ごめん、すまなかった! もしかしたら、オレは、お前たちを残し、この海に散ってしまうかも』

つい、弱気になってしまった自分がいた。

///////////////


その後、船乗り生活から離れたものの

真冬に暴風雪・波浪警報が発令される度に

トラウマとなって否が応にも当時のことを思い出してしまうようです。

 

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我が愛しのMexico 【Veracruz Centro Histrico】

2015-11-06 12:04:10 | 旅行

 

実は、いままでの記事はマエフリで

このVeracruzのZocalo(中央広場)

Plaza de las Armasの事をご紹介したかったんです

 

https://www.youtube.com/watch?v=YfGDIzDu0Eg

 

この時の旅では

ここVeracruzから船に乗るとの話だったので

Houston経由の往復チケットを購入したため

結局船を下船したユカタン半島のMeridaからMexico City経由でVeracruzに戻り

帰りの便を再度Booking(※注釈1)しなおしたため

【注釈1:格安チケットで帰りの日にちが確定できない時、復路が一度だけ変更できるチケットにして、

これ以上遅れることはない日で仮予約を入れておき、仕事が終わってから帰りのフライトを変更しています】

そのフライト待ちで3日間滞在することになったのですが・・・

 

Meridaに滞在中にネットカフェで探したホテルが

幸運にもこのZocaloに面したGran Hotel Diligenciasだったんです

(中央に見えるクリーム色の建物がGran Hotel Diligencias

 

Hotelにチェックインし外を眺めてみると

何やら広場で式典が催されている様子

 

どうやら165年前の革命の英雄を称えてるようでした(たぶん

 

式典を横目で見ながら周りを見渡すと

こじゃれたオープンテラスのカフェが立ち並び 

生バンドの演奏も楽し気で

 

これは飲むしかないな

と次々とビール&ワインを飲んじゃいました

 

そうこうしてると

広場のステージの上で楽団が準備をし始め

人が集まりだして

 

 

突然ダンスを踊り始めたんでビックリ

 

https://www.youtube.com/watch?v=joWAlOImy00&feature=youtu.be

この生バンドが また最高

ヘタさ加減と割れた音がいかにもメキシコの田舎町って感じで

超気に入っちゃいました

 

 

↓これは、Camaron(エビ)のセヴィッチェ

タバスコをきかせてアボカドと一緒にいただくんだけど

忘れられない味になっちゃいました

 

みなさんももしVeracruzに行かれる機会があったら

是非試してみてくださいね

https://www.youtube.com/watch?v=jwrfKuwDbjE

こうして夜が更けるまで 数軒の店をハシゴしたのですが

結局翌日もまたまた再訪

 

この日はカルネ(肉)にしようかと

ステーキを注文してみたのですが・・・

ちょーーーっと残念なお味でした

 

 

いずれにしても このVeracruzって街

お勧めですよ~

 

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我が愛しのMexico 【Veracruz 港町編】

2015-10-02 15:56:09 | 旅行

 

それでは、Veracruzについて

もう少し詳しくご説明しますね

 

Veracruzは、メキシコシティのメキシコ湾側の外港でメキシコの主要な港湾都市のひとつ。

人口は、Veracruz都市圏で約70万人

メキシコ湾に面した都市としては、タンピコ(アメリカ国境近く)に次ぐ第二位

 

歴史を紐解いてみると

1518年にスペンイン人が初めて上陸し、金の存在を知って

本格的に船団で訪れメキシコ征服の拠点とするため建設されたメキシコ最初のスペイン植民都市なんだそうです。

 

その後スペインは征服を続け

ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン:Virreinato de Nueva España)建設後には大西洋側の貿易港として栄えました。

背景としては、アメリカで産出された銀や、

マニラ・ガレオンの交易によってよって太平洋岸のアカプルコに運ばれたアジア産の製品を

大西洋岸からスペインへ運び出す役割を担いました。

白い線がスペインの交易ルート(マニラ・ガレオン)

青い線がポルトガルの交易ルート

 

フィリピンは、スペインの植民地でしたが、実際にはスペイン直轄の植民地ではなく

ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)の管轄下にある植民地であったため

フィリピン系メキシコ人 メキシコ系フィリピン人が存在するようになりました。

 

この背景を知って

フィリピンに馴染みのある自分が、なぜこうもこの土地に親近感を覚えたか

その理由がわかった気がしました。

 

(仙台藩主伊達政宗の命を受けた、支倉常長を大使とする支倉使節団も

ここVeracruzを通ってスペインに渡っています。) 

 

そんな歴史を思い起こさせる

スペインからの入植者の銅像があります。

 

港のシンボルでもある海軍司令部

 

コンテナターミナルもあり

コンテナは主にメキシコ湾、カリブ海の定期航路で

 

コロンビアのCartagenaをハブとして

ヴェネズエラのヴァレンシアの北に位置するPuerto Cabello

キューバのHabana

メキシコが北のTanpico(Altamira)、Veracruz、Merida(Progreso)

ユカタン半島を回ってパナマのColonの港Manzanilloから またコロンビアのCartagenaに戻るコンテナ船に

2度ほど乗ったことがあります。

 

あと、自動車専用船も、ほとんど毎日のように入港してました。

これは、昔走っていたケーブルカー(トラム?)を模した市内観光用のバス

昼間はほとんどお客さんがいませんでしたが、夜になると大人気

 

 

この港は海賊に狙われて占拠されるなど、外敵の襲撃に悩まされたため建設された

サン・ファン・デ・ウルア要塞があります。

これ↓がその要塞巡りの観光船

 

 

ブランチのために利用した 

GRAN CAFE DE LA PARROQUIA

下調べもせずに、外からみた雰囲気だけで選んだのですが

これが偶然にもVeracruzの港の有名な老舗カフェ

 

名物のカフェ・レチェロ(フランス語でいうところのカフェオレ)と

スパニッシュのブランチと言えばオムレツだよな 

ってことで トルティージャを注文してみました~

 

https://www.youtube.com/watch?v=FUH0NCb35xk

前の記事でご紹介した武装警官

こんな普通の町でも、真昼間から物騒ないでたちで巡回しています。

 

旧市街なので、いかにも古くからの建物が残っていて

ぶらぶらと街歩きしてるだけでも楽しかったです

 

鉄路の跡を発見!

また復活すればいいのにな~って思いながら眺めていました

 

 

【続く】

 

 

 

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我が愛しのMexico 【Veracruz 到着編】

2015-10-02 14:53:23 | 旅行

 

またまた大変ご無沙汰してしまってすみません 

 

ブログネタがないわけじゃあないんですが

 

このところFBで友達とのヤリトリに熱中してしまって

すっかりこちらのブログを疎かにしてしまいました。

ほんとうに申し訳ありませんでした。

 

記事にしたいことは山ほどあるのですが

この2年ばかり

アメリカ大陸に渡ってないからか

どうにも郷愁の念にかられてしまってるので

メキシコのことについて書かせていただくことにしました。

/////////////////////////////////////////

 

 

 

そこそこアチコチと出歩いてることもあって

よく尋ねられるのが

『いままで行った場所でどこが一番良かったですか?』

とか

『住んでみたい国(土地)はどこ?』

ってこと

 

これが、実は結構答えるの難しいんですよね~

 

なんといっても時間の経過とともに

異常に経済的に発展しちゃって、古き良き風景が一変していたり

移民や観光客が急に増えて純朴さがなくなってたり

 

しばらくたって再訪する機会を得て

昔の思い出に浸ろうと思っていたら・・・

 

自分が訪れた時に抱いていた良いイメージがことごとく崩されてた

なんて経験も山ほどしてきました

 

そんなわけで、今回ご紹介する

Veracruzも

もしかしたらスッカリ変わっちゃってるかもしれませんが

 

2015年10月時点の私にとって

一番再訪したい土地として、記事にしてみました。

 

では、地理的にご紹介すると

↓の地図の赤丸の部分

メキシコのメキシコ湾側に面した

古くからのメキシコを代表する港町なんです。

 

Veracruzには都合2回到着したのですが

 

初回の現地までのルートが

伊丹→→羽田→→成田→→Houston→→Veracruz

 

伊丹から羽田に飛んで

羽田から成田までリムジン乗って

成田でようやくチェックイン

UAの777でIAH(Houston Gorge Bush Int' Airport)

IAHではターミナル移動

どうしてこのルートを選んだかと言うと

↓この IN TRANSIT を使いたくてでした。

 

アメリカは、たとえ第三国へのトランジット客でも

入国にいったん荷物を受け取って

それからチェックインしなさないとダメ

特に仕事で工具とかを抱えてたら、通関が面倒な上

時間ばっか取られて超大変

ところがココHoustonだけは、この IN TRANSITで日本からの荷物も

そのままスルーで目的地まで送ってくれちゃうってわけなんです

 

んで、メキシコ&南米方面行のターミナルに移動したんだけど・・・

UAの場合、元のコンチネンタルの小型機材なんで

国内線並みのサテライトターミナルBからとなりました

 

乗継時間が3・4時間あったんで

ラウンジで適度にスナック食べたり時間潰ししてからボーディングゲートに行ったのですが

 

流石は南米方面のターミナル

麻薬犬がずっと巡回していてちょっと鬱陶しかったかな

 

こちらがその小型機の機内

到着前になってCAが入国カードを配ってくれるんだけど

な、なんと、Espanolのみ

スッチー(CA)のおねーちゃんが、わかんなかったら訊いてね

って言ってくれたんだけど

見栄はって『大丈夫なんとか自分でやってみる』って答えてもーたがな

んで、「空港に迎えを準備してますから」という、いつもの戯言が

やっぱり戯言だって骨身に沁みるほど知らしめられることになりました。

 

何度も代理店に電話して

『もう自分でホテルに移動するから、ホテルの名前教えろ!』って言ってるのに

『もう迎えの人間が向かってるから待っててくれ!』の押し問答を繰り返し

その日の最終フライトも到着してお客がみんないなくなったロビーで

空港ビルの警備員達から”早く出てって欲しいな”光線を浴びながら

結局、到着ロビーで3時間ほど待たされてから

ようやく向かえが来てホテルに移動

もう、夜中の1時を回ってました。。。

長時間移動のあとだったけど、時差ボケでお腹がペッコペコ

 

ルームサービスに電話して

Asado Beefと 寝酒用にCoronaを三本注文しちゃいました

お味は・・・コメントを控えさせていただきたいと思います。。。

 

 

 

お次は、ユカタン半島の州都、Meridaから 

メキシコ合衆国の首都Mexico Cityを経由してVeracruzに移動

 

世界中、たいがいの国では

やっぱり首都がハブになってて

地方から地方都市をダイレクトに結んでるフライトはないところも多いですよね

ということで、国内移動なのでAero Mexicoを使いました。

離陸した時に滑走路脇に見えたAlameda Ote(公園)と飛行機の墓場なんかな?

 

メキシコってお国

地図で見てるとアメリカの隣で小さなイメージしかないんだけど

なかなか変化に富んだ地形で 

万年雪の高山や、火山、テーブル台地にジャングルのような渓谷に砂漠地帯

そしてなんといってもマヤ文明の遺跡となかな魅力ある土地なんですヨ。

 

 

この日は、誰も迎えに来る予定がないので

空港からタクシーに乗り込んでホテルに向かいました

 

やっぱ自分の思うように動くのがいいですね

 

但し、このメキシコ

治安の悪さも半端じゃなくて

 

 この写真にようにして、真昼間でも武装警官がマシンガンを構えて巡回していて

危険な場所なんだということを実感させられちゃいます

 

 

【Veracruz 港町編に続く】

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思い出探しの里帰り 【2014初夏編】

2014-06-02 17:32:27 | 旅行

 

調べてみたら、何年か前にも同じタイトルの記事を書いてましたので

続編というかなんというか超適当に変えてみました

 

さて、今回は

実は、とっても悲しいことに身内に不幸があり

その法事で家族全員を引き連れて故郷に帰ったのですが・・・

 

 

家内は、時々お墓参りに連れてきていたのですが

息子達はどうやらほぼ1年ぶりだったんだとか

 

それも、家族連れでの泊りがけの帰省は、どうやら10年以上なんだそうで

我ながらビックリ

 

 

と、まあ前置きはこれくらいにして

 

 

いつごろだったか

生まれ故郷を離れてから

帰省する度に浦島太郎のように昔の思い出を探すようになり

真っ黄色のカレーが食べてみたくなって

たしか実家でそんな話をしてたら

『それだったらアソコだろうな』

と聞いて

(看板は、もっと古ぼけたサッポロビールのロゴの入ったものだったんだけど

数年前に、とうとう塗り替えられちゃいました)

 

実は、自分が幼少の頃に来た記憶もない

昭和丸出しのトンカツ屋さんに行きたくて堪んなくなっていたのですが

 

なんせいつも1・2日しか滞在しないため

他に食べたいモノが山ほどあって

思いを抱きながらもなかなか実現できず

 

ようやく訪れられたのは、いまから10年前くらいじゃなかったかな

 

(因みに、場所は地元で”市電”と呼ぶ路面電車沿いの郵便局の本局の近くにあります)

(昔は、”銀座東映”って言う成人映画館が、このお店の裏にあって、

木のマタみても鼻血出してた(ウソコケ)頃、この辺りを通るだけでもドキドキしたものでした)

 

このお店

なんせ基本トンカツ屋なんで

 

メニューは、トンカツ、カツライス、カレー、ハヤシライス、オムレツ、トンテキ程度

それにもまして名物が このサッポロの生ビール 特大

(大きさがわかるように、息子のiPhoneを置いてみました)

 

カツが揚がるまでの間

揚げ豆をアテに ゴキュゴキュと飲む生ビールが美味しいのなんのって

 

 

これが、いつも注文する

カツ(並)とカレー(並)

 

むかしは、給仕のいつも元気そうなオバサンがいて

カツを注文すると「切る?」って尋ねられて

(ようするに、自分でナイフとフォークで切るのか、切ってだされるのがいいのかってこと)

 

何を言ってるのかわかんなくて それがまた可笑しかったんだけど

どうされたのか、ここ数年は見かけなくなっちゃいました。。。

 

いまは、オジサンがひとりで調理から給仕までしてて

あと何年続けれられるのかなぁって心配してるんですヨ

 

そうそう、今回もオジサンが注文を聞きにきて

『切る?』って聞かれて、家族全員で吹き出すのを堪えてました

 

(※昔、我が家では外食でトンカツと言ったら、広小路通にあった”全楽”という名前のレストランでした

 

こちらは、地元の市民で昭和30年代以前の生まれなら

きっと覚えていると思う 名物市長さんがお店に送った色紙

 

古くて お客がほとんどいなくて

どうやって営業してるのかと思うけど

実は、昔からの馴染みのお客さんは

電話で注文しておいて、テイクアウトしてるんです

 

この記事を読んで興味を持たれた方

是非一度食べに行ってみてくださいネ

 

食後は、腹ごなしを兼ねて ブラブラと豊橋公園(吉田城跡)に

 

国道一号線の歩道橋を渡ると

 

正面に現れるのが

地元のランドマーク的建造物市立公会堂

昭和6年

この地が 軍都として栄えていた頃の名残の建物なんですよ

小さい頃から、幾度も訪れていましたが

最後に入ったのは中学生の頃にあった

五つの赤い風船のコンサートかな

いまは、もう他に移転しちゃったけど

近くに市民体育館もできて

大きなイベントといえば そちらが使われるにようになってましたね~

 

そうそう、全日本プロレスの試合を観に行ったりしたなぁ

 

公会堂の横を抜けると

豊橋公園の入り口

自分がまだ小学生の頃まではこの中に動物園があったんですよ

 

これは、戦時中に陸軍の施設があったころの名残の衛兵小屋

 

この前に、いっつもみたらし団子の屋台があったなぁ

 

お次は、何故かこの地にあるハリストス教会(ロシア正教の教会)

 

 

実は、食後にこっちまで歩いてきたのは

これがあると思ってのこと

 

この地は、昔から任侠の世界ではテキヤが牛耳っていた場所で

夜店が6月の風物詩でした(一月間、平日もずっとやってた)

 

自分が子供の頃は、松葉通りって商店街の両側に

ビッシリと食べ物系、アテもの系、仮面、綿菓子、カラーヒヨコ

水風船釣り、ベッ甲飴作り、仕掛けオモチャ屋などなど

それはそれは延々を続く夜店をブラブラと歩くのが

慣習でしたね~

 

この日も、お墓参りの途中で、屋台の準備してる光景を目にしたんで

てっきりやってるものと思っていたのに

5月31日なんで、翌日からでまだ開催していませんでした

 

息子が見つけたのが この↓看板(?)

焼いたクロワッサン 

 

 

家族みんなで なんだ~と思ってたら

クロワッサンたい焼きでした~(笑)

 

お次は・・・

 

超レトロなお化け屋敷

昔は、それこそ見世物小屋だったんですけどね

 

こちらは、元市民プール

すっかり移転したと思ってたら 幼児用プールだけは残されてました

 

その後は、夜店がなかったので、市電でホテルに戻ることに

いまだに運賃150円なんだ

 

こちらは、ホテルの部屋からの駅から北側の風景

昔は、市民病院があって賑わってたんだけど

郊外に移転しちゃったから

ドーナツ化現象と相まって すっかり寂れちゃいました

 

 

 

 

 

 

 

 

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酷道ツーリング

2014-05-19 15:25:30 | 旅行

 

先日、とあるSNSで見つけたコミュニティで

”マグロ三昧ツーリング”というイベントを見つけ

すかさず参加の申込をしてしまいました

 

このツーリングサークルの特に気に入ったところが

原則現地集合&解散で

各自がそれぞれバイクで現地に向かい

普段はキャンプ地でテントを張って

みんなでワイワイガヤガヤとお酒を飲んで楽しもうというもの

 

自分のような

約20年前に買ったバイクの走行距離が未だ7500キロ

年平均で400キロ未満しか走らず

ほぼ、1年に2・3回乗ればいい方

 

そんなライダーにとっては

とっても喜ばしいツーリングなのです

 

普段からバイクが好きで走り回ってる人達と

とてもじゃないけど一緒に走ることなど技能的にも絶対無理

というわけなんです

 

オッとまた前置きが長くなってしまいましたね

 

で、自宅から大和郡山ICに出て

そこから京奈和道・橿原バイパス・再び京奈和で御所まで

そこからR309号線で

下市口・黒滝・天川・行者還トンネル

R169に合流して下北山村まで

 

(今回ご紹介する酷道はR309とR425です)

https://www.youtube.com/watch?v=q4S9yOihhwc

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93425%E5%8F%B7

 

R169号線でそのまま七色ダムを経由して

瀞峡に行こうと思っていたのに・・・

ここで、なんと知る人ぞ知る酷道 R425号線を走ってしまいました~

 

スリル満点ですよ~

 https://www.youtube.com/watch?v=wFH-OHj3-uA

 

 

 

実際の風景は さすが日本三酷道のひとつ

バイクでは途中で風景を撮る余裕など ありませんでした~

 

ただ、景色はすっごいですよ~

 

まさしく絶景

 

もし運転に自信のある方は是非一度試してみてくださいね。

 

(実は、この酷道、24年前にも車で走ったことあったんですけど、その頃はもう道とは呼べない代物でした

 

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出稼ぎ紀行【Latin America 2013年春編】 その2 ”Transitの選択には要注意”

2013-05-14 19:17:08 | 旅行

 

前回の記事は

SFO(SAN FRANCISCO)まででしたよね

 

 

言い訳がましいのですが

今回の旅の旅程は連続のフライトと これまでの私の渡航の歴史の中でも

1・2を争う とっても厳しいものとなってしまった上に

 

新規の事業に係るコレポン業務が当初の想定を上回るもので

帰国の途中はもとより、帰国してからも

すっかり忙殺されちゃっていました。(過去形じゃなくて現在進行形でした

 

 

ということで

続編の投稿が遅れて ホント申し訳ありませんでした

 

 

では、続編のはじまり はじまり~

 

 

シスコを4:29pmに出発してから約5時間半後の1:00am

(西海岸と東海岸の時差は3時間)

NY JFKに到着

 

去年のハリケーンの時以来だな~と思いつつ 

珍しくというか通路側が埋まってしまい仕方なく窓側の席だったこともあって 

窓から着陸前のNY周辺を眺めていました

 

ルート上なのか、あの時間だったからなのか

NEW ARKの上空からマンハッタンの南端近くを通過して

海側からのアプローチ

夜景がとってもキレイでしたヨ~

 

JFKでは、SFOからの到着便はUAだったのでT7

次の目的地 Panamaへは COPAなので T4に移動

JFKでは、T4以外は夜間封鎖されてしまうので

Transit客は到着ロビーか出発ロビーのチェアーで待つのが一般的

 

自分は、スターアライアンスのGOLDメンバーを利用して

ラウンジを使おうと思い 夜間も開いているT4に移動することにしました

といっても Air Trainは 当然のことながら ガッラガラ 

眠たい目を擦りながら乗車してみると

 

オォーーーッ! JFKのAir Trainの車両はボンバルディア製だったのかー

と あまりにヒマだったので 普段は気がつかないとこまで

 

このあと、T4に到着したのですが・・・

このT4 夜間は中南米系が多いのか チェックインカウンターも

エアラインもインディオ系のスドアメリカン(南米人)ばっかし

 

中に入ろうかと 保安ゲートに辿り着いたのに

インディア系のエアラインの地上スタッフらしい職員が

『明日の朝まで入れないよ!』とつっけんどんな対応

 

長旅と寝不足で疲れてたこともあって

そのあまりに失礼な対応にカチンときてしまい

『オレは、GOLDメンバーだからラウンジで飛行機を待つんだヨ!

『お前じゃ話にならん! SHUT UP!

ついつい声を荒げてしまいましたが

その様子を見ていた 保安関係者のボス格の人(オバチャン)が現れて

空港の保安スタッフにネゴして

そうやく入れてもらうことができました

 

顔をつぶされたと思った先のスタッフが 

『次からは・・・』と口を開いた途端に

『WHAT (DO) YOU WANT?』 と睨みつけて黙らせちゃいました

 

いい歳をして ダメだな~ とも思いましたが

理不尽なことに屈するのは 絶対できない性格なのと

 

 

郷に入れば郷に従え といいますか

地域によっては

主義主張はハッキリしないとダメなんですよ~

 

 

そんなこともありながら

ようやくのこと中に入ってラウンジを探したところ

みつけたのが The OASIA 

提携会社のボードにも COPAがあるので大丈夫と思っていたら・・・

 

コードシェアでCOPAだけど、チケッティングはUA

GOLDメンバー証は NH(ANA)だから 

ここじゃーなくて SWISS AIRのラウンジだよ

説明されて向かってみましたが・・・

 

な、なにーーー

午後2時半から夜の8時半までしか営業してない?!ってー

 

んじゃーいいや

とアッサリと諦めて

(ホントはOasisに戻ってSwissは午後しか開かないんだってと再交渉してみましたが、

『アラー、それは酷いですねー、ここも有料なら使えますヨー $45ですけど』とのことだったのです)

 

夜間なのでMeal類もないとの話だったので、

『高っか! ソファに座ってるだけで$45も払いたくないな』と言うと

ラウンジのスタッフから『ダヨネ~』と相槌を打ってもらいながら 泣く泣くラウンジを後にしました

 

シスコから何も食べていなかったので

普段は極力避けるようにしてるマックで Meal Setを購入

でも、このボリュームで$7.99は安いヨね~

イカンイカンとおもいつつ ペロリと平らげてしまいました

 

 

そうこうしていたら ようやく夜明けとなり

 

PUBも開店したので

すかさず飛び込んじゃいました(笑)

最初の一杯は やっぱり生

2杯目は ボストンの銘酒 Samuel Adams

 

ついでに、IRISH B/Fを注文してみたら

朝食というよりも アテばっかし

 

ついつい まだ夜明けだというのに ブラッディ・メアリーまで注文しちゃいました(爆)

 

 

さて

 

今回のNY JFK Transitで学んだこと

 

 

”旅行会社の口車に乗せられないこと”

 

今回、UAのサイトからルートを調べていたら

KIX(大阪)→SFO(シスコ)→LAX(ロス)→PTY(Panama)か

KIX→SFO→IAH(ヒューストン)→PTY

 

なのに、勧めてきたのは料金も少し高い

大阪(KIX)→SFO→NY JFK→PTY

 

 

たしかにLAXやIAHでの待ち時間が14時間もあるんで一見大変だけど

今回のルートでもSFOで7時間待ち NY JFKで9時間待ちの合計16時間待ち

 

それなら LAXかIAHでゆっくりとホテルに泊まって

次のフライトに乗り込んだら 身体もずっと楽だったと思いました

 

 

そのうえPanamaの到着時間も JFK経由より早いんだもんなー

 

 

何事も与えられた情報をただ鵜呑みすることなく

自分なりに調べてみて 納得するようにしなければいけませんね

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出稼ぎ紀行【Latin America 2013年春編】 その1

2013-05-04 05:21:46 | 旅行

 

さてさて

昨日の記事でもお話しさせていただきましたが

 

2013年 G.W.出稼ぎ第二弾

Latin Americaに向けて出発いたしました

 

今回は、北米行には久しぶりのKIX(関空)からのフライト

(北米との直行便は、前回が東日本大震災の前日に帰国した時でした)

 

ということで

祝日だというのに早朝からオフィスに行って

請求書類や 海外向けに販売した商品の輸出書類の作成に

大企業様との新規取引のための契約書もろもろの書類を準備して

不在中の対応を引継ぎして・・・

 

それからようやく出稼ぎの準備にとりかかり

着替えが終わったころにはリムジンバスの出発時刻ギリギリとなっていました

 

G.W.だし満席かな~  って思ったんだけど

さすがに午後のフライトなのでバスも空席が目立つほどで助かっちゃいました

 

 

KIXの第一ターミナルも

正午過ぎのフライトの少ない時間帯とあって 駐機しているもほとんどありませんでした

 

比べてはいけないんだけど

航空会社のラウンジも 成田と比較するとKIXはこじんまりしてるというか

食べ物も飲み物も ほとんどなくて 悲しくなっちゃいます

(国内線の伊丹よりはマシですけどネ)

今回は長旅なので 軽めに食事をして アルコールは抜き

 

そろそろ搭乗開始の時刻だと思ってゲートに向かったら・・・

ドッヒャー 

いまどきジャンボでやんの

各航空会社

首都の成田には 最新型の機材を乗り入れてるのに

関空だと 太平洋路線でも これだもんな~

そこそこ覚悟はしてたものの、やっぱり満席でした

 

ここ最近、新幹線でも飛行機でも 特に白人系の観光客が急増している感じがします

円安効果もあるのかな~

 

機内でも隣の席に座ったのが DC(ワシントン)から旅行に来たというアメリカ人の二人連れの青年達

自分はいつものように通路側を確保していたので

「飛行中にストレッチやトイレで席を立ちたかったら気楽に言ってね」って

声をかけたら

初めて日本に来ました 東京にも行ってきたんですよ~

ってとっても嬉しそうに話してくれたのを見て

 

これからも少しでも多くの外国人が訪れて欲しいな~って、つい願ってました

 

飛行中はもう老朽化したジャンボ機だったので

一部蛍光灯が消えなかったり

 

機内エンターテイメントは大画面とブラウン管のモニターのみ

 

ビデオ・オン・デマンドじゃなくて 大ショック

やっぱ、関空発の太平洋線はやめとこうと固く心に誓いました

 

なにはともあれ

第一の経由地サンフランシスコに到着

UNITED CLUBで搭乗待ちすることにしました。

なかなか広いラウンジですが

アメリカ国内の場合、サービスはたいしたことないのがタマに傷です

ここのラウンジには 仮眠するスペースがないので

 

今回は、希望はアメリカで唯一手荷物チェックをせずに最終目的地まで送ってくれるヒューストン経由だったんだけど

UAで乗り継ごうと思ったら このサンフランシスコ&NY JFK経由になっちゃいました

 

乗継時間が超長くて

ここシスコが約6時間+待ち NYJFKでも約9時間 

 

ま、ラウンジで仮眠しながら行った方が楽かもね

って思うことにしました(笑)

 

さて、NYでまた元気あったら 続きを投稿してみます

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G.W.返上

2013-05-02 21:41:50 | 旅行

前々からこのブログの記事でも何度か話題にさせていただいておりました

あるドイツ製機器の日本代理店業務を

ようやくのこと本格的に始動いたしました

 

実は、年末にシンガポールで打ち合わせた後

それはそれは胃痛を起こしそうなほど

数々のストレスのたまる事態に陥ったりして

 

ココで、あまり多くを語りたくありませんが

相当苦しい思いもいたしました。

 

一時期(本音を吐露させていただくと)白紙に戻したいほどの(精神的な)痛みすら感じるものでしたが

一度引き受けたことを途中で投げ出すのは

相手が先に言い出したことならいざ知らず

 

信用第一に生きることを信条としている自分からは絶対にできないし

頼んできた相手が、藁をもすがるようにこちらを頼りにしている様子を見て

あえて火中の栗を拾う決意をした次第です。

 

そんな訳で

実は先々週は、事前打ち合わせのために、

先週は、顧客の方々へのご挨拶のためSingaporeの関係者と共に

まさしく東奔西走していたのですが

 

移動時間はもとより、ホテルの部屋で寝てる時以外

ほとんどの時間を共に過ごしたこともあって

彼らの人となりや、扱っている製品のことを存分に知ることができ

 

最終日には

辛酸を舐めたこともすっかり忘れ

この製品の代理店をすることになったことに

誇りと喜びすら感じられるようになっちゃいました。

 

といっても

ウチのような まさしく吹けば飛ぶような零細企業で

得意先の大企業の方々も大変心配していらっしゃることが想像できるので

 

精一杯、ご迷惑をおかけしないように 

身を粉にして取り組んでゆく決意を新たにしたところです。

 

 

(宣伝になっちゃいますが、↓ こんな会社と製品なんですヨ)

http://www.schaller.de/

 

 

それともうひとつ

実は、ある得意先の企業からは 社内事情によって

新たな取引先としての登録を断られてしまい。

 

一時、目の前が真っ暗になってしまったのですが

とある昔から足を向けては寝られないほどお世話になった会社に相談したところ

その仲介を快諾してくれたのです。

 

もう涙が出そうなほど嬉しかったです

 

 

その昔

サラリーマン生活にピリオドを打ち 一念発起して起業したばかりの頃

それまでの会社で管理職にあった時には

 

米つきバッタのように おべっかを振りまいては忠誠を誓ったように見せかけていた

取引先の担当者から

独立した途端にソッポを向かれ

 

世の厳しさを骨身に沁みて味あわされていた中で

救世主のごとく、助け舟を出してくれた会社があったのです。

 

起業して初めてわかったのですが

初めての取引を申し込んでみると

ほとんどの企業は、”実績がない会社との直接取引はできないから代理店を通せ”とか

”支払条件は全額前金が絶対条件” (更にダメ元値段でふっかける)など

無理難題を押し付けてくるばかり

 

反対に購買になったら

信じられないような手形(最低90日、最大120日)でしか応じられないなど

日本の企業体質をイヤってほど学習させられていたのですが

 

その会社は

嫌な顔ひとつせずに、どんな商品でも探し出してくれて

支払条件も、納品後月末締め翌月払いで快く承諾してくれたんです

(この方には ほんとにお世話になったのでまた改めて記事にさせていただきたいと思います)

 

そんなこんなで新しい事業に専念しなければならないところなんですが

こんなに忙しくなるとは想像もしていなかった先月に

早々とお約束してしまった仕事があり

G.W.を有効利用して明日から中南米に飛ぶことにしちゃいました

 

移動時間だけで 往復5日はかかるので 帰国は来週末以降

 

そのうえ麻薬のシンジケートが暗躍する

世界有数の危険地帯というか治安の悪い都市を渡り歩くことになるので

無事に帰ってこられるかな~

 

治安の悪いところを訪れることにすっかり麻痺しちゃってるので

気を緩めないようにしたいと思います

 

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浦島太郎【中国蛇口編】

2013-04-29 22:23:03 | 旅行

 

訳(?)あって

昨日、急遽中国に来ちゃいました

 

んで、香港に着いた時も

 

あれ~? この前はいつ来たんだっけ? 

広州に行った時だったっけ?

それとも常平から深圳行った時だったっけ?

上海の東海大橋渡って 渡米する前日まで人質になった時?

 

って もう前回がいつだったかも定かでない状態

 

 

んで、今回は深圳の蛇口(SHEKOU)なんだけど

 

ここらは 実をいうと、もう数数えられないくらい来てるんでした~

 

いまから20年以上前

香港からでも中国に入るのが面倒臭かった頃

 

一般的には九龍から電車で行くんだけど

なんせ本数が少なくて

乗り遅れたら もうその日は諦めるか

 

地下鉄で羅湖まで行って 深圳に入るか (これがいまからでは信じられないくらい大変だった)

あとは、尖沙咀からフェリーやホーバークラフトに乗って行くって方法

 

その中国側の港のひとつが蛇口でした

 

この蛇口は2000年以降のいつごろからだったかな~

まだ中国査証のいる頃からでも

一次査証を到着した港の入管で取れたんです

 

太平(タイピン)や 広州の黄哺(ファンポ)の時は

香港の中環(セントラル)にあった 中華ビル(中国本土の出先)に行って

Expressで査証を申請して そのまま現地に向かうなんてことしてたんですよ~

 

ホント、むっちゃ不便な時代でした。。。

 

最初の頃は、香港の会社からアシスタントで同行してくれてたんだけど

途中からは、 いまとおんなじように たったひとり旅

 

筆談だけを頼りに オートバイのタクシー(?)を乗り継いで

百キロ以上離れた仕事先や宿まで よくたどり着いたもんだと

今更ながら感心しちゃっています 

『自分を褒めてあげたいと思います!』って (爆)

 

ま、その経験もあって その後も

ひとりで大連や上海をひとり歩きしてたから 

多少のことではビビらないようになってしまいましたネ~

 

 

って いつものように 昔話をはじめると

もう支離滅裂になっちゃってますけど

 

 

今回、ひさびさに蛇口に来て超ビックリ

 

 

 

 

なにやら外国人(特に白人系)が そこらじゅうウロウロしてるし

ピザ屋やら アメリカンなフィートロングのサンドイッチ屋はあるし 

どうやら外国人が経営しているような

インディアン、イタリアン、グリーク風なんかのレストランもいっぱいあって

 

よくここまで発展したものだ! と アングリと口を開けながら

ただただ見入っている次第でございます

 

思い起こせば 1979年夏

田中角栄首相によって 日中国交復活して

国策的に日本の青年をと招待された航海訓練所の練習船で寄港し

天津港から半日近くかけて 

当然のことながら舗装もされていないユーカリ並木(?)の道路を

埃をまいあげながら走り 北京飯店で国賓級の歓迎会をしていただいてから 

もう35年近くたってしまったとは

 

いまの中国には

あんまりいいイメージを抱いていませんが

あの頃の素朴な中国人は とっても良かったんですよ~

 

”衣食足りて礼節を知る”とはいいますが

清貧ってこともあるんですよね

 

 

愛想のかけらもない 一人っ子政策の元で育った連中を見ながら

いつもの浦島太郎の如く

ただただ あの頃を懐かしく思い出している次第です。

 

 

(また、あとで写真掲載しますね)

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運命の神様ありがとうございます!

2013-04-12 17:20:02 | 旅行

 

Sorel-Tracyでの3K仕事をよううやく終えて

休む間もなく またまた車と飛行機&バスを乗り継いで

奈良まで戻ってまいりました~

 

 

予想はしてたけど

今回もほぼ連日15時間を超える作業の連続で

 

いつもだったらそんな厳しい仕事でも

船を下りてから 帰りの飛行機を手配したりして

のんびりと街歩きでも楽しんでくるところなんですが

 

 

今回は

出発前から帰国直後にフィリピンに飛んで欲しいと言われてたため

事前から飛行機を早めに予約して出発

 

ところが日本を出発する直前になって

帰国まで待てないので今回の依頼はキャンセルさせていただきたく

ご了承くださいって一方的なメールがあって

正直憤慨してたところ

 

成田のラウンジで搭乗待ちしてたら

今度は、11日から日本のとある造船所に入渠(ドック入り)する船の

仕事のオファーがあるんですけどってがあって

 

その気になって今回の仕事を

結構、肉体的に無理して取り組んで

『オファーのあった仕事の予定が固まってるなら無理しても終わらせます』

って連絡したのに

 

結局、その後、どうしたのかなんの連絡もなし

(担当者が海外出張中とのことだったので伝言してました)

 

この2件の依頼元が同じ会社だったので

もうアンタんとこからの話は二度と信用しないぞ!

って 

またまた相当頭にきてたんだけど

 

モントリオールの空港ラウンジでメールを確認したら

次は、昨年末にイスタンブールで知り合った

トルコの会社から

「12日からHoustonでの仕事があるんですがお願いできますか?」って

新規の依頼

 

といっても もう日本までの帰国フライトのチェックインして搭乗待ち中のこと

時差的にもトルコと連絡取れないし

 

12日出発でのフライト

(奈良を早朝出発しての伊丹→成田→Houston UA便)

を予約しようと準備しながら

 

成田まで帰ってからトルコに電話して

仕事のオファーのお礼を伝えながら

こちらの条件を伝えて

現在、最終のお客からの回答待ちしている状態です

 

 

といいながら

やはり相当疲れが溜まっていたようで

 

昨夜は時差ボケを感じる余裕もなく 朝までグッスリと泥のように眠ってしまい

 

朝ごはんを食べてからも 

またまたオフィスに出勤するガッツもなく

体中の筋肉はパンパンに張ってるし

 

とうとう そのままリビングで転寝してすごしてしまいました

 

当初予定のままだったら 

冗談抜きで過労死寸前だったなって

 

そんなわけで

むしろいまは

最初のふたつの仕事がキャンセルになって良かった~

って感じになっちゃいました

 

When one door is shut, another is open

って感じ

 

いや~喜怒哀楽の激しい1週間でしたが

いずれにしても なるようになったといいますか

 

運命の神様に感謝している次第です

 

それにしても

いつまでたっても刹那的な人生でございます。

(諦めて万歳しています)

 

 

 

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