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Be Natural

気取りも なんのてらいもなく 
あるがままの自分を 感性の赴くままに
そんな独りよがりの書き捨て日記です。

【改名】”遠くへ行きたい” 船旅編 2018年初夏 オランダとスコットランド その①ロッテルダム

2022-08-26 17:39:11 | 旅行

2017年年末の12月のある日のこと

ビルマ人のエンジニアでシンガポールで市民権を得て暮らしている友人から

オランダの会社に日本の代理店として推薦してもいいとのメールを受け

 

それは面白いかもと提案を受け

しばらく直接メールのやりとりをして

翌2018年にシンガポールで開催された海事博覧会APM (Asia Pacific Maritime) で面談し

代理店として胸を張って御社の製品を販売してゆきたいので

オランダの本社を訪問して研修をさせてくれと依頼していたため

 

受け入れの準備ができたと連絡を受けたたのが6月末

 



 

善は急げとすぐにアポイントを取り

航空券を手配して関空からアムステルダムへの直行便に乗り込み出発

 

昔から関空からの直行便があることと

欧州諸国に中近東への経由地としてのトルコ、そしてアフリカ諸国へのハブとして便利だったこと

昔サラリーマン時代に働いてた日本の企業のヨーロッパ支社があったこともあり

アムステルダムのスキポール空港は我が家同然

 



 

いつものターミナルビルのキップ売り場でチケットを買い

オランダ国鉄の特急電車でRotterdamに向かいました

 

アムステルダム中央駅同様

EUに加盟してからヨーロッパ圏内を自由に行き来することができるようなり

キセル乗車が激増して ロッテルダム駅にもしっかり改札ができてました。

この日予約していたホテルへのアクセスがわからず

とりあえずトラムで近くまで行こうかとも考えたのですが

面倒臭くなってタクシーに乗車

な、なんと35ユーロもかかってしまい大ショック

それでもなんとか予約していたフローティングホテル

SS ROTTERDAMに到着

今回、航空写真でホテルを探していたところ

このSS ROTTERDAMを見つけて大喜び

 

オランダを代表する客船で

建造が開始されたのが自分の生まれた年と同じ1958年

その後RotterdamとNewyorkを結ぶ定期航路の客船として従事し

飛行機にとって代わられてからはクルーズ船としても活躍したのですが

 

老朽化がすすみ名前のとおりSS(Steam Ship:蒸気タービン船)のため

いつしか運航会社は倒産し 船も長年バハマ沖に投錨したままで長年放置されていたのですが

 

2005年に所有権を得た会社によってスペインのカディスに曳航されて船体と甲板の改修工事が行われ

その後ポーランドのグダンスク、北ドイツのヴィルヘルムスハーフェンに移して

キャビンの改修工事が行われ2008年に就航時の母港ロッテルダムに戻り

一般公開された後、オランダのファミリー企業によって譲渡され

2013年からフローティングホテルとして復活

 

そんなホテルであり古き良き時代を彷彿とさせる博物館のような元豪華客船なんです

 

なんせ昔の大型客船なので

迷路のような船内を歩き回って

ようやく自分の予約したシングル個室を見つけ入ってみたところ

往時の家具を残しながらもすっかり現代風に改装されていました。

 

時差ぼけで徹夜している気分ながら

晩御飯を食べてないなと岸壁を歩いて最寄りの駅まで歩き

中華料理のファストフードで小腹を満たしてからスーパーマーケットに立ち寄り

アルコール類とツマミになりそうなものと朝食を買って路線バスに乗り

SS ROTTERDAMに戻りました

 

なんせアルコール依存症のため(ホンマかいや)

お酒がないと寝られないんです。。。

 

翌朝、取引先のスタッフの迎えで陸路で会社に行き

〔↓ 位置関係はこんな感じ。一部水上バスと徒歩での所要時間なのでご参考まで



 

会社の歴史や主要製品の詳細にわたる説明を受け

 

私の滞在中の詳細なる日程がそれはそれは事細かに組まれていてビックリ

ランチは誰と誰、夕食は誰と誰といった具合で

各部署のスタッフ全員と顔合わせできるようにと計画されてるんですよぉ

そしてその日は時差ぼけもあるだろうからと早めに終了し

若手の営業と技術スタッフで夕食に招待してくれると聞き

それならまた陸路でフローティングホテルまで戻るのも申し訳ないなと

 

気にせず車で送らせて欲しいと言ってくれるのを固辞して

ロッテルダムだし、もしかしたら水上バスで帰れるんじゃないかな?

と尋ねたところ徒歩で5分ほどのところに乗り場があるとの事で

 

本心は水上バスに乗れるのが嬉しくてルンルン気分で船着き場へ

この取引先のある地域

ロッテルダムの工業団地なんですが

Krimpen a/d IJsselという場所

ロッテルダムの観光名所

風車群のある Werelderfgoed Kinderdijk(キンデルダイク)も近くにあって

遠くDordrechtやSliedrechtまで行くことのできる水上バスなんです

よくよく調べてみると

乗り換えたら泊まってるフローティングホテルにも行けることを知り

(心の中で)万歳三唱

 

ただね、時刻表の表記はオランダ語のみ

まあ、だいたい見当つくからいいけど

英語併記しないのかなぁとこれもまたビックリ

オランダという国

なんせまっ平どころか 水没してしまような海抜ゼロメートル地帯なので

車より自転車が主流

勿論、トラムや地下鉄、バスなどもありますが

場所によっては通勤・通学は自転車と水上バスで渋滞知らず

羨ましいですよね~

水上バスのハブでフローティングホテル方面行に乗り換えて

アッというまに到着

 

ホテルに到着してシャワーを浴びて一息した頃に

夕食メンバーが到着し

ホテル内のレストランで夕食となりました

 

ヨーロッパでは、ほぼ必ず注文するムール貝の白ワイン蒸し

フランスで食べたのが最初だったためフランス料理だと思ってたら

実はロッテルダムのすぐお隣、ベルギーの名物料理だったんですねぇ~

 

【ムール・フリット(ムール貝のワイン蒸しとフライドポテト)のセット】

その日の夜

実は、当初はその会社訪問のためにオランダに行くこととしていたのですが

ついでにまたピレネー山脈辺りかスペインの国立公園辺りでトレッキングしようと

雨具にウエア類、ポールや登山靴を持ってきていたのですが

いつものように現地に入ってからネットで地図(航空写真)を眺めていたのところ

 

ロッテルダムからイギリス方面に水色の点線(航路)を発見 

調べてみるとRotterdamからEnglandの東海岸Hullを結ぶ国際フェリーがあるのを知り

前日にスケジュールを調べたところ

17:00にRotterdam駅のバスターミナルから接続バスに乗らないとダメ

 

取引先は3日間の日程で研修から契約書締結までの計画を立ててくれていたのですが

もう頭の中はそのフェリーに乗ることでいっぱい

 

翌日も車での出迎えを断っていたため 水上バスで会社に向かい

午前中のプログラムを終えたところで

 

『つきっきりの研修で製品のことはもう十分理解できたから、

もし問題なければフェリーでイギリスに渡って

昔からの友人に会いたいので研修は今日の午後3時までにしたいんだけど・・・』

と話し、半ば無理やり了承を得て

翌日のお昼のランチは Krimpen a/d IJssel水上バス乗り場の隣

Lunchroom Leukを予定していてくれたため

Uitsmijter Leukをいただきました

 

その日の昼食は、部品販売担当と工場の生産部門のスタッフと一緒だったのですが

二人とも生粋のロッテルダムっ子で

話をしていると首都アムステルダムへの対抗心が凄くて

サッカーの話からそんな話題になったのですが

昔の関西人が東京人を見るような感じで、とっても勉強になりましたねぇ

 

そうして予約してもらっていた水上タクシーに乗り込み

一路 SS ROTTERDAMへ

なんせ貸し切り

たしか料金は数万円しちゃいましたが

わずか15分ほどでSS ROTTERDAMに到着

部屋に戻って荷物をまとめ

チェックアウトしてから 水上バス乗り場に向かい

たしか15:55の水上バスに乗り込み

ほぼ対岸のRotterdam Erasmusbrugで下船してトラムに乗り換え

Rotterdam中央駅の隣にあるバスターミナルに到着

格安の国際高速バス停留所には山ほどの人がいるものの

フェリーの接続バスがどこに着くのかわからず

定員オーバーや乗り遅れたらまたまた数万円払ってタクシー移動しかないため

乗り遅れたら大変と気が気じゃなかったけど

 

なんとか無事バスに乗り

〔↓ ロッテルダム中央駅からフェリーターミナルまでの経路〕



 

37キロ離れた Europoort Rotterdamに到着

ネット予約してたため 乗船手続きは簡単でしたが

オランダ側のターミナル内にある英国の入管からは

アジア人の単独旅行者がなんでこんなところからそれもHULLに船で渡るのかと

相当不審に思われたらしく

『何の目的で英国に行くのか? どこに行くのか? どこに泊まるのか? 何日滞在するのか?』

となかなかスタンプを押してくれず ちょっと気分を害してしまいました

テロも多発している昨今、まあ仕方ないなと己に言い聞かせ

仏頂面でパスポートを受け取りながらも、喜び勇んでボーディングブリッジに向かいました

奮発してシングルの個室を予約しちゃったんですよ~

乗船券から部屋の鍵、ネット接続のアクセスコードもレストランの食券も

Voucherは全て紙

Rotterdam中央駅17:00発接続シャトルを予約したこともしっかり記載されてました

なんせ朝からバタバタだったので

乗船できてホッとして

まずは祝杯(笑)

ハイネッケンのロング缶2本と赤ワインをサラミをアテに飲み干したら

そこそこいい気持ちになってしまい

定刻の20:00に出航したのですが

時差ぼけでの睡眠不足もあって

その後レストランて夕食をとるのも忘れついつい爆睡

 

早朝目が覚めたので 船内探検してみました

国際フェリーにつきもののカジノもしてみましたが手応えなく諦め

再び船内探検

 

私の部屋のあるBlue Deck 9のフロアーマップ

カジノやレストラン、その他パブリックスペースがあるのでとっても便利でした

酔いつぶれてなかったら

ココでカクテルでも飲んでたのになぁ

まもなく朝食の時間となり

時差ぼけでお腹ペコペコだったので

ガッツリと食べちゃいました

そして定刻 現地時間07:00(オランダの8時)Hullに到着

入国審査はすでにRotterdamで済ませていたため

5分ほどで到着ロビーに出て

Hullの駅行のバス待ち

航海時間が短い(ほぼ12時間)のと

時差ボケ+お酒に酔って

船旅をゆっくりと楽しむことはできませんでしたが

 

それでも

連絡バスや港のターミナルでの雰囲気、船会社や入管の対応

乗客の客層や 乗組員(特にレストランスタッフとか)の対応などなど

しっかり体験できて勉強になりました

 

 

【その②イギリス国内の旅に続く】

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”だいたい”一筆書きの旅 2022年3月下旬 【後編 九四フェリー~北九州~東京九州フェリー~東京~三河】

2022-08-16 15:25:08 | 旅行

【前編の四国佐田岬半島三崎港から九州に渡るフェリーに乗船したところからの続きです。】

 

この国道九四フェリー(愛媛県西宇和郡伊方町三崎港~大分県大分市佐賀関)

競合はしていないと思いますが

 

八幡浜からは宇和島運輸の別府行と臼杵行

オレンジフェリーの臼杵行があり

 

八幡浜~臼杵間は 完全に競合なんだけど

談合してるのか運賃は 別府間とあまり違いがありません。

 

ご参考までに

〔国道九四フェリー〕

三崎~佐賀関 乗客 1,090円 4m未満車両 7,120円 所要時間70分

〔宇和島運輸フェリー〕

八幡浜~別府 乗客 3,600円 4m未満車両 13,200円 所要時間170分

〔宇和島運輸・オレンジフェリー〕

八幡浜~臼杵 乗客 3,300/3,300円 4m未満車両 11,900/11,900円 所要時間145/145分

近年長距離フェリーはすっかり新造されていますが

短距離のフェリーは残念ながら古いままがほとんど

ところがこの航路はそこそこ収益が得られてるのか

宇和島運輸は新造船も就航し国道九四フェリーは改装してキレイになってました。

(国東半島に沈む夕陽)

佐賀関に近づくと ポツンと高い煙突が

調べてみると 1894年から銅の精錬が行われていところで

翌年の1985年に煙害によって農作物への枯死が発生したことから

住民による反対運動で操業が停止となり

その後1916年に煙害を防止するための鉄筋コンクリートで

167.6mの世界一の高さを誇る煙突が作られて操業を再開

 

残念ながら2012年に老朽化から解体撤去が決定され

現存しているのは 1972年に立てられた高さ200mの第二大煙突なんだそうです。

 

西海町針尾の電波塔を初めて観た時を思い出しました。(因みに針尾は137mだそうです)

 

佐賀関に到着したのが18:45

 

佐賀関から大分で高速に乗るのに相当苦労してしまい

焦りながら高速をぶっ飛ばして21:45に黒崎の昼夜食堂に到着したのですが・・・

ガーーーーーーン

定休日の月曜じゃないから大丈夫だろと勝手に思い込んでたら

お彼岸の代休で連休

 

ま、そんなこともあらーな

 

 

この日はネット予約でなんとか取れたのが黒崎駅前のコンフォートホテル

あんまり好きくないんだけど選択の余地なく泊まり

 

どこかで晩御飯でもと探してみたものの

夜10時過ぎとあって普通の飲食店はもう閉店後

仕方なく昼夜食堂のほぼ隣にある怪しげな中華料理屋に入ってみたのですが・・・

日本全国に増殖してる怪しげな中国人のやってる質より量の店

ピータンも悲しくなるようなクオリティ

麻婆豆腐丼は まさしく質より量

水餃子くらいまともかなぁとの期待を見事に裏切ってくれました~

もう、絶対に二度と行かんぞ

 

翌日も船の入港がまたまた遅れ

着岸予定が午後3時

仕方なくネットカフェで時間潰し

前日は昼夜食堂に行けなかったから

もう1泊しようかな

とも考えていたのですが

 

なかなか思い通りにならなかった今回の出張

我が身の運を考えると長居は無用と

意地になって夜7時前に仕事を終わらせて

 

とりあえず若松大橋を渡って黒崎に出て

昼夜食堂に立ち寄って酒抜きで晩御飯を食べてから

(この日は、ご飯大と貝汁、サバ塩焼きに大根ナマスと高菜漬け)

 

そのまま新門司まで走り

スーパーマーケットで酒類とアテを購入して

東京九州フェリーに乗って東京へ行くことにしました

この船、阪九フェリー、新日本海フェリー、関釜フェリーの系列会社

なのでスペックもほぼおんなじ

 

窓無しのシングルなのが残念でしたが

個室なので遠慮なく酒盛りしちゃいました~

ほぼ深夜の23:50出航

 

 

07:30 高知沖

コロナでまだ使われてませんが

ココ↓がBBQデッキ

カップ麺用の給湯器もあるから便利ですよ~

そして10:15 紀伊水道沖で横須賀から門司に向かう姉妹船と行き違い

ようするにココがこの航路の半分ってこと

11:00 串本沖を通過

この写真ではわかりずらいと思いますが

飛び魚が山ほど

イルカとかもいるんだろうなぁ

この部屋 プラネタリウムなんだそうですが

面白くなかったぁ~

 

18:00 日没

この日は3月24日だったのですが

残念ながら伊豆七島は真っ暗でおがめず

 

そして21:19 横須賀港で下船

このフェリーの岸壁は戦艦三笠のすぐ隣でした。

 

関東に出てきたのが

東京中野に住む親友のお見舞いに行きたかったから

ところが夜遅くに東京都内で車を駐車できるホテルとなると

高いだろうし、ゆっくり寝られないしなぁと

どこに泊まろうか思案した結果

 

前日時間潰しに使ったネットカフェの居心地がそこそこ良かったのと

駐車場もタダで使えたらいいじゃん 探したところ

調布の国領町に駐車場もあって鍵付き個室もあるのを発見

 

と言うことで東名で川崎から下道で国領町に向かったのですが・・・

横須賀から1時間後の22:30に東名川崎IC近くのラーメン屋で晩御飯

それから国領町をウロウロと探して

ネットカフェにチェックインしたのが23:20となりました

 

そこそこいい時間となってしまったのもあるのですが

実は、ネットカフェの駐車場の標識を見誤り

平地にあると思ってた駐車場が実は立体駐車場だと気づき

ようやく車を停めたところ・・・

巡回していたパトカーが 県外ナンバーの不審車が

逃げるように立体駐車場に逃げたと思ったらしく

この歳になって 職務質問を受けるハメに

何しに来たのか?

車内を調べさせてくれ(麻薬や銃刀法の疑い)だの

あれやこれやと質問され

 

1日船でのんびりしたようでも

仕事や移動疲れでそこそこ疲れていたため

意地の悪い警官の質問が鬱陶しくなって

『知り合いの警察官が、いまどきは携帯の番号から身元はすぐにわかる』と聴いてるし

早く本庁なりで調べてくれと伝えると

 

当然のことながらようやく嫌疑が晴れ、

『猟銃を持ってるそうですね』と言われたものの

面倒くさくなって早く休みたいからもういいかと 

職質を終わらせましたが・・・

 

実をいうと 姪(家内の妹の娘)は警察庁のキャリアー官僚

いざとなったら、その姪に電話してやろうと思ってたんですよ。

 

 

そんなこんながあって

朝8時にネットカフェを出て朝の通勤ラッシュで大渋滞の甲州街道をひた走り

9:30に東中野に到着 

お見舞いに行ったその友人

トンガ時代からの大親友なのですが

 

ALSの闘病中で

10年近く前からもう車椅子での生活だったものの

まだ一緒に酒を交わしたり普通に会話できたのが

数年前から人工呼吸器を着けるようになって

手足もほとんど動かせなくなってしまい

身体も弱ってきてたのでしばらく面会もできずにいたのですが

介護ヘルパーさんやリハビリなどで人との接触もあり 

目の動きで会話やパソコンの入力もできるようになり

遊びに来て欲しいと言われ

いつもながらの調子で

矢も楯も止まらずすっ飛んで行っちゃったってわけです。

その日は車椅子での散歩(神田川の花見)とのことで

ほんの少しの時間だったけど

久しぶりに元気そうな姿をみることができてとっても幸せでした

 

なんとか奇跡が起こって欲しいなぁ

 

疲れてたけど精神的には幸せな気分で

東京を離れ

一路東名を西に

足柄SAで昼食を食べ

 

その後、金谷の友達のところに立ち寄って

ご機嫌伺いをしてから 午後7時過ぎに豊川ICに到着

 

さすがにクッタクタで どこに行く気にもならず

またまたネットカフェにチェックインして近くのスーパーマーケットで買った

酒類とアレでお腹を満たして爆睡

 

ココのネットカフェは管理が行き届いているからかとってもキレイで

鍵付き個室も防音がしっかりしてて熟睡

 

翌日、旧南設楽郡作手村で

異母姉(四女)夫婦の墓参りと

自分の舌にあう高原ハウスで五平餅15本を注文して

うさぎと遊んでから

父母の眠るお墓参りをしてから

子供の頃 よく自転車で遊びに行っていた”岩屋観音”に立ち寄り

思い出探し

その後旧渥美郡田原町へ向かい

異母姉(長女)の家で五平餅を手渡しがてらご機嫌伺いをして

一昨年急逝した異母姉(五女)のお墓参りをして 

豊橋市内の実家にも五平餅を手渡しがてら立ち寄ってから

 

豊橋に帰ったら必ず食すあんかけスパを食べて

豊橋っ子の台所、城下町魚町の”スーパーサンヨネ”で魚介類を買い込んで帰路に【15:45】

東名→湾岸線→東名阪→名阪国道の大内ICで下り

あと4日で閉店となる伊賀上野のランドマーク名阪上野ドライブインを眺めてから

一路R163で南山城、笠置、加茂、R24と二条大路で帰宅

自宅に到着したのは 3月26日の19:30

出発したのが3月20日の19:00だったので

合計6日と30分 走行距離1,374.4kmの旅となりました

大回りしたら同じ道を往復することなく ”一筆書き”が完成できたのですが

愛媛県の八幡浜~愛南町深浦(片道90キロ)と

愛知県新城市のR151とR301の分岐点からの作手(片道20キロ)は

時間的制約もなってほぼ選択肢なく同じ道を往復してしまいましたぁ。

 

 

と言うことで、タイトルに”だいたい”と付け加えさせていただいた次第です。。

 

正直な気持ちを打ち明けると

ちょっと疲れたかな

 

自分では若い頃のまんまのつもりでいても

やっぱ歳とっちゃったんだなぁ。。。

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行き当たりばったりの旅 2022春 【新潟~山形 後編(酒田~山形市)】

2022-08-01 14:18:41 | 旅行

(これまでのあらすじ)

新潟への出張が決まり

久々の福井以北の日本海側に行ったのに

新潟だけでトンボ帰りしてはあまりに残念と

当初は2020年9月に訪れ秋田のマタギの里(阿仁マタギ)を再訪するつもりだったのが 

運悪く仕事を終えて駅に向かったところすでに特急電車では山形県の酒田までの電車しかなく

 

半ば仕方なく酒田で下車して宿を探し

古い昭和の旅館に泊めていただいたのに気を良くし

ついつい連泊をお願いしてしまったため

急遽目的地を変更

 

折角ならと翌朝 人気の港の市場の食堂まで徒歩で向かい

朝からお刺身の舟盛り定食とビールを頼んでしまい

酔い覚ましついでにと酒田市内で映画”おくりびと”のロケ地をめぐり

 

レンタカーを借りて鳥海山を周回することに

ドキュメンタリー”くまやま”で観た憧れのマタギの里”橇連(きゃんじき)”から

仁賀保(鳥海山)展望台、象潟の九十九島の眺望を楽しんでから

日本海沿いに南下して十六羅漢岩から夕陽を堪能

レンタカーを返却し居酒屋に立ち寄ってから宿に戻り

 

さて、翌日はどうしようか

当初目的地にしていた秋田に向かおうかなと思いつつ

前日のドライブで数々の景勝地を巡り

知らない街を歩いてみたし

知らない海を眺めさせてもらったし

”遠くへ行きたい”旅を堪能できてたのと

(ただ愛する人とはめぐり逢えてませんが・・・

 

疲れてきたし

もうどっかから飛行機乗って帰っちゃおかなぁ と

 

といってもわざわざ空港まで3時間以上かかる秋田まで行くのもアレだし

羽田便しかない庄内空港は論外

 

山形初上陸なのに 庄内地方と最上地方の北部しか知らないわけで

それなら置賜か村上地方も見ておかなければと

とりあえず酒田からアクセスに便利な山形市に向かうことにしました

酒田庄内バスターミナル08:30発に乗車(片道2,800円)

 

庄内平野から鶴岡の南側をまわって新潟県境に続く山々を眺めながら

バスは内陸部に向かいはじめ 気分はウキウキ

しばらくして湯殿山を過ぎると

4月のGW直前だというのに 雪に覆われた山々

こりゃあ熊もやまほど棲んでるだろうなぁ 

と大感激

月山を過ぎると また人里となってちょっぴりガッカリしてしまいましたが

それでも 次回は真冬の月山とマタギの里小国町に行くぞぉ~ と

新たな目標ができてムッチャ嬉しかったです

約2時間半後の11:00 山形駅到着(バスの終点から少し歩くため)

とりあえず遅めのブランチをと

駅周辺をウロウロして 芋煮定食&お休みの日恒例の朝からビール

 

一人なのでカウンターに座ったのですが、目の前にこんな仙台四郎の置物が

(無邪気に干支の寅と遊んでるだけなのか、なんなのか

 

期待していた芋煮が ちょっとガッカリだったのと

朝抜きで昼兼用にはまだお腹がくちくなっていなかったのと

山形で人気の平田牧場のトンカツを食べてかなきゃ との焦燥感にかられ

ついついロースカツ定食(ランチメニュー)を注文しちゃいました

でも美味しかったですヨ~

 

お腹がくちてきて眠くなってきたのと

さっき食べた芋煮が残念だったので

これで山形空港から飛行機で帰るのもなぁ

ネットで駅前の宿をとり 

 

早い時間でしたがチェックインさせてくれたので

シャワー浴びてサッパリしてから

ラップトップパソコンで〇mazon Prime Videoを観てから しっかり午睡

んで、目覚めたらしっかり夕暮れ時となってました 

夜7時になるのを待って昼間下見しておいた 

山形の郷土料理と花笠音頭のライブが堪能できそうな店に行ったところ・・・

金曜の夜だったからか、単独客だからか 満席だと断られ

仕方なく駅周辺をウロウロしたものの 適当な店が見つからず

 

ネットの地図アプリで調べた飲食店の中で 

のレーティングの高い店を探し

店の”おまかせセット”を注文

ずらりと並んだ日本酒の銘柄を眺めながら

とりあえず、ネーミングからして コレしかないな

大吟醸の”くどき上手”を注文

続いてセットのお盆が届き

続いて超辛口吟醸の”ばくれん” 

そして 酒田でもみかけたものの

我が家には縁遠い”初孫”とのネーミングに妬み半分で頼まなかった”冬のカノン”を注文

シメに大好物の”ニラの卵とじ”をいただきながら

お会計 たしか6,800円くらいだったかな

とってもお得に堪能できて大満足させていただきました

鉄ちゃんなので、山形駅からの発着はどんなんかなぁとホテルへの帰りに立ち寄ってみました

そうしてホテルに戻り

翌朝、山形空港から伊丹に飛ぶつもりだったのが

 

ネット検索したら仙台からピーチの関空便があって

そこそこ便利そうなのと なんせ運賃がとっても安かったので

慌てて予約を入れて高速バスで仙台に向かい 

山形から約1時間後の07:50に到着

搭乗予定の10:00まで 時間に余裕があったので

駅前の牛丼屋で朝食を摂り

エアポート線で空港に向かい

予約しておいたフライトのチェックインしようとしたところ

どうにも機械が受け付けてくれず大焦り

 

グランドスタッフに訴えると

ネットの予約ページで自動的に表示されていた10日後のフライトのままで購入してしまい

間違えてたことが判明

 

予定していたフライトは締め切り時間となってしまったものの

運よく2時間半後のフライトに変更できてホッと一息

久しぶりに南アルプスと富士山を北側から眺め

関空T2に到着

南海で難波に出て近鉄に乗り換えて・・・

15:30に自宅に到着

 

歳なのか 正直旅疲れを自覚してしまいましたが

 

奈良から新潟へ向かう時には予想もしていなかった

新発田を訪ね 日本海に沈む夕陽を堪能しながら酒田への鉄路の旅を楽しみ

米どころ酒田を探訪したり、ぐるっと鳥海山周遊ドライブに

遠望ながら出羽三山に月山

寒河江や山形市を訪れることができ

最後は奥羽山脈越えして仙台まで

 

大好きな”遠くへ行きたい”の歌詞に 

ちょっとだけ近づけたかな 

 

https://www.youtube.com/watch?v=F94eBpOoBGU

 

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ディープな大阪探訪記【大阪リトル沖縄下見編】

2022-07-30 04:55:24 | 旅行

 

正直に打ち明けると

ここ数年、この歳になってアクセクする必要ないんじゃない?

仕事=会社経営に対するモチベーションを保てず

 

その上、4年前から働いてくれている社員さんが

個人の能力も人並外れている上に人間的にも最高の人材で

 

顧客からの引き合い業務にとどまらず

取引先とのやりとり、物品の管理から入金管理その他もろもろの業務を

 

嫌な顔もせずどころか

自らの職務と率先して処理してくれるため

すっかりお任せしてしまい

オフィスではすっかり”働かないおじさん”状態

 

そんなある日のこと

 

先日宮古島で買ってきた車麩を使って

 



 

フーチャンプルーを作ってみたところ

これが思いのほか美味

 

1袋しか買ってこなかっため

これが無くなったらどうしよう

と脅迫観念にかられながら 本土で買う方法を探していたところ

 

ネット販売では

宮古島の公設市場で200円で買ったものが

ヨドバシカメラ(店頭引き取り)で 515円

アマゾンなら 2ケで 1,600円

楽天ともなると送料が高く 984円

 

これはたまらんなぁ と食材を扱う店がないか探してみたところ

大阪のリトル沖縄である大正区の平尾に発見

 



 

そうなるともう頭の中は その店に行くことでいっぱい

 

所在地をマップでみてみると

近鉄奈良線からなら直通の阪神でドーム前で下車してそこから約4キロ

大正の玄関口 JR環状線の大正駅からで3キロ





 

市営バスに乗り換えたら行けるのはわかってるんだけど

それじゃああまりにつまらないな

Google Mapsをじっくりと眺めてみると

 

川を無視したら直近の鉄道駅は

津守であることが判明



 

んでもって

更にズームしてみると・・・

木津川にブルーの点線が

 

な、なんと木津川には渡船が3か所もあるのを発見

 

これは天が与えてくれた経路に違いない と

いつものように勝手に思い込ませ

いざ出発となりました

 

近鉄奈良線の阪神三宮行に乗り

近鉄終点の大阪難波からひとつ先の阪神桜川駅(地下)で下車

地上に出るとその隣がこの南海汐見橋駅

古びた歴史ありそうな駅だなぁと眺めていると

な、なんとこの駅が南海高野線の起点で

1900年に高野鉄道が堺東から延伸した時の終着駅で道頓堀駅として開業したんだとか

その後、さまざまな紆余曲折があって 

現在は岸里玉出までのたった5キロほどの支線となってしまったものの

木津川はかっての貯木場や造船所、鉄鋼などの工場や倉庫の建ち並んでいた地域で

貨物のホームもある重要な駅だったみたいなんですよ。

 

イヤ~、知らないところを歩くのっていろいろと勉強になるなぁ

現在は1時間に2本(30分間隔)の運行で

よく存続してくれてるなぁと感心するばかりでしたが

汐見橋駅から5分ほどで 津守駅に到着

駅前がすぐ公園になっていて

ここが なんと西成公園

そこそこ新しい遊具もあって整備された公園だなぁと歩いていると

 

この辺りで空気が一変

石垣に座り込んでおしゃべりしているオバハン、ハングルやし

 

大阪城公園や新世界、天王寺辺りからは一掃されたブルーシートのテントが

工事用のトラ柄の柵でしっかりと覆われてしっかりと生活を送っている様子

木陰はそこそこ涼しいような気もしましたが

酷暑の夏をどうやって過ごしているんでしょうか

管理する大阪市も ここなら苦情もこないから黙認してるんでしょうね。

 

最近は、アイリン地区の三角公園近くに店を構え

ホームレスに声をかけて生活保護を受け取れるようにして

不動産仲介手数料で稼いでいる業者が話題になっていたりして

随分改善されていると思っていたのでビックリ

 

いまだにホームレス生活を続けているのは

よほどの事情を抱えているんだろうなぁ

 

実はこの公園の隣地

下水処理場なんですねぇ



 

その下水処理場の横を抜けたところで

渡船の看板発見

朝夕の通勤通学ラッシュ時が10分間隔

それ以外の時間帯でも15分間隔で運行してくれてるんですよ

渡船場の横には大きな折り畳み式のクレーンがあり

いまは使われていないようでしたが

往時は艀や小さな貨物船が行き交っていたんだろうなぁ

上流側にはダイゾーという小さな造船所の木津川工場もあり

アーチ型ゲートの木津川水門の手前には落合上渡船があります。

南の下流側には通称”めがね橋”と呼ばれる千本松大橋がありその下に千本松渡船場があります。

こうして川岸に昔は貯木場や造船所、スクラップや砂利置き場が点在し

そこを行き来する船が通るために橋がかけられず渡船が活躍するようになったんだそうです。

いろいろ調べると面白いことだらけで

この渡船、木津川、安治川、尻無川でそれぞれ歴史的背景が異なり

またその後橋梁や海底トンネルができて廃止したりと

 

またいずれゆっくりと渡船巡りをしてみたいなと思わされました

渡船場からは 適当に方位だけを頼りに南東方向に進んだところで

この商店街を発見

実は、ここがリトル沖縄の聖地だったんですねぇ

いまはすっかり寂れてしまいシャッター街となっていますが

数軒のお店は元気に営業されてました

ここが目当ての沖縄食材を扱っている 沢志商店

車麩はいろんな種類がある上 価格も宮古島の公設市場とほぼ一緒

店内はまさしく沖縄の食材で溢れ

この日は

車麩とSpam、沖縄そば類とクーブイリチー用の昆布と

島らっきょうの塩漬け、サーターアンダギーとコーレグースを購入

お会計は〆て6,500円ほど 

(留守番してくれてる社員さんとワケワケなので

 

朝からしっかり買い出しする気だったので

大き目のバックパックに詰めて

ルンルン気分で店を後に 

 

荷物もあるし、炎天下だしで

バスに乗っちゃおかなぁ とも思ったのですが

ついでに大正駅周辺を散策してみたいし

リトル沖縄を堪能しなければと

平日の真昼間で空き巣や不審者に間違われないように

でもトラックや車の排気ガスや熱気からは逃げたかったので

できるだけ大通りは避けて

大正駅に向かった北上したところ

 

工業地帯や港湾に囲まれた 正直住環境としては劣悪な場所のこと

狭い土地にひしめき合う長屋風住居と大きな市営住宅が建ち並び

 

どうしても不良が生まれやすい環境となってしまったようで

駐車場には 車上荒らしや盗難注意の看板

いたるところに非行を防ごうと標語の書かれた看板だらけ

可哀そうになぁと思いながら 歩いていたら

 

久しぶりに こんな自販機が

 

生まれ故郷でも小学生の頃といえば

このコンドームとショートホープやゴールデンバッドの煙草の自販機があって

コンドームの自販機の”家族計画”の意味がわからずに

悩んだものでした

 

それにしてもドラッグストアーやコンビニでも気軽に買える時代に

いまだにこんなレトロな機械が設置してあるってことは・・・

ちゃんと需要があるんや 

 

これは沖縄出身者の人は恥ずかしがり屋で

対面ではよー買わんのかなぁ

 

それとも 中学生・高校生向けに妊娠などしないようにと置いてあるのかな

などなど いつもの癖でついつい勝手に想像を膨らませちゃいました

 

さっきのブルーのレトロな自販機は市営住宅近くにあった自販機でしたが

ほかでも何カ所かで見かけたし

薬局の前には コンドームの隣にはユンケルの自販機まで

 

あっちゃーなんとも早、お盛んなことで羨ましいなぁ

と妬んでおりました

 

そうこうして平尾の隣の小林を歩いていると

前方に小高い丘が出現して仰天

洲を埋め立ててつくられた土地に こんなところがどうしてあるんだろう

と不思議に思いながら公園となっているこの丘を越えたところで

昭和山なる由来を見つけて またまたビックリ

天保山と同じく 人口で盛られた山だったんですねぇ

それもなんと浚渫や地下鉄工事で出た残土なんだとか

でも、こんなこと言っては失礼だと重々認識しつつ

小汚い埋め立て地帯に人口の山を造り

憩いの場ができて良かったなぁ

微笑ましく眺めさせていただきました

 

そうこうして平尾商店街を出て約1時間後

炎天下のアスファルト道路を歩き回ったおかげで 

ポロシャツは水を浴びたようにズクズクとなってしまいましたが

ようやく大正駅に到着

 

某民間企業のサラリーマンだった30年近く前

製造を依頼していた機械や電機機器の工場があったため

試運転の立会や打ち合わせのためにJRで何度か訪れ

駅周辺に何軒もある沖縄料理屋で何度か食事していたため

懐かしさと めぼしいお店ができてないかと探検

まだ時間が早かったのと

沖縄食材を社員さんにも当日中に渡さなければと

今回は下見に徹することにして

 

さてどうやって奈良まで帰ろうかと思案

 

JR環状線で鶴橋までいって近鉄に乗り換えようかな

それとも新今宮で乗り換えてJR難波で近鉄に乗り換えてもいいし

少し歩いて大阪ドームから阪神でそのまま奈良行きに乗るのが簡単でいいかなと

 

大阪ドームに向かって歩きだしたところ

バス停と”なんば”行のバスが近づいているのを見つけ

飛び乗っちゃいました

エアコンがガンガンに効いた車内だったので

汗でずぶ濡れのシャツでは凍えそうでしたが

気持ち良かった~

 

大阪難波16:08発の快速急行に乗って 駅の駐輪場に停めておいたカブに乗って

17:00に事務所に到着

 

事務所を出発したのが13:00丁度だったので 4時間のショートトリップとなりました。

 





 

 

ところで大阪の大正区がどうしてリトル沖縄になっているのか

 

1971年に家族旅行で沖縄に行ったのが

弁天埠頭からの関西汽船の黒潮丸だったため

 

きっと近くの弁天町に沖縄航路の発着場があったため

東北出身者が上野や東京の東側に住みついたり

信州出身者は新宿や中央線沿線

東海道や関西出身者は湘南や都内でも西側に住むように

 

ある種の帰巣本能で

生まれ故郷に帰省しやすい場所を選ぶのだろうと勝手に思い込んでたのですが

 

いろんな文献を調べてみると

沖縄がとても貧しくて(人頭税で苦しめられたこともその一因かも)

米や芋はおろか 毒性のある蘇鉄しか食べられない”蘇鉄地獄”と呼ばれた時期に

大正区の三軒家に大阪紡績ができ、

人手不足を補うため沖縄にも募集がなされ出稼ぎのつもりで

定住するつもりはなく集まってきたのだそうです。

 

「朝鮮人、琉球人お断り」と酷い差別をされていた時代で

ゆいまーる精神の沖縄出身者が

職場に近かったこともあるのでしょうが

たぶん住環境の劣悪だった工業地帯の大正にコミュニティできたのだとか

 

奈良公園の近くで貿易会社を起業して事務所を構えた当時

奈良でも一二を争う人気の飲食店となった

ならまちにあった沖縄家庭料理の“喜納”さんの常連だったり

 

事務所近くの商店街のオカンが売りの居酒屋が

沖縄出身者で奈良在住の人がよく集まる場所だったので

よく会話を交わしていたのですが

 

泥酔した沖縄出身の人が店内で迷惑をかけるような言動をしたりすると

他の沖縄出身の人が『ウチナンチューがそんなことしたらいけないよ!』と

叱っていたのを思い出します。

 

普段出身地など気にせず仲良くしていたつもりだったけど

やはり”ウチナンチュー”であることの誇りや

”ヤマトンチュー”に恥と思われるようなことはしたらダメだと

そんな深層心理があったんだろうなぁ

 

 

コロナも第七波とかでまた感染拡大している時期なので

少し落ち着いてくれたら

 

今回めぼしをつけた島唄ライブもある居酒屋に行かせてもらって

カチャーシーでも踊りながら沖縄出身の人の友達にしてもらおっと

 

 

さてと、また【居酒屋編】で楽しい追加報告できるように大正区探訪頑張りたいと思います

 

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行き当たりばったりの旅 2022初夏 【宮古島編】

2022-07-14 12:55:31 | 旅行

社会人になってからの人生のほとんどを

海外中心で生活していたため

日本国内はほぼ外航商船の岸壁のある港町以外訪れることがなく

特に離島へは行く機会に恵まれていなかったのですが

 

2013年にドイツの機械の代理店となってから

幸運にも度々南西諸島への出張の依頼をいただけるようになりました。

 

2015年 石垣島(珍しく単純往復)

2018年 石垣島(仕事を終えてから与那国島を訪ね、帰路に那覇と鹿児島までのフェリーの旅)

2021年 石垣島(その後、沖縄本島本部から~与論島~鹿児島とまたまたフェリーの旅)

〔※全て発電所の発電機エンジンのお仕事なんですよ

 

そして今回半年前から稼働した機械の技術移転のため

新たに宮古島から出張の依頼をいただいちゃいました

 

 

そして、いつものように事前には何も調べないようにして

とりあえず往路の飛行機を探し

神戸から直行のスカイマークを使うことに

(帰路は沖縄本島や石垣からまた八重山に行ってもいいやと片道キップだけ)

 

スカイマークは下地島空港発着となるため

レンタカーを確保しようとネットで探すも

どうにも予約ができず(WEBでは利用可能な車両が全て満車の表示)

 

車があればホテルも仕事先から少々離れててもいいやと気軽に考えてたのがダメ

 

そうなると食事や仕事へのアクセスにタクシーを使わなければならないかもと

島の中心部近くのホテルを予約して

 

当日家を出発

そんなわけで ほぼ定刻に下地島空港に到着してくれましたが

平日だというのに 機内はほぼ満席

キャンペーンをしてたからか”リゾート客”だらけでビックリしましたねぇ

 

到着後、手荷物を引き取ってからダメ元でレンタカー会社のカウンターに行き

空車がないか尋ねたのですが、またまた『え?何言ってんの?』って感じでなし

 

仕方なく空港バス乗り場に向かいました。

(エアポートライナーバスも路線バスも、コロナ禍もあってか1日たった5・6本のみ

乗り遅れたらタクシーしかなくなるので要注意

といっても飛行機を降りた乗客がすべて乗るまで待っててくれるのでその点では安心なんですけどね

宮古島はヴィラタイプのリゾートホテルが多いのが特徴

だからレンタカーの需要も多いんだろうなぁ

(伊良部大橋:伊良部島側)

(伊良部大橋:濃いブルーの箇所は浚渫した航路)

この航路では往路でも帰路でも海亀が泳いでいるのを発見

宮古島ってホントに海亀がいっぱい棲息してるんだな~と実感しました

(平良の公設市場: 公設市場とはいまや名ばかりで観光客用のスポットになってました

 

エアポートバスだと空港から3つ目の停留所

北小前バス停で下車して目の前のホテルにチェックイン

(午前中に到着するフライトが早いからか14:00からチェックインできるんですよ)

とりあえずチェックインの時間まで間があるしと

荷物をフロントに預け 昼食を食べようとメインストリート(?)の西里大通へ

基本的に飲食店というより夜の街のため 昼からあけているのは喫茶店くらいしかなく

ホテルのフロントで聞いた24時間営業の喫茶店で日替わりランチとなりました。

税込み900円弱だったかな? まあ観光地にしてはリーズナブルかも

 

当初、仕事は翌日の朝からだったので

のんびりしようと思っていたのですが

梅雨明けして電力需要が高まったからか

日中にエンジンを停められないからと 到着日の夜10時からとなったため

 

早朝出発で寝不足だったこともあり 真昼間から寝ることにしたのですが・・・

外はこんな感じでした

それにしても、石垣島、与那国島といいこの宮古島も 角ばった建物だらけ

台風銀座なのでそうなってしまうんでしょうね

 

夜の仕事となったため、軽めの晩御飯をと飲食店を探したのですが

焼き肉屋か居酒屋だらけで選択肢なし

本土のチェーン店で『宮古島まで来てラーメンかよぉ』とラーメンを啜り

 

その後、レンタカーが借りられなかったのでタクシーで仕事現場に向い

01:30に完了してから 真夜中に電話でタクシーを呼んだのですが

さすがは観光地

夜通し店を開けている飲み屋もあるらしく タクシーも24時間走ってて助かりました~

 

ホテルに戻ってから 近くのコンビニに行き

『夜中だしアルコールは買えないかなぁ』と思ってたら 

全然問題なく買えてこれまたビックリ

おまけにコンビニなのにお刺身まで売ってるんですよ~

深夜、ホテルの個室でマグロのお刺身と焼売での一人慰労会となりましたとさ(笑)

ここのホテル、部屋の中に電子レンジや洗濯乾燥機があるんですよ

観光地値段で割高だなぁって思ったけど

そんな利点もありました

 

んで、実はホテルに到着した時に

宮古島空港近くの某大手レンタカー会社直通の無料電話があったので

翌日は島内巡りしようと”空車”の有無を確認すると

「8月末まで予約が埋まってます」とけんもほろろの返答

 

参考までにとネットでこの時期の料金を調べると

軽自動車で24時間で2万円超え

 

足元みるのもいい加減にしろ と思いつつ

こりゃあ諦めるしかないのかなぁと思っていたところ

 

ロビーに手作りのレンタカーの広告があったのでダメ元で電話したところ

翌日の朝9時~夜7時までならご用意できますとの返事

 

料金は3,500円に保険の安心パックが1,500円とのこと

嬉しくて飛び上がりそうでした

 

ホテル送迎だと9:30になると言われていたので

夜中に仕事を終えるから それで十分とピックアップをお願いし

 

まずは腹ごしらえと

ホテルの朝食バイキングとしたのですが・・・(これで1,000円也)

ホテル代も、ツインのシングルユースで 二泊で20,000円弱(朝食なし)

観光地値段ですよねぇ

 

そんなこんなで無事レンタカーを借りて

観光地もわからないし

とりあえず島内一周してみようと

島の中心地でホテルのある平良から反時計回りに南下してゆくと

 

”与那覇前浜”との表示が出てきたので

とりあえず行ってみたところ

この信じられないようなホワイトサンドのビーチ 【10:10】

日本にこんな真っ白い砂のビーチがあったんだ  と、

まさしく目から鱗状態

 

石垣の川平湾や与論島のビーチが霞むほどの衝撃でした

 

ただ、思いっきりリゾートビーチで

ジェットスキーやシュノーケリング、SUPやその他のアトラクションだらけで

短時間滞在には不向きだったので

 

気に入ったらまた延泊して来ようと

対岸にみえる来間島に向かってみました

これが竜宮城展望台からの眺め 【10:25】

なんせ隆起サンゴの島で山がないため高台に居るだけで爽やかな風が吹き抜け

梅雨明けで太陽の下では灼熱状態なのに日陰はまさに天国

 

景色は抜群だし 時間が許せばずっと海を眺めていたいと思った場所でした

(対岸の白浜が 直前に訪れた与那覇前浜ビーチ)

 

橋を渡って宮古島に戻り 南側の海岸線を東に向かうと

大型リゾートホテルやゴルフ場だらけ

そう思うとリゾートとして宮古島へ行くならお勧めのエリアかもしれません。

 

↓ココはインギャーマリンガーデンという名所のひとつ 【10:56】

波穏やかなところなので シュノーケリング初心者向けですね。

 

こちらは偶然看板が目に入って訪れた ムイガー断崖と湧水池【11:07~11:19】

Tongaでもフファンガルペという同じような断崖の地があったので

懐かしいような景色でしたが

Tongaと違うのが 水汲み場所であったところ

雨水が石灰岩の間を伝って流れているんだろうなと思いながらも

コンコンと岩の隙間から湧き出る水に驚かされました。

その先を更に東に向かうと

この東平安名埼となるのですが

 

宮古島の主要観光スポットのひとつで

協力金を払うと灯台の下まで行けるのですが

この日は駆け足で回っていたので周回すると時間がかかりすぎるのでパス【11:35】

代わりにこのゲートの横にある漁港への道を下り

海を眺めてみたのですが

とてもシュノーケリング向きの海岸にみえました。【11:45】

今度来るときはシュノーケル持参するぞ~

(離岸流やウミヘビ、ハブクラゲなど事前に調べてからにしますが)

狭い砂浜には 海底火山の噴火で問題となった軽石がまだ残ってました。

こちらは漁港を挟んで北側のビーチ

波静かな場所だからか、

シュノーケルングをすることもなく海に浸かってる観光客がいました(笑)

この宮古島では至るところでみかける岩

大昔、大津波で打ち上げられた岩なんだそうです。

 

ここからは島の東海岸をひたすら北上し(正確には三角形の島なので北西方向)

北端の池間島手前の西平安名崎に到着 【12:39】

 

池間島大橋を渡り

池間島灯台に到着【12:59】

(灯台以外には何もみえません

 

この池間島

ヤシガニの保護区域なので運転にはご注意くださいね。

 

池間島大橋の袂にドライブインがあり

昼食としたかったのですが

残念ながら大賑わいで満席

 

宮古島は飲食店の数が少ないので

昼も夜も基本的に予約が必須みたいです。

 

面倒臭いなと 平良の公設市場まで戻り

2階の食堂で 鰹漬け丼を食べてみたのですが・・・【13:55】

これで1,600円に消費税だったかな?

ボリュームは凄いんだけど 

まあ特に美味しいなと思うほどではありませんでした。(言っちゃったよ)

 

午後2時の休憩時間直前だったからか

「鰹漬け丼しかできません」と言われたのにはちょっとビックリ

 

食後は

にっぽん縦断こころ旅で とても印象的だった

高所恐怖症で大橋が渡れず 橋の袂の駐車場へ

 

ここでなぜか文字数超過とかで 

どうにも投稿できなくなってしまったので

とりあえず画像で ご紹介しますね。

↑これは帯岩 やはり大津波で打ち上げられた岩なんだそうです。

宮古島観光で最も人気のスポットのひとつ

”通り池”

ほとんど波もない池なのですが

海底で海と繋がっているらしく ダイバーの憧れのスポットなんだとか

 

↓こちらは帯岩の隣にある人気の海水浴場

シュノーケリングにも向いている場所なんだそうですが

離岸流には注意が必要みたいです。

さとうきびの収穫機

与論島でみた時は、こんな機械があるんだとビックリしましたが

鉈や鎌で1本づつ収穫しているのとでは雲泥の差だから

サトウキビ農園の人達はみんな欲しがってるだろうなぁ

その後、にっぽん縦断こころ旅の目的地だった佐和田の浜を観て

琉球独特のサバニ船もあって

伊良部島の名所めぐりをしながら

 

この日のドライブを終了

レンタカーを返却してシャワーを浴び

 

ワクワクしながら予約しておいた島唄ライブをしてくれるお店に

お店の名前どおり、魚介類をメインにした店で

沖縄料理屋らしいところを期待していたので

ちょっぴり落胆していたのですが・・・

定刻の8時をしっかり過ぎた 8時半

ようやく島唄ライブが始まり

この黄色いシャツを着たオジサン達は大阪からのゴルフ客だったらしく

ノリが良くて ライブも盛り上がって

最後には店員もお客も全員が一緒になって歌って踊っての最高のひと時となりました

 

周りにすぐ影響されちゃうヤツなので

大阪のグループを真似して 通天閣の地下にあった演歌の劇場のように

箸にチップを挟んで渡したところ

大阪のオッサンたちから”奈良のオッサン”と呼ばれ

嬉しくなっちゃって つい隣の若者のお勘定もまとめて払ってしまいましたが

それくらい楽しかったんですヨ~

店でもいいかげん飲み食いしたのに

ホテルに戻る途中で またまた缶ビールとお刺身を買い込み

ホテルでひとり二次会(爆)

 

翌日どうしようかな~と思いつつ

ドライブも島唄ライブもじゅうぶん満足できたので

そのまま帰ることにしちゃいました。

↑空港のメンテのオジサンが日陰でお昼寝してて いい感じでしょ(笑)

なんか石垣島より好きになっちゃいました

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今さらながらFilipino Hospitalityに感激した旅 (後編)

2022-07-08 10:11:29 | 旅行

【前編からの続き】

 

ツアー3日目は 朝8時半出発

この日午前中の目的地は、ボホール島の名所”チョコレートヒル”

島のほぼ中央の内陸部にあるため

山間部での稲作風景を楽しませてくれました。

二期作は当然で三期作もする土地なのですが

最近では休耕してたり耕運機を使っていて

お目当てのカラバオ(水牛)での農耕風景はなかなか見つからず

 

目を皿のようにして探していたところ

ようやく水を貯めた田圃に浸かっているカラバオを見つけ

目がハートになっちゃいました。

(目的地に向かって急いでいたので停車してくれと言えず我慢しちゃいました

約1時間ほど走ったところでツアーガイドさんから

『ATVされますか?』と尋ねられ

何のことやらわからずに頷いたところ

4輪バギーだと判明

 

断るのもなんだしなぁと30分コースで乗ってみたのですが・・・

元々サンゴ礁が隆起してできた島なので

デコボコのサンゴ岩だらけで転倒しそうな場所だらけ

結構ビビっちゃいましたねぇ(笑)

その後、チョコレートヒルの展望台にのぼり

(この円錐状の丘が1,776あると言われています)

360°チョコレートヒルだらけの景観を楽しみました

それにしても なんでこんな風になったのか

説明されても理解できませんでした~

海洋性カルスト台地だとはわかるんだけど、なんでこんな円錐状になったんだろう?

 

その後は

これまたボホール名物の メガネ猿(TARSIER)保護公園と

 

その後 今回の旅で楽しみにしていたLoboc River Cruiseに乗船

またまた生ライブの歌と音楽をBGMにブッフェスタイルの食事に舌鼓をうちながら

ジャングルクルーズを楽しむのですが

 

サービス精神旺盛な地元の子供たちが

クルーズ客に観てねとばかり椰子の木から飛び込むのが面白かったですよ~

(あとで動画にアップしてお知らせしますね)

その後、今回の旅の発案者で

UP(University of the Philippines)卒の才女の祖父が住んでいたお宅を訪問

 

この家、

築100年を超すスパニッシュ風の木造建築

Lobocの中心部にあり

Loboc Churchや市役所の目の前

 

そんな古い木造建築の建物が地震や洪水にも耐えてるのに驚かされましたねぇ

市役所前の広場も洪水で洗い流され修理中

その後、偶然にもご家族の誕生日パーティーとのことでまたまたご馳走になり

以前からFBなどでバンブーハウスを作りたいと言っているのを覚えていてくれて

参考になればとニッパ椰子の屋根の作り方を教わって

Bohol島からPanglao島のを結ぶCausewayから夕陽を眺め

何故かツアーガイドが勧めるありきたりなCafe Racer Dinerで最後の晩餐 

プロジェクト時代の仲間である男4人だけ居残って

日付が変わるまでビール片手に談笑し

翌朝、到着してから何度も立て替えてもらってる航空券代と

ツアー経費、ホテル代を払おうと伝えても『大丈夫、大丈夫』と

言われ最後に現金で渡そうとしたところ

『もう清算終わってるから大丈夫』

『Facebookでも普段から忙しくしてるのを知ってるし、

こうしてわざわざ来てくれて参加してもらっただけで感謝でいっぱい』と

とうとう受け取ってくれず

どうやら、ツアー代金は頭割りして、残りはココのブログ記事にもしていただいた

(2011年5月14日の”受け取れる訳ない”)の彼が支払ってくれたんだとか

 

航空券代が P5,516 

ホテル代がフロントで聞き出したところP10,000少々

ツアー代金は 

4日間貸し切りのミニバスにドルフィンウオッチングの貸し切りボート代

Lunch buffet 付きのRiver Cruiseにいろんな施設の拝観料に晩御飯の食事代込々で

にどう考えても一人P5,000じゃきかないはず

もろもろ含めたら たぶん日本円で100,000円はしたんじゃないかなぁ

 

そんなに負担かけたら申し訳ないと

昔からよく知っている彼の奥さんに

「頼むから払わせて」と手を合わせても

 

「大丈夫、エルさん(彼)お金持ちだから」と

とうとう受け取ってくれず

「それなら、絶対にこの秋にでも日本に遊びに来てね」

とその場をおさめたのですが

 

フィリピン人のHospitalityを再認識し感激させられ

自分もそんな人間にならなきゃなぁ とつくづくと痛感した次第です。

 

おまけにこんなお土産までもらっちゃったんですよ~

 

 

生きてて良かったなぁ~って出来事でした。

 

 

【番外編に続く】
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今さらながらFilipino Hospitalityに感激した旅 前半

2022-07-07 18:12:31 | 旅行

【いつもながらの備忘録がわりの思い出を残してるだけですので予めご了承ください】

現在から遡ること35年前の

1987年から1989年の間

当時日本の政府開発援助の中でその予算と規模において2番目と言われた

巨大プロジェクトのプロジェクトコーディネーターとして

赴任していた時代がありました。

(フィリピン共和国のレイテ島)

(レイテ島は、第二次世界大戦末期にレイテ沖海戦がありマッカーサーがプライドかけて上陸した土地)

(またマルコス大統領夫人のイメルダの出生地)

その島の北東部、隣のサマール島の間にかかるサンファニコブリッジの袂に

マルコス(イメルダ)プロジェクトとして1980年17ヘクタールの敷地に船員の再教育機関として訓練所が建てられ

1985年に日本の政府開発援助(ODA)のプロジェクトとして

当時日本のODAで二番目(一番目は中日友好病院)となる巨費を投じ

鳴り物入りで開始されたのですが・・・

翌年の1986年のEDSA革命によってマルコス政権が打倒され

マルコス一族とそのブレイン達はみなハワイに亡命し

 

大統領令によって船員全てが再教育を受講してSTCW条約に則った免状を持って

世界の海運界へ船員を送り出そうとしていたその矢先に

革命が起こる原因となったアキノ大統領暗殺後

 

ただの素人のオバサンであるコラソン・アキノが大統領となり

マルコス=イメルダ憎しで出身地であるレイテ島への支援などなるものかと

始まったばかりのプロジェクトも暗礁に乗り上げてしまったのです。

 

(毎朝朝礼と国歌斉唱&国旗掲揚のセレモニーがありました)

(↓このメインビルディングの二階、バルコニーにあるロゴの隣の部屋が私の執務室)

そんな背景からプロジェクト計画が頓挫してしまい

約2年間の赴任中

日本大使館、JICA事務所、現地側関係省庁(労働省、教育省、運輸局、船員保険機関などなど)

と業務調整するためにマニラを往復すること数十回(たぶん6・70回じゃきかないかも

 

なんせ当時は、マニラとの直通電話も通じない時代で

急ぎの要件があれば電話局に行って申し込みをしてブースから電話するだけ

相手が不在だったら通じないしで埒が明かず

 

関係機関の動向を探ったり、月例のボードミーティングに備えて根回しのため

一日に2往復、それも3・4時間遅れが当然の飛行機を使って

直接出向くしか方法がありませんでした。。。

(そんな訳で、実際には月の1/3をマニラで過ごしてました

 

↓ これは赴任前に調査団の一員として訪問した時の写真

公式な会議となると 交換公文が交わされるのですが

日本側はJICAの事務所長に大使館の一等書記官

フィリピン側は一時は大統領候補ともいわれたフランクリン・ドリロン労働省長官と事務次官と錚々たる面々

そんな現地生活だったのですが

お休みが取れると 家内と息抜きにCebuでゴルフやボホールなどへ国内旅行にも出かけていましたが

普段は定時でほぼ全員が帰宅する中、一人残って書類作成や事務処理に追われてました。

まだ若干29歳で当時最年少専門家と言われ

日常会話はそれまでの経験で不安はなかったものの

公文書を作成したり国際会議で議論できるほどの能力を持たず

前任者が年齢も40代で阪大法学部出の英語力も達者な人物だったので

比較されて見下されないかなぁと不安を感じながらの二年間だったのですが

 

なんせ大雑把な性格なので

得意の”なるようにしかならん”精神で

マルコスのブレインだった人物の別荘

(5ベッドルームの豪邸でマニラの日本大使公邸より広いかもと言った人もいました)

を借りて

若くして身分不相応な高給がいただけるのも、みんなのおかげと

普段もレイテ島に居る時はほぼ毎日にように来客があり

年に数回は職場のインストラクターは勿論のこと、

事務職の職員や地元の知人達百人以上のゲストを招いて

 

ケータリングの食事と数十ケースのビールやソフトドリンク

出張ディスコまで頼んで大パーティーを開いていたため

多くの人から親しみを感じてもらい

いつまでも覚えていてくれていたのもあって

 

 

半年ほど前、レイテ島の現地インストラクターの一人で

その後仕事関係でもずっと世話になってきたフィリピン人の友人から

FBのメッセンジャーで連絡が入ってきました

 

内容は

ボホール島で昔の仲間が集まる企画があって

共通の仲良しであるMYさんとMNさんからも

『Masaさんと奥さんも参加しませんか?』とのお誘いがあるですけどどうしますかとのこと

 

まだコロナ禍で海外に出られるかもわかない状態だったので

もしフィリピンも日本も入国・出国に支障なかったら

参加したいと思ってるけどねぇ~

 

と回答したところ

 

アレヨアレヨと言う間に

話がすすみ 5月23日~27日の日程に決まったので

マニラ~ボホールの航空券とホテル予約しとくからね との返信

 

ただこの私

先先から予定を立てると何故かポシャってしまう運命にあるようで

その昔も仲良しの恩人と旅行の計画を立てていたところ

断れない海外での緊急要請が入ってしまい

ドタキャンしてすっかり信用を無くした経験があったため

 

行きたい気持ちはありながらも

直前まで確定はしておかないように

との予防線を張るクセがついていたのですが・・・

 

その後ウクライナ情勢も加わって

仕事も急に予定が入りだし

果たして無事出発できるだろうかと不安になりつつも

 

状況をみて5月の第一週頃に航空券を買うから待っててねと回答したところ

フィリピン国内での移動許可やホテルの受け入れ確認の手続きをしてくれることになり

お尻に火がついてようやく国際線のチケットを購入

 

現地の航空券をネット購入しようとしたところ

最近ハッカーに狙われてたようで

どうにもクレジットカード決済ができず

現地で支払うから立て替えて予約してくれる?と頼んだところ

快諾してすぐにE-チケットを送ってくれて一安心

 

搭乗にはワクチンの接種証明が必要とのことで

奈良市の保健所に電話して

通常郵送で数日かかると言われた英文の証明書を

保健所に乗り込んで翌日発行してもらい

フィリピンの検疫WEBサイトに登録し

出発48時間以内の抗原検査の陰性証明を取得

当日、無事成田でチェックインを済ませ

現地で感染が判明した場合の滞在延長や医療費を含む諸費用が担保されるように

海外旅行保険の加入も必須アイテムだったので

空港の自動加入機で加入したところ 

いまどきのことでペーパーレス(和文のメールが届いただけ)

 

マニラの検疫で保険加入の証明の提示を求められたらどうしよう?

と焦って空港内の保険代理店に電話して英文の紙を作成してもらい

とりあえずホッと胸を撫で下ろしました

 

マニラの空港検疫が厳しかったら相当時間かかるだろうなぁ

と覚悟していたところ

 

なんとワクチンの接種証明と抗原検査の陰性証明書類を確認しただけで

アッというまに入国できてしまいビックリ

 

さて、話を戻しまして

今回は遊びなので格安航空券を探したため

ANAながら 伊丹→羽田・・・・成田→マニラの乗り継ぎ便 それも羽田から成田の移動込み

 直行便なら4時間程度のフライトなのに

なんとこの日は 伊丹~マニラまでの所要時間 なんと11時間

(自宅からだと約14時間)

 

今回初めてのT3だったため

ターミナル内のトランジットホテルを探すのに相当手間取りましたが

ようやく見つかり ホッと一息

料金は、夜中の23:00~朝の6:00までだったかな?

カプセルがP1,000で 2段ベットP1,800

(日本円で約5,000円弱

安普請でほとんど防音効果なしのうえ

マナーの悪い客の大声での話し声や子供の笑い声が響き

とうとうほとんど寝られませんでした。。。

 

当初は、空港周辺のホテルを使うことも考えたのですが

翌朝はボホール行の飛行機に乗るためにトンボ返りしなきゃいけないし

面倒臭いタクシーの値段交渉に移動時間、ホテルでのチェックイン/アウトの手間

そのうえターミナルへの入場の大行列を思うと

『ベンチよりかマシか』とこのトランジットホテルを決めたのですが

悩ましいところです。

 

ということで

朝5時起きしてシャワーを浴び

どこかで朝食食べよかなぁと

たしか9時半ごろのフライトだったから

チェックインはのんびりしたらいいやとタカをくくっていたところ・・・

トランジットホテルに泊まるから 早朝のフライトでいいやと

6:00発の便を予約してもらってたのをすっかり忘れてて

チェックインカウンターに並んでいたところ

搭乗締め切りのアナウンスが流れ 大焦り

 

結局ゲートが閉まってしまい

 

ボホールに先着しているフィリピン人の友人に電話して事情を話し

航空会社のカウンターで乗り遅れたことを説明して

次の便を予約してもらいましたが

歳とって思い込みが激しくなっちゃったんだなぁ。。。とガッカリ

そんな経緯もあって

今度は、航空会社のCebu PacificからSMSでしっかりリマインドしてくれました

ようやく飛行機に乗れてホッとしました~

 

マニラのNAIA(ニノイアキノ国際空港)もすっかり手狭になって

2本の滑走路では 3つのターミナルを発着する飛行機をさばききれず

離陸も着陸も順番待ちで30分程度の遅延は日常茶飯事

この日も結局 30分ほど遅れて到着

空港に出迎えを頼んでいると聞いてたため

到着ロビーを出てウロチョロしていると



名前が書かれた紙と今回のツアーメンバーが全員で待っててくれてビックリ
 

午前中からツアーが計画されていたようで

何度も乗り遅れたことをお詫びしてバンに乗り込み

最初に向かったのがLobocの教会

丁度年に一度のFiestaで

この教会特有の踊りながら祈りを捧げている信徒達の姿に思わず微笑んでしましました

このBoholで二番目に古い歴史ある教会

2013年10月15日にマグネチュード7.2の大地震によってほぼ倒壊し

2021年5月に7年の歳月を経て修復され再開されたものの

2021年12月に再び台風によってLoboc Riverが氾濫し

周辺の家屋を含め水没してしまったのですが

そんな被害に遭ってたとは微塵も感じさせませんでした。

 

その後、今回の同窓会ツアーの立案者であるプロジェクト時代の友人のファミリーの

おもてなしをご馳走に

到着が遅れてしまったため 

レチョン(豚の丸焼き)は皮がほとんど残っていませんでしたが

それでも久しぶりのフィリピン料理に舌鼓を打たせていただきました

 

Fiestaでは、家族親類縁者は勿論のこと、通りすがりの知らない人でも家に招き

お腹いっぱい食事をふるまうのが喜びとされているため

 

ほぼ毎日にように全国各地で催されるFiesta巡りをしていれば

飢え死にすることはないと言われるほどなんですよ。

(フィリピン人のHospitalityの原点って感じです)

 

このバナナの葉に包まれた糯米をココナッツミルクで炊いたデザート(Suman)

がまた絶品なんです

https://pilipinasrecipes.com/suman-malagkit-recipe/

 

 

このお宅でおもてなしを受けてから

市長の家に行こうと言うことになり

そこでも またまたおもてなし

 

はち切れそうなお腹を抱えて

Bohol 最古のキリスト教会(Baclayon Church)を見学

この教会も地震の被害と半年前の台風でも川から離れているため

水没するようなことにはならなかったものの

屋根が壊れて修理に追われていました。

続いてお土産物屋さんに

(日本と同じように多分キックバックがあるのかな?)

そして これまたBohol島の名所のひとつ

Blood Compact Marker

侵略者スペインの初代総督レガスピとボホール島の酋長が

互いの血を注いだ盃を交わしたところで

友好の証なんだそうですが

普通なら憎むべき侵略者となる筈じゃないの?って思いながら眺めてました。

 

その後

レイテ島の航海訓練所で機関科の長をしていた職場仲間の家を訪問

ほとんどのインストラクターと同じように

船乗りとして復帰し、長年機関長として働いてから

地元でガソリンスタンドを経営しているのですが

既に築20年のプール付きの大豪邸でビックリ

 

ホームバーにシアタールームもあり

広々としたリビングやダイニングに驚かされました

御年93歳の義母(奥さんのお母さん:元教師)の食前のお祈りで

またまた おもてなし料理

 

いや~ 食べて飲んでの一日でした。

 

その後ようやく宿泊先のリゾートホテルにチェックイン

一人なのに コテージのこんな広い部屋に泊めていただきました

 

サンゴの島で塩分濃度の高いシャワーでしたが

汗を流してエアコンの効いた部屋で

前日からの移動疲れと 寝不足もすっかり快復

 

二日目は、朝6時に出発なので朝食は5時半

メンバーの一人がツアーガイドさんに『それは日本時間かフィリピン時間か?』

と尋ねると、『勿論日本時間(時刻通り)』と言っていたのですが

レストランの提供が遅れて やっぱり出発は6時半となりました(笑)

ホテルのビーチにBangka(フィリピン特有のダブルアウトリガーボート)が迎えてきていて乗船

西南西に向けて船を走らせていると

前方にマンタがジャンプする光景が目に飛び込んできて大興奮

 

そして多くのBangkaやボートが集まっている海域に到着すると

イルカの群れが現れ 約一時間 Dolphoin Watchingを堪能

その後、キリスト教会や神話のモニュメントが名物だった無人島に立ち寄り

(台風ですっかり壊滅状態となってしまってました)

続いて砂洲だけの Virgin Island経由して

SnorkelingのできるBalicasag Islandに上陸し

若者たちはSnorkelingに興じ シニアはビーチのレストランでビールとSeafoodを堪能

運よく天候に恵まれ ピーカンの太陽の下は暑いのですが

オーニング(覆い)と海水でボートの中は超快適

約7時間のボートツアーの後は

ビーチのレストランでランチ

この日も 朝からずっとお腹いっぱい(笑)

午後2時過ぎにホテルに戻り

シエスタ(お昼寝)タイム

この日はホテルのレストランでの晩御飯となりました

動画にしたため画像ではお見せできないんですが

フィリピンのいいところのひとつが

レストランなら大抵生バンドの演奏があるところ

 

美味しい料理に美味しいビール

生演奏の歌を聴きながら仲良しの仲間達との賑やかな会食

 

”文句のつけようがない”ってこんな事を言うんだろうなぁ

 

翌日は、朝8時出発とのことでしたが

しっかり休めたのと日本との時差で 朝5時には目が覚めてしまい

WIFIの繋がるビーチレストランで翌日のマニラでのホテルを予約

トンガ時代から早朝のビーチが大好き

黎明の時間に打ち寄せる波の音を聴きながら 

夜明けの風景をボーッと眺めてるのが至福の時間なんです

これぞリゾートって感じで

 

【調子にのって30,000字を越えてしまったので後編に続く
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行き当たりばったりの旅 2022春 【新潟~山形 中編 (酒田&鳥海山周回)】

2022-06-07 17:05:41 | 旅行

酒田駅近くの昭和な旅館に泊まった翌日

 

酒田での楽しみのひとつにしていた

定期船乗り場(飛島行)の海鮮市場の二階にある

”海鮮どんや とびしま”に向かいました

(距離約2キロ 徒歩30分)

 

 

朝限定 かねやす定食(焼き魚とどんがら汁)+舟盛 (1,500円)

※焼き魚やお刺身はその日によって内容が異なるみたいでした。

その昔、アルバイトで大阪発北海道周遊のツアコンしてた時

朝からビールを頼むオッサン客に驚き

『酒飲むしか楽しみないんかい』と、呆れた顔で眺めていたのですが・・・

 

いまや自分もすっかりそのオッサンそのもの

 

だってさぁ、朝からこんなお刺身出されて

飲まずにいられるか っちゅ~ねん(笑)

一人でテーブル席に座るのも憚られ

カウンター席に座ると 目の前に飛島行の定期船が

大好きなにっぽん縦断こころ旅で火野正平さんが訪れてた場所だし

話のネタに行ってみてもいいかなぁ~ と、一瞬思いましたが

 

なんとこの時期は一日1航海のみ

戻ってくるのが15時じゃあ ちょっとなぁ。。。 とアッサリと諦め

鳥瞰図を眺めながら

やっぱり鳥海山に行こうと決意

時刻もちょうど9時になる前だったので

定期船乗り場から観光自転車をお借りして

旅館に戻る前に 酒田市内を観光してみました

 

最初に定期船乗り場からすぐ近くにある”山居倉庫”

古くから米どころ庄内のお米を北前船で江戸に送っていた土地のこと

ある種酒田のシンボル的存在だったんですねぇ

観光スポットでもありますが

実は現役の倉庫で

雪深い日本海側に面していることもあって

春先は雪害による修理の季節とあって立ち入り禁止になってました

でも裏のけやき並木には入ることができたので良かったです

なんせ”行き当たりばったり”なので

旅先の下調べもせずに徘徊するため

この日も 本間家のことを知りビックリ

 

日本一の大地主で 

「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と

俗謡に謡われるほどの豪商だったんですねぇ

↓ココは旧本邸で、道を隔てた向かいには別邸もあり

その敷地内には現在の本間家の事務所がありました。

その次に訪れたのが 日和山公園

最上川の河口にある古い灯台が 

古の時代を思い起こしてくれましたよ

その日和山公園の入り口にあるのが

映画”おくりびと”で NKエージェントの事務所として使われたビル

いまは改装されて オシャレだけど味気ないレストランになっちゃってました

日和公園には 北前船の縮尺モデルもあって

『西の堺、東の酒田』と言われるほど栄えていたのが自慢なんだろうなぁ

ここの映画のロケ地のひとつで 

モックンが借りてたアパートのあった場所なんだとか 

下日枝神社の参道でもありました。

 

駆け足で 市内観光を済ませ

酒田駅前に戻って観光自転車を返却し

すぐ近くにあった トヨタレンタリースへ

アテにしていた軽自動車が運悪く予約が埋まってしまい

カローラしかなくなって少々割高だなぁと思いつつ

営業時間が夜8時までだったので決めました

 

この時点で車を使って訪れたかったのが

N〇Kのドキュメンタリー”クマヤマ”で観た 

鳥海マタギの集落(橇連:きゃんじき)を訪れたかったことと

鳥海山の眺望を楽しんでみたいってこと

 

カーナビに”橇連”を目的地にすると

鳥海山を中心に反時計回りに周回するルートが出てきたので

それに従って車を走らせていると・・・

ムチャクチャ写真映えのするスポットを見つけて大喜び

いい感じでしょ~

(この川、幸福川って名前なんですよ~

そのまま国道344号線を峠に向かって山深い道を走っていたところ

和滝の先でこの看板を発見

うんうん

熊が棲息してそうな山だよなぁ と感慨もひとしお

どこまで山深くなっちゃうのかな と不安半分でいたら

峠のトンネルを越えたらまた集落が見えはじめ

 

そこが奥羽本線の真室川駅でした

真室川音頭なるものの存在を知り

またその歴史を知って、仙台との繋がりを感じることができました。

いや~勉強になるなぁ

いかにもって感じの駅前旅館

 

真室川駅からは国道344号線と別れ

奥羽本線沿いに県境を越えて秋田県に入り 

院内から国道108号線で由利本荘市の笹子から丁川に沿って源流方向に進み

恋焦がれていた橇連(きゃんじき)に到着

仕留めた”山の神(ツキノワグマ)”を解体し

皆で鍋をつついていた集会所を見つけたものの

 

あれぇ よっぽど山深い集落で下界から閉ざされた土地と思ってたのに・・・

なんかイメージと違うなぁ と更に道を進んだところ

大型ダンプが行き交い大きな採石場があるのをみつけてまたまたビックリ

冬季で道路は閉鎖されていましたが

その先には 大平キャンプ場もあるんだけど 

熊出そうなのに凄いなぁと またまた感心

集落の人と話したかったけど

コロナ禍で よそ者から声かけても嫌がられるだろうなぁと断念

 

諦めて 鳥海山を周回することにしました

 

橇連にも数軒、それ以外にも 藁ぶきの家屋がいくつも現存していていい感じでした

鳥海山グリーンラインを走り

(大谷地池の第一展望台からの鳥海山)

 

そうそう、いたるところで蕗の薹が芽を出してて

北海道もそうだけど 北国に来たんだなぁと実感

こちらは 仁賀保高原南展望台

風力発電の連なっている峰沿いをしばらく走るとある眺望抜群の場所で いいところでしたよ~

そうして麓に入ると田圃があらわれだし

温水路を発見

これもいつだったかTVで観てその存在を知っていたので

へぇ~っと感心しながら大喜び

 

橇連から約2時間後ようやく日本海側の象潟に到着

松尾芭蕉も訪れた”九十九島”を眺めてみました

象潟からは日本海沿いの国道7号線を南下して酒田に戻ろうとしていたところ

十六羅漢岩なる標識を見つけて

『そう言えば、火野正平さんも訪れてたのを観た覚えがあるなぁ』と

立ち寄ってみました

なんとも不思議な場所でしたが 一見の価値ありですよ

車を返してから 

やはりまた魚を堪能しようと

またまた歩いて酒田の中心地にある

朝めぼしをつけておいた北前横丁に向かったのですが・・・

たぶんコロナでほとんどの店が維持できなくなった様子で

焼き鳥やしょぼい飲み屋だらけ

 

諦めきれずに繁華街っぽいアーケードや飲み屋街らしき場所を歩いてみたのですが

一見では入りずらい鮨屋や小料理の店はあるものの

気に入って店がみつからず

焼き肉の自販機じゃあなぁと肩を落とし

結局駅前のチェーン店の暖簾をくぐっちゃいました。

 

このお店

駅前には飲食店が少ないこともあってか

テーブル席もほとんど埋まり 30名以上の客でそこそこ流行ってたんだけど

なんでかフロアの店員が オネエチャン一人だけ

 

アテの注文はそこそこ早めにつなげてくれるんだけど

次々と飲み物をこなすことができず

お刺身3点盛り、長芋の刺身、ハタハタの塩焼きにゲソ天と

生ビールに 強めのハイボール、生姜チューハイで諦めて

この日の晩餐を終えることにしてしまいました。

 

【後編 花笠月山道路から山形市内の旅に続く】

 

 

 

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行き当たりばったりの旅 2022春 【新潟~山形 前編】

2022-05-13 18:16:18 | 旅行

久しぶりに日本海側の新潟での出張依頼があり

まずどうやって行こうかと思案

 

とりあえず頭に浮かんだのが・・・

 

①福井県敦賀港から週一(月曜)で運航されている新潟・秋田経由の新日本海フェリーを使う方法

愛車のジムニーを使い

奈良→敦賀 (4時間 港での待ち時間含む)

 敦賀→新潟(12時間)

運賃 高速代・フェリー・ガソリン代 約22,000円 所要時間 計 16時間

※ 自家用車で自由に動けるため

新潟での仕事を終えてから日本海側沿いを北上し

2年前に海上から眺めて惚れ込んだ鳥海山と

TVのドキュメンタリーで観た鳥海山の麓にあるクマヤマのマタギ集落を訪れてから

秋田の阿仁マタギで温泉と熊鍋を堪能して

またまた週一(日曜)に秋田を出港するフェリーで敦賀に行き

往路と同じルートで奈良に帰ることも可能のが利点

但し、敦賀発着の新潟・秋田航路のフェリーが週一便運航のため最短でも8日が必要

 

②素直に伊丹から新潟へ飛行機を利用

学園前(近鉄)→上本町(空港バス)→伊丹(飛行機)→新潟(空港バス)→新潟駅

運賃 約20,000円(格安航空券利用) 所要時間 3時間55分

 

③東海道新幹線と上越新幹線で新潟に向かう

学園前(近鉄)→京都(東海道新幹線)→東京(上越新幹線)→新潟

運賃 23,360円  所要時間 5時間34分

 

④日本海沿岸の鉄道で”乗り鉄”して新潟へ

学園前(近鉄)→京都(JR湖西線:サンダーバード)→金沢(北陸新幹線)→上越妙高(特急しらゆき)→新潟

運賃 16,990円 所要時間 6時間43分

 

⑤自家用車で高速道路で新潟まで走る

奈良(京奈和道)→巨椋IC(京滋バイパス・名神・北陸道・新潟中央)→新潟

高速料金(軽自動車)&ガソリン代 18,000円 距離615キロ 所要時間 7時間(休憩なし)

 

移動時間を短くしたいなら飛行機だけど、曇ってたら陸地はみえないし

なんせ味気ない

 

新幹線は本数も多くていつでも好きな時間に移動できて便利だけど

特に東海道新幹線の景色はもうゲップが出るほどで車窓からの景色を楽しめない

 

時間に余裕があったら自分の車で自由に動けるフェリーが一番なんだけど

なんせ出張先での仕事が半日で終わるのに

そんなに遊んでていいのかと罪悪感に苛まれる

 

片道600キロ超の距離を車ですっ飛ばしてゆくのは

やっぱ疲れるだろうなぁ とパス

 

ということで、とりあえず日本海沿岸を”乗り鉄”で新潟に向かうことに決定

 

朝8時自宅出発で 大和西大寺から

近鉄伊勢志摩ライナーに乗車

なんせ観光列車なので パノラマデッキがあって運転手さんの挙動丸見え

背後からいつも誰かに見られてるなんて 運転しずらいだろうなぁと思いつつ

気を抜けないから安全でいいのかも

京都駅ではJRを含めてカウントすると14番線にあたる南端の近鉄線から

北側の端の0番線までを観光客でごった返すコンコースと二度の改札を通過しなきゃならないのに

乗り換え時間が8分

 

そのうえ、いつも到着が予定時刻より5分程度遅れるのが常の近鉄特急なので

ヒヤヒヤしてたのですが

珍しく定刻どおりに到着してビックリ

乗り遅れたら新幹線だなと半ば覚悟してたので

むっちゃ嬉しい気分になれました(笑)

北陸新幹線ができるまでは

湖西線特急のサンダーバードで富山まで行き 富山から”ほくほく新線”で越後湯沢まで

そこから上越新幹線が新潟方面へのルートだったのですが

北陸新幹線が金沢まで開通してからは

サンダーバードも金沢止まり

そこから北陸新幹線に乗り換えとなってしまったので

昔、北陸本線の駅のホームには必ずあった立ち食いそばでも思っていたのですが・・・

いまではホームの立ち食いスタンドなんてなくなっちゃったんですねぇ。。。

ということで、仕方なく何の変哲もない構内売店のセブンイレブンで

オニギリと寿司と缶ビールにおつまみを買って乗車

春霞なのか立山連峰も黒部・宇奈月方面の眺望もほとんどみられませんでしたが

糸魚川辺りで日本海が眺められてちょっとだけウキウキ

でも北陸新幹線での金沢から上越妙高までの乗車時間は たったの1時間でした

 

新幹線から信越本線に連絡している”特急しらゆき”に乗り換え新潟に向かったのですが・・・

赤字路線だったのが北陸新幹線が開通して更に追い打ちをかけることになったからなのか

信越本線とほくほく線以外はJRから第三セクターの運営になっちゃいました 

JRだと赤字路線でも補助金がでないから

分断しちゃうみたいです。(近鉄の桑名から大垣の養老線もそんな感じ)

この信越線 柿崎(旧:中頸城郡)から米山(柏崎市)の区間が

日本海の砂浜沿いでビックリ

『厳冬期には荒れた日本海に洗われちゃわないのかなぁ』

と驚かされちゃいました

 

また暴風雪警報でも発令されたら来てみよっと(笑)

 

その後、電車は柏崎を過ぎてからは内陸に入り込み

長岡からはずっと広大な越後平野が続き

GWに向けた田植えの準備に追われるトラクターだらけ

二年前から自分でも稲作するようになっているので

区画整理された一枚の田圃の面積に驚かされ

そのうえトラクターはクローラ仕様ばっかし

 

豪雪地帯なので冬の間は雪に埋もれてしまうのと

元々信濃川の洲にできた農地なので

川の水位の方が高い様子で

きっと湿田が多いんだろうなぁと勝手に想像

 

いや~、乗り鉄の旅

なにげない風景の中からいろんな勉強ができて

ためになるなぁ

いつものように独り合点して勝手に想像してるだけなので、

『諸説あり』ってことにしとこっと(笑)

 

そうこうして田圃ばっかり一時間も見続けて

さすがに飽きたなぁ。。。ってころに新潟駅に到着

 

今回は仕事が終わってからも電車での移動だろうなと想像していたため

駅前のホテルを取り

 

翌日のために駅近辺のレンタカーを調べがてら

『新潟では絶対に食べるぞ』と決めてた

”栃尾の油揚げ”と”のっぺ”

それと”へぎ蕎麦”の食べられそうなお店を探索

 

ホテルからわずか50mのこの店にしちゃいました

琥珀エビス(638円)とお通し(528円)

念願の栃尾の油揚げ(605円)

のっぺ(605円)と鮭の焼き漬け(572円)

〆はへぎ蕎麦(1,100円)と 濃い目のレモンサワー(550円)で

お会計は ¥4,598 

 

翌日の仕事の事を考えて酒量を控えられて助かった~

 

 

翌朝

レンタカー会社に電話して乗用車を借り

ちゃちゃっと4時間ほどで新潟東港係留中の船の仕事をやっつけて

 

カーナビの地図で周辺をみてみると

”新発田”の近くだと知って「とりあえず新発田に行こっと」と即決

実は、小学生高学年から・高校受験前の中学生の間

健民少年団という日本版ボーイスカウトのような団体の団員で

年に一度開催される全国大会で

この新発田出身の同年の(カワイコちゃんの)女子と知り合い

その後何度か文通したこともあって

50年前に行ってみたいなぁと夢見ていた土地なんですよ

 

遠く離れた愛知県の小僧には 

新発田ってところも城下町だと知っていてものの

越後山脈の麓の小都市だろうと勝手に想像していただけだったので

越後平野のまっ平な地理にビックリ

 

ご多分に漏れず、郊外にショッピングモールができ

大型量販店や金太郎飴のような どこにでもあるレストランに負け

古くからの駅前からお城までの商店街やアーケードは

ほとんどシャッターが閉まりゴーストタウンと化していましたが

昔はさぞや賑わった地方都市だったんだろうなぁとの印象を受けました。

 

そんな感慨に耽りながらお城の公園を歩いていたところ

雪を被った山々が目に入り

スマホのマップで調べてみると

磐梯朝日国立公園の烏帽子岳と越後山脈らしく

あの裏側に マタギ集落で有名な小国町があるんだなぁと

 

よし、それならまず2年前にフェリーから眺めて惚れ込んだ鳥海山に行こう

と次の目的地を決め

秋田方面に移動しようと思ったのですが・・・

なんせ電車がない

 

14:57分発の特急いなほ7号に乗るのは無理だと悟り

それ以降の特急は山形県の酒田止まり

 

『ならとりあえず酒田まで行こう』 と

時間調整を兼ねてバイパスを走らず下道で新潟西港周辺をドライブした後

レンタカーを返却して 特急の出発時刻まで 

遅めのランチと仕事の打ち上げと、もういっぺん栃尾の油揚げを食べようと居酒屋へ直行

日本酒を飲みたいけど

たぶん美味しい酒に酔いしれてお尻が重くなって 

『もう一泊新潟に泊まったれ』と気が変わっちゃいそうなので

 

生ビールとチューハイで我慢して

お昼抜きだったので

ついメニューにあった ザンギが気になり 

つい若鶏半身揚げを注文しちゃいました

関西の自分の生活圏ではほとんどお目にかからないので

知らなかったけど、つぼ八って北海道がルーツの会社だったんですねぇ

(小樽の"なると屋"でこの半身揚げを知ったので、つい懐かしくて)

 

そうこうして時間を調整して ようやく”いなほ9号”に乗車

村上あたりから日本海に沈む夕陽に魅了され

これぞトワイライトエクスプレスやん とひとり大喜び

 

むちゃくちゃキレイでしたよ~

 

実は、特急に乗車中にネットで宿を予約したらいいや

と思っていたのに

なぜかパスワードが合わずログインできず

何度もトライするもどうにも予約ができない状態が続き

 

そうこうしていたら終点の酒田駅に到着してしまい

当日の空き部屋も無くなってしまい大焦り

ネット検索を諦めて Google Mapsで駅前周辺の宿を探してみたところ

 

駅からさほど離れたいない場所にある一軒の旅館を発見

 

古そうながらクチコミでは親切な宿と書いてあったので

直接電話をかけて『すみません。今晩泊めていただくことは可能ですか』と尋ねると

『はい、大丈夫ですよ』との快い返事をいただき ホッと一息

 

なんか、フーテンの寅さんがテキヤ仲間と一緒に泊まってそうな雰囲気で

大喜びしちゃいました(笑)

質素ながらも清潔感溢れる旅館でした

とりあえず荷物を放り込んで

夜食でもと繰り出したのですが・・・

 

駅の近辺なのに昭和な飲み屋のバラックがいくつもあり

ムチャクチャ心惹かれたのですが

一見で飛び込むのが 憚られたのと

なんせとりあえずお腹を満たしたかったので

バラックの飲み屋は またの機会にして

ラーメン消費量(たしか)日本一の山形だしってことで

ラーメンにしちゃいました

 さて、また旅館の話題に戻りますが

TVが食事から戻ったら全く映像があらわれず

”壊れてるのかなぁ”と思ってしまいましたが

実は、廊下と障子で仕切られた部屋なので

他のお客さんの安眠妨害とならないようにしている

ケーブルの元で遮断して

夜9時以降、朝まで観られないようになってるのだと気づきました

こちらは 共同の洗面台とトイレ、それとお風呂もあります。

この旅館、素泊まりで3,500円なのですが

そして朝には おにぎりが準備されていてビックリ

 

旅館は優しさが滲みでているご年配の女将さんがされていて

たぶん別棟に同居されている娘さんが必要に応じてお手伝いされているご様子でしたが

心のこもったおにぎりで 美味しかったですよ~ 

 

なんせいつもながらの行き当たりばったりの旅

基本的に連泊はせず

気ままに閃いた場所に行き その日の宿はその日に決めるのですが

この日は珍しく

のんびりと酒田を拠点に訪ね歩いてみようと思ったため

共同のトイレや自由に入れないお風呂に不便に感じたものの

この昭和な旅館の優しさと心地よさに

『もう一泊させてもらえますか』と

お願いしちゃいました



(旅館の猫ちゃん🐈もカワイイんですよ☺️)

 

【後編:酒田・山形の旅に続く】

 

 

 

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欧州夜行寝台列車復活? 

2021-06-26 20:29:00 | 旅行
偶然、この記事を読んで大喜び🤗

なんせ旅好き、乗り物好きで
特に飛行機✈️以外の陸路🛤や海路🚢が大好き😘

特に隠れ鉄チャンでもあるため
中でも夜行寝台列車は断トツの存在💖

日本🇯🇵国内でも
ブルートレインを好んで使ってました🥰

長崎・京都に“あかつき”
宮崎・京都は“彗星”
京都・青森間は“日本海”
京都から東京にも早朝に到着するために
“銀河”など

そんな訳で
海外でも

ニュージーランド🇳🇿国鉄の
北島のオークランド・ウェリントン
南島ではピクトンからインバーカーギルの間、クライストチャーチとダニーデンに立ち寄りながら何度も
(かって1週間単位の国鉄の鉄道、バス、フェリーの乗り放題チケットが存在し、1984年に休暇を使ってまる一月隅から隅まで周遊した事がありました)

🇷🇺ロシアではシベリア鉄道で
ウラジオ、ナホトカ、ハバロフスク間と
モスクワ、サンクトペテルブルクの間を
2人部屋のコンパートメントで何往復も

ヨーロッパは特に多くて
🇳🇱アムステルダム→🇩🇪ハンブルク
🇸🇪ストックホルム→🇩🇰コペンハーゲン
🇩🇰コペンハーゲン→🇩🇪ベルリン
🇫🇷パリ→🇩🇪ハンブルク
🇩🇪ハンブルク→🇨🇭バーゼル
🇦🇹インスブルック→🇮🇹ベネチア
🇫🇷パリ→🇪🇸ポルトボー(セルベール経由)

トーマスクックの時刻表眺めながら
あれから妄想するのが大好きでした(笑)



























ほとんど特等の個室寝台だったけど
プライバシーを保てるので需要が高く
直ぐに売り切れちゃうので

クシェットにも乗ったんだけど

ある時スイス🇨🇭人の夫婦と乗り合わせて
最初は他人行儀で会話も交わさなかったのに

翌朝にはとっても仲良しになって
こちらがバーゼルで降りて
乗り換えてアルプス見学に行くと言ったら

それじゃあ一緒に朝ごはんを食べようよ♪
バーゼルの駅構内のカフェ☕️が美味しいんだよ😍と誘ってもらうほどでした☺️  

ところが高速鉄道と格安航空券に押されて
年々廃止されて長距離の国際夜行寝台列車が無くなり

いつか🇫🇷パリから🇬🇷アテネや
🇹🇷イスタンブール
🇮🇹ミラノから🇪🇸バルセロナ経由でマドリッド
🇷🇺モスクワから東欧経由で🇬🇧ロンドンまでとか

車窓を眺めながら異国情緒を楽しみたいなぁと夢見てたので大ショック🤯

心底😞ガッカリしてたので
この朗報に大喜び☺️してまーす✌️

食堂車で揺られながらワイン🍷を片手に
コース料理とか
個室だと車掌さんに頼むと
朝ごはんやカフェメニュー届けてくれるし

ワゴン販売を選ぶのも楽しいですよね🥰
あー楽しみ😘

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2年前の与那国島訪問を思い出しながら”Dr.コトー診療所”聖地巡礼の旅計画中♪

2021-03-03 15:31:48 | 旅行

Dr.コトー診療所2003 吉岡秀隆

♪銀の龍の背に乗って[Instrumental] コトーの新作、待ってます。

youtube#video

 

 

日本最西端の”与那国島”

石垣島二度目の訪問となった2年半前の2018年10月

初回ではレンタカーで石垣島を一周していたため

 

2度目の訪問時は仕事を終えてから八重山諸島を旅しようと思っていたものの

インバウンド観光客真っ盛りの頃で

毎日のように大型クルーズ船が入港し

空路で訪れる人々も加わって石垣島も八重山諸島も観光客で溢れかえり

予約していた街中のホテルはオーバーブッキング

離れたリゾートホテルへ移動してくれるボランティアを募っていたため

その要望に応えて移動していた状態

離島ターミナルの中は大混雑していて

島々を結ぶ高速船がひっきりなしに行き交い

強気のツアーデスクは 目玉が飛び出そうな金額設定

こんなんじゃあ

竹富島で水牛の牛車に乗るのも

小浜島で”ちゅらさん”の雰囲気を味わうのも

西表島なんて大自然に触れるどころか満員電車に乗ってるような

芋洗い状態だろうな。。。と

 

ガックリと肩を落としていたところ

目についたのが

離島ターミナルの対岸に停泊していた

週に2便しか就航していない”与那国島”行きのフェリー

ネットで調べてみると運よく仕事を終えた翌日の便があり

『これは、運命の神様が与那国島に行きなさいって言ってるんだな』

と、いつものように自分のいいように考えて

 

当日待合室で往復の乗船券を購入し

乗り込んだのですが

なんと乗客は自分をいれてたったの2名

竹富島や西表島までは、ほとんど揺れもなく

快適な船旅だったのですが

西表島を抜けた途端

何かに摑まっていなければ身体が飛ばされてしまいそうな

ピッチング(縦揺れ)とローリング(横揺れ)の連続となり

滅多に船酔いしない自分も気分が悪くなってビックリ

まあ、このフェリー別名”ゲロ船”と呼ばれているのが

よ~くわかりました

そんなこんなで石垣を出港してから約4時間後の午後2時過ぎ

 

ようやく与那国島に到着して

予約しておいた民宿に荷物を放り込んで

この島ではもっともポピュラーな原付

時計回りに約9時の位置にある久部良港から島内を一周していたところ

3/4を周った6時の位置にある比川で

Dr.コトー診療所を発見

ドラマを観ていなかったので

へぇ~、鹿児島の甑島がモデルだって聞いてたから

てっきり鹿児島辺りがロケ地だと思ってたら

こんなアクセスの不便な僻地(失礼)で撮影してたとは 

と、びっくり

そんな出来事がありながらも

島の観光スポットを巡りながら一周しても

2時間もかからず

 

 

民宿で一緒になった泊り客と話していても

海底宮殿とシュモクザメ狙いのダイバーならいざ知らず

飲食店もほとんどない土地で

ただの観光だったら日帰りで充分だと聞かされ

そんな印象を持ったまま翌日の船でまた石垣に戻ったのですが・・・

 

 

つい先月、また石垣での仕事の依頼を受けた帰り道、

もしかしたらもう二度と八重山諸島に来る機会がない可能性が高いし

それならもう一度与那国島を再訪しようかな?と思いつつ

 

コロナ禍では絶海の孤島だからこそ

この時期に外部からのそれも観光客として訪れるのは迷惑だろうな

諦めて、沖縄本島と与論島に行くことにしてしまいました

 

その後、しばらくたって突然”与那国島=Dr.コトー診療所”を思い出し

初回の2003年シリーズのDVDをレンタルして視聴してみたところ

 

なんせ単純な性格なもので

毎回毎回涙涙の大感動

 

勢いに乗って

続けて2004年、2006年のシリーズを一気観しちゃったもんだから

 

もうエンディングで流れる中島みゆきさんの

”銀の龍の背に乗って”の音楽が頭の中で鳴り響き

『さて、いつ与那国島に行こうかな』と

新しい目標ができて大喜び

 

 

次回は、のんびりと港の近くの久部良か

与那国島の中心地祖納に宿をとって

昼はDr.コトー診療所の聖地巡りや

放牧地で馬や牛と戯れながら海を眺めてみたり

ビーチでのんびりと昼寝したり シュノーケリングしたり

夜は居酒屋で長命草酒でも飲みながらまったりと過ごそっと

 

友達も誘うつもりだけど、

旅は道連れ世は情け

どなたか興味もたれたら一緒に行きませんか~ 

 

 

偶然にも小学生の時の大親友が

与那国名産の泡盛”どなん”が親戚とのことで

 

いろいろ話を聞くと

台湾の方が近い土地なので

太平洋戦争後の物資が無くて困窮していた時代には

密輸品の中継地として大繁盛していた時期があったんだとか

 

とにかく、何もないのが贅沢なところなんじゃないかな

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【続】よりによってこんな時にスペイン滞在中‼︎

2020-04-24 16:24:55 | 旅行

 

前回の投稿の続き

すぐに書くつもりが、とうとうひと月以上も経過してしまい申し訳ありませんでした

 

新型コロナ禍の中

仕事で滞在していたSpainカナリア諸島のLas Palmasから

慌てて本土に渡るフェリーに乗り込み

アフリカ モロッコ沖を北上して約45時間後

ほぼ定刻通りにAndalcia のHuelvaに到着

とりあえず船に乗って本土まで辿り着けたらいいやと

大雑把な性格のため先々まで考えずにいたのですが

 

到着直前になって、市街地までどうやって行ったらいいんだろうかと

Google Mapで調べてみると

フェリー埠頭は市街地から相当離れた工業地帯にあって

どうやら公共交通機関はなさそうな感じ

経路を調べてみると 徒歩では大きく迂回するルートしかなく

距離にして39kmの表示

徒歩8時間ってあるけど・・・時速5キロで40km歩ける訳ないだろ

 

Lockdownされててバスや鉄道が動いているかもわからず

いざとなったらフェリー会社の埠頭の担当者に交渉して送ってもらうか

で乗船していたお客にヒッチハイクするしかないか と

腹をくくって下船口に行ってみると徒歩客は埠頭まで誘導してくれて

そこに無料の連絡バスが停まってました~

 

フェリー埠頭のゲートには警察官が検問してましたが 

体温を測られることもなく難なく通過

とりあえずバスターミナルに到着してから

Madrid行きの長距離バスがないかなぁと調べてみたところ

やはりその日は運行していないとわかったため

 

もしかしたら HuelvaからMadrid行きの電車があるかも と

荷物を引き摺りながらトボトボと駅を探し

Lockdownでほぼ無人の街中を歩き

よくやく駅らしき建物を見つけたのですが

最近、新しい駅舎ができて移転してしまった様子

(線路が撤去されてました)

 

『歩いていける場所なんだろうか』とちょっと不安がよぎったのですが

運よく買い物で外出してた風のオバチャンが歩いていたので

「Donde esta la estacion?」 と尋ねると

『この道をずっと真っすぐ行ったらいいですヨ』と親切に教えてくれちゃいました

 

そうこうしてようやく駅をみつけて

 

構内の表示板を眺めてみると・・・

到着する電車も1日に3本しかなくて それもセビージャ発のみ

ありゃ~ と思いつつ 切符売り場に行って『マドリッド行きはないの?』と尋ねると

『明日までないですヨ』だって

 

そしたらHuelvaで一泊して翌日の電車か夜行バスでMadridに出ようかな?

とも考えたのですが

Hotelがみつかったとしてもスーパーで食材買って過ごすのも面倒だし

また状況が変わってMadridに辿り着けなくなったら大事だなと

 

実は、船に乗ってる間に、レンタカー借りて

Madridで乗り捨てしようかとも考えたのですが

Andalcia の田舎町からの乗り捨てできるレンタカーが無いうえに

高速道路は警察の検問があって、相当面倒だなと諦めて

Sevillaの空港まで行って飛行機でMadridに出るしかないかなと

またまたバスターミナルまで 誰も歩いていない商店街を抜け

 

アルハンブラ宮殿のようなタイル貼りのアラビック風の建物を眺めながら

バスターミナルに到着

なんとか約2時間後のSevilla行きのチケットを購入したのですが・・・

Lockdownされて仕事を無くしたアフリカと南米からの出稼ぎ労働者だらけで

運悪く天候がすぐれずに気温10℃以下の待合室で立ったまま過ごし

朝抜きだったので腹ペコでついついスナックのポスターを恨めしく眺め

なんとか高速バスに乗車

Lockdownされてることもあってガラガラの高速をひた走り

約1時間でSevillaのバスターミナルに到着

ここでもMadridまで飛行機にしようか悩んだ末

とりあえず電車の駅に行ってみようとタクシーに乗り込み

Centro近くを通過してSanta Justaに向かったのですが

Lockdownでゴーストタウンとなった街を眺めるのがとっても悲しかったです。

 

新型コロナ騒ぎがなかったら

闘牛場やスペイン広場、アルカサルを訪ねがら

BAR巡りも楽しむつもりだったのになぁ

 

んで、到着したSanta Justa(Sevilla中央駅)

こんな状況下では治安維持のためもあって軍も出てるんです

ほとんど軍と警察官ばっかりの駅構内を

大きな荷物をズルズルと引き擦りながらチケット売り場に行ったところ

約1時間後に出発のMadrid行きのAVE (Renfe:スペイン国鉄の新幹線)の

チケットが購入できてビックリ

しばらくして改札が始まり、大喜びして電車に乗り込んだのでした

車両に乗客一人程度のガラガラの車内から

Andalcia らしい牧場や見渡す限り広がるオリーブ農園を眺めながら

約2時間半後

MadridのAtocha駅に到着

感染爆発してたこともあって ここもまたガラガラ

早朝から乗り換えの連続で疲れていたのもあって

とりあえずMadridで泊まろうかな?とホテル予約サイトを使ってみたところ

『Madrid周辺には利用できる施設がありません』との表示

 

ドッヒャ~、Lockdownされてホテルも休業になっちゃったかぁ

これは何としてもSpainから脱出するしかないなと

帰国するためのチケットを変更しようにも

ネットからも電話も航空会社と連絡が取れずにいたため

空港のカウンターで交渉するしかないと思い

Atochaから空港まで直行することにしちゃいました

チケットがルフトハンザだったためT2(ターミナル2)でしたが

簡単且つ確実に移動できるのは電車だな!と

RenfeでT4に向かいましたが

空港行きの車内もガラガラ

このT4(ターミナル4)

最新のターミナルで基本自国のイベリア航空専用

諸外国の航空会社は古いT1/2/3なので

ターミナル間の無料シャトルバスに乗ってT2に向かいました

これがまたT4だけ約8キロ離れた場所にあるため

バスに15分ほど乗車

そうしてようやくT2に到着してDeaprtureロビーに行き

その日のフライトは深夜の到着便しかないから待つしかないだろうなと諦め半分でいたところ

なんと1時間後に出発のミュンヘン行きがあったため

チケットカウンターが開いていてビックリ

デメ元で 『少しでも早く日本に帰りたいんだけど・・・』と交渉し

カウンターのオネーチャンがたぶんドイツの本社に電話を架けてくれたのですが・・・

 

さて、いつもながらの行き当たりばったり+ハラハラドキドキの旅

続きは次号で(笑)

 

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よりによってこんな時にスペイン滞在中‼︎

2020-03-18 07:36:00 | 旅行

1月のイギリスのドーバーでの仕事の続きで

その船の検査期限(車の車検のようなもの)が3月8日との事で、
 
最初スペインのFerrolの造船所に入れると聞いて、『これは行かなければ‼︎』と欧州の取引先に任せずに自分で行く事にしたのが運の尽き(ノД`)
 
その後、新型コロナウイルスが蔓延し始めたこともあってか
 
Ferrol の造船所からキャンセルされて
どうするのかな?と思っていたら
 
同じスペインとはいいながら、ほとんどアフリカのカナリア諸島のLas Palmasに決まり、3月7日の出発前日までヨーロッパでの蔓延状況を見守りながら、日本からの渡航中止勧告かスペインの入国制限がてて欲しいなぁと願っていたのですが・・・
 
約束を反故する訳にも行かず
 
ドイツのルフトハンザ航空でチケットを買って、関空〜ミュンヘン〜マドリッド経由でLas Palmas に渡り、
 
 












 
 
まだ感染者の出ていなかった現地であまり心配することなく過ごしていたのですが
 
スペイン本土がpandemicを引き起こし、非常事態宣言を出した影響で、これはヘタしたら帰れなくなるかも(;゜0゜)と
 
とりあえず装置が動けるようにして
お客さんに残りは次に日本に寄港した時にすることで了解をもらって
 
マドリッドへ飛行機が飛ばなくなったりしては大変とフェリーでAndalucíaのHuelva に渡り
 
 








クルーズ船のように濃厚接触で感染したら大変だと個室のキャビンを取って
非常事態で移動制限されてるのもあってガラガラのレストランでの食事以外は部屋に閉じこもっていたんだけど
 
 












部屋でテレビを観てると新型コロナウイルスのニュースばっかし(・_・;





日本からは今頃になって渡航中止勧告が出るし、スペインも不要不急外出禁止になって
 
果たして日本に帰れるのかなぁ(T . T)と
少し不安になりましたが
 
まあ、これも宿命だったんだろうと
心配しても仕方ないので
 
自分でできる範囲の事をして
後は成り行き任せにする事にしました(^◇^;)
 
 
 
 





続きはまた後で
 
 
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近況報告2020年1月19日England Dover城からの続き

2020-02-21 17:02:18 | 旅行

Dover滞在中にUPした記事

仕事の前だったので

精神的なゆとりなく

適当に写真載せただけで端折っちゃってゴメンなさい

 

 

あの日

実はドーヴァー城からの帰り道

 

日曜日で人気のない

またこの路上パーキングのあたりを通っていたところ

 

たった一人で歩いていた筈なのに

後ろに誰かいるような気がして振り返ったところ

 

気配を感じさせないようにつけてきた不気味なアーリア系の男がいてビックリ

こちらが急に振り返ったからか

突然立ち止まってスマホを眺めるフリをしてたんだけど

どうにも不自然に感じて

 

車の陰にならないように道路を渡って反対側の歩道に移動して

その不審な男がまだいるかとのぞいてみると

車の陰に身を潜めたのか 

どこにも姿が見えなくなって

 

もしかしたら単なる気のせいだったかもと

旧市街でレストランを探してみたんだけど

休日のことで開けてる店もあまりなく

それならついでに旧市街を散策してみよう

教会の横に会ったビジター用の地図を眺めてから

歴史を感じる古い建物のある路地に入ろうとしたところ

またその男が背後に近づいているのを発見

 

『そんな偶然あるわけないな』と

路地歩きを諦めて 人気の多い通りに移動し

不動産屋で物件を探してるフリをしながらガラスに映った背後をみると

また消えてたので

 

ホッとして 多くの人で賑わってる大きなスーパーマーケットの

フードコートでランチすることにしたところ

 

注文した料理が届けてくれたお店のオバチャンから

フォークとナイフと調味料はレジのところにありますから

自分でお好みのものを持ってきてくださいねって言われ

『おっとそうでした』とショルダーバッグを席に置いたまま 

レジに行こうとしたところ

また同じ男がフードコートの出口から入ってきて

知り合いでも探しているようなフリをして

こちらのテーブルに近づこうとしているのをみつけ

 

急いでテーブルに戻ってその男を睨みつけると

顔をそむけて逃げるように店から出ていったものの

 

『あちゃ~、獲物として付け狙われてたんだな

『単なる置き引きやひったくりならいいけど

あの人気のない場所なら路上強盗する気だったかも』 

と、冷や汗をかく出来事がありました。

 

もう何十年も世界各地を放浪し

ここ10年ほどは

ヨーロッパでの独り歩きが楽しくて

とくに危険な目に遭ってなかったから油断しちゃってたかも

と反省しちゃいました。

 

アラブの春以降

北アフリカや中東からの難民をドイツのメルケル首相が

率先して受け入れるようになってから

 

特に国家間を自由に往来ができるようなったEU諸国の治安は悪化の一途をたどり

酷いことになっちゃいましたよね

 

例を挙げ出したらキリがないけど

治安が緩そうで社会保障の充実した国への集中が著しくて

 

スウェーデンのストックホルム、デンマークのコペンハーゲン、オランダのアムステルダム、

イタリアのミラノ、フランスのマルセイユ、ベルギーのアントワープ などなど

 

鉄道の駅には置き引きやひったくり、路上強盗が日常の出来事となって

最近は、イスラム系の無差別テロを警戒して

機関銃を持った武装警官が常駐するようになっちゃいましたもんねぇ

 

昔は改札も検札もなかった鉄道やトラムも

キセルが増えすぎて主要駅には改札機を備えるようになったし

 

各国は自己防衛で国際列車での警察官の巡回や

国境付近の警備を厳しくするようになったけど、それも仕方ないなと納得するようになりました。

 

だから、個人的にはBREXITもとっても理解しているんですヨ。

 

できればいつまでも性善説で考えられる人間でありたいと思うけど、

いまは性悪説で物事をみないといけない時代になっちゃった感じです。

(日本でも詐欺商法がまかり通ってるもんなぁ

 

新型コロナの影響でどうなっちゃうのかなぁ

 

 

おっと、愚痴っぽくなってきちゃったので

話題をDoverに戻してと

 

そんなチョット嫌な出来事もあって

旧市街へ食事に行くのも考えなきゃと ホテル近くを散策していると

 

可動橋を発見

その先には古い旋回式の架道橋もあって

Doverというところが 干満の差の大きな海岸なんだと知りました。

 

↓の右奥が マリーナのポンツーン(浮き桟橋)

 

手前が海側で

まるでパナマ運河の閘門のような堰で仕切られてました。

↓ 右側の建物がウォターフロントのレストランや貸しヨットのお店

Sea Foodのメニューに心惹かれたんだけど 

冬場だからか夜の営業はしてませんでした

ビーチもあって夏場には行楽客で賑わうんだろうなぁ

 

ホテルに戻ろうとしたところ

なにやら面白そうなレストランを発見

 

ホテルのレストランは 一人だとあんまり歓迎されなかったので

ロビーのカフェでもいいかなと覗いてみましたが

ハンバーガーとかしかないのでパス

 

Fish & Chipsの店が隣接しているのを知って

営業時間に行ってみると電灯はついてるものの鍵がかかってて入店できず

 

仕方なく昼間みたゴチャゴチャしたレストランに

レトロチックで

カジュアルな雰囲気も気楽でいいかなと

まず、生ビールとスパークリングウォーターを注文

 

ウェイトレスのおねーちゃんからアラカルトよりもセットメニューを勧められたので

ローストラムのセットを注文

 

とってもイギリスらしいお味でしたぁ(ようするに不味かった)

デザートはアイスクリームかチョコのスポンジケーキと聞いて

ケーキを頼んでみたんですけど・・・甘いだけって感じ

まあ、イギリスらしくてそれも良かったんじゃないかなと納得(ウソコケ)

 

そんなこんなでよくやく仕事の船が到着したのですが

深夜の着岸だったので 翌日の早朝に乗船したところ

午後には出航するとのことで

 

遠方まで出向いてきていい加減な仕事しちゃいけないな と

次の港(オランダのVlissingen)まで船に乗ってくことにしちゃいました

今回の仕事先は冷凍運搬船といって

魚や野菜、果物等の冷凍、冷蔵品を運ぶ船で

 

この船はアフリカや南米で果物を積み込み

このイギリスのDoverとオランダのVlissingenで降ろす定期航路のため

ほぼ毎月入港しているんです。

当初の予定では

1月18日の夕方に入港して19日の未明に出航する予定だったので

下船してからFerryでドーヴァー海峡の対岸のフランスのCalaisに渡って

のんびり田舎町でも巡りながら帰国するつもりだったのが

大番狂わせ

 

ま、船の仕事をしてると

こんなことは日常茶飯事なので平気なんですけどネ

 

ということで、今回はDoverの続きまで

 

くれぐれも旅行中は気を抜かないようにというか

危なそうな場所には近づかないようにご注意くださいネ

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続 近況報告 2020年1月19日

2020-01-20 01:27:00 | 旅行
 


 
 

今回の仕事先の船が遅れて

本日の時間に余裕ができたのでと
 
街で食事しようと出かけたところ
思いの外小さな街で
 
 
















 
 
歩いていたら英国で一番古くて
歴史の宝庫で世界遺産として超有名な
ドーヴァー城が目の前だったので
 
普段は仕事前にはしないようにしている
現地観光してきちゃいました
 
このお城の観光スポット
八合目ほどのところにあるゲートで
拝観料を払うシステムで
 










 
 
気楽に入場しようと思ったら
な、なんと約£21(¥3,000)
 
驚いて受付のオバちゃんに
『へぇ〜、高いねぇ〜』と言うと
 
「高いでしょう。でもとっても広くてとっても古い英国を代表する素晴らしい観光スポットなんですよ」って勧められて
 
『それは楽しみだなぁ』
ウキウキしながら拝観料を支払うと
 
「どこから来たの?」と尋ねられ
『日本からだよ』と答えると
 
日本語のパンフレットを渡され
右手に紙製の腕輪式の入場券を着けてくれました
 
腕が太すぎて「ワオ‼︎ ギリギリかも」って驚かれながら(笑)
 
さて、このお城
なんせヨーロッパの長く混沌とした
争いの歴史が刻まれたところで
 
ローマ時代から中世ナポレオン
二つの世界大戦と
 
とにかく凄いところでした。
↑(面倒になって端折っちゃったよ)
 
 




















 




















 
このお城の事やドーヴァーのことは
また別の機会にでも記事にしますね(ホントかなぁ
 
たぶん続く←(これまた信じられへん(笑))
 
 
いま夜中の1:25。
あと3時間したら
 
起きて本来のココに来た目的の
お仕事の船に行かないといけないので・・・
 
 
 
ほなまた
 
 
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