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Be Natural

気取りも なんのてらいもなく 
あるがままの自分を 感性の赴くままに
そんな独りよがりの書き捨て日記です。

”一筆書きの旅” ④Galicia州 A CorunaからFerrol経由でAsturias州Cudilleroへ

2023-06-23 17:24:46 | 旅行

ポルトガルほぼ最南端のFaroからSpain北西部のA Corunaまで

Aveiro, Porto, Vigoで電車、バス、バス、電車と乗り継いで 

約16時間半かけて移動した翌日

 

Vigoを出発した時点で既に目的地をCudilleroと決めていたため

どうせならEl Camino de Santiago(サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼地)沿いを走る

超ローカル鉄道Feveに乗ろうとルートを再確認すると

 

A Corunaを朝6:37発の電車でFerrolに向かわないと

次のローカル線は午後発のみ

またほぼ深夜にしかCudilleroに到着しないとわかり

 

深夜1時過ぎに寝たばかりなのに根性を出して朝に5時起床

6時にホテルをチェックアウトして

真っ暗闇で人っ子一人歩いていない道を競歩で歩き A Coruna駅に到着

始発のFerrol行に乗るためキップを買おうとしたのですが

現金の券売機は故障中

窓口はまだ開ける気配もなく

カード支払いの券売機のみ

ところがカードをタッチしてみても

日本のクレジットカード会社から

SMSで不正使用の疑いがあるため利用停止との連絡が入るばかりで

とうとう発車時刻が迫ってしまい

これに乗り遅れたら半日時間潰ししなくちゃいけなくなると

車内で支払いをしようと無理やり乗車(改札のない駅でした)

定刻Ferrolを出発し真っ暗闇の中を走っていたところ

突然小さな駅で停車して行き違い電車を待ってる様子

 

もしかしたらFerrolで乗り継ぎできなくなるかも とひやひやでした。

Ferrolを出て30分ほどした駅

Estacion de tren Beranzos-Infestaで何故か反対方向に走りだしまたまた大焦り

あとから”どんつき”駅で必ずスイッチバックする駅だと知りましたが

なんせFerrolでの乗り継ぎ時間わずか10分しかなかったので

ハラハラドキドキ 心臓に悪いわ~

 

やがて海が見え始め

 

Ferrolらしき町が見え始めてホッと一息

ところが結局Ferrolまで車掌は現れず

Ferrolの駅で事情を話してCudilleroまでの切符を購入

Ferrolは改札機があるのでキップなかったら乗れなかったなぁ

我が身の運の良さに感謝

このFeve 実はスペインでも超ローカル線

フランスからサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道沿いを走る

とっても貴重な鉄道なのでありました。

Ferrol Cudillero間の距離約200キロ 所要時間6時間 運賃は€19,35(2,919円)

狭軌の可愛い2両編成のディーゼル車

貴重なFeveの沿線の風景を地名でご紹介しますね

( )が画像の地名です。

 

(Naron)

田舎では家の敷地を石垣で囲い

その中で数頭の羊を飼っている風景がとても魅力的で

ついつい 日本に帰ったら羊飼っちゃおかなぁ

なんて想像してました。

 

草食べてくれるし、毛を刈ったら羊毛もとれるし

いざとなったらラムやマトンも食べれるし(たぶん愛情がわいて無理だろうなとおもいつつ)

 

ここはそこそこの町でしたが、さすが巡礼の道

こじんまりした可愛い教会が集落ごとにありました。

(Naron駅)

(Moeche)

教会の隣には 

こんな高層アパートのような集合墓地も

 

 

やがてFerrolから30分ほど町やのどかな集落のあるところを走っていたと思ったら

そこそこの急斜面を登り始め

走ってる本数が少ないからか

バシバシと枝にあたりながら走り続け

植林や林業の村や放牧の牧場とまた山間部を行ったり来たり

 

 

(San Sadurnino)

(Moeche)

石造りの家と広い庭が素敵だなぁと眺めたり

(Cerdido)

(San Claudio)

(Ortigueira)

(Rio Sor)

(O Vicedo)

(Covas)

(Viveiro)

(Cervo)

 

(Burela)

(Ribadeo)

やがて海を眺められるようになり

そこそこ大きな町も見え始めたと思った3時間後

 

車掌さんから乗り換えですよと告げられ

ホームの反対側に停車していた車両に乗り込むとすぐに発車

どうやらこのFeveはFerrolからOviedo間の所要時間7時間11分

 

同じ乗務員で往復したら15時間かかってしまうため

ほぼ中間の駅で折り返し

1日の勤務が8時間以内になるように調整している様子

 

Ferrolからの運転手は、必ず各駅で停車してたのですが

この中間駅からOviedoまでは、乗客の行先を車掌さんが調べて運転手に伝え

各駅のホームに人がいなかったら通過するようになって

勿論途中で減速して時刻は守っているものの

面白いなぁと眺めてました

 

 

 

(Castropol Vilavedelle)

この沿線で特に目についたのがこの石葺き屋根

最近はキレイにカットしてスレートのようにしていますが

古い建物は天然石そのもの

なんかとってもいい感じでしたが

偶然撮ったこの画像では穴が 

(Coana Mohias)

(Navia)

(Luarca)

(Valdes - Luarca)

(Valdes - Caneiru)

実は、時間があると次はどこへ行こうかと

Google Mapsの航空写真を眺めるのが一種の日課となっているため

今年の3月4月頃にこのスペイン北西部を調べていたところ

広範囲に山火事のマークがあって 

どうしたんだろ?と思いつつ

すっかり忘れていたため 焦げた木々や山肌をみてビックリ

たぶんその頃はFeveの電車も運休してたんだろうなぁ

いずれにしても無事鎮火してよかったなぁとホッとしました。

 

 

(Cadavedo)

(San Martin de Luina)

 

Ferrolを出発して約6時間後(正確には5時間45分)

ようやくCudillero駅に到着

この駅はやはりCudilleroを訪れる観光の利用者も多いのか

小さな駅なのにしっかりと駅員さんも常駐してました

 

Ferrolからのレアなルートを選んだため

1日に2本しかありませんでしたが

Gijon間は1・2時間毎に運行しているようです。

駅前には勿論タクシーなどなく

ルート検索して徒歩でCudilleroへ向かうことに

実は谷間に下ってゆく道で

駅からずっと下り坂

 

しばらくするとバス停があって 

この辺りでは大都市のOviedoからバスが運行されていました。

(ほとんどの公共交通機関を利用する観光客はこのバスを利用するようです)

 

実は、この日は

A Corunaで無事始発電車に乗れるか?

乗れてもFerrolで乗り継ぎができるか?

できなかったら また目的地を変更するしかないな

と思っていたため宿を手配しておらず

Feveに乗車中にネットで申し込んだらいいやと思っていたら

とうとうCudilleroまでネットに接続できず

ええい! 飛び込みで探したらいいさ!

としていたため

ずっと坂道を下り続けていたところ・・・

以前Cudilleroのことを調べていた時に

そこそこクチコミの良かった安宿のことを思い出し

飛び込みで「Tienen una habitacion libre?(空室ありますか)」と尋ねると

「€45でいい?」と聞かれたので

「Si, Muy Bien Mucho Gracias」と即答

部屋に案内してもらいホッとしながら荷物を降ろし

安心したら

朝昼抜きで空腹だったことを思い出し

その後レストランへ飛んで行くこととしたのでありました

 

【⑤に続く】

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”一筆書きの旅” ③FaroからPortugal縦断してスペインへ

2023-06-22 14:04:34 | 旅行

さて、Faroのコインランドリーから洗濯物をホテルに持ち帰ったところ

時刻は11:30

カップヌードルとポテチだけの朝ごはんだったので

そこそこ空腹感で”何か食べたいモード” 

 

怪しげな日本食レストラン(だいたい寿司バー)も数軒見かけましたが

『やっぱシーフードだよな』と 目星をつけておいた店に

ここは庶民的な店でリーズナブルなお値段で食べられるんです

 

店に入って席に案内されるのかと思ってたら

ショーケースに入ってる魚貝類からお好みの品を選んで注文してとのこと

注文して案内された席につくと

ハウスワインとパンとトマトのサラダが出され

さっそくワインを飲み始めたのですが

このトマトサラダがパンとの相性抜群

美味しかったなぁ

通された部屋には Jose Afonsoなる人物の

ポスターが飾られていて

調べてみると 左翼活動家でシンガーソングライターだったそうで

この店とどんな関係があるのかはわかりませんでしたが

熱烈なるファンかサポーターだったみたい

 

注文したのは、生牡蠣とアサリと赤貝のワインバター蒸し

それからまわりのお客がみんな食べてたのでつい追加で鰯の塩焼きとジャガイモ

パンとジャガイモは少し残してしまいましたが

満腹で大満足

膨らんだお腹を抱えながらホテルに戻ってみると

なんと気温31℃

部屋に戻ったら冷房から抜け出せず昼寝しちゃうだろうな

昼の旧市街の散策に出発

 

石畳の補修をしている光景に遭遇し

こりゃ大変だ と実感

こちらはFaroで人気のお土産屋

実はイワシの缶詰が売りで

FaroだけじゃなくてLisbon他でも買えると知って素通り

 

次に訪れたのがArco da Vilaという城塞

 

入口にはまたまたコウノトリの巣があり

それをそのままにしてるところがいい感じでした

ヨーロッパ各地でよく見かける旧市街の本丸って感じ

その中心の高台にある大聖堂

古代ローマ時代、イスラム支配下ではモスクが建てられ

12世紀にポルトガル王国となってから13世紀に大聖堂が建てられたんだとか

屋上がFaroを一望できる展望台になってるみたいでしたが

人がいっぱいだったのでパス

その前には日本と同じような赤い郵便ポストがありました

集荷時刻?

 

城壁を抜けて海側に出てみると

水上タクシーや遊覧船乗り場になっていて

いくつものボートツアーがありましたが

なんせ暑くて乗る気になれず またまたパス

ポルトガル建国とイスラムとの歴史を表してるタイルがありました

城塞の外周を半分ほど回ってから

また城塞内に戻り

博物館とFADOの演奏があるらしく興味をひかれたのですが

ちょうど昼の演奏時間が終わったばかりだったので またまたパス

カフェテラスもなんせ暑すぎて立ち寄る気になれず

お土産の露天商が並ぶ一角で

つい、ポルトガル風のタイルの鍋敷きとオーガニック石鹸を購入

 

その後、ミネラルウォーターを買いがてらスーパーマーケットを視察

 

果物類やポテト、玉ねぎ

生姜にキャッサバにレモン、ニンニクなど

ワインはお手頃価格なものがいっぱい

セルベッサ(ビール)に

 

ウイスキーやリキュール類

パン

冷凍食材(主に魚)

肉にチーズ

一応それなりにモノは揃ってるし

ヨーロッパのほかの国々と比べると全体的に安いのがわかりましたが

品質もそれなりな感じでした。

 

長期で生活するのはちょっと残念かも

 

ホテルに戻ってシャワーを浴び

クーラーを効かせた部屋で午睡を楽しんでから

夕食に出発

 

前日のFADOの響く路地のレストランもいいなと思いつつ

TripAdvisorで人気のレストランが気になり

飛び込みで入ってみたところ

運よく席が空いてたようで

ついそのまま着席

 

店主のオススメの白ワインとガス入りミネラルウォーターを注文

これはイワシのパテでしたがパンに塗って食べたら最高

注文したのは マテ貝と

シーフードリゾット

正直な話、感動するほどの味ではなかったかな

お会計は、€56.70=8,547円でした。

美しい夜景を眺めながらホテルに向かって歩いていると

なにやら人だかりを発見

なんとテキーラと生バンドが売りのメキシカンレストランバー

お腹はいっぱいだし、行列してたのでパス(笑)

 

FADOを聴きたいなと前日歩いた路地に行ってみても

土曜日は閉めてたり閑散としていたので

諦めてホテルに戻り早めに就寝

 

翌朝、7時発の電車に間に合うようにと

コンビニで買っておいた菓子パンとコーヒーで朝ごはんをすませ

寝室の窓からみえるこれから改装工事する様子の古い建物に別れを告げて

ホテルをチェックアウト

駅に停車していたFaro始発の特急電車に乗り込みました

これが車内

よくある固定式の椅子で

 

良いのか悪いのか

4人掛け対面シートの窓側の席(進行方向が背中)

ラジオが聴けたり

窓のブラインドは電動

読書用ライトがありました。

ちなみに最高営業速度は240キロ+

Faro付近はこんな感じ

少し北に上ると コルク樫だらけ

(樹皮がコルクになって剥いても再生するらしいです)

Faroから3時間後 Lisbonに到着

 

Lisbonは首都なので日曜日にもかかわらず

Faroを出発時には3割程度の乗客だったのが途中の駅から乗り込んできた乗客でほぼ満席

 

ほとんどの乗客が下車してホッとしてたらLisbonから乗り込んできた乗客で

またまた満席

 

ほとんどが外国人観光客(会話が英語だったので)でPortoに行く様子

やっぱりオーバーツーリズムなんだなとちょっとガッカリ

そのうえ、Faroではそんなに気にならなかったのが

Portugalって国はSpainのお隣だし

Espanaのちょっと田舎な雰囲気だと思い込んでたら

Spainが南米やフィリピンを植民地にしていたのと全くことなり

 

インドのゴア、中国のマカオ、

アフリカ東海岸のアンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウ

そして南米ブラジルにオセアニアの東チモール

 

その名残からか黒人比率が高くてビックリ

長い歴史の中で溶け込んでいるようにも思いながら

やはり差別は受けていたのかなんとなく暗いイメージ

 

Aveiroで下車して漁港で美味しい魚介類でも堪能しようと思っていたのですが

すっかりポルトガルに食傷気味となってしまい

 

いっそのこともうスペインに行っちゃえ

とAveiroで長距離バスを調べてみると

 

スペインのALSAでVigo行がみつかり

ネットでは購入期限を過ぎていたため

バスターミナルで乗車券を買おうとすると

日曜日で午前中休業(12:15)

仕方なく到着したバスの運転手に現金かカードで買えないかと尋ねると

”ダメ”の一言(12:30)

その直後にFlix Busが到着したため

またまたドライバーに話すと”オンライン以外では乗れない” とすげない答え

 

その1時間後にもFlix BusがあってPorto経由でVigoまで行けるのがわかったため

慌ててネットでチケットを購入することができました

 

13:45 Aveiro発

14:35 Porto着

このPortoのバスターミナル

まさしくオーバーツーリズムで座る椅子も休む場所もなし

 

土産物屋で時間潰ししてみるものの買いたいものもなく

(コルク製品が欲しかったのですが安物のポーチしかなく断念)

無茶苦茶大きなパンピザと白ワインでお昼にしてみましたが

白ワイン不味かった~

待ちくたびれて嫌気がさしたころ Vigo行のバスが到着

16:45Porto発

Portugal最北部の小都市Bragaに停車したのち

20:14ようやく海が見えてきて

20:20Vigo到着

Vigoが思いのほか大きな街だったので

この時点で目的地をCudilleroに決定

 

そのまま鉄道駅に移動してA Corunaまでのキップを購入して

21:35発の特急に乗り込み

23:30 電車の中で予約しておいた

A Coruna駅前のホテルにチェックイン

朝5時起きしてFaroから電車とバスでイベリア半島西端をほぼ縦断

 

車窓からの景色を堪能したけれど長かった~

 

でもいつもながらの行き当たりばったり旅

乗り換えができるか泊まる宿はみつかるかと

ハラハラドキドキの連続ですが

刺激があって超面白かったです

 

【④に続く】

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"一筆書きの旅"②Holland RotterdamからPortugal Faroへ

2023-06-22 10:43:33 | 旅行

初日の研修を無事に終え

Rotterdamの後の予定をどうしようかと思案

 

5年前はRotterdamから英国に渡るフェリーがあることを知って

Scotlandを訪ねることにしたのですが

 

今回は、帰路はBrusselだし

はっきり言ってオランダから東は行き慣れた場所ばかり

西も陸路でフランスじゃあ面白くないしなぁと地図を眺め

 

面白い交通手段はないかとアレコレ探していたところ

Rotterdamにも空港があるのを発見

田舎の小空港でLCCの737クラスの飛行機ばかりながら

主にオランダ人の旅行先へのアクセスとして利用されているようで

 

就航先は、東はオーストリア 西はスペイン、ポルトガル

南はエジプト、モロッコ  北は英国、フィンランド

50都市に行けることがわかり

 

3年前にコロナの感染爆発で這う這うの体で帰国してしまった

Spainへ行こう と思ったのですが

 

運悪くSpainのAndalucíaは異常気象で猛暑となり

外出禁止令が出ているのをネットニュースで知り

外を歩くのも苦労するような気候じゃあ諦めるしかないなと

 

写真を眺めていたところ

”Faro”の地名が目に留まり

調べてみるとポルトガルのほぼ最南端の町で

ポルトガルでのイスラム勢力終焉の地

 

Sevillaからも遠くなく、バスでも行けると知って

とりあえずFaroまで行ってから

やっぱりAndalucíaに行ってもいいし

ジブラルタルからモロッコに渡るのも面白そうだなと即決

 

夜中のうちに翌日のフライトを予約してチケットを購入

時差ボケで夜中に目覚めてしまったのを幸いと

荷物のパッキングしてから朝まで仮眠

 

翌朝、シャワーを浴びて身支度を済ませ

前夜スーパーで買っておいたクロワッサンにハムとチーズを挟み

部屋のインスタントコーヒーで朝食

 

水上バスの時刻にあわせてチェックアウト

 

前日、間違えて10分前に出航する20系統の風車の景勝地(Kinderdljk)方面行に乗ってしまったため

取引先方面に向かう21系統の電光表示と出航時間を再確認して乗船

 

この日は、対岸の客船ターミナルにドイツAIDAの客船が着岸してました。

 

このAIDA、三菱重工が1隻あたりたったの1000億円でダンピングして受注したと欧州で陰口を叩かれ

結局”なあなあ”で少々の仕様変更があっても大丈夫だろうとの日本人的感覚でいたのが

勝手な変更など絶対に許容しないドイツの会社の逆鱗に触れ

設計変更からヨーロッパの職人を呼んで内装のほとんどをやり直しすることになって

納期遅れに輸入資材の購入などで2隻で累計2500億円の損失を出し

結局三菱重工の創業の地長崎造船所が大型建造から撤退することとなった因縁の会社の船なんです。

 

背景には、大型クルーズ船ブームがくると予想されていたため

その昔、客船を建造していた実績から

赤字となっても授業料を払ったつもりで経験を積み

付加価値の高いクルーズ船建造ブームに乗ろうと目論んだようでしたが

 

まあ、あそこまで巨大化して組合も強くなりすぎて組織が活性化できなくなると

社内では誰も責任をとらず、問題があったら下請けになすりつけるだけ

”天網恢恢疎にして漏らさず”

 

おっと、つい日頃の不満を爆発させちゃったりして

 

(高いビルの右横にある古そうな建物がHOTEL NEW YORK、

その昔大西洋横断する客船を利用する客で賑わった由緒あるホテルです)

こちらはアメリカでもよく見かけるタイプの古い鉄道稼働橋

いまは地下のトンネルの迂回路ができているため

歴史的建造物としてモニュメントのような存在となってます。

 

取引先のある場所は、近くに造船所もあるため元は主に船舶関係の工業団地

Rotterdamから川で10キロ、河口から70キロ離れた場所にあります。

通勤での利用者が多いのか、いつもそこそこ乗降客がいるんですよ

そんな背景もあってほとんどみんな自転車通勤(笑)

↓ここは前日も5年前もランチに連れてってもらうお店。

ウォーターフロントで眺めがいいからかいつも満席なんです

水上バス以外にも地下鉄と工業団地を結ぶバスがあって

操車場では電気バスが充電しました。

(あんな風に充電するんだとビックリ

 

実はこの日は金曜日で、コロナ禍もあってか

アメリカでもそうでしたが製造業の工場は週休三日となっているようで

研修のためにわざわざ出勤してきた様子だったので

 

ランチのお誘いをしていただきましたが迷惑をかけないように

午前中で終わることにして水上バス乗り場に送ってもらいました。

 

ご参考までに

水上バスは、停留所で係船ロープの作業やタラップを上下する車掌さんがいて

運賃はクレジットやデビットカード、バンクカードで支払います。(現金不可)

私がいつも使うRotterdamからKrimpen a/d IJsselまでは距離にして約10キロ

乗船時間20分で€2.40なんですが

朝みた客船のお客で水車群を見学した帰りのグループがいて

車掌さんがあれこれと観光案内してたら終点に到着してしまい

着岸や乗降作業でとうとう検札に来れなかったので、

下船する前にクレジットカードを見せて

「まだ払ってないけど?」というと

「オマケしときますね」と€1.58にしてくれちゃいました(笑)

その緩さが好きだなぁ~

これは近くの浚渫船建造に特化した造船所と係留中の浚渫船

ヨーロッパは海岸線に港があることがなくて

川の河口や、川を使ってフランス、ベルギー、オランダ、ドイツの内陸部まで

船が貨物輸送の要となってるため浚渫の需要も桁外れ

 

取引先でもこの浚渫作業が高圧空気で

川底、海底の泥を吹き飛ばして吸い込むらしく

へぇ~っ勉強になるなぁと感心しながら眺めてました。

こちら↓は海底油田のプラットフォームへの物資を供給するサプライボートの造船所

オランダ=造船(特に大型商船)ってイメージがなかったけど

地域に特化した需要があるんだなぁとこれまた勉強になりました

 

これは川を遡ってドイツまで2週間かけてクルーズする客船

橋の下をくぐるため高さはありませんが

外洋と違い波の影響を受けないため半端ない長さだったりします

ホテルに戻ってから

飛行機の時間まで余裕があったので中心地を散策しようと歩いていたら

↓ こんな面白い看板を発見して大笑い 

なかなかやるなぁオランダ人(笑)

これはたぶん月極の駐車場

鍵でロックを解除して駐車するみたい

こちらはこの先にあったホテルに滞在していた有名な哲学者で政治家で

チェコスロバキアの初代大統領でもあったマサリクなる人物のモニュメント

横のスコープを覘くとその爆撃されたホテルの跡地がみえるらしいのですが

その辺りの歴史に疎いので ふぅ~んと頷くだけでした

Rotterdamは変わった建築が観光の目玉のひとつで

この正面がその代表格のキュービックハウス

手前には船齢100年超えた船が係留されていて

博物館でもあり、実際に住居として使ってたりします。

小さな運河には、元は艀でいまは住居して使ってる古い船だらけ

昔の横浜元町の大岡川を彷彿とさせられました。

 

これはその艀の住人の自転車用ガレージ

歴史を感じさせる橋もあって

その先には変わった灯台のような船

(いまはレストランになってました)

古い運河はほぼ古い船を係留している博物館になっていて

船の仕事をしている身としてはとっても楽しい時間が過ごせました

 

さすがはヨーロッパ最大の港を有するRotterdam

面白かったですよ~

 

どこかのカフェでランチをと思っていたのですが

市街地は客船のツアー客でごった返していたため

諦めてホテルに戻ってランチ

この日もオープンサンド(玉子サラダ&焼き鯖)とアサリのスープ

美味しかったです

ホテルに預けてた荷物を受け取ってトラムに乗って出発

この日も有効期間2時間の乗車券をクレジットカードで買って

ロッテルダム中央駅で下車して

Rotterdam空港行の電気バスに乗車

普通の路線バスなので住宅地などをまわって

30分後に到着

ランチを食べてからさほど時間がたってなかったのですが

Faroに到着するのが夜だし、とりあえず食べれるときに食べとこうと

Fish &Chipに白ワイン

LCCのTransaviaに乗り込みました

因みにRotterdam→Faroの運賃は、€190(29,000円)

当日に購入したのでちょっと割高でしたが

まあ許せる範囲かな

フランス上空からピレネー山脈を越えて約2時間半後

イベリア半島南方らしい乾燥した大地が見えはじめ

やがて幾何学模様のようなラグーンが見えたと思ったらFaroに到着

懐かしDC-9っぽい古き機材が置いてあってビックリ

続いてエプロンからBA(British Airway)やその他欧州各国の飛行機が駐機していて

Faroがヨーロッパでも人気のリゾートなんだと知りました

ターミナルビルはそこそこ年季が入ってて不便な印象でしたが

タクシーの運ちゃんがとっても親切で

ポルトガルの第一印象はバッチリ

当初は、Faroは単なる通過点と思ってたのですが、

都会より田舎の方が好きなのとまずはFaroを堪能しようと

連泊することにしてこのHotelを選びました。

ただ、このHotel,3年前のラスパルマス同様

一種の民泊風システムで

Self Check In

事前に教えてもらってる暗証番号で玄関を開き

中にあるSafe (鍵専用のダイヤルロック式容器)から鍵を出し

自分の部屋を開けるシステム

初めての時は少し面倒に感じますが

慣れると結構便利

宿泊費は、部屋代と最終クリーニング代で€263でした

(40,000円+)

荷物を片付けてシャワーを浴びてから

ちょっと探検に

この旧市街の雰囲気、イスラム文化の名残もあって

なかなかいい感じでした

この黄色い照明のある小道はレストランが並んでいる場所で

路地に響くFADO(ポルトガルの民族歌謡)

物悲しいギターと歌が無茶苦茶良かったですよ~

https://www.youtube.com/watch?v=JkXjoL7s948

感じのいいレストランやカフェがあったので入りたかったのですが

Rotterdam Airportで食べた Fish &Chipsでまだ食欲が湧かず断念

 

仕方なくコンビニでビールとワイン類を買ってホテルに戻りました。

 

翌日はのんびりと部屋でカップヌードルで朝食

 

土曜とあって閑散としていたので

洗濯物を持ってコインランドリーに行くことに

 

途中で不動産屋がいっぱいあることに気づき

主に別荘用の物件が多くて リゾート地なんだなぁと再認識

少し歩くと 空港バスやローカルバスのターミナルがあり

その隣が鉄道のFARO駅

タクシーにレンタサイクル、レンタル電動キックボードがありました。

駅の先にあるコインランドリーに到着して

洗濯物を放り込み

時間を持て余して 駅に戻り

こりゃ2泊したら十分だな と

とりあえずポルト手前のAveiro(ポルトガル最大の漁港)へ行こうと

特急電車のチケットを購入

それから石畳だらけの旧市街を散策

古いFiatと教会のチャペルが似合うなあと眺めていると

コウノトリの巣があってビックリ

そのまま美味しそうなレストランやカフェを探しに

Faroのシンボル的存在のカルモ教会を眺め

観光用の地図で改めて旧市街の狭さを認識

その後、Portugalの長距離バスのターミナルをみつけ

 

どんなルートがあるのかなと眺めてから

切符売り場でAveiroからスペインに行けるバスはないかと尋ねると

『Espana? 無いよ』と冷ややかな返事 

 

よくよく調べてみると

ドイツ起点でヨーロッパ中を網羅してるFlix BusとスペインのALSAがあるんだけど

このバスターミナルには立ち寄らない様子

 

さて、じゃあAveiroから先はどうしようかな

と思いながら 洗濯物をもってホテルに戻るのでありました。

 

【③に続く】

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"一筆書きの旅”【2023年5月欧州】①出国からブリュッセル経由でロッテルダムまで

2023-06-14 15:19:25 | 旅行

【いつもながら備忘録を兼ねて出発までの背景もダラダラと書いていますのでご注意ください

 

このブログでも以前スコットランドへの船旅と共に紹介した

2018年の6月に訪れ、その後日本の代理店を引き受けることになったオランダRotterdamの会社

 

偶然だったのか必然だったのか

代理店となって約半年後の2018年の12月に

突然JR九州の高速船Beetleの首席機関長から電話を受け

聞くとBeetleの後継船をオーストラリアで建造することになり

造船所から勧められたエアコンプレッサーがオランダ製で

その代理店が御社と聞いてアフターサービスをお願いできますとの質問

 

勿論、弊社が代理店を賜っているので対応させていただきますよと回答し

そのコンプレッサーが無事採用されたのですが

 

建造中に新型コロナが蔓延したものの

2020年に船も無事完成して日本に回航となったのですが

予定していた博多~釜山航路は再開できるかわからない休航状態

 

船主であるJR九州も試行錯誤して近距離のクルージングで動かしていたものの

ほとんどの時間博多港に係留されていたこともあって

メインテナンスの運転時間に達せずに保留のままだったのですが

 

2022年6月にようやくコロナ禍もひと段落して外国人観光客の受け入れも再開し

ようやくQueen Beetleも博多~釜山航路に就航

 

コンプレッサーの運転時間も定期メンテナンスが必要となって

保守整備の実施と取扱い指導をして欲しいとの依頼を受けたのですが

 

5年前に現地を訪問して軽く会社と工場、運営体制を視察していたものの

実際に機械に手を触れてなかったこともあって

 

そんな状態で分解や組み立てをするのは無責任だな

オランダの会社に実習をしたいから協力して欲しいと依頼したところ

即座に快諾

 

そうして3年ぶりに欧州へ出発することとなりました。

 

今回の旅は、第一の目的地がRotterdamで

5年前同様KLMでAmsterdamからが便利なのですが

現時点ではまだ関空へのアクセスが不便なのと

(奈良からのバスは全便運転見合わせ

(電車を乗り継いで行くにしても大阪市内で前泊しないと難しいんです

 

それならマイレージやコインが貯まっていたANAでBrusselに飛ぶのも良いな

日本国内での乗り換えが面倒と思いつつ

まず伊丹から羽田へ飛ぶことに

 

16:16 大和西大寺駅から空港バスに乗車

コロナ禍の間に、空港バスの状況も激変

関空行きは前述のように未だに全便運休

伊丹行きも最寄りが集約され大和西大寺駅前のみとなってしまいました。。。

伊丹空港到着後

大好きなヨーロッパで酒飲みまくるだろうなとアルコールを控えるつもりだったのに

意志の弱い人間なので ラウンジのタダ酒をつい一杯

そんなこんなでほぼ定刻どおり羽田に到着したのですが

いまや滑走路が4本もあって、

それもターミナルを挟んで2本が並列しているため

同じ時刻に真横に同時にアプローチしている飛行機をみつけてビックリ

いずれ別の飛行場が必要となっただろうけど

あんな過激派が入り込んで闘争となって

いつまでもたぶん数千人規模の警察官が駐在したり

空港に入るために至る所に検問をつくらないといけなくなった

成田にしなくても良かったんとちゃうん と改めて首を傾げちゃいました。

羽田空港からは、京急であっと言う間に品川へ

 

実は、1979年に新社会人になったばかりの頃

京浜東北線から直通で行ける横浜の根岸線山手駅近くにアパートを借りていたため

独りで家に帰ってから晩御飯を作るのが面倒で

よく品川駅の常盤軒で済ませていたのを思い出し

懐かしのカツカレーを注文

たしか昔はチキンカレーベースでその味が好きだったのに

いまはビーフみたいでちょっと残念

 

続けて当時も同時に食べてたかき揚げ蕎麦を注文したかったのですが

『あのジイサン、いい年して大食いだなぁ』と思われかも と

その日の泊まり先のある神田駅まで我慢して

 

神田駅構内の蕎麦をいただいたのですが・・・

駅ソバはもっとチープな感じでいいんだけどなぁってのが個人的な感想

(考えてみたら10年くらい前にも同じの食べてたなぁと思い出しながら)

あーだこーだ言いながら

その日の宿(?)ネットカフェの鍵付き個室にチェックイン

昔は、成田発の欧州便でも伊丹発7時代のフライトがあって

当日の乗り継ぎができたのですが

最近は伊丹発成田行きが午後便しかなくなってしまい

ANAの成田発欧州行はBrusselのみですが

ぜったいに前泊しないといけなくなっちゃいました

 

ところがインバウンド観光客が激増してホテルを予約するのも困難

値段も馬鹿みたいに高額で

そんなら駅に近いネットカフェの鍵付き個室でいいや!って感じなんですヨ。

 

朝ごはんは、空港のラウンジで食べたらいいやと5時起きして京成上野駅に移動して

これまで成田へは

昔はそれこそ東京駅から箱崎乗り換えの空港リムジンバス

東京駅で新幹線に乗り換える時は成田エクスプレス

羽田~成田の当日乗り換えなら空港間のリムジンバスだったので

実は生まれて初めてスカイラーナーに乗車

 

成田空港に到着してすぐにチェックインを済ませ出国手続きも済ませ

まだ開けたばかりのラウンジでガッツリと朝ごはんとしました

成田と羽田の国際線ラウンジに行くと

ついついガッツリ食べて飲んでとタガが外れちゃうんです。

そうこうしてお腹いっぱいで搭乗すると

なんと満席

通路側の席を確保していたのですが

窓側とその隣はスペイン人の熱々のカップル

 

気を遣わせないようにVODで映画観まくることにしました

機長のアナウンスでウクライナ情勢からロシア上空と飛べないため

アラスカから北極、グリーンランドを抜けると聞いて

トイレに立つたびに窓から様子をうかがっていたところ

高度をかえてほぼ並行して飛んでいる飛行機を発見

たぶん同じように極東アジアから欧州に向かってるんだろうなと得意の独り合点

ソ連が崩壊してからずっとロシア上空からヨーロッパへの航路だったので

次の映画の間にワクワクしながらマップで位置を確認

そうしてたらCA達も非常口の窓からスマホで写真を撮ってるのをみつけ

のぞいてみると

グリーンランド上空でした

結局、約13時間超の間一睡もせずに映画を6本観てBrusselに到着

 

Brusselは3年半前に英国のDoverに行く時に

直通電車のEurostarを利用するために使ってたので

勝手知ったる場所なので楽々

ベルギーが目的の乗客が少ないので、入管も荷物の受取もあっと言う間

(他の乗客はハブのため、Transitゲートに行くから)

 

空港ターミナルビルの地下にあるベルギー国鉄の切符売り場で

Rotterdamまでの切符を購入

[運賃は、€43.20とありますが、この他にIC(特急)料金がかかります]

 

1番プラットフォームから18:11発のAmsterdam行に乗車

何度か訪れてるAntwerpを通過して

約1時間半後 Rotterdamに到着

下調べしておいたトラムでホテルに向かったのですが

キャッシュレスが徹底していて

現金では切符が買えず

そのうえ交通系カードを持たないと

有効時間内乗り放題チケットになるので近距離では割高なんですよ。

(因みに2時間内乗り放題券は€4.50=700円弱)

今回の宿は、トラムの支線の終点で水上バス乗り場の真横のこのホテル
(5年前にアクセスに便利だなと次の訪問時の宿と決めてました)

約1月半前にネットで予約してあったのですが

最初の1泊のみ予約有効期限内に支払い

もう1泊は現地払いにしたら

1泊目 約15,000円

2泊目 約18,000円

円安もあるから仕方ないのかなぁと思いつつ

オランダ人ってバカでかい人種なのに 

ホテルのシングルベッドは無茶苦茶狭くていつもビックリ

ホテルの自販機で飲物を買おうとしたところ

フロントのオネーチャンが

「ホテルのは高いからスーパーで買った方がいいですよ」とのアドバイス

それならばと外出したのですが口頭で説明された道案内

(ホテルの玄関出て左に曲がってその先でまた左に曲がって広い道に出たら右に曲がった先)

を適当に歩いてたら店屋の全くない場所に出てしまい

 

古いマリーナに歴史ある船会社や税関、広い公園など見どころや

レストランやカフェも沢山ありましたがスーパーマーケットはみつからず断念

 

カフェでビールでも飲もうかな?と一瞬迷いましたが

翌日は研修なのでアルコール抜きの夜とすることに。

ホテルに戻ると 変わったトラムが停車していたので覗き込むと

どうやらレストラントラム

生まれ故郷の豊橋でも 冬は”おでん車” 夏は”納涼ビール電車”を走らせてるけど

きっと真似したんだろうな

ということで、日本でネットカフェを出てから丸24時間起きっぱなしの後

よくやく就寝

 

翌日は、水上バスに乗り遅れないようにと早起きして

砂糖たっぷりのインスタントコーヒーを朝食代わりにして

ホテルを出発

水上バス乗り場に行ってみると

コロナが影響したのかなんなのか

メインの航路しかなくなっちゃってました。

電光表示板があったのに

つい予定時刻前に来た水上バスに乗り込んでしまい

『あれ~、観光客が多いなぁ』と思ってたら

車掌さんから、その場所は10分後のだよと言われ大焦り

次の停留所で乗り換えれるからと教えてもらいホッと胸をなでおろしました。

乗降客のいない停留所で待つこと10分

水上バスが到着

その後、下船する停留所に到着し

5年前を思い出しながら訪問先の会社へ

アポイント取ってた9時ちょうどに到着

 

午前中の研修を終えると

前回同様、ランチは設計担当者とアフターセールスの部品担当者がアテンド

朝ごはん抜きでしたが ボリュームたっぷりで大満足

ヨーロッパの工場もブルーカラーの勤務時間は早朝から午後3時くらいまで

特にサマータイムの時期は夕方からでも生活をエイジョイできるように

早めに終業するので、CEOが車でロッテルダムを案内してくれました。

 

こちらはRotterdamでも珍しい 小麦の製粉所に使われていた風車

(一般的な風車はほとんどが灌漑用なんですよ)

一時はレストランになってたけど、閉店したんだとか

そのすぐ近くにあるのが 地元ではランドマークになってる水門

この辺り、住居のある場所が海抜-12mとかで

Rotterdam市街は河口から60km離れた内陸部なのですが

大潮の時期などに堤防を越水して洪水にならないように

年に数回閉めるんだとか

そのほかにも市内を案内してもらってから

予約してくれていたレストランで夕食となりました

お昼前に 何が食べたいか?と尋ねられ

5年前に食べてとても美味しかったムール貝のワイン蒸しをと伝えたところ

ムール貝(Mussul)の名前のついたレストランを予約してくれていたのですが

 

どうやら牡蠣同様、”R"のつく時期が旬で新鮮なムール貝は食べられないと言われたそうで

口がすっかりシーフードになっていたので魚を注文したところ

舌平目のムニエルでした(これで€23もするんですよ

 

その後ホテルまで送ってもらい

まだ時間が早すぎたのでホテル周辺を散策

 

前日見つけられなかったスーパーマーケットにも行って

ミネラルウォーターやビール、ワインを買ってホテルに戻り

寝不足だったので早めに就寝としちゃいました。

 

 

【②に続く】

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感化されやすいヤツなので”エガちゃんねる”にハマる。【呼子で朝御飯の旅】

2023-03-05 14:38:21 | 旅行

つい先日

Googleの検索ページに表示された記事

【江頭2:50の伝説のスピーチ】

https://www.youtube.com/watch?v=7BmNp1L612Q

 

 

なんせ単純な性格なので

ムチャクチャ感動してしまい

そこから【エガちゃんねる】の存在を知り

https://www.youtube.com/@EGA-CHANNEL

 

あまりの面白さと実は優しい人間性に好意を抱き

これは応援してやらねばと

すかさずチャンネル登録

 

それから数日

エガちゃんのYouTubeばかり観ていたところ

”佐賀県へ弾丸朝めし”なる回をみて

https://www.youtube.com/watch?v=qETZdAUKhEo

 

羨ましいなぁと思っていたところに

 

運よく(?)またまた九州の仕事の依頼が入り

『これはその朝ご飯を食べてきなさい』って神のお告げだなと

勝手に己に言い聞かせ訪れてきた

いつもの独りよがりの旅の記録です。

 

当初、出張先が福岡県といっても東端の周防灘沿いの行橋市の苅田

 

同じ九州といっても佐賀のそれも呼子までは遠いよなぁ と

新幹線で小倉へそして在来線で苅田に行って仕事を済ませ

苅田からはソニックで博多に出て地下鉄で唐津まで行き

レンタカー借りてもいいかな と思っていたのですが

 

乗り換えが面倒だし

やっぱいつもの阪九フェリーで自家用車で行っちゃお

と奮発してデラックスシングルを予約したのですが・・・

な、なんと旅行支援とシルバー割(20%)もあって

車込みで実際の支払いは14,000円少々

フェリー乗り場までの高速代とガソリン代が別途かかるものの

 

近鉄、JR環状線、新幹線、鹿児島本線でも15,120円なのでほぼトントン

地域振興のRegion Pay2,000円をいただけるので

ホントにリーズナブルなんですよ~

そのうえ、シングルルームなので快適そのもの

往路は3月1日の平日だったので まだガラガラでゆったりと過ごせました

クーポンを使って その日の夕食代はロハ

 

翌朝6:00新門司に到着し とりあえず南下して行橋に向かい

仕事先近くのうどん屋で朝食(九州での定番”ゴボ天”うどん)

機器の点検だけの仕事だったので

08:30~10:30で仕事を終えてしまったので

善は急げと

すかさず九州道にのり、途中の古賀PAで昼ごはんを食べて福岡ICから都市高速と

西九州道で13:30に唐津到着

実は、唐津は3度目の訪問

15年ほど前、福岡在住の♀友達から唐津城に連れていってあげると誘われ

その頃購入したばかりのツーシーターのベンツに乗せて貰い

唐津城を歩いたりイカ料理を食べさせてもらったのが最初で

その後も伊万里の沖にある福島(実は長崎県)のLPGの基地に入港するタンカーの仕事が入り

その時は電車で唐津まで行き、タクシーで福島に行くのが便利と聞いて

唐津市内で前泊したのが二度目で約10年前

 

 

その後は伊万里や福島の仕事があっても北九州の角打ちや昼夜食堂に行くのが楽しみで

唐津は車で通過するだけになっちゃってました

 

大好きなこころ旅でも正平さんが訪れてた呼子には

いつか行ってみたい気持ちはあったんですけどねぇ

 

そんなことを思い出しながらその日予約した唐津のホテルに到着したものの

一応早朝起きして仕事したのと運転疲れで


近所のスーパーマーケットで食材を買って

ホテルから出ることなく過ごし

翌朝、ホテルの朝食を食べてから出発

(ホテルも旅行支援で朝食付きで4,300円ほどで宿泊できちゃったんですよ)

8時に出発したため朝の通勤ラッシュに巻き込まれながらも

約30分ほどで呼子の朝市に到着

07:30~12:00までの朝市ながら

平日のそれも冬とあって

お客は勿論、店もほとんどなくガラッガラ

流石は玄界灘の漁村

ムラサキウニとアワビを売ってたり

しばらく歩いたところで

エガちゃんの立ち寄ってた 干物屋さんを発見

その前の干物の焼き物の店で

エガちゃんも食べてた スルメとニシ貝を食べてみましたが・・・

ビール抜きで食べるもんとちゃうなぁ

(一串600円の観光料金だし)

商売上手そうな店の人から

お土産やイカの塩辛を勧められたものの

なんせへそ曲がりな性格なので薦められると欲しくなくなっちゃうんですねぇ

(冷凍なので持ち帰りは面倒だったのもあるんですけどね

 

それよりも干物の方がいいかなとアジの蜂蜜干しと塩干し

愛猫のクロっちへのお土産にいりこを購入

アジの干物は大きさで枚数が変わるんだけど

買うと伝えると

横に置いてある箱から

「傷モノだけどオマケ」

と言って2.3枚

必ず足してくれる優しさ(笑)

エガちゃんねるでも

優しい人柄が出てたけど

気持ち良い買い物ができました


その後は

ホテルで朝御飯しっかり食べてたのもあって

エガちゃんじゃないけどお腹いっぱいで

 

サザエの壺焼きも後で食べたくなったらでいいやと素通り

なんとかお腹を空かせようと

朝市通りを直進して

呼子の名所のひとつ

中尾家屋敷を眺め

「中尾様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と言われたとの説明をみて

『あれ?どっかで聞いたセリフだなぁ』と

笑っちゃいました

 

山形の酒田の本間家でもそう言ってたよなぁ

アッチが本家だろうな


と笑っちゃいました

 

三大朝市といい、真似や偽装はダメですよ~

この古い郵便ポスト

観光用なんだろうけど

未だ現役

その先を歩いていたところ

大綱引き通りなる表示と

呼子大綱引会館をみつけ

そんな行事と発祥の由来があったんだとビックリ

なんせね、この通り

漁村の狭い曲がりくねった路地なので

どうやって綱引きするのかなぁとそっちの方に興味が湧いちゃいました

そこから漁港に出て

魚を干してる風景や漁船

漁村でよくみかける大黒様や

大型のイカ釣り漁船

製氷機のタワー

階段つきの浮桟橋を眺めて

さぞや干満の差が激しいんだろうなぁとか

イカの形をした観光船や

離島への交通艇が何隻も

なんてことない漁港の風景ながら

のんびりと過ごす時間が心地良かったです


もしまた来ることがあったら

離島に泊まるのもいいなぁと眺めてました

ネットで調べたら

離島の民宿だとイカだけじゃなくて魚介類を堪能できる宿だらけ

(ただ、山盛りの魚介料理を楽しむには4人程度での予約が必要みたいです)

その先に 

派手な観光船を発見

形からたぶん半潜水型のグラスボートだろうなぁとの予想が的中

 

もう20年ほど前からイランの親友が

グラスボートの中古あったら買いたいと言ってるので

全国各地でグラスボートやこんな海中展望船をみつけると

つい気になっちゃうんですヨ

石垣島の川平湾や

与那国島の浜に放置してあった

グラスボートを眺めたものでした

 

その先は、広い駐車場のある場所とあって

遊漁船だらけ


最近の釣り船はモダンですねぇ

 

こりゃあ、ヘタしたら億超えだろうなぁ

この右側の船は

水上警察のもの

海上保安庁の巡視船は見なかったけど

警察の船はあるんですね

そんな風にブラブラ歩きしていたところ


途中で猫のケンカをみつけて

『コレコレ、それくらいでやめときや』と声かけたり

延縄の準備をしている親子に

「写真撮ってもいいですか?」と許可を得て

枝縄に餌をつけてる様子を

じっくり眺めさせてもらったり

別の半潜水型観光船をみつけて

構造や材質、建造費を尋ねたり

(塗装してキレイにみえますが、なんと約30歳の老朽船で当時で1億3千万円ほどしたんだそうです)

イカの形をした

七ツ釜巡りの観光船は

7,000万円だったとか

親切に教えてくれました

 

そうこうしてそこそこ歩いたのですが

まだお腹が空いてこなかったので呼子漁港を離れ

肥前名護屋城を見学してみることに

秀吉が朝鮮出兵するときの拠点とするために

全国の大名や民衆を使って

大阪城につぐ巨大な城を

なんと5ケ月ほどで築き20万人ほどが暮らす都市だったんだとか

こちらは三ノ丸にあった

井戸の跡

やはり山城とあって

水には苦労したとの説明がありました

天守跡からは

周辺の離島はもとより、壱岐や対馬も目の前のように眺められるんですよ~

 

リアス式の天然の良港で 三方を海に囲まれ

朝鮮や民への交通の要所がこんなところにあったとはと

心底ビックリしちゃいました。

秀吉の死後

城も放置されていたらしく

ところどころ石垣が崩れてましたが

なかなかの規模に驚かされ

若い頃にこんな場所を知ってたら

デートコースに選ぶの間違いなし


いい雰囲気になれるだろうなぁと


もうすっかり爺さんになりながら

そんな妄想してしまいました(笑)


そんなこんなで 

ちょっとだけ立ち寄るつもりが

景色も良くてついつい1時間半ほど滞在してしまい

 

慌てて、呼子で一番の楽しみにしていたイカの活き造りを食べに

エガちゃんねると同じ店へ

朝市でまだお腹が空いてなかったので残念でしたが

アオリイカのお刺身を堪能させていただきました

(いか活き造り膳2,860円でしたが、クーポン使って実際のお支払いは860円のみ

分厚くてコリコリで

甘い九州の刺身醤油でも最高

ゲソ天ぷらもむっちゃ美味しかったけど

ビール飲みたかった~


 

帰りは門司の出航時間の遅い神戸行きに乗ろうと思っていたのですが

3月3日となって高校卒業後の卒業旅行や

旅行支援でのシニア連中の団体などでフェリーも満席

 

神戸行きは空きがなかったので

また泉大津行(16:30までに乗船手続き)を予約したため

道路事情で遅れたら大変と

昼食を済ませてから珍しく往路と同じルートで新門司に直行

(この段階では、16人部屋のエコノミー洋室のみ空き)

 

17:30出航なので1時間前の16:30までに到着したらよかったのですが

もしかしたらシングルに変更できるかもと

フェリー乗り場近くの牡蠣小屋に行きたかったのを我慢して

窓口に向かったところ 

運よくスタンダードシングルに空きができて

万歳しちゃいました~

 

いや~、車両も満載、乗客も満席の大混雑だったので

スタンダードシングル(元々はトラックドライバー向けのシングル)でも

快適に過ごせて助かりました

 

帰路では大阪のRegion Pay2,000円を使わせてもらい

夕食の支払いは現金220円のみ

ただ、17:30から開店してるレストランも混雑してるだろうと

19:00に行ってみたところ

電子クーポンの取り扱いで手間取り

なんと行列約20分待ちの大渋滞

 

それにしても、これまで阪九フェリーにも相当乗ったけど

こんなに混んでたのは初めて

 

コロナ禍からもうすっかり回復したんだなぁと実感させられました。

今回の旅で旅行支援が

フェリー往復で約8,000円、ホテルが2,000円、地域振興クーポン6,000円

の計16,000円

 

みなさんもこの機会にぜひお出かけしてみてくださいね。

 

旅の総評としては

呼子の烏賊はたしかに美味しかったし

肥前名護屋城もとっても勉強になったし面白かったけど

また一人旅でリピートする?と問われたら、ちょっとしんどいかも

 

楽しい思い出を共有できる旅仲間が欲しいような

オッサン同士だったら気兼ねはしないでいいけど飲み過ぎちゃいそうだし

異性だとそれなりに気をつかわないといけないから

好き勝手できなくて窮屈かもとも思っちゃうし

つくづく悩ましいなぁと思う昨今でございます。

 

ブリーフ団でも募集しよっかな(笑)

 

 

【付録】

偶然というのかなんなのか

実は、つい先月のこと、23年来のアフリカタンザニアの大恩人から

Mbeganiの職業訓練大学校でFRP技術のコースを開設する計画があって

できれば日本へ講師を派遣したいので協力して欲しいとの依頼を受け

 

アレコレと日本のFRP漁船の情報を収集していたところだったので

折角の機会を無駄にしないようにと

玄界灘とイカ釣り漁船、遊漁船をじっくりと観察

大型商船の造船に関してはそこそこ知識をもっているものの

小さな漁船のそれもFRPはほとんど門外漢

タンザニアの漁業から考えても

高額な船を建造するのは無理だろうし

 

さてどうしたらいいのかと思っていたので

少なからず小型漁船のサンプルを集められて良かったなあと

環境問題でプラスチックの船を造ることがいいんだろうかと

疑問を持ちつつも、実は木造船を造ろうにも資材のないアフリカのこと

寿命の長い船を建造すれば半世紀以上使えるだろうし

リサクイクルして舗装材にもできるようなので

そんなことも含めて、正しく有益な情報を提供してあげようと決意した次第です。

 

 

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『hba1c?BMI?そんなもん知るか!』開き直ってホーカーズで食いまくる旅【後編】

2022-12-22 14:28:28 | 旅行

【前編からの続き】

 

その後、バスでChina Townに向かい

これまたSingapore滞在中に必ず訪れる

People’s Park(人民広場)のFood courtへ

ココは中華系ばかりですが

なんせ多種多様な中華料理が食べられるのがGood

 

お馴染みの焼き(焙り)系から

 

よくある好きなオカズを選ぶ店に

主食(米か麺)野菜のオカズと肉類のオカズをいくつ選ぶかで値段が決まってるんです

《例: 1菜1肉/3菜/2肉/1肉2菜/4菜/2肉1菜/1肉3菜・・・・》

豆腐系の店に

 

これまたよくある麻辣系

麻辣の鍋は一人では多すぎるのでボッチ飯にはちょっと難しいんです

こちらも四川風麻辣(川とあるのは四川風)

 

この店は餃子や焼売類 ビールのアテに頼んだりします

 

そして飲み物は 椰子からサトウキビ、ジュースにお茶にビールも

そこらじゅうに点在していて 料理を食べてると御用聞きにくるので

気楽に頼めます

 

こちらは海南鶏飯の店

次回のハイナンチキンライスはここで決まりだな(笑)

なぜか大行列の店が一軒

いくら美味しくても 行列に並んでまで食べない性格なので

結局、豆腐の店でアッサリ系のお昼にしちゃいました

 

えっらくアッサリ味で もうリピートはしないかな

 

食後にランブータンかマンゴスチンでも食べよかなぁと果物屋を眺めたものの

持ち帰るのも面倒くさくなって素通り

 

ここPeople’s Parkにも当然ながら使い終わった食器とトレーを戻す棚がありました

(なんせ法律で規制するお国柄、今年からちゃんと棚に戻さないと罰金なんだそうです

 

この日も突然のシャワー

なんだかずっとこんなおかしな天気なんだそうです。

こちらはChina Town駅の様子

公共の乗り物の車内や混雑する場所ではマスクが義務付けられてるそうなんですが

結構みなさん日本並みにどこでもしっかりとマスクをつけてました。 

  

この日の夜は、Singaporeでもっとも信頼している

中華系マレーシア人

(国費留学で英国のグラスゴーに留学していた秀才で奥さんはシンガポリアン)と

インド系ビルマ人

(昔サラリーマン時代からの知り合いで元船乗り)

の友人との会食

 

ビルマ人の友人がインド系でベジタリアンなので 

またまたLittle Indiaで

久しぶりにSingpore名物のひとつFish Head Curry

ナンはガーリックナンにして、苦瓜の素揚げ

これが結構おいしいんですよ

(この店はビールの提供なし

 

そうして歓談しながらの楽しい会食を終えてHotelまで送ってもらったものの

まだアルコールが飲みたいなぁ

ホテル1Fのコンビニに行って缶ビールを買おうと思ったら

な、なんと、ロング缶がS$8前後(800円)

 

こんなん部屋でチビチビ飲んでたら気が滅入るな

同じ1FにあるBarを覗いてみても その気になれず

またまたバスに乗ってOld Airport RoadのHawkersへ行き

Satay(サテー)で一杯としたのですが・・・

豚と鳥とマトンの三種15本でS$12(約1200円)

久しぶりにSatay食べたけど

よく考えたら そんなに好きじゃなかったのを思い出し

なんだかなぁと思いつつ

 

無理やり平らげてビールにも満足してようやくHotelに戻り 

爆睡

 

翌朝もHawkers巡りするぞ~

土曜日だったのでSingaporeanのオジサン風に短パンとポロシャツ姿で

ホテル前の住宅地に繰り出し

この地区のHawkersへ

Singaporeanも香港同様 共働きが多いこともあるけど

基本的に家で自炊するよりも気楽にHawkersで済ませる人が多いため

大きな団地には必ずスーパーマーケットやHawkers(Food court)があるんですよ。

まだまだ土曜半休も多いSingaporeながら

平日と比べると人気も少なく 早朝から開けている店も少ないため

この日の朝食は、アッサリと麺にしちゃいました

以前はHawkersでの食事と言えばS$3(約300円)程度だったのですが

インフレもあって今時はS$4.50が平均

 

なんか食べたりないなぁと思いつつ

近場をジャランジャラン(インドネシア、マレー語で散歩の意味)

ホテル前のアラブ街(JL Sultan)から 

20年ほど前には奇抜でランドマークになってた The Concourseのビルを眺めると

いまや高層のコンドミニアムだらけ

香港よりは広いけど それでも6・70平米で1億円越え

中心部のモダンなコンドだと3・4億円もざらなんだそうです。

北部には戸建ても増えててどんだけ富裕層がおんねんって感じ

 

南の湾岸部は埋め立てて高層ビル群だらけとなり

Beach Roadはすっかり名前だけの存在となっちゃいました

このArab街は 残り少ない昔のSingaporeの面影を残す場所で

壁画が観光スポットになってるため

スマホでインスタ映えする場所を探す観光客がウロウロしてました(笑)

昔はBeach Road沿いの場所だったからなのか

こんな海鮮と蟹の店をみつけましたが

高いよね~(S$1=約100円)

ガザミ(Mangrove Crab)はフィリピン時代、レイテ島の名物(Arimango)で

気楽に食べてたのになぁとの思いがあって

そんな大枚をはたいて食べられないんです

昔風の建物も、いまやすっかりお洒落な店になってるんですよ。

 

因みにこちら↓はムスリム墓地(Muslim Cemetery)

歴史あるSultan MosqueにMasjid Malabar、Arab Schoolもあって

歴史あるアラブのコミュニティがあったんだなぁと実感させられます。

 

いまや住宅地区の中にあるNorth Bridge Gardenの大きな木を眺めながら

その昔、Singaporeanから

Singaporeって全ての木が植林で自然に生えてる木は一本もないって聞かされたのを思い出し

麺の朝ごはんだけで小腹が空いてきたなぁと

またまたHawkers巡りに戻り

なんと2軒の店で 味付けの違う米粉セットをTake Outして

ホテルへ戻り

部屋で平らげて一休みしてからチェックアウト

正午に迎えきてくれた中華系マレー人の友人の車

 

「お昼は何がいい?」

「ゲイランに行ったことある?」

と聞かれ

 

話には聞いていた政府公認の売春宿のあるGeylangに連れていってもらいました

 

元々マラッカ海峡を抜けて行き交う船が

燃料や水、食料を積み込む場所として栄えて場所なので

船乗り達が陸にあがって酒を飲み

女性と一夜を共にするのが世の常だったので

ヨーロッパの飾り窓やRed Light同様

禁止して地下に潜って犯罪化させるより公認した方がましと

現代でも栄える歓楽街なんだそうです。

 

いまやすっかり世界でも最も先進的な近代国家となってしまったSingaporeで

昔の東南アジアの風情を残す貴重な場所で

なかなかいい雰囲気で、昔好きのオッサンとしては気にいっちゃいました

(といっても、もうすっかり枯れてるので風俗には全く興味が無くなっちゃったんですけどね

そして、お昼の食事にと勧められたのが

なんと蛙

 

子供の頃から世の中で一番苦手な生き物なのですが

農地で草刈りや稲作をするようになって

小さな蛙にはさほど抵抗が無くなってるけど

食べるのはなぁ。。。

(昔、台湾の中華料理店で取引先の接待で足の唐揚げと出されてか食べたことあるんですけどね)

 

で、またまたHawker風の店へ

蛙の壺焼きをいただきました~

麻辣でご飯にもビールに合う一品でしたよ

その後、Seletor 空港近くのインド系ビルマ人の友人の家(公共住宅)のある

Fernvaleに行き またまたFood courtでサモサを食べながら歓談し

Seletor空港周辺の古き良きSingapore居留地跡をドライブしながら

少し早めに空港まで送ってもらい

今回の3泊4日のSingapore滞在を終え

Early Check Inして

またまたラウンジで飛行機の出発時刻まで飲み食い

最初は、控えめに赤ワインとサンドイッチにしてたのですが

ワインでアペタイト(食欲)が復活し

一通り試食(?)して

飛行機に乗り込み

機内では軽食だけだったので

翌朝6:00に仁川空港に到着後

またまたラウンジに向かうと営業時間は07:00

その後ラウンジに入ったものの

流石に食べすぎ飲みすぎだなと

鶏のPorridgeと辛ラーメンにオレンジジュースで我慢しました

(アシアナのラウンジは、あまり美味しい食べ物も飲み物もないのも理由なんですけどね)

 

そうしてようやく関空に到着

 

5月の羽田でも相当たらい回しされたけど

関空も相当なもので

ウイングシャトルは帰国者は使えず

だらだらと歩かされて元の国内線ゲートまでゆき

検疫でワクチン接種の確認するだけなのに

そこでまたまた 『なんでここまで人がいる?』

といわんばかりの無駄なスタッフだらけ

 パソナなのか電通なのか木下なのか

入札なのかなんなのか

利権の闇が蠢いてる感じ

オリンピック同様

いずれ明るみにでることを心の底から祈るばかり

 

『Singaporeや韓国でテキパキとできてたのになんでこの国はこんななん?』

もうなんか日本って国があまりに酷すぎて、できることなら脱出したいと切に願っちゃいました。

 

楽しかった旅がもう散々

 

到着ロビーに出て現在の関空のフライト状況をみて

これまたビックリ!

 

アジアの玄関口になったのは知ってたけど

こりゃあ万博なんて言ってる場合じゃないぞ って感じ

 

アジア系の来日客でJRも南海も切符売り場は大行列

フライト状況からだって需要は推察できるんだから臨機応変に対応したらいいのに

どこが”おもてなし”だと 怒りと悲しみばかり

肩を落としながら南海の急行電車に乗り込み 家に帰りました。。。

 

こんなエンディングにはしたくないのですが

政界・財界・法曹界にマスコミ業界や芸能界はすっかり朝鮮韓国系+創価学会に乗っ取られ

外国人に平気で土地を売り、巷には自己中で道徳観の欠如した人間ばかり

 

そんなこんなで諸外国を知れば知るほど

もう愛する日本にはすっかり愛想が尽きてしまいました

 

ここまで悪化してしまったら、自浄作用も、自力で立て直すのも無理だろうなぁ

泥船”にっぽん丸”が沈む前に、逃げ出した方がいいですよ

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『hba1c?BMI?そんなもん知るか!』開き直ってホーカーズで食いまくる旅【前編】

2022-12-21 18:19:10 | 旅行

コロナ禍で気軽に海外に行けなくなって2年半

 

勿論生涯を通じてふりかえれば

1990年1月から1993年8月までの3年と8ケ月

2004年10月から2005年12月までの1年2ケ月の2回

パスポートを使わずに過ごした時期もあったのですが

 

今年の5月に2年2ケ月ぶりにPhilippineに行けたものの

それからまたまた半年あまりのブランク

いや~辛かったぁ~

 

ということで、仕事の用事もできたので(実は無理やりつくった)

2022年12月7日

3年半ぶりにSingaporeに行ってきた時の記事です

 

最初にSingaporeまでの交通手段の検討

 

一番簡単なのは関空から直行便のSQ(Singapore airline)なのはわかってるんだけど

格安航空券サイトで27万円

 

乗り換えなら普段よく使ってるANAに

安いベトナム航空やCX(キャセイパシフィック)、その他のLCCもあるんだけど

Transitで泊まりとなるのは、まだコロナで検疫が面倒だな

往路がその日のうちに到着できるOZ(アシアナ航空)決定

 

KIX11:50発なので普段だったら空港リムジンで簡単に行けるのに

関空のリムジンバスは、大阪市内以外はまだほとんどが運休中

 

平日で朝の通勤ラッシュの最中に、近鉄、南海とキャリーバック引きずって乗り込むのも面倒だなと

上本町からのリムジンバスと近鉄特急に決めたのですが・・・

 

乗り遅れたら大変と7:36発の特急なのに7:10頃に到着してみると

まだ普通の快速急行もガラガラ

特急券を予約しなきゃよかった~ 

それにしても、昔は朝の特急は満席があたりまえだったのに

結構空席が多くてビックリ

コロナでリモートワークとかが普通になっちゃったのかな?と、勉強になりました。

で、上本町から近鉄のリムジンバスに乗ったのですが

荷物をもってトイレに行くのも面倒だなとバスで用を足そうと思ってたら

トイレがついてなくて大焦り

運転手さんに「ちょっとトイレ行ってきてもいい

と尋ねても「もう発車時刻ですから」と言われ

『いざとなったら・・・』とアレコレと

最悪の事態もシミュレーションしたものの

 

でもなんとか尿意をもよおすことなく空港に到着してホッとしました~

 

T1(第一ターミナル)は

節電要請によるものか薄暗い照明にビックリしながらチェックインして

そこそこ利用者もいるなとギリギリで駆け込むのも面倒だなと出国手続きを済ませたのですが・・・

 

入管から出たら この有様

これ↑ 免税店待ちの行列なんですよ~

 

というのも、搭乗ゲート近くの免税店はすべて休業中

昔はなかった倉庫を改造したような店には

中国人の爆買いを期待した 超高級な獺祭だらけ

(常温保存でいいのかなぁ?とか日本酒は長期保存するものじゃないのに

ところがいまは台湾、香港、韓国の乗客ばかりなのでこの店はガラガラ

 

でもリーズナブルな品揃えのコンビニは出国ゲートの免税店並みの大行列でした。

 

アシアナのラウンジも制限があるらしく

代わりにと2,000円のクーポンを渡され

 

出国後ではラウンジ六甲(クレジットカードでも使える)で

アルコールたったの2本まで(選択肢も缶ビールかカップのワインのみ)

 

半年前の羽田では普通にラウンジが使えてたけど、

関空はそれはそれは悲惨な状況なのでご注意くださいね。

 

搭乗ゲートやエプロンもガラッガラでこの有様

ということで空腹のまま仁川行で満席のアシアナに乗り込み

 

しょぼい機内食が出たものの仁川ではラウンジに駆け込み

親の仇とばかりにビールとフードを食べ漁り

Singapore行に搭乗

機内エンターテイメントもたいした映画がなく、それも字幕は韓国語か中国語だけで

やっぱアシアナなんか選んじゃダメだったなぁと思いつつ

約6時間半後に無事Singaporeに到着

 

久しぶりのSingaporeでもう入国カードは無くなったのかなと思って

ワクチンの接種証明を見せたところ

入管の意地悪そうなインド系の♀の審査官が

英語で併記されてるのに「日本語読めない!」と言われ

 

空港スタッフの中華系のオジサンが手招きしてくれて

空港備え付けのタブレット操作をひとつひとつ丁寧に教えてくれて

デジタルのArrival Cardを作成して無事入国できたのですが・・・

最近、とみに増加しているインド系の移民

まあ出自からか、モラルや国民性の違いなんだろうとおもいつつ

気分を害することが多くてついムッとしちゃいました

 

その後、今回あえて地下鉄でも便利そうなホテルを選んだため

地下鉄に乗ろうと電子マネーのカードに課金しようとしたところ

「2018年で有効期限切れてますよ」と言われ大ショック

でもやっぱMRTの電子マネーカードはとっても重宝するので

2030年まで有効のカードを購入(S$10で、S$5がカード購入代です)

『そっか~、そんなに長い間来てなかったんだっけ?』とパスポートを確認してみると・・・

もう以前からSingaporeは入国も出国もスタンプを押してくれていないのを発見!!!

(入国カードとパスポートに内臓されてる電子チップで管理されてるみたいです)

日本の入国・出国もスタンプ省略されちゃってるし

これからは個人でしっかりメモしておかないと

過去の履歴さえわからなくなっちゃってますのでご注意くださいね。

 

翌朝、一応仕事の打ち合わせのため

Lavender stのAperia MallのFood courtで朝食

何年か前に 取引先のドイツ人が

「今日のお昼はイタリアンでどう?」って言うから 

その気でいたら

な、なんと”サイゼリア”でした~(このビルの3Fにあるんです

でもお気に入りは やっぱりココのHawkers

エアコンの効いてるところはアルコール販売してないところが多いのと

朝食時間に営業している店が少ないので

ほんとは大好きな中華の”焼肉”(Roated Pork)が食べたかったんだけど

尋ねるとお昼からの営業だったので

仕方なく雲吞河麺セット

 

その後、取引先の大の仲良しスタッフと久しぶりの再会を喜びながら

お昼は、これまたSingaporeでは必ず食べる海南鶏飯(ハイナンチキンライス)

 

その後近くを歩いてみると

日本風カレーライスの店ができてたり

(こちら↓は 取引先の入っているビル)

そのビルの1階に居酒屋”IZA BAR”なるものもできてたけど

こんなとこにまで人が来るかなぁ?って場所

次に来るときまでもってるかなぁ

 

早々と仕事を終わらせて Hotelに戻り

荷物を放り込んで 

Little IndiaのTekka Centreまでの経路を調べ

Hotelのロビーから外に出てみると

コジャレタBISTROやBARがあったけど

こんな場所には全く興味がないので パス

 

突然のシャワーに傘もってないしなぁと雨宿りしながら

軒先歩きしながら小さなHawkersを発見

Hawkerの数も少ないなと そのままLittle Indiaに向かいました。

 

いつもLittle Indiaへは車に乗せて連れて来てもらうかMRT(地下鉄)を使うため

こんな場所があるんだなぁと再認識

『インド人はやっぱ牛がウロウロしてないと故郷気分が出ないのかなぁ?』

なんていつもの勝手に妄想

 

この↓モニュメントと広場は 相当新しそうなので

たぶんここ1.2年の間にできたみたい

シンガポールは、なんせ周辺からの労働者で成り立っているため

いまでも移民を受け入れているのですが

マレーシア、タイ、インドネシア、ベトナム、ラオス、ビルマ、バングラデシュと

次々と賃金の安い国に頼っていたのが

それぞれの国も発展して賃金が高くなり

近年は、人口の多いインドからの移民がその大多数を占めるようになっているようで

Little Indiaは彼らの胃袋のような場所

昔はSingaporeの暑さに耐えられなくて

エアコンで寒いほどのレストランでしかご飯食べられなかったのに

 

5・6年前にここで本格カレーを汗だくになって食べ

そのまま歩いてホテルまで戻ってからシャワーを浴びたら最高に気持ちよくて

それからすっかり病みつきになっているので

いまやSingaporeで最も楽しみにしているHawkersなんです~

 アーリア系&モスリム系の人達で賑わってるでしょ~

 

それこそバングラ以西中近東までのさまざまな国や地方のカレーや食物で溢れてて

ちょっと小汚い感じも本場そのものって感じで楽しめますよ

因みに写真は撮ってませんでしたが

ほとんどの人が手で食べるため

手洗いがいっぱいあるんです。

(トイレは有料だけど、手洗いはタダなのでご安心を)

 

この日は、大好きなマトンカレーとカレー玉子のセットに

トレーを抱えて中華コーナーに移って缶ビール

(ハラール=モスリムなので、そちらのコーナーにはお酒おいてないので

 

いつもはタンドリーチキンかチキンテッカを酒の肴にするんだけど

すっかり忘れちゃってました

↑ これでもライスは少なめにって言ったんですよ~

 

そんな訳で、お腹はいっぱいになってたんたけど

ビリヤニ(インド風カレー炊き込みご飯)を食べてなかったのが心残りで

今回は滞在日数も少ないから食べとかないと

チキンビリヤニをTake Outしちゃいました~

カレーの香りがプンプンするビニール袋をぶら下げながら

お腹もくちたのでホテルに戻ることに

 

途中でドリアンも買っちゃおかなぁ と思いつつ

ホテルへの持ち込み禁止のことが多いので諦めて

まだビール飲み足りないなぁ と

結局往路でみつけたHawkersに立ち寄って

Roated Porkと中華風煮卵で一杯

ここのHawkersは中華系のみなので 

今年から食器の片づけが義務化された棚も

Non Halalだけでした

 

そうそう、Singaporeの川

昔は海から艀で荷物を運ぶ運河でもあったのですが

なんせ水のないSingapore

下水さえ再利用しようとしてる土地なので

いまや河口を堰き止めて貯水湖にしちゃってるんですよ

(マーライオンやマリーナベイサンズの湾も淡水の貯水湖になってます)

 

そのため、川のボートは全て電動になってるんだそうです。

(ガソリンや重油のエンジンだと、排ガスや油で汚染されるので)

 

この日は前日の寝不足もあって早寝することにして

翌朝6:30に起床(日本時間は7:30)

ホテルの部屋からの眺めはこんな感じ↓

タイムゾーンの関係で Singaporeって朝はまだ暗いんですよ

 

その後、Hotelのプールに入ろうかな?と思いつつ

季節なのか 歳とって鈍くなってるのか

プールに入りたくなるほどの暑さを感じなかったので

この日は取引先に行くつもりはなかったので

(いまいるドイツ人が軽蔑にしか値しない最低の人物で、顔を見るのも嫌なので

 

朝食のためにバスでOld Airport RoadのHawkersに向かい

大好きな焼き米粉(2種)に オカズを載せて瓶ビール

 

昔はバナナの葉だったんですけど、最近はほとんどがそのまま捨てられる紙

食器を洗うための水も要らないからなんだろうなぁ

 

食事はたしかS$4だったかな?(約400円)(ビールはS$7くらいします) 

 

 

【文字数オーバーしてしまったので後編に続く】

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意地になって綱渡り状態で名物カツ丼を喰らう旅

2022-11-07 13:09:33 | 旅行

先週の11月2日

瀬戸内海の因島へ行く出張が決まり

いつものようにオレンジフェリーを使って

晩御飯は家ですませ、乗船してから晩酌(船まで運転するため)

東予港からいつもの石鎚山を眺め

来島海峡大橋を渡り

因島に到着

実は、もうこの時に帰りはカツ丼を食べる気満々

なんとしても午前中に仕事を仕上げるぞと心に決め

 

午後一で落成書のサインを取り付け

正門を出たところで

営業時間が定刻午後5時でラストオーダー午後4時半

ただし、食材が無くなり次第閉店とのことだったので

急いでお店に電話をかけ

「今日は営業されてますか?」

「2時間後にカツ丼食べに行きますから」

と伝えると

お昼の大混雑している時間帯でお店の人が時間を間違えて

『いまからだと4時半? ラストオーダーの時間なんで早くこれませんか?』

との返答だったのですが

「いま、1時半だから3時半頃に到着できると思いますよ」

と、そんなヤリトリもあったのですが

名前を聞いてくれて待ってますとの返事に気を良くし

いつものグーグルでルートを検索

まあ、ぶっ飛ばせばなんとか2時間くらいで行けるだろうと

出発しのですが・・・

11月は年末の繁忙期前とあって高速道路も修理だらけ

突然、伯方橋の手前で片側一車線となって大焦り

至るところで50キロ規制の工事中だらけでしたが

制限速度よりちょっとオーバーしながら

オービスにはひっかからない程度(35キロ超過がトリガーなので)にぶっ飛ばし

 

15:40 高知県大豊町のひばり食堂に無事到着

急いで店に行ってみると

まだ3時40分なのに

”準備中”&”本日の営業は終了しました”の看板

 

電話しといたのにそれはないよなぁ~と店に入ってみると

『電話いただいた方ですか?』とちゃんと待っててくれました~

(4名ほどのスタッフの方で)

このお店の存在を知ったのが

グレートトラバースで田中陽希氏が

日本百名山ひと筆書きの時に

石鎚山から剣山の途中でわざわざ立ち寄って食べてたカツ丼が

無茶苦茶美味しそうだったので

いつか食べに行けたらいいなぁと思っていたところ

にっぽん縦断こころ旅の2017年秋の旅でも

火野正平さんがここでミニカツ丼の大きさにビックリしてたのを観て

絶対に行かなければと決意

 

そんなお店だったのであります。

電話して伝えておいたのでちゃんと準備していてくれたからか

入店してわずか3分後に

普通カツ丼が無事着丼

お昼抜きだったのと、味つけも自分好みで美味しくて

自分ひとりのために店を閉めずに待っててくれたお店の方に

申し訳ないのとで ガツガツと貪るように食べてしまい

10分で完食

普通でも大盛りサイズなのに

大盛り頼めば良かった~と思わせるほど美味しかったです。

 

お店を出たらまだ時刻は午後4時

 

勝手に徳島から和歌山に渡るフェリーが午後5時前と次は夜10時前と思い込んでたため

東予や新居浜まで戻って数時間待ちしてフェリーで帰るのも時間の無駄だしなぁ

淡路島から神戸経由で陸路を走るのも楽しくないし

徳島で大好きなラーメンショップのチャーシューメンと焼きめしでも食べよかな

と思いつつ

 

再度南海フェリーの時刻表を見直してみると

18:55のフェリーがあるのを発見

 

なんせ同じ道を走るのが大嫌いな性格のため

これまで何度か走ったことのある国道32号線でも間に合うかなと

大歩危小歩危と祖谷口辺りの景色を眺めて徳島向かうことにしました

いつか走破しようと思っている国道ヨサク(439号線)への標識を横目でみて

東祖谷辺りから祖谷渓を思わせる杣人の集落風の景色を眺め

大歩危

東祖谷への分岐点を抜け

祖谷口まで来ると吉野川の川幅も広くなり

時刻も16:45とフェリーの時刻まで余裕がないことがわかり

三好(井川池田)から徳島道に乗り

17:51徳島インターを下りて眉山を眺めながら徳島市内に

18:20 フェリー出航の30分前に無事到着

オレンジフェリーが大阪南港から愛媛の東予までを

デラックスシングルでお風呂に入ったりのんびり船旅が楽しめて2万円弱なのに

南海フェリーはたった2時間の航路の二等席なのに約半額の1万円弱

 

高っけ~(燃油サーチャージがべらぼう)と思いつつ

船内ガラガラでも1日8往復の定時運行するフェリーだから

仕方ないのかなぁ

そんなこんなで 新造船の”あい”に乗船

前の船と比べると 船内も広くなりゆったりとして

そこそこ快適でした

和歌山港入港直前

月の明かりが海に反射してる風景がとっても良かったですよ~

この便の車輛はこんな感じ

まあ、あんな値段になっちゃうのも仕方ないかなぁって感じでした。

 

【付録:2021年1月にひばり食堂に向かったものの、

寒風山トンネルを走ったり、国道ヨサクを走って時間がかかりすぎ閉店してた時の写真です】

 

 

ひばり堂が閉まってたため

どこか近くに泊まろうかと思ってたのですが

時間が遅すぎて宿泊予約サイトからみつけられず

その上コロナ禍で旅館に飛び込みも難しいだろうなと

 

ひばり食堂=カツ丼はあきらめて

こころ旅で訪れてた杉の大杉を見学して

この日はずっと下道で吉野川沿いに徳島に出て

日付が変わってから和歌山に到着し

京奈和道を走って午前3時前に帰宅しました。

 

次の目標は、徳島から国道ヨサクでひばり食堂に行って

大盛りカツ丼を食べること

 

さて、いつ頃実現できるかなぁ 

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小さな旅(電車と徒歩で京都山科へ)

2022-10-28 14:00:14 | 旅行
一昨年の2020年
もち麦を栽培してみようと種を探していたところ
 
いきつけの種苗店ではキロ2500円と言われ
『そんなに高くないだろ!』とネット検索してみつけたのが
 
京都山科にある”株式会社のうけん”というところ
電話して尋ねるとダイシモチがキロ800円ほど
(通販ではもう少し高くなりますが)
 
地図アプリを頼りに約45km離れたその場所に軽トラで向かってみたところ
 
宗教法人ではないけれど
京都人ならほとんど知ってるちょっと変わった団体の
農業部門(㈱のうけん)で驚きましたが
質も高くよく育ってくれたのが嬉しくて
 
つい先日も蕎麦の種を電話でお願いしたところ
取り寄せてくれて
またジムニーで引き取りにいったついでに注文しておいた
もち麦の種が準備できましたとの電話があり
 
走り飽きた道を運転するのもつまらないし
小さな旅気分を味わおうと
電車で行ってみることにしました
 
事務所で早弁して12:00ジャストに出発
カブを最寄り駅の学園前の駐輪場に停め
近鉄電車に乗車大和西大寺で京都行急行に乗り換えて 
13:20京都駅に到着
 
JRに移動してホームに停車していた湖西線の古い緑色の普通電車に乗り込み
13:35山科駅到着
 
JR改札の目の前にある京阪京津線の京阪山科駅へ
下車するのがすぐ隣の四宮駅なので
歩いて行ってもいいかなぁと思いつつ
京津線には乗ったことがなかったので興味本位で乗車

この京津線
以前は京阪三条から蹴上方面に向かってのぼってゆく路面電車だったのですが
地下鉄東西線ができて三条から御陵までの間が廃止されてしまい
味気ない普通の電車になっちゃいました。

乗車時間たったの2分 運賃170円で四宮駅に到着
 

駅を降りてすぐ踏切を渡り狭い道をのぼってゆくと
一燈園さんの入口

この一燈園さんという団体
懺悔奉仕のコミューンとしても有名なんですよ。
ご参考までに↓
https://www.ittoen.or.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%87%88%E5%9C%92

14:00 2年前から三回目の訪問となる㈱のうけんに到着

注文しておいた5キロのもち麦の種を受領し

琵琶湖疎水沿いの紅葉を眺めながら出発

復路は、旧三条街道(東海道)を歩こうかなと思っていたところ
四ノ宮舟溜まりの先に遊歩道があることに気づき
これは歩いて山科に向かうしかないな と決定
へぇ~、猫の餌付けはよく聞くけど、猪も餌付けされて問題になってたんだぁ
とちょっとビックリ
でも、豚熱の影響か、ミミズを探した跡も獣道もみあたらずガッカリ

この遊歩道、琵琶湖疎水がJRの線路拡張で
迂回するためにトンネル化した名残(元の疎水)

途中にはトンネルの試作物があったりして
ひとりで『ほほぉ~』と感心したりとなかなか面白かったですよ。

その先にあるのが山科疎水公園
こんなところにどうしてこんな空間ができたんだろう?と
いつものように余計なことが気になってしまい
調べてみると その昔あった瓢箪ダムの跡地なんだとか
瓢箪ダムとは諸羽舟溜まりのことで
やはり水路変更した時に埋め立てられた場所なんだそうです。
 
いや~、勉強になるなぁ
 
そこから山科駅が遠望でき、疎水沿い歩くと大回りになるのと
今回は麦の種が重かったので、遊歩道はここまで
そこからは旧東海道に出ることにしました。
 
諸羽神社の鳥居をくぐって東海道を西に向かいました
 
少し東に戻ったら徳林庵っていう別名山科地蔵があるのですが
ついつい背中の重みに逆らえず 
一路山科駅を目指してしまいました。。。
 
旧東海道(旧三条街道)の案内板


 
旧東海道=旧三条街道を歩いてても 
このおかしなバルーンに気づいたものの 
たぶん店の飾りだろうと思っていたところ
いくつもみかけてようやく”山科茄子”のゆるキャラだと気づきました~
”もてなすくん”って名前なんだって(笑)
 
そして14:30山科駅到着
(滞在時間わずか1時間たらず)
駅前の山科周辺の名所の案内図をみると

寺社仏閣も多く

5キロの麦を背負っていない時にゆっくり探訪しようかな
とりあえず、次回は京阪で三井寺まで行き
琵琶湖疏水の取水口から伏見の濠川までの約20キロを踏破して
 
その次にのんびりと山科歩きしよっと



この山科って土地
 
これまでは
西国三十三カ所霊場巡りで醍醐寺と元慶寺に行ったのと
琵琶湖の湖西方面へのアクセスに
時々通過しているところなんですが
 
京都人からは”治安もガラも悪い”との印象が強いようで
(なんだか人口比でヤクザの割合が日本一だとか)
(市営住宅が多いからか公立中学校が荒れてるなどなど)
 
たしかに今日逮捕されることになった京都王将の社長が
9年前に銃撃された場所でもあるんだけど
 
深夜食堂の小林薫氏や藤山直美さんが育ちいまでも住んでいるとこだし
オセロの中島知子もそうなんだとか
 
先入観を持たずに探訪してみよっと
 
 
 
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コロナ禍緊急事態宣言下の出張記録【2021年2月②-2 石垣島・沖縄本部町・与論島《続き》】

2022-09-29 18:06:22 | 旅行

さて与論島

借り物ですが、↓こんな島

ほぼ真っ平で島の大半はリーフによって荒波から守られ

そのため白砂に与論ブルーのビーチがいたるところにあるんです

画像の一番下が空港と滑走路で

その右側がフェリーの埠頭

 

滑走路の左下先端部から時計回りで説明すると

小さな入り江が昔のフェリー埠頭

奥が茶花海岸

そしてその奥が漁港でその辺りが与論島の中心部

 

あとは小さな漁船やグラスボートなどの船が接岸できる程度の岸壁がありますが

リーフの続いているところは白砂のビーチとちょっとした岩礁のみ

 

本格的はダイビングは岩礁とリーフくらいなので

ほとんどが海水浴向きのビーチなんです

 

 

そんな与論島の中でも

一番高いグクス(城)跡にあるサザンクロスセンターの展望せんたん

すぐ横にはグクス(城)跡があり

そこにある海上集会の案内板を見ながら

沖縄本島も目と鼻の先なのに 沖縄返還までは日本最南端だったんだよなぁと思い出し

曇りがちであまりお天気は良くなかったのですが

とりあえずいくつかのビーチを眺め

与論島観光の目玉の百合が浜が遠望できるビーチに移動

もちろんここもガラッガラ

映画”メガネ”のロケ地の表示も多く

狭い島なのにビーチ巡りで夕陽の時間となってしまい

ゲストハウスで18:00が夕食と言われていたため 慌てて宿に戻り

改めて施設をゆっくりと見学してみたのですが

なんか、1980年代前半に暮らしていた南太平洋にあったゲストハウスを彷彿とさせる

シンプルな宿で、個人的には懐かしい気分がしてとっても嬉しかったです

トイレは共同のが一カ所のみ、お風呂(シャワー)は温水器の都合で決められた時間のみ

まあ、そんな不便さも南太平洋のゲストハウスみたいでノスタルジックな想いに浸れました

オーナーお手製の夕食

与論島は飲食店が少ないので1泊2食の宿が基本なのですが

たしか5・6千円だったような。 お得でしょ~

(黒糖焼酎の一升瓶もサービスで出してくれました

オーナーと話をしていると、元々は奈良の生まれで

当時大学生で一大ブームだった昭和50年頃にこのゲストハウスをつくり

いまは島根でスキー場もしていて行ったり来たりしてるんだとか

 

たぶん、あの頃よっぽどいい思いをしたんだろうなぁ(笑)

でもとっても親切なオーナーさんでしたよ

 

夕食時にお酒を飲んだのと、冬でコロナ禍で中心部の飲み屋もしまってるだろうなと

早めに就寝

 

翌朝、宿の裏手にあるプライベートビーチのような浜で日の出の景色を眺め

 

翌朝8時朝食

 

この日の鹿児島行に乗ることにしていたため

与論民族村が開く時間を待って宿を立ち

 

入場料を払って拝観

与論島の歴史や文化風習を教えていただきましたが

琉球王国の影響下にありながら 島津藩とのはざまで

いろんな苦労があったんだろうなぁ

こちらは芭蕉布の説明

フィリピンでもバナナの繊維で作った布がピーニャと呼ばれ

民族衣装のそれも正装であるバロンタガログで使われているのですが

日本では女性の着物なんですよね

 

大島紬といい、この芭蕉布といい、手間はかかるのでしょうが目玉が飛び出そうなお値段ですよね

その後、天気が良かったので

更に小林聡美さん主演の映画”メガネ”のロケ地などを巡り

レンタカーを返してから

(結局、いろんな施設を回ることでレンタル料はたったの500円でした

 

【12:00】鹿児島行のフェリーに乗船

(マリックスラインとA”Lineが交互に隔日運航しているため、この日はA”lineの船となりました)

二段ベッドの部屋でしたが、やっぱりガラガラ(奄美大島からは何人か乗ってきましたが)

乗船してすぐにランチ
(指定された時間のみの営業なので、遅れた大変なんです

 

お風呂はなく、シャワーのみでしたが 汗を流し

日中は、寄港地の風景を眺めながら過ごし

沖永良部、徳之島を遠望して

レストランで夕食

この航路、残念ながら船旅を楽しむというより奄美諸島の人々の足なので

食事もいまいちなんですよ

 

いつものことながら、奄美大島はほぼ深夜なので

いつも爆睡

 

朝起きたら開聞岳が見えて錦江湾に入るところとなってしまい

【8:30】下船

 

連絡バスで鹿児島中央駅へ向かい

前回は那覇からのフェリーを下船してから鹿児島市内をのんびりと観光して

午後志布志への連絡バスに乗り、夕刻さんふらわあで大阪南港に戻ったのですが

 

この日は、どこもかしこもコロナ禍でガラガラで休業中だらけで

さすがにモチベーションが下がってしまい

 

駅からネットで伊丹行の飛行機を予約してしまい

すぐにリムジンバスに乗り込んじゃいました

今回の出張、石垣島からの帰路に本部や与論島に立ち寄り

そこそこ嬉しい出会いもあった反面

コロナ禍のそれも非常事態宣言が出てるなかでは

心底旅を楽しめないなぁと痛感しちゃいました

 

そんなことを思いながら

ラウンジでタダ酒(生ビール&芋焼酎ロック)

普段ならそこそこメインの鹿児島ー伊丹線なのに

コロナ禍で乗客が少ないからなんとプロペラ機

昔は南太平洋やNZ国内線、フィリピン国内などなど

プロペラ機にはよく乗ったものでしたが

最近ご無沙汰してたので、内心それなりに喜んでました

 

伊丹からも奈良行きのバスがコロナ禍で運休

仕方ないので難波に出て、中央軒で皿うどん定食を食べて近鉄に乗って帰りました。

 

そして ここが今回の旅でビックリさせられたこと

 

な、なんと本部で晩御飯を食べた飲食店”十兵衛”の大将が

奈良の話が嬉しかったのか、少しばかりの心づけに喜んでくれたのか

店を出る時に名刺を乞われたので渡していたのですが

 

な、なんと箱入りのタンカンを贈ってくれちゃったんです

 

”旅は道連れ世は情け”

喩えがおかしい?

ですね(笑)🤣

 

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コロナ禍緊急事態宣言下の出張記録【2021年2月②石垣島・沖縄本部町・与論島】

2022-09-28 15:21:39 | 旅行

どうして前回の九州出張からどこにも立ち寄らず

徘徊も放浪もせずに帰ってきたかと申しますと

 

それよりずっと以前から予約されていた2月6日に石垣島での仕事があったから

 

これまでにも石垣島へは何度か訪れていたこともあって

いつものように家の近くから関空行きの始発のリムジンでと思っていたのですが

コロナで関空行きのリムジンは全て運休

 

なんせ朝7時のフライトで少なくとも一時間前の6時に空港となると

奈良からでは数万円かかるタクシーくらいしかないため

大阪からリムジンバスに乗ることにして上本町での前泊を選択することに

上本町のバスターミナル近くのダイワロイネットホテルに泊まり

上本町朝5時発のリムジンバスで関空T2へ

そして無事定刻7時の飛行機に搭乗することができました。

ところがなぜか出発が30分ほど遅れ 石垣島到着も10:15頃になっちゃいました。

新石垣島空港からは

前回から使うようになった空港ピックアップのレンタカーを借りて

ホテルのチェックインにはまだ早かったので ランチとしたのですが

なんせコロナでほとんどの飲食店が休業していて なんとか見つけたのがジモピー御用達の飯屋

豚丼と八重山そばのセットでしたが 美味しかったです

 

その後ホテルに向かい追加料金でアーリーチェクインをお願いし

いつもの深夜の仕事に備えて 真昼間から就寝


この日も23時から翌3時までの仕事となりました。

(発電所の発電機を停めてできる仕事なので、どうしても電力需要の低い夜中になっちゃうんです。

そうして夜中に戻ってくるのがわかっていたため

昼のうちにスーパーで酒類とツマミを買っておき

夜中の3時にホテルの部屋でひとり打ち上げとなりました

一応気を遣ってビールは糖質0のクセにトンカツとコロッケの矛盾

 

その後爆睡して 昼過ぎに起きて 前日と同じ飯屋でランチ

この日は石垣名物 牛汁ランチ(玉子焼きとカジキマグロのお刺身付き)

 

中途半端な時間となってしまいましたが

コロナで離島(八重山諸島)への高速船もほぼ運航しておらず

石垣島の島内ドライブすることにしちゃいました。

 

最初に訪れたのが”唐人墓”

このお墓、1852年に中国厦門からカリフォルニアに向かっていた奴隷貿易船

ロバート・バウン号の船内で奴隷への虐待

(辮髪を切り落とし、牛馬のように焼き鏝を当て、病気持ちは海に突き落として鮫の餌に)

を知った苦力が、暴動を起こし船長と船員を殺して操船したものの座礁

難破船380人の中国人苦力が石垣島の収容所に収容されてたものの

その座礁を知ったイギリス船2隻が石垣島に来航し収容所を砲撃

その後逃走した苦力を射殺・捕縛してみせしめに吊るし

その後もアメリカ船が来航し探索を行った。

捕縛を逃れた中国人は琉球王国に保護されたが 

中国に送還されたのは172名、病死・自殺・行方不明者は128名に上った。

そんな黒歴史のお墓なんです。

その後、時計回りに北上し

御神崎灯台から海を眺め

定番の川平湾に立ち寄り

底地ビーチへ行ってみると

さすがはコロナ禍の緊急事態宣言中

ガラッガラ

荒川の滝に立ち寄ってみると

若者が3人滝遊びに興じていましたが

なんとも寂しい限りでした。。。

 

その近くでみつけた喫茶店の看板

いや~、普段草刈りに追われている身としては

いいネーミングだなぁと感心

自分も店でも開くならその名前がいいなぁと(笑)

島一周はもう何年か前にしてたので

この日は沖縄で一番高い於茂登山がどんな感じのところなのか行ってみることに

 

登山口に到着し、軽く登ってこようかなと思っていたところ・・・

な、なんですと~

ハブなんて怖すぎ

アッサリと諦めて バンナ公園から展望台へ

それにしても どこに行ってもガラッガラ

夕方でエメラルドの海も眺められないし

『もういいか』とドライブを終え

石垣島のキャラのカンムリワシに別れを告げてホテルに戻り

 

夜7時前になって晩御飯を食べようと中心地へ歩いて行ったのですが

な、なんとやはり夜も飲食店はほとんど開いておらず

【18:57】 なんとかみつけて入った店で「7時ラストオーダーです」と言われ

慌てていくつか注文して

注文したお酒も飲み干してしまい 仕方なくお会計

 

まだ8時前だというのに 閑散とした町を歩き

↓ このホテルはインバウンド観光客目当てだったのか維持できず、休業なのか倒産なのか真っ暗😓

コッソリと地元の客を入れてる店もありましたがまるでゴーストタウン


コンビニで夜食を買ってホテルに戻りました。。。

 

そんな状態だったため、いつものように帰路のチケットを買わず

どこか放浪しようと思っていた気持ちが削がれ

 

翌日正午の那覇行のチケットを購入して レンタカーを返し

空港で八重山そばとオリオンの生ビールでランチ

 

この時も、たぶん那覇でも非常事態宣言でよそ者は居辛いだろうし

面白くないだろうなと、とりあえず本部へ行くことにしちゃいました。

 

名護行のバスも申し訳ないほどガラッガラ

 

できれば伊江島に行きたいけど

コロナ禍でそんな雰囲気じゃなかったら鹿児島行のフェリーで奄美諸島のどこかの島に行ったらいいしと

とりあえず本部で泊まることにして

名護からのバスを待っていたのですが

どこもかしこも人気がなくて 気分はダダ下がり

ただ、ホテルもガラッガラなので 好きに予約できちゃうんですヨ

 

翌日本部港へ行くことを考えて 本部の町のMr. KINJOにチェックイン

また飲食店は夜7時までかもしれないから

急いで晩御飯を食べなきゃ と

飲食店を探すのですが、焼き肉屋の他にはこのお店しかなく

選択の余地なく入ってみました。

 

ホントは沖縄料理が食べたいんだけどなぁと思いつつ

カウンターに案内され、お造りの盛り合わせとスーチカーを注文

その後 島らっきょうとビールじゃ物足りないなと泡盛をボトルで注文

ソーメンチャンプルーをシメとしていたのですが

人当たりのいい大将と話していると

奈良の調理師学校に通ってたとかいろいろと所縁があって

奈良の沖縄料理屋の人達のこともよく知ってて会話が盛り上がったものの

すでに時刻非常事態宣言下での飲食店の営業制限時間

 

 

閉店時間を過ぎ、おもての看板の電気を落とし

「点検に来たら友達だって言うから大丈夫」と言ってくれて

まかないの具沢山汁をだしてくれちゃったんですよ~

といっても、あまり長居して密告されては申し訳ないなと

楽し時間を過ごさせてもらったお礼とコロナ禍での応援を込めて

いくばくかのお金を払って店を出て

 

荷物を放り込んだだけだったホテルを再点検してみると

最近よくある見た目は良さげでもチープな家具ながら

簡単なキッチンがあったり、洗濯機があったり

アパートメント型式で長期滞在もできるんだとわかりました。

(Mr. KINJOって沖縄県内のいたるところにあるんですよ

(なんとなーく中国系資本のような

 

翌朝

窓の外からは伊江島が真正面に

(実は、小学校高学年からの大親友の父が伊江島出身の医師で

いつか訪れてみたいなぁと夢見ていた土地なんです。

そんな背景もあってさてどうしようかなと本部港に行ってみると

やっぱり伊江島はコロナ禍で遊びに行ける雰囲気じゃないと悟り

それならばと鹿児島行のフェリーで

とりあえずいつか訪れたいと思っていた奄美諸島最南端の与論島へ向かうことにしました

那覇~奄美諸島~鹿児島のフェリーは

このマリックスラインとA Lineがそれぞれ隔日で運航しているため

日替わりなんですが、この日はマリックスの船でした

新造船を建造中との情報を耳にしてたので期待したのですが

まだ古い船で、最近はあまり目にしなくなった小あがりの団体席や和室もありました。

【9:15】本部港出航

伊江島との間を抜けて

【12:00】与論島到着 

 

本部出航前に与論島のゲストハウスに電話して

コロナ禍で観光で訪れても問題ありませんかと確認していたため

オーナーで港まで迎えて来てくれていて

更に、格安のレンタカー(たしか何か所からのチェックポイントを訪れることで24時間3000円になる)

を予約してくれてたため

レンタカーを借りてからゲストハウスに直行

地図で観光スポットやシュノーケリング、ダイビングなどを説明してくれて

お昼の候補のお店も詳しく教えてくれました。

 

朝食抜きでお腹が空いてたのので そのオススメの食堂に直行してお刺身定食を注文

さすが与論島、ブダイが入ってました(笑)

 

その後、小さな島なのでとりあえず一周してみることに

なんといっても与論島を訪れたかった理由が

 

昭和50年代前半、若者の間で一大ブームとなってた与論島がどんなとこなのか行ってみたかったのと

(あの当時は、新島とか離島へフリーSEXになんて時代だったんですヨ

 

数年前に同じ那覇から鹿児島までのフェリーに乗ってた時に

寄港した与論島の海の碧さに感激してしまったから

↓ 2018年10月にフェリーから観た与論島の海

その海を眺めたくて まずはビドウ遊歩道とヨロン駅へ

鉄道があったことも将来できることもないんだけど

鹿児島から沖縄までの国道58号線を鉄道として駅をつくったんだとか

 

なんかよく意味がわかりませんが、ようするに無理やりつくった観光スポット(笑)

小さなビーチですが岩礁に洞窟があったりして隠れた人気スポットみたい

【14:00】丁度鹿児島発那覇行きの下りのフェリーが接岸してました。

さすがに2月なので 海に飛び込みたい気分にはなりませんでしたが

ちょっと危険ながらリーフで貝なんかもいっぱいいるんだろうなぁと

羨ましげに眺めてました。

 

そうして島内ドライブへと出発したのでした

 

 

 

《またまた文字数制限となってしまいましたので【③に続く】

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コロナ禍緊急事態宣言下の出張記録 【2021年2月 ①九州トンボ帰り:伊万里・福島・北九州】

2022-09-27 10:35:39 | 旅行

約1月前に依頼を受けた船がようやく日本入港の日時が固まったため

急いで出張してきた時の記録です。

 

コロナの感染拡大で全国的に緊急事態宣言が出され

気分的にはあまり行きたくなかったけど

日本にエネルギー資源を運んでくる大切な船が支障なく運航できるようにと

飛んでゆくことに

 

 

 

2021年2月2日 16:45 泉大津港到着

出航時刻1時間前をきっていたので結構焦りました

17:20 この日はスタンダードシングルへ

名門大洋フェリーと競合してるので 車込みでたったの16,510円 安いでしょ~

船内はガラッガラ(ほとんどがトラックの運転手さん)

いつもなら展望浴場でのんびりお湯につかるのですが、コロナ禍なので下船前に入ることに

そして早々と夕食にしました

阪九フェリーでの定番カレーライス大盛りと宮崎地鶏炭焼き&サッポロ黒ラベル

翌日の仕事を考えて ビール1本で我慢

 

2月3日 06:00下船準備 

7:45 福岡ドーム通過

8:50 伊万里から長崎県松浦市の福島へ

実は、この島には国家石油・ガス備蓄基地があるんです

今回はLPGの備蓄基地へ

09:00船の接岸を待って乗船

13:30 昼食抜きで仕事完了

それにしても冬とは思えないいい天気の日でした

 

13:45 福島から伊万里に戻り

15:30 北九州黒崎へ

目的は、いつもの昼夜食堂でお弁当を買うことでした。

コロナで店内で待つのも憚られるため店の前に駐車して待ち

この日のメニューは サバ塩焼き、クジラ南蛮焼き、マカロニサラダ、ライス大

そして鯵の南蛮漬け

 

16:40 無事 新門司港阪九フェリーターミナル着

またまた出航1時間前をきっていたのでホッと一息

往路と違って そこそこ一般車もありビックリ

帰りはシングルがとれず スタンダード洋室(2段ベットの16人部屋)でしたが

気を遣って部屋に一人だけにしてくれました。

 

普段だったら、清掃が楽なようにと詰め込むことが多いのに

コロナ禍で船内で感染するのを避けたかったんでしょうね。

 

では遠慮なくと上段への階段をテーブル代わりに酒盛り

録画しておいたブルーレイで大好きな”にっぽん縦断こころ旅”をイヤホン無しで視聴

 

この時、まだ時刻は18:15(17:30出航して45分後)

乗船してすぐに展望浴場で汗を流し出航前から飲み始めてたので

すでにビールのロング缶2本とロング缶チューハイのんで芋焼酎堪能中(笑)

仕事の疲れとお酒のおかげでグッスリ熟睡

 

2月4日 06:00 下船準備(大阪南港)

一般客もそこそこ乗ってましたが、個室状態の部屋に居ただったのと

レストランにも行かなかったので濃厚接触なしでした~

家に帰って朝ごはんを食べ、そのまま出社してレポート作成

お昼は彩華ラーメン大(笑)

 

ということで

2021年2月2日~2月4日

船中2泊 現地0泊

九州上陸時間 わずか11時間の旅でした

 

【なぜいつものようにフラフラとしなかったのか、それは次の記事で】

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行き当たりばったり 石鎚山とUFOライン

2022-09-26 15:10:22 | 旅行
2022年9月22日午後
 
 
いつも前日か当日になってバタバタと仕事を依頼してくる会社から
連休中の24日に松山港に入る船への緊急依頼があり
 
いつまでたっても学習しないお客なので
お断りするところなんですが
 
実は7月末から北海道での依頼を受けながら
また翌日の朝8時に釧路に入るだとか、留萌だと言われ
『物理的に無理だろ』と少々頭にきながら引きずってた船だったため
 
トラブルを抱えた機器を取り扱ってる船の乗組員が可哀相だなと
仕方なく承諾し
 
23日夜、大阪南港のフェリーターミナルから
ここ数年、もう飽きるほど乗っているオレンジフェリーに乗船
三連休とあって、ネットではデラックスシングルは満室との表示だったけど
当日の電話予約で空きがあることを確認してホッと一息
 
到着した東予港では 着岸の6時の下船では慌ただしいなと
ゆっくりと滞船して7時に出発
 
東予からでもお天気がいいと石鎚山系がみえてなんか嬉しくなっちゃうんですが
いつも仕事を終えたらそそくさと帰ってしまうため
いったいいつになったら行くことができるのかなぁ
 
この時点では思っていたのですが。。。
 
松山でゆで太郎を発見して
喜んでカレーセットを注文し 朝ごはん
 
 
そんなこんなで08:00に松山港に到着し停泊中の船に訪れてみると
これまでにも何度も経験させられた
機器を取り付けたメーカーの非常識な設置ミスと
乗組員が機器の構造と仕組みを理解していないため
船のエンジンが危急停止して大騒ぎしただけのことで
実質1時間たらずで問題は解決してしまい
アレコレ説明して船を下船したのがまだ午前中の10:30
 
 
帰りのフェリーも往復でチケットを購入していたので
出航までとすると11時間あまりの待ち時間
 
コロナ禍で道後温泉に行く気にもなれず
高知の大豊の”ひばり食堂”へカツ丼でも食べに行こうかなとも思いましたが
 
これはもしかしたら『UFOラインを走ってきなさい』との神の思し召しかもと
マップでルート検索してみると・・・

ふむふむ3時間くらいで行けるんだとわかり


一路 UFOラインを目指して車を走らせ
 
11:22 松山道 松山IC通過
11:56 国道33号線と440号線の分岐点

12:47 石鎚スカイライン方面の大鳥居をくぐり
 
まずは面河渓を訪れてみることに
ほぼ何も知らずに行ってみたところ
古くからの石鎚山への登山道もあり 仁淀川の源流と知ってビックリ





車道のほぼ終点近くの橋の袂に車を停め
川遊びに興じている子供を発見
 
 
超羨ましくて、年甲斐もなく飛び込みたかったなぁ
たぶん、爺さんが世を儚んで自殺でもするつもりかと思われそうだなと思いつつ
雨台風の影響からか ブルーというよりもグリーンでしたが
とっても綺麗なところでしたよ~


 
13:10 面河渓をあとにして石鎚スカイラインをひた走り
 
 
13:30長尾尾根展望所に到着
ここから御来光の滝と石鎚山の雄大な姿がみられるんです
↓の写真中央の左側に滝があるんですが
この谷がさきほどの面河渓につながるところ
 
あの登山ルートもよさげだなぁと思っていましたが
間違いなく地獄の急登だなとわかり
アッサリと断念しちゃいました。
 
もうね、嫌でも年齢を感じさせる昨今なので
根性だけでは無理だなと悟ってしまうようになっちゃいました。。。
 
その展望台の反対側はスカイラインが見えるのですが
ガードレールがしっかりしてるのであまり怖くなかったんだけど
路肩が崩れたら谷底に落ちるようなギリギリの道なんです


まあ、UFOラインに比べたら屁でもないんですけどね
 
石鎚スカイライン終点の土小屋の駐車場からの石鎚山
 
土小屋は石鎚山登山ルートとしてもっとも短時間で日帰りできるため
連休とあって駐車場もほぼ満車状態
 
実際の終点はここから左折して国民宿舎の先にある駐車場までなんですが
この石鎚神社土小屋遥拝殿のある分岐点には
Mont Bellやカフェもあってビックリしました
【13:48】通過
 
ここから先は 高知からの県道40号線と合流する林道

【13:55】よさこい峠





ここからが いの町の町道(元は村道)瓶ケ森線 通称UFOライン

この地図がとても詳しくこのルートを表してました

ここは このUFOラインにある人気の”山荘しらさ”からみた石鎚山
 
 
 
まだこのあたりはすれ違う車やバイクがあってもなんとかなりますが
このガードレールは崖ギリギリの道で
股がスースーしちゃいました




この↓山が 瓶ケ森
 
さきほどの面河渓は仁淀川でしたが
この辺りは徳島から大阪湾に流れる吉野川の源流
 
まさしく四国の屋根なんだなぁと実感させられました。
 
さて、ここから先は説明するより絶景を楽しんでみてください










 
今回も突然思い立って来てしまったため 
ウエアは勿論のこと山歩きの靴もトレッキングポールなどの装備もなく 
雲も湧いてきて 車で走るたけにしちゃいました。
 
画像にはあまり写っていませんが
連休の好天とあって それはもう全国からのバイクや自家用車だらけで
あまり運転の上手ではないドラーバーも多く
離合に相当神経を使わされ ヘトヘトになっちゃいました。
 
【15:30】UFOライン 旧寒風山トンネル前入口到着


このまま素直に高知側を下り、新寒風山トンネルを走ろうとも思ったのですが
以前、冬季閉鎖期間中に通ったことがあったので
 
今回はほとんど車の走らない旧寒風山トンネルを抜けることに
台風の直後だったのと 通行量が極端に少ないため枯葉や枝が積もっていましたが
そこは4WDにラジアルタイヤのジムニーなので難なく通過

途中で轟音がるなと車を停めてみると
名もなきような滝があり 雨台風のおかげもあって
驚くような水量と轟音で迫力がありましたよ~
 
そうして 新寒風山トンネルの愛媛側194号線に合流し
西条市の平地に近づいたところで
石鎚山ロープウェイの標識をみつけ
これはいつか石鎚山登山するためにも一度下見しておかなければ と
また山側に分け入ったのですが・・・
 
そこそこ距離もあり 狭い箇所も多くてビックリ
定期路線バスも運行してるけど 運転手さん大変だろうなぁ
 
【16:36】ロープウェイ入口到着
温泉があったので入りたい気もしたけど
下山してきた人がそこそこいたので諦めて 東予に戻ることに
ただ、この辺りのV字渓谷の深さは凄かったですよ~


 
その後、東予に戻ってからラーメン&炒飯、鶏唐揚げセットを昼夜兼用の食事にして
スーパーで晩酌用の酒とツマミを購入して 
今朝下船したのと同じオレンジフェリーに乗船
この日は連休で バリアフリー個室となりましたが
疲れていたのでしっかり安眠できました。
 

 
24日06:00下船
朝早くから家に帰ってもつまらないなと
 
阪神高速と第二阪奈道路で30分で帰宅できるのに
久しぶりに 南港通りからディープな大阪巡りすることに
北加賀屋、東加賀屋、岸里、玉出、
天王寺動物園の裏から上町台地をのぼり
今里筋をガモヨンで曲がって大東から阪奈道路で奈良へ
 
いや~、早朝でもアタリヤやクスリの売人がゴロゴロしてる治安の悪い一帯を
走るのはスリルがありますね~
 
 
 
実は、マクド(関東ではマック)で朝食にしたかったからなのでした。
しばらくパンケーキのバリューセットが定番だったのですが
大阪市内では食べたくなかったので
 
家の近所の奈良宝来店で
この日は、久しぶりにソーセージエッグとエッグマフィン
8:00に帰宅となりました。
 
 
さて、今回の旅の総評ですが
石鎚スカイラインとUFOライン
超オススメです
 
ただ、半端なく神経を使う道なので、
できるなら通行量の少ない平日に行くほうがいいですよ
 
 
自分への教訓:どうせ車で移動するんだったら、もしものために山歩き道具を持っていくべし
 
 
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【編集中】バルト海国際フェリーの旅(回想)2017年10月【2/3 Stockholm GAMRASTAN街歩き~Estonia Tallinnへ】

2022-09-22 13:23:07 | 旅行

FinlandのTurkuからVIKING LINEのLNGフェリーでStockholmに到着

早朝の6:30では店も開いておらず行く場所もなく

とりあえずStockholm旧市街のGamla Stanまでトボトボ歩くことに

 

この船、てっきりフローティングレストランだと思っていたのが

船名から調べてみたら1953年建造の客船で

Helsinki, Turku, Stockholmで運航していた蒸気船

その後ディーゼルエンジンに換装して 更に馬力アップしたりと

改造を続け、つい最近まで客船として運航していた様子

https://en.wikipedia.org/wiki/MS_Baltic_Star

物持ちが良いというかなんと言ったらいいのか、ビックリさせられました。

 

↓ この鉄塔のような建造物はランドマーク的存在のカタリナエレベーター

元は1883年に蒸気機関で動いていた歴史あるエレベーターで

その後電動となり、さらに1936年にSlussenが作られた時に再建されたもの

Gamla Stanへの交差道路と閘門のインターチェンジのモダンな橋が再開発による工事中で

残念ながら2010年から補修工事のために運休中なんですよ






そうしてようやくStockholmの旧市街Gamla Stanに到着

 

面白い出窓があるなぁと眺めてみると

なんと今はベトナムレストラン

その先には普段なら恥ずかしくてじっくり見れない下着屋さんがあったり

Stockholmは他の北欧諸国同様に社会保障が充実してるため

移民が急増してるからか中東アラブ系、アフリカ系、アジア系のレストランが結構あります。

 

Gamla StanはStockholmを代表する観光地なので土産物屋もチラホラ

こちらはノーベル賞博物館

そしてその隣にSwedenの王宮があるんです。

こちらはスマホの地図アプリで現在地を確認した時のスクリーンショット

朝抜きでお腹ペコペコだったので

コンビニのイートインでスムージーでホットドックを食べ

7・8年ぶりのGamla Stanを探訪

雨が降ってきたものの傘を持っていなかったため

どうしようかと思った矢先

ようやくまともに食事ができそうなカフェを見つけて

店内に入り

アフリカ系の店員を呼んで

メニューや値段を確認せずにショーケースに入っていた

スライスした茹で卵にエビをトッピングしたオープンサンドと

生ビールを軽く一杯

そして食事を終えてお勘定をしようとしたところ

たしか380スウェーディッシュクローナと言われ

目が点(日本円にして5000円弱)

 

「なんでそんな金額になるんだ!」 と文句を言うと

メニューを出してきてそれなりの金額が書かれててビックリ

 

事前に確認しなかった自分が悪いんだけど

ボッたくられた気分で

 

肩を落としながら ノーベル賞の授与式で有名なStockholm市庁舎を眺め

市内用のフェリーにでも乗って海からのんびりとStockholmの街を眺めようと思いながら

ボッタクリに遭った後遺症でモチベーションが下がってしまい

Stockholm中央駅に向かいました。

前回は、ここから特急電車で南端のMalmoまで行き、

乗り換えてDenmarkのCopenhagenに渡ったんだったなぁと懐かしく眺めていたら

『置き引きに注意してください』とのアナウンスが何度も繰り返され

中近東系の不良グループが獲物を探してそこらじゅうにタムロしているのを発見

ドイツのメルケルが人道支援だとして

アラブ系やアフリカ系の避難民を装った不良外国人を無差別に受け入れてしまったため

いまやヨーロッパ全域が置き引き、ひったくり、強盗だらけ

Swedenも大変な状態になってしまいました。。。

それならコインロッカーに荷物を入れようかなとしたところ

な、なんと小さなロッカーなのに4時間で約800円

元々北欧は税金も物価も高いのを承知しながらも

さっきのカフェでぼられたのが尾を引いて

今日は三隣亡かもと

それ以上市街地に滞在する気が失せてしまい

早々とEstoniaに行くフェリー乗り場に行くことにしちゃいました。

 

地下鉄に乗って

【12:15】Tallink Silja Lineのターミナルから最寄りのRopsten駅で下車

 

公衆トイレに入ろうと思ったら小銭が足りないのに気づき

お昼時だったので両替を兼ねて近くのタイ飯屋に入っちゃいました。

適当に注文したら サラダバー

どこの料理かわからないような牛肉炒めのワンプレートでしたが

久しぶりのお米を美味しくいただきました。

調べてみたら徒歩で1キロほどだったので路線バスやタクシーに乗るのも面倒になってトボトボと歩いてターミナルへ

徒歩客はそこから650mほどの長い歩道橋を歩いていくんです

 

実はこのフェリーの予約は、Turkuからのフェリーの船内で

Stockholm到着前にネットでしておいたんですよ。

いつもながらの行き当たりばったり(笑)

その日乗船する船が見え

【13:50】Tallink Siljaのターミナル到着

まだ時間に余裕があったので

お酒でも飲もうかなぁ と思いつつ

物価高のSwedenで高いお金払って飲まなくてもいいや

と珍しく我慢しちゃいました。

【13:50】とりあえずチェックインして

乗船時間まで待ち

【15:15】場内アナウンスで乗船開始の案内

この船は、HelsinkiとStockholmをむすぶ Silja Serenade

Helsinki - StockholmはViking Lineと競合してるんですねぇ

私の乗る船は、 Silja LineのBaltic Queen

頑張って8Fの個室としました

 

運航しているのはEstoniaの会社であるSilja Line

客層によるものなのか 豪華船仕様にはなっていませんでしたが

それなりにレストランやPUBは充実してました。

【19:00】Stockholmではあまり飲食を満足にしていなかったので

開店早々レストランに駆け込み

エスカルゴと

ラム肉の料理にしたのですが・・・

まあ、あんなもんかなって感じでした

食事で飲み足りなかったのでPUBでカクテル

客層もほとんどがエストニア人とたぶんベラルーシやロシア人

歌もまあそこそこって感じでしたが

 

翌朝のバイキング

【10:00】下船 徒歩客が多くてビックリしましたが

ロシア系の乗客が多かったのか、アコーディオンを奏でながらロシア民謡の合唱での見送りは

この船旅で一番良かったです

 

中途半端ですみません。

 

急に出張の依頼が入ってしまったので

またあとで完成させたいと思います。

 

とりあえずEstoniaの首都 Tallinnの風景を貼らせていただきますね。

 

 

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バルト海国際フェリーの旅 (回想)2017年10月 【1/3 TurkuからSwedenへ】

2022-09-20 16:51:21 | 旅行

コロナ禍で簡単に海外に出かけられなくなり

ついつい昔の事を思い出しては旅の回想をする記事ばかり

 

備忘録を兼ねているつもりだけど

もう終活のひとつなのかも・・・

 

ということで

5年前の2017年10月に

バルト海を国際フェリーで旅をした時の記録を残させていただこうと思います。

 

【いつものように前フリが長いので、文章部分はスルーしてください

【文章のあとは旅の風景などをご紹介しますので、それらの画像を楽しんでいただけたら幸いです

 

2017年8月

某産業機械グループ会社に転職した1994年夏

入社して1週間もたたないのに韓国への出張を命ぜられ

それもOEM販売することとなったFinland製品の初回の試運転に

本国から来る担当者と立ち合いのアテンドをしろとの超いい加減な業務命令

(まともに英会話のできるスタッフがおらず、「英語が得意だから任せた」だって

 

そんな訳で大阪から釜山に飛び、当時は陸路で片道4時間ほどかかる巨済島の某造船所に行き

おっとりとしたお人好しの担当者と劣悪な環境下で約10日間ほど苦楽を共にした仲となり

その後もお互いにFinland側、日本側の窓口となっていたのですが

Finlandが1995年からEUに加盟することになり為替でも不利となり

好き勝手仕様変更を要求するため追加費用で価格を上げざるを得ず

なのに一定額のコミッションを是が非でも入れろと要求する上司

更にはコピー製品を造る競合も出てきて売り上げが激減し

 

それまでは日本市場での独占販売権を主張していたものの

維持するのは困難だと管理職になった時に会社を説得してOEM契約を解除し

彼らも独自で代理店をみつけ直接的な関係は無くなっていたのですが

 

金儲けしか考えないただの商社では売れる訳もなく

その後も日本に営業で訪れるたびに『一緒にご飯食べませんか』と誘われ

仲の良い友人としてお付き合いを継続していたのですが

 

私が2000年にそのOEM販売をしていた会社を退職し、起業して独立した時に

元々創業者の孫で、知り合った当時は彼の兄が社長だったのが

いつしか彼が社長に就任したと耳にして

『日本市場の代理店したろか?』と上から目線でオファーしたところ

大喜びで承諾してくれ

 

こちらもガムシャラに会社を維持しなければと燃えてた事と

数年して運よく世界的な造船ブームの波に乗り

しばらく年間1億弱の売り上げを達成していたのですが

 

競合会社の接待攻勢と他分野の機器をパッケージで売り込む戦略に太刀打ちできず

造船ブームも過ぎ去って需要が激減し

仲良しだった社長になった友人も

将来的に必ず設置が条例化されると思われたバラスト水処理装置の開発に

巨額投資していたものの、とうとう条例化されず責任を問われて辞職

会社から創業者一族がいなくなり、M&Aで投資会社の傘下となってしまいました。

 

そんな浮き沈みを共に歩んできた会社が

新しい雇われ社長の就任によって拡販を図るため世界中の代理店に声をかけ

マーケティングセミナーを実施するとの招待状が届き

それならばとFinlandに行くことに

直行便はやっぱり便利ですよね~

【15:00】Helsinki 到着

【15:20】Turku行 高速バス乗車

しばらくして社内アナウンスで バスの車輛を交換すると言われ

荷物は乗り換える後続の別便で送るからと路上に置かれてビックリ 

まあ、なんせラフなFinlandのお国柄 そんなことで驚いてたら身が持ちません(笑)

 

【17:35】Turkuのバスターミナル到着

久しぶりのTurkuの市街地を歩きながらホテルに向かいました。

【17:55】予約されていたホテルにチェックイン

軽く仮眠してから

【19:00】晩御飯を食べようと外出

やはり移動疲れもあり、時差ぼけで睡魔に襲われ

レストランで食べるのが面倒くさくなって スーパーマーケットで

食材を買ってホテルの部屋で食べることにしちゃいました。

 

翌朝【07:30】ホテルでブレックファースト

シンプルだけど北欧のパンも美味しいんですよぉ~

 

迎えに来たバスに乗車してホテルから40キロ離れたセミナー会場に到着

 



 

参加した代理店各社の自己紹介とメーカー側のマネージメントスタッフの紹介を済ませてから

今後の展望や業界のトレンド、動向などを聴講

ブレークの時間は相互の親睦を深めるための時間

Buffetスタイルの食事を楽しみながら 旧知のスタッフと会話してのんびりと過ごし

【17:00】セミナーを終了してから 隣の施設に移動

夕食には早いなと思ってたところ

TurkuのArchipelogo(諸島)巡りのボートツアーが予定されていて

全員防水&防寒服に着替え乗船

(女性と年配のメンバーは屋根付きのボート)

約1時間のクルーズを楽しんだ後で出航したポンツーンに戻り

【19:30】まずは食事

そして写真には残していませんでしたが

深酔いする前にと

この施設の売りのひとつである 薪焚きのサウナに入り

フィンランド式に水をかけて熱々のスチームを浴びながら

熱くなったら 水風呂の代わりにおもてのビーチに入り

ジャグジーとサウナを繰り返し

 

その後Turkuの市街地に戻り PUB巡り

昔訪れた時に入った OLD BANKが懐かしかった~

このTurkuという街、人口比率が考えたら信じられないほどPUBやNight Clubがあって

Finland人がどれだけアルコホリックだとわかっちゃうんですよ

何人かはまだハシゴ酒していたけど、こちらは翌日の予定があったので【01:00】に退散

 

翌日の朝食は【08:00】となりました。

【8:30】Pick Upのバスに乗り込み 本社訪問

初めて訪れた頃と比べると、建物も従業員も増えビックリしながら社内を歩き

現組織のオーガニゼーションチャートから

各部門のプレゼンや工場見学

そうこうして【17:00】二日目のプログラムを終了して

またまた市街地に繰り出して 夕食とPUB巡りとなったのですが

実はその日の夜の国際フェリーでSwedenのStockholmに行くこととしていため

そこでみなとお別れ

 

ホテルに歩いて戻ったのですが

こんなAsia Foodの店ができていてビックリ

 

その昔、Turkuの隣のNaantaliにあるムーミン村は日本人観光客がよく訪れていると聞いていたものの

Turkuの街中は、フィンランド人とスエーデン人ばかりで

閉鎖的な印象だったんだけどなぁ

(以前は有色人種に対する偏見も酷かったんです

EUに加盟して気軽に国境を跨いでの移動ができるようになり

不良移民も増えて

世界中インバウンド観光客も溢れていた時期だったので

世の中なんて、アッというまに変わっちゃうもんなんだなと再認識

乗船時間にはまだ余裕があったのですが

なんせ国際フェリー

乗り遅れたら大変と中座したのですが

PUBに入りたかったなぁと恨めし気に横目で眺め

 

TAXIを拾ってフェリーに乗船するためにVIKING LINEへ

【18:50】乗船手続き

タッチパネルの言語から 利用者層がわかるでしょ

一応、隣国に渡るためチェックインの時にパスポートの提示を求められます。

夕食抜きとなってしまったため

出発ロビー内で軽食とビールとしたのですが

やっぱ足元みるんだもんなぁ

 

こんなんで約10ユーロ

【20:40】ようやく乗船開始

自分の部屋に到着

狭いながらも個室となりました

今回乗船したのがまだ新造船だった”VIKING GRACE”

最近日本でも、新造したさんふらわあがLNG燃料のエンジンだと自慢げに宣伝していますが

Finlandでは5年前の2017年に既に就航してたんですよ。

船内のエンターテインメントなどの案内もありましたが

連日のハードスケジュールに疲れシャワーを浴びてすぐに寝ちゃいました。

で、4時に目覚めてしまい 

今回の主目的だったセミナーの資料と参加記念品を再確認してから

【4:20】船内探検開始

船内Wifiもあり

こちらはBAR DECK

有料のコインロッカーもあり

国際航路なのでカジノも

エステやサウナは勿論

もう閉まってましたがNight Clubも

なんせ大酒のみでアルコホリックなFinlandのフェリー

免税で飲めるバーやラウンジだらけ

結局パブリックスペースは全て閉まっていて何もできず

暇つぶしにカジノで遊んでみたのですが・・・

当然のことながら撃沈

 

元々ギャンブルは好きじゃないのでテレビゲームでもした気分で

適当に切り上げて下船準備

 



 

【6:30】定刻どおりStockholmに到着

フェリーなのでRORO船(自走する車両で積み下ろしができる船)

それにしても変わった構造をしてるなぁと眺めながら

バルト海のフェリー

その昔、この船首(バウ)の水密が不完全で沈没した船があったなぁと思い出しちゃいました。

http://www.shippai.org/fkd/cf/CA0000449.html

ただ、最近こんな恐ろしい仮説も

(https://www.afpbb.com/articles/-/3307076)

こうして無事Stockholm上陸となったのですが

Swedenは、仲良しのSweden系Finland人が働いていた会社があったため

会社訪問や会食、街歩きや電車でDenmarkに行ったこともあり

この時の旅では、当初TurkuからStockholmに渡り

Stockholmからバルト三国のLatviaのRigaに渡り

RigaからEstoniaのTallinnに陸路で移動してHelsinkiに戻る計画を立てていたところ

 

偶然だったのか必然だったのか

突然Tallinnの会社から代理店をして欲しいとのメールが入り

アポイントがその翌々日となりRigaを経由する余裕がなくなってしまい

ルートをStockholm→Tallinn行のフェリーに変更となってしまったため

Stockholmは単なる駆け足での通過点となりました。

ということで、またまた端折ってフェトチャンネルもどきの

Stockholmの風景をご覧いただければ幸いです。

 

 

 

〔”2/3  Stockholmの旧市街 Gamrastan街歩き"に続く〕

 

 

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