いきなり フィギュアスケートの話題です。
あまり興味のない人もいるでしょうが
実は私は古くからのフィギュアスケートファンなんです(^_^)/
学生のころは、少しだけ真似事もしていました。
さてさて、NHK杯の羽生結弦くんの演技はすごかった~!
まあなんて、人類が・・それも同胞の日本人が・・!考えられないようなすばらしいものを見せてくれるようになって、嬉しい!ありがとう!と言いたいです。
「カンペキ」という言葉でくくってしまうのにはもったいないというかなんというのか、ジャンプだけではなく、滑りそのもののキレ、振り、構成 そして心が感じられ、すべてにおいて非の打ちどころがなく、あれは演技ではなく芸術と呼ぶにふさわしいと思いました。
記憶に新しいところでは 先の冬季オリンピックの浅田真央ちゃんのあのショートでの失敗からフリーでカンペキの演技をしたドラマを思い出します。
こころのなかの「陰・陽」ってあんなにもあらわれるんだなあ、、とつくづく思いました。
トップにいく人たちは、技術や表現力はもちろんのこと、その自信に裏付けされて出来上がっていく「こころ」とともにいつも生きていることわかります。
私たちも、トップアスリートほどではないのかもしれませんが、緊張感の高まった場面では「そんなはずではなかった」ということになってしまうことありますね。
結婚式でスピーチを頼まれて、考えて練習してきたはずだしメモしたはずの言葉が 頭が真っ白になって一言も出なくなってしまった・・ような経験ありませんか? 私ありまーす!その後十年間は思い出すのもイヤでした(^^)
しかし・・、
浅田真央ちゃんが本来ならフリーでのような演技ができる実力があるのに、なぜかショートでは自分でもわからずあれよあれよとあんなかんじになってしまったように・・
今から考えると・・私も、スピーチを上手にできる力はあったのかもしれない・・というふうに考えられるようになりました。
誰でもそうだと思いますが、大勢の人を前にすると「上手くできなきゃダメ!」と必要のないプレッシャーを自分自身にかけてしまうものです。楽しくってわくわくしちゃってマイクはなさない♪という人は、そうそういないんじゃないかなあ。
ところで、これはある大女優さんが話したことをどこかで聞いた話ですが・・
その大女優さんは舞台のそでに立つときは、何年やっても、緊張して足が震えるそうです。そして、出番が来て舞台にあがると、いつも通りにすばらしい演技をしているとのことですが、本人以外のみんなは、まさかそんなに緊張しているとは見えず思いもよらないそうです。
「人の目を感じること」「上手くやりたいとの思い」「私にできるだろうかという一抹の不安」「そして演技への情熱」
・・そして、そんな「怖さ」から逃げ出したらどんなに楽だろうという心の奥底のかすかな声
・・それに負けず、自分の背中を自分の手でぐいっと押し出すその「こころ」・・・
それは、あのスケート靴のあの細い細い刃のうえに立っているような「こころもち」なのかもしれません。
弱い心と強い心のちょうどバランスのとれて、いちばんよく滑るところにのること・・
そんな「こころ」で魅せてくれるからこそ、私たちに感動を与えてくれるのでしょう。
(スケートをやったことのある人は、イメージしていただきやすいでしょう。カーブを曲がるとき、体を倒しすぎると転んでしまいます。また力みすぎるとスピードにのることができません。上手になってくると、細い刃のちょうどよいところに乗れるようになり、力を入れずともよくすべることができます)
よく「メンタルが強い」という表現で人のことを評価することがありますが、Chieは、この言葉は何か空々しい響きも含んでいるような感じがします。
私たちは、その人のことをどれだけ知っているのでしょうか?
はたして「心が強い」だけなのでしょうか?
また「心が弱い」ことは、ダメなことなのでしょうか?
私たちは、その人が知らないところでどれだけのことをしているのか、想像しようとすら思わないのではないでしょうか?
トップにいく人たちは、もちろん生まれながらの才能もありましょうし、それが開花する環境に恵まれたことも確かにありましょうが(それも実力と言われています)
それ以上に、彼らは、自分を信じ、日々努力し、自分ができる精一杯のことをし、数々の失敗を体験し、人々からのプレッシャーや数々の緊張感をも乗り越え・・・
そのためには、自分自身と心底、真摯に向き合わざる負えず、
自分の良いところ、強みだけではなく、
必然的に、頑張れるところも、良いところも、そして悪いところも、弱いところも、すべて知らざる負えなかったのだと思います。
その「結果だけ」が、私たちの目に映っているのです。
いつも思います。
そんな「すごい人々」は「優しい人」です。
・・・それは、いつも自分の「弱さ」に向き合い、それを乗り越えるのにどれだけの想いをしてきたか、自分自身知っているからです。
自分をどうしても守ってしまいがちなわたしも、自分の歩幅で少しずつ、ほんとうの優しい人になっていきたいです。