HSP(ハイセンシティブパーソン)知ってますか?
「超敏感さん」ということなんですが、さっぱりした人々が気が付かないような人の感情や場の空気に敏感な人のことをいうんですね。
20年くらい前でしょうか、アメリカから日本に上陸した概念と言葉のようです。当時、私が通っていた心理の先生のオフィスで手に取った本が、HSPについて紹介したエッセイでした。また、私は並行して「表現アートセラピー」をベースにしたカナダ発の教育手法「ラーニング・スルー・ディ・アート」のワークショップに何回か参加したことがあり、そこで通訳の若い女性がその本の筆者だと知り、その偶然性に驚いたのを覚えています。
そのHSP、令和になり、スピリチュアルに詳しい人にとって当たり前に使われていますね。
私は、悩んでいた当時、アダルトチャイルド、自閉症スペクトラムなどと共に、「HSPであるわたし」に長年の悩みの元に辿りついたというある種の安堵感を得たものでした。そして、レア体質な自分にちょっとした優越感を感じました。まあ、当時はずいぶん自信なかったですからね、そんなところで自尊心のかけらを保とうとしていたところあったみたいですね。^^;
今やHSPはメジャーになりましたから、「わたしレアものよ」というおかしなプライドは通用しなくなりました。
この体質は、生まれつきなのか、はたまた、親の感情の乱高下が激しかったから、その災難から繊細な自分の心を守る術だったのかはわかりませんが、自分でも意識できないほど緊張して生きてきたようです。なので、多くの人が当たり前に感じている「安心感」とはどのような感覚なのかということさえわかりませんでした。
そんなこんなで、超敏感さんのわたしは、人が密集したところが苦手です。なんとなく人の気持ちを察してしまうからでしょうかね。息苦しさやちょっとした恐怖心を抱いてしまうところあり。コンサートなどの座席指定もなるべく通路側のはしっこを選ぶようにしています。コロナ禍以降は、ひとりおきであったり、定員の半数ほどの会場で、わたしとしては嬉しい環境なのでありますが(^^)
さて、HSPの潜在的な苦しみとして、自分の要求よりも他人の要求を優先しがちというところがあるようです。その原因のひとつに、生まれたときから(お腹にいたときから)自分の世話をしてくれた母親の気持ちを過剰に感じ取ってしまうが故に、自分の気持ちとの境目がわからなかったということがあげられるのではないでしょうか。
私は、3,4歳の自分が「この子はどうやって生きていくのかしら」と思ったという記憶があるのですが、よくよく考えると子供がそのようなことを考えるのはおかしな話で、今から推測すると、発話が遅かったわたしを母が心配しての想いであったのでしょう。
以上のように、気持ちが読めるからこそ、小さい子にとって、それも不器用だったり、感受性の高さからくる弱さをかかえた子にとって、自分の世話をしてくれる神のような存在(母親が多いと思いますが)のその気持ちにどうしても沿ってしまう体質ができあがるのではと思われます。
それで、成人してからも、自分という存在が不確かなものに感じたり、親子関係が社会性にも投影されて、他人の意見を優先してしまう、考えすぎてしまうなどのいわゆる「生き辛さ」を感じて苦しくなるのでしょうね。
しかし、そういう人々が「自分がない」わけではないのです。HSPは人の気持ちを感じてしまうがために、子供のころから「大人のウソ」(言葉と心が一致していないこと)を見抜いており、そのため無意識的に大人の言うことは信じきれないと感じています。
さらに、卓越した洞察力を持ち合わせている子は、自分独自の考えや観方を確立しています。精神的に大人びた子供も多いのです。ただ、それを口にできるわけではありません。自分の洞察力を言葉で表現することは難しすぎます。大人だって、自分の考えを的確にまとめられる人なんてそうそういませんよね。
また、子供は非力ですから、大人がいないと生きてはいけません。自分の環境にいる大人よりも、ずっと広い視野を持ち合わせていたとしても、生きていくために環境に自分を合わせていこうとします。それが人間というものですね。
HSP体質の子供の心は、真理を見抜いた目をもちながらも、それを生まれてから一度も表現できずに無意識にかかえており、その葛藤したこころとともに人知れず悩みをもちながら生きている人も多いのです。
そんなことから、私が立ち上げたセラピールーム「あとりえちえ」のホームページでは、そんな方々へ呼びかけてみました。
カウンセリング、アートセラピー、ヒーリングの個人セッションのページで掲載したものをこちらに載せますね。
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~あなたへの手紙~
あなたは、感受性豊かで繊細な方ですね。
ドキッとされたらごめんなさいね。
悪い意味で言ったのではないのです。
ステキな才能があるとお伝えしたかったのです。
たぶん、ものごごろついた頃、
自分はみんなと何か違うと直観的に感じていたからこそ、
ご自分のなかでそのことに触れるのはタブーだったかもしれませんね。
しかし、このページに辿りつかれたあなたは、
そのご自分の感受性と繊細さに悩まされた一方、
とても大事にされてきたのではありませんか?
情報に溢れたこの世は、
あなたの感性や考え方よりも
こちらのほうが信頼に値すると権威ぶってあなたに迫ってきます。
そして、自分の感覚をうたがうようにと、耳元でささやくのです。
そんな洪水に押し寄せられたら、
容易に従ってしまうのも無理のないこと。
けれども、あなたはご自分の感覚に
「イエス」ということを放棄しませんでしたね。
言い換えれば、オモテは多少ぐらぐらしたかもしれませんが、
心の奥底で「自分軸」を保っていたのです。
自分の感性こそ、
自分に最大の恩恵をもたらすことを
どこか知っていたからでしょう。
そんな聡明なあなたは、
ご自分の感性に、
もっともっと「イエス!!」を言ってあげてください。
ーあなたの友達 Chie~