新しく開館した「沖縄県立博物館・美術館」の展示や企画は、期待以上の水準にあり、関係者のご労苦に心から敬意を表したい。
しかし、この館名はどう考えてもいただけない。いったい、館名に付与されている中黒「・」は、何を意味するのだろうか。私の語感からすると、「沖縄県立博物館」「と」「美術館」、としか読めない。英語名は、その和文英訳的直訳かと思われるOkinawa Prefectural Museum and Art Museum。「・」が使えないからかandとなっている。そうすると、「美術館」の正体は何なのか・・・。入館すると左側に「博物館」があり、右側に「美術館」がある。館名の意味するところは、私の解釈と違って「沖縄県立」の「博物館」「と」「美術館」らしいことがうかがえる。
そこで、「沖縄県立博物館・美術館」の存立を規定する県条例を読んでみると、新館の位置付けは教育「機関」で、「博物館施設」と「美術館施設」、「およびその他の施設」からなるという。要するに、旧「沖縄県立博物館」の半身と、生まれるはずだった「沖縄県立(現代)美術館」の半身を足し、これに「沖縄県立博物館・美術館」という上着を着せて誕生したのがこの新館なのである。言いかえれば、「沖縄県立博物館」はすでになく、「沖縄県立(現代)美術館」は未だないことを示す行政本位のネーミングということだ。
それならそれで、ネーミングも”沖縄県立(博物館・美術館)”、あるいは”沖縄県立「博物館・美術館」”とした方が条例の内容に近いと思うが、さすがにそういうわけにもいかなかったのだろう。「・」を付しただけでも紛らわしいのに、( )や「 」まで加えたら噴飯ものだ。
私の文章感覚において中黒「・」の付与は、外来語のカタカナ表記で使うか、「軽い」並列を意味する程度でしかない。そのことについて、若干の事例をあげてみよう。手元にある本を適当に選んでめくってみた。
たとえば、三島由紀夫の『文章読本』(中央公論社)。
まず「キャッチ・フレーズ」という外来語が出てくる。「・」の付与は言葉の句切りを示すもので、原語では両語の間に一字空きがある。次に出てくるのは欧米の作家名。姓と名の間に「・」をつける。「・」を挟まないと区別がつかないからで、その必要上日本において便宜的に付けられたものだろう。氏名の原文表記ないし現地表記は、一字空きになっているはずだ。カタカナで記載される外来の言葉や人名以外、三島の文章に「・」の使用はない。当然だろう。旧漢字や旧仮名遣いに日本語文体の「美」を感知する三島にとって、「や」とか「と」を「・」で代用させることはできなかったのではないか。
次に夏目漱石の『三四郎』(角川文庫)。これも半分ほどめくったが、「・」の登場はカタカナ記載しかないので途中で切り上げる。
村上哲見著『漢詩の名句・名吟』(講談社新書)は、タイトルに沿って「名句」と「名吟」の二部構成になっているかと思い目次を開くと、二つの語句は章だてに見あたらず、本文にも登場しない。「・」に続く「名吟」は、どうやら読者の気を引く付け足し程度の意味しかないらしい。
最近の論文をめくる。文化人類学が専門の東大教授大貫良夫が執筆した「ものの見せ方ー博物館と展示ー」(岩波講座文化人類学第3巻『「もの」の人間世界』)。この人は、大阪万博跡に建てられた国立民族学博物館の展示準備に携わった経歴を持つ。19ページほどの論文で、カタカナ表記以外に「・」が出てきたのは「原料・材料」の一例のみ。辞書にもある「原材料」を強調するために区分けしたのだろう。
ちなみに、英語表記ではどうかと思って新約聖書「マタイ伝」に目を通したが、「・」の用法は見あたらない。
外来語のカタカナ表記を別とすれば、中黒「・」の用例は少ない。日本語の用法としては新しくて、格調も低いことがわかるだろう。県当局の理解では、新館の見かけに比して博物館や美術館の意義は、「・」でつなげられる程度の「軽い」ものでしかないことが察知される。しかしながら、博物館の活動や設立、運営に16年余り関わってきた私の経験と、訪れた国内外の博物館や美術館の事例に照らして見たとき、全国に例のない「博物館・美術館」という名を付したネーミングは、同館の展示や企画、あるいは活動内容にふさわしい「品性」をそなえていない。
それではどうするか。「沖縄県立博物館」を復活させ、「沖縄県立美術館」を独立させるか。それとも、新館の方向性を示す明確な理念と、日本における「博物館」や「美術館」の固定したイメージを超えるmuseum像を明示するとともに、陣容をそろえて、内容にふさわしい公称を県民に諮るか。二者択一しかない、と思っている。
(The Gallery Voice No33号 2008.1.12)
しかし、この館名はどう考えてもいただけない。いったい、館名に付与されている中黒「・」は、何を意味するのだろうか。私の語感からすると、「沖縄県立博物館」「と」「美術館」、としか読めない。英語名は、その和文英訳的直訳かと思われるOkinawa Prefectural Museum and Art Museum。「・」が使えないからかandとなっている。そうすると、「美術館」の正体は何なのか・・・。入館すると左側に「博物館」があり、右側に「美術館」がある。館名の意味するところは、私の解釈と違って「沖縄県立」の「博物館」「と」「美術館」らしいことがうかがえる。
そこで、「沖縄県立博物館・美術館」の存立を規定する県条例を読んでみると、新館の位置付けは教育「機関」で、「博物館施設」と「美術館施設」、「およびその他の施設」からなるという。要するに、旧「沖縄県立博物館」の半身と、生まれるはずだった「沖縄県立(現代)美術館」の半身を足し、これに「沖縄県立博物館・美術館」という上着を着せて誕生したのがこの新館なのである。言いかえれば、「沖縄県立博物館」はすでになく、「沖縄県立(現代)美術館」は未だないことを示す行政本位のネーミングということだ。
それならそれで、ネーミングも”沖縄県立(博物館・美術館)”、あるいは”沖縄県立「博物館・美術館」”とした方が条例の内容に近いと思うが、さすがにそういうわけにもいかなかったのだろう。「・」を付しただけでも紛らわしいのに、( )や「 」まで加えたら噴飯ものだ。
私の文章感覚において中黒「・」の付与は、外来語のカタカナ表記で使うか、「軽い」並列を意味する程度でしかない。そのことについて、若干の事例をあげてみよう。手元にある本を適当に選んでめくってみた。
たとえば、三島由紀夫の『文章読本』(中央公論社)。
まず「キャッチ・フレーズ」という外来語が出てくる。「・」の付与は言葉の句切りを示すもので、原語では両語の間に一字空きがある。次に出てくるのは欧米の作家名。姓と名の間に「・」をつける。「・」を挟まないと区別がつかないからで、その必要上日本において便宜的に付けられたものだろう。氏名の原文表記ないし現地表記は、一字空きになっているはずだ。カタカナで記載される外来の言葉や人名以外、三島の文章に「・」の使用はない。当然だろう。旧漢字や旧仮名遣いに日本語文体の「美」を感知する三島にとって、「や」とか「と」を「・」で代用させることはできなかったのではないか。
次に夏目漱石の『三四郎』(角川文庫)。これも半分ほどめくったが、「・」の登場はカタカナ記載しかないので途中で切り上げる。
村上哲見著『漢詩の名句・名吟』(講談社新書)は、タイトルに沿って「名句」と「名吟」の二部構成になっているかと思い目次を開くと、二つの語句は章だてに見あたらず、本文にも登場しない。「・」に続く「名吟」は、どうやら読者の気を引く付け足し程度の意味しかないらしい。
最近の論文をめくる。文化人類学が専門の東大教授大貫良夫が執筆した「ものの見せ方ー博物館と展示ー」(岩波講座文化人類学第3巻『「もの」の人間世界』)。この人は、大阪万博跡に建てられた国立民族学博物館の展示準備に携わった経歴を持つ。19ページほどの論文で、カタカナ表記以外に「・」が出てきたのは「原料・材料」の一例のみ。辞書にもある「原材料」を強調するために区分けしたのだろう。
ちなみに、英語表記ではどうかと思って新約聖書「マタイ伝」に目を通したが、「・」の用法は見あたらない。
外来語のカタカナ表記を別とすれば、中黒「・」の用例は少ない。日本語の用法としては新しくて、格調も低いことがわかるだろう。県当局の理解では、新館の見かけに比して博物館や美術館の意義は、「・」でつなげられる程度の「軽い」ものでしかないことが察知される。しかしながら、博物館の活動や設立、運営に16年余り関わってきた私の経験と、訪れた国内外の博物館や美術館の事例に照らして見たとき、全国に例のない「博物館・美術館」という名を付したネーミングは、同館の展示や企画、あるいは活動内容にふさわしい「品性」をそなえていない。
それではどうするか。「沖縄県立博物館」を復活させ、「沖縄県立美術館」を独立させるか。それとも、新館の方向性を示す明確な理念と、日本における「博物館」や「美術館」の固定したイメージを超えるmuseum像を明示するとともに、陣容をそろえて、内容にふさわしい公称を県民に諮るか。二者択一しかない、と思っている。
(The Gallery Voice No33号 2008.1.12)