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玉城寛子の短歌世界ー「<沖縄の私>を詠う短歌」を読む(2012-06-22)

2021-02-09 02:45:26 | 著作案
はじめに 

 ときどき通う歯科医院の女医から、小学校時代からの同級生・玉城寛子の短歌が収録された同人誌『くれない18』(紅短歌会)を受け取った。ことづかった女医は玉城の妹に当たる。玉城は琉球大学で国文学を専攻、高校で国語の教師をしていたが、ある時期から「難病」を患い、車椅子の生活をしているらしい。今は、介護のために職を辞したというご主人や娘とその弟と暮らしながら、作歌にいそしんでいる様子。県内の歌壇ではすでに名の知られた歌人である。第1歌集『沖縄の孤独』(2002 紅短歌会)がある。(2011年9月、第2歌集『きりぎしの白百合』を上梓している。後記)。

 雑文を書き散らして40年近く経過している私のひそかな願いは、「詩歌のような散文を書きたい」ということだが、いまだに果たせないでいる。詩歌のような散文とは、まずは韻律的=リズミカルな文章のことである。したがって、私にとって詩歌を読む理由は第一にそのリズムを学ぶことである。

 歌集1冊にまるごと眼を通すのはきついが、歌誌冒頭に掲載されている彼女の短歌は60首。お礼代わりに読後感を記して渡そう、と思い立ったのがこの文章を書き始めるにいたった動機である。とはいえ、もの書きの世界の末端を汚してきたとはいうものの、短歌については素人に近い。しかしそこは同級生のよしみ、私の拙くもしばしば的を外すことまちがいないような「講評」を許してもらえるはずだという勝手な思い込みのもとに、文を紡いでいくことにしたい。

 「短歌」を「読む」ということ

 詩歌から「リズム」を学びたい、とは言ったものの、やはりそれだけで終わりたくはない。どうせなら文学作品一般の読み方につながるような書き方をしたい。日頃から思っていて、たまたまタイトルにひかれて買った吉本隆明の本に、おあつらえむきの一文を見つけた。「短歌を読む」方法の手助けとして、吉本の力をまずは借りることにする。彼は「文学作品というのは、物語性や主題性だけでは見てはいけない」という。そして、読み方に加えて批評する場合も含めて、「言語美学的な考え方からすると」とことわったうえで、次のように記している(「室生犀星に見る徹底した自己暴露」『老いの流儀』NHK出版)。

  まず「韻律」が根底にあり、それから場面をどう選んだかという「選択」、さらに表現対象や時間が移る「転換」、そしてメタファー(暗喩)やシミリ(直喩)などの「喩」があります。 

 「要するに」文学作品は物語性や主題性とあわせて韻律、選択、転換、喩の四つが「いかに巧みに表現されているか」で価値が決定されるというのである。  

 そして短歌。短歌を詠む側にいない人間が、短歌をどう読むか、どう読めるか。まずは作家の歌論に当たるほかない。ところが、どのジャンルでも言えることだろうが、短歌の場合でも歌論もしくは歌観は歌人の数だけある、というのが実情だと思う。だから、私がたまたま読んだ上田三四二の『短歌一生』(講談社学術文庫)も、歌人たちの間でどのような評価がなされているか、知ることはできないし、調べている余裕もない。ただ、そのなかで見つけた彼の詩歌論は、私にとって肝に銘じておくに値する。すなわち、「詩歌は存命のよろこびを歌うものだ」(「いのちの歌」)。そして、続ける。
 
 生きるよろこび、と言っても同じだが、「生きる」には「存命」の語のふかいかげりがない。生きながらえる、死ぬべき運命のものが、幸いにしていのちを全うしているー存命には、そういう生かされてあることの自覚と感謝の含意がある。

 上田は一般論を述べているわけではない。42歳で「死の予告」を読むような「匿(かく)された病名」におののき、さらに18年後、以前の大病と「くらべものにならない術苦ののちに」「一臓をうしなって、いのちをつなぎ得た」(「余命」)という実体験に裏打ちされた歌論なのである。かつて他人事にように読んだ上田の歌論を読み返したのは、玉城寛子の次の歌を眼にしてからである。

  七十歳まで命下さい主治医(いし)へすがる為すべきことの道半ばにて

「詩歌は存命のよろこびを歌うもの」 

 幸いにして私は、上田や玉城のような大病を患ったことはないが、この歌には身につまされるものがある。同い年だから彼女は現在65歳、上記の作歌の時点ではたぶん60代前半である。それでなお「七十歳まで」と歌う心境と体調は、まだ健康のつもりでいる私の想像力の範囲を超えている。しかしよくよく考えれば、やはり他人事ではない。私がつねづね惹かれている仏教思想でいえば、仏教が目指すのは「四苦」からの脱却=解脱である。苦の根源は「生老病死」への「執着(しゅうじゃく)」にあり、とするのである。数十億年単位で人間の命と救済を測り、図る仏教のスパンからすれば、一人の人間の「老」も「病」もすぐ間近にあるか、すでに到来している。もちろん「死」も例外ではない。「諸行無常」とはそういうことだし、ギリシャ哲学の表現を用いるなら「万物は流転する」。この哲理は、あくまで、どこまでも「普遍」である。

 だからこそ人は、否、私たちは「存命のよろこび」を互いに分かち合いたいのである。たとえば詩歌を介して・・・。

 上田の文章で知った吉田兼好の言葉。「されば人死を憎まば、生(しょう)を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」 引用の後で上田は「日々に楽しむとは、兼好にとって、寸刻のたゆみもなく生きることであり、そういう具体的なあらわれが・・・山科の隠棲という閑雅の発見だったのである」とつなぐ。反論するわけではないが、「閑雅」は何も隠棲しなければ得られないものではない、と思う。「日々に楽しむ」ことを「日々」こころがけていれば、いつでも「閑雅」は発見できるはずだ。上田はその「方法」として作詩・作歌をとらえている。

 私は、詩歌のありようは、この閑雅にあそぶことだとおもう。すぐれた歌を読み、みずからも一つの歌をつくるとき、人はこの閑雅にあそんでいるのである。すると時の流れが目に見えてくる。夏が去り、秋が来、雲が行き、木の葉が移り、子供の背丈が伸び、そうして、わが身のうちには否定しようもなく老いの沈澱してゆくのが感じられる。何と、いのちのかぎりということの、目の前にあることだろう。私は歌とは、この時間によせるなげきだと思う。留めるすべもない歳月によせる、未練だと思う。

 如上の文脈で言えば、短歌の主題とは「生老病死」をどう詠み込むか、ということになる。歌論としてはいかにも限定的に聞こえなくもないが、私(たち)のように「老境」に差しかかりつつある人間にとってはわかりやすい。

玉城短歌の「主題性」と「物語性」 

 玉城の歌に戻る。「七十歳まで命下さい」という普通なら括弧でくくられる字余りの会話体を初句に置き、転じて通常の短歌形式に移るのは「韻律」上のテクニックであろうが、今ではめずらしいものではない。「場面」で言えば「すがる」という言葉で表される訴えの相手がおのれの「命を預けた」「主治医」であるところに、二人のこの間の長い会話・対話が推し量られる。そのうえで、「為すべきことの道半ばにて」とする理由で結ぶところが、私たちの共感を呼ぶのである。「為すべきこと」とはまずは家族に対してであろうし、当然「道半ば」の作歌でもあろう。この歌が読者の共感や感動を呼び起こす要因としては、その「主題性」と「物語性」を先にあげるべきだろう。上句から下句に移る「場面」の「選択」と「転換」が美学的な価値を高めていると思われるが、全体に「喩」らしきものはない。あるとかえって、余計に感じられるかもしれない。
 
 いかに読者の共感を呼び、いかに読者のイメージを喚起できるか。文学作品の価値を決める基準として当然列記すべき事項であることを知らされる。本人には酷な言い方になるかもしれないが、上田が「歌とは、この時間によせるなげきであ」り、「留めるすべもない歳月によせる、未練だと思う」とする歌論を実証する、典型的な作品であるということもできよう。

 主題性と物語性で読ませる歌の類例は多い。概して痛みのさなか、あるいはその合間に率直に心境を吐露する歌や、家族に向けて愛情をそそぐ歌にこの形式が多い。読んでいると、このような「主題」には、こみいった「表現のテクニック」はさほど必要としないのではないか、とさえ思われる。玉城の場合、その「物語性」だけで十分に読む者の胸を打つとも言えよう。もちろん、一部に効果的な喩や細工が施され、「言語美学」を添える場合もある。

 くしゃくしゃに心が縮む春宵は明るき友へケイタイを打つ
 「くしゃくしゃに心が縮む」という直喩が新鮮である。春の「宵」に「明るき」友にメールを送る(交換する)ことで、すこしでも心をほぐそう、という歌である。

 作問を仕上げ教室へ走り向かふ退職十年あかときの夢
 誰でもおのれの身に照らして思い当たるような身近な短歌。

 他の作例。

 失明を告げられ怨嗟の声あげし息子は今車椅子(いす)のわれに沿う日々
 朝夕の厨の夫のうしろ姿(で)に車椅子にて心の濡るる
 憂ひなきごとくに澄める秋の空杖止めしばし仰ぎゐる朝
 生の果てにたちゐるごとき胸の痛み崩ゆるな崩ゆるなわれのたましひ
 体調が戻る春よとひと口のチョコを手渡す娘といる朝餉
 苦しいと言へば苦しさ増すのみに少しきついと介護の娘には
 この命甦らせるはペースメーカー主治医(いし)の言の葉耳にはりつく
 山ひとつまた迫り越ゆるべく気迫高めむ秋の陽に向く
 嬉嬉としてパテックス貼る夫の背に為しえることのひとつにあれば
 朝庭に小鳥と口笛交す夫少年にも似て吾(わ)の車椅子(いす)かろし
 苦しみの夕つ時をよぎりくる死の影たたく病巣何処

「歴史的現在」を詠うー玉城短歌の「公的」=「批評的」側面

 上記のような「主題性」と「物語性」を前面に出す作品には、「私」的シーンが多い。ところが、玉城の作品にはそれとは異なった一群がある。それをとりあえず「歴史的現在」=状況に立ち向かい、状況にむけた感懐を詠うジャンルとでもしておこう。

 作例は少なくない。戦争や基地、時勢を詠う歌のどれもそうだと言って過言ではないが、注目すべきはその「詠い方」である。その一例。

  ぬばたまの夜のしじまを流れおり「ぼうや大きくならないで」ああ

 「ぬばたまの」はことわるまでもなく「夜」に前置される枕詞。万葉語を引き出すことで夜の「静寂」の深さを喚起させ、その「しじま」が、流れてくるベトナム生まれの「反戦歌」のメロディーと歌詞の内容をいよいよ意味深いものにさせる。そして、「ああ」という慨嘆の感嘆詞につなぎ、終わる。

  「大きく」なったらまちがいなく戦争にとられることになる息子に向けて、「大きくならないで」と歌う母親の悲嘆は、娘と息子に恵まれた作者の共感であろうが、その共感こそ比較的数の多い彼女の「反戦・非=否戦」「反基地」を主題とする短歌に通底するものである。そして即座に付記しておきたいのだが、彼女の歌は決して「スローガン」ではない。彼女が志すのはどこまでも「文学」である。     

 日米の荒波に沖縄(シマ)はたゆたひてブーゲンビレアの棘あらはなる

  「日米の荒波」に沖縄のアイデンティティ=根を揺すられ、もぎ取られて浮遊し、漂流する、漂流せざるをえない状況をまず詠い込む。そして、場面を変えてシマジマのどこでも赤や紫、白の花を高く咲かせるブーゲンビレアの、その花々ではなく、鋭い棘を眼前に際立たせることで、読む者の痛覚を呼び覚ます。

 それだけにとどまらない。この「棘」は、時に沖縄(シマ)の噴き出す「怒り」に転化することもある。同じく「棘」を詠った次の事例。

 噴き出づる島人の怒り花キリン棘のひしめく米兵(ヘイ)の犯罪
 
 図らずも不幸な事件に引きずり込まれた少女の側に立ち、悲しみと怒りを米軍とその基地の存在、その存在を強要する側に抗議する万余の島人たちをテレビや新聞で見て、花と棘を併せ持つ「花キリン」にひそかに喩えるところに、この作者の力量の高さが示されていると見ることができるだろう。ひるがえって言えば、「日米の荒波」の歌におけるブーゲンブレアも花キリンと同じ位相にあるだろう。「たゆたひて」は大会に集まる人々の「ゆらぎ」、「棘」は怒りのこぶしを隠れた喩としている。

 この種の主題は得てして「説明的」になりがちで、その「説明」に惑わされる一面がないではない。とはいえ、短歌が「文学」であればあるほど、吉本のいう韻律、選択、転換、喩の四つが「いかに巧みに表現されているか」が問われてくると思われる。

 上のような「歴史的現在」を詠う歌は、言葉を変えて言えば玉城における「短歌の批評性」が表出されたジャンルとみなすこともできる。31文字という少ない字数で時代や時勢をいかほど「批評」できるのか。その意味における玉城短歌の「公的」側面を考えてみたい。「短歌の批評性」は、戦後日本の短歌界で久しく議論されてきたテーマらしい。岡部隆志は「果たして、短歌に『批評性』(状況に抗するような力とでも言っておく)があるのか」(「短歌の『批評性』について」『短歌における批評とは』岩波書店)と問うたうえで、「この悩みに、ひとつの答えを出した」作品として塚本邦雄の1首をあげる。「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」。
 
 1958年に刊行された歌集の冒頭に置かれた短歌らしいが、岡部は「この歌の衝撃は」と始めたうえでつぎのように語る。
 
  「日本脱出したし」などという意味性にあるのではなく、「皇帝ペンギン」という言葉の比喩力と、その比喩力に支えられた、この歌の歌としての叙情性が醸しだす、歌が抱え込まれているところの状況に対する「姿勢」とでも言うべきものである。もっと直接的に言えば、短歌の抒情が状況に抗する姿勢のまま表現として成立することを示した、と言ってよい。 

 こう述べたうえで岡部は、「塚本邦雄、春日井健、岡井隆、寺山修司と続く前衛歌人たちの短歌には、共通して叙情性に満ちた比喩力があった」とする。だとすれば、玉城短歌に見られる「叙情性に満ちた比喩力」からして、彼女が戦後登場した前衛歌人たちの系譜を正面から引き継ぐ位置にあることが理解される。

 彼女だけではない。このスタンスは、多かれ少なかれ沖縄で短歌を詠む人たち、少なくとも私たちに近い世代の歌人たちの大半に見られるように思われる。アメリカペンギン、日本ペンギンとその飼育係りたちが沖縄に跋扈している限りは、このスタンスを維持するほかない、ともいえよう。歌人でない私たちさえ、「日本脱出したし」と歌い上げたいのである。沖縄の戦後は終わっていない、それどころか昨今の情勢は「戦中」が続いている。私たちの世代の歌人たちは、「ライト」に(軽く)「ヴァース」(詩歌)を詠(詩)える心境にはないし、状況でもないだろう、ということだ。それが必然的なのか、幸か不幸かは別の話である。

「六根」の歌人 

 玉城寛子をまずは「五感の歌人」と呼んでみようか。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のすべてを鋭敏に働かせながら、歌う対象に向かうという意味である。仏教ではこれに「意」を加えて「六根」と呼ぶ。「意」とは「意識」を生ずる感官のことである。その意味では、「六根の歌人」と名づけたほうがより近いかも知れない。意識とはもともと仏教語の「六識」のことで、「認識し、思考する心の働き。感覚的知覚に対して、純粋に内面的な活動」(『広辞苑』)を意味する。五感を統括するのが意識ということだ。

 六根を動員した作品として、たとえば60首中の冒頭に記された1首。
    
 旧正の空わなわな震へおりステルス戦機の鋭き嘴

 民間企業では旧正月を休日にするところが少なくない。サトウキビの収穫で繁忙を極める農家とて同じである。作者の住む糸満は漁師の町であり、漁民は例外なく旧正月を祝うというから、道行く車の数も少ないであろう。ところが、農民や漁民にとって数少ない安らぎの祝日などおかまいなしに、轟音を立てて米軍の新鋭戦闘機が飛来する。先端が鳥の鋭い嘴に似ていることから彼女は、戦闘機を巨大な怪鳥に見立てて、それがけたたましく鳴き声をあげながら、空を震わせて飛んで来る様に見立てたのであろう。その「鋭い嘴」は、巨大なロケット弾さえ連想させる。

 もちろん、轟音に「わなわな震える空」は、体験者からすると沖縄戦最後の戦闘地糸満の、当時の上空を連想させるはずなのである。そのような人が彼女の身近にいる。
    
 地上戦の話を拒む隣人は五人兄弟の生き残りひとり  
  
 隣人への慮りばかりだけではない。本人からして、自宅の窓ガラスが音を立てて震えることで戦闘機の飛来を感じとったかも知れないし、病み付きの身体に不愉快な共振を無理強いされたかもしれないのである。

 いやおうなく糾合された視覚・聴覚・触覚を介して「戦争」を意識させる怪鳥は、沖縄を「守備」するどころか、イラクに向かって砲弾を落とすために駐留していると考える方が事実に近い。

 濡れ縁の椅子にて月光浴びをれば戦時のイラクの民思はる
 砲弾に怯ゆるイラクの民人(たみびと)に今宵の満月見えるだろうか
 逃れ逃れて難民に闇さまよへる二百万のいのち

 イラクの民人や難民の「今」の姿は、60余年前の沖縄の人々の「当時の」姿そのままと言ってよい。無辜の民に容赦なく砲弾を浴びせる米軍戦闘機が、他ならぬこの沖縄から飛び立ち、かつて沖縄戦を島人たちに強要したと同じ国が許容しているという耐え難き「歴史的現在」。

 そのイラクにも、沖縄と同じように満月は輝くのである。

 沖縄戦が「終わった」のは6月下旬、旧暦なら5月だろう。旧暦5月の満月の日は、平和な村では収穫の祭り「ウマチー」を祝い、祝意を神に表す日でもあった。そんな時節、沖縄の「難民」たちに「満月は見え」たのだろうか。見えたにしても、砲撃の合間に飲料や食料を調達するだけで精一杯だったのだはないか。あるいは雲に隠れる闇の洞穴のなかでひっそりと声も立てず起きていたのか、寝ていたのか。どの語がどうというのではない。イラクの戦争がそのまま沖縄戦に重なるという意味で、イラクを詠う歌全体が「隠喩」になっているのである。

 空に振動を与えるのは、「怪鳥」だけではない。可憐なうぐいすもまた、「法華経、法華経」と歌って朝空を金色に響かせる。「闇」を「光」に変える小鳥である。

 朝色を金色(きん)に響かすうぐいすの声に浄まる煩ひいくつ

 声しか聞こえないうぐいすも、今朝は太陽の放つ色を浴びて金色に輝いているのだろうか。小鳥のからだだけでなく、声まで金色を帯びているようだ、というのである。自分まで金色に輝くようで浄化された気持ちになる。こんな朝は、日課として数える本人や家族の抱える煩いもすべて浄まる、と作者は言いたいのだろう。視覚が聴覚を呼び、金色の声が心=意識を浄める。文字通り「六根清浄」の歌であり、玉城を「六根の歌人」と呼ぶことがさして的をはずれていないことの例証であると考えたい。仮に「煩ひ」を「煩悩」と深読みすれば、私には如来像本来の色が金色であることが想起される。

 次は視覚と嗅覚の歌。

 月光を吸ひて花房ほどきゆく月下美人の孤高の香り

 無愛想な茎に、思いも寄らぬ大きなつぼみをつけ、あれよという間に花開き、あれよという間にしぼむ月下美人。大輪の花の美しさに加えて、短い開花時間がいよいよ「孤高」に映る。「花房」「ほどきゆく」はいかにも女性らしい表現。花房の大きさが「吸いて」の量を測り、月光の「香り」の濃さまで連想させる。

 他に月夜を歌った2首。眠れない夜に歌うことも多々あるのだろう。

 六月の摩文仁の甘蔗の葉さやさやと鎮魂の音か月夜に奏づる

 聴覚が視覚を呼び起こし、意識を眼覚ませる歌である。「さやさや」というリズミカルな語は触覚も呼び覚ます。

 胸痛のゆるびに微笑む十六夜の月と語らふ窓開け放ち

 恵まれたはずの触覚が、作者にとってしばしば痛覚に変わる。こんな悲しいことはない。そのゆるみの合間に、月と語ろうというのである。どんな話題だろう。イラクや沖縄戦とは違った話題であろうと思うし、願いたい。「ゆるび」は「胸痛」と「十六夜」に、「微笑む」は作者と月に掛かる。「窓」は作者の隠喩となっている。

 次に触覚と嗅覚の歌。

 早朝の渚を素足で歩みだし車椅子(いす)をほどきて潮の香まとひ
 首すらももたげ得ず夫の腕のなか生の香放つレモンを嗅ぎぬ

 聴覚と視覚の歌。

 急速に改憲論議かまびすしシロガシラの群れ今朝は疎まし

 阿部内閣の時期に歌われたものか。「醜い日本」を美辞麗句で覆って「改憲」を図ろうとする国政の記事を読んだ朝は、日頃群れるタイワンシロガシラのさえずりさえもうるさく、疎ましく感じられるというのだろう。小鳥たちの飛び方の速さまで気にさわったかもしれない。「場面」の「転換」と「連続」がおもしろい。「うぐいす」の歌や「月下美人」の歌の、のどかな場面とは違うもうひとつの詠い方を見せている。

玉城短歌の「しらべ」と「みやび」

 韻律あるいは「調べ」の歌。

 行きどまりどの道ゆけどもゆきどまり夢にめざむる未明の悪寒

 「行く」「止まる」「戻る」「行く」のギリシャ神話的な強いられた反復は、私たちでもつらい。そんなテーマの重さとは裏腹の技巧的な歌である。まず、上句の「ゆ」音と「ど」音の連鎖、上句・下句の両方に現れるマ行音の連続が韻律・調べをつくり、それが一首の内容の「暗さ」を救っている。下句の初めに現れる「ゆーめ」の「ゆ」は上句のそれを受け、「め」が下句のマ行音の継続を誘い出す。一方、出始めの「行き」を、2度目は「ゆき」とひらがなで表記することによって「ゆーき」と読むことを求めている。釈迦に説法のそしりを恐れずに付け足せば、音声言葉が呼び起こす韻律効果に、文字言葉がもたらす視覚的な変移(変位)効果を重ね合わせるという意味では、始めの「行きどまり」は「行き止まり」と表記したほうがよかったかもしれない。

 隠喩と「調べ」の歌。

 生活保護絶たれ生命がまろびゆく枯葉カラカラ冬の街路に

 本人の「実相」を詠ったものではなく、その「心象風景」を詠んだものと解されるが、それはそれとして、深刻なテーマを、隠喩を駆使して軽やかに歌い上げている。「枯葉」は「生命がまろびゆく」の隠喩であろうし、カラカラという擬音は「枯れる」さまを連想させ、同時に「生命」がコロコロ「転がる」情景も暗示する。「冬」の「街路」を「まろびゆく」「枯葉」は、生活保護を絶たれて途方に暮れながら寒風が沁みる道を行くおのれの姿に重なる。上句末尾の「まろびゆく」の「く」から下句の「か」、「が」のカ行音4音につなぐ手法も当然意識されたものである。「ころびゆく」ではなく「まろびゆく」とすることで歌に「みやび」を添え、歌格を整えている。畳み掛ける隠喩の作りようも合わせてこの歌は、作者が今や県内歌壇で知られる位置にあることを象徴しているように思われる。

 「私的」な場面を詠う作品においては、その「主題性」と「物語性」で訴えるものがあれば、「言語美学」的な修辞は喩のひとつもあれば足りるのだろうか。そんな所感を先に付しておいた。しかし、上記二つの作品を読んでいると、どうやらそうではない。やはり吉本が指摘するように、選ばれている「韻律」「選択」「転換」「喩」がどの水準にあるかを見逃すわけにはいかないようだ。「私」という「主題」を「物語」的に詠いながら、表現の位相において「韻律」「選択」「転換」「喩」をたくみに使い分ける、使いこなす玉城短歌の「レトリック感覚」(佐藤信夫『レトリック感覚』講談社学術文庫)の現水準を、この2作は示しているはずだ。

 玉城寛子は、上田三四二が言うように「すぐれた歌を読み、みずからも一つの歌をつくり」ながら、「閑雅にあそんでいる」のだろうか。そうであることを推測させるような「行きどまり」の歌であり、「生活保護」の歌である。




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