「次の仕事」は「陶芸」と決めて、那覇市立壺屋焼物博物館長を辞めてから6年目に入る。57歳での勧奨退職であった。 「なぜ陶芸か」と訊かれれば、「それしかなかった」からである。それまでいくつかの職種を経験してきたが、いずれも「頭を使う」仕事ばかりであった。次は「身体で考える」仕事をーそういう思いは以前からあった。陶芸しかない、と決めて後は「走りながら考える」ことになる。
知り合いから小型のガス窯をもらい、「実験的」な試みは始めていた。そこで当初は、自宅の庭に小さなプレハブでも建てて実験を継続するつもりでいた。ところが退職4ヶ月前に思いがけず、隣町で出身地でもある佐敷町(現南城市)新里に土地を借りることができた。厚生年金センター方向に向かう坂道を途中で右折したところで、馬天港と中城湾の向こうに勝連半島、その右に津堅島と知念半島が見渡せる場所、アカギの大木が数本立ち並ぶヤマである。
民家からも離れている。これなら薪窯が築ける! 早速、各地の薪窯を見て回る。窯焚きにも何度か立ち会わせてもらった。工房と窯の図面づくりを開始、併行して資材の調達に奔走する。工房づくりはプロにまかせて、窯づくりは自分たちで・・・。この間、焼物博物館長として培った人脈が役に立った。
一方、辞めた翌月から沖縄県工業技術センターに3ヶ月間通い、週2日のスケジュールで「釉薬」つくりの研修を受ける。釉薬の原点は、植物の灰と地中の鉱物。植物や鉱物の種類によって、含まれる成分が微妙に違う。成分の違いは、釉薬に変わって後も発色の差となって現れる。それだけでなく、器の素地が赤土か白土かでも色合いは大いに変わってくる。釉薬をつくる素材の種類は同じでも、それぞれの配合比の違いで色合いから溶融の程度まで、これもまさに千差万別。
方針は決まっていた。窯づくりは、中古の「耐火レンガ」を一部の壁に使った他は沖縄本島北部の赤土を使う。陶土の原料は沖縄の土で、釉薬の原料も沖縄の素材で行く、ということだ。そこでまず、他の陶芸家も試みている ガジュマル灰をはじめとして、いろいろな樹木の灰をつくることにした。ガジュマルの灰は、土との相性がよければきれいなビードロ色が出る。この色は灰の中に含まれる微量の鉄分のせいだと言われている。アカギの切断面は名の通り「赤い」。他の樹木よりも鉄分が多いことを示しているのかもしれない。ガジュマル灰以上に乳濁した青い色が現れるのである。フクギ灰でつくった釉薬は、厚くかかった箇所が珊瑚礁の海の色にも似たブルーになる。琉球・沖縄の最高の建材として重宝されてきたチャーギ(和名イヌマキ)の灰でつくる釉薬は、緑色の「青磁」色となる。アカギやフクギ、チャーギの灰釉は余所で聞いたことがない。鉄釉系は、沖縄本島北部から採れる「含鉄土石」(鬼板)を使っている。
陶土の原料は業者から買い入れるが、何種かの原土をブレンドしてつくる。赤土系、白土系、両方つくるが、これも配合比によって、成形や釉薬との相性に違いが出てくる。それぞれの土味を活かしながら、その土ならではの器づくりを目指す。
「焼き」も自前の焼き方を探る他ない。窯自体が、「焼き締め」と「釉薬もの」の2種を同時に焼けるような「欲張り窯」の構造にしたため、この窯のくせ=特徴を把握するのに時間がかかった。先だって7回目の窯焚きを終え、ようやく方向性が見えてきた。
工房で修行して独り立ちしようという若い人たちは、まず「つくり」から勉強を始め、窯焚きの経験を積む。独立しても、陶土や釉薬(の一部)は既製品を買い、ガス窯で仕事を継続する人が少なくない。ところがわたしの場合は、まったく逆だった。窯焚きの経験がないのに、まず窯から造った。そして陶土は自作、釉薬も自前、焼きは若い「先輩」たちの応援を仰いだ。焼き・陶土・釉薬にようやく見通しがついたところで、目下「つくり」に専念している。
焼き物を観るにあたっての基準として、「一焼き 二土 三細工」という言い回しがある。「一土 二焼き 三細工」ともいう。いずれにせよ、「焼き味」や「土味」があっての「細工(つくり)」だということだが、もちろん「細工」が下手では話にならない。わたしの「陶芸入門」は、この順序からすれば期せずして「王道を歩んだ」?ことになる。
当初と違って今、「なぜ陶芸か」と訊かれれば、ためらうことなく「発見の日々が楽しいから」と応じられる。この発見は、わたしにとって「わたしの再発見」であると同時に、「沖縄の発見」も意味している。窯焚きで応援を頼む他は、一切の作業を一人で行っている。仕事がそのまま「心身」の健康維持につながる、というのがもう一つの返答である。
(『(株)都市科学政策研究所25周年記念誌』2008.7)
知り合いから小型のガス窯をもらい、「実験的」な試みは始めていた。そこで当初は、自宅の庭に小さなプレハブでも建てて実験を継続するつもりでいた。ところが退職4ヶ月前に思いがけず、隣町で出身地でもある佐敷町(現南城市)新里に土地を借りることができた。厚生年金センター方向に向かう坂道を途中で右折したところで、馬天港と中城湾の向こうに勝連半島、その右に津堅島と知念半島が見渡せる場所、アカギの大木が数本立ち並ぶヤマである。
民家からも離れている。これなら薪窯が築ける! 早速、各地の薪窯を見て回る。窯焚きにも何度か立ち会わせてもらった。工房と窯の図面づくりを開始、併行して資材の調達に奔走する。工房づくりはプロにまかせて、窯づくりは自分たちで・・・。この間、焼物博物館長として培った人脈が役に立った。
一方、辞めた翌月から沖縄県工業技術センターに3ヶ月間通い、週2日のスケジュールで「釉薬」つくりの研修を受ける。釉薬の原点は、植物の灰と地中の鉱物。植物や鉱物の種類によって、含まれる成分が微妙に違う。成分の違いは、釉薬に変わって後も発色の差となって現れる。それだけでなく、器の素地が赤土か白土かでも色合いは大いに変わってくる。釉薬をつくる素材の種類は同じでも、それぞれの配合比の違いで色合いから溶融の程度まで、これもまさに千差万別。
方針は決まっていた。窯づくりは、中古の「耐火レンガ」を一部の壁に使った他は沖縄本島北部の赤土を使う。陶土の原料は沖縄の土で、釉薬の原料も沖縄の素材で行く、ということだ。そこでまず、他の陶芸家も試みている ガジュマル灰をはじめとして、いろいろな樹木の灰をつくることにした。ガジュマルの灰は、土との相性がよければきれいなビードロ色が出る。この色は灰の中に含まれる微量の鉄分のせいだと言われている。アカギの切断面は名の通り「赤い」。他の樹木よりも鉄分が多いことを示しているのかもしれない。ガジュマル灰以上に乳濁した青い色が現れるのである。フクギ灰でつくった釉薬は、厚くかかった箇所が珊瑚礁の海の色にも似たブルーになる。琉球・沖縄の最高の建材として重宝されてきたチャーギ(和名イヌマキ)の灰でつくる釉薬は、緑色の「青磁」色となる。アカギやフクギ、チャーギの灰釉は余所で聞いたことがない。鉄釉系は、沖縄本島北部から採れる「含鉄土石」(鬼板)を使っている。
陶土の原料は業者から買い入れるが、何種かの原土をブレンドしてつくる。赤土系、白土系、両方つくるが、これも配合比によって、成形や釉薬との相性に違いが出てくる。それぞれの土味を活かしながら、その土ならではの器づくりを目指す。
「焼き」も自前の焼き方を探る他ない。窯自体が、「焼き締め」と「釉薬もの」の2種を同時に焼けるような「欲張り窯」の構造にしたため、この窯のくせ=特徴を把握するのに時間がかかった。先だって7回目の窯焚きを終え、ようやく方向性が見えてきた。
工房で修行して独り立ちしようという若い人たちは、まず「つくり」から勉強を始め、窯焚きの経験を積む。独立しても、陶土や釉薬(の一部)は既製品を買い、ガス窯で仕事を継続する人が少なくない。ところがわたしの場合は、まったく逆だった。窯焚きの経験がないのに、まず窯から造った。そして陶土は自作、釉薬も自前、焼きは若い「先輩」たちの応援を仰いだ。焼き・陶土・釉薬にようやく見通しがついたところで、目下「つくり」に専念している。
焼き物を観るにあたっての基準として、「一焼き 二土 三細工」という言い回しがある。「一土 二焼き 三細工」ともいう。いずれにせよ、「焼き味」や「土味」があっての「細工(つくり)」だということだが、もちろん「細工」が下手では話にならない。わたしの「陶芸入門」は、この順序からすれば期せずして「王道を歩んだ」?ことになる。
当初と違って今、「なぜ陶芸か」と訊かれれば、ためらうことなく「発見の日々が楽しいから」と応じられる。この発見は、わたしにとって「わたしの再発見」であると同時に、「沖縄の発見」も意味している。窯焚きで応援を頼む他は、一切の作業を一人で行っている。仕事がそのまま「心身」の健康維持につながる、というのがもう一つの返答である。
(『(株)都市科学政策研究所25周年記念誌』2008.7)