‘淡谷のり子’の本番を明日に控えていたあてれんは、大雨だった三連休の最終日を
南富良野で過ごしていた。
夕方3時。旭川に向かって走っている車の中であてれんの携帯が鳴った。
『・・・・・あ。職場からだ。』
すごくいやな予感がした。
一呼吸置いて電話に出たら相手は明日の敬老会の実行委員I君だった。
『あのぉ。明日の淡谷のり子の音楽なんですけど・・』
『はい。』
『CDとか、自分でなんとかして欲しいんですけど。』
『はいぃ?』
要するに、4つの事業所が合同で行う会場にはカラオケ設備がないらしく、
3連休前のI君の話ではCDを探して用意しますとのことだった。
当然、カラオケのCDなんてあるわけないので、あてれんはCDに合わせて
口パクで歌うマネだけするからという段取りだったのだ。
ちょうど、風邪を引いて声の調子も悪かったため、CDに合わせて口パクすれば
120人のお年寄りたちも楽しんでもらえると思ったし。
なのに、今さらCDも用意してないので自分で借りて来いだと?
『いや・・それはムリだわ。今、旭川じゃないし、
これから帰ってもまたすぐに出かけなきゃならないし。
CD借りに行く時間、ないですよ?』
あてれんは、ちょっとイラついていた。
なんで前日になって、しかもこんな時間になってからそんなこと言い出すのだ?
『じゃぁ、You Tubeで探して携帯に入れて、音をマイクで拾って流すとかどうですかね?』
『えー?携帯から流れる音をマイクで拾うの?それはさすがにないんじゃない?
一回You Tubeで探してみたけど、ちゃんとしたのなかったよ?』
だめだ。
もう、グダグダだと思った。
I君は『わかりました。じゃぁ、なんとかします・・。』
とだけ言って電話を切ったが、あてれんは憂鬱で仕方がなかった。
そして・・
最悪の場合は、アカペラで歌うことを決心したのであるっ。
その日の夜、湯船に浸かりながら本気で淡谷のり子を熱唱してみた。
『窓を開ければぁぁ~~~~港がみえるぅぅ~~~♪』
出だしのキーの調整とか、アカペラの間の取りかたとか、ブルースのビブラートとか、
素人なりにイメージしながら、何度も何度も別れのブルースを歌ってみたのである。
鼻歌で風呂に入ることはあっても、本気で歌ったのは生まれて初めてだ。
天国の淡谷のり子さんも喜んでいるに違いないくらいのレベルであったことは間違いないっ。
しかし・・。
120人の前で淡谷のり子をアカペラで歌う勇気・・。
ほとんどが認知症とはいえ、あのメイクにあの衣装、そしてアカペラ・・。
たった5分のステージにあてれんのストレスはマックスを迎えるであろう。
ベッドに入る前に、願いの叶う不思議な額に手を合わせてお願いしてみた。
『どうか明日は、無事に、うまくできますように・・。』
そしてもう一つ。
『できれば敬老会を中止にしてください・・。』
ま、それはありえない話だな・・と自分に言い聞かせ、不安な思いで寝たのであります。
本番当日。
敬老会は午後から。
午後に4つの事業所が会場に一気に集まり、敬老会が始まる。
なので午前中は各事業所で体操をしたりお風呂に入ったりといつもと変らない時間を
過ごすの。
この日、あてれんは朝の会の担当だった。
『おはようございます!』
から始まり、本日の一日の流れや小話、歌や体操など約1時間半にわたって
司会・進行を務めることになっている。
その‘小話’の話題であてれんは、前日から調べておいた淡谷のり子の生い立ちから
最期までをみんなに簡単に説明し、午後からの淡谷のり子のステージの伏線を敷いて準備していたのだ。
そしていよいよ午後になり・・
30人を引き連れ、淡谷のり子のステージ衣装が入った大きなカバンをぶら下げて
敬老会の会場へ向かったまではいいのだが・・・。
4事業所の高齢者のみなさんが一つの会場に、しかも時間通りに集まるのは至難の業だ。
敬老会は開演を30分オーバーしてもまだ始まる様子はなかった。
そこに、別の実行委員に『あてれんさん、淡谷のり子の音源は?』と聞かれ、
『ないですよ。アカペラでいきます!』と答えたら、
『そりゃーダメだわYou Tubeでなんとか探して、マイクで音拾ってやるしかないよ』と
I君と同じアイディアを言い渡されることになる。
『You Tubeで別れのブルースのカラオケなんて見つからなかったです。
しかも淡谷のり子じゃない人が歌っているバージョンが多いし、音も小さすぎて
携帯にマイク近づけても、この会場にどんだけ聞こえるのかわからないですよ?』
『でも音がないよりはいいから。』
『いや・・アカペラのほうが私はいいと思うんですけど。』
先輩相手に、少々言い合いになったが、どうしても携帯から音を拾うという
みみっちい音楽だけはイヤだった。それはもう、想像しただけでも寒い。
マイクのエコーさえ効いていれば、アカペラのほうがずっと迫力があると思った。
そんな土壇場でのやり取りを聞いていた実行委員長が耳を疑うような提案をしてきた。
『時間も押してるし・・淡谷のり子と小島よしおは
カットしてもいいよ。』って・・・・。
『あてれんさん、それはまた、うちの事業所の忘年会のときに温めておいて♪』って・・・。
『えっ!?淡谷のり子、やらなくていいんですか?』
メイクも衣装もまだ手を付けていなかった。
正直、控え室があるわけでも、終わった後の洗面所があるわけでもないこの会場で
あの淡谷のり子に変身するのはすっごくすっごく面倒だったのは本心である。
実行委員長の気が変らないうちにあてれんは
『じゃ、やめましょう時間ないから仕方ないですね!淡谷のり子はまた今度ってことで♪』
と両手で大きなバッテンを作り、その場にいたスタッフに伝わるように合図を送ったのであった。
その後、敬老会はグダグダの進行により、やっぱり時間内には終わらず
実行委員長はとても大きく落胆して事業所に帰ってきたが
あてれんはプレッシャーから開放され、とてもいい一日を過ごした気がした。
ふと考えた。
もしかして、願いの叶うあの額のパワーだったのかもしれないな・・・・。
PS:タイトルの‘あわくったのりこ’は
あてれんの淡谷のり子を楽しみにしていた男性利用者さんが
あてれんに付けてくれた芸名です
いいトコついてるねぇ~。
南富良野で過ごしていた。
夕方3時。旭川に向かって走っている車の中であてれんの携帯が鳴った。
『・・・・・あ。職場からだ。』
すごくいやな予感がした。
一呼吸置いて電話に出たら相手は明日の敬老会の実行委員I君だった。
『あのぉ。明日の淡谷のり子の音楽なんですけど・・』
『はい。』
『CDとか、自分でなんとかして欲しいんですけど。』
『はいぃ?』
要するに、4つの事業所が合同で行う会場にはカラオケ設備がないらしく、
3連休前のI君の話ではCDを探して用意しますとのことだった。
当然、カラオケのCDなんてあるわけないので、あてれんはCDに合わせて
口パクで歌うマネだけするからという段取りだったのだ。
ちょうど、風邪を引いて声の調子も悪かったため、CDに合わせて口パクすれば
120人のお年寄りたちも楽しんでもらえると思ったし。
なのに、今さらCDも用意してないので自分で借りて来いだと?
『いや・・それはムリだわ。今、旭川じゃないし、
これから帰ってもまたすぐに出かけなきゃならないし。
CD借りに行く時間、ないですよ?』
あてれんは、ちょっとイラついていた。
なんで前日になって、しかもこんな時間になってからそんなこと言い出すのだ?
『じゃぁ、You Tubeで探して携帯に入れて、音をマイクで拾って流すとかどうですかね?』
『えー?携帯から流れる音をマイクで拾うの?それはさすがにないんじゃない?
一回You Tubeで探してみたけど、ちゃんとしたのなかったよ?』
だめだ。
もう、グダグダだと思った。
I君は『わかりました。じゃぁ、なんとかします・・。』
とだけ言って電話を切ったが、あてれんは憂鬱で仕方がなかった。
そして・・
最悪の場合は、アカペラで歌うことを決心したのであるっ。
その日の夜、湯船に浸かりながら本気で淡谷のり子を熱唱してみた。
『窓を開ければぁぁ~~~~港がみえるぅぅ~~~♪』
出だしのキーの調整とか、アカペラの間の取りかたとか、ブルースのビブラートとか、
素人なりにイメージしながら、何度も何度も別れのブルースを歌ってみたのである。
鼻歌で風呂に入ることはあっても、本気で歌ったのは生まれて初めてだ。
天国の淡谷のり子さんも喜んでいるに違いないくらいのレベルであったことは間違いないっ。
しかし・・。
120人の前で淡谷のり子をアカペラで歌う勇気・・。
ほとんどが認知症とはいえ、あのメイクにあの衣装、そしてアカペラ・・。
たった5分のステージにあてれんのストレスはマックスを迎えるであろう。
ベッドに入る前に、願いの叶う不思議な額に手を合わせてお願いしてみた。
『どうか明日は、無事に、うまくできますように・・。』
そしてもう一つ。
『できれば敬老会を中止にしてください・・。』
ま、それはありえない話だな・・と自分に言い聞かせ、不安な思いで寝たのであります。
本番当日。
敬老会は午後から。
午後に4つの事業所が会場に一気に集まり、敬老会が始まる。
なので午前中は各事業所で体操をしたりお風呂に入ったりといつもと変らない時間を
過ごすの。
この日、あてれんは朝の会の担当だった。
『おはようございます!』
から始まり、本日の一日の流れや小話、歌や体操など約1時間半にわたって
司会・進行を務めることになっている。
その‘小話’の話題であてれんは、前日から調べておいた淡谷のり子の生い立ちから
最期までをみんなに簡単に説明し、午後からの淡谷のり子のステージの伏線を敷いて準備していたのだ。
そしていよいよ午後になり・・
30人を引き連れ、淡谷のり子のステージ衣装が入った大きなカバンをぶら下げて
敬老会の会場へ向かったまではいいのだが・・・。
4事業所の高齢者のみなさんが一つの会場に、しかも時間通りに集まるのは至難の業だ。
敬老会は開演を30分オーバーしてもまだ始まる様子はなかった。
そこに、別の実行委員に『あてれんさん、淡谷のり子の音源は?』と聞かれ、
『ないですよ。アカペラでいきます!』と答えたら、
『そりゃーダメだわYou Tubeでなんとか探して、マイクで音拾ってやるしかないよ』と
I君と同じアイディアを言い渡されることになる。
『You Tubeで別れのブルースのカラオケなんて見つからなかったです。
しかも淡谷のり子じゃない人が歌っているバージョンが多いし、音も小さすぎて
携帯にマイク近づけても、この会場にどんだけ聞こえるのかわからないですよ?』
『でも音がないよりはいいから。』
『いや・・アカペラのほうが私はいいと思うんですけど。』
先輩相手に、少々言い合いになったが、どうしても携帯から音を拾うという
みみっちい音楽だけはイヤだった。それはもう、想像しただけでも寒い。
マイクのエコーさえ効いていれば、アカペラのほうがずっと迫力があると思った。
そんな土壇場でのやり取りを聞いていた実行委員長が耳を疑うような提案をしてきた。
『時間も押してるし・・淡谷のり子と小島よしおは
カットしてもいいよ。』って・・・・。
『あてれんさん、それはまた、うちの事業所の忘年会のときに温めておいて♪』って・・・。
『えっ!?淡谷のり子、やらなくていいんですか?』
メイクも衣装もまだ手を付けていなかった。
正直、控え室があるわけでも、終わった後の洗面所があるわけでもないこの会場で
あの淡谷のり子に変身するのはすっごくすっごく面倒だったのは本心である。
実行委員長の気が変らないうちにあてれんは
『じゃ、やめましょう時間ないから仕方ないですね!淡谷のり子はまた今度ってことで♪』
と両手で大きなバッテンを作り、その場にいたスタッフに伝わるように合図を送ったのであった。
その後、敬老会はグダグダの進行により、やっぱり時間内には終わらず
実行委員長はとても大きく落胆して事業所に帰ってきたが
あてれんはプレッシャーから開放され、とてもいい一日を過ごした気がした。
ふと考えた。
もしかして、願いの叶うあの額のパワーだったのかもしれないな・・・・。
PS:タイトルの‘あわくったのりこ’は
あてれんの淡谷のり子を楽しみにしていた男性利用者さんが
あてれんに付けてくれた芸名です
いいトコついてるねぇ~。