伊勢市長加藤光徳氏の自殺?の背景について

加藤光徳伊勢市長のご冥福をこころから願わずにおれません。マスコミでの報道をまとめました。

三ツ矢憲生衆議院のコメントの謎

2006-03-19 06:11:14 | Weblog

これは、森下隆生県会議員が出馬表明の記者会見をした日に、三ツ矢憲生衆議院議員が発表したコメントです。三ツ矢憲生氏の手書きで日付が書き込んであります。あらかじめ書いておいたコメントに、記者会見の日にちが決まってから手書きで書き込んだのだろうと思います。
あらかじめコメントが作っておけるほどどうして準備がいいのでしょうか。民主もコメントを出しているなら兎も角、自民だけが出しているということはどういうことでしょうか。森下隆生氏は自民党三ツ矢憲生事務所とだけ連絡が密なのではないでしょうか。

協力惜しまない 三ツ矢衆議院議員

2006-03-16 13:13:42 | Weblog
伊勢新聞3月16日 リンクなし

「最も重要なことは市民が心を一つにして結束すること」とし、「森下氏とはかねて地域の発展に尽力したいとの思いを共有している。私の立場で地域のためにお役に立てることがあれば協力は惜しまない」と支援を約束した。

(ひとりごと⇒なぜいままで幹事長として所属していた民主党がコメントを出さないのに自民党の三ツ矢憲生さんだけがコメントを出しているの?三ツ矢憲生さんと森下隆生さんが思いを共有しているなどとははじめて聞いた。)

森下県議、正式に出馬表明

2006-03-16 13:09:55 | Weblog
伊勢新聞3月16日 リンクなし

先月、市が発表した観光交流センターなどをつくるJR伊勢市駅前整備計画については
「計画を白紙にはしないが、他のプランも同じテーブルで精査する必要がある」と話し、構想を練り直す可能性も示唆した。

(ひとりごと⇒加藤光徳さんの駅前再開発計画をやめにして、他のプランを検討するとは、結局、奥野プランを再検討するということ?では森下隆生さん、三ツ矢憲生衆議院議員さんの力関係はどうなっているの?)


三ツ矢衆院議員「今回ノータッチ」

2006-03-11 05:19:46 | Weblog
朝日新聞3月10日


 加藤光徳市長の死去に伴う伊勢市長選(4月16日投開票)に、自民党が独自候補の擁立を断念したことがわかった。地元選出の三ツ矢憲生衆院議員が8日夜、朝日新聞の取材に「今回はノータッチです」と述べた。三ツ矢氏は昨年11月の同市長選で、民主推薦の加藤氏に対抗して、奥野英介・旧小俣町長を支援。自民推薦の奥野氏を竹中平蔵総務相が応援するなど激戦を展開したため、自民の対応に関心が集まっていた。


 いまのところ同市長選には、民主系県議会会派「新政みえ」の森下隆生県議(55)が無所属で立候補する意向を固めている。


 三ツ矢氏は8日夜、東京後援会(会長=永持孝之進・理研ビタミン名誉会長)が都内のホテルで開いた政治資金パーティーであいさつした。古賀誠・元党幹事長や細田博之・党国対委員長、北側一雄国交相ら約600人が出席した。


 車いすで現れた田村元・元衆院議長(81)は「いま伊勢市で、三ツ矢君の人気は率直に言ってよろしくない。どのように挽回(ばんかい)するか、私は一生懸命考えている」などと、発言時間の大半を市長選問題に費やした。

JR伊勢駅前再開発「5年はのんき」 浜田会頭、伊勢市長に苦言

2006-03-08 11:34:16 | Weblog
伊勢新聞1月11日

【伊勢】伊勢商工会議所の浜田益嗣会頭は十日の新春記者懇親会で、伊勢市の加藤光徳市長が掲げるJR伊勢市駅前再開発の構想について「のんき」と苦言を呈した。
 加藤市長が「五年以内に第一段階を仕上げる」と公約していることに対し、浜田会頭は「のんきなことを言っている。お役人は決定の時間がかかる」と批判した。

 また、当面の課題として新伊勢市に加わった旧二見町の旅館街再生を挙げた。今年、来年で全国から計十万人の一日神領民を集める計画の式年遷宮・お木曳(ひ)き行事で、同旅館街の宿泊希望がまったくないと指摘。

難題抱え「疲れた様子」 高血圧や不眠で相談

2006-03-08 11:31:26 | Weblog
伊勢新聞3月1日

【伊勢】自殺した伊勢市の加藤光徳市長が遺体で発見されてから一夜明けた二十八日、関係者は「動機は分からない」と首をひねりながらも、JR伊勢市駅前再生問題など市政の難題で悩み「体調がすぐれなかったのが原因では」との推測が飛び交っている。
 加藤市長の自殺直前の様子について、複数の関係者が「二月ごろから体調がすぐれなかった」と証言する。市などによると、加藤市長は二月に入り、高血圧や不眠で二日に一回程度、伊勢高校時代の同級生で主治医の亀谷章医師に面会していた。

 市議会の中村豊治議長は「自殺当日の午前に会った時、顔色が悪く、病院に行くことを勧めようと思っていた」と振り返る。山川和年収入役は「二月中旬以降、随分疲れがひどいようだった。三日前にも『栄養剤を飲んだらどうか』と助言した」と話した。

 昨年十一月、新市発足に伴う市長選で当選。選挙戦では駅前再開発問題などが焦点になった。加藤市長の公約「五年かけて仕上げる」に、三ツ矢憲生衆院議員から「具体的なビジョンがない」、伊勢商工会議所の浜田益嗣会頭からは「のんき」と指摘を受けた。

 それでも、加藤市長は当選から約三カ月を経た二十四日、市の計画(平成十八年度―二十二年度)を発表した。国土交通省のまちづくり交付金を使い、四十億円をかけて駅周辺を整備し、観光交流センター、地域交流センターを建設する内容だった。

 これを基に、民間でつくる伊勢市駅前再生検討委員会が構想を練り始めた。三ツ矢衆院議員との面談は四月初旬ごろで調整中だったという。



友人と電話 再開発事業挙げ相談

2006-03-08 11:27:43 | Weblog
友人と電話 再開発事業挙げ相談
中日新聞3月1日

 三重県伊勢市の自宅近くの山中で二十七日朝、首をつって死亡しているのが発見された加藤光徳市長(57)が、少し前、親しい会社社長の男性に「悩みがあるんや」と相談を持ちかけていたことが分かった。主治医にも「眠れない」と漏らしていた。三月一日に会う約束を交わしていた、この男性は「何かを言いたかったんだと思う。少しはブレーキになれたかもしれないのに」と悔やむ。

 男性は、加藤市長が県職員時代から親しくしてきた友人。別件で二十二日夜、電話した際、加藤市長は「二人で話がしたい。ちょっと疲れているから、酒抜きで」と切り出した。「悩みはいろいろある」と続ける中、具体的に挙がったのは長年さびれたままの伊勢市駅前の再開発事業だった。

 観光客が減少し、沈滞ムードの漂う同市の象徴ともいえる「駅前」。昨年十一月の市長選では活性化策が争点となり、市民の高い関心を集めた。二十四日には、整備計画の発表を控えていた。

 男性は二十五日、市内で開催された観光シンポジウムの会場で、加藤市長と顔を合わせた。加藤市長は「一日に会うのを楽しみにしているから」と笑顔で、かたく握手をかわした。男性は「本当にいい笑顔で、大丈夫だと思った。それが突然こんなことになって…。悔しい」と嘆いた。

 市によると加藤市長は就任後、年末年始に数日休んだ程度で、「仕事がめじろ押し。ハイペースで走っていた」(市幹部)。二月に入ってからは疲労が目立ち、周囲は「口数が少なくなった」「目に力がなかった」と振り返る。

 十七、二十日には主治医に「最近眠れない」と相談し、軽い睡眠薬を処方してもらっていた。主治医は「不眠と高血圧以外には何も病気はなかった。不眠は緊張やストレスが原因だと思うが、『死にたい』とか弱音はまったく聞かなかった」と無念そうに話した。

 一方、伊勢署は二十八日、加藤市長の遺体を司法解剖した結果、死亡推定時刻は二十六日夜と断定した。加藤市長は、散歩として自宅を出た二十六日午後五時すぎから同日夜の間に自殺を図ったとみられる。


伊勢市長選、開票深夜まで

2006-03-08 11:17:10 | Weblog
http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000000511280011
朝日新聞2005年11月28日


開票作業が始まる=伊勢市宇治館町で

 いずれも無所属の新顔4人による伊勢市長選は27日に投票があった。即日開票され、深夜まで開票作業が続いた。団体役員の山中精一氏(73)、旧二見町長の辻三千宣氏(63)、旧小俣町長の奥野英介氏(59)=自民推薦=、旧伊勢市長の加藤光徳氏(57)=民主推薦=が立候補。4市町村合併後の新市の初代市長の座を巡り、旧市町の首長3氏らが激しい選挙戦を展開した。当日有権者数は10万9293人。投票率は73・82%だった。


 辻氏は、行革による新市再生を掲げた。商工会議所やロータリークラブ活動を通じ交友関係のあった知人らをつてに、政党に頼らない草の根の活動を進めた。地元・二見以外でも数百人規模の演説会を開いた。


 加藤氏は、民主の推薦を得たが、一党一派に偏らない「市民党」の立場を強調。連合三重や医師・歯科医師らの団体などの推薦を受けた。旧市での行革の実績をPRし、市民参画の駅前再生を呼びかけた。


 奥野氏は、市職員の給与の高さを批判。三ツ矢憲生衆院議員の支援を受け、「改革断行」を主張した。現職閣僚の竹中平蔵総務相らを招き、自民推薦を旗印に小泉旋風の勢いを利用する作戦を進めた。



◆新市運営、しこり懸念


 4市町村が合併し、初めて迎えた伊勢市長選。旧首長の3氏が争った後のしこりが、選挙前から懸念されている。新市のかじ取り役として、有権者の負託を受けた新市長には、融和とバランスに配慮した市政運営が期待される。


 選挙戦では、旧首長3氏とも行財政改革の推進を公約に掲げ、その進め方などが争点の一つとなった。4市町村の合併により、市役所のスリム化を順次進めていくことは避けられない。


 新市長には、市職労などとの協議をねばり強く続け、市民が納得する歳出カットをすることが求められる。また、給与削減だけでなく、新しい評価システムの導入などで、職員のやる気を引き出す必要もある。


 寂れた伊勢市駅前の再開発による中心市街地の活性化も大きな課題だ。


 新市長は、いち早く将来像を描き、その一歩を踏み出すべきだ。にぎわい創出効果の見込み、財政負担の重さなども慎重に調査しなければならない。市民に丁寧に説明し、情報公開した中で、市の玄関口の再生を進めてほしい。



●伊勢市長選開票結果● ()は政党推薦


25500  加藤 光徳 57 無新(民)
23300  奥野 英介 59 無新(自)
 4900  辻 三千宣 63 無新
  700  山中 精一 73 無新


=開票率67%

『伊勢市長を首つり自殺に追い込んだ執拗無言電話』

2006-03-06 16:51:51 | Weblog
『伊勢市長を首つり自殺に追い込んだ執拗無言電話』
ー震源は「40億円駅前再開発」か「職員リストラ問題」かー
週刊ポスト2006年3月17日号38ページ


「お伊勢さん」の名で親しまれる伊勢神宮のお膝元、三重県伊勢市が揺れている。2月27日、現職市長加藤光徳氏が遺体で発見された。自宅近くの雑木林で首をつっていたのである。

「遺体発見現場は沼地に近いようなぬかるんだ場所で、大変見つけづらいところだった。高さ3ー4メートルほどの木の枝にベルトを掛け、めがねをかけた状態で発見された。遺体には外傷もなく、争った形跡もない。ベルトは息子さんのものだったようです。」(捜査関係者)

加藤氏は、前日の17時15分に散歩に出かけ、そのまま行方不明になっていた。警察は自殺と見て捜査を続けているが、地元ではいくえ不明情報が流れたときから「拉致され、殺されたのではないか」という不穏な噂まで流れていた。

その日、加藤氏がいつもとは違う信号を発していたという証言がある。加藤氏の友人でもあり、高校時代の先輩に当たる長岡敏彦市議がこう振り返る。
「昼12時頃、彼から電話があったんですよ。いつもは携帯からかけてくるのに、その日は自宅の電話からだった。めづらしいね、と聞くと、『ちょくちょく、無言電話があるんだ』といってました。大変だなと思って、気分転換に夜一緒に酒を飲もうと約束したんですが、彼は現れませんでした。」

友人への突然の電話は、加藤氏からのSOSだったのかもしれない。長岡氏に漏らした自宅への執拗な無言電話は昨年秋頃から続いていた。地元有力者の一人が語る。

「昨年11月の市長選の頃から、昼夜を問わず嫌がらせの電話がかかっていたときいています。奥さんも精神的に参ってしまい、電話番号を何度も変えたほどです。それに市長選までは自家用車で通勤していたのに、最近は公用車の送迎で出勤するようになったんです。いま思えば何か身の危険を感じていたのでは・・・」

市役所に嫌がらせの電話がかかってくることも多かったようで、後援者の一人には「カミソリ入りの手紙が送られてくることもある」と打ち明けていた。

加藤氏はなぜそこまで執拗な嫌がらせを受けたのか。その原因の一つと噂されているのが市職員のリストラ問題だ。伊勢市は昨年11月1日に近隣四市町村が合併し、新たな市としてスタートを切っている。加藤氏は職員の給与を保障する一方、10年かけて市の職員数を1割削減する案を出した。そこに職員から反発があったという。

「加藤氏町は行政改革の中で、人件費を削減する必要があると考えていました。職員から不満の声や意見が出ていたのは事実です」(伊勢市職員課)

だが地元で不穏な噂が立つ最大の理由は、加藤氏が死の直前に発表した総事業費40億円の「駅前再開発計画」が大きな波紋を広げていたことだ。

現職大臣の登場で駅前は騒然
駅前再開発計画は、昨年の市長選で最大の争点となった。この市長選は、一地方都市の首長選挙としては異例とも言える熾烈な戦いだったと語り継がれている。

選挙は民主党の推薦を受けながらも自ら「市民党」を標榜して立候補した旧伊勢市長加藤氏と、自民党の推薦を受けた旧小俣町長O氏との一騎打ちとなった。下馬評は、地盤のある加藤氏有利と見られていたが、総選挙直後ということもあり、自民小泉旋風の追い風を受けるO氏が終盤激しい追い上げを見せる。

投票2日前に、O氏は総決起集会を開いたが、なんとそこに片山さつき代議士が応援に駆けつけ、「市政を任せられるのは、小泉首相と同様に改革を訴えるO氏しかいない」と3000人の聴衆の前で声を張り上げた。

さらに翌日は、竹中平蔵大臣も駆けつける。「伊勢でも構造改革を」と訴え、通勤客でにぎわうJR伊勢市駅前には2000人の聴衆が集まり、騒然となった。
「現役の大臣が伊勢の市長選にやってくるなんて、これまでに聞いたことがない。O氏陣営は手段を選ばぬ激しい戦い方で、選挙のプロを雇ったとも聞きました。」(加藤陣営幹部)

投票日が近づくと、「加藤では駅前再開発はできない」といった中傷ビラがまかれる騒動も起きたという。

O氏の猛追に加藤氏も必死の応戦をし、「誹謗中傷もありましたが、政治生命をかけています」と絶叫した結果、3761票の僅差で加藤氏が当選。O氏は当時の戦いを振り返り、「正直、もうあんなしんどい選挙はもうしたくない」と語る。

駅前再開発計画は、加藤氏の「市民の意見を聞きつつ観光拠点となる施設を作る」という案に落ち着いたが、氏の突然の死によって白紙に戻された。市議の一人が語る。

「加藤氏の案は3月の市議会で諮られる予定だったが、それも空中分解してしまった。今年4月に予定される次の市長選に、加藤氏の案を継ぐ人材はいない。自民党が誰を推薦してくるのかわからないが、O氏陣営が主張していた「国県市の合同庁舎の入った駅ビルを建設する計画」が再浮上する可能性も高い。結果的にその案を推していた人たちには幸運が巡ってきたといえる」

加藤氏に嫌がらせをしていたのが駅前再開発計画にかかわる人間かどうかはわからない。だが、そこに大きな利権がうごめいていたことは想像に難くない。

「選挙が終わった後も、加藤氏の元に「いうことを聞かないと計画をつぶすぞ」と地元有力者から脅しがあったと聞いています」(同前)
出直し市長選では、前回以上に市民の厳しい目が求められる。


『自殺‥伊勢市長を追いつめた地元の政争』

2006-03-06 16:45:19 | Weblog
『自殺‥伊勢市長を追いつめた地元の政争』
フライデー2006年3月17日号88ページより


「市長は山すそから200メートルほど入った林の中の湿地帯で、木のツルに息子さんの革ベルトを引っかけ、首をつっていました。遺体の重みでツルがしなったため、下半身は足下のぬかるみにつかり、グショグショに濡れてもいました」(三重県警伊勢署員)

2月27日の朝、三重県伊勢市内の山林で、前日の夕方から行方不明だった加藤光徳伊勢市長(57)の遺体が発見された。現場は市長の自宅からわづか800メートルの地点。当初は事件性も疑われたが、三重県警は2月28日に司法解剖を行い、自殺と断定した。

加藤光徳市長は、三重県職員出身。04年4月の旧市長選に初当選した後、昨年11月、旧四市町村の合併で発足した新「伊勢市」の市長選に出馬。改めて当選を果たした。このとき民主党の推薦を受けていた加藤市長は、自民党推薦候補と大接戦を演じ、約四千票差で辛勝。ところが、この選挙戦の直後から、加藤市長の自宅や伊勢市役所などに無言電話が繰り返されるようになる。

無言電話の主は反加藤派の人間と目され、市長もあまりのしつこさに心労を隠しきれない様子でした」(伊勢市役所職員)

さらに、市議会では加藤支持勢力が多数を占めているものの、加藤市長が地元財界を掌握し切れていなかったことが市政を推し進める上でネックになっていたという。

「昨年の市長選では、地元出身の国会議員と市の商工会議所の幹部が組み、自民党推薦候補を支持していました。自民市政が誕生した暁にはさまざまな事業が推進される予定でしたが、加藤氏が当選したことで、ほとんどがおジャンになった。その当てつけか、市長が打ち出す政策にはことごとく横やりが入っていました」(全国紙記者)

加藤市長はJR伊勢市駅前の再開発問題や、市民病院の新設などについて持論を展開していたが、反市長派との対立は深まる一方だった。その協議に追われたためか、
「市長は年末年始に三日の休みを取っただけで不眠不休の状態が続き、最近は睡眠薬も服用していた」(前出市役所職員)という。

また、「市役所職員に物騒な風体の男たちが訪れ、市長にもの申すと要求していたようだ」(前出記者)など、地元の政争から波及した暗闘を窕わせる情報もある。
加藤市長の自殺のうらには、解き明かされていない闇がひろがっているのかもしれない。