伊勢市長加藤光徳氏の自殺?の背景について

加藤光徳伊勢市長のご冥福をこころから願わずにおれません。マスコミでの報道をまとめました。

『自殺‥伊勢市長を追いつめた地元の政争』

2006-03-06 16:45:19 | Weblog
『自殺‥伊勢市長を追いつめた地元の政争』
フライデー2006年3月17日号88ページより


「市長は山すそから200メートルほど入った林の中の湿地帯で、木のツルに息子さんの革ベルトを引っかけ、首をつっていました。遺体の重みでツルがしなったため、下半身は足下のぬかるみにつかり、グショグショに濡れてもいました」(三重県警伊勢署員)

2月27日の朝、三重県伊勢市内の山林で、前日の夕方から行方不明だった加藤光徳伊勢市長(57)の遺体が発見された。現場は市長の自宅からわづか800メートルの地点。当初は事件性も疑われたが、三重県警は2月28日に司法解剖を行い、自殺と断定した。

加藤光徳市長は、三重県職員出身。04年4月の旧市長選に初当選した後、昨年11月、旧四市町村の合併で発足した新「伊勢市」の市長選に出馬。改めて当選を果たした。このとき民主党の推薦を受けていた加藤市長は、自民党推薦候補と大接戦を演じ、約四千票差で辛勝。ところが、この選挙戦の直後から、加藤市長の自宅や伊勢市役所などに無言電話が繰り返されるようになる。

無言電話の主は反加藤派の人間と目され、市長もあまりのしつこさに心労を隠しきれない様子でした」(伊勢市役所職員)

さらに、市議会では加藤支持勢力が多数を占めているものの、加藤市長が地元財界を掌握し切れていなかったことが市政を推し進める上でネックになっていたという。

「昨年の市長選では、地元出身の国会議員と市の商工会議所の幹部が組み、自民党推薦候補を支持していました。自民市政が誕生した暁にはさまざまな事業が推進される予定でしたが、加藤氏が当選したことで、ほとんどがおジャンになった。その当てつけか、市長が打ち出す政策にはことごとく横やりが入っていました」(全国紙記者)

加藤市長はJR伊勢市駅前の再開発問題や、市民病院の新設などについて持論を展開していたが、反市長派との対立は深まる一方だった。その協議に追われたためか、
「市長は年末年始に三日の休みを取っただけで不眠不休の状態が続き、最近は睡眠薬も服用していた」(前出市役所職員)という。

また、「市役所職員に物騒な風体の男たちが訪れ、市長にもの申すと要求していたようだ」(前出記者)など、地元の政争から波及した暗闘を窕わせる情報もある。
加藤市長の自殺のうらには、解き明かされていない闇がひろがっているのかもしれない。

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