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センター突破 これだけはやっとけ 鳥取の受験生のための塾・予備校 あすなろブログ

鳥取の受験生のための塾・予備校  あすなろ予備校の講師が、高校・大学受験に向けてメッセージを送るブログです。

バブルの残してくれたもの

2011-05-12 12:26:06 | 洛中洛外野放図
 そのころは高いところが苦手というわけではなく、むしろ高いところから下を見下ろすのが好きだった。それがバブルの終焉とともに平気ではなくなってしまったのには、こういう経緯がある。

 電信柱に「家庭教師求ム」という広告が結び付けてあるのをよく見かけた。文言(もんごん)はこう続く。「但、京大、同志社院生に限る」。ご丁寧に「京大、同志社院生」の上には赤いインクも鮮やかにぐりぐりと二重丸が添えられている。京都市民の中では確固たる大学のランク付けがなされており、その厳格さは河合塾のボーダーランクの比ではない。大学への入学手続きを完了した時点で確定し、卒業しても生涯ついてまわるそれはヒエラルキーというよりも、もはやカーストである。学生は自らのカルマに応じたバイトをすることとなる。

 工事現場への資材搬入だとか片づけだとか、雑用全般を請け負う業者でバイトをしていた時期がある。業者と言ってもきちんとした企業体というわけではなく、暴走族あがりだというほぼ自称に近い社長が、つてのある大手業者から仕事を回してもらっているという感じだった。事務所として借りている町家に行くと社長のほかに経理と事務を担当しているという女性が一人きりで、応接セットと事務机が一つ、純然たる日本家屋の中で浮いて見える。おりしもバブル全盛のころで、建築業に携わる人はおしなべて羽振りがいい。いわば現場の半端仕事を請け負っているだけなのだが学生のバイトを10人近く使っている。もっとも、正社員は雇わずバイトだけだったが。建築資材の搬入が主なので、一現場あたりの実労時間は2~3時間ほど、ふたつ掛け持ちしたとしても半日もかからない。社長がいくらハネていたのか知らないが、それで手取りが現場一箇所当たり日給8千円、掛け持ちすれば当然その倍、というのだから、完全に経済観念がトチ狂っている。

 繁華な通りのおおきなビルが大規模な改修工事を行ったとき、上層階で使う内装材を屋上から搬入することになり、現場が動き出す前に作業を終わらせておくために日の出よりも早く屋上に上った。夏のことなのでかなり早い。クレーン業者を待っている間にだんだん明るくなってきて、向かいのホテルに陽が当たりはじめた。「おぉっ!」バイト仲間の峰元君が、向かいの一室を指差して「裸っ、裸!」と騒いでいる。そこにいた元受の現場監督1名、当方社長1名、バイト3名が一斉に色めき立って峰元君のもとに集まり、指差す先を凝視した。縦長の窓を額縁のようにしてベッドが納まっている。その白いシーツの上にでうつ伏せになって寝入る全裸の人。
『おっさんやん!』
いくらなんでも全裸の女がカーテンも引かずに寝ているわけがないのだが、夜中と呼んでも差し支えないほど早い時間から寝ぼけ眼で夜明け前の風に吹かれている男共が本能の赴くままに行動したとしても、誰にも責められはすまい。「アホっ!」「ボケっ!」「スカタン!!」峰元君は何も悪いことをしてないのにボロカスに言われている。「あれ、ウチのモンやで…」落胆した監督によると、皆で見つめていたフロアはほぼ工事関係者で占められているのだという。
 並んで朝日を浴びてたばこをふかしているうちに下の準備が整った。クレーンで吊り上げた資材を屋上に引き込まなければならない。暗黙の了解というか、その場の成り行きで峰元君が体を乗り出すことになった。命綱が手でも引きちぎれそうなほど心もとないものなので、その峰元君のベルトをバイトがつかみ、そのバイトのベルトをもう一人のバイトがつかみ、「おおきなかぶ」みたいになって作業が続く。このあたり、バイトが現場の中で完全に耐久消耗材と化してしまっているところもバブル騒乱の世相を反映していると言えなくもない。

「おーい、バイトくぅーん」「へ~い」「ちょっとこっち手伝(てった)ってー」「へ~い」
と、完全に『丁稚返事』をしているバイト学生は社長と正式な雇用契約を結んでいるわけではなく、明確にシフトが組まれているわけでもない。「明日いけるかぁー?」という確認の電話が入って、行けるものが行く。現場で親しくなった職人に声をかけられて別の現場に行くこともあった。融通が利くというと聞こえはいいが、要は流浪の現場人足である。

 建物外周に組まれた足場は幅50cmもない。その上を、いろんなものを持って走り回っていた。三階から0.5×3mほどの板を何枚かおろす必要があって、上から下へ手繰(たぐ)りでおろしていくことになり、三階のフロアから板を持ち出して下に差し出すポジションについた。下から思ったよりも強く引っ張られ、足場の端で踏ん張っていた靴が滑ってしまった。「えっ」と思ったときには尻を打ち、背中を擦っていた。その直後、体に何の負荷もかかってないような感じになって、何かに掴まろうにも摑むものがない。その頼りなさといったら、何にも例えようがない。
 いろんな場面が脈絡もなく浮かんできたのを覚えているが、何が浮かんできたのかはまるで覚えてない。これが『走馬灯のように』というものか、とはいえそもそも『走馬灯』がよく分からないので、その例えがふさわしいのかどうか判断できない。体感的には結構長い時間黒々とそびえる足場と、その向こうの青い空に浮かぶふわふわとやわらかそうな白い雲の絵面を眺めているうちに背中から強く突き上げられるような衝撃があって、胸が詰まって息ができなくなった。
 空が青い。
 最初はそれしかわからなかった。息が詰まって体中が重苦しい。やがて大きな声が聞こえると思ったら、いつの間にかバイト仲間や依頼主の職人やら現場監督やら、大勢の人が取り囲むようにして上から覗き込んで、「大丈夫かぁ!」だの「わかるかぁ!」だの叫んでいる。意識はあるが呼吸ができないので「はぁふうぅ」とあえぐだけである。しばらくしてようやく呼吸できるようになり、どうにか立ち上がることもできた。下が柔らかい土だったので事なきを得たが、コンクリートやアスファルトだったらぱちんとはじけてしまっていたかもしれないと思うとぞっとする。現場監督に病院まで連れて行ってもらって検査を受けた。どこの骨にも異常はなく、現場に帰る車の中で「おまえ頑丈やなぁ」と言われた。そんな感心されてもなぁ。
 現場に帰ったらそこであがっていいと言われ、見舞金としてなにがしかのお金を包んでもらったが、そのまま現場近くの銭湯で汗を流してから喫茶店で時間をつぶし、帰りにバイト仲間たちと呑んでしまった。それでその事故とは縁が切れたと思っていたら、明確な因果関係を辿ることはできないがそのときの強打で背骨がどうにかなってしまったたらしく、後年ふとしたきっかけでぎっくり腰状態になる慢性の腰痛持ちとなり、10~15mほどの高さで自分と地面の位置関係が明確に把握できるところでは脚がふるえ冷や汗をかくという高所恐怖症が残ってしまった。