いわゆる「夜警」(ここのメインピースでしょうね)。よく美術館で写真撮る日本人pgrする人いますが日本人には見えない方々でも割と写真撮ります。 twitpic.com/dognqg
「騙されるな」と繰り返している人が明らかな欺瞞を見抜けずそれを善良なものを信用しているのを見ると、「騙されるな」が口癖の人の言う事ほど疑うようになるかもしれない。
「こんな素晴らしいものを知らないなんてとんでもないので皆に広めてあげよう」という善意は尊いものと思うけど、もしも「こんな素晴らしいもの」が虚構であった時に、その発信者はどう責任を取るつもりだろう?
その「こんな素晴らしいものは皆に教えてあげなくちゃ!」の瞳の輝きは、宗教の布教に家々を訪ね歩く人にとても似ている。
その「素晴らしいもの」が犯罪でも犯さない限り、彼らはそれを崇めて信奉し続ける。それが幸せならそれでもいのかもしれない。どんな虚構の箱庭でも。
こんな仕事をしていると「亡くなった主人からもらった大事な指輪なんです」とダイヤの指輪を見せてもらう機会もある。そして、それがダイヤモンドではなく、偽物であった例も一度や二度ではない。
ずっとダイヤモンドだと信じて持っていた彼女に、それを偽物と告げるのは残酷なのだろうか。信じてさえいれば、それは大切なダイヤモンドとして彼女の中に残っただろうに。
彼女の夫が、それを偽物と知っていて贈ったのか、偽物と知らずに手に入れ、彼女に贈ったのか。それも本人が亡くなった後では確かめようがない。ただ、彼女はその指輪を、大事な宝物として大切に持っていた時間が事実として残っている。私の指摘はその時間を叩き壊す事になる。
偽物であっても、それを本物と信じ続け、そのまま彼女が天に召されたなら、彼女は幸せだったのではないか。
偽物を本物と信じて幸せな人は、そのまま信じ続けた方が幸せな場合もあるのかもしれない。ただ、それが個人的なケースならともかく、ある程度の団体がそんな状態に陥っているのを見ると、非常に気持ちの悪いものを感じるのは否めない。
ダイヤモンドを含め、宝石なら調べればすぐに白黒つくからいいけど、そうじゃないものに関してはまず、言っても信じてもらえない事の方が多いのだし。
私は黙っている事ができない性質だから、そんなダイヤと思っていた指輪を目にした途端に大体は「あっ」と口に出てしまう。ほとんどの場合、0.3ct以上もあるようなダイヤなら、一瞬でそれがダイヤか否かは見えてしまうから。仕事としては、褒められない態度だが。
(もちろん間違える時はあります。自分が絶対とは言いません。極力間違えたくはないと日々精進してるつもりではありますが。0.1ct程度なら10-30秒は欲しいかな…)
幸せならそれを信じ続ければいいのかもしれないと思っても、偽物が本物と広められてゆくのを黙って見ているというのは、歯がゆいものだ。
@kiyosi510 それは何よりです\(^o^)/聖書ならいいけどもっとすごいのがこの前来たよ…まだ若いお嬢さんなのに…(´Д⊂
しかもその偽物を本物と信じて疑わない人間が、発信力ある立場にいる場合の気持ちの悪さは只者ではない。自分の無力を実感させられる。
何を言っても信じてもらえないだろうから、私は私の目を磨くよう諦めず精進するだけだ。
騙されたくないなら、自分で本物を見極められるよう努力するしかない。騙す人間を叩き潰そうとしても残念ながら無駄だから。
@natsuyasumi_ima そのお話は覚えていないのですが、真実を知る事は時に残酷だというエピソードは、ミステリーでも時々見かけるように思います。私も若い頃は「本当の事を知る方が大事だ」と思い続けていましたが、最近はそれでいいのかと考えるようにもなりました。
@natsuyasumi_ima それでも私はつい、口にしてしまうんですけども。違うものは違う、と。
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