安積咲

安積咲のツイッター保存を主な目的としたブログです。
新記事は書いたり書かなかったりです。

鈴木明子トークショー「ひとつひとつ、すこしずつ」in郡山 2014.08.31.

2014-09-01 01:35:20 | ブログ記事

元フィギュアスケート選手・鈴木明子さんは、私が先のシーズンまで最も応援していた選手の一人です。(詳しくはこちらの記事を見て頂ければと思います。 「愛するスケートの苦しみを知る「愛の讃歌」 鈴木明子選手の愛(安積咲) <ソチ五輪コラム>」 )その彼女が今回、郡山の専門学校の学園祭でトークショーを行いました。そのレポートと感想です。(2014.08.31.)

学校の校長先生たちの挨拶の後に、「オペラ座の怪人」の曲で登場(ご本人も驚き)。進行役などはなく、お一人でほぼ45分から50分お話しされました。

・「郡山に来るのは多分初めてだと思います。いつもは通り過ぎて仙台に行ってしまうので」「ここに来れて、こんな近くで皆さんの前でお話しする事が出来てとても嬉しいです」

・スケートを始めたきっかけ。あまり上手な方じゃなかった。でも滑る事が好きだった。ジュニアの頃は、今にして思えば順調なスケート人生だったのかも。

・大学を出てから競技を続ける選手は大変。きっと自分は大学卒業と同時にやめるだろうと思っていた。その当時は、トリノが目標だった。

・ジャンプは苦手、表現力の選手だと思っていた。周囲からもそういう評価が多く、自分でもそう思い込んでいる所があったと思う。

・シニアに上がるに向け、ジャンプを磨きたいと思い、当時仙台でコーチをしていた長久保先生に師事するため、仙台の大学に進学した。

・やる気はあったのだが「甘かったですね(笑)」体のコントロールが出来ず、摂食障害に。

・スケートが出来なくなって、生きてる意味、存在意義が分からなくなった。18歳の頃。自分自身に嫌気がさして、自分を受け入れる人もいないと思った。

・でも、まずその病気と、自分の状態を受け入れなければいけないと思うようになった。周りの人たちに支えられながら、希望を持って克服できるようになった。

・日常生活は快復しても、心の中では葛藤が続いていた。その都度その自分を受け入れて行く事を学んだ。

・最初は病気をする前の自分に戻りたい、元気にスケートをしていた頃に戻りたいと思っていた。実際は戻る事は出来ない。時間を取り戻す事は出来ない。過去に戻る事は出来ない。でも今の自分から未来を作っていく事は出来る。「戻りたいと思っている間は私は戻らないな、と私は思ったんです」「今を生きて、それが未来につながるんだ、と感じた時に、それが「受け入れる」につながるんだと思いました」

・じゃあ「明日には何がしたいか」「一年後にはどうなっていたいか」という目標を持てた。

・過去にとらわれていた自分よりも、今から作って行く方が、体も心も前向きになって行った。

・「遠回りしたね」と言われたけど、遠回りで無かった、これは無駄な経験ではなかったと思ってもらえるようにしたい、と思うようになった。

・今はそう言って下さった事が、今の自分にもプラスになっていると思える。

・バンクーバー五輪へ向けての頃の話。無我夢中で、特に五輪の間の事は覚えていないくらい。バンクーバーが終わった後は、一年一年やってみて、満足したらやめようと「今にして思えば甘い事を思っていました(笑)」

・その頃は本当にソチ五輪の事は考えていなかった。

・バンクーバー後の一年は不調で、納得の行かない成績。それで次のシーズンを頑張ろうと思った。次のシーズンは世界選手権銅メダル。でも、ルッツジャンプを跳べなかった事が悔しくて、悩んだけれど、次に続ける事を決めた。

・気が付けばソチ五輪まで二年。周囲からも意識した質問が増える。それでもあの五輪に向けた練習がもう一度出来るのか、という葛藤。そんな中で、当時一緒に戦っていた仲間を見送る立場でいいのか、と考えた。本当は自分も挑戦したいんじゃないか。怖がっているだけじゃないのか。

・せっかくここまで続けてきたんだから、やるしかない、と決めた。(2013-14シーズンの世界選手権の後)

・「ソチまでは続ける」という発言が「今季限り現役引退」というニュースになっていて驚いた。それだけまだ自分の演技を見ていたいと言って下さる方がいる事は幸せだとも思った。

・バンクーバーとソチに臨む状況は違っていた。バンクーバーは追いかける立場、ソチは「行けるであろう」と思われる中での立場。「自分の位置を守りたい」「引きずりおろされるのではないか」「代表になれなかったら」不安と心のバランスが難しく、眠れない状況も多かった。

・そんな中でも長久保コーチが支えてくれた。先生が最後まで諦めなかったから今の自分がいる。病気の頃から側にいてくれた。先生に喜んでもらえたらいいな、「明子を教えて来てよかったな」と思って最後を見届けてもらいたかった。

・「それでも一番先生と一番喧嘩したのはあのシーズンでした(笑)」10代の頃の自分と28の自分は違う。先生も(こんな年齢の選手を教えた事が無く)自分への指導に迷った。二人で話し合いながら甘さにならない練習を模索した。

・最後の全日本の話。優勝するなんて、大会直前は、自分と長久保コーチが一番信じられなかったと思う。それくらいのスランプだった。先生が怒るのをやめ、とにかく話をしようと言ってくれて、話し合った。「あと一週間、先生の全てをかけて教える。それでもぎりぎりだ。それでもついてこれるか」

・「それでも先生に着いて行きます」と言って、そこから順調ではなかったけれども、前に進む事が出来た。先生が最後まで諦めずに引っ張って行ってくれた。本当にいい先生に出会う事が出来た。決して良い生徒ではなかったけど、スケートの良さを学ぶ事が出来た。

・最後のシーズンは、練習の一つ一つが愛おしかった。だから辛くとも頑張れた。いい演技で終われないと満足できないかと思っていたが、引退して今、一切「もうちょっとやりたかったな」という悔しさや悲しさ、寂しさは全くない。自分でも意外。

・成績とか結果ではなく、そこまでの過程に満足ができて、充実したものであれば、必ずしも結果が伴わなくとも、すっきりと次に進めという事を知った。

・ここまで気持ちよく選手生活を終える事が出来たのは、幸せなスケーターだと思う。

・引退してからも色んな場所で呼んで頂けて、ここまでやってきて、本当に良かったと思う。今は色んなお仕事にチャレンジしている。

・初めて社会に出たようなものなので、世間知らずだと思うので、社会見学と言うか、色んな経験をさせて頂いている。

・今まではスケートを中心にできていた生活のリズムが、様々なお仕事の合間に練習を組み込むような生活になっている。毎日が刺激的で、初めての事で、毎日充実している。ずっとスケートしかしてこなかったので、今自分が何ができるのか分からないので、頂いたお仕事はなるべく自分らしく楽しくやって行こうと思っている。そこから一年やってみて、自分で開けて行く道もあると思いますし、自分自身が思っているよりも、何らかの可能性があるのかなと期待を込めて、色んなお仕事をさせて頂いている。本当にスケートをやってきて良かった。

・必ずしもスケートが好きだからと言って、好きで楽しんでやっている事と「楽なこと」とは違う。「楽しい」と「楽」という字は同じだけど、全然楽ではなく、苦しい事もたくさんある。でも好きだから続けられる。

・「皆さんもぜひ自分の人生で楽しさに変えられる事を」壁にぶつかる事も無駄ではない。悩む時間も緊張したりする事も、その事に真面目に取り組もうとしているから。ちょっとでも前に進もうと思っていれば。「これからの人生、たかが29歳が言うのもなんですけど(笑)」「色んな人に感謝の気持ちを持って生きて行きましょう」


※質問コーナー※

Q.「鈴木さんにとって「生きてる」って何ですか」

A.「んー、難しいですね(笑)想定外の質問で(笑)今を一生けん命、今この瞬間を…うーん難しいですね、今この瞬間を大切にするからこそ、今の自分を受け入れる事…なんかよく分かんないですけど(笑)」

Q.「世界中色々行ってらっしゃると思うんですが最近行った場所の話を」

A.「一番最近はアメリカのデトロイトなんですけど、アイスショーの振付をしてきました。今回のアメリカは自分のインプットの時間。映画を観たり本を読んだりして、何も考えずに過ごして、切り替えの時間だった」
「自分が本当に何をしたいかが分かった」
「ぼーっとしてたら自分は忙しいのが好きなんだと思った」

Q.(質問が良く聞き取れなかったけど振付師への事について)

A.「振付師は大きな目標だけど、今は更に色んな振付師の方に振付をしていただいて、スキルを磨いている。やろうと思えばできるかもしれないけど(お話も頂いているけど)本当にやるからには自分のスキルを磨いてからやりたいので、来年以降から少しずつやって行こうかなと」

Q.「もうすぐ大事な試験があるのですが、緊張しない方法は」

A.「選手をしていて緊張しなかった試合は一度もありません。緊張する事は悪い事じゃない、その物事に集中してる結果だから、楽しみに変えなさいと言われて、そんなことできるわけない、と思いますけど(笑)考えを変えるようになった」「気持ちの中で思うだけでも全然ちがう。皆緊張している。自分だけじゃない。大きく息を吸って、人間は緊張すると吸う方が多くなるので、私が試合前にしていたのは、意識的に吐く方を長くして、心拍数が落ち着いてくるようにしました。頑張って下さい」

Q.「一番見てきた中で一番すごいと思う選手は」

A.「選手の頃からも、引退してプロスケーターとしても、荒川静香さんは目標でもありますし、身近な先輩としても尊敬している。荒川さんと同じような事はもちろん出来ないので、自分らしく。彼女がプロスケーターとしての道を切り拓いてくれたと思っている」「プロの意識を高く、今でも素晴らしいパフォーマンスを見せて下さっている事を尊敬している」

質問者の方にサイン本のプレゼント。
その後で「個人的に、福島のままどおるが大好きで、仙台でも良く買っていた。それを知った人が良く買って来てくれていたので、ままどおるを常に食べています」という嬉しいコメント。

更にその後は、時間の許す限り、写真撮影やサインに応えて下さっていました。

私がいつも彼女のお話を聞いていて思う事は、誰かの名前を挙げる事が少なく、また、誰かと自分を比べてどう、という話をされないところです。そして、誰かの発言を利用し、自分の評価に繋げる事もしない。常に自分と向き合う事を大事に、お話しされている、と感じます。これは実は、割と難しい事だと思います。人は、すぐに「誰か」の言葉を借り、それを勝手に傘に着ようとしてしまう時がありますから。
その、常に自分と真っ直ぐに向き合う姿に、私は感動して来ましたし、彼女の演技が好きだったのだと思います。

とても忙しい中、郡山にトークショーに訪れて下さった事を感謝しています。

魔女裁判は過去のものと笑えるか?-"The Crucible" The Old Vic (London)- を観て。

2014-08-08 21:43:47 | ブログ記事
先日ロンドンで「The Crucible」という舞台を観た。アーサー・ミラーの有名な戯曲だ。私は初見である。単に「ホビット」でトーリン役だったリチャード・アーミティッジが主役なので、それを観たいと言うただそれだけの理由で、戯曲に対する前知識は全く無かった。

「The Crucible」は、セイラム魔女裁判をモデルにしたストーリーだった。改変点はあるけれど、基本的には実際にあったという、19人を処刑にまで追い込んだ魔女裁判をベースにしている。私は席があまり良くなかった事もあり、芝居としての評価は自信がないけど、内容に考えさせられた事をここに書いておこうと思う。

現代では非科学的であり、到底考えられない魔女裁判だけれど、当時は大人が大真面目で携わり、本当に人の命を奪っていた。でも、これは本当に、現代なら有り得ないと一笑に付して終わるものとも思えなかった。人々の集団心理、恐慌、これは今でも存在すると感じたからだ。

私が特に「今でも同じ事が起こっている」と感じたのは、魔女を告発した娘が、聖女として村人たちに讃えられている事だった。糾弾すべき魔女を告発した者は聖女になれる。これは、現代でも同じ構図が見て取れる。ネットの世界でも同じだ。

「誰もが思う存分に糾弾できる悪者」を提供した者は、反動のように聖者となっている。間違っていればいるほどいい。その者を断罪し、糾弾する事は、正しさの元に与えられた権利なのだ。その優越にも似た権利を与えてくれた者が、聖者になるのだ。

魔女を探し出し、糾弾する。魔女を殲滅すれば、世界は浄化される。それは紛れもなく「正義」だ。それは「為さねばならない」事だったのだろう。使命感でもあったのかもしれない。そしてどんなに糾弾しても追いつめても、自分に非は無い。相手が「魔女(悪)」だから。

記録に残るセイラムの魔女裁判では、その最初の告発者であった娘の証言に疑問が生じ、狂気のような裁判と処刑は終息する。聖女は嘘をついていた。でも、誰もそれを疑おうとしなかった。

戯曲中では、そんな裁判の中で魔女に仕立てられてしまった村人、ジョン・プロクターが主役であり、彼の不器用ながら真っ直ぐすぎる性格、頑なな抵抗の姿が観客を惹き付ける。彼を糾弾しようとする村人たち、最初に告発者となった少女たちの狂乱とは対照的な、重厚さを感じさせる存在に見えた。(リチャード・アーミティッジは、そのキャラクターに合っていたように思え、その実直さの伝わる演技が胸を打った)

でも、その裁判の最中にあっては、告発者の娘こそが聖女であり、魔女を追いつめる側こそが正義だったのだ。今では狂気としか思えない行動も、正義であり真実の追及だったのだ。

この構図は、もしかしたら現代でもどこかで起こっているのではないか。私にはそう感じられて仕方がなく、それだけに、心に深く刻まれる舞台となった。

まさに「正義の暴走」なのだろう。でも、何が「正義」で何が「暴走」か。「正義の暴走を止めろ」と叫ぶ側に、暴走はないのか。「幾らでも糾弾して構わない魔女」を前にした時に、どれだけ人は冷静に立ち回れるものなのか。現代でも、笑いごとで済む話とは思えないのだ。

魔女裁判は科学的な思考や考察が浸透していない時代だから起こったのかと言えば、そうとは言い切れないと私は思う。人を追い込む、人を追い込むように熱狂させる「何か」は、科学が発達した現代でも人々の間に蠢いていて、それは魔女裁判の頃から何ら変わりがないのかもしれない。

「自分たちは溺れていない。常に正しい判断を下している」と思い込む事に、過信があるのではないだろうか。例えそこに「科学的な正しさ」という裏付けがあったとしても。いや、あればこそ。「正しさ」を錦の御旗にできるからこそ、正義の暴走は始まるのではないか。

そしてまた、聖女を讃えるのは、彼女(彼)が正しいからなのか。好きなだけ糾弾できる「魔女」を提供してくれるからではないのか。その糾弾に、愉しさを見出してはいないか。

どんなに叩いても、自分に危険の及ばない「魔女」は、人には都合がいい存在とも言える。特に現代に於いては、「どこから叩いても文句なし」の完全な「魔女」を差し出せる「聖女」が、人々の熱狂的な支持を集めるのかもしれない。もちろん、男女関係なく。

(私が今更言うまでもない事と思うが、当時の「魔女狩り」「魔女裁判」で「魔女」とされたのは、女性だけじゃなく男性も同様だった)

「聖女」が実は虚偽の証言をしていた時、自分たちの掲げていた「錦の御旗」である「正しさ」に齟齬が生じ始めた時、その「お墨付き」を以って好きなだけ「魔女」を糾弾していた人たちは、どうするのだろう?
舞台では裁判の行く末までは描かれないが、その行き先は、現代の方が始末に負えないようにも思える。

戯曲は、モデルとなる過去の事件があっても、現代にも通じる「人の普遍的な何か」を描いているものが面白い、といつも思う。それは映画でも他の芸術でも同じなのだろうけれど。そういう意味で、「The Crucible」は私にとって大変「当たり」の舞台だった。

「The Crucible」は、魔女裁判以外にも、書かれた当時の赤狩りなどを批判した部分もあったそうなので、そういう視点から見れば、また感想も違ってくるのだろう。

「非科学」が恐ろしいのか。「科学への冒涜」が恐ろしいのか。
私はそうではないと思う。
非科学であっても科学であっても、何ものかを武器に掲げ、「悪」を糾弾する事に躊躇の無くなった人間こそが。そしてそれが「糾弾」という自覚さえなく、集団で誰かを弄り、追い詰めて行くようなる事。そんな「悪意のない弾劾」こそが、恐ろしいのだ。



※そして以下は舞台としての感想。

ちなみに私は、一番安い席だったので、円形の劇場の脇側、天井桟敷にも近いような席でした。だから、視界も限られているし、見えてない部分も多々ありました。それでもこれだけ感じるものがあったのだから、良い席であればもっと、楽しめたと思います。The Old Vic は大きすぎず小さすぎずのとても良い劇場と感じました。ウォータールー駅からすぐ近くです。
天井桟敷のような、ほぼ立見にも近いような席なだけに(なんと10£ですから…)、若い子たち多く、お菓子を持ち込んで、きゃっきゃと芝居に見入ってるような席で、これはこれで面白いな~と思っていました。ああいう舞台を、若いうちから気軽に見れる環境は、素直にうらやましいです。
リチャード・アーミティッジさんは、何よりも一番最初に、日本のプレミアの時に真ん前で見てしまったので、男前さ加減にびっくらしたんですが、遠目でもすっごく素敵だったし、何度も書くようにすごくあの芝居に合っていたと思います。舞台でもろ肌お風呂シーンあったし(関係ない)。

自分がどんな「ファン」でありたいかについて

2013-12-11 04:24:59 | ブログ記事
私はミーハーを自認していて、好きな芸能人の舞台やテレビ観覧を積極的に観に行っていた方だけど、ファンとして本人にすごく近づきたい!という気持ちはそんなになかった。全くないとは言わないけど。レスポンスが欲しい!という欲求がそんなになかった。見て楽しめればいい、みたいな。

ある意味冷たいファンなので、相手にプレゼントしたいとか、ファンレターを送って返事をもらうとか、そういう行動に出る事が少なかった。往々にして私が好きになる頃にはその対象はお金に困ってはいないので、モノ贈られても有り余るだろうし、こっちが相手の喜べるものを遅れるとは限らないし。

だから歌手ならCDを買うし、役者なら舞台を観に行くし、そのパフォーマンスに対し対価を払う事が、ファンとして一番できる事と思っていた。それが「応援」だと思っていた。

でも、確かに、憧れの本人と話せたり、握手できたりしたら、それは嬉しい。ファンミーティングが盛んな人を見ると、ああいいなぁ、とかちょっとは思うし。でもそれはファンからの応援というよりも、相手のファンサービスだと思っていた。ある意味、こちらから支払う対価への返礼とでも言おうか。

どんな芸能人や役者でも、基本的にファンを嫌がりはしないだろう。でもいつも愛想よく対処できるとは限らない。ファンサービスは、あくまでサービス。過剰に求めたら迷惑になる。彼らが自分たちに与えてくれるのは活動が生む作品、そこから得られる楽しさ。それ以上はエクストラなのだと考えている。

「応援の声を送りたい」と思う気持ちはファンなら誰だってあって、それはきっと相手も嬉しいものだろうけど、その送り方を間違えたら迷惑になる、と思っている。

昔からその距離感が取れないファンというのはいて、全てがSNSの発達のせいではないだろうけど、簡単にコンタクトできる相手ではなかった芸能人や役者に、気軽に話しかけられるツールがあるというのは、そんな距離感を余計に縮めてしまったのではないだろうか。良くも悪くも。

芸能人や役者を崇めろというのではなく、ファンとは往々にして相手を「よく知って」しまうので、まるで知り合いや友達のように親しい感覚で見てしまうけど、あくまで他人同士という事を忘れてしまうという意味で。

この距離感の喪失は、相手が芸能人ではなくとも起こりうると思う。例えばツイッターのアカウントでも。こっちは長く購読している相手で、相手への情報を得ていても、向こうにとっては1フォロワーにすぎない、通りすがりの他人、みたいな感じで。

その感覚の差は、時にしつこいストーカーまがいのつきまといになったり、そんなネガティブなものではなくとも、誰かへの過剰な憧憬になったり、互のリアルな存在を超えた何かを生んでしまうように感じる。

そして最近は、そんな対象の一つが「福島」になってしまったのではないかと感じている。

皆に応援してもらえる福島。大好きだと言ってもらえる福島。それは嬉しいけど、震災前には全くと言っていいほどなかった扱いなのは事実。基本的には本当に、本当に嬉しく感謝しているのだけど、その憧れの先にある「福島」が、私からはとても遠く感じる時がある。

まだ復興には程遠い場所も多々あり、問題も抱えているのだから、救いの手が必要なのも事実なのだけど、例えば繰り返されるファンミーティングの盛り上がりを、遠い目でしか見れない自分がいる。

集う人たちは楽しいのだし、それを嬉しく思う福島の人の方が多いだろう。 異端なのは私の方だろう。もちろん悪いというつもりは全くない。応援の気持ちに感謝をしているのも本当。ただ、一部の「福島のファン」と、私のファンとしての在り方は、違いがあると感じるだけ。

単に福島に住んでいるというだけで、過剰な応援や憧憬の声をいただく事への罪悪感か。それが私自身ではなく、福島という地への復興に向けられていると分かっているつもりでも、まるで己へのものへと勘違いしかねない自分を恐れているのかもしれない。

「福島」という冠を取った時、自分が空虚になりはしないか?

震災前は何の問題にもならなかった出身地、在住地、それがあるだけで、発言のひとつひとつに注目を集められる。放射能汚染は、どんなに程度が軽くとも長引くのは事実で、それを語っていればいつまでも注目をする人がいる。私はそれを知っている。でも、そこにしがみついてしまうのは嫌だと思う。

それはある意味、震災の利用だと感じるから。

果たして自分が「福島」を背負わなかった時、どれだけの人間が私の発言を見るだろう?それはずっと、考えている事だ。

政治家の運転手になり、色々な有名人や著名人の元に出入りするようになった人が、「自分まで偉くなったような気がしてさ」と冗談で言ったと言う。そんな勘違いが自分に生まれるのが恐ろしい。福島を語る事、福島を強く応援する事、それを自分の存在意義にするのは嫌なのだ。

元々、地元と深く関わり、地域振興に尽力していた人ならいいだろう。でも私は違う。どちらかというと田舎を忌避していた人間だし、地元の寄り合いや会議所の誘いも逃げ続けてきた。そんな人間が、ここぞとばかりに地元を語るのは、卑怯ではないかと思う。

福島の未来、そして復興、それは前にもコラムに書いたけれど、先人の築いた歴史と、物言わぬ多くの人たちの日常に支えられた先にあるもので、ある日突然用意され、導かれるものではない。

少なくとも、特別に何かをしていない「何もない日常」の営みを馬鹿にするような人間が、未来を作り出せるとも思わない。

だから自分は何もしません、と言ったらそれはそれで卑怯と言われるのは分かっている。そう言う意味での卑怯者呼ばわりなら受けるのも致し方ない。それでも、私が何者にも利用されたくはないと望んだように、私も「福島」を利用したくはない。絶対に、全く、というのは無理であっても。

私が2011年夏、ロンドンに行った時、私が関わった多くの人々は驚く程「福島」に無関心だった。おかげで放射能汚染についての差別も受ける事はなかったが、それ以上に日本の震災など忘れていた人が多かった。それが私にとっては安堵する出来事だった。「何者でもない自分」に戻れたからだ。

(これは後でまた改めて書くと思うけど、私はあの時、行く先々で「福島から来た」と名乗り続けた。「海外ではもう日本なんて」と言われるのが悔しくてそれをこの身で試したかったからだ。でも彼らはそこまで日本を気にしてはいなかった。彼らにとってはリビアの紛争や9.11の十周年が重要だった)

一度でも何かの理由で注目を集めてしまった人間は、それを失うのを恐れる。ひどく喪失した気分になる。それも私は知っている。だから、自分は何者でもないと、福島に住んでいる事を利用するなと、自分に言い聞かせ続ける。

強大な敵もいない。使命感もない。ここに住んでいるだけ。自分が目指すべきものを好き勝手に求めるだけ。震災以前の自分に戻る事を恐れないように。震災で得たものに寄りかからないように。

「福島」の「ファン」で、福島とのファンミーティングを楽しむ人にとっては、私は異端で、可愛げなく映るだろうし、嫌悪感も持たれるかもしれない。でも私はそういう距離感でしか接する事ができない。その好意に感謝していても。

私のミーハー応援スタンスは「相手に迷惑にならない程度に対価を払って、距離感をもってその存在を楽しむ」事。それを「福島」にも貫きたい。

誰よりも、私自身が福島の利用者とならないために。

私たちは、武器でも鎧でもない

2013-09-07 13:32:57 | ブログ記事
「もうたくさんだ」言うなれば、これしかないだろうと思う。

東京への五輪招致そのものへの賛成反対、それは県内に住む人間でも一人一人意見は違うだろう。私個人は望まない。しかし今回の汚染水流出の件を経て「こんな酷い事を言われて反対ですよね?」と言われたらそこに頷く事はない。少なくとも私は。そんな質問をする側にも共感はしないからだ。

開催を逃せば(そもそも私は不利であるし相応しくないと思っていたが)、原発事故のせいでと言われるだろう。万が一開催となれば「あんな事故があったのに開催なんて」と責められ、その度に汚染水流出のニュースを引き合いに出されるのだろう。どちらももう、うんざりだ。

「東京のために電気を送っていたのにどうしてそんな言われ方をしなければならないのだ」という憤りの声をいくつか見た。そう感じる人がいて当然だろう。東京へのあからさまな呪詛にも近い言葉をつぶやく人もいる。そこまでさせたのは何か。それはこの五輪問題だけがきっかけではないと私は思う。

私個人は、東京を含む都会での娯楽を享受する人間だから、東京を呪う訳には行かない。その資格はないと思っている。だから私が彼らの言葉を借りそれを武器に誰かを斬るような真似はできないが、そう感じる人たちは日常のそこかしこで、東京に対してそんな違和感を感じて来たのだ、ずっと。

今原子力発電所は稼働していないけれど、広野の火力発電所は動いている。空を埋める排煙は、放射性物質ではないが、環境を汚すものには違いない。しかしそれを汚染だと騒ぐ人はほとんどいない。量の問題ではないというならあれも立派な汚染だろうに。そしてその電気が東京の日常を支えている。

華やかなお祭り騒ぎは五輪だけじゃない。中にはもちろん私も楽しんでしまっている都会での娯楽、それを覚めた目でしか見れない福島県民は少なくない。その日常での彼らの違和感に、今回騒ぐ人たちはこれまでも目を向けた事があっただろうか?

責められているのは招致側だけではないと、考えた事はないか?

東京を憎むような言葉を呟かれて、気持ちのいい都会人はいないだろう。それは全部都政が悪いと押し付ける事ができたとしても。けれども、そこまでの言葉を言わせた裏には、福島に住む人間の抱える理不尽な怒りがある。そしてそれだけではない、辛さだ。利用され捨てられる事への悲しさだ。

どんな主張であれ、自説を立てる盾として利用され、ずたずたにされる。そんな展開にうんざりし、悔しさを呑み込んでいる福島県人は少なくないのではないか。

「海外メディアはこんなにも」という声が強くなるたびに、不安や虚しさを感じる人も少なくないだろう。やはり世界から福島は忌み嫌われるのかと。そんな不安や悲しさを普段はやりすぎしていても、こういった機会に突きつけられ、絶望を感じる人もいるだろう。

今に始まった事じゃない。五輪招致問題だけがきっかけではない。この二年半以上、そんな不安をどこかに抱えながら、それでも自分たちの日常を生きようとする福島の人たちに、多くの部外者は容赦なく福島を利用し、主張と非難と議論を繰り返す。私たちは、武器でも鎧でもないのに。

何者にも利用などされたくはない。もうそっとしておいて欲しい。それはこの現実がある限り、かなうべくもない願いかもしれない。しかし、これからも五輪招致問題のみならず、福島を引き合いに出される度にそう心を掻き乱される県民が一人でもいる事を、誰かに知っていて欲しい。

都会への呪詛に近い言葉をつぶやく県内の人は、本当は誰よりも傷つけられ続けた人でもあると思う。攻撃的な言葉は防御の裏返しでもある。彼らを助けて欲しい。その言葉から目をそらさないで欲しい。原因が五輪招致問題だけではない事に気付いて欲しい。もう傷つけられたくなんかない、それだけなんだ。

この件に関しては「だから賛成ですよね」「だから反対ですよね」「だから原発が悪いんですよね」などなどの言葉のいずれにも頷く事はないだろう。

汚染水流出に関しては、福島に住む人間が気にしているのは、まず流出が水質にどんな影響を与えるかではないか。五輪招致側の説明不足、また東電側の対応不備が各国から責められているとしても、それより何より先に知りたかったのは自分たちへの影響であって、五輪招致への是非ではないと思うのだが。

その水質に関する結果が出ていても、この結果を広めてくれた人がどれだけいるだろう。
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20130904ddlk07040069000c.html
http://www.minpo.jp/news/detail/2013090410686

結果そのものを疑問視する人も多いだろう(もちろん、はなから信用しないという陣営も想定済みだ)。この結果を突き付ける事が対外メディアへの相応しい対応だとも思わない。汚染水への対応が未熟である事そのものが問題というのも理解できる。

しかし福島へ住む人間への気持ちが少しでもあるなら、「あんな事を福島に言う招致側は失礼だ」と憤るなら、流出の結果が最悪でなかった事も少しは広めてもらいたかった、と思ったツイートもあった。

「数値で平気だと言われても、汚染水を海に流していると聞いて平気な人間がいるだろうか」という疑問は当然投げかけられる。事実への不安を消しされない事を知識不足と切り捨てるのは、さすがに乱暴ではないかと私も思う。数値だけで対外メディアを納得させられるとも思わない。

「それならどうすればいい?」「どのような説明をメディアにすれば良かった?」これを「そもそも招致そのものを諦めるべきだった」という結論以外に示してくれた意見には、あまり出会ってないように思う。

繰り返すが、私は五輪を東京で行うには都市として不適格だと思っているし、経済的な利がそこまであるとも思えないし、復興を示すためなどという題目を掲げられた時には呆れたものだったので、招致側を庇う意図は微塵もない。

五輪に関してはそんな姿勢だが、来春のフィギュアスケートの世界選手権も埼玉で開催される予定だ。世界選手権は五輪に次いで(あるいは並び称される)競技大会なのだから、事故だけを理由とするならこれも反対するべきとなるだろうが、私は違う。

一競技だけの大会と五輪を比べるつもりはないが、汚染水問題をはじめとする「収束していない発電所事故」が問題で五輪招致を反対と考える人は、このような大会にも反対するのだろうかという疑問はある。

福島を責める人ばかりじゃない、愛してくれる人はいる、分かっていても諦めたくなる時はあると思う。それは辛い事だ。何もできないだけに、悔しい。

「どうせ全部自分たちが悪者にされる」そんな諦観を抱くまでになってしまった人の、傷つけられた心を、誰が癒してくれるのだろう。

傷つけられ続ければ、期待をする事から遠ざかる。期待しなければ傷つけられる事もない。「どうせ自分たちがいつも悪者だ」これをいじけているだけだ、ひねくれすぎだと切り捨てる人もいるかもしれないが、私からは心を殺しているように見える。あえて自分の心を殺している。何も感じないように。

そこまでさせたのは何だったか。原因は一つじゃない、それだけは確かだと思う。

何度でも言うが、私の、私に共感を抱いてくれた人たちの声は、どんな主張であれどその誰かを補強するための鎧でもなければ、叩きたい誰かを攻撃するための武器でもない。

郡山市における武田氏講演会について思う事

2013-07-02 23:01:23 | ブログ記事
郡山市の武田邦彦講演会(正確には「市民のための建築セミナ-」)これに郡山市が後援している件について、昨日、市役所に確認しました。残念ながら、昨日の時点でも郡山市の後援は確定済みで、変更はないようです。

「市民のための建築セミナ-」これは郡山市建築行政協力会の主催で、平成8年から行われているセミナーだったそうです。そこで市の側としても、長年の信用に基づき、後援を承諾した部分があったようです。

ちなみに、「こおりやまポータル」はNPOの運営するサイトになりますので、市役所の直轄サイトではありません。なので、市役所の職員は、その内容と直接には関係ないという事です。

職員の方のお話では、「氏の発言に何かと問題があった事は知っていたが、主催から「最近は発言も落ち着いてきたし」との説明を受け、それならと承諾を決めた」と教えていただきました。(後援といっても、どなたかも確認されていたように、名義のみの話なので、金銭的なバックアップなどは一切ないとの事です)

お話を伺って問題と思ったのは、主催の方が氏の問題発言について承知の上だという事です。今までのトラブルも知らない訳ではないのだと思います。それでも尚、氏を講演会に呼んでもいいと思えるものがあるようです。「多少問題があっても良い事を言うから」くらいの認識かもしれません。

これは、「武田がこれだけ酷い事を言っている」という抗議は、あまり効果がないのかもしれません。「酷い事」の内容、その対論をしっかり示さなければ、納得してもらえるのは難しいでしょう。

例えば「酷い事」が「東北の野菜や牛肉を食べたら健康を害するから、捨ててほしい」といったようなものなら、「いい加減な事を言うな」ではなく「その時点で東日本の野菜の汚染度がどのようなものであったか・発言がどれだけ県産品への打撃を与えるか」を冷静に論理的に説明できなければ。

氏の発言のいい加減さ、馬鹿げた極論と暴言、その内容が、福島県に良い影響を与えるものかどうか。「子供のためを思って感情的になっただけだ」という逃げ場を与えないような、芯のある論拠を用意する必要があると思います。

郡山市の人間で武田氏を未だ評価する人間がいる理由のひとつに、震災後いち早く学校の校庭の除染を始めた前市長が、氏のブログを参考にしていたから、という実績があります。これが「ちょっと言葉が過ぎても良い事も言うし」の根拠になっていると思います。

そしてもう一つは、悲しいかな、氏がテレビに出続けている有名人、という事もあるでしょう。有名人だからと持ち上げるのは馬鹿らしい、という人でも、誰しもそのような心理はあるのではないでしょうか。ツイッターでも、有名なアカウントに話しかけられたと喜ぶ人は少なくないのですし。

すでに氏のいい加減さに気づいている人はそれが愚かに見えるでしょうが、氏の発言は間違いを指摘しづらい巧妙さに溢れていますし、誰もがネットでの評判を知っている訳ではなく、現にメディア露出が続く人を、そこまで悪人と思っていない人もいるでしょう。

このセミナーに氏を呼ぼうとした主催も、震災直後の功の部分を評価し続けているのかもしれません。もしも主催に抗議をするとしても、その認識を頭ごなしに責めるような方法は良策とは思えません。

このセミナーの震災以前の活動は分かりませんが、すでに何度も行われているという事は、それだけの実績があり、市との信頼関係もあるという事でしょう。時にそういった関係は判断を鈍らせる事もありますが、震災時に人を助けたのはそれまでの地元の信頼関係でもあったと言う事を忘れたくはないのです。

市や主催に抗議をするのであれば、その行動を責めるのではなく、その行動が引き起こす、福島県に対するマイナス面を、分かって頂けるように訴えたいと私は思います。その上で、より良い選択を次回はして頂けるように。

これは、今回の武田氏の件のみの懸念ではありません。最近になって地元の分断という話題を良く目にするようになりましたが、こういった問題の時に、外部から強く抗議する声が一方的に叩きつけられる事も、分断の要因になるという可能性を分かって欲しいのです。

困った人はどこにだっています。納得行かない行動をする人、そのせいで迷惑を被る人、必ずいるのです。それを「正しい立場」からその意見を押し付けるやり方は、「対話」とは程遠いと思います。もし本当に「対話が重要」と思うのであれば、ネットで一時的に怒りをぶつけるような方法は有用でしょうか?

私は、本当の戦いとは、正しさを押し付け相手をねじ伏せるのではなく、そんな己の憤りを押さえ込みながらでも、相手との理解できる状態を作り上げる事だと思っています。

今回の件に関しては、すでに提言書を作って動いて下さってる方もいます。(ほかにも独自に抗議されてる方々もいるようです)私は、市の方に、せめて後援を取り下げて欲しいという旨を手紙で送ろうと思います。

同じような事は、これからも起こると思います。だからこそ、長く粘り強く、話を聞いてもらえる方向に動いて行かなければ。今回何も結果が出なくとも、これから少しずつでも残念な事態が減って行く事になればと願って。