TMを懐かしむ皆さんに一つ報告を。
「CAROL」は新たな設定で現在進行形です。四捨五入還暦のおじさまたちが宇宙人ごっこに本気出してます。
@enigmaru01 見頃と言うか、終わりかけ…orz なんか今年は薔薇園のゲートが閉まったままで、開放が遅れてたんです。昨日やっと開いたんですが、半分以上咲き切っちゃってた…。・゜・(ノД`)・゜・。
(詳しくは小室先生のツイートを参照…と書こうとしたけど余計意味不明になりそうだから止めた方がいいです)
私がここ三年TM好きでいて良かったなぁと思った事の一つは、震災後にあの事故を題材にしたり、被災地の悲しみや怒りを歌にするとか、そういう真似を一切しなかったところ。別に福島の人の気持ちを歌ってもらわなくてもいいから、私は。
(いや小室先生的には色々思う所を込めているみたいなんですが、幸いあの日本語なので意味が分かりません)
歌でも、映画でも、何でもそうなんだけど、表現者にとっては最高の題材だし、創作意欲を良くも悪くも喚起させる出来事だったでしょう。その意欲を否定はしません。芸術家、創作家とはそういう生き物だから。でも「当事者の代弁者」だと思ってそれを発表する姿勢は、好きになれなかった。
震災からしばらく経って、様々な人々の声、紡いできた時間が積み重なっていて、それらは十分にドラマに活用出来てしまう。「題材」を探している人ほど被災地への関心を強めるのかもしれない。どんな物語が受けるかを、すでにリサーチできている今なら、尚更だろう。
「例えばそれが利用の側面を含んでいても、結果的に被災地へ還元される利点があるなら、こっちがそれを利用してやれ」という意見もあるだろうし、それも全否定はしないけど、私自身がどんな形であれ利用されるのが嫌だから、「利用してやる」という姿勢も私は嫌だと思う。
被災地を冠に着けなくとも、良質の創作物はそれだけで人の心を励ますものだと思っている。被災地に限らず、人の心の復興に創作者にできる事と言ったら、震災にとらわれず、彼らなりに最高の仕事をしてもらう事、と思ってます。
まあ、TMさんに関しては、いつどこで何が起こるか本当に分からないので、ある日突然とんでもない歌を発表したりする可能性も否定はしない。でもそんなものかなと思っています。それはどんな好きな対象に対してもだけど。
自分が自分の理想を照らし合わせて信じていた何かが、自分の望まぬ方向に動き出した時、「裏切られた」と傷つくのは、思い入れた側の勝手な思い込みなんですよね。それが家族や恋人なら仕方ないかもしれないけど。
過剰な信奉とか、信頼とか、一方的ならそれは、妄想とも紙一重で。いつしか自分の中に勝手な誰かの姿を創り上げている可能性に、いつも気を付けないといけないと思う。妄想を妄想と自覚して楽しんでいるならいいけど、自分でその境目は見えにくいものだし。
《「何もかも、自分の思い通りにしようとする(出来ると思っている)~そのために費やした自分の労力が否定されるのを、許さない(=否定されたら、相手を非難する権利も同時に付与されている)」私》という、存在。…うわ、うわ、うわぁああ~~~。
福島に住んでいるというだけで、何かの権利を得たかのように思うのは危険だ。自覚がなければもっと危険だ。周囲がその立場を持ち上げようとする時ほど気を付けないといけない。
マスコミとネットがありもしない事に盛り上がって寝た子を起こした。一方的に騒がれて飽きられた現地には強固なマイナスイメージだけが残る、誰も得しない、ほんとやめてほしい、と会津でさんざん聞いた。今回のような拡散力を持つTwitterやFacebookが怖い、とも。