けれども彼らは宗教にはまっているなんて、全く思っていない。己が選択した「正しい」ものを迷いなく信じる。常に科学的な裏付けを得た事実を信じているのだから、間違っているはずはない、と思うのかもしれない。それこそ宗教に親いものだと思うけれど、そんな可能性など考えもしない。
カルトを盲信し道を踏み外した人たちを他人事のように分析してる人だって、自分が信じてるものの実態をどれだけ知っているかなんて、分からないかもしれないんですよ。
だから科学には「検証」があるのだと私は思っている。例えば科学的に正しいものを見ている研究者だからといって、全ての選択が正しいとは限らない。でも、そこを己で検証できる「科学者」がどれだけいるのか、私には分からない。
罵ったり、嘲笑したり…正しいとか、正しくないとか以前に、そういう人の言葉って、受け入れ難いわけさ。自分のすべてが正しいわけじゃないだろうよってね。自分のすべてが正しいと思ってんじゃないかと思わせるようなその雰囲気が、かえって、その言葉を軽くしてしまう。
EM菌の話題と見るとすぐに「トンデモだ!」と食いつく方々は、本来の効能についてどこまで理解しているのか。問題になるような使用法に苦言を呈していた方々は、功罪の功の部分にも触れていたはずだけど、トンデモを指摘する事だけに気を取られた方々は、結局問題の一部分しか見ていないような。
「どうもEM菌というのは相当のトンデモだ」という少々ざっくりとした認識→「使用者は皆トンデモだ!」みたいな過剰反応は、本来の問題部分の解決を遠ざける事にもなっているように思う。
使用法や方向に間違いがあり、それにより大きな問題が生じる可能性がある、という懸念から、危険を訴えている方々がいるのは事実なのに、脊髄反射や過剰な揶揄は、その訴えたかった本質を遠ざけてしまいかねないような気がする。これは、EM菌に限った事ではなく。
最後につけくわえるけど、「わけわからんことを言う人を糾弾する一番の方法は、無視して社会の話題から抹殺すること」なんだよね ほんとうはね。叩く目的で拡散してると一定確率でバカがつれるの。糾弾目的にその人の言動を拡散すると予期せぬ二次被害がおこる。
私もそう思うけど、「幾らでも叩いてもよい・己の良心が痛まない・絶対的に相手が間違っている事が保証された存在」を、完膚なきまでに攻撃するのが好きな人たちは、確実にいますよね。
「叩き潰すべき相手」というのが存在してもいいのかどうかは別問題として、ネットで「叩く」事で相手は「潰れた」でしょうか?そうでもないと、思うんですが。
攻撃するのが好き、というか、そうせずにはいられないというか、それが普通、なのだろうなぁ。特別な意気込みなどないのかもしれない。
@chappiekun ありますね。結局、双方で勝利宣言を挙げてみたりしてね。それで問題解決には近づいたかというと、そういうふうには見えない、という。
昔、ある事件の被疑者となってしまったお宅に、夥しい数の苦情電話があったと聞くけど、「裁かれるべき悪には我こそが何かを言わねばならない」と思わせる何かが、心に棲んでいるのかもしれない。それが今は、ネットを介して行われるようになっただけで。
@chappiekun まず「叩き潰す」事を目的にしてしまっている方が一部いらっしゃるので(話しても無駄な相手、と思いたくなる気持ちは分からなくはないですが)難しいかもしれません。私は潰れてくれればそれでいいとも思ってますが(笑)、潰れた例を見た事がないので、それでいいのかと。
「自分は常に被害者である」と信じ込んでいる人も困りものだけど、「自分は一度たりとも加害者になった事など無い」と本気で信じている人ほど、厄介な気がする。
@picolin1 そうなんですよね、本当に、上下左右かかわらず(これだから○○は、みたいなレッテルは無意味)そういう方は存在して、そういう方は避けたいなぁと思うように…(´・ω・)自分にも、偏ってた時期があるから、恥ずかしいんですけどね。
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