強調は、まだまだ苦しむ人のためにも必要だと思うけど。それは自分には必要ないものだから、自分がしがみついたらいけないものだ。
私が「あの時」を思い出して、懐かしむ事こそが、下衆いなぁと思う時がある。
浅はかだと思うような相手をフォローして読むのは嗤いたいためなのかなぁ?私は浅はかだと思うような相手は見たくもないからわざわざフォローもしないけど。
強調は、まだまだ苦しむ人のためにも必要だと思うけど。それは自分には必要ないものだから、自分がしがみついたらいけないものだ。
私が「あの時」を思い出して、懐かしむ事こそが、下衆いなぁと思う時がある。
浅はかだと思うような相手をフォローして読むのは嗤いたいためなのかなぁ?私は浅はかだと思うような相手は見たくもないからわざわざフォローもしないけど。
「敵は作っちゃいけないよ」と散々忠告されたのに、どんどん敵を作っているなぁ。敵ってほどでもないけど。嫌われてるだけで。
自分の嫌われぶりを顧みるにつけ、「避難から戻って地元に居場所がない」というような話題を聞くたびに「大丈夫だよ嫌われててもそこそこ生きて行けるから」と励ましの言葉をかけたくなるけど、これ何も励ましになってないですね。
しかし敵を作らない天才っているもので、少なくともツイッターではまずどの方向にも好かれているし、リアルでも人望の溢れる人を見ると、「いずれ選挙に出るつもりだな…」と思うくらいにはひねくれている。
目の前に大金(一万円は大金かどうか分からないけど私には割と大金)落ちてたら、欲しいと思う前に「え?なんで?」戸惑う人の方が多いと思ってるけど、どうだろう。
初めてロンドンに行った時、チケット買おうとして駅の自動券売機さわったらぽろっと20ポンド札が落ちてきたんですよ。あれは困りましたね。全く英語できなかったんで、「落ちてきました」とも言えなくて。かといって持ち去ったりして後で何かあっても怖いし。
後ろから来た中東系の男性に「あなたのか?」みたいに言われて、必死に「違う、これは(と必死に身振り手振りで落ちてきた事を表現)」したら、把握してくれたようで窓口に届けてくれたんだけど。
「お札やカードが吸い込まれて出てこない」系のトラブルはよく聞くけど、落ちてくる系は予想外過ぎて、「え?!なんで?!」になったなぁ。海外だから何かの罠とも限らないしと…(どんな罠だ)
美しく生きていれているとは思えないけど、せめて自分に恥ずかしくないように生きれたらとは思っている。人に恥を知れと思うなら、己がそれを知っていなければ。
(これがここから落ちてきて、くらいの英語もできないってどんなだと思われそうだけど、真面目にそのレベルでしたよ…中学生英語さえ抜けきった状態だった。のに一人旅)
ああ、そうだ、ロンドンでそのお金が落ちてきて困惑した時に、ちゃんと後ろの人がそれを窓口に届けてくれた事に安堵したんだった。もしも拾って持って行っちゃったらぽかーんとしただろうし、ロンドンという街のイメージが一つ変わってしまっていた事だろうとも。
なんとなく書いていて思ったけど、お祭りのようなイベント、地元のスポーツの応援なんかもなんだけど、そういう時にだけ感じる一体感があって、それが少し嬉しいというのは私にもあるんだろう。それが、震災後にもあったというのもまた、事実なんだと思う。
非常事態に団結して何かをするという高揚感や、何者かと戦っているかのような緊張感が「楽しく」なってしまう。「日常に戻りたい」と言いながら、自らが日常に帰ろうとしない。そんな矛盾が無いとは言えないんじゃないか。
震災とお祭りを並べる方が不謹慎であり、あり得ないと言う人もいるだろうけど、私は共通点があると思っている。
真面目に復興活動に取り組んでいるのか、ただ復興活動というお祭り騒ぎがしたいのか。線引きをする権利はない。でも、まず自分が日常を取り戻さない事には、誰かの復興の手助けは出来ないのではないか。
それとも、震災前の日常であった自分を忘れたか。変わりきってしまって、戻りようがないのか。
久しぶりにネットやテレビを存分に見てたら、何やら「日本はいい国」みたいなメッセージが多くて怖くなった。80年代のディスカバージャパンのキャンペーンを思いおこせば、あれは「日本を振り返る」みたいな余裕が感じられた。だけど今は「ニッポンにしがみつく」崖っぷちの感じ。ブルブル…
寄り添うとか散々言われたものですが、しがみつくのも、しがみつかれるのも嫌だと思います。しがみつくような自分になるのは嫌だなと。
観光地じゃなく、流通拠点ですからね、そもそもが。宿場町であって、人が来ては流れて行く場所。たまたま立ち寄って、なんか美味しいカフェオレと変なパンがあったんだけど!でも十分ですけどね。
まさにその通りでございますorz RT @kiyosi510: あれはB級ではなくS級グルメだ(`・ω・´)キリッ
閉場時間の開成山に向かって、たくさんの清掃車が走って行くのを見送った。大変なのは祭りの後。これからが大変。ゴミ拾いのボランティアの皆さんも、お疲れ様でした。
元々イベントごとに熱心な土地とはあまり思えないんですよねえ。郡山。団結してどうのって気概もそんなに感じた事がないし。でも、震災後すぐに、町中で無料シャンプーの美容室やありったけの物品を販売しようと店を開けていた商店を見て、人のために動ける人がこんなにいたんだ、って驚いたんですよ。
震災後からしばらく経って、県内の他の場所ほど復興を口にしたり、こだわったりする人もそうは見なくなりましたが(私の周囲では)、こういうイベントがあると、なんだかんだ言いながら力貸す人がいるんだな、って。それが、震災後すぐのあの数日間を少しだけ、思い出させたりするんです。
口にしなくても、語らなくても、いざという時にいつもよりも少しだけ、力を貸せる人がいるなら、それで十分じゃないかな、と思ってます。
郡山の人は、「何もない所だよ」とまず言うくせに、褒められると自慢の場所を語り出す、という記事があった。それはとても郡山人にありがちな気質だと私個人は感じたし、そこに目を付けたのがすごいと思った。やっぱり、基本精神がツンデレだと思ってる。
盛り上げの上手くない土地だとも思ってるんで、今回も素晴らしい運営だったかどうか判断しかねますが(そこまでずっと見てた訳じゃないし)関わった方々、よく頑張って下さったなぁと思います。そういうの苦手な身としては、ただ感謝です。
あ、さっきの twitter.com/asakasaku/stat… 福ケッチァーノさんは、イベントだけではなく普段から柏屋さんの側のお店で営業してます。美味しいです。おススメです。
実はお育ちの良い人の無頼ぶった言動や、実はこんなワル()だったりもするんですよ(微笑)みたいな行動言動が、世界で最も憎いものかもしれない、と思うくらいにはひねくれている。
自分だけは全体を見通せていると信じ込めているその自信がどこから来るのか、聞いてみたいものですね。
@admiral_wakky ごめん、60ではなくて約30でした。でもひたすらトイレを探す二十数ページ。
(でもあのマンガの衝撃って何より主人公の彼女が「宗教勧誘員」なところなんだけども)(ホラーとはいえ一応少女漫画)
主人公、宗教の勧誘活動である家に→勧誘を冷たく断られる→主人公、突然トイレに行きたくなる→嫌がる家人を押し切って家中のトイレを探す→この家にはトイレがない!(がーん)→なぜその家にはトイレがないのか、その真実は…?!
というホラー漫画。(マジ)
(仲のいいイケメンに相談に乗ってもらうんだけど、そのイケメンが「宗教の勧誘ならお断りだよ(笑顔)」で登場するところもすごかった)