カッパドキヤ紀行1
果てしなく続くアナトリア高原の風景
冬の観光は避けるのが賢明 寒すぎるから
トルコ中部にあるアナトリア高原は海抜1200メートルの高地にある、
10月ともなると、夜は寒い。冬が来れば零下何度の世界になる。
だから、冬にはここには来ないほうが良い、外気が冷えて、見物どころではない。
アナトリア高原の冬は寒いから、ヨーロッパの人はそれを知っているから、冬にはこない。
日本の旅行会社は、旅行代金を思い切りダウンして客を集める。
決して「寒い」とは言わない。安さにつれられて、来ると馬鹿を見る。
12月に1回妻と来たことがある。それは冷え込んだ。
だから、途中でトルコはやめて、イタリアのローマにいって、4日間 ローマ古代遺跡三昧をあじわった。
とはいえアナトリアには人類が始めて石器を手にした1万年前の旧石器時代、そのころ人間が住んでいた跡や、石器や人骨が出てくるカライン洞窟がある。
また古代ヒッタイト文明の発祥地であり、人類が始めて青銅器、鉄器を作った場所である。
日本の発掘チームが 最古の文明ヒッタイトの遺跡を掘ったいる。
今日残る遺跡はチャタルフイックが最も古い。紀元前6800年から5700年の遺跡が
10層にわたって、発見されている。
日本との関連では、(公財)中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所大村幸弘所長がトルコのカマン・カレホユック遺跡で調査をしている.この世界では知らぬ者のない考古学者である。
今では日本で「ヒッタイト」と言えばこの人、NHKスペシャル「文明の道」への出演を覚えている人も多いだろう。
カッパドキアはそのアナトリアの中心であり、世界遺産でもある
ヒッタイトの遺跡については、トルコの首都アンカラにあるアナトリア文明博物館で現物を展示してある。
アナトリアの風景
Cappadocia (「美しい馬の意味」
私は過去2回 1992年は妻と娘と、2000年には米国駐在仲間とカッパドキヤを訪れている。ともに個人旅行で、現地ガイドをお願いして2回で6日間のカッパドキア滞在でした。
2000年の秋 友人たちとトルコ南部アンタリヤから高速バスでコンヤを経由してトルコ中部のアナトリア高原をはしりカッパドキアへはいった。
その時の車窓から移りゆく光景が忘れられない。
広大な平原をまっすぐに走るハイウエイ。
高速バスから流れる景色を見た。空と地平が、つながっている。平
原は、はるかに続く。雲は空の下にある。
蒼い空が、雲の上にある。ところどころに村落があり、どんな小さな
村にも、鉛筆を逆さに立てたようなモスクの尖塔が見えた。
石灰岩が露出したアルカリ性の山に、樹木はない。
緑と、黄土色の平原がどこまでも続き、地平で空と逢う。
家々や人々の営みは、遠く、アリのように小さい。空には、刷毛で描
いたような雲があり、太陽は、見つめらないくらいまぶしい。空と雲
と大地が、極限に美しい。
自然の圧倒する大きさが、人間的な人工の世界を極小にする。
天空の無限に比べれば、人間的な世界は、ゼロになる。
それがこの地では見える。
トルコで、それが、分かった。蒼弓(そうきゅう)の空が、美だった。
風景を見た、自然な感情だった。
「トルコには山があり、川があって、湖や海がある。こんな素晴らし
い国がどこにあるか。日本より、ずっといいだろう。自分たちは、外
国旅行をしようと思わない。トルコが美しいから。」
広大な塩湖も見た。夏に水が蒸発し、岩山から溶けだした塩分が、白
く堆積する。その塩をとる。冬は、車で走っても割れない厚さの氷が
張る。零下20度になるという。夏は摂氏40度から50度。
風味をつける胡椒や香料は、栽培する。作物は、畑で豊富にとれる。
羊は家畜であり、家畜は字義どおり「貯蓄」である。古来、トルコ人
は遊牧の民だった。
食は豊富です。店に行けば、色とりどりの果物、木の実、鮮やかな野
菜、多種多様なチーズ、巣のままの蜂蜜、ワイン、飲料、紅茶、穀物
が溢れる。蜂蜜を買い朝食のパンに塗ると、癖のない極上の甘みでし
た。
途中下車して店により 家の中をみせてもらった。家具らしきものはない。家族は、絨毯に布を敷き、お盆を載せて、立て膝で、
肉のカタマリに塩と香辛料をまぶして焼いたものを、削いで、食事と
採(と)る。ケバブという。
ベッドや、わずかに椅子以外の家具がないことは、王宮も同じです。
家に寄ってチャイを飲めと誘う人もいた。おそるおそる行けば、甘い
お菓子と、熱いチャイを出してくれ、奥さんは、ホテルはお金の無駄
だから、泊まって行ったらと薦めた。
至るところで、遥かな国の、見知らぬ人々から同じ接遇を受けた添乗
員嬢は、トルコから離れられなくなったという。チャイ(煮出し紅茶)
を、トルコ人は一日、10杯や20杯は飲み、生活や政治を話すと言う。
買って帰ろう。美味しいのです。食事や休憩のたびに飲みました。
小学生も、エルトゥールル号の難破と、串本村の人々の献身を、教科
書で教えられていた。今、串本町に、トルコ軍艦遭難の記念碑が建ち、
記念館がある。
どこにもある土産物店では、巣のままの、濃厚な水飴に見える蜂蜜、
食べれば頭が痛くなるくらい甘いお菓子、そして魔除けという青地に
白く描いた目玉、絹のマフラーやスカーフ、鮮やかな文様の陶
磁器などが店にならんでいる。ほぼ全部、手造りだという。
文明の進歩に歩調を合わせないで伝統の品々を独自の手法で今も手作っているのである。その典型がトルコ絨毯である。1枚仕上げるのに半年 すこし大きなカーペットになると1年はかかる。高価な品である。
我が家のカーペットはsべてウールのトルコ絨毯であるが、30年使ってもまだ色があせないである。
カッパドキア紀行2
世界遺産 登録年 :1985年
遺産名(英語):Goreme National Park and the Rock Sites of Cappadocia
・初回訪問 1992年9月 純子 麻美 和敏の3人
・2回目訪問 2000年10月 鈴木 成田 工藤 庄武
カッパドキアを訪れる観光客が見るべき、人気の高いスポットは次の3つに集約される。
1世界に類例のない不思議な風景。大自然の造形美。
2キリスト教の深い心を感じさせる岩窟の中にある教会の壁画
3紀元前からの歴史を持ち信仰の場としての、隠れ家として利用されてきた地下都市。
奇岩の形成の原因
カッパドキア、その世にも不思議な地形は数百年前に起こったエルジェス山とハサン山の大噴火によって形成された。膨大な量の火山灰が広い大地を覆い。長い年月の間に雨 風に浸食されながらがて冷えて固まり今日に至っているのです。標高1000メートルを超えるアナトリア高原中央部に、100km²近くにわたって岩石地帯が広がる台地です。キノコや煙突のような形の奇岩が林立し、巨岩がそびえる景観はまさに自然の驚異です。この不思議な風景は、柔らかい地層と硬い地層が重なり合い侵食されて生み出されました。
多くの洞窟はキリスト教徒の隠れ場所
冬の観光は避けた方がよい。寒すぎる。
この奇岩の大地に秘められた、キリスト教徒たちの幾世紀にもわたる地下での生活は現代のわれわれにとって驚異そのものです。
3世紀半ば、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、カッパドキアに移り住みました。彼らは柔らかい岩をくり抜いて住居や教会を作ります。12世紀に作られた洞窟教会には、光がささないため当時のフレスコ画がそのまま残っています。キリスト教徒たちはこの地でペルシャやイスラム勢力に包囲され、絶えず脅威にさらされていました。
そのため彼らは、敵から一時的に身を隠す場所を地下に求めました。1965年に発見された地下都市は、地下8階、深さ65メートルに及ぶ巨大なものです。地下1階のワイン製造所、地下2階の食堂、居間、寝室、収容人数に合わせて自由に掘り進められました。地下5階をつなぐ通路には、外敵が襲ってきた時通路をふさぐため、1トンもの大きな石を転がして通路を閉じる仕掛けもありました。そして、最下層の空間は十字架の形に掘られた教会になっています。カッパドキアのキリスト教徒たちは、地下都市の一番底に、神への祈りの場を設けたのです。
カッパドキアの世界最大の地下都市
地下都市の概略
トルコ中部にあるアナトリア高原は海抜1200メートルの高地にある、
10月ともなると、夜は寒い。冬が来れば零下何度の世界になる。
だから、冬にはここには来ないほうが良い、外気が冷えて、見物どころではない。
アナトリア高原の冬は寒いから、ヨーロッパの人はそれを知っているから、冬にはこない。
日本の旅行会社は、旅行代金を思い切りダウンして客を集める。
決して「寒い」とは言わない。安さにつれられて、来ると馬鹿を見る。
12月に1回妻と来たことがある。それは冷え込んだ。
だから、途中でトルコはやめて、イタリアのローマにいって、4日間 ローマ古代遺跡三昧をあじわった。