文明の衰亡した国々でみた
荒れ果てた遺跡群
目次
一文明の衰亡した国々
遺跡巡りのきっかけ
ミレトスの荒涼たる風景
米国西海岸の広大な森林
文明は食料と気候により興亡
地中海 エーゲ海沿岸の山は皆はげ山 11
ミケーネ文明はこうして滅んだ
文明崩壊のプロセス
ここまで
⓵ギリシャより先進のミレトスの繁栄
世界で最初の哲学生む 硬貨で交易を
ミレトスの滅亡の原因
はげ山だらけの地中海諸国
③ギリシャ文明は 意外にも短命だった 16
アテネは偉大な文化建物を残した。スパルタは残さず
⓸地中海世界の覇者カルタゴ、地上から姿を消す 20
何故 草木も生えないよう殲滅されたか
⑤ローマの滅亡の原因・ギボンと高坂の説。 28
東ローマ帝国 千年続いた原因。
二 古代遺跡にみるその残照 32
・千年の都イスタンブール
・奇岩と地下都市カッパドキア
・首都アンカラの周囲は平原です アナトリア
・地中海を望む海辺にひそりと建つ神殿シデ
・エーゲ海と地中海の分水嶺カシュ 44
・トルコの地中海随一リゾートアンタルヤ
・容易には行けない地中海クルージング
・保存状態が最もよい野外競技場アスペンドス
・怖いメヂューサと巨大神殿のあるディディマ 49
・日本人は知らないリキヤ文明 サルコフアガス。
・エーゲ海の古代都市エフェソス、アルテミス
・一夜で消えたポンペイ 強固なコンクリート
・中国の西安、秦始皇帝の墓、覇権求める中国
・ローマの休日遺跡三昧の3日間, 62
フオロロマーノ ヴァチカンのミケランジェロ
・ホメロスの叙事詩シチリア、神殿の谷アグリジェント
文明の衰亡した国々
一度滅びた国は二度と繁栄しない
遺跡巡りのきっかけはエーゲ海沿岸の荒涼たるミレトスの景色をみてから
私が初めて平成4年9月に妻娘と旅したエーゲ海沿岸の、それも地中海との分水嶺とも言われる場所、僻地に近いところにポツンとあったミレトスという地名の場所に行ったときの感慨はいまでもよく覚えている。
イスタンブールから飛行機でエーゲ海沿岸の都市イズミールへ行き、そこから車とガイドをチャーターして、4泊5日の遺跡めぐりに出かけたのだ。観光客でにぎわうエフエソスを通って、ミレトスへはいった時の最初の印象は忘れられない。
あの荒涼たる風景は、かって1度も見たことがない。文明の衰亡を示唆する遺跡を,この目で見て、肌で感じるということは、人間の虚無を、虚しさを感じ取ることに他ならない。我々現代人は、旅をすることにより、良くも悪くも人間の所業を、世界のいたるところで見ることができる。それもその時代の支配者の野望、後世に名を残したいという強烈な意志を。
世界遺産はもちろんそうであるが、世界遺産になってもおかしくはない、過去の偉大な遺産が そこかしこに散らばっている。
2500年前のヘロドトス「歴史」に出てくる町は伝説上の都市ばかり
これらを文明と呼ぶべきかどうかは、歴史学者に任せるとして、最古の歴史書といわれ、紀元前5世紀、今から2500年前に書かれたヘロドトスの【歴史】に出てくる都市名は、われわれが神話の世界か,伝説上の都市として学んだところばかりである。
メソポタミアのバビロン、イスラエルのソドムとゴモラ、シリアのペトラ、レバノンのチュロス トルコのミレトス デイデイマ、トロイなど現代では滅んでしまった都市は枚挙にいとまがないほどだ。
伝説上の都市を次々とこの目で見る。
現実にこれら伝説上の都市の遺跡を現地でこの目で見れば神話の中の都市ではなく歴史上の都市として蘇るのだ。
テレビ 本ではなく 実物を見てほしい
この実感は、書物を読んだり、テレビの旅番組で見ただけではわかない。目で見て 手で触って、2千年、3千年いや5千年もの長い間まぶしい太陽に照りつけながら耐え抜いてきたその物体を、その大きさを、己の体と比較してみて やっとわかるのだ。
ヘロドトスの【歴史】によれば、当時の地中海最大の都だったこの都市ミレトスは、人口2万5千人であったが、オリエントの覇者ペルシャとの大戦に破れ、男は虐殺され、奴隷にされ 女は陵辱され、住民はほぼみないなくなったという。その時代の世界大戦に敗北して、滅亡した超大国ミレトスが徹底して破壊をうけた跡の荒廃した風景が、あの荒涼たる風景だったのである。
そして2500年間荒れたままにして置かれていたのだ。
一面稲みたいな草が生え、その向こうに崩れかけた野外劇場がポツンとあるだけであり、あちこちに遺跡の残骸らしきものが散乱している。
これだけ見ても当時の繁栄と栄華がしのばれる。
そして、2500年の時を隔てても、その当時の破壊された町の様子が、あちこちに散乱した遺跡の残骸に、うかがい知ることができるのだ。
超大国の繁栄と栄華の跡がこれら散乱した遺跡を通じて、目の前に蘇ってくる。それにしても これだけの遺跡を放置したままにするトルコという国の政策を不思議に思う。日本では大騒ぎするだろうに。
別荘地葉山のはかなさ
翻って、私の住む葉山町には100年前に建てられた華族や有名人の別荘がまだ少し残っている。だが、惜しいかな、これらは皆木造建築なのである。あと50年も保存できないであろう
往時をしのばせる別荘群のことについて、詳細な記録を残す葉山近代史を語る会の冊子「人物像から見た葉山の別荘物語」(田嶋修三著)によれば、葉山町の御用邸が開設されたのが明治27年、1894年のことで、当時の8宮家、華族61家がこぞって別荘を建てたという。それに連れられて、政治家 軍人外交官、実業家、芸術家、外国人などが、それこそ競って葉山に別荘をたてた。その数487棟、うち現存する別荘30数棟にすぎない。
別荘地・葉山も、あと50年しないうちにこれらは消滅することは必定である。
都市の滅亡はその原因が外部からの侵入、自然災害、内部からの崩壊などさまざまあれど、その滅亡は免れない。
東京だって、あと1千年ももたないだろう。
こういう悲しい結末を書くのは気が進まないけれど、数多くの古代遺跡をみてきた実感がその儚さを抱かせる。
文明は食料と気候でその興亡が決まる
平成4年に始まった地中海諸国への旅で気づいたことがある。文明は食料と気候により興亡が繰りかえされるということだ。気候の変動が文明にどんな影響を与えてきたか
私が、本当に衝撃を受けたのが今から21年前のトルコ・エーゲ海沿岸都市の旅であった。ミレトスでみた荒涼たるあの風景は、当時の世界大戦で敗れたかっての強大国の荒廃した風景だったのである。
どうしてトルコに行く気になったのか。
それは私の大好きな「青春の門」を書いた五木寛之のエッセイ集「世界漂流」に出てくる次の文章を読んだからである。
「君はボスポラスの海を見たか。見た、見た それも月光に煌く地上の銀河のような海峡をだ」
私はこの1文でイスタンブールに行ってみようと決めたのである。その頃長女がロンドンのカレッジを終えて、トルコのイスタンブール大学に留学していた。
「いろいろあって面白いよ、来ませんか・・」と誘われていた。その誘いに乗って行った。
米国西海岸でみた 広大な森。
海岸線にそって、カリフオールニアからオレゴン、ワシントン州まで このような森が延々と続いている。それまではビジネスでアメリカと慌しく往復するだけで、旅といえるほどの精神的余裕はなかった。それでもアメリカ西海岸のポートランドの深い森、カリフオールニアの樹齢何百年に及ぶ巨木の森を、空の上から眺めては、米国の広大さに感嘆したものだった。
サンノセのサンタクララに米国本社があったので、サンノセから北のポートランドまでは2時間ちょっとの飛行時間だが、カリフオールニアの森林地帯の上を飛ぶわけだから、窓際の席から,眼下にみえるのは、うっそうとした森林が帯状に続く、壮観さである。 だから、山といえば森があり、木々が生い茂っているものだ、と思うのが常識であった。国土の80%を山が占める日本ではなおさらである。
文明の興亡は宗教が絡んでくる
古代地中海世界は大小さまざまな文明が興亡を繰返してきた
・人類最初の文明であるメソポタミア、
・高度でなぞに満ちたエジプト文明、
・わずか数世紀で散っていったギリシャ、
これらを呑み込み世界帝国をつくりあげたローマ。
これら巨大文明のなかでわずかの期間、一瞬ともいえる光を放ちながらも踏み潰されてしまった多くの小さな文明がある。
食料と気候が文明を支配する
民族は豊富な食料と暖かい気候を求めて争ってきた。その移動の時、かならず紛争がおこり、攻撃、侵略が起きる。双方ともに、生きるために必要な行動であった。 古代地中海世界は、その繰り返しである。人間の歴史のなかで戦争、紛争は絶えることがない。
現代の紛争はみな宗教戦争といわれている。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教 それぞれの相克があることはあまねく知られている。いずれも一神教だ。これらの宗教のルーツはすべて古代地中海世界が産み出したものである。戦争の裏側には必ず宗教が介在する。
人間の力ではどうしようもないのが気候である。
- 気候の変動が文明にどんな影響を与えてきたか。
参考本・「古代文明と気候大変動 ・人類の運命を変えた2万年史」(ブライアン・フエガン著、河出文庫)
・「気候が文明を変える」(安田喜憲著、岩波書店)
南トルコの突端 リゾート地として近年急上昇地となったケコワの海岸
ギリシャ アテネの郊外 ミケーネ文明の発祥地
地中海の島