感動の旅スペイン2 白い村ミハスで思う 葉山の未来

2022-07-27 03:36:02 | 感動の旅スペイン

 

白い村 ミハスからみる地中海の蒼さ

  地球の反対側イベリアから思う  

   葉山町の未来

 

グラナダに行く途中、これぞ観光のモデル、遺跡も教会もない、何もない街がチエをしぼって出来たのが白い村「ミハス」である。地中海を目のあたりにした山の中腹に真っ白い家々が緑の中に散在する。まぶしい陽光のなかで、白い家、濃い緑、すこし目を転じれば紺碧の地中海。これぞスペインにきた・・という実感がしてくるのである。

いままで行った北部や中部の街はみなカテドラルを競い、教会があり、石畳の多い中世のくすんだ色におおわれた街ばかりであった。気分も重かった。

ところがミハスは白、白、さんさんと輝く太陽に浮かぶ別世界のようであった。人口1万人弱の、ユダヤ人の落人部落が、21世紀になって蘇ったのである。彼らは白い家を維持するために毎年、壁を白く塗り替えるのだという。石灰岩の溶かしたものと潮風に強いものを混ぜた塗料で。観光客に汚い白を見せない配慮のようだ。

 

 

 

 

 

アンダルシアには有名な白い村が5つある、カサレス、モンテフウリオ、サロブレーニア、フリヒリアーナ、そしてここミハスである。

 

オリーブ畑や緑のみかん畑のなかにぽっかりと浮かぶ白い村の大半はイスラムに追われてやむなく改宗した隠れキリシタンの村やユダヤ人の村である。

ミハスのみやげ物屋は親切だ。観光はがきを買って包むとき、店員はハンカチできれいに表面をふき取るのだ、こんな山中で埃もついていなさそうだが、それでもきれいにふき取る、包装も高級品のように丁寧にする。

 

客はこんな小さなところで、感心する。そのホスピタリテイに。日本人の娘さんが店員でいたTシャツやでは、客が並んでいた。結構有名ブランドのTシャツらしいのだ。

蒼穹の地中海を眺めながら食事するその“至福のひととき“

そしてミハスの観光スポットNO1はミハスの村々とコスタ・デル・ソル・太陽の海岸丸見えのレストランでの昼飯である。海でとれた小魚をフライであげた一品料理・タパスが12品目もつぎつぎと揚げたてが出てくる。白ワインでのどを潤しながら、真っ青な地中海をながめ、歓談するそのひと時は、何にも替えがたい。旅の醍醐味である。

中腹にある白い村ミハスのレストランから眺める地中海

地中海には3箇所有名な海岸リゾートがある。

①スペインのコスタ・デル・ソル。これが300キロ。

②フランスにはいってコート・ダジュール。マルセイユ、ニースなど南仏プロバンスの観光地をつつむこむようにひろがる。

③トルコの地中海沿岸、アンタリアを中心に東西にのびレバノン国境まで。

350キロ。

今回コスタデルソルで泳ぎたかった。私は行く先々で泳ぎを実行している。トルコではエーゲ海でも地中海でも借りた小船で、湾のなかでとまってもらって、船から飛び込むのである。

 

今回はそれがかなわなかった。ツアーの悲しさである。自由が利かない。

それでもツアーでなければ、こんなスペインのイナカの山の中の村になど絶対来れないのだ。ツアーさまさまである。

 

私は眺望絶景なレストランから青い地中海を眺め、目を下に落とすとミハスの白い家々を見たとき、フッと自分の住む葉山町の侘ずまいを思い出していた。我が家のベランダからみえる葉山・一色の街並みが、ミハスに似ていることを。

 

遠いイベリアの地で葉山を想う。

“白い街・葉山”を目指してはどうだろう

           

御用邸がなくなれば日本中どこにでもある田舎町に過ぎない葉山町。

その将来像を御用邸抜きに描くのは厳しい。しかし50年単位でものを考えれば、その考えもあり得る。

これからの葉山町を考える要素は

①自然環境を生かした地勢

②事業を継続できる財政力

③町民に支えられた首長のリーダシップの3要素である。

具体的なイメージとして何が描けるだろうか。

土地の分割開発による給与所得者の増加を過去重要な施策として採用し効果をあげてきた。人口も増えてきた。

結果として、将来のスラム街化を招いている。

他には方法が見つかっていない。

観光・葉山では駐車場の狭さが致命的である。

他人には知られず、住民だけが静かに暮らす葉山モンロー主義のゆき方も良いがそれでは町の財政が持たない。

この6月、スペインの地中海沿岸、コスタ・デル・ソルにある「白い村・ミハス」へ行ってきた。町中が白い壁、明るい茶褐色の屋根で統一され、世界中から人が集まっている新興のリゾート地である。バスと車を1箇所に集中駐車させ、1時間で全体を歩いて回ることができ蒼い地中海を一望できるレストランで昼飯をし、買い物をさせる仕組みである。

ここにヒントがあるかもしれない。

 葉山町の一色、下山口地区では可能である

白い街・葉山としてのイメージを容易につくれるかも知れない。

白の清潔感と明るさが御用邸のイメージと重なれば、相乗効果を生む。

 

白い家が並ぶ葉山 一色地区

 都市計画に景観をマッチさせ、白い街を前面に打ち出せば、

日本というより、アジアの観光スポットとなるであろうことが予測できるのである。街がまだ破壊されていない、今こそこの方法は可能である。あと10年経てば、ますますミニ開発による将来のスラム街化が進むのである。

住民への啓蒙と首長のリーダシップがあれば、葉山町は没落せずとも生き残りができると思われる。

 

世代交代で相続のために跡地を売りに出し 若夫婦が移住 町は税金が入る。

葉山町はもう何で街を維持できるか、何で人々は生活してゆくのか、サラリーマン家庭や年金生活者を除けば、この課題にぶっつかっている。

現実の葉山は私の住む地区は「地区計画」<60坪以下に分筆はダメ>がないために、各家は相続や世代交代の時に売りに出し その跡地には30坪前後のミニサイズの家が2軒 3軒と建っている。若い夫婦が”住みたい街”というキャッチフレーズに誘われてローンを組んで移住してくる。街はそのたびに固定資産税と町民税という税金が入るので推奨している。

一方 自営業者はもうアップアップの零細業者に成り下がるしか仕方がないのか、とにかく金儲けの材料がないのである。

観光客は来ない。企業はない。町に金が落ちないのだ。

もはや観光しか生きるすべはない、と思うのだが。誰もそれを言わない。

そんなことをつらつら思い出しながら、じっとレストランのガーデンにたちながら、しばらくぼんやりしていたのである。

 


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