1月23日晴
2022年のトンガ大噴火の先立つこと3500年前 エーゲ海をゆるがす大噴火
ミノア大噴火があり、現代の人気観光島サントリーニが形作られた。
今日トンガの大噴火のことはテレビで話題になっても 3500前のサントリーニ
の噴火のことは誰もしゃべらない。
トンガの大噴火により島が陥没したか、吹っ飛んだか 消えてなくなった。
エーゲ海のサントリーニ<テラ>島が紀元前1600年ごろ大噴火した
島の中央部分が吹っ飛んだか 沈没したか、消失して現在の形になった
「旧約聖書とエーゲ海の大異変」<金子史郎著 胡桃書房>から
当時のもの凄さを見ることができる。
噴火により灰が積もってこのような崖となった。
その下をエーゲ海クルーズの船が通る。
衛生写真。
サントリーニ島の概要<ウイキより>
歴史学 地質学の分野において、これらの群島が、かつては一つの大きな島であったと証明されている。紀元前1628年頃、海底火山の爆発的噴火(ミノア噴火)により、地中のマグマが噴き出してできた空洞状の陸地が陥没してカルデラを形成し[4]、現在のような形状になった。 この爆発的噴火は、エーゲ海一帯に惨禍をもたらし[5]、プラトンの著作『ティマイオス』に端を発する、大西洋、すくなくとも「ヘラクレスの柱」(ジブラルタル海峡)の向こうにあるとし[6]、洋上の理想郷・アトランティス伝説に大きな影響を与えたといわれている。ちなみに、この幻の大陸アトランティス伝説のもうひとつの有力なモデルが110キロメートルほど南にあるクレタ島で、ここではサントリーニ島とともに、かつてヨーロッパ最古の文明といわれるミノア文明が栄えていた[7]。サントリーニ島内の南部に、ミノア文明下の大規模な港湾都市遺跡・アクロティリ遺跡がある。 1956年、ギリシャの地震学者アンデロス・ガラノパウロスが、サントリーニ島こそアトランティスだとの新説をたてた[8]。
中世のヨーロッパでは、サントリーニ島は噴火と不死者の伝説によって恐怖の島として怖れられた[9]。第4回十字軍の後にヴェネツィア人が入植し、丘の上にカストロと呼ばれる城塞集落を築いた。17世紀の地図には5つのカストロが描かれているが、現存するカストロはピルゴスだけである。18世紀には農産物とワインの輸出に乗り出したギリシアの貿易商人達によって、係留した船が見下ろせるカルデラの絶壁に商館と集落が築かれるようになった。この時期に最も栄えたのがイアの街である[9]。
20世紀に海運の主力が帆船から蒸気船に移行するとともに、サントリーニ島の重要性も薄れてしまい、海運業者達はサントリーニ島から、ピレウスなどの近代的な港へと移っていった。急速に衰退しつつあった絶壁街区は1956年の震災によって壊滅状態に陥った。政府は背後の緩斜面に被災住宅を建築し、絶壁街区への居住が禁止された。その後の20年間街区は放置されたが、乗組員居住区が復原されてペンションに改装されるなど、観光業に利用されるようになった[9]。