ありがとうから始まる♪

まずは、ありがとうって言ってみよう、そこから変わる事もあるかも・・

ゼロ

2023年06月19日 | つぶやき

「ゼロ」

「おぎゃー!!」とこの世界に誕生して、歩き出し、しゃべり出し、なんとなく保育所や保育園を経て小学生になり中学生、高校生を経て、
気がつきゃ20歳になって、社会人という人種になって行く・・ま、時期におっさんやおばさんになって・・ま、こんな感じで人生を歩いて行くわけだね。
その昔、これは当たり前に全ての人に訪れてくる、いわば運命であると信じていた。

高校入試、就職活動まではそこまで人生に疑問をもったり不安を考える事はあまり感じなかったが、社会人になっていろんな疑問や不動理に出会う事になった。
学生時代に学んだ常識やモラルなんてどこにも存在しない違和感にどう向き合えばわからなくなった。
「人生は長い物に巻かれろ」と先輩達はよく言っていたが、すんなり腑に落ちない自分がいて、今から思えばそのころから「生きる意味」を考え始めたきがする。
そんな自分が占い師をするなんて夢にも思わなかったし、今も不思議な感覚があって定まっていないかもしれない。

占い師は、その人の人生と経緯を知り傾向を見極めて、これからおこりそうな事を予測し選択幅を提案する職人だと考えていて、その人の今の指数をしる事から始まる。
ここまでは、トランプ、運命学、マヤ数字、・・・占いでなどでよく用いられていると思うが鑑定の段階であやふやになりがちと感じる。
結論から言えば過去の傾向から未来予測は不可能なのである、その法則は数学とよく似ている。

経験値における貴方の現在を例えば数値で表すとしましょうか、ま、こんな簡単な数値である人はないのですが、5とします。
5を構成する数値は掛け算で推測すれば1、5ですね。5と知らされても自分の中に1の存在は気づきにくいですから1の存在を伝えます、
すると貴方はきっと「1という考え方もあるんだ!!」視野が広がり6の数値で考える事ができ、解決する方法が増えた事をしるはずです、
その成功体験をもとに自分の中に1、2、3があると気がついてくれたら可能性は8以上の視野で今を思考する事ができるはずです。
つまり6は、2×3、で2+6=8でそれに3+という事ですから。

人見知りで人と上手く付き合得れないと悩んでいるとしたなら、「何故上手く付き合おうと考えているか」か考えた事がありますか?
と聞き「あ、そこは考えた事なかった」と言ってくれれば、指数は足されたことになりますょね、ま、そんな感じです。

風水、手相、方位学などはどうでしょうか?
統計学ですから、足し算で成り立っています、この足し算である事が重要になります。

5の指数を持つ人の履歴を予測するのは多分不可能です。
「1+4、2+3、1+1+1+1+1、2+・・・」全ての要素を含んでいて今必要な数値を見つける法則が存在しないのです、
言い換えれば最初からやり直ししましょうとしか言えないのです。

「それは過去の因縁です、呪縛を解放しましょう」という事になります、しかしこの提案は自然の法則に逆らってしまう為解決にはならないのです。
つまり5という数字を貴方から消し去るという行動は死を宣告した事に等しいからありえないと言う事ですね。

「人は素晴らしい可能性を秘めていて、未来を創造できる」と良く言うのですがこの事が根拠になっていて、
未来予想をして下さいとよく言われるのですが「自分で創造できますょ」と言うのもここから言っているんですね。
つまり、運命なんてものは存在しないと言う証明にもなるのですが 逆に未来は想像しなければいけないに変わりますから、
少々大変ですね。でも安心て下さい、数値の世界とこの世界には共通点があります。

それは「0」という数値の意味です、会話であるなら少し質問をしながら反応を見たいという小悪魔的な気持ちになりますが、
数値に置いては相対性理論が生み出した、起点であって時間軸の中で生み出された仮想数値であり、今を持って数学者を悩ます記号なのです。
自然界においては勿論存在しません、空気中から電車が飛び出しては来ませんからね。

つまり、この世界に人間として居れるかどうか別として(笑)、1と数値が誕生した日から全ては足されてゆく事はあっても0と言う滅亡には仮想的な記号にはなれない、つまり滅亡には至らないということです(笑)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

護身猫

2023年06月12日 | つぶやき

「護身猫」

随分前に、ひょんな事から我が家に1匹の猫が居候した、しばらくして子猫達が5匹も誕生した。
めでたい事ではあるが流石にそんな多くは面倒みれないので里子にだしたが、1匹だけ残ってしまったので面倒をみることになった。
本来動物を飼うという行為は嫌いであるが、ま、引き受けた以上はしかたない。

そのもう少し前に、我が家の玄関先に何時も、僕の帰りを待つ黒い猫がいた事があった。
玄関まで3mくらいの緩やかな坂道があるのだが、登りきるころにすっと体が透けて消えて行く、そんな光景が1週間も続いたある日、
携帯電話に嫁さんから着信が入った、応答すれど返事はないし、すぐ切れてしまった。しかし切れているはずの携帯電話から、
「助けて・・・」「○○の交差点で・・」と声がしたような、不思議な感覚があったが、本能的に反応し思わず車に飛び乗りその交差点に向かった、
しばらく走ると大渋滞で、警察が交通整理をしていた、車から飛び降り交通整理をしている警察官に「関係者です・・」と叫び現場まで誘導を頼んだ。
今から思えば変な話で誰かに確認したわけでもなく、本能の命ずるままの行動だったが。

案内された事故現場は壮絶だった、助手席に車が突っ込んで突き刺さっていて当てられた車は運転席までフロントが食い込んでいた。
信号の代わりばなに信号無視をした乗用車が青に変わって走り出した車に突っ込んで起きた事故らしいと誰かが説明している声が聞こえた。

既に救急車は到着しており、運転席から被害者は救出されている最中だった。
救急隊員の怒鳴り声が響き渡る「携帯電話を握りしめたたまま離さないが!!どうします!!」
その声に釣られて視線がいった、まさかと思ったが、嫁さんが携帯電話を握りしめたまま気を失っている光景が視界にはいった。
僕は気がついたらギャラリーを押しのけて直ぐ傍までダッシュして「おーーい!!助けにきたぞ!!」
その声が聞こえたのか、握りしめていた携帯電話をポロットと離しこちらを見て軽く笑って気を失った。
流石に気が動転し茫然としてしまった、その遠くから「人体に!!外傷はない!!」という声がした。
その声の安堵感でひざがくだけたように倒れこみ、その場から動けなくなってしまった。

誰かに支えられようやく立ち上がり嫁さんの傍まで運んでくれた「大丈夫か!!」と声かけるが返事はない。
「旦那様ですか?どうやら衝撃で気を失っているだけで、命には別状ないようです」
「念のため病院に搬送します」同伴の同意を求められた、大きく頷くとそのまま救急車に乗り込んだ。目覚めない嫁さんを見て本当は照れくさいが手を握りしめて無事を祈るしかない。


病院に近づく頃意識が戻った、人の顔みるなり泣き出したが・・それ以外は大丈夫そうで安堵した。

病院の診断も今晩様子をみて、なにもなければ明日そうそう退院ですと言われ物凄くホットした。

後日現場検証立ち会ったがそのほうが「ゾット」した助手席側からサイドブレーキの所までフロントが食い込んでいて運転席は圧縮されたようにグシャグシャだった。
それに携帯電話の着歴には、僕に電話し形跡もなくまた充電が切れた状態だった。

その時思った、「あの黒い猫がきっと知らせてくれたんだ」そう思う事にし、翌日から猫缶を玄関の前において「お陰で助かったし、嫁さんも無事だったありがとうね」と呟いて
お礼を言っていた、そんな光景が3日くらい続いただろうか、もちろん猫缶は開けられていないが、猫缶の前になんで書いたかわからないが、
へたくそな字で「護身猫」とあった。

そっか、あの黒い猫は「護身猫」って言うんだ・・。その日から我が家の守り神としてお祭りさせて頂いている。

そんな経緯もあり、迷い込んだ猫を野に返す事ができず我が家の同居人として今も暮らしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする