ありがとうから始まる♪

まずは、ありがとうって言ってみよう、そこから変わる事もあるかも・・

原稿

2023年01月26日 | つぶやき

「原稿」

もう記憶から完全に消えていた、三年前くらいに取材を受けていた事を(笑)。

「書類」と書かれたゆうパックが届いていた、物騒な出来事が最近多いので、
宛先をみてもね、あまり重要に感じない癖が習慣になっていたし、もちろん三年前の出来事が記憶から消えていたものであるから、
「変なもんきた・・」とは記憶にあったが、ま、そんな程度の記憶だった。
破棄しなかったのは貧乏性だからかもしれないな(笑)。

久しく会ってない知人から連打のlineが入っていたので、なんだろうと思いながら既読をつけたら速攻電話が入った、
「今月中には製本したいので、大至急校正してくれ!!」と叫ぶなり電話は切れた。

この段階でも???・・製本???・・校正???なんの話??
少し考えてふとゆうパックが届いていたが・・これの事??。

慌てて開封すると、ボイスレコーダーでとった音声を活字に掘り起こした原稿が同封されていた・・
早速、読みこみを始めたが、ま、酷い応答に悲しくなった。

何故か、初対面の人には自分の生い立ちを話す癖があるという自覚はあったが、長いは・・ほんと(笑)。
最初にテーマを頂くとそうでもないのだが、フリートーク状態になるとこの癖がでるようだ。
インタビューに関しては特ににそんな感じだ、よくこれでリピーターになって下さる方がいる、もう感謝しかないね、
ありがとうございます。

カウンセリングや相談を受ける時、僕なりの3つテーマがある、
1、「選択肢は広げる事ができる」2、「因果応報」3、「一緒になって考える」

自身の経験から、後から思えば願った事が今起きている事が多いからだ。
この世界は間違いなく「思考が現実化」されて現実となり今がある、そしてこの物語の主人公は自分なのである。
僕は偶然の奇跡で、幼少の頃の僕では想像できなかった人生を今歩いている、しかも3回も節目を乗り越えてだ。

最初の頃は「やっぱり神様はいるんだ!!」とか「運が良い!!」と歓喜していたが、
人生を振り返って行くうちに、そう言えば、あの時こんな事願っていたなと思う事が現実になっている事にきがついた。
「7つの習慣」を読んだ方には理解し易い話になると思うが・・
人は何時しか環境に染まろうとする習慣がある、つまり現状に合わせて自分の思考を変えるという事になるが、
自我が存在している事を良い事ではなくいけない事だと思っているからだと思うが自我を封印した気になる、
いろんな選択を迫られる時に自我が優先されている、自覚が少ないというか、ま、普通なのだが意識が薄い場合が多い。
現状でない選択をするとほとんどの人は困惑を覚え悩みに繋がると思う。
潜在意識と顕在意識の狭間で起きる現象だと思うが、
自分で願った事なら、「思考を変えれば良い」し、3つの視点をもってすれば気が付きやすくなると感じると確信するので、
それを上手く表現できないから、生い立ちから話始めるのだと思う。

ま、こんな感じで話すから長いはね(笑)。

対面インタビューで終わりならいいけど、違う誰かが読むかもしれないとなると、
インタビューしてくれた人に申し訳ないと思い、必死で校正した、数日かけてやっと要点が見えてくる原稿になった・・
気が付けば全部を書き直しになってしまった・・(笑)。

期限ギリギリで返信する事ができたが、仕上りとしては少し雑・・かも・・
編集部の方の反応が怖くて不安な日々を過ごす事になったが、数日後に返信が届いた。

乱文で散文だったせいもあるだろうが、意外にもお礼の返信だった。
これで、インタビューくれた方に汚名返上できるというものだと安堵した。

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2023年01月16日 | つぶやき

「道」

毎年、この時期になると「今年こそわ!!」って叫びながら・・張り切るが・・日々に忙殺され、一年一年が過ぎて行き、
結果的に少し、この時期は自暴自棄になる(笑)。

ま、「時遊人」になる!!という夢は消えていないので良しとして(笑)。

人の悩みは、中々無くならない、もちろん自身もそうだけど、多くは「苦」を伴ってしまう、
「ヒーロー」になりたいわけではないが、なんとかそれを取り除く事ができたら!!嬉しいな!!そんな気持ちで走っているが、
なくなる現実に出会う事も少なく、たとえ「苦」がなくなったとしてもまた新たな「苦」がやってくる。
だから、僕らは「苦」を味わう為に生きているのではないか?という疑心暗鬼に覆われて行きがちだ。

必然的に存在理由、つまり「生きる意味」を知りたくなるのは普通だと思うが、他の人はどうなんだろう?

人類に感情が芽生え、向上心がわいてずっと探求しているテーマであると思う、
宗教、化学、哲学、思想も生きる意味を考えている証であるあから間違いない。

特に宗教観は向き合って行く思想から発生されていて、「僕らはどこから来てどこえ行く」の仮説の形だろう。
完成系の主がいて、主の導きによってその答えを学ぼう!!もしくは導かれようとする。
思想は「神」という希望を出現させ、ご利益という安心感で迷いや苦を超えて行こうとする、人の知恵の結晶だと感じる。
「神」とはという存在定義は誰にもできないのが証明している気がする。

「神」という希望は人類が生み出した希望や夢の形である、
と、言う事は架空の存在であると言っているように聞こえるかもしれないが表現は違うけど、
類似した存在はある、いやあらせられる・・(笑)。それを否定する気持ちもないし、その事に対し異論する気持ちもない。

この段階で精一杯説明するなら、「神」は人類だけの為にある存在ではないとう事だが・・これで伝わるかどうかは・・??。

話を戻そう、「苦」が存在する世界に生きているということは、それを超える為に生きている。
「苦」を感じるからこそ、夢や目標が思考でき、かすかな時間かもしれなけれど、達成感と幸せを感じる事ができる。

その昔、貪欲は悪であり、品がないとよく言われてた時期があった、また、見栄をはる事は心が貧しいと言われた。
よく考えると貧欲であるが故に、いい生活をしたいとか贅沢をしたいとか、素晴らしい人生を夢みるモチベーションの原点が発生し、
見栄を張るとは、当然フェイクではあるが、そうありたいという夢の映像化であるから、悪であるという落ちは訂正した方が良い。

言い出したフェイクは、プレッシャーであったり嘘を誠にしようとする努力が伴うものであるからだ。
そそ、運命という定義でできない事叶わない事を片付ける事はやめた方が良い、それは、生きながらにして死してるに等しいからだ。

死に対しては普通に恐怖心もあるし、不安もあるでも、生きている時間もあるだろう、
だとすれば、恐怖や不安のない時間を作り出し、最後の死の場面で「やるだけやったしできた」と迎えたいと考えるがどうだろう。

もう一つ、「神」という存在はこの空間のどんな場所にも存在しています、そして全ての人の心の中にもです、
自分の中にある「神」の導きによって人は生きようとしています、ですから、自分の中に居る神はこの僕、私自身に何を求め、
何をしてほしいと願っているか?会話をして欲しいです。

それは瞑想であったり、何か夢中になれるものを探しやってみるという事が会話に値します。

この世界に存在する「神」は好奇心や向上心の思考で動いています、なので自分しかできない事をすると応援してくれます。
もちろん意地悪な思考も存在するので、時折邪魔をします、それにめげず向かっていると必ず「道が開け」ます。
これは平等にやってきます、なぜなら、「神」の、導きに違いないからです、そして自分の時間が終わりを迎える頃、
「あぁ、この為に命が続いていたんだ、いい人生だった」と言えるはずです。

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