今日は、クラシックの話題はお休みとさせて頂きます。
もしも、現在ギャンブルに依存してお悩みの方には、私の体験談をお読み頂き、何かご参考になればとの思いで今回の投稿としました。
また、そうで無い方は「こんな愚かな奴もいるんだ」と反面教師にして頂ければと思います。
なお、予めお断りしておきますが、私は「ギャンブル」そのものは否定しません。お金と時間に余裕のある方なら、娯楽の一つとして存分にお楽しみ下さいませ。
ただし、一時期の私のように「ギャンブル無しではいられず、借金までして打つ」という方には、どうか、そのような生活パターンから脱却して頂きたいと思う次第です。
私は、ある時期まではパチンコ依存症になっていました。何しろ、毎日行かないと気が済まず、「行きたい、打ちたい」という思いが頭の中を駆け巡り、仕事が終るとすかさずパチンコ屋へ行き、パチンコ三昧(
)の日々を繰り返していました。
このような方は意外に多いのでは無いでしょうか?
というのも、先日、某検索エンジンにて「パチンコ依存症」とキーワード入力した結果・・何と約130万件もヒットしたのです。それだけ、お悩みの方が多いのかと思います。
しかし、ギャンブルというものは、誰でも常に儲かるものではありません。一時的に勝つ事はあっても、トータルでみた場合には「負けている」人の方が圧倒的に多いと思います(そうでなければ、ギャンブルを経営する側が儲かりません)。
そんな事は「頭」では理解していても、私はついついパチンコを打ちに行ってしまうのでした。
もう辞めようと何度思った事か。
しかし、数日経過すると「ちょっと今日は出ているか見るだけ見てみるか」等とお店に入ったら最後、「おお、この台はこんなに回っているのに1回も当たり無しか。5千円くらい投入すれば出るんじゃないか?」なんて愚かにも手を出してしまうのです。そして、5千円投入しても出ず「せっかくだから、あと千円」「いや、あと少しで出るだろうから、もう千円」「他の人が後から来て出したらしゃくだから、もう千円」「こんなに使ったのだから、せめて一箱分でも出したい、もう千円投入」・・と、こんな調子で3、4万は当たり前のように財布から旅立って行くのでした。
自分なりに、自分を分析してみました。「何故、パチンコを打ってしまうのだろうか?」「何故、毎日行かないと気が済まないのだろうか?」と自問自答を繰り返しました。
そして、結論として、次の4点に辿り着きました。
1.儲かるかもしれないという根拠の無い考え
2.パチンコを打っている間は何も考えずに済む、嫌な事を忘れてパチンコだけに 集中できること
3.パチンコ台のスーパーリーチや激熱リーチを見てみたい。確立変動になるかな らないか、はらはらする、そういう気分を味わいたいという気持ち
4.心の病(これは3、4をある意味包含しているとも言えます)
まず、1は先の記述の通り「トータルで儲かる」というのは、まずありません。私がパチンコの才能が無い事は明白です。相当な金額を使っておりますので。これは、冷静に考えれば誰にでも分かる事だと思います。
「パチンコは儲からない、そもそも儲けてやろうという心構えが間違っている」と自分自身を説得して、自分なりに納得したつもりです。そして、「儲かったらどうするのか?何のために儲けようとするのか?」と問い掛けました。そして、結論としては「パチンコで儲けて何かを買いたいのなら、その資金を貯金して買う方が早い」と頭を切り替えました。
しかし、2と3(結局は4)がやっかいなのでした。私は、精神的にパチンコに「依存」しているのだと思いました。仕事やプライベートでの嫌な出来事から気持ちを逸らすために、パチンコを打ち、その多彩なリーチアクションや確率変動状態の継続で、嫌な事を忘れたい、と・・。しかし、それは当たったときには一時的に有頂天になりますが、あくまでも一時的なのです。
ボロ負けして帰るときは、逆に気分がもっと落ち込んでしまうのです。
その時の精神状態は4の記載の通り「<color=red>心の病」としか言いようがありませんでした。ちなみに、「パチンコ依存症」を治す「薬(医薬品)」は無いのだとか。
私にとって楽しみって何だろう?それはパチンコを打つ事なのか?と自分に問いかけ続けました。
そんな時、見つけたのが「ブログ」でした。
「ブログ」自体は知っていましたが、「自分は日記なんてつける性格じゃないし」とずっと思っていました。しかし、ある時ふと気付いたのです。
「そうだ、日記じゃなくても自分の好きなクラシック音楽について書いてみれば良いかもしれない。長年聴いてきたクラシック音楽を紹介できるようなブログにすれば続けられるかもしれない。」と。
それに気付いてからは脱兎の如くブログ作りに専念しました。紆余曲折はあったものの一応はご覧頂ける形にまで辿り付くことができました。
そして、何と、あれほど行きたかった「パチンコ」の「パ」の字さえ思い出さなくなったのです。
本当に不思議なのですが、ブログ作りを始めてから一切パチンコを打っていません。
一時は、ギャンブルから足を洗う集まり
があると言うのを耳にしたのですが、面倒くさがり屋の私にはどうも参加することに抵抗があったので、参加はしてませんでした。その集まりに参加していたらもっと早く足を洗えていたかもしれませんね。
と長々と書きましたが、あくまでも私の経験から申し上げますと「ギャンブルへの依存」は一種の「心の病」だと思います。
では、その「心の病」はどうしたら良いのか、私から申し上げられるのは次の3つです。
1.ギャンブル以外の楽しみを見つけて下さい
2.人間関係を見直してみてください
3.環境を変えてみてください
恐らく、1に関しては「そんな事、言われなくても分かっているよ」「ギャンブルこそが楽しみなんだ」と仰られる方が多いのでは無いかと想像します。
しかし、実は身の回りを見渡せば、ギャンブル以外にも「楽しみ」はたくさんあるはずです。「映画を観るのが好き」「スポーツが好き」「友達とワイワイと騒ぐのが好き」「カラオケが好き」「音楽を聴くのが好き」「花を観る(育てる)のが好き」等々。
ギャンブル以外にも探せばそれこそ星の数
ほど楽しみは、そこらじゅうで「発見」出来ます。そう「発見」です。今まで好きだったものに再び挑戦するも良し、今までにやってもみなかった事に挑戦してみると「新たな発見」が待っているかもしれません。
そして、その楽しみに夢中になれば、気が付いてみるとギャンブルが頭の中から自然に消えて行くと思います(私の場合、そうでした)。
2に関しては、私は精神関係の専門家では無いので、あくまでも私見という事で聞いて下さい。私自身、パチンコに依存していた時期は、正直人間関係が良くありませんでした。それが、人間関係が改善されてきたのとパチンコから離れて行った時期が重なるのです。「鶏が先か、卵が先か」分かりませんが、もしかすると「依存症」というのは「孤独」や「不安」などを解消するためのはけ口になっているのかもしれません。
家族の団欒や友人との楽しい会話等々、人間関係が良好になれば、もしかすると「依存」の体質から抜けられるかもしれません。
3に関してですが、確か中学校の授業で習った覚えがあります。「孟母三遷の教え」です。中国の古代の賢人である「孟子」の母親は生活環境を変える事(引越し)で、息子の成長をより良いものにしたそうです。
そこで、一番良いのは引越しをしてギャンブルと無縁の地へ赴くという方法があります。会社の帰り道、駅の途中、行きやすい場所だから、「つい、行ってしまう」のかもしれません。出来るのであれば、引越してそういう「行き易い」環境を変えるのも一つだと思います。
しかし、引越しはそうそう簡単に行えるものでも無いので、こうしては如何でしょうか?パチンコの場合ですが、まず「パチンコ屋」へ行く道と違う道を選ぶ。要は、そういう場所に近付かないということです。
これがダメなら、パチンコ屋を通り過ぎる時に「パチンコ屋を見ない、覗かない」。あとは、パチンコ屋の近くに来たら、「今夜の夕食は何かな?あるいは何にしようかな?」とか「明日の予定はどうなっているんだっけ?」と言ったように、別の事を考えて通り過ぎるのです。
私の経験上、「覗くだけなら良いか」何て思ったら、ハマります。
以上、あくまでも、私の経験から申し上げておりますので、これが絶対に正しいとは断言致しませんが、上記の3点を見直すだけでも多少の効果はあると思っております。
「本人の意思が弱いからだ」という意見もあろうかと思います。ご意見ごもっともです。しかし、私はそれを言うだけでは何も改善されないと思うのです。「意思を強く持ちなさい」と言って、いきなり意思を強く持てるのでしたら「依存症」には始めからならないのでは無いでしょうか?「意思を強く持てない」から「依存症」になるのであって、それは様々な要因が絡んでいると、私は思います。
従いまして、私の経験上、上記の3点を見直されては如何でしょうか?
という助言とさせて頂きたいのです。
長文になってしまい、申し訳ございませんが今少しのお付き合いを。
「幸せ」や「楽しみ」は実は身近な所にあったりするものなんだと思います。
私は足を骨折したことがあり、歩けるようになるまでには結構大変でした。
その時に気付いたのが「歩くという事がこんなに難しい事だったのか
」という事でした。
それまでは、歩くという事に何の感動もなかった私が「歩けるって何て幸せな事なのだろう
」と、しばしば振り返られるようになりました。
要は考え方次第なのです。
私も、足を骨折していなければ「歩ける」事の有り難味が分かりませんでした。
失ってから初めて、その存在の大切さが分かったりするものなのです。
しかし、考え方や物の見方を変えるだけで、「骨折」しなくても「歩ける」事の素晴らしさを「発見」できる人もいるはずです。私は、たまたま「骨折」という「歩けない」状況に陥ったので「歩ける喜び」を発見することが出来たのです。
物の見方を一方向だけでなく、色々な角度から見てみましょう。
「ギャンブルしかない」ではなく「ギャンブルも楽しいが、他にも楽しみはあるかもしれない」と思えば、その楽しみ発見の旅に出発することが出来ます。
そして、その先には今まで思いもよらなかった楽しみを「発見」することが出来る可能性は高いと思います。
そして、その「楽しみ」によって「心は満たされて」、いつしか頭を占領していた「ギャンブル」は小さくなるか、消えてしまうと思います(つまり、心が癒されるのだと思います)。
私がそうだったからです。
「幸せ」や「楽しみ」はどこか遠くにあるものでは無く、意外と身近なところにあると私は思うようになりました。そして、それに「気付く」事が大切なのだと。そして、それに気付くのは自分自身であり、自分で「発見」するものだと。
なお、私はいかなる宗教関係の組織、団体にも所属しておりませんので、ご安心下さい。「幸運をもたらすグッズ類」を売ったりはしませんので(クラシックのCD等は販売しておりますので、そちらの方は宜しくお願いします
)
ご異論も多々あろうかとは思いますが、私の体験談と言う事で、この記事が少しでもお役に立てれば幸いです
もしも、現在ギャンブルに依存してお悩みの方には、私の体験談をお読み頂き、何かご参考になればとの思いで今回の投稿としました。
また、そうで無い方は「こんな愚かな奴もいるんだ」と反面教師にして頂ければと思います。
なお、予めお断りしておきますが、私は「ギャンブル」そのものは否定しません。お金と時間に余裕のある方なら、娯楽の一つとして存分にお楽しみ下さいませ。
ただし、一時期の私のように「ギャンブル無しではいられず、借金までして打つ」という方には、どうか、そのような生活パターンから脱却して頂きたいと思う次第です。
私は、ある時期まではパチンコ依存症になっていました。何しろ、毎日行かないと気が済まず、「行きたい、打ちたい」という思いが頭の中を駆け巡り、仕事が終るとすかさずパチンコ屋へ行き、パチンコ三昧(

このような方は意外に多いのでは無いでしょうか?
というのも、先日、某検索エンジンにて「パチンコ依存症」とキーワード入力した結果・・何と約130万件もヒットしたのです。それだけ、お悩みの方が多いのかと思います。
しかし、ギャンブルというものは、誰でも常に儲かるものではありません。一時的に勝つ事はあっても、トータルでみた場合には「負けている」人の方が圧倒的に多いと思います(そうでなければ、ギャンブルを経営する側が儲かりません)。
そんな事は「頭」では理解していても、私はついついパチンコを打ちに行ってしまうのでした。
もう辞めようと何度思った事か。
しかし、数日経過すると「ちょっと今日は出ているか見るだけ見てみるか」等とお店に入ったら最後、「おお、この台はこんなに回っているのに1回も当たり無しか。5千円くらい投入すれば出るんじゃないか?」なんて愚かにも手を出してしまうのです。そして、5千円投入しても出ず「せっかくだから、あと千円」「いや、あと少しで出るだろうから、もう千円」「他の人が後から来て出したらしゃくだから、もう千円」「こんなに使ったのだから、せめて一箱分でも出したい、もう千円投入」・・と、こんな調子で3、4万は当たり前のように財布から旅立って行くのでした。
自分なりに、自分を分析してみました。「何故、パチンコを打ってしまうのだろうか?」「何故、毎日行かないと気が済まないのだろうか?」と自問自答を繰り返しました。
そして、結論として、次の4点に辿り着きました。
1.儲かるかもしれないという根拠の無い考え
2.パチンコを打っている間は何も考えずに済む、嫌な事を忘れてパチンコだけに 集中できること
3.パチンコ台のスーパーリーチや激熱リーチを見てみたい。確立変動になるかな らないか、はらはらする、そういう気分を味わいたいという気持ち
4.心の病(これは3、4をある意味包含しているとも言えます)
まず、1は先の記述の通り「トータルで儲かる」というのは、まずありません。私がパチンコの才能が無い事は明白です。相当な金額を使っておりますので。これは、冷静に考えれば誰にでも分かる事だと思います。
「パチンコは儲からない、そもそも儲けてやろうという心構えが間違っている」と自分自身を説得して、自分なりに納得したつもりです。そして、「儲かったらどうするのか?何のために儲けようとするのか?」と問い掛けました。そして、結論としては「パチンコで儲けて何かを買いたいのなら、その資金を貯金して買う方が早い」と頭を切り替えました。
しかし、2と3(結局は4)がやっかいなのでした。私は、精神的にパチンコに「依存」しているのだと思いました。仕事やプライベートでの嫌な出来事から気持ちを逸らすために、パチンコを打ち、その多彩なリーチアクションや確率変動状態の継続で、嫌な事を忘れたい、と・・。しかし、それは当たったときには一時的に有頂天になりますが、あくまでも一時的なのです。
ボロ負けして帰るときは、逆に気分がもっと落ち込んでしまうのです。
その時の精神状態は4の記載の通り「<color=red>心の病」としか言いようがありませんでした。ちなみに、「パチンコ依存症」を治す「薬(医薬品)」は無いのだとか。
私にとって楽しみって何だろう?それはパチンコを打つ事なのか?と自分に問いかけ続けました。
そんな時、見つけたのが「ブログ」でした。
「ブログ」自体は知っていましたが、「自分は日記なんてつける性格じゃないし」とずっと思っていました。しかし、ある時ふと気付いたのです。
「そうだ、日記じゃなくても自分の好きなクラシック音楽について書いてみれば良いかもしれない。長年聴いてきたクラシック音楽を紹介できるようなブログにすれば続けられるかもしれない。」と。
それに気付いてからは脱兎の如くブログ作りに専念しました。紆余曲折はあったものの一応はご覧頂ける形にまで辿り付くことができました。
そして、何と、あれほど行きたかった「パチンコ」の「パ」の字さえ思い出さなくなったのです。
本当に不思議なのですが、ブログ作りを始めてから一切パチンコを打っていません。
一時は、ギャンブルから足を洗う集まり

と長々と書きましたが、あくまでも私の経験から申し上げますと「ギャンブルへの依存」は一種の「心の病」だと思います。
では、その「心の病」はどうしたら良いのか、私から申し上げられるのは次の3つです。
1.ギャンブル以外の楽しみを見つけて下さい
2.人間関係を見直してみてください
3.環境を変えてみてください
恐らく、1に関しては「そんな事、言われなくても分かっているよ」「ギャンブルこそが楽しみなんだ」と仰られる方が多いのでは無いかと想像します。
しかし、実は身の回りを見渡せば、ギャンブル以外にも「楽しみ」はたくさんあるはずです。「映画を観るのが好き」「スポーツが好き」「友達とワイワイと騒ぐのが好き」「カラオケが好き」「音楽を聴くのが好き」「花を観る(育てる)のが好き」等々。
ギャンブル以外にも探せばそれこそ星の数

そして、その楽しみに夢中になれば、気が付いてみるとギャンブルが頭の中から自然に消えて行くと思います(私の場合、そうでした)。
2に関しては、私は精神関係の専門家では無いので、あくまでも私見という事で聞いて下さい。私自身、パチンコに依存していた時期は、正直人間関係が良くありませんでした。それが、人間関係が改善されてきたのとパチンコから離れて行った時期が重なるのです。「鶏が先か、卵が先か」分かりませんが、もしかすると「依存症」というのは「孤独」や「不安」などを解消するためのはけ口になっているのかもしれません。
家族の団欒や友人との楽しい会話等々、人間関係が良好になれば、もしかすると「依存」の体質から抜けられるかもしれません。
3に関してですが、確か中学校の授業で習った覚えがあります。「孟母三遷の教え」です。中国の古代の賢人である「孟子」の母親は生活環境を変える事(引越し)で、息子の成長をより良いものにしたそうです。
そこで、一番良いのは引越しをしてギャンブルと無縁の地へ赴くという方法があります。会社の帰り道、駅の途中、行きやすい場所だから、「つい、行ってしまう」のかもしれません。出来るのであれば、引越してそういう「行き易い」環境を変えるのも一つだと思います。
しかし、引越しはそうそう簡単に行えるものでも無いので、こうしては如何でしょうか?パチンコの場合ですが、まず「パチンコ屋」へ行く道と違う道を選ぶ。要は、そういう場所に近付かないということです。
これがダメなら、パチンコ屋を通り過ぎる時に「パチンコ屋を見ない、覗かない」。あとは、パチンコ屋の近くに来たら、「今夜の夕食は何かな?あるいは何にしようかな?」とか「明日の予定はどうなっているんだっけ?」と言ったように、別の事を考えて通り過ぎるのです。
私の経験上、「覗くだけなら良いか」何て思ったら、ハマります。
以上、あくまでも、私の経験から申し上げておりますので、これが絶対に正しいとは断言致しませんが、上記の3点を見直すだけでも多少の効果はあると思っております。
「本人の意思が弱いからだ」という意見もあろうかと思います。ご意見ごもっともです。しかし、私はそれを言うだけでは何も改善されないと思うのです。「意思を強く持ちなさい」と言って、いきなり意思を強く持てるのでしたら「依存症」には始めからならないのでは無いでしょうか?「意思を強く持てない」から「依存症」になるのであって、それは様々な要因が絡んでいると、私は思います。
従いまして、私の経験上、上記の3点を見直されては如何でしょうか?
という助言とさせて頂きたいのです。
長文になってしまい、申し訳ございませんが今少しのお付き合いを。
「幸せ」や「楽しみ」は実は身近な所にあったりするものなんだと思います。
私は足を骨折したことがあり、歩けるようになるまでには結構大変でした。
その時に気付いたのが「歩くという事がこんなに難しい事だったのか

それまでは、歩くという事に何の感動もなかった私が「歩けるって何て幸せな事なのだろう

要は考え方次第なのです。
私も、足を骨折していなければ「歩ける」事の有り難味が分かりませんでした。
失ってから初めて、その存在の大切さが分かったりするものなのです。
しかし、考え方や物の見方を変えるだけで、「骨折」しなくても「歩ける」事の素晴らしさを「発見」できる人もいるはずです。私は、たまたま「骨折」という「歩けない」状況に陥ったので「歩ける喜び」を発見することが出来たのです。
物の見方を一方向だけでなく、色々な角度から見てみましょう。
「ギャンブルしかない」ではなく「ギャンブルも楽しいが、他にも楽しみはあるかもしれない」と思えば、その楽しみ発見の旅に出発することが出来ます。
そして、その先には今まで思いもよらなかった楽しみを「発見」することが出来る可能性は高いと思います。
そして、その「楽しみ」によって「心は満たされて」、いつしか頭を占領していた「ギャンブル」は小さくなるか、消えてしまうと思います(つまり、心が癒されるのだと思います)。
私がそうだったからです。
「幸せ」や「楽しみ」はどこか遠くにあるものでは無く、意外と身近なところにあると私は思うようになりました。そして、それに「気付く」事が大切なのだと。そして、それに気付くのは自分自身であり、自分で「発見」するものだと。
なお、私はいかなる宗教関係の組織、団体にも所属しておりませんので、ご安心下さい。「幸運をもたらすグッズ類」を売ったりはしませんので(クラシックのCD等は販売しておりますので、そちらの方は宜しくお願いします

ご異論も多々あろうかとは思いますが、私の体験談と言う事で、この記事が少しでもお役に立てれば幸いです
