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昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

変見自在 高山正之の本は面白い23 よど号犯人の遺物

2013-11-28 05:22:05 | 読書と映画
よど号犯人の遺物 2008/7/17
 ペルー・アヤクーチョの哲学科教授アビマエル・グスマン率いる強盗集団「センデロ・ルミノソ」の手法は決まっていた。
目標の村を包囲し夜明けとともに急襲、制圧する。
村人を広場に集め、村長を引き据えて村人を搾取した罪で死刑を宣告する。
処刑はまず若い兵士に村長の足や腹を撃たせる。度胸をつけさせるための訓練で、最後に小隊長格が止めを撃ち込む。
凄絶な処刑にすくむ村人に毎年の「革命税」の徴収を通告する。
そうした村で支払いを拒否する者はなかった。

 フジモリが登場して一昧への摘発が厳しくなると報復にワラルにあったJICAの農業センターが襲われ、日本人スタッフ三人が研修員の前で処刑された。
止めは女の指揮官がさしたという。
一味は革命税の徴収のほか、ときに襲った村の女を連れ去ることもあった。
女は革命基地と彼らが呼ぶアジトに入れられ、兵士に抱かれて次代の革命戦士を産まされた。
好き放題を続けた彼らもフジモリを怒らせたのが失敗だった。JICA事件の翌年、グスマンはリマで逮捕される。
彼は部下に残忍な革命ごっこをやらせておいて自分は優雅にも隠れアジトで女と酒に耽る甘い生活を送っていた。
それが暴かれてあほらしくなった七千人の部下が投降し、囚われた「女性数百人が救出された」とエル・コメルシオ紙が報じた。
グスマンは、「村長を殺す」手法は毛沢東に倣ったと供述している。

石平の『中国大虐殺史』にはそれが「一人一焼一殺」と呼ばれたとある。
まず夜明けとともに村を襲い村長の財産を略奪したうえで火を放つ。
集めた村民の前で村長を裁き「銃で頭を吹き飛ばして」処刑する。
村長の田畑は小作人に分配し、小作料は革命税として納めさせる、という手順だと説明している。
ただ毛は「一殺」にはこだわらなかった。搾取者つまり金持ちが多ければその分、殺しも増える。江西省吉安では四十五日間で一万人を殺している。
形は搾取する者を処罰し、弱い小作人を助けるという共産革命風だが、この一村一殺は敵対する蒋介石の軍もやっていた。

蒋の軍隊がこれを組織的にやったのは毛に追われて台湾に移ったあとだ。
彼らはまず台北で知識人を皆殺しにする「2・28」事件を起こした。 標的は日本統治時代に司法、行政などを学んだ人たち。毛沢東が後に文化大革命で知識階層を抹殺していくのはこの蒋の手法と相通じるものがある。
これと同時に「地方に出かけては一村一殺をやった」(黄文雄)。
蒋の軍は二十万人の台湾人を殺しているが、問題はなぜ彼が毛と同じ手法を取ったか。
別に共産革命をやろうとしたわけではなく、「だれが新しい支配者か」を村々に教えこむ支那の伝統的手法と言われる。サル山の新しいボスが古いボスを叩きのめし、その子を殺し回るのとそう差はない。
グスマンもこの部分を見倣った。共産思想も人民解放も関係なかった。
では女をさらって次代の戦士を産ませる方式はだれに学んだか。
諸説あって、ポルトガルの植民地経営に学んだ、がその一つ。原住民の女に産ませた混血児を植民地防衛の兵士にする。東テイモールのラモス・ホルタ大統領などはその例になる。

もう一つがよど号事件の赤軍派説だ。
彼らは在日の女などを通して日本人女性を北朝鮮に誘いこんでは妻にして産ませた子が十七人。
しかしそれではいかにも少ないから欧州に遊学する日本人男女を騙して北に誘い込み、結婚させて「代を継いだ日本革命」(産経新聞)を目指した。
これがグスマンの拉致作戦に時期的に先行する。
その拉致犯が追い返されてくる。ペルーの盗賊との接点も分かるだろう。
ちなみに彼らの妻子はほぼ帰国済みで、彼らを支援する朝日新聞によると子供二人が早々に「父からの手紙を押収された」ことをネタに国家賠償請求訴訟を起こしたと伝えている。
革命を口実にした金儲けをもう始めている。

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変見自在 高山正之の本は面白い22 ジョージ・ブッシュが日本を救った

2013-11-27 04:16:31 | 読書と映画
ジョージ・ブッシュが日本を救った 2004/6/3

共産党系の朝日新聞はブッシュ政権が大嫌いで、だから彼と仲のいい小泉政権が許せないらしい。

でもブッシュ政権になって、ガラリと良くなったことだってある。クリントン時代に猖獗を極めた(注:猖獗=勢いが盛んで、荒れ狂うこと)対日企業訴訟がぱったり消えてしまったことだ。
あのクリントンの8年間、トヨタに始まりダイセル、三菱自動車、東芝……と日本企業は軒並みカモにされた。とくに抜群の働きを示したのが米司法省の法務官僚で構成した対日本企業訴訟チームだった。

ここがカモにした企業に旭光学がある。同社がカメラ組立工場を香港から中国の深セン(注:セン=土扁に川の字)に移したことを知ると、彼らは移転期間中に製品を深センと香港で半分ずつ組み立てたことを掴む。 旭光学はある日、連邦地裁に呼び出される。「カメラの裏に Assembled in HongKong(香港で組み立て)とあるが、これは偽りだ。なぜなら深センでも一部を組み立てていたではないか」 まあ、厳密に言えば確かにそうだ。でも、それが問題なのかと聞くと「知っていて虚偽表示をしたのは悪質だから旭光学が米国で稼いだ利益と懲罰的賠償をあわせ1億ドル(110億円)を支払え」という。 
これは首都ワシントンで起きた恐喝騒ぎだが、日本の大使館員も朝日新聞も見ぬ振りを決め込み、旭光学は孤立無縁の中で和解金3000万ドルを脅し取られた。

クリントンは民主党らしく大の日本嫌いで、こうした阿漕な対日訴訟を政府機関を使ってやらせてきた。日本企業からカネを搾り取れというクリントン・ドクトリンの極みがロサンゼルス地裁の「米国の裁判管轄権は日本にも及ぶ」というとんでもない決定だった。

これは日本の老舗カステラ屋の系列会社が米企業のロゴを日本国内で無断で使った訴訟に絡んで出されたものだった。
裁判管轄権は国家の主権と同じだ。米企業の商標とか意匠とかが日本で勝手に使われたなら、日本で訴えればいい。公取委はそのためにある。 
ところがこの裁判では侵害された米企業がロサンゼルス地裁に訴えを出した。理由ははっきりしている。日本でやれば排除命令と雀の涙ほどの賠償で決着する。しかし米国の法廷なら旭光学なみに3000万ドルぐらいは取れる。 被告側、つまりカステラ屋の系列会社の主張ははっきりしている。日本で権利侵害があったのだから日本の法廷で処理すべきで、だいたい米国の法廷に訴訟管轄権はない、訴えを破棄すべきだと反論していた。ところがロサンゼルス地裁が下した管轄権の判断は「米国人もしくは米企業が絡んでいれば米国に裁判権がある」というものだった。

アルバカーキでマクドナルドの熱いコーヒーを老婦人がこぼして火傷した。それで290万ドル、約3億円の賠償額が出た。 マックは米国絡みだ。この論法でいけば日本のマックのコーヒーで火傷したら米国で日本マックを訴えられる、億単位の賠償を取れるということになる。 
端的に言えば日本の裁判管轄権が蔑ろにされているわけで、明らかな主権侵害にもなる。というわけで、これはとんでもない事態だぞと記事にした。日本の法務省もびっくりしただろう。

クリントンに正気になれぐらい言ってやればいいと思っていたら、内容証明付きの分厚い封書が日本から届いた。例のカステラ屋関連会社の代理人、それも赤坂辺りにオフィスを構える日本の大手弁護士事務所が連名で 「そんなロサンゼルス地裁の決定は聞いていない」から「この記事は悪意ある誤報でその取り消しと損害賠償を求める」というものだった。彼らは訴訟を引き受けたものの英語ができない。米国の法廷で「異議あり」とかも言えない。それで全てを米国の弁護士事務所に丸投げしていた。 ところが「米国に管轄権はない」という主張は退けられた。 敗訴だ。米国側代理人はそんな無茶で予想外の決定は恥ずかしくて日本側には伝えられなかったらしい。それで記事が先行し、行き違いになった。事件を丸投げして手数料だけは取りながらフォローもしない日本の弁護士事務所には呆れるが、聞きたくもない事実が出ると自分の無能と無責任を棚上げして偉そうに取り消せだの賠償だのと恫喝してくる。 司法改革は裁判員制度だけではだめ。井の中の蛙弁護士も駆除しないと。


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変見自在 高山正之の本は面白い21 白人は「嘘八百」でも足りない

2013-11-25 04:06:23 | 読書と映画
白人は「嘘八百」でも足りない 2008/4/3

英国とフランスはその昔、百年も戦争を続けた。
仏側は英軍の弓部隊に蹄易し、捕まえると二度と弓弦を引けないように人差し指と中指を切り落とした。
祖国に帰還した兵士は出迎えの家族に右手の人差し指と中指を立てて、敵の捕虜にはならなかった、ほれ指も健在だよと伝えた。今に言うVサインの発祥である。

幕末、ロシア人が勝手に択捉島に上がり込み、松前藩士を捕らえた。彼が砲術士と知ると、ロシア人は彼の目を挟って送り返してきた。
捕虜は二度と使い物にならないようにする、というのが残忍な白人たちの共通したやり口だった。
ちなみに松前藩は指揮官のゴローブニンを拘束したが、五体満足のまま釈放してやっている。

第一次大戦の折、ベルギーに侵攻したドイツ軍は子供たちを見つけては両手首を切断している、と英米の新聞は報じた。
今は鉄砲の時代だ。指二本を切ったところで残りの指があれば撃鉄を起こし引き金を引ける。
だからドイツ軍はベルギーの子供の両手を切っておけば将来にわたって有効な戦力にならないと考えたと百年戦争の歴史を持つ彼らは理解した。
それにしても子供までやるとは、と飛び抜けたドイツ人の残忍性に怒りを覚えた。
しかしドイツ兵は子供どころか赤ん坊も殺していると新聞は伝えた。
彼らは産院を襲い、看護婦を暴行したうえ生後間もない赤ん坊を放り上げて銃剣で刺したという。
ブリュッセル郊外ではドイツ兵が家族を皆殺しにし、最後に「死んだ母親に抱かれた赤ん坊を刺し殺す寸前に味方軍が助けた」と英デイリー・メールのウィルソン記者が伝えた。
かくてドイツ軍の蛮行をこれ以上許さないと米国が参戦して大戦は終わる。

戦後一ドイツがいかに残虐だったかの検証が行われた。しかし、手首を切り落とされた子供は一人もみつからなかった。
ウィルソン記者の記事もでっち上げだった。彼はニューヨーク・タイムズ紙のインタビューに「本社からドイツ軍の残忍さを語る記事を送れと電報が来た。それでドイツ兵の手にかかる寸前に助けられた赤ん坊の話を創作した」(アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダーの法則』)と嘘を認めた。

それから二十年。いわゆる南京大虐殺が起きる。そこで展開されたという惨劇は日本人の知らない「子供を放り上げて刺す」「手足を切る」「女を犯して局所に棒を突っ込んで殺す」方法だった。
そのほとんどは白人が長年馴染んだ手法に加え中国流もかなり入っている。
しかし戦後になってもその真偽を確かめる検証はなぜか行われなかった。
残虐話の多くはマンチェスター・ガーディアン紙のティンパーリ記者が執筆したものだ。
彼は皇室を中傷する『プリンセス・マサコ』を書いたベン・ヒルズや「日本軍は東ティモールの島民数万人を殺した」という嘘を広めた外交官ジム・ダンと同じオーストラリア人。
彼は蒋介石政府の「国際宣伝処長の曾虚白と接触して」(阿羅健一『南京で本当は何が起こったのか』)カネをもらって南京事件を創作した一人ということまでは日本側で明らかにした。
かなり怪し気なのに米国も中国もオーストラリアもそれ以上は検証しようともしないで日本を苛立たせてきた。

そんな中、朝日新聞が英エコノミスト誌の元編集長ビル・エモットを起用してコラムを書かせ始めた。
その中身が酷い。彼は何の疑問もなしに南京大虐殺を史実と決め付ける。
自国の新聞の記者が係わり、日本に不名誉をもたらしている問題を論ずるなら、まして本人がジャーナリストのつもりなら、まず事実を検証するだろう。
しかし彼はそれを省いて「福田首相は南京大虐殺記念館に行って謝罪したら」と提言する。
検証もなしで南京事件を歴史に定着させちまえというのだ。
エモットの無知と傲慢にはあきれるが、こんなコラムを載せて有り難がる朝日にはもっとあきれる。
そしたら読売も日銀総裁空席問題で「こうなったら総選挙だ」というエモットのご託宣を恭しく載せていた。
今の日本は首相も空席みたいなもんだ。それでちゃんと機能している。それが日本人の叡智だ。今どき白人なら馬鹿でも崇めるというのは流行らない。

Vサインの意味がこうであったとは・・・・・
日本には戦国時代、いやもっと遡る古来から、捕虜を残忍な方法でいたぶる、殺すなどのやり方はなかったと記憶する。


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変見自在 高山正之の本は面白い20 日本軍が圧勝した「特殊情報戦」

2013-11-23 01:59:47 | 読書と映画
日本軍が圧勝した「特殊情報戦」 2008/1/3

昭和17年秋、第48師団がポルトガル領東ティモールに進駐した。
理由は二つあった。一つはこの島がオーストラリアの最も近くに位置し、オーストラリア軍が反攻に出るとき、その最前線になるからだ。
もう一つの理由はおかしな話だが、ここを支配するポルトガル人総督らの保護にあった。

この国は戦前から日本には友好的だった。
日本がアジアに向けて航空路を開設しようとしたときアジア諸国を植民地支配する米英仏蘭はそろって日本機の乗り入れを拒絶した。
飛行機は白人の偉大さの象徴だった。それを日本人がやって見せたら白人神話が縫ぴるからだ。
そんな中でポルトガルだけがOKを出し、日本からパラオ経由でこの東ティモールまで日本製の大型飛行艇が飛んだのである。

やがて日米開戦。日本はフィリピンをもつ米国を叩きマレーの英軍を潰し、インドネシアに進駐してオランダ人を追っ払った。
ティモール島で云えば蘭領の西半分は支配者の白人が追い出され、島民は解放されたが、ただ東半分は日本の友好国ポルトガル領ということで白人の植民地支配は続いた。
島民にはその違いが解せなかった。日本軍がやってくれないなら自分たちでやる。島民はポルトガル人と見れば石を投げっけた。
ポルトガル人は現地の女に産ませた混血児を島民支配に使っていた。島民はこの白人顔を鼻にかける混血児を最も憎んで襲いかかった。

これを仲裁したのが日本軍で「植民地政府には島民を苦しめる人頭税を廃止させ、島民にも襲撃をやめるよう説得した」とここに駐屯した山下信一元昭和女子大教授は語る。
島民も税金が消え、塩も専売でなくなって大喜びして仲裁を受け入れた。
駐屯して一年が過ぎたとき南部の村からオーストラリア軍のスパイが侵入したという通報があった。
日本側は村人の協力で道案内のポルトガル混血児ピリスとオーストラリア軍のエルウッド軍曹、それに荷物運びの現地人の計五人を無傷で捕らえるのに成功した。
日本軍の兵員数、火器、飛行場の状況などを調べてそれを暗号で送信するというのが彼らの任務で暗号表も押取できた。
スパイは戦場ではすぐ処刑される。しかし日本側は彼らを殺さない代りに、協力を求めた。
契約は成立し、日本軍のインチキな部隊行動を織り込んだ電文が打電された。

オーストラリア側は何の疑いも持たず、スパイ活動に必要な食糧や医療品などを指定場所に投下すると返事して来た。
日本軍の一人がエルウッド軍曹に付き添い、指定の河口で待つとやがてB24爆撃機が飛来し落下傘が投下された。
日本側はこれに味をしめラッキーストライクなどタバコや医薬品、食料品等不足している物資を次々と無電で発注した。
オーストラリア側は律儀に応じてB24や双胴のP38が飛んできて注文品を投下していった。

翌19年、オーストラリア軍は反攻が間近に迫ったらしく新たに諜報員数人を送り込んできた。日本側はこれも島民の協力で拘束した。
反攻は秒読み段階にあるようだった。それで「日本側は兵力20万。陣地は堅牢」と実際の15倍に近い数字を打電し続けた。
おかげでオーストラリア軍はとうとう東ティモール侵攻計画を実施しないまま昭和20年夏を迎えた。
そして8月8日。「いい情報だ。日本は無条件降伏した」の電文が届く。
日本側は驚くが、事態を理解し返事を送った。
「長い間、貴重な情報を感謝する。日本軍司令官」

翌日、オーストラリア軍から「貴官の通報に接し驚惜に堪えず。よろしく当方の将兵を保護されたし」と電信が入った。
一週間後の8月15日に日本降伏が発表され捕虜は帰還した。
オーストラリア側はこの件についてはあまり自慢にならないからか無視を決め込み、丸二年間、オーストラリア軍を騙して物資を貢がせてきた我が東ティモール守備隊には一切の咎めはなかった。
この島について朝日新聞や北海道新聞は「島民を虐殺した」の「占領した」の好きに嘘を並べてきた。
意味のない自虐は止めてたまには老兵の話を聞いてみたらどうか。
このケースでも連合軍側は長崎原爆投下前に日本の降伏を知っていた。
日本は「十日に受諾」が公式の歴史だ。トルーマンは駆け込みでプルトニウム型原爆を投下させたのか。まともなジャーナリストだったら、これだけでも面白いと思うところだが。

愉快な逸話ですね、思わず頬が緩んでしまう・・・・・・
騙した方も、騙された方も戦時中とは思えないのどかささえ感じてしまう。
しかし、今の日本はこうした”情報戦”に疎いと思われてならない。


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変見自在 高山正之の本は面白い19 リンカーン大統領は偉人か

2013-11-22 02:25:07 | 読書と映画
リンカーン大統領は偉人か(2009/2/12)

朝日新聞はオバマがよほど好きみたいだ。
先日の論説委員コラムは「オバマの尊敬するリンカーンが徳川家茂に宛てた書簡があった」という、それがどうしたみたいな話を載せていた。
書簡は南北戦争のさなかに書かれ、そのすぐ後に彼は奴隷解放を宣言している。それから百五十年、いまオバマ大統領が登場した。家茂から現代までの年月と重ねてみて「これを長いと見るか短いと見るか」とコラムは問う。
問いがよく分からない。
だいたい百五十年前まで奴隷を使っていたこと白体、米国は恥ずかしいほど遅れていた。
やっと奴隷制をやめてなお、百五十年問も人種の壁を崩さなかったのは正気の国とも思えない。
奴隷制を憎んでその歴史ももたない日本と重ねたら、なおさらこの国のお粗末さが際立つだけだ。
このコラム子はそれも分からずに、あたかも米国がいい国のように語る。

この国の正体は百五十年前を見ただけではだめだ。遡ってメイフラワー号でやってきた清教徒の時代から見なければならない。
彼らは知られるようにワンパノグ族の酋長マサソイトが恵んだ食糧で冬を越す。感謝祭の謂れだが、よさそうな話にはけったいな続きがある。
七面鳥で元気になった清教徒らは曾長の死ぬのを待って彼らの領土を奪い始める。抵抗した息子は殺され、その首は二十年間プリマスの港に晒された。
彼の妻子と一族もまとめてカリブの奴隷商人に叩き売られた。
土地を手に入れた清教徒は働き手と妻を最寄りの奴隷市場に買いにいった。
奴隷市場は実はメイフラワー号が着く一年前に店開きしていて、最初の売り物は百四十人の英国産の白人女囚だった。
新大陸はまず男どもが入植したから圧倒的な女日照りだった。それで英政府は万引き程度の罪でもみな島流しを宣告して新大陸に送りこんだという。

女が行き渡ると市場の主商品は黒人になった。
こちらも当初は開墾だとかの力仕事に耐えられる男の奴隷が主だったが、やがて女の奴隷も入れるようになった。
輸入に頼らず、国内で繁殖させればコストは安上がりになる。
ちなみに独立宣言を起草したトーマスジェファーソンは黒人女性サリー・ヘミングスを隠し妻にしたことで知られるが、彼女は正確には八分の一の黒人混血児だった。
つまり繁殖用に輸入された曾祖母がまずブリーダーの白人に犯され、生まれた娘がまた白人に犯され、孫も犯されてサリーが生まれたということだ。
彼女がずっと隠し妻だったのは当時、黒人女性など有色人種と白人が性交すること自体が罪とされていたからだ。
それでもジェファーソンは「人は等しく創造され、生命と自由と幸福追求の権利を持つ」と書いて恥じるところがなかった。

こうした裏切りや悖徳(はいとく)が山と積まれたころ、リンカーンが登場する。
彼は確かに黒人奴隷制の廃止を宣言した。
いかにも人道的な人のように見えるが、この宣言に前後して彼はダコタ族の討伐命令を下し、その処刑まで命じている。
発端は白人側の裏切りで、土地を取り上げた代償の食糧品などが粗悪を極めた。怒ったダコタ族が決起すると、待ってましたと騎兵隊が殺到して全滅させた。いつもの手口だ。
このときは法に則って裁判を開いたというが、たった五分で結審して三百人のダコタ族に死刑判決が下された。ミネソタ版の東京裁判といっていい。
リンカーンはそれを支持した。人道的というにはほど遠くないか。

奴隷廃止も額面通りではない。米国は国際世論がうるさい黒人奴隷に替わる格安の中国人苦力をとっくに見つけていた。実際、ペリー来日前に米の奴隷船から苦力が石垣島に逃げ込み、ペリー艦隊の戦艦サラトガが砲撃、上陸して逃亡した苦力をみな殺しにしている。
コラムはリンカーンの性格は筆跡からきっと「正直に違いない」と見る。そして日本に書簡を認めるとき「どんな日本を思い浮かべたのだろう」と結ぶ。
同じモンゴロイドのダコタ族を虐殺し、苦力を代替奴隷に使う白人大統領が日本人をどう思っていたか、コラム筆者は想像がつかないのだろうか。

リンカーンは奴隷解放の父と私達は教えられていた。
世界の事象のほとんどに裏がある、こう感じざるを得ない今日の記事だ。



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変見自在 高山正之の本は面白い18 新聞に蔓延る教条主義的お馬鹿

2013-11-20 04:39:27 | 読書と映画
新聞に蔓延る教条主義的お馬鹿(2008/11/20)

六法全書で「日本国憲法」の項を引いたら扉に米国の独立宣言が載っていた。
日本はまだ米国占領下にあるという意味なのか。あるいは日本の憲法はマッカーサーが編纂したから、彼への敬意を表したのか。よく分からない。
ただ独立宣言文とマッカーサー憲法を読み比べると面白い発見がある。

独立宣言はトーマス・ジェファーソンが起草した。
ほとんどが宗主国、つまり米国を植民地支配する英国に対する愚痴で、重税を課し、用もない役人を送り込んで高い俸給を負担させる。酷いじゃないか。
ひとしきりの愚痴を踏まえて、あの「そもそも創造主は人間を平等にお造りになった」というフレーズが出てくる。
そして「自明のこと」として「人間には生存と自由と幸福の追求という侵すべからざる権利」がある。そのために「人々の同意で政府という機関をもつ」ことになる。ホッブスの言う『リパイアサン』と同じだ。

政府は国民の側にあってその権利を守る。
だから政府が国民の利益を放り出し、自国を傷つけ他国のために働くようになったら「それを改めるのは国民の権利だ」とする。
その扉の次にマッカーサー憲法の前文がくる。
日本語になってないのは我慢するとして、そこに出てくる「政府」は前のぺージの独立宣言と違って「国民の権利を守る機関」ではなくて「再び戦争の惨禍をもたらす」存在として描かれている。
国民の役割も「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きないよう」政府を厳重監視せよと続く。
「再び」とマッカーサーが入れたのは「政府」に東京裁判史観の「国民を戦場に送った戦前の政府」をダブらせるためだろう。
こうして世界でたった一つ、政府と国民を敵対させる憲法が誕生した。

白人は他国を支配するとき、その国の中に敵をつくる。インドではヒンズーとイスラムを敵対させた。内部で争っている限り独立運動など起きない。
「宗教対立こそ植民地インド最大の防衛策だ」とチャーチルは語っている。
単一民族のビルマではわざわざインド人や華橋を入れ多民族多宗教国家に作り直して国内紛争を煽った。
日本も単一民族だ。ビルマみたいに中国人、朝鮮人を入れることも考えたが、日本人のレベルが高すぎて効果は期待できない。
それで思いついたのがこの「政府と国民を敵対させる」アイデアだったわけだ。
幸いというか、日本の新聞界や学界には教条主義的お馬鹿さんが多い。
彼らをおだてりゃどんなに高い木にも上る。
朝日新聞の主筆の船橋洋一はその意味で一番の高みに登った一人になるだろうか。
例えば嘘つきで評判の早大教授が東ティモールで日本軍が島民五万人を殺したとやった。
船橋は裏も取らずに「日本政府は賠償義務がある」とまでやった。
政府を罵るためならいかがわしい国際的振り込め詐歎にだって加担する。
彼の真骨頂は朝日新聞一面に掲載した「ジャーナリズム再興」だろう。
ジャーナリズム精神とは「暴力装置を持つ権力が国民の権利を守るのか侵すのか、人々の心の奥や財布の中にまで手を突っ込んでこないか。外交防衛政策が日本の平和と安全を損なってないか」。それを監視し報道することだ、と。

これは新聞の公平性、中立性をかなぐり捨てるという禁じ手まで使って安倍元総理を誹謗中傷し続けたことへの言い訳として書かれたものだが、要は政府はヒンズー教徒にとってのイスラム教徒みたいなものだから、どんな汚い手も許されると言っている。
先日、船橋が「暴力装置」と名付けた権力の一角から田母神論文が出てきた。
「日本はアジア諸国を侵略し、植民地化して苦痛を与えた」とは村山政権が勝手に言い出した大嘘だ。それで国民はいらざる国際非難を受け、出さなくていい賠償も取られた、と。
「国家が国民の財布に手を突っ込んで」中国にばらまき、「日本の安全」も脅かしているのだとも。
船橋が危倶した悪い政府のまさに典型だ。それを内部告発するものだった。
当然共感するのかと思ったら違った。「こんなゆがんだ考えの持ち主が」(社説)と内部告発者を罵る。
こういうのを教条主義的ご都合主義というのか。


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変見自在 高山正之の本は面白い17 あなたの隣に殺人犯

2013-11-18 02:27:31 | 読書と映画
あなたの隣に殺人犯(2008/7/31)

伊豆の下田が好きで、よく出かける。この半島は東海岸は石ころばかり、西海岸は泥の浜で、下田辺りだけが臼い砂浜になる。海の底がとてもきれいなのだ。そんな海で遊んで、うまい蕎麦を食って週明けに伊豆急で帰る。

その朝もいつもと同じように早立ちの踊り子号に乗った。乗客は少なく一車両に十人ちょっとか。大方が一人客で、どんな週末を過ごしたのか一様にけだるそうに車窓に流れる景色に目をやっていた。静かな車内。それを破って中年女の声が響いた。河津辺りだったと思う。
「人様の財布に手をつけて」「恥さらしが」
勝手に耳に飛び込んでくる言葉をつなぐと、甥っ子が転がり込んでこのおばさんの亭主や祖父のカネを盗んでは遊び歩く。仕事もしない。反省もない。ダメな身内を持った不幸は分かるが、声が大きすぎないか。乗客の我慢が限界に来たころ、おばさんもブチ切れた。「パスポート持っているんだろ。このままさっさと国に帰れ」
乗客「?」。
「テポドンでも何でも撃ち込むがいい」「日本人はね、普段笑っていても怒ったら怖いんだから」「お前の国なんか……」なんとダメ男は北朝鮮からきていた。おばさんは日本人と結婚した在日か、もう帰化したか。いずれにせよ北の同胞が日本人に迷惑をかけ、心を痛めているという立場のようだ。
好奇心に負けて立って後ろを見ると五十絡みのおばさんがいて、隣の下駄みたいな顔をした茶髪男がこっちを睨んでいた。
踊り子号は熱海に停まり、おばさんの声は途絶えたが、乗客は彼女のいう日本人評をちょっと嬉しく思い、同時に彼らがそんなに自由に日本に出入りできるのか疑間を覚えたものだ。

先日の朝日新聞に済州島事件の話があった。戦後間もなく、島に共産分子が入り込み三万人の島民が殺されたという事件だ。自立できない国の悲劇だが、このとき小舟に乗って「三千人が日本に難を逃れてきた」とあった。大した数の難民だ。小舟というから不法入国だろう。
しかし日本はそんな彼らを逮捕したり送り返したりはしなかった。記事はその難民が語っているが、日本のそうした寛大な受け入れに感謝する言葉はない。
前後して脱北女性が「北朝鮮を地上の楽園と偽った」と朝総連相手に賠償請求訴訟を起こしたという記事が載っていた。訴える相手は朝日新聞ではないかと思うが、それはともかく、女性は脱北のあと韓国経由で「3年前日本に戻った」とあった。
彼女は北朝鮮人だ。母国がろくでもないから逃げ出すというのもずいぶん身勝手だが、それで日本に「戻った」はないだろう。それとも踊り子号の茶髪男を含めて南北朝鮮人ならだれでもいつでも日本に出たり入ったりできるということなのだろうか。

で、法務省に聞いてみてびっくりだ。昨年夏、青森に小舟が漂着したが、済州島だろうが北だろうが小舟で日本にやってくるのは防ぎようがない。それに北の人間でも今は身元引受人がいればOKで、あの茶髪男も含め年間二百五十人は来ている。
OKになったのは金正日が拉致を認める十年も前からのことだ。拉致家族が今でもあっちに探しに行けないというのに。
脱北女性についても、かつて在日だと日本への出入りは自由らしい。外人に求められる入国時の指紋取りも顔写真撮りも朝日新聞の尽力で免除される。
外人の永住には「素行善良」「生計を営める資産と能力」が必要だが、在日はこれも不要で、のっけから生活保護も受けられる。永住者は犯罪など日本に害する行為をすれば追放になるが、在日はこれも免除される。強制連行の嘘を並べては日本を誹諺してきた姜尚中も追放できない。
ただ懲役七年以上の殺人をやるとさしもの在日も国外追放はできる。しかし日本人妻を新婚初夜に殺して懲役十一年を食った朴敏欽はじめ戦後この方、在日殺人犯はだれも追放されていない。
せめて危険な殺入犯だけでも追放する。これは死刑執行以上に法治国家日本の急務といえないか。

在日特権が色々と言われるが、どうも詳細は分からない。
わからないというのは、その闇の深さであって三重県などで露呈したように、あることは間違いがないようだ。



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変見自在 高山正之の本は面白い16 ノーベル賞は白人が横取りする

2013-11-16 03:46:32 | 読書と映画
ノーベル賞は白人が横取りする(2008/12/11)

「日本という言葉を発するときにたえず嫌悪の匂いが於の中に生まれる」と加藤登紀子が言った。
曽野綾子さんがそんなに日本が嫌なら日本人でいることはない。他国人になれば(産経新聞「昭和正論座」)と親切に勧めていた。
しかし彼女はその後も日本に居座っている。
朝日新聞も彼女と同じに日本を嫌い「日本はいい国だ」と書いた空幕長を罵り倒してクビにさせた。
この新聞もソウルに移ればいいのに、まだ日本で優雅に暮らしている。

そんな新聞にHIVウイルス発見でノーベル賞を受賞する仏医学者リュック・モンタニエの話が載った。発見から二十余年。受賞がこんなに遅れたのは「米国のロバート・ギャロ博士との先陣争いがあった」と辻篤子論説委員がきれい気に書いていた。
でも本当はギャロがモンタニエからもらったサンプルを元に「オレが第一発見者だ」と言い出した。
名を残せるならどんな恥知らずもやる。ギャロを白状させるのにこんなに時間がかかったというのがホントの理由だ。
日本のことなら嘘でも悪口を書く朝日は、相手が白人だとここまで遠慮する。
おまけに辻女史は「受賞者は三人。漏れた四人目の学者が可哀想」とも。
そんな金魚の糞みたいな存在に同情する前にノーベル賞の裏にある騙りや偏見をなぜ報道しないのか。

裏は実際、とても汚い。例えば第一回のノーベル医学賞はジフテリアの血清療法に与えられた。
北里柴三郎が破傷風に次いで手掛けた血清療法の第二弾で、ドイツ人エミール・べーリングと共同研究の形で発表された。
しかし受賞はべーリングだけ。北里は黄色い人種ゆえに受賞から外された。
同じころ高峰譲吉が副腎皮質ホルモンを世界で初めて結晶化し、アドレナリンと名付けた(石原藤夫「発明特許の日本史」)。
しかし日本人はここでも無視され、それをいいことに米国のジョン・エーベルは「高峰が私の発見を盗んだ」と言い出した。ギャロには先輩がいた。
米医学会もそれに乗ってエーベルの名付けた「エピネフリン」を正式の名にした。不思議なことに日本の役所も戦後、米国名に倣っていた(同書)。
米国にはギャロがまだまだたくさんいて、J・アクセルロッドはアドレナリンを脳伝達物質として理論づけノーベル賞を取った。高峰の名も業績も消された。
鈴木梅太郎は第一次大戦前、オリザニンを発見した。
人類を脚気から解放した大偉業だが、これまた米国人のC・フンクがビタミンと言い換えて発表した。
まず日本人の名付けた名を消し、次に業績も「コメ糠に脚気の治癒効果がある」と予言したオランダ人C・エイクマンがノーベル賞を受賞した。

ビデオからステルス性能まで生み出したフェライトは昭和五年にTDK創姶者の武井武が発明した。
オランダのフイリップス社がこれに興味を持ちサンプルを求めてきた。
武井が親切にサンプルを送ると、同社はギャロと同じことをした。サンプルを分解し、理論を突き止めて世界に特許を申請した。
戦後、GHQの命令で日本はフィリップス社の特許を飲まされた。武井武の名は消しさられた。
さすがに同社はノーベル賞までは言い出さなかったが、それを見た仏物理学者ルイ・ネールが武井理論を自分名で出してノーベル賞を受賞した。
慶応医学部の小林六造は猫の胃から螺旋菌を見つけた。あの強い胃酸の中に菌がいる。大いなる発見だが、小林はさらにその菌をウサギに接種してみた。ウサギは胃潰瘍を起こした。
彼はそれをヘリコバクタ菌と命名した。
オーストラリアのバリー・マーシャルはその螺旋菌を白らの胃に接種した。胃潰瘍が起きた。胃がんのもと、ピロリ菌の発見だ。
彼はノーベル賞を受賞したが、小林の名と業績を語ることはなかった。
二十世紀を通して反日キャンペーンを張ったサンフランシスコ・クロニクル紙。朝日新聞の先輩格だが、この新聞は日本を嫌悪する根拠に「BrownStealWhiteBrain」「白人の知恵を盗
む有色人種」を挙げていた。よく言う。
そんな白人を黙らせて来週、四人の日本人がノーベル賞を受賞する。


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変見自在 高山正之の本は面白い15 オバマ大統領につきまとう出生の秘密

2013-11-14 04:37:17 | 読書と映画
オバマ大統領につきまとう出生の秘密(2008/11/6)

イランの古都イスファハンで会社役員が殺された。イ・イ戦争がどうもイランの敗北で終わりそうな気配になったころの話だ。
イランはあれで治安もいい。警察力も高い。
物盗りの居直り殺人と思われた事件は、実は殺された役員の妻と密通していた部下が、道ならぬ恋を成就させるために仕組んだ謀殺と判明した。
犯行には部下の友人も協力し、見張りに立っていたことも分かった。
警察は部下と友人と密通した妻も逮捕した。
イスラムの法廷はアラーの名のもとに行われ、判決もアラーの名で下される。ということは神は無謬だから判決が誤りだとする控訴はあり得ない。裁判は一審で終わる。

判決は部下に対し、上司を殺したのと同じ「ナイフで胸を何度も刺す」目には目式の死刑を宣告した。
妻はコーランが大罪と規定する不倫の罪で有罪とされ、最も残酷な石打ち刑とされた。
そして見張りに立った部下の友人は目によって犯罪に加担した罪で、両眼の抉り出しが宣告された。
処刑は一九八六年四月三日に行われた。その翌日のテヘランの新聞には聖都コムの河原で行われた妻の石打ち刑を見物に来た群衆の写真が掲載された。
石打ち刑は宗教警察官が「腰まで埋められた妻に十ガダームの距離」から「手頃なサイズの石」を投げつけて死に至らしめる。このときは約二十分間で絶命したと記事にあった。
処刑の後の金曜礼拝でカシャニ師は「アラーは慈悲深い。しかしコーランは不義に慈悲は不要としている」と語った。

不倫は文化だと石田純一はいう。日本人もみなそうだと思っている。
そういう日本にはとても馴染みそうもない宗教だが、そのイスラムは七世紀にアラビア半島で誕生してから瞬く間に今のイランを飲み込み、アジアからマグレブヘと広がっていつた。
なぜか。
一つにはコーランやシャリア(スラム法)が衛生や社会規範に並んで契約とか債務、さらに無権代理人など商取引のルールを備えていたからだといわれる。
これは便利だった。それでシルクロードや海の貿易ルートに沿ってイスラム国家が出現していった。

もう一つは親子相伝の規則だ。前述した石打ち刑はもともとユダヤ教のモーゼが決めた戒律だ。またイスラムが定める豚はだめ、羊はいいといった食べ物の規定もユダヤ教の教えそのまま。それを見ても分かるようにイスラムとユダヤ教、キリスト教は同じ神をいただく兄弟宗教になる。
つまりエホバとアラーは同一人物なのだ。
で、そのユダヤ教は親がユダヤ教徒なら子もユダヤ教徒になり、異教徒との結婚は認めていない。
もっとも最近は異教徒との結婚も認め、母がユダヤ教徒の場合は子供は自動的にユダヤ教徒に、スティーブン・スピルバーグのように父がユダヤ教徒で母がキリスト教徒の場合は子供が成人したときにどちらか選択できる方式が認められている。
イスラムはこの親子相伝と異教徒との交わり不可を厳に踏襲した。スピルバーグ方式は認めていない。
これもイランであった例だが、キリスト教徒のドイツ人商社マンが独身イラン女性と恋に落ちて寝たことがばれた。
女は異教徒と交った罪で。ドイツ人はイスラムに改宗しないで女を抱いた罪でともに死刑が宣告された。

イスラム教徒が増えた三つ目の理由は、イスラムから他の宗教に改宗するのを神に対する罪、つまり死刑と決めていることだ。
サルマン.ラシュディが「悪魔の詩」を書いてイスラム世界から死刑を宣告された。理由は実はキリスト教への改宗にあった。改宗できないからイスラムは増える一方なのだ。

先日の産経新聞に「オバマ氏のタブーとは」という古森記者の記事があった。オバマのミドルネームは「フセイン」。ムハンマドの孫の名で、それをいうとイスラムを連想し、彼への不当な個人攻撃になる。だからどこも書けない、というような話だった。
しかしそんな名より父がイスラム教徒という方が気にならないか。
少なくとも白人の母がイスラムに改宗しない限り結婚はできない。それとも彼だけ特別にスピルバーグ方式だったというのだろうか。
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変見自在 高山正之の本は面白い14 真偽を問わない半日ネタ

2013-11-12 00:40:29 | 読書と映画
真偽を問わない半日ネタ(2006/7/27)

日本のジャーナリズムは、知的であることと進歩的であることと左翼指向であることがみな同じだと思い込んでいる。
朝日新聞とNHKと共同通信社はとくにその思い込みが強く、それで「反日、反米、親共産主義政権」を報道の基本に据えている。

例えば今、社会面を賑わしている水谷建設。表向きは何億円も所得を隠し脱税した容疑だが、本当の狙いは北朝鮮と密かに通じて資金を用立てていた疑惑にある。
この会社の名が浮上してきたのも北朝鮮の在日工作機関「科教」へのガサ入れからで、パイプ役には「レインボーブリッジ」という北朝鮮の回し者みたいな団体が介在している。
しかし朝日も共同もこの報道で、パイプ役の団体の名も背後に北朝鮮がいることもとぼけ通していた。
我々はただ怪しいというだけで検証もせずに北朝鮮の名を出すことは差し控えました。金正日首領様にその辺よろしくお伝えください、というわけだ。
もっとも、こうした配慮は共産主義国に対してだけで、嫌いな日本や米国の報道では検証はしない。

朝日新聞の「朝日歌壇」に「米軍が地雷を敷設して誰もいないアフガンの村には砂舞うばかり」という歌が入選したと「正論」がびっくりして書いていた。
アフガンに地雷を撒いたのはソ連だろうが。それも敷設ではない。あの攻撃ヘリMi24ハインドが空から撒いた。子供向けに玩具形の地雷もあった。
選者の近藤芳美の無知はともかく、デスクも記者も米国の疑惑なら真偽を確かめる要なし、としているところがとてもコワい。
こういう風潮は地方紙にも伝播する。今や朝日より赤いと言われるのが西日本新聞だが、そこに載った投書が面妖だと「産経抄」が指摘していた。
「九十歳の老人」の投書の要約は「昭和二十年秋、南京郊外を引き揚げる降伏日本兵に共産軍幹部が機銃掃射しようと周恩来司令官に許可を求めてきた」
白旗を掲げる丸腰の兵を皆殺しにするとはいかにも支那人らしいが、周恩来は「彼らも一握りの軍国主義者の哀れな犠牲者だと部下を諭し、逆にコメを一升ずつ配った」と。

だから「戦争の惨苦を体験したらA級戦犯をまつる靖国神社に参拝しないだろう」と老人は結ぶ。
周恩来を恩人に仕立て日本を目一杯くさす。なかなかよく出来た投書だが、歴史をちょっと調べれば、このとき周恩来は重慶にいたし、南京周辺は蒋介石の支配下だったとコラム子は検証している。
つまり投書は粗雑なでっち上げだったわけで、反日ものは真偽を問わない西日本新聞らしい話だ。

笑わせるのは、このインチキ投書を民主党の代議士横光克彦が調査もしないで国会で取り上げて小泉首相の靖国神社参拝を非難した、とコラムが付け加えていることだ。
議員には月に百万円の文書通信費が出ているのにそれをケチるからこんな恥をかく。
昨年の文藝春秋十二月号に例の「バターン死の行進」のコースをジャーナリストの笹幸恵が歩いたルポが載った。
ここでは日本軍三万に米比軍七万が戦った。その七万が意気地なく手を上げた。
しかし食えなくて戦争を始めた日本側は「ハイ皆さま車にどうぞ。七万人分の捕虜収容所に温かい食事を用意しています」とはいかない。
それで収容所まで八十キロを歩いてもらった。
それが本当に死の行進だったか歩いてみたら「女だてら下痢の身でも歩けました」という記事だった。

「バターン死の行進」は実は過去一度も検証が行われていない。にもかかわらず先日の朝日新聞には論説委員の清水建宇が「数千の死者が出た」と米国の主張そのままをあたかも真実のように書いていた。
反日なら米国のポチにもなりますという根性は立派だが、ジャーナリストなら少しは笹女史を見習ってもよかった。
ところが彼女の軽いタッチの検証に米国からすぐ重量級の反応がきた。
あのサイモン・ウイゼンタール・センターが抗議し、元捕虜の長文の反論を同誌〇六年三月号に掲載させた。
お前らに一言の反論も許さない。検証など以てのほかといった内容だ。
つまり嫌がる者がいる限り、検証はとても大切なことだと伝えてきたのだ。

ジャーナリズムが権力をチェックし、行き過ぎた行動を報道するのに異議はない。しかし、最近のジャーナリズムは始めから意思(結論)を持っていて、その方向に誘導しようとしているように見える。
ジャーナリズムそのものが「権力機構」になっていないか?

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変見自在 高山正之の本は面白い13 朝日の記事は当たらない

2013-11-11 00:23:37 | 読書と映画
朝日の記事は当たらない(2008/5/15)

新聞は人に情報を売って商売しているという点で競馬の予想屋と似ている。
しかし朝日新聞みたいに売る情報がみな大外れでも、ご免でもない。その辺のいい加減さが予想屋とは大違いだと予想屋は言う。
早い話、インフルエンザの特効薬タミフルだ。この新聞は「飲めば走り出してベランダから飛び降りる」と大騒ぎした。
高熱にうかされる、いわゆる熱譫妄はそこらの予想屋だって知っている。
タミフルを飲まない子供も同じような症状を見せると反論されて、後は知らん振りで逃げる。

茨城・神栖町の井戸水から砒素が検出されると「旧日本軍が遺棄した毒ガス弾が元だ」と中国人みたいに騒ぎまくった。
で、井戸の底を掘ったら平成の御世の缶コーヒーが産廃と一緒に出てきた。
予想は外れたのに旧日本軍にかけた濡れ衣は放ったらかしだ。
首都圏で若い女性が何人も強姦され殺された。
小野悦男が捕まると朝日は「代用監獄で取り調べられ自白を強いられた。彼は無罪だ」と騒いだ。
裁判官は朝日新聞社で研修する。このときの竪山真一裁判長も朝日の言うままに小野を無罪にした。
朝日は冤罪を生んだのはマスコミにも責任があると利いた風な記事を載せて小野に謝罪した。
娑婆に戻った彼は5歳の幼稚園児を強姦して首を絞め、41歳の女性を殺して首と陰部を切り取り、証拠隠滅のため死体を焼いた。
朝日は見込み違いで殺人鬼を野に放ち、2人の新たな犠牲者を出したことには謝罪しなかった。


朝日は原子力というだけではなから着外と決め込む。原発など出走も認めない。
今は主筆の船橋洋一はプルサーマルをやめちまえと叱った。日本がプルトニウムを持つと中国が嫌がる。だからやめろと。
昨年の中越沖地震では原発からの漏水で日本海が放射能汚染した、建屋もひびが入って崩壊寸前だと風評を煽り立てた。
しかしIAEAが汚染はなかった、建屋は十分安全性が確保されていたと朝日の記事を全否定した。
そんな嘘まで書き並べて原発を目の敵にしていたくせにガソリンが高騰すると社説で「幸い日本は原子力などエネルギー多様化を進めていたから」大丈夫だとぬけぬけと書く。
朝日は「自由」「人権」とつけばどんな駄馬でも二重丸をつけた。住基ネットは犯罪者の人権を損なうと大騒ぎして最高裁から馬鹿も休み休み言えと諭された。

立ち入り禁止とある自衛隊感謝に嫌がらせのビラをまいた活動家は表現の自由の戦士だとやってこれまた最高裁に再度たしなめられた。
自分の主張がこう頻繁に最高裁に否定されたら己の不明を普通は考える。
在日など外国人の指紋押捺を止めさせたのは朝日の執念だった。
おかげで未検挙犯罪が急増したが、ここにきてテロ対策として入国外国人の顔写真と指紋取りがなんとか復活できた。
朝日はいきり立って林伯耀なる無名の在日中国人に「日本の役に立ちたいのに裏切られ、傷ついた」と書かせた。
親切に留学させてやったのに殺しでお返しされる日本人のほうがどんなに裏切られ傷ついているか、こっちこそ知ってほしい。
ちなみに朝日の反対を押し切って復活した指紋取りの結果、初日だけで中国人犯罪者など5人を、1か月の累計で95人を摘発したと法務省が発表している。
単純計算で年間1000人超の犯罪者が大手を振って日本にきていたわけだ。
朝日がいかに外国人犯罪者に慕われているか、よく分かる数字だ。

競馬の予想屋はその馬の強さを占うのに血統を重視する。種牡馬はスピードシンボリだとか。
ところが朝日はこの血統を妙に隠したがる。
いい例がある。野村證券のM&A担当社員が「知り合いの兄弟」と図ってやったインサイダー取引だ。
朝日は「野村は社員にどんな教育をしていたのか」と社説で怒ってみせるが、日本人社員はそんな悪さはしない。係わったのはみな中国人だ。
肝心のファクトを教えないのでは新聞社はともかく予想屋は務まらない。

朝日新聞が日本を貶めているのに、のうのうと存続しているこの事態は不思議だ。かって、クオリティーペーパーと呼ばれ「天声人語」が入学試験によく出るので、読んでおかねばの時代もあった。
「安倍の葬式は家が出す」と宣った輩もいると聞く、何か勘違いしているメデイアだ。



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変見自在 高山正之の本は面白い12 裁判官の相場

2013-11-09 00:39:19 | 読書と映画
裁判官の相場(2008/6/12)

裁判には裁判官が作った相場がある。
一人殺すと求刑は懲役10年前後。裁判官は判決を、その7掛けにするというのが基本相場だ。
これにむごい殺し方だとか逆に同情すべき点があれば5%の増減をつける。
それで「罪と向かい合って生きなさい」と付け加えれば判決が出来上がる。

実際の裁判もこの通りで、例えば横浜・伊勢崎町で古希間近の夫が若い妻に不倫をなじられ、ナイフで刺し殺した事件は求刑の7掛けで懲役7年だった。
群馬・安中で理容業を営む妻をカネの恨みから夫が殺した事件は殺し方がひどかった。夫は鉄棒で殴って半殺しにし、灯油をかけて焼き殺している。
求刑は15年で、判決は7掛けに惨さ5%を加えてぴったり11年だった。
東京・足立区でNHKの集金人が妻をいたぶり、ついには殴り殺した。
愛人も同居させるNHKそのものみたいな変態亭主は、その愛人に手伝わせて妻をバラバラにした。
判決は懲役10年、殺人分が相場の7年、バラバラにした分が3年という計算で、日ごろの暴力は見逃してもらっている。
この「バラバラは3年」も相場だ。お台場のマンションでフィリピン女性を殺して洗濯機で血抜きをした野崎浩の前科がそれを証明している。
彼は8年前に当時交際していた女性をバラバラにした廉で裁かれた。

日本の裁判官は指紋とかの状況証拠を好む。考えないで済むからで、高度な状況証拠は頭が痛くなるので採用しない。
だから野崎が女性を殺した状況証拠は却下し、バラバラにした分だけで懲役3年とした。ただ殺害は間違いなさそうで、それを加味して3年6月とした。
裁判とはその程度のもので、だからストーカーしながらでもこなせる。

ただ、これは男が犯人の場合で、女にはこの相場は使わない。
例えば福田和子の場合、彼女はカッとなって同僚を殺してしまう。彼女は名を変え、顔も変えて時効ぎりぎりまで逃げ回った。
逃亡は犯罪者の心理として当然で、それで罪を重くされることはない。
それに彼女には情状もあった。18歳のとき悪い男につまずき、盗みの手伝いをして捕まった。
その未決拘留中、彼女は房内で強姦される。収監中の暴力団組長が看守を買収して刑務所内で飲んだり打ったり好きをやった。
いわゆる松山刑務所事件だが、組長はこのとき彼女に目をつけ、看守に房を開けさせ暴行した。
彼女が世間に不信感を持つに至った原因だ。
そんな情状も踏まえればまあ5年でもおかしくないが、判決は仰天の無期懲役だった。

96歳の母が知的障害の息子の先行きを思って道連れ心中を図ったが、息子だけが死んだ。
名古屋地裁はそんな母を1年間、拘留させたうえ3年の実刑を宣告した。女に情けは無用。白寿は刑務所の麦飯で祝え、と。
東京・渋谷で夫を殺して遺体をバラバラにした三橋香織はどうか。
夫は家庭内暴力の常習者で、彼女を拳骨で殴り、鼻の骨も折っている。
裁判では検察、弁護側双方が彼女の精神鑑定を行い、「夫からの絶え間ない暴力にさらされ一時的な心神喪失の状態にあった」との鑑定結果が出されていた。
米国で判例として確定している「殴られる妻症候群」と同じ内容だ。
男の相場ならバラバラ分が3年。殺しが7年だが、心神喪失を考慮してこっちは無罪。合わせて3年というところか。
しかし河本雅也裁判長は職権でその鑑定をボツにして懲役15年とした。
女は原罪を背負うというユダヤ教徒もここまでは差別しない。

同じ渋谷で兄が妹を殺してバラバラにした。
同じ地裁の秋葉康弘裁判長は懲役17年の求刑に対して、殺人分は相場通りに7年と計算。
しかし、バラバラ分については「15にも切り分けた獰猛さはまるで別人」という鑑定を根拠に「別人格の犯行」だからゼロとした。
というわけで判決は香織の半分の7年だった。
偏見のない、まともな神経を持った裁判員が待望される理由がここにある。

裁判官は難関の司法試験を通ったのだから、優秀なのは確かだろう。しかし、優秀と言うのは「頭がいい→記憶力がいい」のであって、人間的に優れている訳では勿論無い。
世間から隔絶しての生活で国民の付託に応える判決が導けるのか?

裁判員制度が導入され一般市民の感覚が司法に生かされるかと期待した。
しかし最近、裁判員が決定した死刑判決が上級裁判所で覆される事例が多い、上級裁判所には裁判員は含まれない。一般市民はどちらかと言えば”人一人を殺した判決の罪が軽い”と見ているのではないか?私はそう感じている。
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変見自在 高山正之の本は面白い11 バターン死の行進

2013-11-08 03:25:47 | 読書と映画
バターン死の行進(2008/7/3)

人にはつらい日々の思い出がある。
個人的にはイボ痔の手術がそれになるか。記憶は細かい。手術前に脊椎にキシロカインを打たれた感触も覚えている。
その恐怖の記憶も術後の痛みには敵わない。
イボ痔はお尻の菊の花にできる静脈瘤だと思えばいい。それを切除するのだが、切った後は縫合しない。
神経が一番密集する部位が切られて赤剥けのまま放置されるのだ。
身じろぐだけで頭の天辺まで激痛が走る。呼吸するだけでもずきんとくる。廊下を歩く足音も響く。
そんな痛みの頂上で医師が下剤を飲ませる。普通どおり排便してください。
腹が鳴り出せばトイレに行かなければならない。
四つん這いになれば痛くなさそうだったが、やってみたらそっちの方がはるかに痛みは酷かった。
トイレには鉄棒が嵌っていて、それが苦痛で身悶えするときに摑まる棒なのだと初めて知った。
少なくとも術後二日間は生きた心地もしなかった。
しかし今になるとそれも懐かしい体験に思えてくる。怪我をした時もあの痛さよりもマシと思ったりする。

何でこんなことを思い出したかというと朝日新聞に「レスター・テニーさん来日」とあったからだ。
彼の名は二年前の文藝春秋誌で知った。

笹幸恵女史が「バターン死の行進」を歩いてみました、という話を同誌に書いた。それにすごい形相で文句をつけてきたのだ。
バターンとは先の大戦の劈頭、日本軍と米軍が戦ったところだ。
ところが敵の大将マッカーサーはさっさと逃げ出し、残った7万将兵も殆ど消耗なしで手を上げた。
食えないで戦争を始めた日本だ、そんな大人数を運ぶトラックなんて持ち合わせがあるわけでなし。
で、彼らを歩かせた。一泊二日で八十㌔の行程だ。西村知美だって日テレの「24時間100㌔マラソン」を走っている。
大の米兵がそうしんどがる距離ではないと思う。
笹女史も「風邪気味でも歩けた」と書いている。

そうしたらレスター・テニー氏はこの記事に噛みついてきたのだ。「あの死の行進をおちょくり、冒瀆するとは何事か」と。
彼はその怒りをサイモン・ウィゼンタール・センターを通して文藝春秋に伝えてきた。
同誌は怯えて、彼の言い分をそっくり載せている。バターンは休息もなかった、休めば日本軍が銃把で殴りつけた、彼らは疲労で倒れた捕虜を容赦なく殺した、という風に書く。
日本軍はそんな振る舞いはしないし、だいたい八十㌔を徹夜で歩いたわけでもない。一泊している。
そんなゆるい死の行進があるだろうか。

そう呼べるのは、例えばチェロキー・インディアン一万五千人をジョージアからオクラホマまで二千㌔を歩かせたケースくらいではなかろうか。
冬をまたぐ半年の過酷な旅で死者は八千人を数えた。飢えと寒さの中でチェロキーはあの「Amazing Grace」を歌って励ましあったと伝えられる。
米国ではこれを「Trail of Tears」(涙の旅路)と呼ぶが、むしろこっちを「死の行進」と名付けた方がいいのではないか。
しかし朝日のテニー氏訪日記事ではそうした呼称変更を提案するでなし、ひたすら「バターン死の行進」を真実と評価して、その痛みはイボ痔の手術とは比較にならないほど深く、痛ましいと決めてかかっているように見える。

朝日はボツにしたが、テニー氏と前後して元捕虜だった英士官サミュエル・フォール卿も来日した。
卿はスラバヤ沖海戦で日本海軍に沈められた英巡洋艦の乗員で、鮫の海を漂流中、駆逐艦「雷」に救助される。
卿は米潜水艦に攻撃される危険も顧みないで救助する日本人の姿に感動すら覚えたという。
この辺は惠隆之介「敵兵を救助せよ」に詳しい。
卿はテニー氏と同じに捕虜収容所に入り労役も体験したはずだが、戦後二人は全く違う道を歩む。
一方は新聞を通じて脚色のない日本人を懐かしい思い出として語る。
もう一方は罵倒を繰り返す。日本人にはそれが気の毒に見える。

戦争は結果として勝者が歴史を作る。だから負けてはいけないのだが・・・・・
難癖を付けだせばきりがない、捕虜に牛蒡を食べさせたら「木の根を食べさせられた」と非難されたりもした。しかし、死の行進はまったくのデタラメだ。
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変見自在 高山正之の本は面白い10 イルカ漁批判なら、アザラシ殺しは?

2013-11-06 01:14:15 | 読書と映画
イルカ漁批判なら、アザラシ殺しは?(2010/6/24)

たて琴アザラシ(harp seals)は回遊性で、夏はグリーンランドで過ごし、冬は大西洋を渡ってカナダのセントローレンス湾に下ってくる。ニューファウンドランド島の西側の湾だ。
生息数は約七百万頭。「たて琴」の名は成長するとそれらしい白い模様が背中にできるためだ。
セントローレンス湾は冬季、流氷で埋まり、その氷の原で彼らは求愛し、春が訪れる頃に赤ん坊を産む。
真っ白な羽毛のような毛に包まれた赤ん坊アザラシは黒い大きな目を瞬かせてそのままぬいぐるみになりそうなほど愛らしい。
 
実際、それを見るためのツアーがあって、成田発一週間の日程で費用は三十八万円くらいという。
ツアー客はセントローレンス湾の中央にあるマドレーヌ島で生まれたてのアザラシを見るのが定番だ。
日本からのツアーとは別にカナダの沿岸警備隊もこの時期、氷上の赤ちゃんアザラシを探す。
首尾よく発見すると無線で沿岸の漁港に連絡する。数千人の白人漁師が知らせを受けて船を出し、沿岸警備隊の砕氷船が流氷を砕いて彼らをアザラシの群れに導いていく。因みにこの砕氷船は「海の導き人(Sea shepard)」と呼ばれる。

白人漁師は群れの中に入り、産まれて二、三週間の赤ちゃんアザラシを見つけだしては約二㍍の梶棒で頭をぶん殴って殺す。頭を狙うのは売り物の皮革を傷つけないためだ。
傍にいた親が我が子を守るために手向かうと「人間様の生命にかかわる」から銃で殺していいというカナダ政府のルールがある。
子アザラシは根棒を口に突っ込まれて身動きできないよう固定されて生皮を剥がされる。真っ白な氷原はアザラシの鮮血で赤く染まって行く。
カナダ政府は「瞬きの確認」規則を義務付ける。棍棒で殴っても中にはまだ生きている場合もある。黒いつぶらな瞳が瞬いているかどうかを確認し生きていたらもう一度ぶん殴って息の根を止めてから生皮を剥げという規則だ。
しかし殺される約三十万頭の子アザラシの半分が生きたまま生皮を剥がれているのが実情という。
子アザラシの革は柔らかくそれでいて保温に富み、コートや防寒靴に最適とされ輸出の花形になっていた。

ただ白人社会でもここまで残酷な狩りに反発もあった。これに対してカナダ政府は「先住民イヌイットが伝統猟としてやっているだけ」と言い訳した。残忍さは非白人のものだと。
しかしイヌイットは自給分にほんの何百頭か獲るだけ。九割九分までが白人がやっていたことがばれて英国は輸入禁止にもした。
カナダ政府はすかさず最近の鱈の漁獲量激減は「たて琴アザラシが増え過ぎたため」と言い出した。
鱈を喰うのはこのアザラシだけではない。鯨やイルカの方がもっと喰う。
 こういう大食いの海獣の適正化こそ日本が国際捕鯨委員会で主張してきたことだが、カナダ政府はそうは言わない。言ったら赤ん坊アザラシの残酷狩りはだめになるし日本苛めの理由もなくなってしまうからだ。

その辺は米国も英国も心得ていて、見え透いた「たて琴アザラシ犯人説」に納得して、白い氷原を赤く染める赤ん坊アザラシ殺しは今年も盛大に行われた。
ただ今年は暖冬異変で流氷が早めに溶けて子アザラシの収獲が順調ではないとニューヨークタイムズがこの三月に報じていた。
同じころ米国人監督が和歌山・太地町で隠し撮りしたイルカ漁の記録映画「The Cove(入江)」がアカデミー賞を受賞した。
描くのはほんの何頭かのイルカを入江で獲る追い込み漁風景だが、シホヨス監督は日本人がセントローレンス湾の白人漁師とは違ってイルカの子や子持ちの母イルカは殺さないことはわざと触れない。
この監督は白人種として未開の有色人種・日本人に残酷はやめよと説教する。
それなら次はセントローレンス湾の記録映画「The Gulf(湾)」を撮ってほしい。アカデミー連続受賞も決して夢じゃないと思う。

それなら牛はどうなんだ、アメリカ人は牛肉が無くなったら狂ってしまうだろう。アメリカ大陸に入ってインデイアンを駆逐すると同時に、バッファローも根絶やしたでないか。
豚はいいのか?羊は許容範囲か?
お前たちに鯨を禁止する異常なまでの熱意があるなら、こうした事実を認めてからにしろ
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変見自在 高山正之の本は面白い9 凶悪犯より性質が悪い官僚

2013-11-05 02:13:08 | 読書と映画
凶悪犯より性質が悪い官僚(2010/1/28)

滝谷福松は三島由紀夫の事件を収監中の宮城刑務所で知った。
自ら短刀で腹を掻き切り、森田必勝が介錯した。切り落とされた三島の首の写真が新聞に載っていたと受刑者の一人が言った。
男らしいともう一人が言った。勇気があると。
滝谷も事件に強い衝撃を受けた。俺も三島さんに感銘した。実は俺も殺しをやって、その罪を他人になすり付けて逃げた。出所したら名乗り出る。「男として出直す」と仲間に言った。
4カ月後に出所した滝谷は読売新聞に「弘前大教授夫人殺しは私がやりました」と名乗り出た。

事件は昭和24年に起きた。弘前市在府町の弘前大教授松永藤雄宅で妻のすず子が就寝中、何者かに喉を切られて殺された。
近くに住む那須隆が逮捕され、彼のシャツについていた血痕の鑑定から彼の犯行と断定された。
彼は否認した。那須与一の血筋を引く家名を汚せない。前非を悔いて見せたら減刑するという取引にも応じなかった。ために未決拘留も含め懲役15年を丸々勤めさせられた。
すべてが終わったところで滝谷が出てきた。彼はミシン修理に行って被害者と面識もあり、犯行時の家の様子など犯人しか知りえない事実も供述した。紛れもなく滝谷の犯行だったことが明らかになった。

那須は仙台高裁に再審請求を出した。
当然再審開始と世間は思ったが、高裁は却下した。裁判官も検察も弁護士もなぜ却下なのかに納得する説明をしなかった。
2年後、那須は二度目の再審請求を出した。今度はあっさり受理され、決め手だった血痕鑑定は間違いだった、あんたは無罪だという判決が出た。
ではなぜ2年前は却下されたのか。それは東大教授の古畑種基がその鑑定をやったからだった。彼は科警研所長も務め、文化勲章も受章した人だ。

真犯人の登場で彼の鑑定がいんちきとばれた。
古畑は再審法廷に引き出され、無実の者を罪に落とした学者として世間の晒しものになる。
それで無名の一市民の汚名は雪げても、東大の名声も、司法、文化勲章の権威も傷付く。代価が高すぎる。再審請求は蹴ってしまえが真相だった。

では今回はなぜOKだったのか。幸いというかその間に古畑が鬼籍に入った。もう喚問もできない。本人がいなければいんちき鑑定は警察の捏造かなんかにすればいい。ちなみに財田川事件の谷口繁義など彼のいんちき鑑定で死刑が宣告された3人もこのあと次々再審無罪になった。

先日、元厚生次官宅を襲って二人を殺した小泉毅の求刑公判があった。
彼は犯行に及ぶ前、身辺整理をしていた。親しい女性と最後の食事をし、親に別れの手紙を書いた。易水を渡る荊軻に我が身をなぞらえていたのか。
司法当局は彼の犯行を不浄役人へのテロと察知した。これだけいい加減やっていれば襲われてもしょうがない事態だった。
それで襲われそうな元官僚の身辺警護を警察に下知している。小泉が出頭した後も単独犯かどうか見極めがつくまで3週間近く警護を解かなかった。
小泉は宅配を装うなど犯行は緻密で頭脳的だった。そのくせ子犬の仇を取ったと犯行動機を語る。

まともと思えないが、彼を裁く法廷もまたまともとは言えなかった。
まず当初のテロという見方を消した。官僚の実態は隠さねばならない。
次に精神鑑定。今回は検察側がやって「異常なし」と結論した。弁護側も申請したが、裁判長は一度やれば十分と却下した。
鑑定は水ものだ。心の病ありとされたら減刑になる。それでは我が身内の官僚をやった小泉を吊るせなくなると考えたのか。
法廷でも検察は「異常」という表現を避け、論告求刑も「きわめて理不尽で凶悪で計算高い」と「異常」ぶりを表現する。計算高ければこんな犯罪はやらない。
弘前の事件同様、彼らの都合がまず優先される。

深い闇を感じざるを得ない・・・・・
変見自在の素晴らしさの一端がここにある。こうした事を新聞が伝えましたか、テレビで報道致しましたか?



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