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昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

変見自在 高山正之の本は面白い8 お前はどこの国の記者なんだ

2013-11-03 03:55:38 | 読書と映画
お前はどこの国の記者なんだ(2010/5/20)

国際社会学でいう外国とは自分の国から見て「隣の国」と「隣の国の隣の国」の二種類しかない。
このうち隣の国はそれがまともな国であっても常に疎ましく厄介な存在と定義されてきた。出来も育ちも悪い国はもはや厄災そのものといえる。
後者の典型が日本にとっての朝鮮になるか。

この国とは文化の流れすらなかった。高松塚古墳が見つかったとき、向こうの学者がきてあの玄武の壁画は向こうのなんたら古墳そっくりスミダとか言った。
それはスッポンを紐でくくったような図で、それをどう見れば精緻な高松塚壁画の原図と言えるのか、みな首を傾げたものだ。
こんな主張をするだけあって性格は「隣の騒音おばさん」に似る。
明治維新、日本が親切に開国を促すと大声で喚いて騒ぎまくる。
そこまで聞きわけないならと日本に征韓論が起きる。ついにはあんな国のために日本人同士が田原坂で殺し合い、隆盛ら多くの有為な人材を失ってしまった。

日清戦争も同じ。朝鮮は中国に庇護を求めて、支那と日本が戦った。
日本が支那を叩き潰すと、朝鮮は次に日本の最も恐れるロシアにすがる。かくて日露戦争が起きる。
日本はその朝鮮の目の前で世界一のロシア艦隊を撃滅する。二つの戦争で日本は十二万将兵を失った。
まさに日本にとって厄病神みたいな国だ。

こんな国について先日から朝日新聞が「百年の明日・ニッポンとコリア」と題する連載を始めた。
あの国とは葬式と火事だけの付き合いにしろとかの「村八分」の勧めかと思ったら違った。
「ハングルは15世紀に世宗のもとで考案され、広められたが、日本の統治時代にはこの民族固有の文字は厳しく弾圧され、日本語を強制された(ソウル=稲田清英)と一回目は書きだされている。」
一読、驚く。輿石の教科書だって嘘はもう少し分からないように書く。

だいたいハングルとは今、南北朝鮮で使っている表音文字をいう。世宗が日本の仮名を真似て創った諺文(おんもん)がそのオリジナルだ。
稲田は「広められた」としているが、これも嘘。世宗のあと、李朝の王らは諺文(おんもん)の使用を禁じ、漢語漢字こそ神聖とやった。朝鮮のオリジナル語もほぼ八割方が葬られてしまう。
諺文(おんもん)が息を吹き返すのは稲田のいう「日本の統治時代」で、福沢諭吉が諺文と識字率を高める学校教育の普及を説いた。
彼の門下の井上角五郎が諺文(おんもん)の活字を作って朝鮮に持ち込み、今のハングルの礎を作った。因みに日本はたった数百校だった小学校を約四千校に増やし、学校にも行けなかった常人(小作人)やの子供も通えるようにした。

のちに大統領になる朴正煕もその一人で「日本の役人が親を説得して小学校に通えるようになった。頭がいいからと授業料のいらない師範学校に進学させてもらい、陸軍士官学校にも入れた」と語っている。
これがどうして「民族固有の文字は厳しく弾圧された」になるのか。彼はさらに「日本語を強制した」とまるで悪い事みたいに書く。
そうじゃない。朝鮮の民は日本のおかげで読み書きができるようになった。でもそれではトルストイやカントは読めない。なぜなら諺文訳の「戦争と平和」などないからだ。読むには英語や独語、露語をすべて学ばねばならない。
ただ日本語を学べばすべてが読めた。世界中の古典を一つの言葉に訳した「世界文学全集」はあの当時も今も、日本にしかなかった。
その時代、文明に通じる道は日本語だった。
だから支那人もビルマ人もベトナム人もみな日本に留学して世界を学んだ。
日本の国際化は英語だと平川祐弘は言う。少々疑義はあるが、少なくともあの時代、アジアでは英語に相当したのが日本語だったのだ。
稲田某は自分の記事を縮刷版から削除するよう頼むがいい。さもなくば代々嘘つき記者の汚名が残る。

朝日新聞の発行部数が激減しているらしい。


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変見自在 高山正之の本は面白い7 非道な中国の去り時

2013-11-01 04:04:44 | 読書と映画
非道な中国の去り時(2005/7/28)

アメリカのロサンゼルス空港で乗ったタクシーの運転手が、こっちが日本人と知って「申し訳ないことをした」といきなり謝ってきた。
彼は、ソ連崩壊のあとウクライナからやってきたユダヤ人で、彼らのコミュニティーには日本にまつわる言い伝えがあった。
「イスラエル12支族」のうち10支族が消えたと『旧約聖書』にあるが、その1つが日本人だったというのだ。
なのに「ユダヤ人のオッペンハイマーはその日本に落とす原爆を作った」というのが謝罪の理由だった。
そんなことがきっかけで、ウエストハリウッドにある彼の家にも遊びに行くようになった。

この運転手に聞きたかったのは、旧ソ連でのユダヤ人の生活だ。
森繁の『屋根の上のヴァイオリン弾き』にあるように、ロシアはユダヤ人集落を襲い掠奪を欲しいままにするポグロム(ユダヤ人迫害)の本場だ。
彼も子供時代、キエフでそれを体験し、身内を殺されているが、「ロシア人よりグルジア人のスターリンの方がもっと陰険でひどかった」と言う。
「身分証明書は氏名、生年月日などが4行で書かれるが、我々のには5行目があった。ユダヤ系と書かれていた」
そしてある日、自宅から追い出され、他の「5行目」の人々と一緒にカザフの街に送られた。
カザフからは逆にその地のタタール人がロシアの各地に送り出された。
「タタール人を分散させて彼らの結束力を奪う。それでも武装蜂起すれば、最初にやられるのが我々5行目たち。ソ連のための人間の盾というわけだ。」
スターリンの残忍さ、人でなしぶりが実によく分かる話だった。

こんな性質(たち)の悪い為政者は、スターリンが最後かと思ったら、そうでもなかった。
自衛隊がイラク南部のサマワに展開している。
ここはシーア派のアラブ人の居住区だ。欲深で、自衛隊が水道の敷設やらをタダでやってやろうというのに、駐屯地の地代に何百万ドルもよこせと言い張る。そんなアラブ人に混じって、ここに異民族のクルド人が「何万人も住んでいる」という報道があった。
クルドはイラク北部の山岳部に住む。宗派はスンニ派。サダム・フセインとは昔から仲が悪く、湾岸戦争の折にはサダムがクルドの街に毒ガスを降らせた。
そのクルドが故郷を遠く離れた、それもシーア派アラブ人地区にいる意味は一つ。クルド勢力の分散とシーア派蜂起に備えた「人間の盾」だった。

先日、瀋陽(シェンヤン)を訪ねた。
かつて中国人を屈服させ辮髪(べんぱつ)を強いた満州民族の清が最初に都した街だ。そこで中国人の通訳が「今や満州族はほんの数万に減った。北京の故宮に書かれている満州文字を読める者も十人といない」と笑った。
満州族の激減の理由を聞くと「いや新疆ウイグルには何十万かいる」と。ウイグルは中国の西の端で満州からは3000キロも離れている。しかもそこはイスラムを信仰するソグド系の民の国になる。彼らは中国の支配を好まず、独立を叫んで北京政府と何度も衝突してきた。
そこに3000キロ彼方から満州族が来た。好きで移住したわけではない。ウイグルが決起したとき最初に血祭りに上げられる役割を北京政府が担わせたのか。

7月5日付の朝日新聞に「チベット族、警察を襲撃」というベタ記事があった。「中国東北部の吉林省長春でチベット族数十人が警察を襲い、警察側は300人の警官が応戦、1人を逮捕した。長春の市街地で警官がチベット族の所持品検査を行ない、ナイフを没収しようとして争いとなった」というのがあらましだ。
吉林省は瀋陽のある遼寧省の隣、脱北者が逃げ込む朝鮮族の国だ。そこからチベットまでは新疆ウイグルより遠い。
ここにチベット族がいる理由もまたウイグルにいる満州族と同じだろう。
スターリンからサダム・フセインに引き継がれた「民族の分散淘汰」という非道な手法は、中国の胡錦濤(こきんとう)が引き継いでいた。彼はそう時間をかけずにチベット人も満州人もその文化ごと滅ぼしてしまうだろう。

こんな国が国連の「安保理常任理事国」であることに世界は呆(あき)れている。早々にそのポストを去るがいい。
後は心配ない。常任理事国にもっと相応しい「日本」という国があるのだから。

コソボ、ルワンダ、中東諸国・・・・民族間の争いは憎しみから多民族壊滅までエスカレートする。
領土、資源、宗教等々国家間の争い事は様々だが、民族紛争がもっとも厄介ではないだろうか?加えて宗教問題が大体は付いてまわる。

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変見自在 高山正之の本は面白い6 中国空軍なんか怖くない

2013-10-29 02:13:02 | 読書と映画
中国空軍なんか怖くない (2008/7/10)

日本が支那をよろしく指導し力を合わせるようになれば、白人国家はアジアにもつ権益つまり植民地を失うと、F・ルーズベルトは考えていた。
だから支那を日本から引き離し、反目させる、というのが彼の戦略だった。
支那人は無能なくせに虚栄心が強い。それで強欲というしょうもない性格をしているが、それを理解すれば操るのは簡単だ。
で、宋美齢を米社交界に入れ、蒋介石には偉大な支那が日本如きにつき従うのかとけしかけた。
蒋は考えた。日本と組んでアジアのために白人列強と戦ったところでどれほど勝ち目があるのか。
彼は迷わず英米側に寝返る道を選んだ。そしてカネと引き換えに南京大虐殺とか日本を陥れる様々な嘘を捏(こ)ね上げた。嘘は支那人の特技だ。それが役に立ったわけだ。
ルーズベルトは蒋に寝返りの証拠として日本との全面戦争をやれと命じた。
ただ蒋介石は空軍を持っていなかった。対日戦で大いなるハンデになるから、それは米国が全面支援することにした。

最初に飛行教官を買って出たのは退役飛行士のロバート・ショートだった。
彼はボーイング社製の複葉軽爆を売り込みがてら南京に単機、飛んだ。ちょうど第一次の上海事変のころで、彼は空母「鳳翔」から飛び立った三式艦上戦闘機の一群と遭遇した。
彼は迷うことなく攻撃に出てあっけなく撃墜された。
これが日本海軍機による初の撃墜記録になる。
彼はなぜ無謀な空戦を挑んだのか。ジョン・ダワーの「人種偏見」によると、当時の英米では日本への嫉妬から「彼らは背負われ、揺すられて育ったから内耳管に欠陥がありバランスがとれない」「近眼で射撃も急降下爆撃もできない」「技術不足でろくな航空機をもっていない」といった偏見がまかり通っていた。
そんな相手だ。全機撃ち落としてやるかと彼は思ったのだろう。白人優越主義が生んだ喜劇といえる。

しかし米国は彼の死から何の教訓も得なかった。
米国はJ・ジョエットを次の教官として送りこみ、百人ほどの支那人パイロットの養成をしたが、供与した機材はカーテイス・ホークⅡなどの複葉機だった。
対する日本はとっくに低翼単葉の三菱九六式艦上戦闘機を投入していた。
米国は第二次上海事変の前にクレア・シェンノートを軍事顧間に派遣し、機材も日本並みの低翼単葉のノースロップⅡEを入れて増強を図った。

ただ問題は支那人パイロットの技量だった。
シェンノートと宋美齢が立ち会う中、夜間攻撃から帰投する支那軍機の様子が「シエンノートとフライング・タイガース」(吉田一彦著)にある。
「一番機は滑走路を駆け抜け水田に飛び込み、二番機は地上で宙返り、爆発炎上した。四番機は消火に急行した消防車に激突した」。結局、十一機のうち五機が着陸に失敗し、四人の操縦士が死んだ。
そのシェンノートの指揮で五機のノースロップ機が上海・黄浦江に入った巡洋艦「出雲」の爆撃に出た。
四発の爆弾が落とされたが、一発は黄浦江をのぼる汽船に当たって船は沈没する。
残りは外灘(バンド)のパレスホテルや娯楽場「大世界」の前に落ちて千数百人が死傷する惨事になった。
まともに着陸もできない支那人パイロットの技量ではしょせん急降下爆撃などは無理だった、ということだろう。

ところが、この惨事について英米の新聞は実に奇妙な論評をしている。
例えば「米国人記者が見た戦前のシナと日本」の著者J・パウエルは「細心の注意を要する爆撃配置につく前にジヤップに攻撃されて」負傷した支那人パイロットは帰投するのに邪魔な爆弾を途中で落としたらそれが「込み合う大世界前の広場を直撃した」と。
未熟な支那人操縦士が細心の注意を払っているときにそれを日本側がかき乱した。責任は日本側にあるという書き方だ。
それなら若葉マークを付けて飛べばいい。
先日の情報誌に支那が米本土にも飛べるステルス爆撃機「轟8型」を開発したとあった。
あまり怖さを感じないのはなぜだろう。

中国が空母を持った、それも中古品ではあるが・・・・・
空母の離着陸は相当に技術が必要だそうだ。上記を読んで・・・本当に大丈夫かと心配してしまう!!
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変見自在 高山正之の本は面白い5 残忍な米国ならいざ知らず

2013-10-28 04:15:05 | 読書と映画
残忍な米国ならいざ知らず(2005/8/11)

 映画「パール・ハーバー」の中で、日本の艦載機が病院を銃爆撃し、患者や看護婦がばたばた殺されていく場面があった。日本軍の残虐さを訴えたかったらしいが、これに石原慎太郎知事は「嘘が過ぎる」と怒った。
真珠湾やヒッカム飛行場攻撃ではこの種の言い掛かりが昔からあったと、羽田記者クラブ時代に付き合いのあった日航機長の藤田怡与蔵氏が言っていた。氏は民間航空パイロットとしては異例の旧海軍出身で、真珠湾攻撃にも参加したが、「米軍のパイロットならいざ知らず、日本軍はそんなことは思いつきもしない」と。

確かに、米軍パイロットはそういうこことを平気でやったと慎太郎知事が体験談を書いている。「麦畑を走っていると、米軍のP51がきて機銃掃射された。胴体に原色で漫画が描かれていた」。
二子玉川の床屋で聞いた話だが、戦時中、あの橋を東京側に逃げる若い女性を、米軍機が低空で追って撃ち殺した。パイロットの顔が地上から見えたそうだ。
教育出版の教科書に「夏の葬列」というのがある。疎開した男の子が地元の女の子に庇われて米軍機の機銃掃射から逃れる。でもちょっとした諍(いさか)いがあって女の子が外に飛び出して米軍機に撃ち殺される。作者の意図とは別に「米軍のパイロットは子供まで狙い撃ちしていた」ことを図らずも告発している。

米国はまた日本の文化財に敬意を表して京都を爆撃しなかったと主張する。これも米軍の公式資料を調べれば大嘘とわかる。即ち原爆の投下候補地は①直径3マイルを超える都市で②かつ有効な損害を与えられる地形をもち③通常爆弾による爆撃をしていないことが条件だった。
これに適うのが京都、小倉、新潟、広島、長崎などで、中でも盆地状の京都市街は申し分なかったため、本土爆撃が始まってからも一切の通常爆弾による爆撃は行なわれなかった。確かに最終段階で第一候補の京都に“執行猶予”がついたのは事実だが、それをもって「京都を守った」とはよくも言えたものだ。

広島もまた同じ。原爆を落とし、それがどれほどの人的、物的被害を及ぼすかを測るために、ここも通常爆弾を落とさなかった。それを元長崎市長の本島等は「広島は殺人軍団・第五師団の本拠地。原爆を落とされて当然」と言う。そんなに危険な軍都なら、原爆ができる前にとっくに通常兵器で爆撃しているはずだ。こういう馬鹿を言う人につける薬が欲しい。

米国はもう一つ、この原爆を落とすに当たって「日本には継戦能力があり、米兵百万が失われるおそれがあった」とも主張する。昭和20年の日本は、原爆用の都市以外の都市はすべて焼かれ、飛行機も船もなかったが、米国は「戦争を継続する能力あり」と判断したのか。
  鳥居民氏は「原爆が完成するまで日本に降伏させなかった」と著書で説く。
8月6日に考えてみることは多い。

加えて、広島に事前通告したとの虚偽まで明らかになっている。
別な項で出てくるが東南アジア戦線では、降伏して捕らえた日本兵に生きたままガソリンをかけて、火を点けたもある。
アメリカは残忍な国民性を持っている。
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変見自在 高山正之の本は面白い4 硫黄島の英霊をなおざりにした国会議員

2013-10-25 02:15:03 | 読書と映画
硫黄島の英霊をなおざりにした国会議員(2010/4/8)

硫黄島は東京の南、千三百キロのところにある。
南端の摺鉢山から北の端までたった八キロのこの孤島に二万一千人の将兵が拠って米軍と戦った。
米軍の硫黄島上陸は昭和二十年二月十九日だった。

彼らは前年秋からほぼ毎日、爆撃機を飛ばして爆弾を降らせ、上陸前には丸三日間、一万五千トンの砲弾を撃ち込んだ。
「生き残りがいるとしても、その処分は五日もあればいいだろう」と米軍は思った。
しかし上陸した米兵は正確な砲撃で片端から吹き飛ばされていった。

最初の三日間で米側の損害は千七百人に達した。ノルマンディ上陸作戦のそれを上回る数字だった。
ここを守る栗林忠道中将は地下に壕を巡らせ、将兵を潜ませ、砲も分厚いベトンで囲んだ上に砲台そのものを厚い土で覆って米軍の砲爆撃をしのいだ。
上陸部隊を待っていたのはほぼ無傷の日本軍だった。

ただその地下壕が凄まじい。今は海上自衛隊が管理する滑走路のすぐ脇に千田少将の壕が残る。垂直に三メートルの縦坑を降り、七メートルの急勾配の階段を下り、通路の先をまた数メートル降りたところに少将の部屋があった。
壕内は地熱と水蒸気でじっとしていても汗が噴き出す。サウナに近い。
実は硫黄島自体が活きている火山で、滑走路には噴出するガスを逃がす管が走り、間近に噴煙と熱水を噴き出す火口が望める。火山活動のため、島は年に一メートル近い隆起を続けている。
別府温泉の地獄池の脇に地下壕を掘ったようなもので、千田壕では二年前、硫化水素が漏出して陸自の佐官が死亡している。

栗林中将の壕も同じような熱気がこもる。正直、数時間でも耐えられるかどうかという感じだった。
しかし二万一千人の将兵は米軍の予想を超えて一か月以上もここに拠って米軍を叩き続けた。
飲み水もない、死に勝る苦痛に耐えて全将兵がなぜ戦い続けたのか。
その理由を栗林中将が家族宛ての手紙に書き送っている。「ここを一日長く持たせれば(将兵の)家族が殺される日が一日先送りされる」

米国の戦法はインディアン討伐が原型だ。まず滅ぼす相手の糧道を断つ。それでバイソンを皆殺しにした。戦士が決起すると、それを避けて銃後の家族の方を襲って殺した。
米国のフィリピン制圧も同じ手法だ。植民地支配に抵抗するアギナルド軍二万将兵とは戦わず、彼らの故郷の田畑を焼き払い、彼らの妻子二十万人を殺した。
対日戦でもまず、屑鉄石油の禁輸で糧道を断ち、日本が決起すると、兵士の待つ戦場を飛び越えて日本本土をひたすら爆撃した。

ただ、爆撃するB29はテニアン辺りから飛んだ。硫黄島からもう一千キロ南だ。直掩(ちょくえん)するP51ムスタングの航続距離の外側になる。
B29は裸で日本に飛んだ。絶対落ちない「空飛ぶ要塞B17」は大戦劈頭に零戦にあっさり落とされた。もっと無敵にした「超空飛ぶ要塞B29」も屠竜や紫電改にばたばた落とされた。
百二十機が迎撃機に撃墜され、地上砲火を入れると四百機近くがやられた。
B29を守る直掩戦闘機を飛ばすにはどうしても硫黄島が必要だった。

言い換えれば、ここが落ちれば直掩機を伴ったB29が好きに日本を焦土にできる。硫黄島守備隊はだから飲み水もない蒸し風呂壕に拠って一日でも長く戦い続けた。
米軍はその壕に燐とガソリンを流し込んで兵士を焼き殺し、今の滑走路をその上につくった。二万将兵の半分がその下に眠る。

天皇、皇后両陛下がそんな壕の一つを慰霊されたのは平成六年のことだ。それまで海自の宿舎に夜毎、兵士の叫び声や靴音が聞こえた。両陛下の慰霊のあと、それはぴたり止んだ。

先日、社民党の照屋某らが普天間の追っ払い先にならないかと視察に来た。
彼らはここが活きた火山島で、かつての戦場だったことを初めて知ってこりゃだめだとさっさと帰って行った。
照屋らが壕を慰霊したとは聞いていない。輿石の推す教科書にはそんな歴史も作法も載っていないからだ。

いかにも社民党の議員らしいと言ってしまえばそれまでだが・・・・・
失くなって欲しいね、こんな政党!!あっ、失くなりそうな状況にあるけれど・・・・・



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変見自在 高山正之の本は面白い3 サンデルよ、「正義」を教えよう

2013-10-24 01:36:23 | 読書と映画
サンデルよ、「正義」を教えよう(2010/12/2)

ハーバード大に学ぶ日本人が少なくなった、支那人の方が多くなったと同大の女性学長がこの春、日本にやってきて言った。
そこの留学生数で国のレベルが決まるみたいな口ぶりだが、さてそんな立派な大学なのか。
早い話、そこの先生だ。その一人、ヘンリー・ゲーツ教授が『米国は黒人奴隷問題を恥じる必要はない』とニューヨーク・タイムズに書いていた。
読んでびっくりだ。だって黒人奴隷はアフリカ人が売っていた。米国人はただ買っただけだと。
覚醒剤は持っているけど悪いのは上野で売っていたイラン人だというのと似てないか。 誰が奴隷を売ったかではなく、奴隷制度が悪いことをこの教授は知らない。
こんな外れもたまにいると善意に解釈したら、もっと変なのが出てきた。

『正義』について語るマイケル・サンデル教授だ。

彼は『ハリケーンに遭ったニューオーリンズで屋根の修繕屋が五十倍の料金を吹っ掛けた』ケースを紹介し、これは人の弱みにつけ込んだ悪徳商人が、需要があれば高く売る当然の商行為かと問う。
日本人は戸惑う。日本では例えば中越地震のとき。道が崩落し救援物資も届かない山村のスーパーがとりあえず必要な食品や野菜二千円分を詰め合わせた袋を四百円で売った。『こういう時はお互い様ですから』と店の主は答えていた。
 阪神大震災のときは山口組が炊き出しをやった。『アウトローは略奪するものだろう』とロサンゼルス・タイムズのサム・ジェムスンが驚いていた。
日本では儲けどきに安く売る。ヤクザも略奪よりまず人々を助ける。
だから日本人はサンデルの問いが発生すること自体、理解できない。

彼はまた南北戦争のときの徴兵制を取り上げている。
みんな兵士となって戦場に出るが、ただカネを出せば身代わりが認められた。後には三百ドル出せば召集は免除された。
法の前の平等を説く米国もこの辺は堂々と貧しいものを差別してきた。
サンデルはそれを非難はしない。米国人に限らず人は生きたいのだからと。
第一次大戦はキール軍港の水兵の叛乱で終わるが、これも根は同じだ。
ドイツは最後に残存艦隊の出撃を計画した。意気の高さを見せて停戦条約を有利にする気だった。
それに『もう少しで生きて帰れる水兵が反発した』(川口マーン恵美『ベルリン物語』)。『最後の捨て駒にされてたまるか』というわけだ。ドイツ帝国はこの判断によって崩壊した。

この『自分だけは死にたくない』行動について問われても日本人は戸惑う。
さきの戦争で日本が降伏したあと、ソ連軍が千島列島に武力侵攻してきた。
ポツダム宣言に沿った進駐ではなく、武力で占領する意図だった。
米国が沖繩を占領したように我々も北海道まで武力占領した。だからその領有権は我々にあると言うための侵攻だった。
ソ連軍はまず北の占守(シムシ)島を攻めた。もうお国が降伏したあとだ。そこの日本人将兵はどうしたか。
これが徴兵も金で済ます米国人なら金を積んで命乞いをしただろう。
キール軍港の水兵も降伏が決まった今、喜んで手を上げただろう。
ただ日本人は違った。降伏後だから捕虜になっても形はつく。生きて故郷にも帰れるが、それで火事場ドロ以下のソ連軍に祖国を好きに蹂躙させるなど日本人として許せなかった。 
だから一旦置いた銃を再び取って戦いに臨んだ。
日本側は七百人が戦後に戦死したが、ソ連側は数千人の死傷者を出し、北海道侵攻は不能となった。
モスクワは日本政府に文句を言って占守島の将兵に銃を置かせた。
サンデルの頭にこうした日本的な正義はない。商売は阿漕に、金持ちは命を惜しむ。それを何とか正義で包みたい。
あの大学に支那人が増えるわけだ。

需要と供給の具合によって商品価格に差が出ることは”通常”は致し方ない。問題はその時の状況だろう。
天災や人が困っている時に価格を釣り上げ、この機会に儲けようなどの考え方は日本人の美意識とは相容れない。
私はそう考えております。
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変見自在 高山正之の本は面白い2 「”英国人”スーチーの果たした偉業」

2013-10-22 02:33:07 | 読書と映画
早速ご紹介するのは前回に概略をご紹介したアウンサン・スーチーの話だ。題名は「”英国人”スーチーの果たした偉業」です(2010/11/4)。

昔は奴隷船を仕立ててアフリカから黒人を運び込み、農園なりで働かせるのが形たった。
しかし手間かけて運ぶのも面倒だ。どうせなら現地で奴隷を働かせた方が合理的だと考えるようになった。 
帝国主義植民地の誕生である。例えばビルマだ。北のアッサムにお茶の木が見つかり、南のイラワジ河口が売れる作物コメ作りに適していると知って、英国はここを植民地にした。
ただ、この国には歴史ある国王がいて、英国の横暴に対して臣民が団結して抵抗する危険があった。
それで英国は国王をインドに流し、王子を殺し、王女はインド人兵卒に払い下げて王家の血筋を絶やした。ついでにマンダレーの王城は監獄に作り替えた。

「ビルマ人の国ビルマ」も作り替えた。イスラム教徒のインド人を入れ、華僑も入れ、周辺の山岳民族もキリスト教に改宗させて山からおろして多民族多宗教国家に変えた。
改革されたビルマではインド人が金融を、華僑が商売を、そして山岳民族が軍と警察を握り、この国の主だったビルマ人は最下層の農奴にされ、イラワジデルタで米を作らされた。

英国にズタズタにされたビルマはだから戦後、独立を回復すると英国的なものすべてを排除した。
まず大英連邦から脱退し、英国式の左側通行も、英語教育もやめた。
国連を通して英国がビルマから奪ったものの返還も訴えた。
英国は奪った国王の玉座や宝石を渋々返したが、ビルマは英国の植民地統治の責任も国連の場で糾弾を始めた。
その中にはアウンサンの暗殺もあった。表向き彼は元首相ウ・ソーに殺されたことになっているが、国民の多くは英国が仕組んだことを知っていた。
ビルマがそうやって騒ぎ続ければ、他の元植民地国家もやがて騒ぎだす。欧米による奴隷支配が明るみに出れば、東南アジアで残虐行為をやったのは日本ではなく、白人国家だったことがばれてしまう。
 
かくて白人国家は目配せし合ってビルマ非難を始めた。苛めにはアウンサンの娘スーチーを使った。
彼女は父を他国に投された。本末なら反英のシンボルになるはずの15歳の少女を元ビルマ総督が英国に連れ出し、英国人として教育し、英国人の夫まで与えて手なずけた。
スー・チーは父を殺し、祖国を彼壊した英国に忠誠を誓い、英国に背く祖国を非難し「植民地支配の糾弾」事業を潰した。
米英はビルマ政府を軍事政権と非難し、厳しい経済制裁を科してビルマの目を封じた。白人国家に楯つけばどうなるかという見せしめだった。
 
先日、そのビルマを訪ねた。経済制裁はこの国の歩みを完全に止めた。街の景色は二十年前と同じ。おんぼろトラックの荷台に鈴なりの客を乗せたバスが雨の中、泥水を蹴立てて走っていた。
貧しさに負けて九〇年代、議長のタンシュエは制裁に加わっていない中国に支援を乞うた。反対した良識派のキンニュンやエーベルは追放された。
雪崩のように入り込んだ中国人は金融も商売も独占し、マンダレーは大声でわめき、痰を吐き散らす彼らに占領されていた。
中国の支援で水力発電所ができたが、電気は中国に送られ、ビルマは毎日のように停電している。

中国の悪弊、賄賂も普及した。例えばパスポートを取るには入管事務所の周りに屯する口利き屋に頼むのが形になった。口利き屋が事務所から役人を連れ出し、申請者と役人と口利き屋の三人で日本なら幾ら、米国は幾らと賄賂額が折衝され、やっと旅券が出る。
政治も中国化した。間もなく民主化を謳う総選挙があるが、ポスターはどこにもない。代わりに選管事務所の役人が戸別訪問し期日前投票させる。投票用紙の候補者名は空欄で有権者はただサインするだけだ。
中国に国を売ったタンシュエ一派の全員当選がもう決まっている。
ビルマは腐り切った。もはや欧米植民地支配を糾弾する覇気も力もない。
英国人スーチーはその役割を十分に果たした。

引用は以上だが、もう少し解説を加える。
アウンサン(スーチーの父)は、日本の支援の下で「ビルマ人の国」を再建した。その日本が敗勢に転じると彼は英軍に通じた、祖国再建のために悪魔と手を組んだのだ。しかし、英軍は約束を反故にし彼を逮捕した。
もう一人ウ・ソーという戦前にビルマ首相だった人がいる。彼は戦時中、日本に同盟を申し入れているが、英国はこの事情を把握していた。
そして、英国はこの二人をラングーンで引き合わせ、アウンサンの仕業にみせかけたウ・ソーの暗殺未遂事件を起こす。
そして、報復のアウンサン暗殺が起き、ウ・ソーは首魁として処刑された。英国は厄介者二人をきれいに処分したのだ。
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変見自在 高山正之の本は面白い

2013-10-21 01:47:52 | 読書と映画
高山正之氏の”変見自在”とは週刊新潮の巻末1ページに掲載されるコラム名なのだが、この内容が素晴らしい。
週刊新潮を買ったら、まずこのページから読むという読者も多いと聞く。私もそのタイプだ。

このページは世の中に起きている事象の裏側を解説してくれる。そんな解説は新聞もテレビも決してしようとしない。
例えばだが・・・・・ミャンマーにアウンサン・スーチーという女性がいる。長年軍事政権によって自宅軟禁され、活動を制限された「かわいそうな民主活動家」というのが、我々が抱くイメージだ。
しかし、高山氏はミャンマーの歴史から解説する。ミャンマーは長年に亘ってイギリスの植民地であって、スーチーの父親アウンサンはここからの独立を目指した末に暗殺された。犯人は同国人とされたが、裏にイギリスの策略があった。
結果的にミャンマーは独立を果たすが、長年のイギリスの圧政に反発する事態が続いている。
そこでイギリスがとった政策がアウンサン・スーチーだ。彼女をイギリスに留学させ遂には結婚させた相手もイギリス人だ。スーチーの旦那が英国人だなんてどれだけの人が知っているだろうか?その結果、彼女は父親の仇であるイギリスの手先となって動いている。
ミャンマー軍事政権が彼女を自宅軟禁していたのは、それなりの理由があったのだ。

このコラムをまとめて単行本にした物が、つい最近最新号が発売され全部で八冊となった、私は全巻保有している。
最新号は「マッカーサーは慰安婦がお好き」というのだが、下記のように題名も奇をてらっている。
これから、まったくの本文コピーだが幾つかの記事をアップしてゆく事にいたしますので、どうかお付き合いください。
   
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芥川賞・直木賞の候補決定

2013-07-06 03:32:20 | 読書と映画
7/4に表記の報道があった。毎年の恒例行事であるが今年は注目の作家がいるので興味深い。
直木賞候補の湊かなえさん、候補作は「望郷」だ。
実はつい先日買い求めちょうど読み終えたところであったのだ。

湊かなえさんの本を読むのは初めてであった。
彼女の最大のヒット作は「告白」で、実はこれは映画で見ていた。
今回の「望郷」は短編が6作納められており、いずれもが瀬戸内海の小島に関わる人間模様を描いている。
”みかんの花”は島を出た姉(流行作家となった)、島に残った妹が久しぶりに島で再会、つつましく島で暮らす妹が初めて知った姉がなぜ島を出たのか・・・・・
最後の顛末に衝撃を受けた。

”海の星”は父が行方不明になった母と息子のふたり暮らし家庭に、あるきっかけで漁師が訪ねてくるようになる。その後は母に気がある様子が描かれ、ある日漁師は身なりを整え、花を持って訪ねてくる、プロポーズしにきたと思われる。
この後の展開が秀逸。

他の4作もよかったな~
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変見自在 高山正之の本は面白い2

2012-12-06 03:39:44 | 読書と映画
オバマ大統領が再選後に最初に訪問した外国がミャンマーであった。この意味は大きいようだ。
ミャンマーは今年からかなり開放路線に向かっているように見える。軍事政権もスーチーの軟禁を解いてきたし諸外国も経済進出を指向している。
今の自由陣営の課題は中国の影響力をいかに削ぐかにあるように見える。

次に紹介する記事の掲載時期は2010年11月だから、もう二年も前だ。
今と状況は違うがミャンマーの実情が(英国の策謀が)よく分かる。
表題は「”英国人”スーチーの果たした偉業」であった。

昔は奴隷船を仕立ててアフリカから黒人を運び込み、農園なりで働かせるのが形たった。
しかし手間かけて運ぶのも面倒だ。どうせなら現地で奴隷を働かせた方が合理的だと考えるようになった。帝国主義植民地の誕生である。

例えばビルマだ。北のアッサムにお茶の木が見つかり、南のイラワジ河口が売れる作物コメ作りに適していると知って、英国はここを植民地にした。
ただ、この国には歴史ある国王がいて、英国の横暴に対して臣民が団結して抵抗する危険があった。
それで英国は国王をインドに流し、王子を殺し、王女はインド人兵卒に払い下げて王家の血筋を絶やした。ついでにマンダレーの王城は監獄に作り替えた。
「ビルマ人の国ビルマ」も作り替えた。イスラム教徒のインド人を入れ、華僑も入れ、周辺の山岳民族もキリスト教に改宗させて山からおろして多民族多宗教国家に変えた。

改革されたビルマではインド人が金融を、華僑が商売を、そして山岳民族が軍と警察を握り、この国の主だったビルマ人は最下層の農奴にされ、イラワジデルタで米を作らされた。
英国にズタズタにされたビルマはだから戦後、独立を回復すると英国的なものすべてを排除した。
まず大英連邦から脱退し、英国式の左側通行も、英語教育もやめた。
国連を通して英国がビルマから奪ったものの返還も訴えた。

英国は奪った国王の玉座や宝石を渋々返したが、ビルマは英国の植民地統治の責任も国連の場で糾弾を始めた。
その中にはアウンサンの暗殺もあった。表向き彼は元首相ウ・ソーに殺されたことになっているが、国民の多くは英国が仕組んだことを知っていた。
ビルマがそうやって騒ぎ続ければ、他の元植民地国家もやがて騒ぎだす。欧米による奴隷支配が明るみに出れば、東南アジアで残虐行為をやったのは日本ではなく、白人国家だったことがばれてしまう。

かくて白人国家は目配せし合ってビルマ非難を始めた。苛めにはアウンサンの娘スーチーを使った。
彼女は父を他国に投された。本末なら反英のシンボルになるはずの15歳の少女を元ビルマ総督が英国に連れ出し、英国人として教育し、英国人の夫まで与えて手なずけた。
スー・チーは父を殺し、祖国を彼壊した英国に忠誠を誓い、英国に背く祖国を非難し「植民地支配の糾弾」事業を潰した。
米英はビルマ政府を軍事政権と非難し、厳しい経済制裁を科してビルマの目を封じた。白人国家に楯つけばどうなるかという見せしめだった。

先日、そのビルマを訪ねた。経済制裁はこの国の歩みを完全に止めた。街の景色は二十年前と同じ。おんぼろトラックの荷台に鈴なりの客を乗せたバスが雨の中、泥水を蹴立てて走っていた。
貧しさに負けて九〇年代、議長のタンシュエは制裁に加わっていない中国に支援を乞うた。反対した良識派のキンニュンやエーベルは追放された。
雪崩のように入り込んだ中国人は金融も商売も独占し、マンダレーは大声でわめき、痰を吐き散らす彼らに占領されていた。
中国の支援で水力発電所ができたが、電気は中国に送られ、ビルマは毎日のように停電している。
中国の悪弊、賄賂も普及した。例えばパスポートを取るには入管事務所の周りに屯する口利き屋に頼むのが形になった。口利き屋が事務所から役人を連れ出し、申請者と役人と口利き屋の三人で日本なら幾ら、米国は幾らと賄賂額が折衝され、やっと旅券が出る。

政治も中国化した。間もなく民主化を謳う総選挙があるが、ポスターはどこにもない。代わりに選管事務所の役人が戸別訪問し期日前投票させる。投票用紙の候補者名は空欄で有権者はただサインするだけだ。
中国に国を売ったタンシュエ一派の全員当選がもう決まっている。
ビルマは腐り切った。もはや欧米植民地支配を糾弾する覇気も力もない。
英国人スーチーはその役割を十分に果たした

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変見自在 高山正之の本は面白い

2012-12-05 06:37:24 | 読書と映画
週刊新潮の巻末に「変見自在」という1ページのコラムがある。
この週刊誌を買ったらまずこのページから読むというファンが沢山いる人気コラムだ。
著者の高山正之氏は元産経新聞の記者、退職後に帝京大学教授も勤めていた。

なぜこのコラムの人気があるのか? それは通常のマスコミ報道では知らされない事態の裏側を知らせてくれる事、我々が気の付かない様々を教えてくれる事、そして中韓や左翼勢力に厳しい見解を持っている事、これらではないかと私は思っている。
例えばだが・・・・・ミャンマーの軍事政権でアウンサン・スーチーが長らく自宅軟禁されていた。明らかに軍事政権に非があると私たちは思いがちだが、実は長らくイギリスの植民地であったこの国は国父と言われていたスーチーの父親アウンサンも暗殺されている。
今の事態はこうした歴史と無関係でなくアウンサン・スーチーはイギリスの意思によって動かされている、事実彼女の夫は英国人だ。
軍事政権が頑なに今の体制を続けていたのは今も続くイギリスの影響力(侵略?)を削ぐためだと高山氏は言う。

さてこれからこの変見自在の記事を一つづつ全文を紹介してみる。
予めお断りしておくと高山氏は官僚、左翼、中韓、白人、朝日新聞をはじめとする左翼系マスコミにかなり強い表現をする、ご了解ください。
まず第一話は「日航機長は感動した」であります。

一昔前になる。熊本県水俣市で鉄砲水が出て19人が亡くなった。
それを伝える共同通信の記事は『もっと捜してと』の見出しで「(身内が埋まっているから自衛隊員に)もっとその辺を捜せと言ったのに」と視察に来た県知事に不満を訴える被災者の言葉を取り上げていた。
記事に添えられた写真には横隊で泥沼の中を遺体捜索に当たる自衛隊員を手前から中年の女性二人が手持無沙汰にしゃがんで見つめている図柄だ。

何とも違和感が残る。身内が埋もれているなら自分達で探すのが家族というものだ。少なくとも日本人はそうしてきた。
そこに災害派遣の自衛隊員が来てくれた。語る言葉はまず「有難う」だろう。そしていっしょに泥沼を懸命に捜す。

しかし共同の記事は違う。
被災者はご主人様で、泥まみれで仕事をするのが自衛隊員。それが写真の構図。その主人様がここを掘れと言っているのに言うことを聞かない。「奴隷のくせに許せないと不平を洩らす被災民」としか読めない。

朝日新聞と共に共同通信が常々張ってきた自衛隊蔑視キャンペーンはこうした一般記事にも盛られ、ある種サブリミナル効果として人々の心に浸透させていったように思える。

それが端的に出たのが今回の3・11大震災だ。新聞には毎日、震災死者数と行方不明者の数が載る。
死者数は増え、その分行方不明者のが減るのは遺体が新たに発見されるからだ。
誰が発見するのか。被災者の身内ではない。
彼らの中には「外は臭くて」(朝日新聞)とか言って日がな一日避難所に籠もったままの者もいた。

ここも水俣市と同じ。
泥沼を、そして逆巻く波の打ち寄せる海岸を捜索しているのは自衛隊員で、彼らは2ヶ月以上休暇なしの連続勤務に耐え、風呂も被災民に譲って汚れた体のまま雑魚寝を続ける。共同の主張は被災地に根付いていた。

自衛隊蔑視論は官僚世界にも根を張っていた。
90年代半ば、ルワンダ内戦で難民が出ると外務省はその救済に自衛隊員派遣を言い立てた。
難民キャンプにも武装ゲリラが出没する。エイズは流行る。危険千万で、内戦に責任のある西欧諸国も尻込みしていた。
で、米国が安保理常任理事国入りを餌に日本に派遣を要請してきた。

外務省は喜び、派遣部隊に被害が出ればより外交効果があると読んで、装備は小銃のほか機関銃一丁とほとんど丸腰で放り出した。
自衛隊はそんな悪条件下でも任期を無事務め上げたうえ、武装ゲリラに襲われたNGOの日本人医師の救出もやってのけた。

外務省には期待外れだった。お前らは死ねばいいのに、なに勝手をやるのか。共同も朝日新聞も自国民救出など自衛隊の越権行為だと非難した。

期待に背いたことへの報復は陰険だった。
任務終了後、帰国には民間機を利用し、その際は制服の着用は仰々しいので認めない。
各自私服で帰れと。
お前らは目立つことはないという意味だ。

誰しもましな着替えなど持っていない。
年の押し詰まった12月27日、ロンドンから日航機に搭乗したとき周囲の乗客はひどい身なりの集団にちょっと驚いた。

それが異郷の地で頑張り抜いた自衛隊員と知るのは機が公海上にでてからの機長アナウンスでだった。
『このたびは任務を終え帰国される自衛隊員の皆様、お国のために誠に有難うございました。
国民になり代わり機長より厚く御礼申し上げます。
当機は一路日本に向かっております。皆さま故国でよいお年を迎えられますよう』

異形の集団を包むように客席から拍手が沸き、その輪がやがて機内一杯に広がって行った。
機長は乗客リストを見て自衛隊員の帰国を知り「日本人として当然のことをしただけ」と語る。

成田に着いたあと65人の隊員はコックピットの見える通路に整列し機長に向かって敬礼した。
被災地はともかく日本人はまだまだ一杯いる。

こんな感じです、私はこれを呼んで思わずウルウルとしてしまいました。
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五木寛之は初めて読むが・・・・

2012-02-27 04:53:04 | 読書と映画
私は本が好きであるが総ての作家の物を読むわけでない。というか読む訳にはいかない。
例えば毎年直木賞、芥川賞の作家は誕生するし、そもそも古典や歴代の文豪もいる。これらの総てを読み通すことなど出来ない。
だから例えば谷崎潤一郎は読んだことがないし、二葉亭四迷もページを開いた事もない。こう考えればむしろ読んだことのない作家の方が多いであろう。
現代の作家でも話題の村上春樹は縁遠くて手にした事もないし、今年の直木賞、芥川賞も未読だ。年ごとの両賞も総ては目を通さないと言うか通せない。

では”小説に限って”どの作家を読むかというと、これにはきっかけがどうしてもいる。よい本だからと勧められたり、本屋でたまたま手にするのもそうだし、ネット社会の今はネットの評判に誘われても多いだろう。

私の場合は例えば松本清張だ。高校二年生だったと思う、偶然「ゼロの焦点」という本を手にしたが、時は期末試験の最中であった。
ちょっと読み始めたら面白くて試験勉強どころでない。しかし、試験勉強もしなければならないと思い本を閉じたが、どうしても続きが読みたくて我慢ができない。
結局本を読むことに負けてその時の試験は散々な物となった。
その後、松本清張の著作を貪るように読んだ、いつも期待を裏切らなかった、特に「波の塔」などは新任検事と(後から分かった)容疑者の妻との不倫は結局富士の麓の青木ヶ原樹海での自殺となり、以降ここで命を落とす人が相次いだと言う。

芥川龍之介を読んだのは四つ上の兄の本棚にあったからだ。最初に何を読んだかは覚えていない。
しかし、映画「羅生門」の題材となった”藪の中”は夫婦が盗賊に襲われ夫が殺害された、その経緯をそれぞれの立場から述べれば色々な結末が有ることで衝撃的であった。
これ以降「羅生門」「蜘蛛の糸」「芋粥」「杜子春」と芥川作品を読むきっかけとなった。

こう考えると最初の作品との出会いが如何に重要であるかが分かる、そして、最初の作品との出会いは謂わば偶然である。
つまり、私は谷崎潤一郎を読んだことはないが最初に谷崎作品に衝撃的出会いがあれば彼の作品を読破したかもしれないのだ。
勿論最初の一冊でときめかない物もある、例えば川端康成だ。「雪国」を読み「山の音」に挑んだがどうもピンとこないのだ、結局私とは”感性”が合わないのか、あるいは私が若すぎたのか、私のレベルが低すぎるのか・・・・これ以降は手にした事がない。

私は結局、作家を決めてそれを徹底的に読むタイプのようだ。
松本清張に始まりその後は吉川英治、逢坂剛、浅田次郎、立花隆、最近では藤沢周平の作品に嵌っている。
しかし、こうした作家の頭の中はどうなっているのだろうか。広範な知識とその徹底した掘り下げには感嘆する!

さて、五木寛之である。私は彼の作品を読んだことがなかった。
しかし「青春の門」はベストセラーで映画化、TVドラマ化されたし「さらばモスカワ独立愚連隊」「海を見ていたジョニー」「四季奈津子」、最近では「親鸞」「蓮如」等宗教がらみの著作も多い。さらにエッセーである「大河の一滴」もベストセラーになり「他力」も注目を浴び、ごく最近は「下山の思想」が売れまくっているそうだ。映像化されている物も多い。

私が初めて五木作品に触れたのはこうした小説でなく「霊の発見」という対談を本にまとめたものであった。この発見シリーズはその後「気の発見」「神の発見」「息の発見」「仏の発見」と相次いで発刊された。
この、始めて手にした「霊の発見」は宗教哲学者の鎌田東二氏との対談であるが広範な知識と物の見方に圧倒され、以降の発見シリーズも読みそれぞれ考え方、知識に「なんと、広い見識を持った人か、世の中にはこんな頭のよい人もいるのか・・・・・」と打ちのめされた感じがしながら読んだ。

この発見シリーズは面白い。「神の発見」はローマでカトリック司祭であった森一弘氏との対談であるが、例えば愛を説くキリスト教が一神教であるが故に愛と正反対の行動をとってきた歴史がある、こうした事にズバッと斬り込むのだ。
「息の発見」は僧侶で作家の玄侑宗久氏、「気の発見」は気功家の望月勇氏とのそれぞれの対談でそれぞれの不思議な世界が縦横無尽に語られる。

五木寛之氏の小説はそれまでベストセラーの「青春の門」すら読んだことはなかった。
そこで、古本屋で(100円で)見つけてきたのが「戒厳令の夜」という初期の作品であった。上下二巻の長編を小さな文字の文庫本で読むのはつらいが、青春時代に読んだ「ゼロの焦点」に匹敵する傑作であった。

私は良作である時いつも思うのだが、早く読破したいと言う気持ちと、終わってしまうのが勿体ない気持ちが交錯する。しかし、本の場合は自ずと残りページがハッキリと示される、そんな気持ちを久々に味わった本であった。
そんな思いを久々に味あわせてくれた作品であった。調べてみたら、映画にもなっていた、今ではすっかり出なくなっているが伊藤孝雄の主演でヒロインに樋口可南子(これがデビュー作らしい)、鶴田浩二も出ていると聞けば年代も想像できるであろう(1980年作品)。
残念ながらDVD化されていないらしい。
   

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『サンデルよ、「正義」を教えよう』 高山正之の世界

2012-02-06 04:32:55 | 読書と映画
ジャーナリスト高山正之氏はその豊富な知識と歴史の正しい認識、事象の裏面を鋭く捉える見方にいつも啓発されている。
週刊新潮の本文の最終1ページに「変見自在」と言うコラムを永らく連載されている。
週刊新潮を買ったら”まずこのページから読む”というファンが多い人気コラムでもある。

このコラムを単行本にまとめて発売している(新潮社)ものが、6冊となって私は全巻を保有している。
題名が変わっていて「サダム・フセインは偉かった」「スーチー女史は善人か」等々で最新刊が表題の『サンデルよ、「正義」を教えよう』である。

例えば、この表題のコラムの概略は次のとおりである。
米ハーバード大学に学ぶ日本人が減って、かわりに支那人の方が多くなったそうだ。この学長が留学生の数でその国のレベルが決まるような口ぶりだと言う。
高山氏は”そんなに立派な大学なのか?”と、ここのマイケル・サンデル教授の「正義」について語った事例を採り上げる。

「ハリケーンに遭った州で屋根の修繕屋が50倍の料金を吹っ掛けた。これは人の弱みにつけ込んだ悪徳商法か、需要が大きくなれば高くなる当然の商行為か」を問うた。

日本人は戸惑う。例えば中越地震の時、道が崩壊し救援物資が届かない山村のスーパーが、取り敢えず必要な食品や野菜2千円分を袋に詰めて400円で売っていた例がある。
「こういう時はお互い様ですから」と店の主人は言っていた。

阪神大震災の時には山口組が炊き出しをやった。
ロサンゼルス・タイムスのサム・ジェムスン記者が「アウトローは略奪するものだろう」と驚いていたそうだ。

日本人は儲け時に安く売る。ヤクザも略奪よりまず人々を助ける。
だからこのハリケーンの問い自体が日本人には理解し難い。

サンデルは更に南北戦争時の徴兵制で金を出せば身代わりが認められる制度を「人は誰も生きたいのだから」とこれを非難しない。

ドイツのキール軍港で水兵の反乱があった、終戦間近かで「もうすこしで生きて帰れる」状況に出撃を拒否したのだそうだ。
一方、日本では8月15日を過ぎてソ連がまず占守島を攻めてきた。もうお国が降伏したあとの事だ。
捕虜となって生き延びる事も、故郷に帰る事も夢ではない。
しかし、ここの兵は火事場泥棒のソ連軍にこの島を(祖国を)蹂躙させる訳にはいかなかった。
だから、一旦置いた銃を再びとって戦いに臨んだ。
これが徴兵も金で代わりが認められるアメリカや、降伏が決まっていたキールのドイツ兵なら喜んで手を上げたであろう。
サンデルの頭にこうした日本的な「正義」はない。
*主題からはずれるが、この「占守島」をテーマにした浅田次郎「終わらざる夏」は中々の傑作だと思う。

どうもこれだけでは高山正之氏の意が伝わらないもどかしさがある。
是非この本を読んで欲しいです。
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ALWAYS三丁目の夕日’64

2012-02-05 05:42:51 | 読書と映画
表題の映画を見てきた、よかった、ほのぼのとした。
今回の舞台は東京オリンピックの行われた1964年(昭和39年)であるが、この時私自身は高校三年生であった。この当時の街の雰囲気や世相がよく描かれていた。

ご承知の方も多いと思うが、これは第三作目だ。
青森から集団就職で上京した六子(むつこ)が、東京タワーのすぐ近くの自動車修理工場に勤務する所から始まる第一作目から笑いあり、涙ありの大好きな作品だった。
工事中の東京タワー、街を走る都電、高度成長に差し掛かる前のまだ雑然とした街並み、三輪自動車が走り、子供たちは街中で遊び駄菓子屋のクジを引く。
テレビが初めて家庭に来た時に近所の人達が皆集まり、テレビでは力道山のプロレスが行われている。冷蔵庫が来た時も大騒ぎだ。頭を冷蔵庫に突っ込んで冷えを感じた。

実はこれらの情景は当時の私の姿そのものだ。そうだそうだと肯く場面が満載だ。
色々な技術を駆使するのであろうが、当時の街並みが本当にリアルに再現されている。
そして今回は初めて3D映像で見てみた。専用の眼鏡を付けての鑑賞は、これもビックリした、画面から飛び出た鳥が私の後ろに飛んでいった・・・・・
第一作目、二作目はDVDを持っている。
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変見自在 高山正之

2012-01-16 15:41:36 | 読書と映画
週刊新潮を時々買う、週刊文春と並んで読み応えがあると思っている。
この最後のページに表題のコラムがある、わずか1ページだが面白いのだ。

例えばこうだ。’85年にフセインがイランを飛ぶ全ての民間航空機に無差別に攻撃すると通告してきた。イラン在住の外国人は一斉にイランからの出国を図った。当時200人を超える日本人がいたが、日航機は危険だからとフライトを断り、自衛隊機は憲法上問題ありと社会党やマスコミが反対して実現しない。外国の航空機も自国民優先である。
この時テヘラン空港に二機の航空機が降り立ち、日本人全員を成田空港まで送り届けた。この航空機はトルコ航空機だった。

明治23年にトルコの軍艦「エルトゥールル号」が日本に親善訪問した。所が帰路、紀伊半島沖で台風に遭い串本港近くの岩礁に激突、沈没した。付近の漁民が嵐の中、命懸けで遭難者の救助にあたり、全乗員の一割69人を救助した。彼らは翌年戦艦「金剛」で無事トルコに帰り着いた。
トルコ側はこの救難劇で示された日本人の厚情にいたく感激したそうだ。
その後日露戦争の時は、ダーダネル海峡を閉めて黒海のロシア艦隊を足止めにして日本にエールを送ってくれた。今回の航空機の派遣も「エルトゥールル号」のお礼だそうだ。

こんな話が毎週載るのだ。そして遂にこのページが単行本化された。
「サダム・フセインは偉かった」というのが題名(新潮社、1400円)なのだが、この本を読むと世の中の見る目が変わる。極悪人と目されるフセインが何故偉かったのかも、なるほどと思わせる所がある。
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