成田空港を「ごね得」で利した真犯人 2008/10/16
航空機の騒音が今の地球温暖化ぐらいに騒がれていたころ、世界は羽田を熱く見つめていた。三方が海で騒音被害は零に近い。いつでも好きに拡張できる。シカゴのオヘア空港も真剣にミシガン湖の中への移転を考えたりした。
ところが当の日本は羽田に代わって内陸の成田につくると言い出した。世界が首を傾げた成田展開は実は運輸省の役人の都合からだった。羽田は運輸省直系の日本空港ビルがターミナルビルの利権を握っていた。
社長は運輸省の天下りで、例えば秋山某は空港で撮られる写真すべてを有料にすると言い出した。高橋某は天下りの顔で、よその空港にまで免税店を出して利権三味に耽っていた。羽田を拡張しても日本空港ビルが儲かるだけ。別に空港をつくれば天下りポストも増えるというのが成田の基本構想だった。 騒音がどうのは端から問題にもならなかった。滑走路付け足しで、利権を生むターミナルビルさえあればよかった。
それでターミナルビルを中心に用地買収が行われた。飛行機が頭上をかすめるいわゆる騒音激甚地帯の地元民が用地買い上げを陳情したが、役人は聞く耳をもたなかった。滑走路が一本出来たところで、さて試験飛行でもやるかとなって航空会杜から誘導灯はないのかと問い合わせがあった。
普通、滑走路の両端には着陸機を誘導する七百メートルの光の帯が設置される。それを失念していた。というか空港の設計図を引いた役人のだれもがそれを知らなかった。急ぎ用地の買い足しをしようとしたが、不満農民の中に社会党系活動家が入り込み、問題の誘導灯設置区域にはブリキ小屋が建てられていた。
世に言う「横堀要塞」がそれだ。機動隊と活動家、その活動家に戦闘物資を補給するTBS報道局も絡んで殺し合いが十年も続いた。
騒動のとどめが管制塔襲撃事件だが、これもまたふざけた話だった。
開港を前に空港周辺には一万四千人人の機動隊が配された。
機動隊員が道路真ん中のマンホールの傍に佇む不審者を見つけた。火炎瓶を持っていたので逮捕した。
ただ、彼がなぜマンホールの傍にいたかは詮索しなかった。
彼らは役所の労組を通して成田の下水道網の地図を入手しジャン・バルジャンみたいに下水道を伝って空港施設内に侵入した。
管制塔はもともと警備厳重につくられている。
管制室は五十メートルの高さがあるが、エレベーターはこうしたテロの備えてわざと乗り継ぎ式にしてあり、最後は細いらせん階段で上がる。
昇り切ったところには手動で閉鎖できる重い扉があって闖入者を防ぐ仕組みになっていた。その管制塔を十五人が襲ったとき、中の役人が頑丈な玄関ドアを開けた。
仲間が外でたばこを吸っていた。襲撃者を見て慌てて戻ってきたのを見た中の役人がドアを開けたのだ。同時に十五人のテロリストもなだれ込んできた。
彼らは最後のらせん階段部分の守りもあらかじめ承知で管制室下の張り出しから侵入している。これを知っているのは管制室の仲間だけだ。
かくて管制塔は落城したが、誘導灯を忘れた愚かな役人は全日空に天下り、下水道や管制室の秘密をテロリストに教えた小役人はだれも捕まらなかった。管制塔の玄関を開けた職員も懲罰はなかった。
いま成田空港の周辺では殺人などの前歴をもつ活動家が地元民を取り込んで共存を強いている。北京とチベットの関係だ。空港も不便で、滑走路はカブールよりひどい。貨物空港にした方がいいが、そうならないのはターミナルビルという利権がそこにあるからだ。
中山成彬は「日教組は日本のがんだ」と言った。がん細胞は今、民主党の中にも八個入っている。前国交相は「日本は単一民族だ」といった。正確には「単一・〇一民族」かもしれないが、それは四捨五入ですむ話だ。
彼はまた成田を「地元民のごね得」と言った。ここだけは「役人のごね得」と言うべきだった。
航空機の騒音が今の地球温暖化ぐらいに騒がれていたころ、世界は羽田を熱く見つめていた。三方が海で騒音被害は零に近い。いつでも好きに拡張できる。シカゴのオヘア空港も真剣にミシガン湖の中への移転を考えたりした。
ところが当の日本は羽田に代わって内陸の成田につくると言い出した。世界が首を傾げた成田展開は実は運輸省の役人の都合からだった。羽田は運輸省直系の日本空港ビルがターミナルビルの利権を握っていた。
社長は運輸省の天下りで、例えば秋山某は空港で撮られる写真すべてを有料にすると言い出した。高橋某は天下りの顔で、よその空港にまで免税店を出して利権三味に耽っていた。羽田を拡張しても日本空港ビルが儲かるだけ。別に空港をつくれば天下りポストも増えるというのが成田の基本構想だった。 騒音がどうのは端から問題にもならなかった。滑走路付け足しで、利権を生むターミナルビルさえあればよかった。
それでターミナルビルを中心に用地買収が行われた。飛行機が頭上をかすめるいわゆる騒音激甚地帯の地元民が用地買い上げを陳情したが、役人は聞く耳をもたなかった。滑走路が一本出来たところで、さて試験飛行でもやるかとなって航空会杜から誘導灯はないのかと問い合わせがあった。
普通、滑走路の両端には着陸機を誘導する七百メートルの光の帯が設置される。それを失念していた。というか空港の設計図を引いた役人のだれもがそれを知らなかった。急ぎ用地の買い足しをしようとしたが、不満農民の中に社会党系活動家が入り込み、問題の誘導灯設置区域にはブリキ小屋が建てられていた。
世に言う「横堀要塞」がそれだ。機動隊と活動家、その活動家に戦闘物資を補給するTBS報道局も絡んで殺し合いが十年も続いた。
騒動のとどめが管制塔襲撃事件だが、これもまたふざけた話だった。
開港を前に空港周辺には一万四千人人の機動隊が配された。
機動隊員が道路真ん中のマンホールの傍に佇む不審者を見つけた。火炎瓶を持っていたので逮捕した。
ただ、彼がなぜマンホールの傍にいたかは詮索しなかった。
彼らは役所の労組を通して成田の下水道網の地図を入手しジャン・バルジャンみたいに下水道を伝って空港施設内に侵入した。
管制塔はもともと警備厳重につくられている。
管制室は五十メートルの高さがあるが、エレベーターはこうしたテロの備えてわざと乗り継ぎ式にしてあり、最後は細いらせん階段で上がる。
昇り切ったところには手動で閉鎖できる重い扉があって闖入者を防ぐ仕組みになっていた。その管制塔を十五人が襲ったとき、中の役人が頑丈な玄関ドアを開けた。
仲間が外でたばこを吸っていた。襲撃者を見て慌てて戻ってきたのを見た中の役人がドアを開けたのだ。同時に十五人のテロリストもなだれ込んできた。
彼らは最後のらせん階段部分の守りもあらかじめ承知で管制室下の張り出しから侵入している。これを知っているのは管制室の仲間だけだ。
かくて管制塔は落城したが、誘導灯を忘れた愚かな役人は全日空に天下り、下水道や管制室の秘密をテロリストに教えた小役人はだれも捕まらなかった。管制塔の玄関を開けた職員も懲罰はなかった。
いま成田空港の周辺では殺人などの前歴をもつ活動家が地元民を取り込んで共存を強いている。北京とチベットの関係だ。空港も不便で、滑走路はカブールよりひどい。貨物空港にした方がいいが、そうならないのはターミナルビルという利権がそこにあるからだ。
中山成彬は「日教組は日本のがんだ」と言った。がん細胞は今、民主党の中にも八個入っている。前国交相は「日本は単一民族だ」といった。正確には「単一・〇一民族」かもしれないが、それは四捨五入ですむ話だ。
彼はまた成田を「地元民のごね得」と言った。ここだけは「役人のごね得」と言うべきだった。