goo blog サービス終了のお知らせ 

昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

変見自在 高山正之の本は面白い38 成田空港を「ごね得」で利した真犯人

2013-12-19 00:53:58 | 読書と映画
成田空港を「ごね得」で利した真犯人 2008/10/16

航空機の騒音が今の地球温暖化ぐらいに騒がれていたころ、世界は羽田を熱く見つめていた。三方が海で騒音被害は零に近い。いつでも好きに拡張できる。シカゴのオヘア空港も真剣にミシガン湖の中への移転を考えたりした。
 
 ところが当の日本は羽田に代わって内陸の成田につくると言い出した。世界が首を傾げた成田展開は実は運輸省の役人の都合からだった。羽田は運輸省直系の日本空港ビルがターミナルビルの利権を握っていた。
 社長は運輸省の天下りで、例えば秋山某は空港で撮られる写真すべてを有料にすると言い出した。高橋某は天下りの顔で、よその空港にまで免税店を出して利権三味に耽っていた。羽田を拡張しても日本空港ビルが儲かるだけ。別に空港をつくれば天下りポストも増えるというのが成田の基本構想だった。 騒音がどうのは端から問題にもならなかった。滑走路付け足しで、利権を生むターミナルビルさえあればよかった。

 それでターミナルビルを中心に用地買収が行われた。飛行機が頭上をかすめるいわゆる騒音激甚地帯の地元民が用地買い上げを陳情したが、役人は聞く耳をもたなかった。滑走路が一本出来たところで、さて試験飛行でもやるかとなって航空会杜から誘導灯はないのかと問い合わせがあった。
 普通、滑走路の両端には着陸機を誘導する七百メートルの光の帯が設置される。それを失念していた。というか空港の設計図を引いた役人のだれもがそれを知らなかった。急ぎ用地の買い足しをしようとしたが、不満農民の中に社会党系活動家が入り込み、問題の誘導灯設置区域にはブリキ小屋が建てられていた。
世に言う「横堀要塞」がそれだ。機動隊と活動家、その活動家に戦闘物資を補給するTBS報道局も絡んで殺し合いが十年も続いた。

騒動のとどめが管制塔襲撃事件だが、これもまたふざけた話だった。
開港を前に空港周辺には一万四千人人の機動隊が配された。
機動隊員が道路真ん中のマンホールの傍に佇む不審者を見つけた。火炎瓶を持っていたので逮捕した。
ただ、彼がなぜマンホールの傍にいたかは詮索しなかった。
彼らは役所の労組を通して成田の下水道網の地図を入手しジャン・バルジャンみたいに下水道を伝って空港施設内に侵入した。
管制塔はもともと警備厳重につくられている。
管制室は五十メートルの高さがあるが、エレベーターはこうしたテロの備えてわざと乗り継ぎ式にしてあり、最後は細いらせん階段で上がる。
昇り切ったところには手動で閉鎖できる重い扉があって闖入者を防ぐ仕組みになっていた。その管制塔を十五人が襲ったとき、中の役人が頑丈な玄関ドアを開けた。
仲間が外でたばこを吸っていた。襲撃者を見て慌てて戻ってきたのを見た中の役人がドアを開けたのだ。同時に十五人のテロリストもなだれ込んできた。
彼らは最後のらせん階段部分の守りもあらかじめ承知で管制室下の張り出しから侵入している。これを知っているのは管制室の仲間だけだ。
かくて管制塔は落城したが、誘導灯を忘れた愚かな役人は全日空に天下り、下水道や管制室の秘密をテロリストに教えた小役人はだれも捕まらなかった。管制塔の玄関を開けた職員も懲罰はなかった。
  
 いま成田空港の周辺では殺人などの前歴をもつ活動家が地元民を取り込んで共存を強いている。北京とチベットの関係だ。空港も不便で、滑走路はカブールよりひどい。貨物空港にした方がいいが、そうならないのはターミナルビルという利権がそこにあるからだ。
 
 中山成彬は「日教組は日本のがんだ」と言った。がん細胞は今、民主党の中にも八個入っている。前国交相は「日本は単一民族だ」といった。正確には「単一・〇一民族」かもしれないが、それは四捨五入ですむ話だ。
 彼はまた成田を「地元民のごね得」と言った。ここだけは「役人のごね得」と言うべきだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い37 米国が今も続ける沖縄占領

2013-12-18 03:17:04 | 読書と映画
米国が今も続ける沖縄占領 2010/3/25

娘が通っていたカリフォルニア州立大の歴史教科書は「ルーズベルトのニューデイール政策は破綻した。彼は米経済を立て直すにはもう戦争しかないと考えた」と先の戦争に至る事情をはっきり書いている。
実際、大恐慌でどん底に落ちた株価は大戦を経てやっと回復していった。ルーズベルトの政策の中で唯一の正しい選択だった。
しかし日本に参戦の口実を作らせたまではよかったが、予想外だったのは日本軍の強さだった。
米国はのっけに米太平洋艦隊が全滅させられた。三か月はもつはずの英領香港の九龍防衛線はたった一日で落ちた。
日本軍など鎧袖一触のつもりで出てきた英戦艦プリンス・オプ・ウェールズが「近眼で急降下もできない」(米軍事評論家F・プラット)のはずの日本軍機にあっさり沈められた。
マレー半島の北辺を守る要塞ジットララインも三か月は持つはずが、ここも一日で落ちてしまう。

喧嘩を売っておいて、いざ日本が立ちあがるとただ逃げ惑う。一万関東軍に蹴散らされた二十万張学良軍みたいなものだった。
英米軍も張学良軍なみで香港の英軍は今に残るリパブリック・ペイのホテルに逃げ込んで宿泊民間人を盾に立て籠もった。
日本軍は紳士的に攻撃を手控えて降伏させるが、のちに英軍はこのやり取りに因縁をつけて日本軍兵士を処刑している。英国人の卑劣さがよく分かる。
かくて香港で一万の捕虜が出た。シンガポールでは十三万が降伏した。
向こうから宣戦したオランダ軍は八万がパンドン要塞に籠もったが、日本軍八百人が攻めると一週間で白旗を揚げた。

最も卑怯だったのはマッカーサーだ。日本軍がフィリピンに上陸するとマニラを捨てて要塞化したコレヒドール島に逃げ込む。その島を守るバターン半島の守備隊が敗れると海路、オーストラリアに逃げ出す。
司令官がそんな卑劣漢だから部下のウェンライトはもっとダメで、日本軍がコレヒドール島に上陸すると翌日には白旗を揚げた。それで十万が捕虜になった。
欧米が日本の糧遣を断った。喰うために戦争を始めたのに日本は三十万人もの捕虜を抱え、彼らのために収容所を建て、三食ただメシを食わすことになる。
海軍軍令部にあった高松宮さまは「割に含わぬ話なリ」と漏らされている。
彼らは日本軍は南京大虐殺の昔から残忍非道と言う。本当にそう思っていたら降伏などしないで最後まで戦うだろう。彼らは卑劣な上に嘘つきなのだ。
日本は最後は彼らの物量と、戦場ではなく銃後をやっつけるという彼らの戦法の前に負ける。

しかし捕虜となった日本軍兵士を彼らは捕虜(POW)にせずJSP(降伏日本軍兵士)とした。補虜にすれば収容所を作ってメシを喰わせる義務が生じる。カネがかかるから、それをやめた。降伏日本軍はしょうがない、チャンギーやベトナムのカプサンジャックに自分たちで収容所を建設して畑を作り、しのいだ。
国際法は常に彼らの勝手でつくり変えられた。戦後、米国は沖縄をハワイ、グアムに違なる太平洋戦賂拠点として占領を続けた。北方四島と同じだ。ただ、そうすると百二十万県民を米国の金でただで喰わせなければならない。
離島との交通の足もいる。人口二万のパラオを占領するのとはわけが違う。それで米占領地だけれど、特別に施政権を返すという口実で、本来占領する米国が支出すべき住民の福利厚生を日本に押しつけた。
沖縄が占領地のJSPと呼ばれる所以だ。しかし日本人にしてみれぱ占領地・沖縄が帰ってきた。那覇に行くのにパスポートもいらなくなった。
日本人が大喜びすると米国はすぐつけ込んで、じゃあ米軍基地にかかる費用も日本が持てと言い出した。思いやりの一片もない思いやり予算の誕生だ。沖縄は依然、占領下にある。米軍基地は出ていけという前にこういう歴史を知っておいた方がいい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い36 新聞に蔓延る教条主義的お馬鹿

2013-12-17 04:14:59 | 読書と映画
新聞に蔓延る教条主義的お馬鹿 2008/11/20

六法全書で「日本国憲法」の項を引いたら扉に米国の独立宣言が載っていた。
日本はまだ米国占領下にあるという意味なのか。あるいは日本の憲法はマッカーサーが編纂したから、彼への敬意を表したのか。よく分からない。
ただ独立宣言文とマッカーサー憲法を読み比べると面白い発見がある。

独立宣言はトーマス・ジェファーソンが起草した。
ほとんどが宗主国、つまり米国を植民地支配する英国に対する愚痴で、重税を課し、用もない役人を送り込んで高い俸給を負担させる。酷いじゃないか。
ひとしきりの愚痴を踏まえて、あの「そもそも創造主は人間を平等にお造りになった」というフレーズが出てくる。
そして「自明のこと」として「人間には生存と自由と幸福の追求という侵すべからざる権利」がある。そのために「人々の同意で政府という機関をもつ」ことになる。ホッブスの言う『リパイアサン』と同じだ。
政府は国民の側にあってその権利を守る。
だから政府が国民の利益を放り出し、自国を傷つけ他国のために働くようになったら「それを改めるのは国民の権利だ」とする。

その扉の次にマッカーサー憲法の前文がくる。
日本語になってないのは我慢するとして、そこに出てくる「政府」は前のぺージの独立宣言と違って「国民の権利を守る機関」ではなくて「再び戦争の惨禍をもたらす」存在として描かれている。
国民の役割も「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きないよう」政府を厳重監視せよと続く。
「再び」とマッカーサーが入れたのは「政府」に東京裁判史観の「国民を戦場に送った戦前の政府」をダブらせるためだろう。

こうして世界でたった一つ、政府と国民を敵対させる憲法が誕生した。白人は他国を支配するとき、その国の中に敵をつくる。インドではヒンズーとイスラムを敵対させた。内部で争っている限り独立運動など起きない。
「宗教対立こそ植民地インド最大の防衛策だ」とチャーチルは語っている。
単一民族のビルマではわざわざインド人や華橋を入れ多民族多宗教国家に作り直して国内紛争を煽った。
日本も単一民族だ。ビルマみたいに中国人、朝鮮人を入れることも考えたが、日本人のレベルが高すぎて効果は期待できない。
それで思いついたのがこの「政府と国民を敵対させる」アイデアだったわけだ。
幸いというか、日本の新聞界や学界には教条主義的お馬鹿さんが多い。
彼らをおだてりゃどんなに高い木にも上る。

朝日新聞の主筆の船橋洋一はその意味で一番の高みに登った一人になるだろうか。
例えば嘘つきで評判の早大教授が東ティモールで日本軍が島民五万人を殺したとやった。
船橋は裏も取らずに「日本政府は賠償義務がある」とまでやった。
政府を罵るためならいかがわしい国際的振り込め詐歎にだって加担する。
彼の真骨頂は朝日新聞一面に掲載した「ジャーナリズム再興」だろう。
ジャーナリズム精神とは「暴力装置を持つ権力が国民の権利を守るのか侵すのか、人々の心の奥や財布の中にまで手を突っ込んでこないか。外交防衛政策が日本の平和と安全を損なってないか」。それを監視し報道することだ、と。
これは新聞の公平性、中立性をかなぐり捨てるという禁じ手まで使って安倍元総理を誹謗中傷し続けたことへの言い訳として書かれたものだが、要は政府はヒンズー教徒にとってのイスラム教徒みたいなものだから、どんな汚い手も許されると言っている。

先日、船橋が「暴力装置」と名付けた権力の一角から田母神論文が出てきた。
「日本はアジア諸国を侵略し、植民地化して苦痛を与えた」とは村山政権が勝手に言い出した大嘘だ。それで国民はいらざる国際非難を受け、出さなくていい賠償も取られた、と。
「国家が国民の財布に手を突っ込んで」中国にばらまき、「日本の安全」も脅かしているのだとも。
船橋が危倶した悪い政府のまさに典型だ。それを内部告発するものだった。
当然共感するのかと思ったら違った。「こんなゆがんだ考えの持ち主が」(社説)と内部告発者を罵る。
こういうのを教条主義的ご都合主義というのか。

朝日新聞、毎日新聞、共同通信、NHKは本当に信頼出来ない。
今はネットの恩恵でこれらの実態を知ることが出来る。しかし、ネットに無縁の人もまだ当然におられる。
先日、新潟のホテルに泊まった時ロビーに毎日新聞が山と積まれ「ご自由にどうぞ」となっていた。苦戦しているのだろう。
しかし、私は手を出さずわざわざ駅で産経新聞を買い求めた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い35 汚水溜めの如き中国人

2013-12-16 02:15:43 | 読書と映画
汚水溜めの如き中国人 2009/8/13

中国人を支那人と書いてきたヘラルド・トリビューン紙がHan(漢族)という表記を遣い始めた。
「ウイグルで支那人が支那人を殺している」では何だか分からない。
中国人といっても実は文化も人種も異なるウイグル族や満州族がいる。それを人口と粗野さで優る漢族が領土ごと支配している。
そういう内実を伝えるのに十把一絡げで支那人ではまずいことにやっと気付いたということだろう。

実はそこを一番混同してきたのは日本人だった。
例えば中国好きの吉川幸次郎は北京にいくとすぐ長袍(チャンパオ)に着替え、瓜皮帽(ワラビー)をかぶって喜んでいた。
しかし彼は長袍も瓜皮帽も満州族の風俗で、それを漢族がどんな想いで見ていたかは知らなかった。

清朝を建てた満州族は吉川よりはモノが見えていた。彼等は漢族が「汚水溜めの強欲な殺し屋」(J・スティルウエル米司令官)であることを見抜いていた。
漢族をまともにするためにぼさぼさの髪を満州式の辮髪に結わせ、だらしない着物をきちんとした満州服に着がえさせた。
漢族がまっとうでないから、その悪い血に感染しないよう、満州族と漢族の婚姻は禁止し、後宮にも漢族の女は入れなかった。
米国は黒人との結婚を禁じてきた。白人の血が汚れるとでも思ったのだろうが、満州族も同じ目で漢族を見ていたわけだ。

満州族は乾隆帝を頂点に絢燗の文化を誇った。ずるい漢族は「乾隆帝は康煕帝と漢族の女の間の子、清朝の文化には漢族の血も混じっている」というまことしやかな嘘を創った。
それでも「俺たちを奴隷扱いした」ことへの恨みは忘れなかった。
だから辛亥革命で満州族のくびきを脱すると、漢族は辮髪を切り、長抱を脱いで人民服に着替えた。これは満州服を憎んだ孫文が日本の鉄道員の服をモデルにデザインしたものだ。
そこへ吉川幸次郎が来て孔子は偉い、李白の詩もいい、と言いながら長袖を嬉しそうに着て乾隆帝の治世を褒めそやす。漢族は「おちょくっているのか」と思ったことだろう。

再び漢族の時代が来ると彼等は持ち前の汚水溜め根性を丸出しにする。
清朝最後の皇帝溝儀を北京にとどめ、故郷の満州に帰らせなかったのもその汚水溜め根性からだった。
清の皇帝が漢族の新政府のもと北京におわせば、清の版図つまりチベットもウイグルも満州もそのまま新政府が相続したように世界に印象付けられる。
世界が錯覚するのを待って用済みになった薄儀は北京から追い出された。
日本はそのころやっと漢族と満州族の性根の違いに気づき、追われた薄儀の面倒をみることになる。
そんな折、正確には一九二八年夏。蒋介石配下の孫殿英が清朝の王墓「東陵」を爆破して乾隆帝から西太后の墓まで荒らした。
副葬の金銀財宝は奪いつくされ、とくに西太后墓では石棺がひっくり返されて遺体は屍姦され、彼女の口の中に入れてあった宝石「夜明珠」まで奪われた。
墓荒らしはまもなくばれたが、蒋はそれを罰しなかった。清は外来王朝で、おまけに漢族を奴隷扱いした。蒋は孫殿英を不問に付す代わりに賄賂を要求した。
孫は蒋に盗掘の品々を献上し、西太后の口の中にあった夜明珠は蒋の妻、宋美齢に贈った。
彼女はそれをスリッパの飾りにして来客に嬉しそうに見せた。一体彼女はどんな神経をしていたのだろうか。

天津でこの墓荒らしの顛末を聞いた薄儀は激怒した。祖父の醇親王は漢族を「不逞の家奴」と呼んだ。家奴とは奴隷のことだ。その言葉が真実だったと知った溝儀は清朝の再建を誓い、日本に支援を求めた。日本は孫文を支援して結果的に家奴を野に放ってしまった。その不明を償うために日本は懸命に協力した。
かくて満州国が生まれたが、世界はもう漢族のまやかしに乗せられていた。
いま不逞の家奴はチベットについでウイグルを泣かせている。
日本の読み違いがこの災厄を生んだ。「汚水溜め」に蓋をするのは日本人の歴史的義務ではなかろうか。

故人の墓を暴いて鞭打ちする、こんな習慣は日本には勿論無い。
これが現代も行われている。文化大革命の時に墓を荒らされる備えをした要人がいたと記録されている。
どうしようもない国だと改めて実感する。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い34 清王朝継承という大ウソ

2013-12-15 02:42:34 | 読書と映画
清王朝継承という大ウソ 2009/5/28

日露戦争の前半の山場は旅順攻略戦だつた。
日本軍は十年前の日清戦争でここをいとも容易く攻め落としていた。
しかし今度は中国人でなくロシア人が相手だった。城砦の攻防に千年かけてきた彼らの仕掛けは、いま見ても寒気を覚える。
その一つが裸の山肌に数メートルの深さで穿たれた空堀だった。飛び降りると背後の銃眼から狙い撃ちされた。銃眼に死角はなく嵌った日本兵は皆殺しにされた。
乃木将軍は攻撃法を変えて露軍の巡らした地下の回廊を攻めた。最後はお台場から28センチ榴弾砲を運んでこの要害を落とした。

兵員の死傷は五万を超えたが、その十年後のヴェルダン要塞攻略では五十万人が死んだ。
日本軍には初めての精緻な要塞を手探りで、しかもこれだけ短時日に落とした乃木。司馬遼太郎がなぜあんな下品な罵倒を浴びせたのか、理解に苦しむ。その28センチ砲で散ったコンドラチェンコ少将の碑が東鶏冠山に建っている。
文革のとき紅衛兵がその碑を壊し碑文も削った。
その後、日露戦争が観光資源になると分かって碑を再建したが、さもしい動機だから復元碑文もいい加減で「露国ロシサラテンコ少将戦死之所」とある。
おまけにガイドは「日本人が憎い敵将を侮辱するために彼の名を彫った碑を建てて石をぶつけた」と真顔で説明していた。

中国人は岳飛を陥れた秦檜の像をわざわざ作ってそれに石をぶつけたり唾を吐きかけたりして喜ぶ。日本人も同じだろうという発想で、こんないい加滅な「公式説明」を拵(こしら)えた。
だからといって中国人のつく嘘がすべていい加減かというと、むしろ念入りに握ねた嘘の方が多い。

例えば清王朝が万里の長城の外、熱河のほとりにつくった承徳宮だ。
ここには康煕帝直筆の「避暑山荘」の額がある。だからガイドも公文書も「ここは皇帝の避暑地で夏を挟む半年間を過ごしました。滞在中は興安嶺麓の狩り場、木蘭囲場で狩りもしました」と説明する。
しかし清朝の王様が北京を半年も留守にして遊んで暮らせたのだろうか。
実はこの熱河にはチベットニフサにあるポタラ宮の三分の一サイズにした小ポタラ宮が造営されている。
乾隆帝がダライニフマ八世を歓迎するために建てたものだ。パンチェンニフマのための寺院もある。当時の強国チベットとの友誼を大事にしていた証しだ。
康煕帝も乾隆帝も木蘭(ムーラン)囲場での狩りを欠かさなかったが、ゲストは常に同盟国モンゴルの王だった。
乾隆帝はウイグルの美女香妃(シャンピー)を大事にし、承徳宮には彼女の館も造った。

こうしてみると熱河は清王朝が版図に取り込んでいった国々との折衝の場だった、もう一つの都だったことが窺われる。
それをいまの漢民族政権はどうして「避暑地」にしたがるのか。
彼らは清も唐や明と同じ歴代王朝の一つと数えたがる。そうすれば清の版図つまりチベットやウイグルなどを今の共産党王朝が正しく継承したと主張できる。
しかし清が北京と熱河に都を置いたとなると、景色が違って見える。つまり北京は漢民族支配のための根拠地でしかなかった。漢民族はチベットなどとは違って清王朝の一植民地の民だったということだ。

実際、事実はそれに近い。清は漢民族に対してのみ満州の習俗を強いた。一つは癖髪だ。
漢民族は髪を神聖視して剃髪を嫌った。伸びた髪を頭の天辺に丸めて袋を被せてきた。
その習俗をやめさせ、満州の髪型を強い、逆らう者は片っ端から処刑された。
衣服も満州風に改めさせた。チャイナドレスとは満州服のことを言う。
ちなみに孫文は漢民族国家を樹立するに当たって満州服の代わりに人民服を導入した。モデルは日本亡命中に見た鉄道員の制服だ。
漢民族の美意識は太湖石に尽きる。蘇州・太湖で採れる黒い穴だらけの石灰岩だが、乾隆帝はこれを嘲る歌を幾つも詠んでいる。
要するに漢民族は単に植民地の民、ひらたく言えば奴隷だった。それを隠すには熱河は避暑地でなければならなかつた。
かくてここでも歴史の捏造をやらかした。

中国○千年(?)の歴史とかよく言われる。しかし、同じ王朝、民族が四千年続いた訳ではない。
彼の国は王朝が替わるたび(即ち、支配民族が替わるという事だが)前王朝の総てを破壊し尽くす。日本国はどうだ、戦国時代等の領地分捕りの争いはあったが、天皇家はず~っと続いている。彼の国が羨む訳だ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い33 インパールを奪ったインドの非道

2013-12-14 02:32:30 | 読書と映画
インパールを奪ったインドの非道 2009/3/12

英国がビルマ征服を思い立ったのはお茶の木のせいだ、という説がある。
当時、お茶は中国の特産で、鎖国中の日本を除いて他にはお茶の木は一本もないと信じられていた。
英国は中国に頭を下げて言い値でお茶を買った。
それが何とも業腹だったので、英国はベンガルで栽培した阿片を中国に売り込むことを思いつく。

これが阿片戦争につながっていくわけだが、同じころ東インド会社のロバート・ブルースがビルマ領アッサムの高原でお茶の木を見つける。
英国がそれをみすみす見逃すだろうか。翌一八二四年に英緬戦争が起き、英国はアッサムを手に入れる。
そこはインドと違って冷涼で霧も出る。いかにもお茶向きの気侯だった。
英国は早速、野生の茶を集めて栽培を始め、同時に見晴らしのいい一角に英国人専用の高原の街ダージリンを開いた。
記録では三八年、アッサム茶の初荷がロンドンに送られ、一躍ブランドになった。因みにダージリン茶は後に中国の茶をここに移したもので、アッサム茶とは別品種になる。

ここにはもう一つ驚きがあった。石油が出たのだ。おまけにタングステン、ニッケルなどの有望な鉱脈も見つかり、たどると奥地のマニプールからシャン高原に続いていた。
英国は再びビルマに戦争を仕掛け、ビルマ全土を手中に収めた。
国王ティボーと家族はインドに流され、王女はインド兵の愛人に下げ渡され、その孫がムンバイの貧民街で造花を売っていたと一昔前ヒンドスタン・タイムズが伝えていた。
ビルマの民も惨めだった。アッサム、マニプールも含め住民は日本人と同じモンゴロイド系になる。

英国は白人と同じアーリア系インド人より格下とみなして、ビルマを英国の植民地インドの植民地とした。
かくてインド人はインドでの英国人のようにビルマで振る舞った。
ビルマ人はインド人を心から憎み、サヤサンの反乱も起きた。宗主国気取りのインドは英国がセポイの反乱でやったようにパンジャブニフイフル部隊を出動させ、ビルマ人に地獄を味わわせた。

第二次大戦、日本軍がビルマにやってきて英国人もインド人も逃げ出した。
日本軍はさらにインド解放も視野にマニプール州を攻めた。日本では州都の名にちなんでインパール作戦と呼ばれた。このときビルマのアウンサン将軍以下はインド解放の戦いにそっぽを向いた。インド人を心底嫌ってきた歴史があるから無理もないかもしれない。
しかし日本側に師団の丸ごと敵前逃亡などがあって敗退する。インド兵は英国軍に従って日本軍を追い、ミッション高地では動けない日本兵三十人にガソリンをかけて焼き殺した。
ネルーが後に愛国者として弁護したインド独立義勇軍もこの作戦に参加していたが、ほとんどは戦場に入る前に逃亡した。

インドは戦後、日本軍をやっつけた褒美に英国から独立を与えられた。
そのさいネルーは、インドの植民地として残っていたアッサムなどを、こっそりインド領に組み込んだ。
万里の長城までが領土だった漢族の孫文が、満州やウイグルも「オレの領土」と言い出したのと似ている。
漢族政権が今、ウイグルの石油や地下資源を勝手に私しているのと同じに、インドもまたアッサムの茶や石油を己の財産のように扱っている。
その結果、ウイグル、満州と同じにアッサムやマニプールの人々がインド人の支配を嫌い、独立を叫び、インド人がそれを厳しく弾圧するという連鎖が戦後ずっと続いている。

最近でもアッサムの州都ゴハティの警察本部と市場と石油施設に爆弾が仕掛けられ、六人が死んだ。
先日、インパールを訪ねた際も地元ビルマ系女性を強姦して殺したインド人二人が何者かに処刑された。インド政府がこれをテロと呼ぶ辺りも中国と似ている。
ネルーは列強の植民地支配と搾取を厳しく非難したが、その裏でアッサムに同じことをしてきたわけだ。
東京裁判判事のラダ・ビノード・パール博士はそのアッサムに隣接するベンガルの出身だ。
彼もまた、自国の行為には目をつぶって、日本に対して高みから意見を述べた。
インド人はどこまでも英国の真似しかできないのか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い32 日航機長は感動した

2013-12-13 04:04:48 | 読書と映画
日航機長は感動した  2011/6/9

一昔前になる。熊本県水俣市で鉄砲水が出て19人が亡くなった。
それを伝える共同通信の記事は『もっと捜してと』の見出しで「(身内が埋まっているから自衛隊員に)もっとその辺を捜せと言ったのに」と視察に来た県知事に不満を訴える被災者の言葉を取り上げていた。
記事に添えられた写真には横隊で泥沼の中を遺体捜索に当たる自衛隊員を手前から中年の女性二人が手持無沙汰にしゃがんで見つめている図柄だ。

何とも違和感が残る。身内が埋もれているなら自分達で探すのが家族というものだ。少なくとも日本人はそうしてきた。
そこに災害派遣の自衛隊員が来てくれた。語る言葉はまず「有難う」だろう。そしていっしょに泥沼を懸命に捜す。

しかし共同の記事は違う。
被災者はご主人様で、泥まみれで仕事をするのが自衛隊員。それが写真の構図。その主人様がここを掘れと言っているのに言うことを聞かない。「奴隷のくせに許せないと不平を洩らす被災民」としか読めない。

朝日新聞と共に共同通信が常々張ってきた自衛隊蔑視キャンペーンはこうした一般記事にも盛られ、ある種サブリミナル効果として人々の心に浸透させていったように思える。

それが端的に出たのが今回の3・11大震災だ。新聞には毎日、震災死者数と行方不明者の数が載る。
死者数は増え、その分行方不明者のが減るのは遺体が新たに発見されるからだ。
誰が発見するのか。被災者の身内ではない。
彼らの中には「外は臭くて」(朝日新聞)とか言って日がな一日避難所に籠もったままの者もいた。

ここも水俣市と同じ。
泥沼を、そして逆巻く波の打ち寄せる海岸を捜索しているのは自衛隊員で、彼らは2ヶ月以上休暇なしの連続勤務に耐え、風呂も被災民に譲って汚れた体のまま雑魚寝を続ける。共同の主張は被災地に根付いていた。

自衛隊蔑視論は官僚世界にも根を張っていた。
90年代半ば、ルワンダ内戦で難民が出ると外務省はその救済に自衛隊員派遣を言い立てた。
難民キャンプにも武装ゲリラが出没する。エイズは流行る。危険千万で、内戦に責任のある西欧諸国も尻込みしていた。
で、米国が安保理常任理事国入りを餌に日本に派遣を要請してきた。

外務省は喜び、派遣部隊に被害が出ればより外交効果があると読んで、装備は小銃のほか機関銃一丁とほとんど丸腰で放り出した。
自衛隊はそんな悪条件下でも任期を無事務め上げたうえ、武装ゲリラに襲われたNGOの日本人医師の救出もやってのけた。

外務省には期待外れだった。お前らは死ねばいいのに、なに勝手をやるのか。共同も朝日新聞も自国民救出など自衛隊の越権行為だと非難した。

期待に背いたことへの報復は陰険だった。
任務終了後、帰国には民間機を利用し、その際は制服の着用は仰々しいので認めない。
各自私服で帰れと。
お前らは目立つことはないという意味だ。

誰しもましな着替えなど持っていない。
年の押し詰まった12月27日、ロンドンから日航機に搭乗したとき周囲の乗客はひどい身なりの集団にちょっと驚いた。

それが異郷の地で頑張り抜いた自衛隊員と知るのは機が公海上にでてからの機長アナウンスでだった。
『このたびは任務を終え帰国される自衛隊員の皆様、お国のために誠に有難うございました。
国民になり代わり機長より厚く御礼申し上げます。
当機は一路日本に向かっております。皆さま故国でよいお年を迎えられますよう』

異形の集団を包むように客席から拍手が沸き、その輪がやがて機内一杯に広がって行った。
機長は乗客リストを見て自衛隊員の帰国を知り「日本人として当然のことをしただけ」と語る。

成田に着いたあと65人の隊員はコックピットの見える通路に整列し機長に向かって敬礼した。
被災地はともかく日本人はまだまだ一杯いる。

この話題は以前にもご紹介したのだが、思わず涙腺が緩む。
自衛隊員の皆様、ご苦労様。日航の機長さん、ありがとうございます。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い31

2013-12-12 02:58:07 | 読書と映画
シリーズでこの高山正之氏の変見自在をご紹介しているのだが、この単行本を改めてご紹介します。
何度も案内しておりますが、この話題は週刊新潮の巻末一ページに連載されているコラムで、これをまとめて単行本にして刊行されている(新潮社)。
第一巻「ジョージ・ブッシュが日本を救った」が刊行されたのが2008年、以降刊を重ね最新号「マッカーサーは慰安婦がお好き」で第八巻となっていて、私は全巻を所有している。
以下が全ての内容です。

       

なお、このシリーズから外れますが日下公人氏との共著(対談)「日本はどれほどいい国か(PHP)」もお薦めです。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い30  自衛隊はいつも悪者

2013-12-11 02:27:50 | 読書と映画
自衛隊はいつも悪者 2008/3/6

今から半世紀前、東京五輪が行われたころの北海道の海ではソ連の警備艇が好きに
日本漁船を捕まえ、乗組員を強制労働に使い、奪った船はソ連の漁民に払い下げていた。
ソ連はロシアの昔からごろつき国家のままだった。

強制労働の年季は五年くらいで、それが明けて抑留漁船員が帰ってくるのを一度取材したことがある。
根室沖で拿捕された若い漁船員の留守宅では、抑留中に生まれた娘に、これがおとうだよと母が一葉の写真を見せていた。
その傍らでおじいさんが「戦前はよかった」と道い目で昔話をしてくれた。
南樺太がまだ日本領だったころだから、漁船はオホーツク海の奥の奥にも出かけた。
それをソ連艦がハイエナのように襲ってくる。日本漁船は逃げる。
しかし敵は船足が速い。あわや僚船が拿捕される、というとき忽然と黒い艦影が南に現れ、急速に迫ってくる。
「我が駆逐艦だった。みんな歓喜の声を上げた。ソ速艦は逃げていった」
すれ違う艦の舷側から水兵が手を振っていた。それが頼もしく、なぜか涙が止まらなかった、と。

戦後、鮮やかな海軍旗をつけた駆逐艦は消え、ロシア人の海賊だけが残った。
やがて自衛隊が生まれたが、戦前と違って肩身の狭い生き方を強要された。
北朝鮮が攻めてきても自衛隊の車は交差点の信号は厳守、高速道でも料金を払わされる。そこらのパトカー だって私用でただ乗りしているのに。
海はもっと肩身が狭い。海防を担う海軍艦艇はどの国でも自国領海では優先航行権が与えられる。
当たり前だ。空母キティホークの右舷側(スターボード)から小さなイカ釣り船がやってきました。
そしたら八万トン空母が右に転舵して釣り船を避けました、となるか。

しかし日本ではその常識が通用しない。朝日新聞は「自衛隊は日陰者、特権など笑止、偉そうにするな」と執拗にいやがらせをしてきた。実にイヤな新聞だ。
それで自衛隊も小さくなって生きてきた。東京湾に入った二千二百トンの潜水艦「なだしお」もそうだった。
気がつくとスターボードから小型の釣り船が接近してきた。
艦長は朝日の言うとおり並みの船になって右に転舵し回避行動を取った。
一方の釣り船の船長はでっかい潜水艦がきた、傍まで行って乗客に見せてやろうと思った。
まさか国防を担う大きな潜水艦が小さな船のために転舵・回避行動を取るとは夢にも思わなかった。
しかし潜水艦は右に転舵した。船長は慌てる。慌てすぎてありえない左への転舵をして、回避した潜水艦と正面衝突した。三十人が死んだ。
「なだしお」は世界の軍艦がそうしているように胸を張って進めばよかった。しかし朝日の執拗な自衛隊いじめを受けて防衛庁の愚かな官僚が「制服組はただひたすら卑屈にしていろ」と命じていた。

「なだしお」の艦長はそれで卑屈に行動し、それゆえに起きた不幸な事故だったが、朝日新聞はここで掌返しをする。
卑屈に行動するよう自衛隊に強いてきた朝日はそれを一切論じないで「見張り義務違反」とか適当な因縁をつけて「やっぱり自衛隊が悪い」とやった。
横浜地裁では馬鹿な裁判官がその朝日に乗って艦長を有罪とした。
海難審判はちょっとましで、艦長より釣り船船長の過失を大とした。
しかし最も大事な点、つまり国防の任にある艦艇の優先問題はここでも論じられなかった。

房総沖で海自のイージス艦「あたご」と漁船がぶつかった。「なだしお」のときと同じく今度もスターボードから漁船がやってきた。
「あたご」は「なだしお」を教訓に無用な転舵を避けた。
世界の常識に従い直進したら事故になった。
朝日新聞は「目の前の漁船すらよけられないのならどうやって日本を守るのか」と勝ち誇れば、漁民も朝日に吹き込まれた通りに騒ぎ立てる。漁船の親子が居眠りしていた
ことを知っていながら黙っている。卑屈極まりない。
だいたい国防の大切さを朝日が言うなどいかがわしい限りだ。そういうならその任に当たる艦艇が小船に遠慮 するような手枷足枷を外すのが先だろう。
日本の海の防人がどうあるべきか。与太新聞に踊らされる前に根室の老人の話をもう一度噛み締めたい。

昔の小学校で「お父さんが自衛隊員、警察官の人」と立たせられ、その児童が先生から嫌味を言われた時代があったと聞いた。
国を守り、治安を守る職業を卑下するとは何事であろう。
辻元清美が主宰するピースポートが海賊が横行する海域を航行する時に、自衛隊に援護を要請した。日頃、自衛隊に批判的なあの辻元清美がだ・・・・・・
東日本大震災の救助活動で自衛隊の国民の支持が一挙に上がった。嬉しい事だが、自衛隊が国を守る本来の役割で支持が上がって欲しかった。
最近も中学生だかの職場実習、自衛隊を選んだ生徒に迷彩服を着せて実習したら批判が起こった。本質的には変わっていない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い29 日中友好はいらない

2013-12-09 05:21:21 | 読書と映画
日中友好はいらない 2004/5/6

南京郊外に雨花台と言う小高い丘陵が在る。日中戦争の時には、南京に迫る日本軍を食いとめるべく蒋介石軍ががこの丘に多くの保塁やトーチかを築いた。
日本側は第6師団が執拗に抵抗する敵をてこずりながらも沈黙させたが、残敵処理に行った兵士達は思わず眉をひそめた。
どのトーチカも出入り口が外から封鎖され、中に閉じ込められた中国人兵士の足にも頑丈な鎖が巻きつけられていた。
逃げ様にも逃げ出せない中で彼等は、だから死に物狂いで抵抗したわけだ。
これに続く南京攻略線でも中国軍は退路に当る城門の上に機関銃を据え、逃げ出そうとする仲間に容赦無く銃弾の雨を降らせた。
其の間に蒋介石は重慶まで落ち、南京守備の指揮官も逃げている。信頼関係などこれっぽっちもない中国軍のおぞましい姿だが、そうやって自分たちの手で築いた屍の山を「日本軍がやった」と江沢民は言う。この人は閻魔様が怖くないのだろうか。

さて雨花台だが、ここは中国の鈴ヶ森で、明の頃からの知られた処刑場だった。
個々の露と消えた中には方孝孺がいる。彼は民王3代目を武力で襲名した永楽帝を正統の皇帝と認めなかった。
永楽帝は彼の目の前で家族や係累八百余人を殺して翻意を迫る。しかし彼は拒む。帝は次に彼の母が多の係累を全て処刑し、更に妻の親族や彼の門弟、知己に至るまで殺した。最後に彼をここで処刑する時には彼を知る物は一人も残っていなかった。
中国では涙無くてしては語れない忠臣の物語とされているが、単に傍迷惑な人という見方も出来る。

その雨花台では実は日本人も処刑されている。向井敏明少尉、野田毅少尉、そして陸士三十七期の田中軍吉大尉の3人だ。
2人の少尉は東京日日新聞、今の毎日新聞が「百人斬りを競った」と報じた当人になる。
上海から南京までのほぼ2週間の進撃中にどっちが早く百人の敵兵を斬るか。向井少尉が関孫六で、野田少尉も無銘ながら伝家の名刀で競ったと言うストーリーで、毎日の浅海記者が其れを報じている。
一回目の記事は無錫から常州までの3日間の戦闘で野田少尉が25人を、向井少尉が56人を切り、関孫六は「刃こぼれ一つ無い」と自慢する話し。
2回目は四日後の丹陽発でそれぞれ86人、65人に記録を伸ばす。
3回目はほんの十行の記事で数字だけ。そして最終回は南京陥落の日で、結果は10人と105人。
向井少尉の関孫六も「敵兵を鉄兜もろとも唐竹割り」して刃こぼれが出来た話しを付けて、勝負が引き分けに終わったと報じた。

この記事が戦後、問題になった。復員していた2人はBC級裁判にかけられたが、当時は砲兵小隊長などで、敵兵と切り結ぶ立場になく、しかも一人は負傷して戦線を離れていた事も分って釈放された。
毎日新聞の浅海記者が景気付けに書いたヨタ記事だったわけで、同士が後に出版した『昭和史全記録』にも「百人斬りは事実無根」だったとしている。
ところが釈放間もなく2人は再召喚され、南京に送られて当地の軍事法廷で死刑が宣告された。
法廷には3人目の田中大尉もいた。山中峯太郎の作品『皇兵』の中で「300人を斬った田中隊長の刀」という絵解きを根拠に彼にも死刑判決が下された。

向井少尉の遺書と最後の写真がある。「我が死をもって遺恨を流し日華親善の礎となれば幸いです」。
雨花台は今の緑重々と違い寒々としたがれ場。処刑を前に前手錠の不自由な手を挙げて「日中友好万歳」を三唱する姿がとどめられている。
今其の「百人斬り」が裁判にかかっている。被告はヨタ記事を載せた毎日新聞と反日・中国の好みに合わせ嘘を承知でどぎつい脚色をした朝日と本田勝一。
しかし毎日は一旦認めた「事実無根」を撤回し「記事は真実」と主張する。自社の無責任な記事で2人が殺されたのに反省は無い。毎日とはそんな新聞だ。
朝日も同じ「そういう過去の残虐を認めてこそ日中友好」という。雨花台にこだましたのと同じ言葉だが、実に空々しい。

「百人斬り」「従軍慰安婦」その他の事柄にもあるのだろうが、発端は日本の報道である。あっ、そう言えば「靖国参拝」もそうだった。
慰安婦刈りなど吉田清治の与太話が今の状況を作り上げ、本人がフィクションだと語っているのにだ・・・・・・



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い28 この程度で大学教授とは恐れ入る

2013-12-08 02:53:46 | 読書と映画
この程度で大学教授とは恐れ入る 2009/12/10

その昔、ベトナム史について学界の泰斗という明治学院大学教授を取材した。
泰斗は「日本軍の長い占領時代に」とか「日本車の支配下で」とか、句読点代わりに言う。
日本嫌いなのはしょうがないとして、気になるのがさかんに遣うベトナムの「長い占領時代」という表現だ。

長いと言ってもフランスに比べればほんのちょっとでしょうとたしなめる。 「確かに短い。しかしその四年間が問題なのだ」 四年間? 「そう。北部仏印進駐からだから」 いや日本車の支配は昭和二十年三月に仏軍を追っ払ってからの五か月間だけど。 「えっ、ウソ」
日本はずっと居候。フランス統治が続き、フランス人たちは昭和十八年にサイゴンに四階建てのチーホワ刑務所を完成させている。 「戦場にかける橋」を書いたピエールーブールは脱走罪でここに収容された。彼が描いた「残忍な日本車捕虜収容所」のモデルはこの刑務所だった。残忍な拷問をやったのはフランス人で、やられたのは抗仏のベトナム人だった。明学の泰斗はそれも知らなかった。

後藤乾一早大大学院教授はインドネシア学の権威だそうだが、これも同じ。「日本軍はスマトラの底なしの穴に原住民三千人を突き落として殺した」とやった。 調べたら穴には底があったうえ骨一つ出てこなかった。大嘘だった。
一橋大教授の藤原形は空に立ち上る真っ黒な煙幕を「日本車の毒ガスだ」と朝日新聞で断言した。毒ガスは無色で空気よりやや重いことはオウムのサリン部隊だって知っている。 そんな程度でも自虐史観に立っていれば朝日新聞が使ってくれる。
ではまともな学者はというと産経新聞に載るのが相場だったが、最近は少し変わったらしい。
先日は法政大の田中優子が産経新聞に書いていた。この人は授業に貧農史観漫画『カムイ伝』を使っていますと前に書いていた。 そのときはちょっと驚いたが、今回はちょっと呆れた。

民主党政権のやった「仕分け」に引っ掛かる無駄が江戸時代にもあった。それは「武士階級、今で言う官僚機構だ」というのだ。
「村や町の治安や自治は村人や町人がやった」からその上に立つ武士は少しでいいのに大勢いた、ぞれが無駄なのよと。 この人は漫画は読んでも文字ばかりの中村彰彦の著作は読まないらしい。
あの時代、武士の数は少なく仕事はやたら多かった。東京湾に流れ込んでいた利根川を今の銚子に流し、あの辺に良田を作ったのは関東郡代だ。 千曲川も多摩川も最上川もそう。治水や新田開発は武士がやった。百姓はそれでできた田んぼを貰った。
百姓はこっそり田を広げ、藍や煙草などを作って儲けた。十分金持ちだった。代官が検地をし直すというと、一揆を起こすと百姓が逆に脅した。江戸時代、だから検地はほとんどなかった。百姓につく形容詞は「貧しい」ではなく、「こすい」だった。
町人も例えば江戸は原則無税、大店は多少の運上金で済んだ。他所の街では間口で税金が決められ、だから間口に比べ奥行きの深い鰻の寝床みたいな街並みができた。それでもよかった。いい時代だった。

田中教授は知らないらしいが、治安は武士がやった。百万都市の江戸はたった二百五十人の与力同心が警察から裁判までやった。
それで働き頭の同心は三十俵二人扶持、年収二百万円にもならなかった。
日本は清貧を旨とする武士が官僚を兼務した。だから世界で稀有の汚職のない施政が実現した。
今の官僚と違って汚職をしないから武士は貧しかった。それでアルバイトをした。大館の曲げわっぱも豊橋の筆も秋田の樺細工も二本松の萬古焼もみな貧乏武士の副業だった。
町人や百姓は金に飽かして遊び、それが浮世絵やら根付けやらの結構な文化を生んだ。それもまた日本のよさだった。
日本を既めるのが学者の役割だと思っているような者は朝日新聞に書いていればいい。
産経新聞も余計なバランス感覚などいらない。もう後もないのだから日和ることなく、まともな新聞の形を見せてほしい。

戦後の公職追放で有能な人材が大学を離れざるを得なかった。
そこに入り込んできたのが左翼系の大学教授だった。大学教授という職業は非常に閉鎖的で助教授から教授になるには、徒弟制度とも言える指導の教授の承認がいる。
左翼教授は左翼の考え方を持つ助教授しか教授にしない。だから延々と左翼教授、左翼教育が続く。こんな趣旨の事をどこかで読んだ。

イギリスとて自虐史観に染まった教育が長く続いていた。
これを払拭したのがサッチャー首相だった。時の国会でサッチャーが放った一言は印象に深い。
「あなた方が忠誠を尽くす旗は赤旗でしょ。私が忠誠を尽くすのはユニオンジャックだ」


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い27 白人が理解できない日本人の美徳

2013-12-04 01:41:46 | 読書と映画
白人が理解できない日本人の美徳 2009/12/31

ザビエルは日本人を観察して「異教徒の中では将来最も有望で、教養がある」と報告した。
しかしどんなに布教に努めても日本人はゼウスに関心を持たない、彼らの心を掴みきれなかった。彼は「日本人を理解するのを断念」した。
彼のあとにイエズス会日本布教長になったアレサンドローバリグナーノも「日本はすべて裏返しの世界だった。日本人に我々と似ているところは何一つなかった」と結論した。
大正期に日本で育ち近衛文麿と遊んだこともある英軍人コンプトンーパケナムも「ジャップは絶対的にユニークな国家だ。世界のいかなる国とも違う」(ジョンーダワー『人種偏見』)とバリグナーノの日本・裏返し論を裏書きした。
先の戦争のおりの駐日英大使たったロバートークレーギーも「日本で生活すればするほど彼らが不可解になる」と語る。

どこがどう違うのか。ロサンゼルスータイムズ東京特派員サムージェムスンが阪神大震災の現場で「ここが違う」と指摘した。
通信は途絶し、警察機能も失われた混乱の中で ”山口組が彼らのアジトの前で炊き出しをして被災民に配っていた”と。
こういう状況でよその国の人々の行動は決まっている。例えばアフガンだ。ここを丈配するイスラム原理主義集団タリバンは民に高いモラルを求めた。それに背いて強姦をしたら死罪、泥棒したら左手首と右足首を切り落とした。 9・11のあと米国がタリバンを崩壊させると、今まで家の奥に引っ込んでいた人々は笑顔を取り戻して政府施設から商店街まで好きに略奪した。米軍はそれを温かく見守った。
クリントンの主宰するWTO閣僚会議がシアトルで聞かれた折、数万のNGOが抗議に詰めかけた。
警察が各国要人の警護にかまけて市内の警備が手薄になると、NGOメンバーは商店街を軒並み略奪した。「折があれば略奪する」はアフガン人も米国人も共通した認識だ。
だから震災という略奪の好機を山口組や一般市民が見逃すこと自体、米国人サム・ジェムスンには信じられなかったのだ。

戦争は略奪を国家規模にしたものだ。イスラムは戦争を認め、ただし略奪品の分配だけは公正にせよと教える。キリスト教も同じ。北清事変の折、日本車の奮闘で北京が平静を取り戻したあとドイツ軍司令官ワルデルゼーは「三日間に限って兵士に略奪を認めた」と独皇帝ウィルヘルムⅡ世に書き送っている。
無制限でなく三日間に区切ったことが文明人の証しだと思っている。
サダムーフセインを倒した「イラクの自由」作戦は約三週間で終わった。
無警察状態のバグダッドでは「数千の市民が国立博物館に押し入りシュメールの文化財など数千点を奪った」とニューヨークータイムズが報じた。
正確に言うと略奪したのは市民のほかに戦争勝利者である米兵と米ジャーナリストも含まれ、盗品の大方は彼らが持ち帰った米国の幾つかの空港で回収されている。

マレー上陸作戦の朝、山下奉文司令官は「軍風紀を緊粛し『焼くな、奪うな、犯すな』を厳守すべし。従わざる者は処断し、上官もその責任を問う」と訓示した。よその国ならこれだけで兵士が暴動を起こす。
アダムースミスもケインズも需要と供給が経済の根本だと考えた。需要が大きく供給が小さければ、うんと儲かると。
中越地震の折、被災地は道路が落ち、生活物資もこと欠いた。
そんなとき震源に近いスーパーが野菜や総菜、缶詰など二千円相当の詰め合わせを一袋四百円で店頭に並べた。売れるほど赤字になる。「でも苦しいときはお互いさまですから」 供給が小さいとき、値下げして商売する。よその国では真理になるケインズ理論も日本では単にあくどい商法に見られる。
そんな日本の鳩山政権は二億ドルのスパコン開発費を出し惜しんだ。その一方でC02排出削減にそっぽを向く中国の温暖化対策のために百五十億ドルを出しますと約束した。
これはユニークとは言わない。単に馬鹿という。

東日本大震災でも世界中が日本にビックリした。
略奪はおきないどころか、きちんと並んで乏しい商品の買い物の順番を待っている。
混雑した道路でもクラクションを鳴らすような事はない。
日本は誇れる国柄だ。

冒頭の話題であるが宣教師が「ゼウスは全知全能の神である」と説いた。すると当時の日本人それも庶民が「全知全能であるなら、今までに何故現れなかったのか?」と反論した。しかし”地球は円い”には異常な関心を示し多くの質問も出たらしい。
これらの事態に宣教師は驚愕した便りを本国に出している。

話題が逸れるがこの当時、種子島に鉄砲が始めて伝わった。日本人はビックリしたが、この鉄砲を分解し研究し遂には自作できる事になった。
それからは量産に務め世界一の鉄砲生産国になっている。これには日本人の未知への探究心、鋭い観察力、そして日本刀を作るに至った製鉄技術などが実を結んだと思われる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い26 朝日は変質者と変わらない

2013-12-02 04:30:46 | 読書と映画
朝日は変質者と変わらない 2009/12/24

昔の天声人語は執筆する荒垣秀雄なり深代惇郎なりに二人のデスク級の記者がつき、文章もネタもとことん吟味したといわれた。 それであの程度かという声もあるけれど、最近の出来栄えを見ていると人員削減でアシスタントなし、執筆者一人のやっつけ仕事かと思うほど荒れている。

例えば先日の沖縄を論じた一文。「先の戦争では捨て石にされた」とあった。
陳腐なうえに歴史的な環境を見落としている。 だいたい米国はペリーを派遣したとき、日本の開国がどうの以前に沖縄を武力占拠するつもりでいた。
そう命じた当時のフィルモア大統領の記録もある。沖縄はすでにあのときから米国が確保すべき戦略要衝とされていた。
実際、ペリーもそのつもりだった。東回りルートでインド洋を抜けた彼は上海で一休みしたあと、八隻からなる艦隊を引き連れて那覇港に押し入った。
琉球の王は上陸を拒否したが、ペリーは強行上陸し首里城にまで閥人した。 事実上琉球を占領したペリーの艦隊は那覇に居座り、そこから小笠原諸島への調査や石垣島の砲撃にも出かけている。

この砲撃騒動が世に言う石垣島事件だ。
前年、その辺を航行中の米奴隷船ロバートバウン号で積み荷の苦力が暴れ出し、乗り組み員を殺して船を乗っ取った。 しかし苦力に操船は難しかった。船は座礁し、生き残った約三百人の苦力が石垣島に逃げ込んだ。
巡洋艦サラトガの任務は白人を殺した逃亡苫力の処罰で、石垣島に海兵隊を上陸させ、苦力の逃げ込んだ山岳部を砲撃した。百人ほどの苦力が捕まり、島民の見ている前で全員が処刑された。
サラトガ艦長にすれば沖縄はとっくに米領土。砲撃しようが上陸しようが「俺たちの勝手」だった。
サラトガは任務を果して那覇に戻り、次にペリーのサスケハナに随行して浦賀に向かった。 米国はその後、国内で南北戦争を始めて、沖縄占領の方はいったんお休みになる。その間に日本は近代化を進め、沖縄のさらに南、台湾まで領有する。 米国もハワイを乗っ取り、フィリピン、グアムを領有するが、沖縄が「西太平洋の戦略要衝」という認識は変わらなかった。

日米戦争の終末に展開された沖縄攻略戦は、だから「本土の捨て石」としてではなく、百年かけた米国の太平洋戦略の最後の仕上げとなるものだった。
彼らにとってその価値は今も変わらない。 沖縄にあれだけの基地が集中している理由もそれで理解できるはずだ。 米国はケチだから不要な基地は持たない。 ソ連が崩壊してベトナムのカムラン湾からソ連艦が撤退すると、米国はその真向いに位置するスビックペイ海軍基地とクラークフィールズ空軍基地をさっさと畳んでしまった。
ニクソン政権時代、米国は突如として沖縄の施政権を日本に返した。 「戦略要衝として基地は残す」という条件付きとはいえ、世界は驚いた。 アルザス・ロレーヌを取るか取られるかでドイツとフランスは普仏戦争から先の大戦まで三度も戦った。戦争で取られた領土は戦争で取り返すのが有史以来の人類の約束ごとだった。
その悪しき伝統をニクソンと佐藤栄作が破った。 栄作は非核三原則でノーベル平和賞を受賞したが、本当はこの戦争なしで領土を取り返した功績に対してと見るべきだろう。 その沖縄返還を巡って朝日新聞が「四百万ドルの密約があった」と鬼の首を取ったように騒いでいる。密約はもっと大きい金額だったことが後に分かるが、いずれにせよ、これはニクソンがケチだったということだろう。ただで返せば彼も平和賞を貰えた。それをカネに目が眩んだ。それだけの話だ。
素直に戦争で取られた沖縄を幾ばくかのカネで買い戻せたと考えられなかったか。そして栄作の偉業を評価する。いい記事になったはずだ。

先日、京浜東北線車内で美人に痰をなすり付けた男が鶴見署に捕まった。 きれいなものを見ると汚したくなると自供した。
朝日新聞はこの変質者に似る。きれいな日本を見ると汚したくなる。

その沖縄は未だに係争の地だ。
「最低でも県外」発言に端を発し迷走を深めている。最近も自民党議員が”辺野古移設容認”を打ち出し、公約違反と揉めている。
私自身の個人的見解だが・・・・・・仲井真知事は、辺野古移設を突然に容認して責任をとって知事を辞職との想定もしていた。
どうもそれはかないそうもない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い25 伊丹空港が生んだ「たかりシステム」

2013-12-01 03:31:40 | 読書と映画
伊丹空港が生んだ「たかりシステム」2010/7/22

昭和四十年代の就活人気企業のトップは日本航空と全日空だった。
ともに収益は右肩上がりで、操縦士は世間相場以上の給料に加え、一か月百万円近い乗務手当がつき、出退勤は黒塗りのハイヤーと決まっていた。下界の初任給が四、五万という時代の話だ。

日航労組委員長、小倉寛太郎は地上職やスチュワーデスも操縦士並みの待遇にしろとストを打っては飛行機をとめて、今日の日航崩壊のもとを創った。
全日空はストを打たせない代わりに日航とほぼ回等の待遇を保証した。 おかげでスチュワーデスはタクシーで出勤し、制服にブラウスにパンストまで支給された。 彼女らは裸で迎えのタクシーに乗ればよかった。
地上職も同じように手厚い福利厚生が計らわれたから、みな顔色がよかった。 
たまに顔色の悪い社員がいてどうしたのかと聞くと「今度、伊丹空港に転勤になりました」と答えた。

そのころ伊丹では空港周辺の住民がジェット機の騒音がひどいと毎日のように怒鳴りこんでいた。騒音で変調をきたし、鼻血が止まらないと血染めのティッシュを段ボールにいっぱい担いでくる婦人もいた。
空港問題は運輸省航空局の所管だが、そんなところに掛け合いに行っても茶菓もタダの航空券も出ない。その点、航空会社は違った。込み合うカウンター前で「騒音をとめろ」と騒げばまあまあと別室に案内される。茶菓もでる。お土産も出る。積み上げた鼻血のティッシュの山があればどんな要求も通った。
伊丹転勤とはこういう住民対策を意味した。顔色がいいわけはなかった。
騒ぐ人たちは伊丹空港の敷地に食い込んだ中村地区の住民だった。
庭先には滑走路が走る。そんなところになんて人が住んでいるのか、首を傾げたくなるが、ともかく騒ぐ住民の言い分か通って、伊丹は閉鎖して新しく関西空港が作られることになった。

こんな無茶がなぜ通ったのか。その謎を朝日新聞が先日の「ひと」欄で初めて明らかにした。実はここの住民は「戦前、空港拡張のため朝鮮半島から集められた人々」で「戦後一転して不法占拠者にされた」と。
この記事を書いた吉野太一郎記者はいかにも彼らが強制連行(徴用)の朝鮮人のように書くが、それは嘘だ。現に朝日自身が徴用朝鮮人はほぼ全員が半島に帰ったと書いている。あざとい書き方で読者をたぶらかす。お前は嘘を書くために記者になったのか。
しかし彼の記事のおかげで騒いだのが空港敷地を不法占拠した朝鮮人だったことがはっきりした。常識も通じない、騒げば手がつけられないという展開も理解できる。 ただ、そこから伊丹問題はこの記事と同じくらいあざとい変化を見せていく。だいたい空港がなくなれば中村地区の住民も得るものはなくなる。運輸省も空港ビルの利権を失う。

それで地元の伊丹市など十一の市が間に入って住民を説得するから運輸省も周辺の整備費を出してくれないかとなった。 運輸省は関空もでき、伊丹も残るならと話に乗って空港整備特別会計からカネを出すことにした。
それで運輸省はまず空港周辺整備機構を立ち上げてその理事長ポストに運輸次官が天下った。これからできる関空社長ポストを入れて二つの天下りポストが増えて大喜びだった。 一方、周辺の十一の市は公園から道路からみな空港特会にたかった。  
それもこれも中村地区の住民が騒いでくれたおかげだから、彼ら在日には新しい移転先と新築の家が褒美として与えられた。
しかしカネの出所の空港特会は着陸料や燃斜税が原資だから、この野放図な出費をカバーするために日本は世界一高い着陸料を取る国になった。 伊丹の形はその後、成田でも沖縄の基地でも使われた。騒ぎ屋に騒がせ、官僚と地方自治体が国費を貪る。
橋下知事は伊丹を潰せと言った。悪のモデルを潰して、騒げば儲かるたかりの形をこの日本から根絶する。いい考え方だ。

市井に生きる一般国民には理解できないと言ってよい上記の記事だ。
こんなことが本当に起きているのか?
こうした事を知るだけでも変見自在の価値がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変見自在 高山正之の本は面白い24 朝日の記事は当たらない

2013-11-29 02:50:56 | 読書と映画
朝日の記事は当たらない 2008/5/15

新聞は人に情報を売って商売しているという点で競馬の予想屋と似ている。
しかし朝日新聞みたいに売る情報がみな大外れでも、ご免でもない。その辺のいい加減さが予想屋とは大違いだと予想屋は言う。
早い話、インフルエンザの特効薬タミフルだ。この新聞は「飲めば走り出してベランダから飛び降りる」と大騒ぎした。
高熱にうかされる、いわゆる熱譫妄はそこらの予想屋だって知っている。
タミフルを飲まない子供も同じような症状を見せると反論されて、後は知らん振りで逃げる。

茨城・神栖町の井戸水から砒素が検出されると「旧日本軍が遺棄した毒ガス弾が元だ」と中国人みたいに騒ぎまくった。
で、井戸の底を掘ったら平成の御世の缶コーヒーが産廃と一緒に出てきた。
予想は外れたのに旧日本軍にかけた濡れ衣は放ったらかしだ。
首都圏で若い女性が何人も強姦され殺された。
小野悦男が捕まると朝日は「代用監獄で取り調べられ自白を強いられた。彼は無罪だ」と騒いだ。
裁判官は朝日新聞社で研修する。このときの竪山真一裁判長も朝日の言うままに小野を無罪にした。
朝日は冤罪を生んだのはマスコミにも責任があると利いた風な記事を載せて小野に謝罪した。
娑婆に戻った彼は5歳の幼稚園児を強姦して首を絞め、41歳の女性を殺して首と陰部を切り取り、証拠隠滅のため死体を焼いた。
朝日は見込み違いで殺人鬼を野に放ち、2人の新たな犠牲者を出したことには謝罪しなかった。

朝日は原子力というだけではなから着外と決め込む。原発など出走も認めない。
今は主筆の船橋洋一はプルサーマルをやめちまえと叱った。日本がプルトニウムを持つと中国が嫌がる。だからやめろと。
昨年の中越沖地震では原発からの漏水で日本海が放射能汚染した、建屋もひびが入って崩壊寸前だと風評を煽り立てた。
しかしIAEAが汚染はなかった、建屋は十分安全性が確保されていたと朝日の記事を全否定した。
そんな嘘まで書き並べて原発を目の敵にしていたくせにガソリンが高騰すると社説で「幸い日本は原子力などエネルギー多様化を進めていたから」大丈夫だとぬけぬけと書く。

朝日は「自由」「人権」とつけばどんな駄馬でも二重丸をつけた。住基ネットは犯罪者の人権を損なうと大騒ぎして最高裁から馬鹿も休み休み言えと諭された。
立ち入り禁止とある自衛隊感謝に嫌がらせのビラをまいた活動家は表現の自由の戦士だとやってこれまた最高裁に再度たしなめられた。
自分の主張がこう頻繁に最高裁に否定されたら己の不明を普通は考える。
在日など外国人の指紋押捺を止めさせたのは朝日の執念だった。
おかげで未検挙犯罪が急増したが、ここにきてテロ対策として入国外国人の顔写真と指紋取りがなんとか復活できた。
朝日はいきり立って林伯耀なる無名の在日中国人に「日本の役に立ちたいのに裏切られ、傷ついた」と書かせた。
親切に留学させてやったのに殺しでお返しされる日本人のほうがどんなに裏切られ傷ついているか、こっちこそ知ってほしい。
ちなみに朝日の反対を押し切って復活した指紋取りの結果、初日だけで中国人犯罪者など5人を、1か月の累計で95人を摘発したと法務省が発表している。
単純計算で年間1000人超の犯罪者が大手を振って日本にきていたわけだ。
朝日がいかに外国人犯罪者に慕われているか、よく分かる数字だ。

競馬の予想屋はその馬の強さを占うのに血統を重視する。種牡馬はスピードシンボリだとか。
ところが朝日はこの血統を妙に隠したがる。
いい例がある。野村證券のM&A担当社員が「知り合いの兄弟」と図ってやったインサイダー取引だ。
朝日は「野村は社員にどんな教育をしていたのか」と社説で怒ってみせるが、日本人社員はそんな悪さはしない。係わったのはみな中国人だ。
肝心のファクトを教えないのでは新聞社はともかく予想屋は務まらない。

ネットのお陰でこうしたマスコミの異常さも認知されるようになってきた。
朝日新聞、NHK、フジテレビ、TBS等々がやり玉にあがっている。ついに昨日はNHKの台湾偏向報道に裁判で逆転判決さえ出た。安倍さんはNHKの経営委員人事も刷新したが、こうした改革に本気を感じさせる。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする