【阿多羅しい古事記/熊棲む地なり】

皇居の奥の、一般には知らされていない真実のあれこれ・・・/荒木田神家に祀られし姫神尊の祭祀継承者

付記6c: 目撃者

2024年03月01日 | 歴史

 

東久邇成子(しげこ)は自害しようとしたのだ、と女官が言った。
「お可哀想にね・・・ 誰にも言っちゃ駄目ですよ」
 
 
たしかに、成子は・・・忌屋で、夫の東久邇盛厚と喧嘩をしていた時、「もう死んでしまいたい」と言って泣いていた。
しかし、肝心な「その瞬間」を誰一人見ていない。成子に追い払われた私は、建物の戸口から二十メートルくらい離れた場所にいたし、そこから先は通路が壁に沿って直角に曲がっており、私を案内してきた侍従が一人、また少し離れたところに護衛官が一人いただけで、誰も忌屋の内部を見ることができない位置だった。
 
 
私は内心、盛厚を疑っている。そこには最初から盛厚と成子の二人きりしかおらず、諍いの声はかなり激情的だった。
何より、侍従に背中を押された私が忌屋の戸口から覗いた時、ぐったりと机に伏せている成子の背後に覆い被さるような格好でいた盛厚は、振り向きざま、そこに怯えた子供を発見すると、慌てて、手に持っていた長い針を軍服の胸ポケットに仕舞ったのだ。
 
 
後日、私は子供の単純な正義感から、自分が目撃したままを女官の一人に話した。しかし、その時すでに侍従や護衛官から何度も毒針を刺されて虐待されていた私は、それがいかに無意味かを承知していた。子供の正義などに何の価値も無いのだった。
翌年、私は東久邇盛厚に拉致されて、自衛隊基地へ連れて行かれた。椅子一つ置かれていない空虚な部屋で、盛厚は自衛官の一人に、私の殺害を命じた。
 
 
自衛官は無表情で、子供の痩せた片腕を掴んで、砒素の注射器を突き立てた。
当然のことだが、私は可能な限りの大声で泣き叫び、自分の上腕に深く刺さっている注射器を引き抜いて暴れたので、運良く中身の液体は極少量しか体内に入らなかった。その男が最初から私を殺すつもりは無かったのか、或いは、私の悲鳴が予想以上に大きくて、廊下まで響いたために躊躇したのか、どちらとも言えない。注射を打つ前に、男は薬剤の用意をしながら「この分量で運が決まるのだ」と占い師のようなことを言った。が、生体実験は充分に実施されていただろうから、今更、毒薬の分量で運を占う理由は無い。きっと兵隊特有の馬鹿らしい信心だったのだろう。
 
 
床を転げ廻って、苦悶の数時間が経過した後、再び、盛厚が部屋へ入って来た。「なんだ、生きてるじゃないか。・・・もう一度、やれ」
すると、軍国の狗(いぬ)である兵隊は、口から汚物を吐いて倒れている私の腕を掴んで、立ち上がらせようとした。その右腕を、私が振り払うと、結局、左腕に二本目の注射器を突き立てた。
悲鳴とともに、意識が遠のいて行く私の耳に、女の声が聞こえた。「嗚呼・・・あんな男の子供ばかり、産まされて・・・」