【阿多羅しい古事記/熊棲む地なり】

皇居の奥の、一般には知らされていない真実のあれこれ・・・/荒木田神家に祀られし姫神尊の祭祀継承者

付記3c: 自白剤

2024年03月01日 | 歴史

 

「どうなっても、知らないよ」と、皇太子明仁が言った。濃いネズミ色の背広を着て、まるで郵便局の窓口で小銭でも数えていそうなこの小男と、その傍らに立っている明仁の倍以上の体躯である武官との二人は、それまで私には聞こえないように背を向けて話し込んでいたのだが、不意に、明仁が私のほうを振り返って、そう言った。「どうなっても・・・」とは、どういう意味なのだろう。

 

何年か前に、明仁はお茶の席で急に咳込んで、テーブルの上に痰を吐いたことがあった。結核を患っていたのだ。そして、その病気を、私に感染させようとした。人間の子供も、猫の仔も、カエルも区別ができないこの男は、三歳の子供の口に食物を押し込んだが、嫌がった子供がそれを吐き出すと、吐き出した物を口に戻すように侍従に命令した。それから武官に、子供の「汚れた胃」を水道水で洗うように命じたのだ。
かろうじて私が感染せずに済んだのは、事前にそれを察知した家の者が私を町医者へ連れて行って、何本かのワクチンを打ったからだった。おかげで療養所に監禁されるのは免れたが、しかし、尚も陰険な明仁の手からは逃れられなかった。

 

小学生になった頃、私は武官に捉えられ、自白剤を注射された。自白剤というのは麻酔薬に似た神経薬で、意識を混濁させた状態でうわ言を喋らせるものだ。その時、武官が私に詰問したのは、私の血縁者の名前だった。特に「荒木田神家」から分家して別の姓に変わった親族について、執拗に問い詰められた。アラキダ、ワタライ、コクボ、スズキ・・・「もっと言え」と武官は私の腕にまた一本、注射器を刺したので、ついに私は正気を失った。

 

・・・今、私は数十年前の混沌とした記憶の底から、過去の一片をすくい採らねばならない。
それは、自白剤を打たれてから数週間が過ぎた頃、再び皇居へ拉致された私に、武官が囁いた言葉である。「やったからな。(もしくは、やってやったからな、と男は言った)」 私がうわ言のように吐露した「姓」を持つ者に、何かやった、とわざわざ告知するものだった。

 

恐る恐る「やったと言うのは、何?」と訊き返すと、返答したのは武官ではなく、明仁だった。「キミが言うからだよ」
その後を武官が続けた。「あそこにも撒いてやったぞ。・・・お前がもっと言わないからだ」
「あそこって、何処?」 「お前のところだ」
明仁がまた口を挟んだ。「いいのかい? どうなっても知らないよ」

 

それから十年が過ぎて、高校生になった私は、学校で行われた健康診断でコクボという名の女子生徒とスズキという名の男子生徒が肝臓病を患っていることを知った。そして、間もなく(その同級生ではなく)その親が相次いで死んだ。彼らは私の親族ではなく、ただ偶然、同じ地域に住んでいただけの人々だった。

 

・・・曾祖父がまだ生きていた頃、住んでいた家の薄暗い座敷の畳の上に、白い菓子箱のような物に入った一本の注射器が届けられたのは何年前だったろうか。
箱の底に小さな紙が入っており、高齢の曾祖父を見舞う文句が書かれていたが、続いて「これを打つとよろしい」というような言葉が大きな活字で印刷されていた。皇居では、私が結核を罹っている、と明仁が言いふらしていたから、「その薬だろうか・・・」と呟いた私の唇は震えた。そんな筈はなかった、私は病気ではないのだから。手拭いでそっと注射器を包んで、縁側の日に透かして見ると、液体はほんの少し白く濁っていた。