5.合掌方式
最も簡単なトラスと見なせる。
軒桁レベルに陸梁(ろくばり)を架け、その両端部から斜めに合掌を立ち上げ、陸梁を底辺とする三角形をつくり、これを一定間隔で並べ屋根の骨格を形成する。
陸梁を柱で受ける折置方式と、桁で受ける京呂方式がある。
合掌は、棟部分で交叉させ(相欠きなど)、交叉部上に棟木を流す。束柱は不要。
屋根の荷重は合掌を通じて陸梁端部にかかる。
合掌には圧縮の軸方向の力、陸梁には引張りの軸方向の力がかかり、部材には屋根荷重による曲げの力がかからないため、小断面の材で済む(材の自重、梁上の荷重による曲げはかかる)。
日本を初め、当初の建築には合掌組が多い。
1)組み方と各部の仕口
折置組の場合:柱の上に陸梁を据え(柱の頭ほぞは長ほぞ差し)、次いで、合掌を設置する。
合掌脚部は屋根荷重で開こうとするから、通常、陸梁に傾木大入れ短ほぞ差しで納める。
現在は、仕口の浮上りを避けるため、両者をボルトで締める。
合掌尻(がっしょうじり)(合掌の脚部)外側に、軒桁を渡りあごで流し垂木を受ける。
京呂組の場合:軒桁を先行設置し、陸梁を軒桁に渡りあごで架ける。合掌の組み方は折置の場合と同じ。
垂木を受けるために、合掌尻外側に鼻母屋(はなもや)(端母屋)を渡りあごで流す。
2)合掌頂部の仕口
ア)合掌を相欠きで交叉させ、込み栓打ちとする。
イ)合掌を突き付け(目違い付き)とし、両者を水平のボルト締めとする。
参考事例 合掌と登り梁
薬師寺本堂 750年ごろ創建 五間四面庇建物(入母屋) 奈良市高畑町 (新薬師寺本体ではなく、別院の仏堂と考えられている。二重屋根。見えがかりの地垂木は中国建築にならい断面が円形。)
合掌を用いた化粧小屋組と、登り梁・母屋・垂木による野屋根からなる。
軒先の地垂木(ぢたるき)の上に飛檐垂木(ひえんたるき)を設け、二段の軒になる(二軒(ふたのき)と呼ぶ)。地垂木、飛檐垂木の上に板が張られ(仕上げとして表れる)、
その上に受け材を流し、登り梁を組み、野母屋(のもや)、野垂木を流し、板(野地板)を張って瓦屋根の下地をつくる。
見えがかりの垂木は、構造材としても十分な寸面をしているが、登り梁の「受け材」が柱通りに設けられているので、その必要はない。
時代が下ると、見えがかりの部分は寸面が小さくなり、名実ともに「化粧材」になる。
正面 古寺建築入門 岩波書店より
堂内 日本の美術 196 至文堂 より
平面図 梁行断面図
図は日本建築史基礎資料集成 四 佛堂Ⅰ 中央公論美術出版より 文字・着彩は編集によります。
参考事例 後藤家 17世紀後半 岩手県奥州市 外部は土塗り大壁 写真・図版共に日本の民家1農家Ⅰ学研より 文字・着彩は編集によります。
構造は上屋、下屋からなり、家の半分を占める土間では、曲った大柱・上屋柱が並び建つ。
小屋は又首組、合掌。繋ぎ梁を用い、四方の下屋を内部に取り込んでいる(四方下屋造り)。
「上屋柱は屋根荷重を、下屋柱は壁をつくり上屋の横ゆれを防ぐ」同書より
外観 土間
居室部分 梁行 小屋断面が見える。
平面図
梁行断面図 桁行断面図
参考事例 小松家 延宝・貞享年間(1673~1688年)頃 長野県塩尻市 写真・図版共に重要文化財小松家住宅修理工事報告書 郷土出版社より
小松家は茅葺寄棟で、上屋だけで構成されている。小屋は又首組で、梁行断面図のように中途に斜め材を入れたトラス様の形をしており、簡潔で爽快な空間をつくっている。
断面図(着彩は編集) 小屋内部