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和泉式部の失恋の歌 「蛍」の歌

和泉式部の失恋の歌 「蛍」の歌

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集

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  「蛍」の歌といえば、やはり和泉式部の失恋の歌をあげないわけにはいかないだろう。

    男に忘れられて侍りける頃、貴布禰(きぶね)にまゐりて、御手洗川(みたらしがは)に蛍の飛び侍りけるを見てよめる

  もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれいづるたまかとぞ見る
    「後拾遺集」神祇(じんぎ:神祇官は神事を取り扱う) 和泉式部

    (物思いに沈んでいると蛍が青白い光を放って沢辺を漂うように飛んでゆく。あれはわが身から抜け出した寄るべない魂だと思うまではかなく)

  和泉式部の恋の歌は暗く内的なものが多い。この歌はまして「男に忘れられて侍りける頃」のものだ。「男」は藤原保昌だといわれている。最後に夫としたした人で、関白道長の信任あつい有能な家司(けいし)の一人だった。国守クラスの官僚であるとともに、源頼光と伍する武勇と智略をもっていたとする逸話も少なくない。
  しかし式部と保昌との間は歌集をみてもうまくいっていたとは思われない。破局は当然のことだったかもしれないが、式部もすでにかなりの年齢になっていたことだろう。半生を回顧する虚しい気分もまじる物思いであったにちがいない。
  この歌には、式部の様子に同情した貴船の神が励ましの返歌をしたと伝えられ、式部の歌につづいて「御返し」として載せられている。
   「奥山にたぎりておつる滝つ瀬のたまちるばかりものな思ひそ」
というもので、「玉」と「魂」が掛かっている。魂が遊離するまで思ひつめることはないと慰めているのだ。
  この歌はその後も多くの歌書、説話集に取り上げられ、真情のこもる和歌の言葉は、神明・仏陀の冥感(みょうかん:信心が神仏に通ずること)にあずかる力をもっているという証しとして語られてゆく。

  名歌の伝承はこのように和歌時代の教養として、まず人々の記憶にとどめられ、さまざまな場で語られたり、知的な会話の中に織り込まれて、文字を知る者どうしの心を繋ぐ役割をはたしたのである。

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」
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