真珠

深海の真珠は輝かず。

恥を知れ、東京四区選挙民

2005年08月13日 | 政治・経済

 


衆議院東京四区から選出された中西一善議員が、強制わいせつ罪で現行犯逮捕された。酒に酔った挙句の乱行である。ワイン一本、焼酎ボトル半分、ビールも2、3本を飲んでいたと言う。本人は被害者や国民に謝罪し、議員も辞職して事件の責任をとったが、それにしても、これほどの飲酒家を、なぜ東京四区の選挙民は国会議員に選んだのか。


衆議院議員を選ぶということは、国政に選良を送るということである。国家の指導者としてふさわしい人物を、地域の選挙民は責任を持って送り出す必要がある。単に地元の利益に貢献するかどうかという理由だけで選出すべきでないのはいうまでもない。国家全体にとって本当に有為な人材は誰かという基準で、市民は政治家を選ぶ必要がある。これほどの酒飲みが、本当に国家のために尽くすことができるだろうか。東京四区にはもっとふさわしい候補者はいなかったのか。


国民は自分たちが選出する代議士の品性、能力をつねに見極めなければならない。国会議員は地元を犠牲にしてでも、むしろ、その選出された地盤よりも日本国全体の国政に責任をになうに足る人材でなければならない。政治家と国民の一人一人がそうした気概を持つのでなければ、いつまでたっても日本の政治は高潔なものにならず、したがって、国民自身も幸福にならない。


国会議員は、したがって、知性、能力、品性,も最高の人材でなければならない。また最高のモラリストでなければならない。そうした、最高の人物のみを国政に参画させるようにする必要がある。日本の政治にいつまでも品格に欠けるのは、国政にふさわしい人物を国会議員に選出するという厳しい選択が国民の間になく、またそうした政治家を育てるという自覚もないからである。


現在の衆議院議員の定数は、四八〇人である。それにしても、国家に真に有為な優秀な人材が事実として四八〇人もいるだろうか。それほど日本は人材に豊富な国か。その中には、中西一善氏のような、凡庸な人物も少なくないはずである。議員定数の四八〇人は多すぎる。真のエリートが集まれば定数は半数の二四〇人で十分である。そうしてこそ、日本の政治は高貴なものになり、政治に国民の尊敬も集められるようになる。自分たちの選出した政治家と政治を軽蔑しかできないよう国民は、自業自得である。中西一善議員のような人物が国会に居座っている限り、いつまでたっても低劣な政治から救われない。信頼にたる政治が行われるようにはならない。


西洋に、「国民は自分にふさわしい政治しかもてない」ということわざがある。国民は、自分たちが選んだ人物が本当に国政にふさわしい人物であるか、よくよく胸に手を当ててて考えてみる必要があると思う。



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