“今を、未来を、もっとよくしよう
一生懸命生きている人に青空応援団が希望のエールを送る”
学ランに身を包み、応援団旗を振り、大きな声でエールを送る大人の男たち。
東日本大震災後に、学生時代応援団だった人たちが中心となり結成された「青空応援団」だ。仕事の傍ら、各地で頑張っている人々を応援する活動を続けている。誰でもどんな時でも孤独ではない、応援する人がいるという社会にしたいと、力強い声を届けている。
-人に寄り添う支援と応援を-
「青空応援団」は2013年6月に誕生した社会人の応援団である。仙台一高で応援団長を務めた平了さん(38)が、仙台の高校の応援団OBに声を掛けてメンバーが集まった。震災を契機に、応援魂が再び湧き上がってきたのだ。
平さんは震災直後に友人と一緒に「スコップ団」を結成、主に宮城県山元町で津波に襲われた家屋の片付け、泥掃除などを行った。ブログで手助けを呼び掛けると全国から多くの人が集まった。「自分にできることはやろうと、必死に泥かきしました。その活動の中、津波で亡くなった友人の残された娘3人に対して何ができるだろと考え、彼女たちの成長を見守り、応援し続けていこうと決めました。」多くの人の支援をずっと続けることはできないが、一生懸命生きようとする人への応援は一生できると考えたからだ。物質的な支援が必要な時もあり、精神的な応援が大切な時もある。成長することは喜びであり、子どもも大人もそのために頑張る。そんな人々の応援団となる活動が始まった。
-東奔西走でエールを送る-
メンバーは20代~50代。週に一度は仕事を終えた夜に集まってエールの練習をする。依頼があれば全国各地に出掛けてエールを送る。余命1ヶ月を宣告されたがん患者はエールを受けて気持ちが前向きになり、1年以上その人らしく生きたこともあったという。子どもたちが夢に向かって頑張るよう応援したいと学校に出向くことも多い。小学校で講演と演舞をした際は、アイドルになりたいと語った女子児童を嘲笑したクラスメートを叱り、女子を応援。「その3年ほど後、アイドルグループと一緒のイベントで、お久しぶりですと声を掛けられたのがその子。団長に応援してもらったから今の自分がありますといわれて、嬉しかったですね。」
14年7月にはパリで開催された「ジャパンエキスポ」に団員約20人で遠征し、会場を訪れた人々にエールを送った。言葉が通じないにも関わらず、多くの人が集まって感激した様子だったという。
-宮城から応援の文化を広げよう-
「頑張るのは本人。僕らはその人の気持ち、可能性に共感して応援します。だから僕らも頑張って生きています。人と人が心から応援しあう、そんな文化を再生し、定着させたいものですね。」東北地方は、旧制中学を母体とする高校にバンカラの気風が残り、応援団がその伝統を受け継いでいる。弊衣破帽の外見に質実剛健の精神を秘めた応援魂といえよう。仙台からの呼びかけに応じて、現在は東京組、関西組、福岡組も発足、札幌も続く予定で、団員は約60人に増えた。激励を望む個人へ、マラソン大会や祭りなどの参加者へ、それぞれの地でエールを送っている。
平さんは、人が一生懸命やっていることを笑ったりくさしたりするのは格好悪い、頑張ることは格好いいと強調する。励ましを求めれば「心にかかった雨雲は僕らが吹き飛ばす」と青空応援団が駆けつける。
社会の様々な分野で地域をもっとよくしたいと頑張っている人がいる。活動に携わらなくてもそれを支える人がいる。「いぐする!宮城サポーターズ」は地域の課題解決に取り組む人たちと企業や地域住民をつなぐ試み。平さんは「この活動も発展するといいですね。企業も含めて誰もが人を応援する心を持っているはずですから」とエールを送る。みんなに応援団がいると思えたら、心に青空を描ける社会が少しずつ広がっていきそうだ。
平了(たいら・りょう)さん
1978年仙台市生まれ。仙台一高、宮城教育大学卒業。会社経営の傍ら、2013年6月青空応援団を結成し、団長を務める。様々な分野で頑張る人々にエールを送り、応援を通じて社会を明るくしようと活動を続けている。
<2016年5月18日 河北新報 広告特集>