ママチャリでカメラ散歩

レンズ越しに見える花や小さな生きものの世界に魅せられ暇さえあればカメラ散歩三昧。
(まだ写真は初心者ですが)

新しき村

2012-12-09 | 散歩



新しき村

武者小路実篤とその同志により、理想郷を目指して1918年(大正7年)宮崎県児湯郡木城町に開村された。

1938年(昭和13年)にダムの建設により農地が水没することになったため、1939年(昭和14年)に一部が現在の位置(「東の村」)に移転し、残りは日向新しき村(ひゅうがあたらしきむら)として存続した。

第二次世界大戦終了時には1世帯のみとなっていたが、入村者が増え、1948年(昭和23年)に埼玉県から財団法人の認可を受け、1958年(昭和33年)にはついに自活できるようになった。

2006年現在の村内生活者数は23人。村外会員は約200人ほど。近年、村内の高齢化が進み、農業収入の低迷もあり、村の運営に困難が増しているのが実情である。

この村はただ生活するためのものではなく、精神に基いた世界を築く目的で開村されている。現在は農業を主としている

以上 ウィキペディアより転載





小説家、劇作家、詩人、画家と多才な武者小路実篤が理想郷を求めて始めた共同体の「新しき村」


娘に「武者小路実篤」って知ってる?と聞いたら「誰?それ」って言われてしまいました。
今は教科書に出てこないのか娘が忘れたのかわからないが私の中高生の頃はしっかりと
学校で学んだ記憶があります。
高校卒業まで青森に住んでいた私は当時 武者小路実篤の「新しき村」ってどんなところなんだろと
想像したものでした。

その「新しき村」は現在私が住む毛呂山町にあります。
村の中の写真はまたの機会にして今回は村の外側からの写真です。


























現在の村は高齢化して子供は住んでいません。かつては幼稚園もありその施設の一部として使われていた
元都電だった車両がいまもひっそりと置かれてました。
ここで遊んだ子供達。成長して今どんな大人になっているのでしょう。











「新しき村」の近くの住宅街







近所の住宅街に住む人たちの散歩コースとしてしたしまれています。














この奥の林の近くをJR 八高線(高崎~八王子)が通ってます









村では野菜、米、卵、しいたけ、竹炭、鶏糞などを販売していて一般の人も自由に買えます。
村内は昭和の頃そのままですが敷地のなかにソーラーシステムのパネルが何か所にありました。
食糧と共に電気も自給自足しているんですね。





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