大分トリニータは今日、二人のフィジカルコーチを契約しないことを発表しました。
バウミール・クルスとジャフェ。
私は二人が大好きでした。
クルスは物静か。いつも穏やかな笑顔をうかべています。
ブラジルNO1フィジカルコーチ賞を三度も受賞した実力派。
よくこんなすごい経歴の人が大分にきてくれたものだなと。
静かだけど、気さくな人だったのですよ。
プラチニがレンタルで行ってしまうとき、
めそめそしてる私のカメラをとりあげて目の前で激写するみたいにしゃがんでポーズとったりしてプラチニとの2ショットを写してくれました。
新潟空港でも私にエジと並べといって写してくれた。
選手達からもとても信頼をよせられているのが見ててもわかりました。
今年はもっといろいろ話してみたいなと思っていたのに。
まさかヴェルディのコーチに就任するなんて・・。
大分は手放すべきではなかったんじゃないですか?
クルスは2005年から大分に。
ジャフェは当時25人体制という少数体制だったからこそフィジカルコーチの重要性をといたシャムスカが2006年冬に呼び寄せました。
Wフィジコという体制に興味をもった私はさっそく宮崎キャンプで新任コーチのジャフェを探すと、オズマールと二人でジョギングしていた。
ジャフェは、オズマールに始まり、セルやルイスなどけが人の調整に明け暮れていた印象です。
入ってくる選手が次々怪我持ち、調整不足で、手をやいたことでしょうね。
コーチの仕事に興味を持ち出したのはジャフェがきっかけでした。
フィジカルコーチってどんなことするんだろうと、いつも目でおっていました。
練習場でも、試合でも。
身体つくりを担当しているだけかと思ったらそうじゃないんですね。
選手の管理から戦術にいたるまで深いところまでかかわるのですね。驚きました。
ブラジルではフィジコはコーチの中でも格が上となにかで読んだことがあります。
監督と一心同体でチームをつくっていく仕事なのですね。
Wフィジコが功を奏したのか2006年はほとんど怪我人がいなかった。素晴らしい年でした。
でもコーチ達は一年契約。一年後にいなくなるの?と不安がっていると
「チームの成績があがれば来年もいれるよ^^」と言っていたのに・・。
2007年は大苦戦。けが人の続出に泣きました。
「フィジコのせい」という声もおおかった。
でも衝突などのどうしようもない怪我が多かったのにとくやしかったです。
2006年に少人数でフル回転したつけがまわってきたのじゃないかと思っています。
クルスは確か以前、フィジカルコーチの仕事が結果として実るのは3年後と言っていた。
フィジカルなんて短時間で結果がでるわけじゃない。
これからこそが・・。
2007年、チームの状態が悪くなるのに伴うように、フィジコの仕事に変化がおきてきました。
それまで二人で試合に帯同していたのに、二試合ずつ交代で担当するようになったのです。
アウェイには一人しかいかず、もう一人はバックアップをみるようになった。
そして夏から・・・ジャフェは一切アウェイに帯同しなくなったのです。
ホームでもあまり姿をみなくなった。ピッチ上以外の仕事を担当するようになったのか私にはわかりません。
ホーム最終戦では久々にジャフェの姿を見れたけど。
今思えば、クルスと話したのはリーグ最終戦の新潟空港が最後。
だって、クルスはリーグ戦終了と同時に帰国してしまったので。
それに気がついていた方はどれほどいたかしら?
最後の天皇杯はジャフェだけでした。
フィジコの仕事が面白くてわくわく見つめ続けた2006年。
2007年は「なぜ?何があっているの?」と疑問ばかりを抱いた日々でした。
ジャフェとお話するようになったのは2006年の春。
「初めて声をかけられた時のことはよく覚えている。それまで誰にも声をかけられたことがなかったからびっくりしたよ^^」と後で笑っていました。
とてもお話好きの人で、ブラジルのこと、家族のことなどたくさんたくさん教えてくれました。
私にとってもジャフェはいい聞き手で、今日あったこととか、日本の風習とか、実にくだらない軽い話をいっぱいしました。
練習場に迎えにくるジャフェの奥様は美しくて、可愛らしい娘さんはパパのことが大好きで。
理想の一家だなあ^^とほほえましく見ていました。
以前こちらにも書いたのですが、
「日本では月の影をウサギにみたてている」と話したことがとても印象に残っているらしく、
12月にお話した時も、「あれを聞いて以来、月の影がウサギにしか見えなくなったよw ブラジルに帰ったら友人達にも教えてやるよ」といっていました。
だからついでにかぐや姫のお話もしてあげたら目を丸くして聞いていました。
最後の「天女が向かえにくるくだり」・・「天女」の説明ができなくて、「エンジェル」といったのだけど、何か違ったイメージで想像していたかもしれませんね。
最近ではジャフェはすっかり人気者になっていて、ジャフェとお話する見学者がいっぱいでしたよ^^
ジャフェがもう帰ってこない・・ショックうける人が多いだろうなあ。
いつもカメラをむけるととびっきりの笑顔をみせてくれるジャフェの写真を何枚かアップしますね。
12月、私はジャフェに帰国の日を聞きました。
ずっと試合に帯同していない様子をみてて、お友達とも「もしかしたら、ジャフェいなくなるかもしれないね」とよく話していたんです。
もし最後になったらいけないからと、お見送りに空港へいってみることに。
ジャフェ一家が空港に到着したのはもうぎりぎり。
車からおろされる荷物は異常な量で、大人が10人は必要なんじゃないかっていうくらい。
布団が入るような大きなバックがいくつも、そして小さなバックもいくつも・・。
もう、あわてて荷造りしたんじゃないかっていうくらいの状態で・・。
それを見て、もうだめだと覚悟をきめました。
横にいて私を見つめながら何度も何度も私の名前を呼び続ける娘さん。
奥様のハグもとても長くて。状況を理解するのには十分でした。
黙って泣き続ける私に娘さんが「アミーガ、アミーガ」と私の肩を叩きます。
ジャフェは手続きに忙しくほとんど話ができなかった。
言いたいこと聞きたいことは山ほどあってもほんとに時間がない。
いろいろ聞くよりも・・と、最後にバックに三人のサインをもらいました。
ジャフェはカタカナで名前が書けるのが自慢で、この日も書いてくれました。
すると、パパの日本語のサインを見た娘さん・・「私も書く!」 自分のサインの下にカタカナで「ジェシカ」と書いて得意そうな笑顔です。それで思わず奥様にも「カタカナで書いてください」ってお願いしたら、「私はかけないからあなたが書いて」って!
なんと・・自分のバックに自分で「ヘジャーニ」と書いてしまいましたorz
なんともバックが壮絶なありさまで・・もう使わないでおこう(^^;
ジャフェが真顔になって何か私に言おうとしたとき、時間がきました。
結局何も話さないまま。
あわてて通訳の方に伝えてもらいました。
「飛行機に乗るときの通路を通るとき、窓から屋上をみてほしい。ジャフェのゲーフラをあげているから」と。
ジェシカに念押しすると、よしわかった!とやる気満々の笑顔でうなづきます。
通路の小さい窓は3つ。
必死に見つめていると・・あ!3人とも一人ずつ窓からきょろきょろみてるんだけど目線があわない。
二つめの窓も通り過ぎていく・・・ああ、だめかあ・・と思ったその時、ジェシカが気づき、パパとママを呼び戻して手をふってくれました。
3つ目の窓も一人ずつ通っては笑顔でこちらにちぎれんばかりに手をふってくれてる。
よかったです。ゲーフラなんてはずかしかったけど、最後に三人の笑顔がみれて本当によかったです。
「馬鹿なことしてるなあ」と笑ってほしかったんです。
でもまさか、フィジコが二人ともいなくなるなんて思いませんでした。
いや・・クルスが天皇杯を待たずに帰国したとき、嫌な予感はしたのですよね。
大丈夫なのでしょうか、トリニータ。
監督はそれでいいんでしょうか。
一年前、11月からグアムキャンプのメニューづくりが忙しいといっていたフィジコ。
土壇場で人がかわって、キャンプ大丈夫なんでしょうか。
選手が不安になっていなければいいのですが。
そういえば、残留争いをしていた後半戦、負けた試合のあとにレセプションルームに行った時のことです。
ジャフェと話していたら大海がやってきて
「ジャフェ・・負けちゃってごめんね。」と小さな声で謝っていました。
それだけ言うといったん離れたのですが、またやってきて、
「ジャフェ・・ごめん、本当にごめん・・」と声をつまらせながら繰り返すのです。
ジャフェは「オ~~~・・」と小さな声をあげて首を振り、
優しい笑顔でいとしそうに大海の背中をなでていました。
クルスとジャフェに、選手達もお別れを言いたかったんじゃないでしょうか。
ビッグスワンでは試合前、チームを離れるフィジカルコーチを大型ビジョンで紹介し、スタジアム中でコールを送っていたのに。
最後に、空港で写したジャフェ一家の写真です。
あの日、ブログにアップすると約束したので。
どうかずっとお幸せに。
クルスは日本にいるのですもの、試合でまた会えますね。
エジにも再会できたのですから、ジャフェにだって、きっといつか再会できる日がくると思っています。
クルス、ジャフェ、本当にお世話になりました。
本当に本当に、感謝の言葉の最上級を使っても気持ちを表現できずに困っています。
バウミール・クルスとジャフェ。
私は二人が大好きでした。
クルスは物静か。いつも穏やかな笑顔をうかべています。
ブラジルNO1フィジカルコーチ賞を三度も受賞した実力派。
よくこんなすごい経歴の人が大分にきてくれたものだなと。
静かだけど、気さくな人だったのですよ。
プラチニがレンタルで行ってしまうとき、
めそめそしてる私のカメラをとりあげて目の前で激写するみたいにしゃがんでポーズとったりしてプラチニとの2ショットを写してくれました。
新潟空港でも私にエジと並べといって写してくれた。
選手達からもとても信頼をよせられているのが見ててもわかりました。
今年はもっといろいろ話してみたいなと思っていたのに。
まさかヴェルディのコーチに就任するなんて・・。
大分は手放すべきではなかったんじゃないですか?
クルスは2005年から大分に。
ジャフェは当時25人体制という少数体制だったからこそフィジカルコーチの重要性をといたシャムスカが2006年冬に呼び寄せました。
Wフィジコという体制に興味をもった私はさっそく宮崎キャンプで新任コーチのジャフェを探すと、オズマールと二人でジョギングしていた。
ジャフェは、オズマールに始まり、セルやルイスなどけが人の調整に明け暮れていた印象です。
入ってくる選手が次々怪我持ち、調整不足で、手をやいたことでしょうね。
コーチの仕事に興味を持ち出したのはジャフェがきっかけでした。
フィジカルコーチってどんなことするんだろうと、いつも目でおっていました。
練習場でも、試合でも。
身体つくりを担当しているだけかと思ったらそうじゃないんですね。
選手の管理から戦術にいたるまで深いところまでかかわるのですね。驚きました。
ブラジルではフィジコはコーチの中でも格が上となにかで読んだことがあります。
監督と一心同体でチームをつくっていく仕事なのですね。
Wフィジコが功を奏したのか2006年はほとんど怪我人がいなかった。素晴らしい年でした。
でもコーチ達は一年契約。一年後にいなくなるの?と不安がっていると
「チームの成績があがれば来年もいれるよ^^」と言っていたのに・・。
2007年は大苦戦。けが人の続出に泣きました。
「フィジコのせい」という声もおおかった。
でも衝突などのどうしようもない怪我が多かったのにとくやしかったです。
2006年に少人数でフル回転したつけがまわってきたのじゃないかと思っています。
クルスは確か以前、フィジカルコーチの仕事が結果として実るのは3年後と言っていた。
フィジカルなんて短時間で結果がでるわけじゃない。
これからこそが・・。
2007年、チームの状態が悪くなるのに伴うように、フィジコの仕事に変化がおきてきました。
それまで二人で試合に帯同していたのに、二試合ずつ交代で担当するようになったのです。
アウェイには一人しかいかず、もう一人はバックアップをみるようになった。
そして夏から・・・ジャフェは一切アウェイに帯同しなくなったのです。
ホームでもあまり姿をみなくなった。ピッチ上以外の仕事を担当するようになったのか私にはわかりません。
ホーム最終戦では久々にジャフェの姿を見れたけど。
今思えば、クルスと話したのはリーグ最終戦の新潟空港が最後。
だって、クルスはリーグ戦終了と同時に帰国してしまったので。
それに気がついていた方はどれほどいたかしら?
最後の天皇杯はジャフェだけでした。
フィジコの仕事が面白くてわくわく見つめ続けた2006年。
2007年は「なぜ?何があっているの?」と疑問ばかりを抱いた日々でした。
ジャフェとお話するようになったのは2006年の春。
「初めて声をかけられた時のことはよく覚えている。それまで誰にも声をかけられたことがなかったからびっくりしたよ^^」と後で笑っていました。
とてもお話好きの人で、ブラジルのこと、家族のことなどたくさんたくさん教えてくれました。
私にとってもジャフェはいい聞き手で、今日あったこととか、日本の風習とか、実にくだらない軽い話をいっぱいしました。
練習場に迎えにくるジャフェの奥様は美しくて、可愛らしい娘さんはパパのことが大好きで。
理想の一家だなあ^^とほほえましく見ていました。
以前こちらにも書いたのですが、
「日本では月の影をウサギにみたてている」と話したことがとても印象に残っているらしく、
12月にお話した時も、「あれを聞いて以来、月の影がウサギにしか見えなくなったよw ブラジルに帰ったら友人達にも教えてやるよ」といっていました。
だからついでにかぐや姫のお話もしてあげたら目を丸くして聞いていました。
最後の「天女が向かえにくるくだり」・・「天女」の説明ができなくて、「エンジェル」といったのだけど、何か違ったイメージで想像していたかもしれませんね。
最近ではジャフェはすっかり人気者になっていて、ジャフェとお話する見学者がいっぱいでしたよ^^
ジャフェがもう帰ってこない・・ショックうける人が多いだろうなあ。
いつもカメラをむけるととびっきりの笑顔をみせてくれるジャフェの写真を何枚かアップしますね。
12月、私はジャフェに帰国の日を聞きました。
ずっと試合に帯同していない様子をみてて、お友達とも「もしかしたら、ジャフェいなくなるかもしれないね」とよく話していたんです。
もし最後になったらいけないからと、お見送りに空港へいってみることに。
ジャフェ一家が空港に到着したのはもうぎりぎり。
車からおろされる荷物は異常な量で、大人が10人は必要なんじゃないかっていうくらい。
布団が入るような大きなバックがいくつも、そして小さなバックもいくつも・・。
もう、あわてて荷造りしたんじゃないかっていうくらいの状態で・・。
それを見て、もうだめだと覚悟をきめました。
横にいて私を見つめながら何度も何度も私の名前を呼び続ける娘さん。
奥様のハグもとても長くて。状況を理解するのには十分でした。
黙って泣き続ける私に娘さんが「アミーガ、アミーガ」と私の肩を叩きます。
ジャフェは手続きに忙しくほとんど話ができなかった。
言いたいこと聞きたいことは山ほどあってもほんとに時間がない。
いろいろ聞くよりも・・と、最後にバックに三人のサインをもらいました。
ジャフェはカタカナで名前が書けるのが自慢で、この日も書いてくれました。
すると、パパの日本語のサインを見た娘さん・・「私も書く!」 自分のサインの下にカタカナで「ジェシカ」と書いて得意そうな笑顔です。それで思わず奥様にも「カタカナで書いてください」ってお願いしたら、「私はかけないからあなたが書いて」って!
なんと・・自分のバックに自分で「ヘジャーニ」と書いてしまいましたorz
なんともバックが壮絶なありさまで・・もう使わないでおこう(^^;
ジャフェが真顔になって何か私に言おうとしたとき、時間がきました。
結局何も話さないまま。
あわてて通訳の方に伝えてもらいました。
「飛行機に乗るときの通路を通るとき、窓から屋上をみてほしい。ジャフェのゲーフラをあげているから」と。
ジェシカに念押しすると、よしわかった!とやる気満々の笑顔でうなづきます。
通路の小さい窓は3つ。
必死に見つめていると・・あ!3人とも一人ずつ窓からきょろきょろみてるんだけど目線があわない。
二つめの窓も通り過ぎていく・・・ああ、だめかあ・・と思ったその時、ジェシカが気づき、パパとママを呼び戻して手をふってくれました。
3つ目の窓も一人ずつ通っては笑顔でこちらにちぎれんばかりに手をふってくれてる。
よかったです。ゲーフラなんてはずかしかったけど、最後に三人の笑顔がみれて本当によかったです。
「馬鹿なことしてるなあ」と笑ってほしかったんです。
でもまさか、フィジコが二人ともいなくなるなんて思いませんでした。
いや・・クルスが天皇杯を待たずに帰国したとき、嫌な予感はしたのですよね。
大丈夫なのでしょうか、トリニータ。
監督はそれでいいんでしょうか。
一年前、11月からグアムキャンプのメニューづくりが忙しいといっていたフィジコ。
土壇場で人がかわって、キャンプ大丈夫なんでしょうか。
選手が不安になっていなければいいのですが。
そういえば、残留争いをしていた後半戦、負けた試合のあとにレセプションルームに行った時のことです。
ジャフェと話していたら大海がやってきて
「ジャフェ・・負けちゃってごめんね。」と小さな声で謝っていました。
それだけ言うといったん離れたのですが、またやってきて、
「ジャフェ・・ごめん、本当にごめん・・」と声をつまらせながら繰り返すのです。
ジャフェは「オ~~~・・」と小さな声をあげて首を振り、
優しい笑顔でいとしそうに大海の背中をなでていました。
クルスとジャフェに、選手達もお別れを言いたかったんじゃないでしょうか。
ビッグスワンでは試合前、チームを離れるフィジカルコーチを大型ビジョンで紹介し、スタジアム中でコールを送っていたのに。
最後に、空港で写したジャフェ一家の写真です。
あの日、ブログにアップすると約束したので。
どうかずっとお幸せに。
クルスは日本にいるのですもの、試合でまた会えますね。
エジにも再会できたのですから、ジャフェにだって、きっといつか再会できる日がくると思っています。
クルス、ジャフェ、本当にお世話になりました。
本当に本当に、感謝の言葉の最上級を使っても気持ちを表現できずに困っています。
みぃさんもお話してたんだよね・・。
寂しがっている人いっぱいいますよね、人気ものだったもの。
思い出してくれるかなあ・・
思い出してくれるとき、笑ってくれたらいいなあと思います。。
ようやく最近話しかけたり(お疲れ様です、程度ですが…)できるようになってきたのに…
ジャフェファミリーは日本のことを思い出すたびにきっとmidoriさんのことも思い出すんでしょうね。
midoriさんのおかげで「日本も悪くなかったね」って思ってもらえてると思います。
何かいろいろ書こうとすると涙があふれてくるのでこのへんで…(笑)
忘れないであげてね・・。
「ずっと覚えていて」って、あの後ジャフェに会えたのでしょうか?
まだまだ大分にいてほしかったです。
また来てくれないかなあ。
さっきスカパーで大分トリニータの特集やってて、河ちゃんまんがでてました・・。
去年はトゥーリオを残そうとして先にエジを切ろうとして大失敗だったんですよねえ。
とにかく、フィジカルコーチが一番活躍すべきキャンプは目前です。
新しいコーチにも期待しますが、各選手の特徴、データが生かされればいいんですけど・・。
一からキャンプメニューを組まなければいけませんよね・・。
冗談であったり、痛めた箇所へのアドバイスであったり。
大海がジャフェのことを「おじいちゃ~~ん」と大声で呼ぶのがおかしかったです。
新入団選手は「このチームは二人もフィジコを抱えている、フィジカルに力をいれたチームだから安心だ」なんて思っていたとしたら・・。
でも早速次のコーチと交渉がまとまりそうですね。
早く来日してくれないと大変です。。
講座最後のスピーチの内容を、ずっと覚えていてくれました。
なんとなくここの様子で、契約満了だとは感じてましたが。。本当に残念ですね。
ジャフェにはこれからも活躍してもらいたいと心から思わずにいられません。
その位の事、平気でできると思うのですが、
大分FCなら
もうこの際何でもありでしょう
それにしてもこのクラブはどうなってるの?
マトモな人、いないの??
やはりこの事でしたか…
この時期にフィジコがいないとか異常事態ですよね!
いつまでも、フロントはプロになりきれないですね…
練習見に行っても選手とコミュニケーションしてる姿よく見ました。
何気ない仕草で信頼してるかとか分かりますよね、大海とかと良く立ち話ししてる姿を思い出します。
midoriさんの写真とか見れば良く分かりますよね。
残念です…立ち上げの一番遅い大分なのに更に遅くなってしまうぅ…
新入団してくる選手との交渉の時はフィジコの話しとかは出ないんですかね?!
大分は当たり前が当たり前ではないですから。
アンジェラとか来てくれないかなぁ…
ということはジャフェをまず切って、それからクルス体制に・・と思っていたけど逃げられたってことですよね。
一人を切る前にもう一人と契約してなかったんでしょうか?ちょっと考えられないんですが。
今朝のニッカンに今月中旬になってクルスから退団の意思を伝えられた、後任は監督に探してもらっていると書いているそうです。
それって、1月中旬の段階でクルスに契約書にサインもらってなかったってこと?
ジャフェきって、クルスとの契約をすませてないうちに、気がついたら逃げられて、それから監督にすがって探してもらってるってことでしょうか?
頭痛い・・。
スタジアム中でやめていくフィジコの名前をコールし、拍手でみおくった新潟には感動しました。
大映しになったコーチの感極まった顔が忘れられません。
チームつくりをしてもらうコーチの人事って、早くから対応すべきですよね。
なんか大分はいきあたりばったりで・・。
一緒におしゃべりしたことが懐かしいです。
ほんとに・・もうすぐキャンプなんにね・・。
2人とも退団だなんて。
と同時にFCの無能さが露呈した感じです。
明らかに何かが起きているとしか思えない。
つい勘ぐってしまいます。
”エコヒイキ”した相手にも逃げられるなんて
ビッグスワンでのお話、なんかチームが選手だけでなくスタッフもチームの一員として大切にしているのが分かりますね。
でもトリニータはどうなんだろう…。
スタッフはおろか、選手さえ…とあまり考えたくないことを考えてしまいました。
新体制の発表、楽しみでもあり不安でもあります。
今の気持ちを言葉にするのは難しいですね。
ただ・・・
クルス、ジャフェにありがとうって伝えたいです(T_T)
まもなく始動するっていうのに、大丈夫なんでしょうかねぇ・・・ホント