青い、そらのカケラ

私の大切な毎日。

わかってください。

2009-01-07 18:00:47 | ママ日記。
静かな怒りを覚えて、そしてとても悲しくなる出来事にたびたび出会います。

どうして人は子育てをしている私に、「大変でしょう」「頑張っていますね」「苦労が多いですね」と言うの?

私はとても大変に見えますか?
私はとても頑張っているように見えますか?
私はとても苦労が多いように見えますか?

子供を育てることは、それはもちろん人並な大変さはあります。
オムツを換える時に動かれたらうんちまみれになって大変だし、
おもちゃをいっぱい散らかされたら片付けるのにぐったりするし、
だけどそれは子育てをしていれば誰もが感じる大変さなのでは?
私は私が車いすに乗っているから子育てが特に大変だと感じることはありません。
私には出来ない事に出会ったとき悔しくはなるけれど、
大変だ、なんて思うことは全くないのです。
頑張ってなんかいないし、子供を育てることが苦労だなんて、とんでもない!!!!!
私は「育てる」なんて言葉を使うことすらがおこがましいと思うのです。
テンくんは、自分で食べることも着替えることも飲むこともオムツを換えることも何もできない状態で私にすべてをゆだねてくれているのです。すごいことだよ、これは。自分が生きるか死ぬかを、私に託してくれているのだから。責任重大だとひしひしと感じる。私はテンくんを「育てさせてもらってる」んです。「成長するための、生きるためのお手伝いをさせてもらってる」んです。「育てている」んじゃない。そんな言葉、とんでもない。「育てている」なんて、何様?と思ってしまいます。苦労なんて思ったこと一度もありません。大変だなんて思ったことも一度もありません。こんな貴重な体験、私にさせてくれている息子には、感謝してもしきれない思いです。

だけどどうして、子供がいるというだけで、私が車いすだというだけで、私と旦那が車いすだというだけで、例えば10人の人に会ったら8~9人の人は「車いすなのに大変ね」「夫婦で車いすで…頑張っているわね」「車いす夫婦だもの、苦労も多いでしょう」と言うの?

わかります。
そう言いたくなる気持ちはよくわかるよ。
そりゃあ自分が経験していないことだもの、大変だろうと思うだろうね。
例えば歩けるお母さんが子育てを大変だと感じているならば、自分がこんなに大変なんだもの、車いすのあなたはもっと大変でしょう、と思うだろうと思うしね。
それに、優しさで、あたたかさで言ってくれている言葉もあると、それもよくわかっています。車いすだから、周囲の理解を得るのは大変だよね、とそういう意味で発せられる言葉もあるだろうとわかっています。
わかっているよ。
だけどあまりにも、
あまりにもこういつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも言われると、
「それはあなたがそう思うだけであって、私がそうかどうかなんてわからないでしょう」という怒りを感じることもあるし、
「私は毎日とても楽しんで、この一瞬一瞬が奇蹟だと思って息子と過ごしているのに、どうして大変だとか苦労だとか頑張っていると言われなければならないの」というひどい悲しみを感じるのです。

私は、車いすに乗っている私が、私なんだよ。
歩けるとしたら、それは私ではない。そうだとしたら、私は私の人生を歩んで来れなかったんだよきっと。だから、車いすに乗っている私で生きて来れて、よかったと思っているんだよ。私は子供が欲しかったんだよ。だからテンくんが私のお腹に来てくれて、これを奇蹟と呼ばずに何を奇蹟と呼ぶんだというくらいに嬉しかったんだよ。涙が止まらなかったんだよ。旦那もそうだよ。車いす夫婦だけれど、私たちは日常生活すべてを、テンくんのお世話についてもすべてを、大変だなんてこれっぽっちも思ったことはないんだよ。ないんだよ。どうかわかってください。私を知っている人はどうか、私がそう思っていることを、わかってください。

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