昔、旦那を好きになった頃私は、だいぶ不安定だったなと思い出したの。
それまでとても好きな人がいたけれど、それ以上に比べものにならないくらいに大好きになってしまって、人を好きになる時ってこの人好きになろうと考えて好きになるわけじゃないもんね、そんなの予想できない事態なわけで。
だけど旦那には当時長く付き合っている彼女がいたし、ラブラブだと聞いていたし、奪おうとかそういう気持ちは全然なくて、だけど気持ちだけをいつか伝えられたらいいなと思っていました。
あの頃は国リハにいて、友達とわいわい騒ぎまくって毎日とてもとても楽しくて、だけど旦那を好きになってからは少し変わった。
ある時旦那が実家に帰るために寮を外泊することになって、だから友達はみんな旦那を見送りに行きました。私も誘ってくれたけど、私は行かなかったの。その時私は、一人で国リハの部屋で泣いていました。もうその頃は、旦那のことを好きすぎて、苦しくて仕方なかった。好きな人には彼女がいて、だから私を見てくれるわけがなくて、だけど好きっていう気持ちを簡単にやめられるわけはなくて、どうしたらいいのかわからなくて泣いていました。苦しくて苦しくて、つらくてつらくて、どうしたらいいのかわからなかったの。だけど好きになってから、毎日が楽しかったし、遠くから姿が見えただけでも嬉しくなって、声が聞こえたらもっと嬉しくて、話を出来た時なんて、空も飛べるんじゃないかって言うくらいに有頂天になって、そういうのすごく大切だって思ったし、そういうのとってもすごいことだって思ったし、だからやっぱり、好きでいようと泣き疲れた時に思ったの。泣いて泣いて、泣き疲れた時に、でもやっぱり、好きなものを嫌いになることは無理だし、迷惑をかけるつもりはないし、ただ私は、ただ静かに、だけどちゃんと、好きっていう気持ちを大切にしていこうと思ったの。その時旦那が、私に渡してくれとあめ玉を友達に託していてね、それを受け取った時、ものすごく嬉しかったの。そんな、あめ玉もらったくらいなのに、何の意味もないだろうに、それだけでも私は、あぁやっぱり好きでいようって思ったの。小さいことだってものすごく嬉しくて、そういう気持ちって、好きだからこそ感じられることで、せっかく私の心が彼を好きだと言ってるんだから、だったらそれを大切にしようと思ったの。未来がどうなるかなんて、この先どうなるかなんて、全然わからないけれど、だけど今を大切にして、今の状況を一瞬一瞬を大事にして、そうやって、私はあの時確かに、毎日を楽しんでいたよ。必死に、生きていたよ。
今の私は、あの時の私に似ていると会社でふと思いました。
好きな人がいるけれどその人には彼女がいて、この先どうなるかわからないけれど、でも好きっていう気持ちを大切にしたいと思っていたあの時。
子供がほしくて、だけどこの先できるかどうかなんて誰にもわからなく、だけどやっぱりほしいっていう気持ちを大切にしたい今。
当時私は自分が障害者だから、私を好きになってくれる人がいるんだろうかと本気で思っていて、だから結婚なんて夢のまた夢で、自分が好きな人が自分のことを好きになってくれるなんていう奇蹟、自分の身に起こるなんてこれっぽっちも信じられなくて、だけど旦那は私を見てくれて、旦那は私の「旦那」になったんだもんね。すごいことだよ。信じられないくらいに、すごい奇蹟だよ。人生、何が起こるかなんて、誰にもわからない。想像もつかないから、生きるっておもしろいんだってあの頃思ったなって、思い出したの。
人は、生まれてくる前にある程度自分の人生を選んでくるって聞いたことがあります。
もしそうなら、私のこの人生は、私らしい、と思う。
簡単だけどたぶん求めているものを掴める道より、どんなに大変でも、つらくても泣いても、回り道しても、確実に求めているものを掴める道を、私は選んできたから。そうやって来たから。だから、もし私が、私の人生を自分で選択して生まれてきているのなら、あぁ確かに、私らしいって思ったの。好きな人には彼女がいて、だからつらくて泣いて泣いて、だけど私の好きな人は私を選んでくれて、だから、あの時泣いたから、つらかったから、もしかしたらだからこそ、今も旦那をものすごく大好きなままでいるのかもしれないし、子供が欲しくて欲しくて、だけどできにくくて、つらくてつらくて泣いて、迷って、でもだから、いつか出来た時にはきっと、誰よりも数千倍も数万倍も喜べると思うし、愛せるんだと思う。そう思ったら、なんだか私の人生、私らしいって思いました。なんだかね、心がすっとラクになったよ。軽くなった。少し力抜いて、毎日を大事にいこう。本当の意味で、毎日楽しんでいこう。そう思いました。
それまでとても好きな人がいたけれど、それ以上に比べものにならないくらいに大好きになってしまって、人を好きになる時ってこの人好きになろうと考えて好きになるわけじゃないもんね、そんなの予想できない事態なわけで。
だけど旦那には当時長く付き合っている彼女がいたし、ラブラブだと聞いていたし、奪おうとかそういう気持ちは全然なくて、だけど気持ちだけをいつか伝えられたらいいなと思っていました。
あの頃は国リハにいて、友達とわいわい騒ぎまくって毎日とてもとても楽しくて、だけど旦那を好きになってからは少し変わった。
ある時旦那が実家に帰るために寮を外泊することになって、だから友達はみんな旦那を見送りに行きました。私も誘ってくれたけど、私は行かなかったの。その時私は、一人で国リハの部屋で泣いていました。もうその頃は、旦那のことを好きすぎて、苦しくて仕方なかった。好きな人には彼女がいて、だから私を見てくれるわけがなくて、だけど好きっていう気持ちを簡単にやめられるわけはなくて、どうしたらいいのかわからなくて泣いていました。苦しくて苦しくて、つらくてつらくて、どうしたらいいのかわからなかったの。だけど好きになってから、毎日が楽しかったし、遠くから姿が見えただけでも嬉しくなって、声が聞こえたらもっと嬉しくて、話を出来た時なんて、空も飛べるんじゃないかって言うくらいに有頂天になって、そういうのすごく大切だって思ったし、そういうのとってもすごいことだって思ったし、だからやっぱり、好きでいようと泣き疲れた時に思ったの。泣いて泣いて、泣き疲れた時に、でもやっぱり、好きなものを嫌いになることは無理だし、迷惑をかけるつもりはないし、ただ私は、ただ静かに、だけどちゃんと、好きっていう気持ちを大切にしていこうと思ったの。その時旦那が、私に渡してくれとあめ玉を友達に託していてね、それを受け取った時、ものすごく嬉しかったの。そんな、あめ玉もらったくらいなのに、何の意味もないだろうに、それだけでも私は、あぁやっぱり好きでいようって思ったの。小さいことだってものすごく嬉しくて、そういう気持ちって、好きだからこそ感じられることで、せっかく私の心が彼を好きだと言ってるんだから、だったらそれを大切にしようと思ったの。未来がどうなるかなんて、この先どうなるかなんて、全然わからないけれど、だけど今を大切にして、今の状況を一瞬一瞬を大事にして、そうやって、私はあの時確かに、毎日を楽しんでいたよ。必死に、生きていたよ。
今の私は、あの時の私に似ていると会社でふと思いました。
好きな人がいるけれどその人には彼女がいて、この先どうなるかわからないけれど、でも好きっていう気持ちを大切にしたいと思っていたあの時。
子供がほしくて、だけどこの先できるかどうかなんて誰にもわからなく、だけどやっぱりほしいっていう気持ちを大切にしたい今。
当時私は自分が障害者だから、私を好きになってくれる人がいるんだろうかと本気で思っていて、だから結婚なんて夢のまた夢で、自分が好きな人が自分のことを好きになってくれるなんていう奇蹟、自分の身に起こるなんてこれっぽっちも信じられなくて、だけど旦那は私を見てくれて、旦那は私の「旦那」になったんだもんね。すごいことだよ。信じられないくらいに、すごい奇蹟だよ。人生、何が起こるかなんて、誰にもわからない。想像もつかないから、生きるっておもしろいんだってあの頃思ったなって、思い出したの。
人は、生まれてくる前にある程度自分の人生を選んでくるって聞いたことがあります。
もしそうなら、私のこの人生は、私らしい、と思う。
簡単だけどたぶん求めているものを掴める道より、どんなに大変でも、つらくても泣いても、回り道しても、確実に求めているものを掴める道を、私は選んできたから。そうやって来たから。だから、もし私が、私の人生を自分で選択して生まれてきているのなら、あぁ確かに、私らしいって思ったの。好きな人には彼女がいて、だからつらくて泣いて泣いて、だけど私の好きな人は私を選んでくれて、だから、あの時泣いたから、つらかったから、もしかしたらだからこそ、今も旦那をものすごく大好きなままでいるのかもしれないし、子供が欲しくて欲しくて、だけどできにくくて、つらくてつらくて泣いて、迷って、でもだから、いつか出来た時にはきっと、誰よりも数千倍も数万倍も喜べると思うし、愛せるんだと思う。そう思ったら、なんだか私の人生、私らしいって思いました。なんだかね、心がすっとラクになったよ。軽くなった。少し力抜いて、毎日を大事にいこう。本当の意味で、毎日楽しんでいこう。そう思いました。