日々雑感  ~ 青亀恵一

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親族 考

2007-09-21 07:09:43 | 社会
親族 考


子どもに多く伝えたかったこと。

今、子育てを終えて、
ふと、自分の子ども時代を振り返って見て比べると、
子どもに多く伝えられなかったことを、反省している。

親族が集まっての祝い事などの冠婚葬祭や遊びごとなどに
多く参加して体験する機会を与えてやれなかったなーと思う。

それなりには、参加させた。
いとこ会を5年ごとに開いて、家族ごと参加するイベントをしたり、
法事などの冠婚葬祭には必ず、一席を設けて参加させた。

しかし、親族が集まってワイワイガヤガヤする機会自体が少ないのである。

正月や祭、子どもの祝いに親族を呼んで祝宴をすることもなくなった。
絶対欠かせない冠婚葬祭行事以外の季節の催しごとをする機会が減り、
そして、多くの親族が顔をあわせることが無くなった。

親族は一つの連帯感でつながっている。

そして、その中にいることによって、
子ども心にいろいろな社会との交流体験をし、
親身になって心配したり、誉めてくれたりする
多くの人の心を感じて来た。

それは、その時には、あまり意識しない。

大きくなって、社会に出て、
いろいろな経験を積んでいくうちに、
その奥底の深さを感じるものではないか。

最近は、親族殺し、親殺しの事件がセンセーショナルに報道されている。
京都で次女が斧で父親を殺害するという
衝撃的なニュースが流れた。


そのような子に限って、
「普通の子ですよ」
「いい子ですよ」
と近所の評判は良い。

しかし、それが実態とはいえない。
多分、近所には、その子のほんの一部、
それも、何らかの活動をしている時の姿が認識されていないのかも知れない。



私が子どもに十分体験させてやれなかった
親族の中に自分がいるという体験は、
そのような子どもの心の中に何らかの力を与えているのではないかと思う。

伝統文化や行事の伝承は、一面そのような意識の伝承をも伴い、
新たな連帯感をも育成する。

人は、孤独になればなるほど不安定になる。
それを防ぐには、子どもに自分を取り巻く色々な場で、
色々な体験や感動を与えてやることだ。


そう考えた時、
我が子にそのような場を与えてやれただろうかと
ふと忸怩たる思いがよぎる。

親族の絆が薄くなる時代である。
親族の会う機会も少なくなっている。
また、人数も減っている。

そのような時、
親族にこだわらず、
新たなコミュニティともいうべき絆の中で、
同様の環境の中に子どもを置けないかとも思うこの頃である。

齢重ねると、
このように取りとめも無い思考に
心漂わせることも多くなってきた。


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