新聞報道によると、米国産牛肉の輸入再開をめぐり、安全性評価を担った食品安全委員会プリオン専門調査会の12人の専門委員のうち、半数に当たる6人が辞任したことが3日明らかになった。
その6人は、輸入再開に対して慎重派といわれており、辞任した品川森一前プリオン病研究センター長は「省庁が望む結論ありきの委員会で、やっていられない。改選で議論に異議を唱える人がいなくなった」と話している。
と報道されている。(日本海新聞より)
国民の健康・命より、米国産牛肉の輸入の方が大切であるという結論が、すでに出ているのである。
このような事例は、よくある。
はじめに「結論ありき」で、委員会や審議会の協議がなされるのである。
私にもそのような経験がある。
6年くらい前であるが、中学校のPTA会長をしていた当時、役職柄、町内のいろいろな審議会や協議会に委員として出席することになった。
その中で、議論したり提案したことが、即座に行政の担当者によって、却下されてしまうのである。
交通安全関係の協議会があった。
その年には、町内の人で痛ましい交通事故にあう人もあり、また、町内においても、事故が多発していたように思う。
ある人が、意識啓発のために、交通安全の町民集会を開いたらどうかと提案した。
すると、行政の担当者(相当偉い人)が、即座に言った。
「そのような予算は組んでいないので、できません。」
また、社会教育・公民館の運営に関する審議会でも。
提案内容は、覚えていないが、ある人が提案された。
行政の担当者は、
「もう、予算の額は決定しているので、変えることはできません」
「今年度は無理でも、来年度での計画に検討していただけませんか」
その以来、その提案はどうなったのか分からない。
われわれ委員の間にも、知らされていない。
多分、その場限りの取り扱いであったのでしょう。
また、審議する議案も、当日配布して、さあ、どうでしょうかであった。
これでは、じっくり内容を審議することができない。
これでは、その会の存在意義もない。
以前のPTA会長からも、そのようなことがあったと聞いた。
今では、そのようなことは改善されていると思うが、念のために、旧北条町議会と現北栄町議会の行財政改革委員会で提案させていただいて、その報告に上げさせていただいた。
そのような会は、住民の声を反映させているという、行政執行のお墨付きを与えるために存在したということであったが、本来の役目を取り戻すべきである。
それぞれの事例の共通点は、本末転倒、目的と手段が入れ替わっているのである。
目的は「・・・をして成果を得ること」であり、予算はそのための手段である。
ところが、「予算があるからする」、「ないからしない」というのは、先に「予算ありき」である。
行政担当者は、予算のないものをしたり、予算をかってに組替えしたりはできない。
しかし、それをしようと努力することはできる。
(ほとんどの場合、そのような会には、担当課長や助役などの人は出席しているのだが)
そして、できない場合もあるし、できる場合もある。
少なくとも、そのような意見を反映すべく、検討し計画して、上司や首長に提言することはできる。
今回の新聞報道は、そのようなことを改めて教えてくれたように思う。
このことは、昨日のテーマの「減点法と加点法」にも大きく関係している。
その6人は、輸入再開に対して慎重派といわれており、辞任した品川森一前プリオン病研究センター長は「省庁が望む結論ありきの委員会で、やっていられない。改選で議論に異議を唱える人がいなくなった」と話している。
と報道されている。(日本海新聞より)
国民の健康・命より、米国産牛肉の輸入の方が大切であるという結論が、すでに出ているのである。
このような事例は、よくある。
はじめに「結論ありき」で、委員会や審議会の協議がなされるのである。
私にもそのような経験がある。
6年くらい前であるが、中学校のPTA会長をしていた当時、役職柄、町内のいろいろな審議会や協議会に委員として出席することになった。
その中で、議論したり提案したことが、即座に行政の担当者によって、却下されてしまうのである。
交通安全関係の協議会があった。
その年には、町内の人で痛ましい交通事故にあう人もあり、また、町内においても、事故が多発していたように思う。
ある人が、意識啓発のために、交通安全の町民集会を開いたらどうかと提案した。
すると、行政の担当者(相当偉い人)が、即座に言った。
「そのような予算は組んでいないので、できません。」
また、社会教育・公民館の運営に関する審議会でも。
提案内容は、覚えていないが、ある人が提案された。
行政の担当者は、
「もう、予算の額は決定しているので、変えることはできません」
「今年度は無理でも、来年度での計画に検討していただけませんか」
その以来、その提案はどうなったのか分からない。
われわれ委員の間にも、知らされていない。
多分、その場限りの取り扱いであったのでしょう。
また、審議する議案も、当日配布して、さあ、どうでしょうかであった。
これでは、じっくり内容を審議することができない。
これでは、その会の存在意義もない。
以前のPTA会長からも、そのようなことがあったと聞いた。
今では、そのようなことは改善されていると思うが、念のために、旧北条町議会と現北栄町議会の行財政改革委員会で提案させていただいて、その報告に上げさせていただいた。
そのような会は、住民の声を反映させているという、行政執行のお墨付きを与えるために存在したということであったが、本来の役目を取り戻すべきである。
それぞれの事例の共通点は、本末転倒、目的と手段が入れ替わっているのである。
目的は「・・・をして成果を得ること」であり、予算はそのための手段である。
ところが、「予算があるからする」、「ないからしない」というのは、先に「予算ありき」である。
行政担当者は、予算のないものをしたり、予算をかってに組替えしたりはできない。
しかし、それをしようと努力することはできる。
(ほとんどの場合、そのような会には、担当課長や助役などの人は出席しているのだが)
そして、できない場合もあるし、できる場合もある。
少なくとも、そのような意見を反映すべく、検討し計画して、上司や首長に提言することはできる。
今回の新聞報道は、そのようなことを改めて教えてくれたように思う。
このことは、昨日のテーマの「減点法と加点法」にも大きく関係している。