雨である。
清浄の雨が、定期的にこの穢れた世界を洗い流している。
そう思えば、雨の日の鬱陶しさも少しは紛れるのかもしれない。
BGMは「タクシー・ドライバー」あたりで(笑)。
異常なほどに眠ってしまう、今日この頃。
長時間眠って脳内で整理しなければならないほどの、
大量の情報を仕入れているとは思えないのだが。
ビデオを何本か観た。
どうも、しっくりこない。体調が悪いのだろうか?
かすかに頭痛もする。
まあ、いつも「痛い子」なんやから仕方ないか(笑)。
そんなわけで、一監督一作品を選ぶコーナー、スタートです。
Mのつく監督。
マルセル・カミユは「黒いオルフェ」。
オルフェ神話をリオのカーニバルを背景に、ラテン音楽満載で撮ってみる。
もう、この発想の時点で勝ちである。
この映画は観て以来、ボサノヴァに興味を持って、A・ジルベルドなども発見した。
カラーも綺麗。原色使いのカラフルな祭りを味わい深い色で撮っている。
と思ったら、パルムドールを受賞していた。当たり前だね。
マルセル・カルネは「天井桟敷の人々」。
この映画はフランス占領下に撮られ、パリ開放とともに公開された。
暗いペシミズムと甘いロマンティシズムを融合させた、長い物語。
道化師を演じたジャン=ピエール・バローの姿が今も目に浮かぶ。
マーチン・リットは「太陽の中の対決」。
インディアンの血を持つ男が、孤立無援で無法者と戦う姿が真夏の太陽とともに印象的。
P・ニューマンにはアクターズ・スタジオで演技を「教えて」いた縁で何作も組んでいる。
「長く熱い夜」「青年」「パリの哀愁」「ハッド」など。
特に「ハッド」は現代テキサスで取り残されてゆくカウボーイを描き、
アカデミー監督賞にノミネートされた。
他に「暴力波止場」「ボクサー」「サウンダー」など黒人差別に取り組んだ作品もある。
マーチン・スコセッシは「タクシー・ドライバー」。
この前に撮った「ミーン・ストリート」でニューヨークの下町を描き、
そこで傍役として出会った若き日のR・デニーロを今度は主人公に抜擢して、
再びニューヨークの孤独と狂気を描いた。
カメラを改造して撮られたNYの下町がリアル。
音楽も気だるいサックスが流れ、ムード満点だった。
俳優としても活躍していて「真実の瞬間」「ラウンド・ミッドナイト」「夢」などがある。
マーク・ロブスンは「チャンピオン」。
貧しい環境で育ったボクサーが冷たい心を身につけ、非情な性格でのし上がっていく。
しかし、一番の理解者であるトレーナーとも喧嘩別れして一人になるボクサー。
数々のスキャンダルが露呈されようと彼はびくともしない。なぜなら、チャンプだから。
勝利者には全てが与えられ、敗者には何も与えない、いかにもアメリカ的な物語。
マチュー・カソヴィッツは「クリムゾン・リバー」。
フランスの二大俳優を主演に大掛かりなアクション・ホラーを撮る。
フランスらしくないスケールの大きな映画も撮れる底力を評価したい。
V・カッセルとは「憎しみ」で出会う。若者の苛立ちがより深く表現出来ていた。
「アサシンズ」も老いた殺し屋と子供の交流を描き、殺人シーンがショッキングだった。
俳優としても「アメリ」「天使が隣で眠る夜」など印象的な演技を残している。
メル・ブルックスは「ヤング・フランケンシュタイン」。
フランケンシュタインをベースに古風に古風に撮りながらも、笑えるコメディに仕立てた。
昔の映画に対する溢れるほどの愛情は「サイレント・ムービー」も同様。
西部劇をパロディ化した「ブレージング・サドル」も撮る。
「ドラキュラ」や「スターウォーズ」のパロディも作っている。B級だが楽しい。
マービン・ルロイは「哀愁」。
V・リーとR・テーラーの戦争を舞台にした典型的すれ違いメロドラマ。
あまり得意な分野じゃないのだが、これしか見ていないようなので。
小さな女の子が殺人を犯すという「悪い種子」と、
「暗黒街の顔役」のポール・ムニ主演の「I am a fugitive from a chain gang」を観たい。
マイケル・チミノは「ディア・ハンター」。
ベトナム戦争によってボロボロになっていく若者たちを描いた。
鹿狩りに代表されるのどかな風景と友情が静かに描かれるだけに、戦場の光景は悲惨だ。
この映画は認められたものの、戦場の描き方について各国から非難される。
次いで「天国の門」でジョンソン郡戦争を描く。これもアメリカ史の暗部である。
この映画がコケて、チミノはハリウッドを追放される。
独立プロで「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」を撮り、チャイニーズ・マフィアを描く。
アメリカの暗部を描ける底力のある監督だと思う。また大資本をバックに撮ってほしい。
マイケル・ベイは「ロック」。
製作者ジェリー・ブンラッカイマーのお抱えのような印象はあるが、
「バッド・ボーイズ」も「アルマゲドン」もMTVのようにテンポがよく面白かった。
「パール・ハーバー」も異論はあるが、娯楽作として飽きさせない仕掛けがあった。
大きな予算を使い大胆にカットするその潔さは、日本人とには絶対に真似出来ない。
羨ましい限りだ。
マイケル・カーティスは「カサブランカ」。
エロール・フリンの活劇なんかを主に撮っていた監督が、この一作だけは化けた。
異国情緒たっぷりにH・ボガートとI・バーグマンの昔の恋と今の苦境を対比的に描いて、
最後には男の美学まで感じさせた。これは脚本と主題歌の勝利でもある。
音楽については「ホワイト・クリスマス」と「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー」
があって、前者はB・クロスビーの歌声が、後者はJ・キャグニーのダンスが残った。
マイケル・マンは「ヒート」。
R・デニーロとA・パチーノという二人の難物俳優を競演させ、
しかも面白いアクションを撮るという離れ業を成功させた。
最近作の「コラテラル」でもデジタルカメラによる美しい夜景をバックに、
殺し屋に巻き込まれたタクシー運転手の変化を描いた。
まだ画面に深みはないが、娯楽作を手堅くまとめる手腕は評価されるべきだろう。
マイケル・パウエルは「血を吸うカメラ」。
覗き趣味を前面に出した異色の映画だったが、カラーの綺麗さが印象的だった。
エメリック・プレスバーガーとの共同監督では、
「赤い靴」「黒水仙」「天国への階段」「バグダッドの盗賊」など、
私たちをうっとりさせてくれる数々の映画がある。
ミケランジェロ・アントニオーニは「太陽はひとりぼっち」。
「愛は不毛」というのはよく分からなかったが、
愛しても心の中は孤独という状況もある、というのはよく分かった。
若き日のM・ヴィッティとA・ドロンがひときわ美しい。主題歌もいい。
「情事」は「愛の不毛」という言葉を生んだ映画だった。
同じくM・ヴィッティが主演。蒸発した女を捜すうち、捜索している男女が惹かれあう。不確かな愛、現代人の愛、愛しても心は寂しい、という意味でいえば、
今の方が理解しやすいかもしれない。まあ、ブルジョア的な考え方だけど。
マイク・ニコルズは「卒業」。
中学3年という最も多感な時期に観た映画だから仕方ないだろう。
大学を卒業したばかりの青年が父の友人の奥さんに誘惑されて情事に耽るように。
やがて、その奥さんの娘に惚れてしまい・・・というインモラルな物語。
しかし、これをS&Gの美しい歌声に乗せて、笑える青春ものにしてしまったのだ。
以降、私はD・ホフマン映画を観まくることになる。
「キャッチ22」「イルカの日」「ウルフ」「ワーキング・ガール」など、
俳優の演技を引き出す才能は卓越していて、数々の受賞歴がある。
ミロシュ・フォアマンは「カッコーの巣の上で」。
反抗的な男が精神病院で本当に狂っているのかどうかを調べられる。
男は抑圧的な精神病院にも反抗して、患者のリーダーとなり婦長と対立。
反抗的で自由を希求する男を演じて、J・ニコルソンがアカデミー主演男優賞を受賞。
「アマデウス」とどちらか迷った。
これも従来のモーツァルトの印象を破る、とんでもなく面白い話だった。
天才を前にした時の凡人の苦しさを描いた点でも、充分に理解しやすい映画だった。
私たちのほとんどはサリエリだ。
しかし、ひたむきな努力によって一瞬、モーツァルトになれるかもしれない。
雨があがった後、街中は洗われて少し清潔になった。
願わくば、この頭痛もあとわずかで消え去らんことを・・・。
清浄の雨が、定期的にこの穢れた世界を洗い流している。
そう思えば、雨の日の鬱陶しさも少しは紛れるのかもしれない。
BGMは「タクシー・ドライバー」あたりで(笑)。
異常なほどに眠ってしまう、今日この頃。
長時間眠って脳内で整理しなければならないほどの、
大量の情報を仕入れているとは思えないのだが。
ビデオを何本か観た。
どうも、しっくりこない。体調が悪いのだろうか?
かすかに頭痛もする。
まあ、いつも「痛い子」なんやから仕方ないか(笑)。
そんなわけで、一監督一作品を選ぶコーナー、スタートです。
Mのつく監督。
マルセル・カミユは「黒いオルフェ」。
オルフェ神話をリオのカーニバルを背景に、ラテン音楽満載で撮ってみる。
もう、この発想の時点で勝ちである。
この映画は観て以来、ボサノヴァに興味を持って、A・ジルベルドなども発見した。
カラーも綺麗。原色使いのカラフルな祭りを味わい深い色で撮っている。
と思ったら、パルムドールを受賞していた。当たり前だね。
マルセル・カルネは「天井桟敷の人々」。
この映画はフランス占領下に撮られ、パリ開放とともに公開された。
暗いペシミズムと甘いロマンティシズムを融合させた、長い物語。
道化師を演じたジャン=ピエール・バローの姿が今も目に浮かぶ。
マーチン・リットは「太陽の中の対決」。
インディアンの血を持つ男が、孤立無援で無法者と戦う姿が真夏の太陽とともに印象的。
P・ニューマンにはアクターズ・スタジオで演技を「教えて」いた縁で何作も組んでいる。
「長く熱い夜」「青年」「パリの哀愁」「ハッド」など。
特に「ハッド」は現代テキサスで取り残されてゆくカウボーイを描き、
アカデミー監督賞にノミネートされた。
他に「暴力波止場」「ボクサー」「サウンダー」など黒人差別に取り組んだ作品もある。
マーチン・スコセッシは「タクシー・ドライバー」。
この前に撮った「ミーン・ストリート」でニューヨークの下町を描き、
そこで傍役として出会った若き日のR・デニーロを今度は主人公に抜擢して、
再びニューヨークの孤独と狂気を描いた。
カメラを改造して撮られたNYの下町がリアル。
音楽も気だるいサックスが流れ、ムード満点だった。
俳優としても活躍していて「真実の瞬間」「ラウンド・ミッドナイト」「夢」などがある。
マーク・ロブスンは「チャンピオン」。
貧しい環境で育ったボクサーが冷たい心を身につけ、非情な性格でのし上がっていく。
しかし、一番の理解者であるトレーナーとも喧嘩別れして一人になるボクサー。
数々のスキャンダルが露呈されようと彼はびくともしない。なぜなら、チャンプだから。
勝利者には全てが与えられ、敗者には何も与えない、いかにもアメリカ的な物語。
マチュー・カソヴィッツは「クリムゾン・リバー」。
フランスの二大俳優を主演に大掛かりなアクション・ホラーを撮る。
フランスらしくないスケールの大きな映画も撮れる底力を評価したい。
V・カッセルとは「憎しみ」で出会う。若者の苛立ちがより深く表現出来ていた。
「アサシンズ」も老いた殺し屋と子供の交流を描き、殺人シーンがショッキングだった。
俳優としても「アメリ」「天使が隣で眠る夜」など印象的な演技を残している。
メル・ブルックスは「ヤング・フランケンシュタイン」。
フランケンシュタインをベースに古風に古風に撮りながらも、笑えるコメディに仕立てた。
昔の映画に対する溢れるほどの愛情は「サイレント・ムービー」も同様。
西部劇をパロディ化した「ブレージング・サドル」も撮る。
「ドラキュラ」や「スターウォーズ」のパロディも作っている。B級だが楽しい。
マービン・ルロイは「哀愁」。
V・リーとR・テーラーの戦争を舞台にした典型的すれ違いメロドラマ。
あまり得意な分野じゃないのだが、これしか見ていないようなので。
小さな女の子が殺人を犯すという「悪い種子」と、
「暗黒街の顔役」のポール・ムニ主演の「I am a fugitive from a chain gang」を観たい。
マイケル・チミノは「ディア・ハンター」。
ベトナム戦争によってボロボロになっていく若者たちを描いた。
鹿狩りに代表されるのどかな風景と友情が静かに描かれるだけに、戦場の光景は悲惨だ。
この映画は認められたものの、戦場の描き方について各国から非難される。
次いで「天国の門」でジョンソン郡戦争を描く。これもアメリカ史の暗部である。
この映画がコケて、チミノはハリウッドを追放される。
独立プロで「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」を撮り、チャイニーズ・マフィアを描く。
アメリカの暗部を描ける底力のある監督だと思う。また大資本をバックに撮ってほしい。
マイケル・ベイは「ロック」。
製作者ジェリー・ブンラッカイマーのお抱えのような印象はあるが、
「バッド・ボーイズ」も「アルマゲドン」もMTVのようにテンポがよく面白かった。
「パール・ハーバー」も異論はあるが、娯楽作として飽きさせない仕掛けがあった。
大きな予算を使い大胆にカットするその潔さは、日本人とには絶対に真似出来ない。
羨ましい限りだ。
マイケル・カーティスは「カサブランカ」。
エロール・フリンの活劇なんかを主に撮っていた監督が、この一作だけは化けた。
異国情緒たっぷりにH・ボガートとI・バーグマンの昔の恋と今の苦境を対比的に描いて、
最後には男の美学まで感じさせた。これは脚本と主題歌の勝利でもある。
音楽については「ホワイト・クリスマス」と「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー」
があって、前者はB・クロスビーの歌声が、後者はJ・キャグニーのダンスが残った。
マイケル・マンは「ヒート」。
R・デニーロとA・パチーノという二人の難物俳優を競演させ、
しかも面白いアクションを撮るという離れ業を成功させた。
最近作の「コラテラル」でもデジタルカメラによる美しい夜景をバックに、
殺し屋に巻き込まれたタクシー運転手の変化を描いた。
まだ画面に深みはないが、娯楽作を手堅くまとめる手腕は評価されるべきだろう。
マイケル・パウエルは「血を吸うカメラ」。
覗き趣味を前面に出した異色の映画だったが、カラーの綺麗さが印象的だった。
エメリック・プレスバーガーとの共同監督では、
「赤い靴」「黒水仙」「天国への階段」「バグダッドの盗賊」など、
私たちをうっとりさせてくれる数々の映画がある。
ミケランジェロ・アントニオーニは「太陽はひとりぼっち」。
「愛は不毛」というのはよく分からなかったが、
愛しても心の中は孤独という状況もある、というのはよく分かった。
若き日のM・ヴィッティとA・ドロンがひときわ美しい。主題歌もいい。
「情事」は「愛の不毛」という言葉を生んだ映画だった。
同じくM・ヴィッティが主演。蒸発した女を捜すうち、捜索している男女が惹かれあう。不確かな愛、現代人の愛、愛しても心は寂しい、という意味でいえば、
今の方が理解しやすいかもしれない。まあ、ブルジョア的な考え方だけど。
マイク・ニコルズは「卒業」。
中学3年という最も多感な時期に観た映画だから仕方ないだろう。
大学を卒業したばかりの青年が父の友人の奥さんに誘惑されて情事に耽るように。
やがて、その奥さんの娘に惚れてしまい・・・というインモラルな物語。
しかし、これをS&Gの美しい歌声に乗せて、笑える青春ものにしてしまったのだ。
以降、私はD・ホフマン映画を観まくることになる。
「キャッチ22」「イルカの日」「ウルフ」「ワーキング・ガール」など、
俳優の演技を引き出す才能は卓越していて、数々の受賞歴がある。
ミロシュ・フォアマンは「カッコーの巣の上で」。
反抗的な男が精神病院で本当に狂っているのかどうかを調べられる。
男は抑圧的な精神病院にも反抗して、患者のリーダーとなり婦長と対立。
反抗的で自由を希求する男を演じて、J・ニコルソンがアカデミー主演男優賞を受賞。
「アマデウス」とどちらか迷った。
これも従来のモーツァルトの印象を破る、とんでもなく面白い話だった。
天才を前にした時の凡人の苦しさを描いた点でも、充分に理解しやすい映画だった。
私たちのほとんどはサリエリだ。
しかし、ひたむきな努力によって一瞬、モーツァルトになれるかもしれない。
雨があがった後、街中は洗われて少し清潔になった。
願わくば、この頭痛もあとわずかで消え去らんことを・・・。