今回は、旧八幡宮をご紹介したいと思います。
旧八幡宮には、古来より武将の信仰篤い
武勇の神、応神天皇が祀られていました。
群雄割拠時代、地頭であった三浦新助は、八幡宮を弓矢神として崇敬し
野狐丸の太刀 一柄(ひとつか)を奉献したという記録があります
また、
安乗には、九鬼嘉隆(くきよしたか)という歴史上の人物に関する記録があります
九鬼嘉隆…(1542~1600)三重県志摩市で産まれる
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名
九鬼水軍を率いた水軍武将であり、九鬼氏の第8代当主である
志摩の国衆の一員として身を起こし、織田信長や豊臣秀吉のお抱え水軍として活躍し、
3万5,000石の禄を得た。こうした経歴とその勢威から、江戸時代には軍記物などで海賊大名の異称をとった。
後に関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗れて自害した。
九鬼嘉隆について
安乗神社に祀られた旧八幡神社は、昔より武将の信仰あつく、
文禄年間(1592年~1596年の期間)豊太閤の朝鮮征伐については
志摩國守(しまのくにのかみ)九鬼嘉隆公 が戦勝祈願したことで手柄や名声がより際立ったという言い伝えがあります
安乗神社誌より
嘉隆公 第二水師提督となり、日本丸に乗船して諸将と船夫180名を率いて鳥羽を発し、
畔乗(当時の安乗)の沖合に差し掛かると、今まで順風に進んできた船は、ぴたりと止まった。
嘉隆公は、この陸上に威厳高い神様が座されていると思い 小舟に乗って畔乗崎に上陸し
里人に御神の所在を尋ねると 八幡宮という武勇の神様が祀られている事を聞き
一同海水にて斎戒沐浴(さいかいもくよく=心の不浄を清め、身の過ちを戒める)した上、
神前におもむき海上安全と戦勝を祈願しました
するとその後、順風たちまち吹いて船は矢のように進み目的地へ航海することができ、
征戦に大いに武功をたてて勝利につなげる事が出来たという
このため嘉隆公は凱旋後、八幡宮に参拝して祭典を執行して例祭日を定めました。
祭礼当日余興として手踊りをする事もこの時に始まった
当時の手踊りが人形文楽として今に受け継がれていて無形文化財となっています
朝鮮征伐の時小舟をつけた場所を「船つけ」といい
沐浴をした浜を「大垢離(おおごり)」というようになりました
垢離(こり)=神仏に祈願するため、冷水を浴び、身体のけがれを去って清浄にすること

灯台の下が船つけ と書かれています
安乗の(旧)八幡宮に
まるで呼び寄せられるように船が止まり
戦勝祈願すると船は順調に進みそして戦いに勝利した!
応神天皇のお恵み、御神徳でしょうか
現在は合祀され安乗神社に祀られています。
ここ一番の大勝負の際は応神天皇へ勝利を祈願されてみては!?
旧八幡宮に関するまた別の面白い言い伝えがありますので次回に続きます
安乗地区を活性化しようと頑張っている
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