安乗神社

三重県の伊勢志摩にある安乗神社のブログです
安乗や安乗神社の事を紹介していきたいと思います

旧八幡宮 2

2014年07月01日 | ご祭神






















こんにちは。



 安 乗 神 社 で す










本日は月次祭が執り行われました


7月です。もう、既にかなり暑いです・・・





皆様、体調を崩されたりしていませんでしょうか?




熱中症などにはご注意くださいね

























前回の旧八幡宮の記事で書きました




九鬼嘉隆の朝鮮征伐に際して



安乗神社にて戦勝祈願をし武功をたてたという話が広まり



安乗には神威高き武勇の神が座されていると崇拝され





日清、日露の両役に際して、当時出征勇士はは当社に武運長久を祈願して出立しました



(日清戦争1894~1895)

(日露戦争1904~1905)


日清戦役に際しては出征軍人多数あり、出立に際して当社に武運長久を祈り


神主、家族も一心に祈願したる為、全部めでたく凱旋した




日露戦役にも多数の出征軍人ありたるも、


日清戦役同様、武運長久を祈願して


家族は 朝夕参拝した




神のご加護によって 尽忠奉公の誠を致して全員無事凱旋し



中には金鵄勲章を下賜(天皇など身分の高い人が身分の低い人に物を与えること)された勇士も居る



八幡大神の徳澤が十分行き渡っていたのである






支那事変に際しても



出征勇士は、武勇長久を祈願し 御神符、御守及び神社写真を身に帯し、




武運長久になることを信念に持ち勇躍征途に上った




出征軍人は120余名の多数に上るも事変1周年を経る時点では全員盾となり城となって国を守っていた



(安乗神社誌の発行は昭和13年。戦争中。終戦の昭和20年、西暦1945年の7年前である)




当時、当村に1名も戦死者が無いという事実の噂がひろがると




三重県外からの遠方より戦勝祈願に参拝者多数来たりという記録があります













































































旧八幡宮 1

2014年05月27日 | ご祭神





今回は、旧八幡宮をご紹介したいと思います。





旧八幡宮には、古来より武将の信仰篤い


武勇の神、応神天皇が祀られていました。








群雄割拠時代、地頭であった三浦新助は、八幡宮を弓矢神として崇敬し

野狐丸の太刀 一柄(ひとつか)を奉献したという記録があります





また、

安乗には、九鬼嘉隆(くきよしたか)という歴史上の人物に関する記録があります




九鬼嘉隆…(1542~1600)三重県志摩市で産まれる

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名

九鬼水軍を率いた水軍武将であり、九鬼氏の第8代当主である

志摩の国衆の一員として身を起こし、織田信長や豊臣秀吉のお抱え水軍として活躍し、

3万5,000石の禄を得た。こうした経歴とその勢威から、江戸時代には軍記物などで海賊大名の異称をとった。

後に関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗れて自害した。

九鬼嘉隆について






安乗神社に祀られた旧八幡神社は、昔より武将の信仰あつく、

文禄年間(1592年~1596年の期間)豊太閤の朝鮮征伐については

志摩國守(しまのくにのかみ)九鬼嘉隆公 が戦勝祈願したことで手柄や名声がより際立ったという言い伝えがあります

安乗神社誌より





嘉隆公 第二水師提督となり、日本丸に乗船して諸将と船夫180名を率いて鳥羽を発し、

畔乗(当時の安乗)の沖合に差し掛かると、今まで順風に進んできた船は、ぴたりと止まった。

嘉隆公は、この陸上に威厳高い神様が座されていると思い 小舟に乗って畔乗崎に上陸し

里人に御神の所在を尋ねると 八幡宮という武勇の神様が祀られている事を聞き

一同海水にて斎戒沐浴(さいかいもくよく=心の不浄を清め、身の過ちを戒める)した上、

神前におもむき海上安全と戦勝を祈願しました



するとその後、順風たちまち吹いて船は矢のように進み目的地へ航海することができ、

征戦に大いに武功をたてて勝利につなげる事が出来たという




このため嘉隆公は凱旋後、八幡宮に参拝して祭典を執行して例祭日を定めました。



祭礼当日余興として手踊りをする事もこの時に始まった

当時の手踊りが人形文楽として今に受け継がれていて無形文化財となっています




朝鮮征伐の時小舟をつけた場所を「船つけ」といい

沐浴をした浜を「大垢離(おおごり)」というようになりました


垢離(こり)=神仏に祈願するため、冷水を浴び、身体のけがれを去って清浄にすること




灯台の下が船つけ と書かれています








安乗の(旧)八幡宮に


まるで呼び寄せられるように船が止まり


戦勝祈願すると船は順調に進みそして戦いに勝利した!



応神天皇のお恵み、御神徳でしょうか





現在は合祀され安乗神社に祀られています。


ここ一番の大勝負の際は応神天皇へ勝利を祈願されてみては!?





旧八幡宮に関するまた別の面白い言い伝えがありますので次回に続きます







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旧辨財天社

2014年05月16日 | ご祭神





こんにちは。





最近は神社の管理や他の社務のあいまに

神社総代さん達に協力して頂いて

山へ玉串用の榊を切りに行ったり

辨財天さんの掃除をしたりしています









辨財天べんざいてんと読み通称べんてんさんと呼ばれています

又の名を厳島社といい

市寸島比賣命(イチキシマヒメノミコト)という神様が祀られています



聞き覚えありますか?

そうです、前々回の記事の旧八皇子宮でも登場しました








辨財天は船舶航海について深い信仰ありと記録されています


安乗漁港の入り口ににあり、明治40年厳島社と改称し安乗神社に合祀されましたが


昭和7年春に安乗漁港修築工事が完成したので

漁港の繁栄の守護を祈願するため同年2月20日

御分霊を移し奉って現在祀られています













明日5月17日はべんてんさんで大漁と航海の安全を祈願する辨天祭という祭典が執り行われます

もし写真が撮れたらこのブログでも紹介したいな・・と思っています





















昔の写真があります!平成七年の、移し替えた後のようですが

ちょっとわかりづらいですね・・・







船舶航海の信仰ありというだけあって面白い昔話があります。


昔は二見の夫婦岩ににた岩があったそうですが その岩の上に松の木があり

その松の木の木陰に祠(ほこら)があったそうです


そこでは、

大の月(1,3,5,7,8,10,12月)は月末

小の月(2,4,6,9,11月)は朔日の夜


誰もつけていないのに 御神燈に明かりが輝き

廻船の航路を照らしたという言い伝えがあります!










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旧大山祇社

2014年05月15日 | ご祭神





こんにちは。








今回ご紹介したいのは

タイトルの大山祇社(おおやまつみしゃ)ですが





昔の安乗、大山祇社多いですね(´・ω・`)


別々に三社あったようです





安乗神社誌によると

一つは水垂の山の神神社跡  灯台へ行く道、灯台用井戸の前に鳥居と祠あり

一つは里方の山の神神社跡  現在は民家が建っている

一つは旧八皇子社境内内   現在安乗神社前の芝居小屋の裏山













大山祇命は山の神様とされています



ですが

海の神・戦いの神とも云われ


酒造の神なんて説も。






安乗神社誌や三重県神社誌でもあまり詳しいことは書かれていません



由緒などははっきりわかりませんが安乗の山、海を護って下さっているでしょう














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旧八皇子宮

2014年05月02日 | ご祭神



こんにちは。

前回の更新からだいぶ日が経ってしまいました


連休中も安乗神社は平和な日々を送っていました(*´ω`*)












さてさて


本日ご紹介するのは 旧八皇子宮 という過去にあった宮さんです


現在の人形芝居小屋の裏山にあって


境内に大潮社、天王社、大山祇社が祀られていたという記録がありますが


明治40年に八幡宮、秋葉社、また別の大山祇社と共に合祀され八幡神社となり


1年後の明治41年 当時の安乗神社と合祀され「村社安乗神社」として生まれ変わりました









合祀前の旧八皇子宮では八柱の神様が祀られていました




◎天忍穂耳命 アメノオシホミミノミコト

◎天之穂日命 アメノホヒノミコト

◎天津日子根命 アマツヒコネノミコト

◎活津日子根命 イクツヒコネノミコト

◎熊野久須毘命 クマノクスビノミコト



ここまでは男の神様







◎多紀理毘売命 タキリヒメノミコト

◎市寸島比売命 イチキシマヒメノミコト

◎田寸津比売命 タキツヒメノミコト



ここまでは女の神様



合わせて五男三女神として各地にある八皇子社(八王子神社)にて祀られています







昔の安乗では、この旧八皇子宮にて

村の重要生業である漁業の大量を祈願する神事があったそうです


旧正月の一日に行われていた潮祭りでは


神森よりもちの木を切り出し、海岸の祭場に飾って柑子(ミカン科の小高木)をならす

「蜜柑(ミカン)ならし」又は「橘をはやす」という事がされ、

81の神饌(供え物)を供えて祭典する側で僧侶が護摩を焚いて大漁祈願していたようです




ちなみに「護摩を焚く」の意味が分からなかったので調べたら・・・

護摩の炉に細長く切った薪木を入れて燃やし、炉中に種々の供物を投げ入れ(護摩焚き)、
火の神が煙とともに供物を天上に運び、天の恩寵にあずかろうとする素朴な信仰から生まれたものである。
火の中を清浄の場として仏を観想する


密教で、不動明王や愛染(あいぜん)明王などの前に壇を築き、火炉(かろ)を設けてヌルデの木などを燃やして、煩悩(ぼんのう)を焼却し、併せて息災・降伏(ごうぶく)などを祈願する修法。

・・・という事のようです。





そして旧11月一日にはめたねまきといって

和布(海藻の種類)の種まきをし、磯草の豊作を祈って

神森に注連縄(しめなわ)を巻いて不浄物の山入りを禁じたそうです



つまり潮祭とめたねまきは磯と沖合の大漁を祈願して行われていたものです






安乗は昔からずっと漁業が盛んで ほとんどの人が海にかかわる仕事をしていたそうなので

こういう神事はやはり大事ですね









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